カテゴリ: やたがらすナビ2

あけましておめでとうございます!

やたナビTEXTは現在作成中の東寺観智院本三宝絵詞が完了すれば、ついに30作品になります。

まだまだ続けていく所存ですので、今年もよろしくお願いします。
年賀状foryatanavi
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東寺観智院本『僧妙達蘇生注記』の電子テキストを公開しました。


東寺観智院本『僧妙達蘇生注記』:やたナビTEXT

底本は東寺観智院本『三宝絵詞(三宝絵)』の中巻の末尾に入っているものです。『三宝絵詞』とは全く関係ない作品なので、ページを分けました。「妙達和尚の入定して蘇りたる記」がそのタイトルですが、続々群書類従第16部雑部の「僧妙達蘇生注記」の異本なのでこちらにタイトルを合わせました。いつもどおり、翻刻部分はパブリックドメインで、校訂本文部分はクリエイティブ・コモンズライセンス 表示 - 継承(CC BY-SA 4.0)で公開します。

内容は出羽国龍華寺の僧妙達が突然入定(死亡する)、冥界で閻魔大王に会って、亡くなった人が来世でどうしているかを聞き蘇生するという話です。形式的には、「○○(人名)は生前○○をしたため、現在○○に生まれ変わってどうなった」という話が続きます。

問題はこの人名で、妙達の檀越だった藤原忠平や、なぜか贔屓される平将門、将門を調伏した尊意増命など有名人も出てくるのですが、ほとんどは聞いたことない人ばかりです。カナで書かれていて表記が分からない人もかなりいます。

そんな中で個人的に気になったのは、いくえのよつねです。


越前国にありし、いくえのよつねと云ひし者は、一生の間、人に物を取らせむと思ふ心深し。常に法師・尼を供養しき。法華経八部、大般若経二部、書き供養し、破れたる寺をつくろひき。この功徳によりて、けうしら国の第一の人となれり。
これだけの内容なのですが、『今昔物語集』17-47に国と名前が全く同じ人物がでてきます。

『今昔物語集』巻17第47話 生江世経仕吉祥天女得富語 第四十七


しかし、共通点は越前国と名前だけで、内容は吉祥天女のご利益で生江世経が富貴を得たという話で、まったく関係ありません。しかもややこしいことに、『古本説話集』61『宇治拾遺物語』192に類話があり、こちらでは、越前国の伊良縁世恒(いらえのよつね)になっています。何か関連があるんだろうと思いますが、今のところ何も思いつきません。

正直言って面白い作品ではありませんが、奇書であることは間違いないでしょう。
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現在、『三宝絵詞』の電子テキストを作成している。

東寺観智院本『三宝絵詞』:やたナビTEXT


中巻まで完成したが、東寺観智院本の中巻には末尾に『三宝絵詞』とは全く関係ない『妙達和尚の入定して蘇りたる記』というのが付いている。『僧妙達蘇生注記』の異本だが、『三宝絵詞』はちょっとお休みして、別の作品として電子テキスト化することにした。

東寺観智院本『僧妙達蘇生注記』:やたナビTEXT


内容は出羽国の龍華寺の僧妙達が突如死亡、七日後に復活して、冥界で見たこと、閻魔王から聞いたことをまとめたものである。閻魔王の話は、日本で亡くなった人がどういう理由で何に転生したかという話なのだが、およそ聞いたことない人ばかりである。最後の方に妙達のリクエストで藤原忠平、平将門などの有名人が出てくる。面白いかどうかは微妙だが、なかなかの奇書である。

出羽国の龍華寺とは、鶴岡市にある善寳寺のことで、昔、人面魚で有名になったお寺といえばわかる人もいるかもしれない。このお寺には以前に行ったことがあって、ちょっとしたご縁を感じる。





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先日『隆房集』が終わったが、4月から『三宝絵詞(三宝絵)』の電子テキスト化を始めている。底本は漢字片仮名交じりの東寺観智院本。

東寺観智院本『三宝絵詞』:やたナビTEXT


『三宝絵詞』は平安時代中期に成立した仏教説話集である。永観2年(984)成立なので、時代的にはちょうど今話題の大河ドラマ『光る君へ』と同じころとなる。

『三宝絵詞』は、『本朝文粋』や『本朝麗藻』に多くの漢詩文を遺す文人貴族の源為憲が、冷泉天皇の第二皇女、花山院の姉に当たる尊子内親王のために書いたものである。

タイトルどおり、本来は絵があったらしい。三宝とは仏・法・僧のことだが、それぞれ3つ巻に別れていて、上巻「仏宝」では本生譚(釈迦の前世の説話)、中巻「法宝」では仏法が日本に伝わるまでの説話と伝来に功績のあった人の伝記、下巻「僧宝」では仏事の起源や寺社の縁起、高僧の伝記などがまとめられている。

執筆の経緯は序に詳しく書かれるが、『大鏡』伊尹伝にも経緯が書かれている。
また、花山院の御いもうとの女一の宮は失せたまひにき。女二の宮は冷泉院の御時
の斎宮に立たせたまひて、円融院の御時の女御に参りたまへりし、ほどなく、内裏の焼けにしかば「火の宮」と世の人付け奉りき。さて、二三度参りたまひて後、ほどなく失せたまひにき。この宮にご覧ぜさせむとて、『三宝絵』は作れるなり。
尊子内親王はこれ以上ないぐらいに身分が高いが不運な人生を送った。体も弱かったらしく、二十歳で亡くなっている。それにしても、内裏が焼けたからといって「火の宮(「妃の宮」をかけてあるらしい)」はひどい。ほとんどいじめである。
尊子内親王:Wikipedia


『三宝絵詞』は不幸な尊子内親王のために、親王が出家する際に為憲が仏教の教科書として書いたものである。残念ながら、完成してしばらくして親王は亡くなったらしい。

今回、完成までにはちょっと時間がかかると思いますが、一つ気長にお付き合い願います。
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7月になったので、毎年恒例のブログ強化月間を開始します。 本日より今月末まで、毎日このブログを更新するつもりですので、よろしくお願いします。 というわけで、一身上の理由によりチョー短いけど今日は終わり。明日から本気出す。
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『隆房集』の電子テキストを公開しました。


宮内庁書陵部本『隆房集(艶詞)』:やたナビTEXT

底本は宮内庁書陵部本です。いつもどおり、翻刻部分はパブリックドメインで、校訂本文部分はクリエイティブ・コモンズライセンス 表示 - 継承(CC BY-SA 4.0)で公開します。

『隆房集』はその名の示す通り藤原隆房の私家集です。百首からなるので百首歌の一種でもあります。しかし、ただの歌集ではありません。

百首すべてが、ある特定の女性に対する思いを詠んだ恋の歌になっています。続けて読むと私小説のごとく一つのストーリーが浮かんできます。

『平家物語』巻6「小督」に、隆房と小督のいきさつが詳しく描かれています。これにより、歌の相手は小督だとされます。
主上(高倉天皇)恋慕の御おもひにしづませをはします。申しなぐさめまいらせんとて、中宮の御方より小督殿と申す女房をまいらせらる。この女房は桜町中納言成範の御むすめ、宮中一の美人、琴の上手にてをはしける。冷泉大納言隆房卿、いまだ少将なりし時、見そめたりし女房なり。少将はじめは歌をよみ、文をつくし、恋かなしみ給へ共、なびく気色もなかりしが、さすがに情けに弱る心にや、遂にはなびき給ひけり。されども、今は君に召されまいらせて、せんかたもなく悲しさに、あかぬ別れの涙には、袖しほたれて干しあへず。少将よそながらも小督殿見奉る事もやと、つねは参内せられけり。をはしける局のへん、御簾のあたりを、あなたこなたへ行き通り、たたずみありき給へども、小督殿「われ君に召されんうへは、少将いかにいふとも、言葉をもかはし、文を見るべきにもあらず」とて、つての情けをだにもかけられず・・・。
このあと高倉天皇の中宮(平徳子)、隆房の正妻ともに清盛の娘だったため、小督は清盛に恨まれ宮中から追い出されてしまいます。

「私小説のごとく」と書きましたが、私歌集ですから小説のように具体的には書かれていません。ですから、これを読んだ感想は人によって違うと思いますが、僕の場合、

こいつキモッ!

でした。隆房ファンのみなさん、すみません。いや、だってこれほとんどストーカーですよ。小督さんの態度も、立場上断っているというよりは、本気で嫌っているように僕には見えます。それに気づかない隆房くん、ヤバいです。

隆房くん、どんどんこじらせていくのですが、すっかりヤバくなってしまった90首めの歌をご紹介します。
あな恋し恋しや恋し恋しさをいかにやいかにいかにせんせん

こじらせすぎて『千載和歌集』や『新勅撰集』に入集するほどの歌人が、語彙力ゼロになってしまいます。

まあ、百歩ゆずって歌を詠むのはまだいいとして、こんな歌集を作っちゃうのもどうなんでしょ。当然、小督さんが詠むことも想定されているでしょうし・・・とまあ、こんなとこにしておきましょう。

さて、『隆房集』が終わりましたが、現在『三宝絵詞』の電子テキストを作成しています。これはちょっと時間がかかりそうですが、よろしくお願いします。

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やたがらすナビの総ページ数が6000になった。なお、この数字にはこのブログやデータベースは入っていない。他のコンテンツもあるが、ほとんどやたナビTEXTのページ数である。
6000ページ
最近は1ページの短いものが多かったが、それでもよくもここまでやったものだと、われながら感心する。過去の記事を見てみると、3000ページが2018年02月(やたがらすナビ3000ページ達成:2018年02月23日参照)なので、3000ページにまるまる6年かかったことになる。

僕にとってはライフワークのつもりなので、6000ページは通過点に過ぎない。誰がなんと言おうと続けるつもりだが、その反面弱い人間だからマイルストーンがないと続けられる自信がない。ページ数はその一つである。

もう一つのマイルストーンになる作品点数は、完成したのが27、作成中の『隆房集』と現在準備中の『三宝絵詞』を入れると29。『三宝絵詞』はかなり時間がかかりそうなので、30作品のマイルストーンは来年以降になるだろう。
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嵯峨本『伊勢物語』は無事完成した。



問題は次は何にするかである。いま話題の大河ドラマにチョーチンを付けようかとも思ったが、『土佐日記』だの『伊勢物語』だの、メジャーどころが連続したので、もう少しマイナーなやつをやりたい。とはいえ、あまり長大な作品をやる元気はない。

ということで『伊勢物語』からの連想で、次は『隆房集』に決定した。底本は、中世の文学『今物語・隆房集・東斎随筆』(久保田淳ほか・三弥井書店)と同じ宮内庁書陵部本。



『隆房集』はその名の示す通り藤原隆房の私家集だが、単なる歌集ではない。別名を艶詞(えんじ)といい、『平家物語』や謡曲でおなじみの小督(こごう)に送った歌100首からなっている。詞書が長く説明的で、私家集とはいうものの散文的な要素が強い。

なにしろ相手は高倉天皇のご寵愛を受ける女だから隆房はフラれまくる。それにもめげず、しつこく歌を送り続ける隆房。このフラれまくり感が面白い・・・と記憶しているのだが、なにしろ読んだのは数十年前、間違っていたらごめんなさい。
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『伊勢物語』の電子テキストを公開しました。


嵯峨本『伊勢物語』:やたナビTEXT

底本は国文学研究資料館所蔵の嵯峨本です。いつもどおり、翻刻部分はパブリックドメインで、校訂本文部分はクリエイティブ・コモンズライセンス 表示 - 継承(CC BY-SA 4.0)で公開します。

『伊勢物語』の電子テキストはあちこちにあるので、今回はあえて嵯峨本を底本にしました。嵯峨本伊勢物語がどんなものかは、次のリンクをご覧ください。

嵯峨本『伊勢物語』:印刷博物館

今回は挿絵も見られるようにし、一段で複数ある場合はページを分けました。さらに挿絵だけ概観できる挿絵ギャラリーを付録でつけました。


嵯峨本伊勢物語挿絵ギャラリー

サムネイル画像をタップ(クリック)するとスライドショーが見られ、サムネイル下のリンクをタップ(クリック)すると、詳細が見られ、そこから『伊勢物語』本文に飛ぶことができます。なお、画像は人文学オープンデータ共同利用センターのものを縮小して使用しています。

伊勢物語:人文学オープンデータ共同利用センター

『伊勢物語』がどんな作品かなんてことは、僕が語るまでもないと思いますので、ちょっと思い出話を。

僕が大学に入って初めて演習形式の授業に参加したのが『伊勢物語』でした。演習というのは担当する章段の本文・注釈・通釈(現代語訳)をプリントにして発表する授業のことです。初めて影印本に触れたのもこのときです。文学研究のイロハのイを『伊勢物語』で学んだということになります。

今回あらためてを読んでみて、なぜこれが最初の教材に選ばれたのかがよく分かりました。章段一つ一つは簡潔で、内容もシンプルです。しかし、深く読むと問題点がたくさんあり、簡単には読めない。いまだに解釈の分かれる部分がたくさんあり、「古典はどう読むべき」ということを理解するにはこれほど適したものはないでしょう。古典というものは多かれ少なかれそういうものですが、特に『伊勢物語』の場合は、現代語訳を読んでも5%も理解したことにはならないと思います。

さて、演習の思い出にはまだ続きがあります。教員免許更新講習の古典担当の先生の一人が、この演習の先生だったのです。しかも同じ『伊勢物語』です。90分の講習でどこまで話すのだろうと思ってたら、第一段から新幹線なみの速さで東下りを下り終えてました。演習のときの半年分ぐらいを90分でやった感じです。

喋っている先生はケロっとしてましたが、聞いている方はみんなクタクタです。僕としては懐かしかったのですが、古典専門どころか国語科でない人すらいるのに、○○先生相変わらずえげつないなーと思いました。

大学一年の演習で読んでからあ37年、教員免許更新講習から10年。制度を導入した張本人の安倍晋三氏は鬼籍に入り、鳴り物入りで導入された教員免許更新制は廃止になりました。月日の経つ速さと世の中の移り変わりには驚くばかりです。
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まずはこのスクリーンショットを見てほしい。こちらはGoogle。サイト名で検索しているので、当然やたがらすナビが冒頭に出てくる。
goole
そして、Bing。
bing
同じくサイト名で検索してるのに、冒頭に出てくるのはリンクしている別のサイト。冒頭どころかいくらスクロールしても下の方にも出てこない。これはURLで検索しても同じである。

マイクロソフトご自慢のAI、copilotに聞いてみると・・・。
copirot
ハァ?何言ってるの?適当なこと言わないでほしいな。

以前からこうだったわけではない。以前はむしろGoogleよりまともな結果を返してくる印象だった。それが半年ほど前からこの状態である。サイトまるごとBingにBanされたとしか考えられないのだが、サイトの方は更新した以外何もいじっていない。

とりあえず、Bing webmaster tools なるもので原因を調べてみた。
noindex
「いくつかの問題があるためにインデックス作成が妨げられています」だそうだが、問題が分からない。指示されたとおりBing Webmaster Guidelinesを見てみたが、心当たりのないことばかりである。

もちろん細かいHTMLの間違いなどないではないが、これでサイトまるごとBanでは通るサイトの方が少なくなるだろう。となれば内容だが、やたがらすナビは健全も健全、これ以上健全なものはないぐらいの古典文学サイトである。

結局、原因は不明のまま。もともとBing経由で来る人は多くなかったので、アクセス数にはそれほど支障はないが、あまり気持ちの良いものではない。

というか、オレMSの株主なんですけどー!株主のサイトBANすんなよ!
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