カテゴリ: やたがらすナビ2

まずはこのスクリーンショットを見てほしい。こちらはGoogle。サイト名で検索しているので、当然やたがらすナビが冒頭に出てくる。
goole
そして、Bing。
bing
同じくサイト名で検索してるのに、冒頭に出てくるのはリンクしている別のサイト。冒頭どころかいくらスクロールしても下の方にも出てこない。これはURLで検索しても同じである。

マイクロソフトご自慢のAI、copilotに聞いてみると・・・。
copirot
ハァ?何言ってるの?適当なこと言わないでほしいな。

以前からこうだったわけではない。以前はむしろGoogleよりまともな結果を返してくる印象だった。それが半年ほど前からこの状態である。サイトまるごとBingにBanされたとしか考えられないのだが、サイトの方は更新した以外何もいじっていない。

とりあえず、Bing webmaster tools なるもので原因を調べてみた。
noindex
「いくつかの問題があるためにインデックス作成が妨げられています」だそうだが、問題が分からない。指示されたとおりBing Webmaster Guidelinesを見てみたが、心当たりのないことばかりである。

もちろん細かいHTMLの間違いなどないではないが、これでサイトまるごとBanでは通るサイトの方が少なくなるだろう。となれば内容だが、やたがらすナビは健全も健全、これ以上健全なものはないぐらいの古典文学サイトである。

結局、原因は不明のまま。もともとBing経由で来る人は多くなかったので、アクセス数にはそれほど支障はないが、あまり気持ちの良いものではない。

というか、オレMSの株主なんですけどー!株主のサイトBANすんなよ!
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『一言芳談抄』の電子テキストを公開しました。


慶安元年版本『一言芳談抄』:やたナビTEXT

底本は慶安元年版本です。いつもどおり、翻刻部分はパブリックドメインで、校訂本文部分はクリエイティブ・コモンズライセンス 表示 - 継承(CC BY-SA 4.0)で公開します。

『一言芳談抄』は中世に成立した仮名法語集で、その名の通り、浄土教の高僧の短い言葉が集められています。『徒然草』98段に引用されていることでも知られています。



仏教の考え方は、ものすごくざっくりいうと「悟りを開いて仏になろう」というものです。その方法によって宗派が分かれるのですが、なかでも浄土宗の主旨は「環境の悪い現世でいくら修行してもムダ。阿弥陀如来におすがりして、来世は極楽浄土に生まれ変わりそこで仏になろう」というものです。

ですから、やることは非常にシンプルで、ひたすら「南無阿弥陀仏」と阿弥陀如来の名前(名号)を唱えればいいわけです。

一見簡単そうに見えますが、本当に簡単でしょうか。実際にやってみると、理論は勉強しなくていいのかとか、本当に救ってもらえるのかとか、どう唱えればいいのかとか、飽きたらどうすればいいかとか、いろいろと疑問が湧いてくるはずです。『一言芳談抄』はそういった疑問に対して、たくさんの高僧たちが答えています。

こう書くと、これは浄土教のことだから信者以外は関係ないように思えます。しかし、念仏を唱えるように反復しなければならないことは、日常でもよくあります。

勉強でも、仕事でも、スポーツや音楽などの練習でも、何も考えずに繰り返しやらなければならないこと、そしてそこに疑念を持つことは山ほどあります。『一言芳談抄』が読まれたのは、信仰としてだけではなく、彼らの言葉に汎用性があったからでしょう。

実際に話した言葉なので、ときどき短すぎて意味が分からないものもあります。例えばこれ。


顕真座主の云はく、「轆轤(ろくろ)かまへたることぞ」。
轆轤というと陶芸でつかうクルクル回る台のことだと思っていたので、最初さっぱり意味が分かりませんでした。実は滑車(ウィンチ)のことで、「(阿弥陀仏におすがりすることは)ウィンチを用意した(ようなもので、浄土に引き上げてもらえる)」という意味です。

分かるかこんなもん。
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一月ほど前『土佐日記』が終わり、『一言芳談抄』も残すところあと少し。ということで、『伊勢物語』を始めることにした。

嵯峨本『伊勢物語』:やたナビTEXT


実は僕がやらなくても『伊勢物語』の電子テキストはネット上にたくさんある。その点では、やたナビTEXTに収録するテキストとしては優先順位が低いのだが、同じ平安時代の歌物語である『大和物語』・『平中物語』がすでに入っているので、『伊勢物語』は入れたいと思っていた。

となると、まず底本を決めなければいけない。ところが『伊勢物語』の伝本はやたらと多い。一般的には天福本系の学習院大学蔵本が注釈書の底本とされるが、これはネット上では見られない。

同系統に宮内庁書陵部本があるのだが、同じ宮内庁書陵部蔵の『伊勢物語』の写本は山ほどあって、なんとなくこれかなというのはあるものの、イマイチ確証がもてない。論文などを探れば特定できるのだろうが、正直面倒くさい。こういうの何とかならないものだろうか。

そこで、嵯峨本を底本にすることにした。嵯峨本は江戸時代初期の古活字本だが、本文は天福本系で、後に流布する版本の祖でもある。後の絵入り版本に影響を与えたと思われる挿絵も入っている。国文学研究資料館の日本古典籍データセットで提供されている画像を用いれば、各ページに挿絵を入れることもできる。

というわけで、作ってみた。

第1段 昔男初冠して平城の京春日の里にしるよしして狩りに往にけり・・・:伊勢物語


なかなかいい感じだと思うけど、どうだろう。
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『土佐日記』の電子テキストを公開しました。


青谿書屋本『土佐日記』:やたナビTEXT

底本は青谿書屋本(せいけいしょおくぼん)です。いつもどおり、翻刻部分はパブリックドメインで、校訂本文部分はクリエイティブ・コモンズライセンス 表示 - 継承(CC BY-SA 4.0)で公開します。

『土佐日記』は本文研究が進んでおり、やたナビTEXTにまったく新味はありません。ただ、一つだけ他と違うのは、一日一ページになっていることです。

藤原定家によると、紀貫之自筆の『土佐日記』は巻子本だったそうです。読むとすれば、一日の記事の冒頭を右端になるように、紙を巻き取りつつ一日ずつ広げることになると思います。一日一ページはそれに近い読書体験になると思います。

久しぶりに『土佐日記』を通読しましたが、あらためてこれぞまさに文学だと思いました。日記文学の嚆矢であると同時に、紀行、和歌文学、歌論、そして私小説など、後の日本文学に繋がる要素が詰め込まれています。短い作品ですが、よく読み込む必要があります。

この作品の場合、どんなによく出来た現代語訳でも原文の半分も魅力を伝えることができないでしょう。自分で作っておいてこういうのもなんですが、テキストだけでは十分に理解するのは難しいと思うので、できれば複数の注釈書を読んだほうがいいと思います。研究が進んでいても、いまだに解釈の分かれるところが多いからです。

注釈書はいくつかトップページに紹介しておきましたが、この本もオススメしておきます。

小松英雄『古典再入門―『土左日記』を入りぐちにして』(笠間書院)
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先日、『一言芳談抄』の電子テキスト化を始めたが(『一言芳談抄』始めました:2023年08月03日参照)、これは短いのですぐに終わりそうなので、もう一つ並行して進めていこうと思う。

さて、何をするかだが、メジャーにも程がある『土佐日記』にすることにした。底本はかの有名な青谿書屋本。

青谿書屋本『土佐日記』:やたナビTEXT


理由はこれまた短いことと、青谿書屋本や定家本がネット上で容易に見られること、写本の字が美しく読んでいて楽しいことである。『醒睡笑』でやたナビTEXTの作品リストを下(新しい時代)に伸ばせたので、今度は上に伸ばしたというのもある。

ちなみに青谿書屋本はこちら。
土佐日記:国書データベース

定家本はこちらで見られる。
土佐日記 (尊経閣叢刊):国立国会図書館

これも完成までそれほどかからないと思うが、ここのところ長い作品が多かったので、しばらくは短めの作品で作品点数を増やしていこうと思っている。
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『醒睡笑』の電子テキストを公開しました。


内閣文庫本『醒睡笑』:やたナビTEXT

底本は内閣文庫本です。いつもどおり、翻刻部分はパブリックドメインで、校訂本文部分はクリエイティブ・コモンズライセンス 表示 - 継承(CC BY-SA 4.0)で公開します。

『醒睡笑』は寛永五年(1628)京都所司代板倉重宗の依頼により安楽庵策伝が書いた笑話集です。短い話が千話余りもあります。ほとんどが名も無き人の話ですが、その中に戦国大名のエピソードが入っており、戦国時代・安土桃山時代の風俗・習慣などの資料にもなるでしょう。

俗に「落語の祖」などと言われますが、たしかに落語のような最後にオチを付けるタイプの話が多く見られます。これは中世の説話ではまずありません。しかし、では面白いかと言われると、ちょっと躊躇します。

直感的に分かる中世の説話と違い、当時の言葉や習慣の知識がないと理解できないものや、いわゆる考え落ちが多く、よく読んでやっと理解できるものが多いのです。考えないと笑えないというのは、考えて分かった時点で笑えなくなります。そこで今回の校訂本文はいつもよりも多めに注を付けておきました。

『醒睡笑』は作者の気合の入り具合が半端ではありません。笑い話を千個集めるだけでもすごいのですが、笑話を分類した上で、ちょっと感動する話もまぜるなど、構成もよく考えられているようです。

極めつけは上戸の最初にある策伝による長文の随筆です。


酒飲みの俗と酒に否定的な僧が、それぞれ酒の効能と害悪について、衒学的な論戦をします。引用される仏典や漢籍を見ると、策伝の教養の深さに驚かされます。が、漢文で書かれているため、翻刻にはかなり手こずりました。

この作品は近世文学に属するものの、書かれている内容は中世末期ですから、中世を専門とする僕としてはそれほど難しくはないと思っていたのですが、中世と近世の感覚の違いを改めて思い知らされました。
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唐鏡』が完成し、『醒睡笑』もあと一歩で終わる。

ここのところ長い作品が続いたので、なるべく短くて読みやすいのをやりたい。というわけで、『一言芳談抄(いちごんほうだんしょう)』にした。

一言芳談抄:やたナビTEXT


底本は国会図書館蔵の慶安元年版本で、ちくま学芸文庫『一言芳談』(小西甚一・筑摩書房・1998年2月)の底本でもある。現存する伝本で一番古いらしい。

『一言芳談抄』は中世の高僧の言葉を集めたものである。「一言」というとおり短いものが多いが、高僧の言葉だけあってなかなか含蓄に富んでいる。『徒然草』98段に引用されたものが有名である。
『徒然草』第98段:やたナビTEXT
尊き聖(ひじり)の言ひ置けることを書き付けて、一言芳談とかや名付けたる草子を見侍りしに、心にあひて思えしことども。
  • 「しやせまし、せずやあらまし」と思ふことは、おほやうは、せぬはよき也。
  • 後世を思はん者は、糂汰瓶(じんだがめ)一も持つまじきことなり。持経・本尊に至るまで、良き物を持つ、よしなきことなり。
  • 遁世者は、なきにことかけぬやうをはからひて過ぐる、最上のやうにてあるなり。
  • 上臈は下臈になり、智者は愚者になり、徳人は貧になり、能ある人は無能になるべきなり。
  • 仏道を願ふといふは、別のことなし。暇(いとま)ある身になりて、世のことを心にかけぬを第一の道とす。
このほかもありしことども、覚えず。
これを読むと、仏教の話ばかりではないことが分かる。

とくに最初の「「しやせまし、せずやあらまし」と思ふことは、おほやうは、せぬはよき也。」というのは、今の政治家の肝に銘じてやりたい。
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『唐鏡』の電子テキストを公開しました。


松平文庫本『唐鏡』:やたナビTEXT

底本は松平文庫本です。いつもどおり、翻刻部分はパブリックドメインで、校訂本文部分はクリエイティブ・コモンズライセンス 表示 - 継承(CC BY-SA 4.0)で公開します。『唐鏡』の翻刻はほとんどされておらず、校訂本文は初めての試みだと思います(あったら教えてください)。

『唐鏡(からかがみ)』は鎌倉時代に藤原茂範によって編年体で書かれた中国史の歴史物語です。その名の通り鏡物の体裁になっていて、最初におなじみの超長生き老人も出てきます。中国史ですから一人は中国人、一人は通訳という体になっています。
『唐鏡』序
この時、二人の高僧あり。転誦の始めより、聴聞の体にて傍らを離れ給はず。今夜近くゐ寄りてもののたまふ。一人は師とおぼしき体なり。そののたまふ言葉は聞き知られず。いま一人の、弟子とおぼしき人にぞ師の言葉を伝へらるる。通事(つじ)などの儀なり。
書かれている時代は、三皇五帝の時代から東晋の滅亡までです。序文には北宋建国までとありますが、そこまで書かれた伝本はありません。何の根拠もありませんが、最初から東晋の滅亡までだったと思います。

鏡物なので、面白いかどうかは保障できませんが、勉強になることだけは間違いありません。教科書的な工夫がいろいろとあるので(教科書としての『唐鏡』:2023年07月05日参照)、日本文学を専攻する人にはご一読をお薦めします。

底本の松平文庫本は、巻一〜巻五が漢字平仮名交じり、巻六が漢字片仮名交じりで書かれています。松平文庫本の親本に巻六が欠けていたため別本で補ったと考えられますが、巻一〜巻五の親本はあまりいいテキストではなかったらしく、かなりの脱文を異本で補った部分があります。おそらくその異本が巻六の親本だったのでしょう。ならば全部それで写本を作ればよさそうなものですが、巻六だけ読み仮名や注記が少ないので、そのあたりが理由かもしれません。

さて、従来『唐鏡』のような漢籍の翻訳・翻案作品はあまり注目されてきませんでした。そのため、活字化されたテキストも少なく、研究もあまり多くはありません。やたナビTEXTでは、すでに『唐物語』『蒙求和歌』を電子テキスト化しています。あらたに『唐鏡』が加わったことで、この方面にもっと光が当たることを期待しています。
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やたがらすナビの維持費は広告でまかなっている。今のところ十分な収益があるが、決して多くはない。ちゃんと計算したことはないが、平均すると月あたり3000円ぐらいである。

ページは増える一方なので、収益も少しずつ増えそうなものだが、今年は去年よりも少ない。コロナが終息に近づき対面授業になったとか、TwitterのBotがなくなったとかが原因だと思うが、詳しくはよく分からない。

最近、広告に関してちょっとショックを受けたことがあった。自分の勤務している学校で、学校が提供するWi-Fiを使ってやたがらすナビを閲覧したところ、広告が一切表示されていなかったのだ。

学校のWi-Fiはかなり制限が多い。ホワイトリスト方式になっているらしく、エロサイトなんかは一切表示されない。Twitterはなぜか画像だけが見えない。YouTubeは普通に見られる。授業や調べもので使う可能性があるからだろう。

そこからすると、表示されるだけまだましなのだが、広告だけ削除するというのは、タダ見されている感じがして不愉快である。

もちろん、ヘンな広告もあるので、なるべく生徒たちに見せたくないというのは分かる。できるだけそういうのはブロックしているのだが、僕もすべての広告をチェックすることはできないから、そんなことを言っても通用しないのも分かる。せめて「教育的な理由で広告を削除します」という連絡でもあれば許可するつもりだが、だまって広告削除されると腹も立つというものだ。

一方でYouTube広告は削除できないので普通に流れる。これでますます、複雑な気持ちになる。YouTube広告とWebページ広告でどんな違いがあるのだろう。

正直、自分でも引くぐらいデカい広告が出ることがある。僕がデカくしたのではなく、Googleによる最適化の結果である。小さくすることは可能だが、収益が運営に支障をきたすレベルになると困るので怖くてできない。

僕がやたがらすナビを運営する上で常に考えていることは、誰でも見られることと、いつまでも見られることの二点である。どこかみたいに、意味もなくアカウントを取らせたり、担当者がいなくなったら消えるようなサイトは作りたくない。

そのためには、現状では広告以外の選択肢はない。広告が邪魔くさい気持ちは十分に分かるが、それを削除する意味を考えてほしい。
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やたがらすナビのソーシャルボタンを削除した。ソーシャルボタンというのは下のスクショに並んでいる、色とりどりの丸いボタンのことである。
モバイル版
やたがらすナビのソーシャルボタンは、AddThisというサービスを使っていたのだが、5月いっぱいでサービス終了してしまった。マヌケなことに、終了してから一ヶ月間、ソーシャルボタンがないことに気づかなかったという次第。

で、今後どうするか考えた。

1.他の代替サービスを探す。
2.Dokuwikiのプラグインを使う。
3.ソーシャルボタンを廃止する。

AddThisがサービスをやめたのが、ソーシャルボタンを使っている人が少ないからだろう。だとすれば1の代替サービスを使っても、またすぐ使えなくなるかもしれない。

2はAddThisを導入する前も検討したのだが、各ページを書き換えなければならない。それはちょっと面倒だ。他に方法があるかもしれないが、とりあえず保留。

で、3の「ソーシャルボタンを廃止する」である。

ソーシャルボタンを取り付けたのは、それを押してSNSに投稿してほしいからではない。そのころはまだシェアやリンクするのに断りを入れてくる人や、リンクにならないようにURLだけを表示する人がいた。

どうやら勝手にシェアしたりリンクしたりしてはいけない思っている人が一定数いるらしいので、「シェア・リンクはご自由に」という姿勢を示すために、これ見よがしにソーシャルボタンを付けていたのである。

しかしもうそんな時代ではないだろう。シェアは当たり前のことになった。ソーシャルボタンの機能はスマホやブラウザに付いている。ソーシャルボタンがないと困るというものではなさそうだ。

考えてみると、僕自身、他のサイトでソーシャルボタンを使っていない。サイトによって押した時の挙動が違っていて、ものによっては思いもしないことになって、どうにも使い心地が良くないからだ。というわけで、この際ソーシャルボタンは廃止して様子を見ることにした。

ソーシャルボタンは消えたけど、シェア・リンクはバンバンやってください。よろしくお願いします。
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