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醒睡笑』がまだ終っていないが、駄洒落攻撃にいささか飽きてきたので、『唐鏡(からかがみ)』の電子テキスト化を開始した。

松平文庫本『唐鏡』:藤原茂範


『唐鏡』はその名の通り三皇五帝の時代から東晋までの中国の歴史を、『大鏡』のような歴史物語(鏡物)の様式にまとめたものである。作者は『本朝書籍目録』から藤原茂範とされ、13世紀の成立と考えられている。

鏡物なので大枠となる序があり、『大鏡』でいうと大宅世継と夏山繁樹に当たる人物もちゃんと出てくる。中国の歴史を語るのだから、中国人と通訳みたいな設定になっているのがおもしろい。
『唐鏡』序
この時、二人の高僧あり。転誦の始めより、聴聞の体にて傍らを離れ給はず。今夜近くゐ寄りてもののたまふ。一人は師とおぼしき体なり。そののたまふ言葉は聞き知られず。いま一人の、弟子とおぼしき人にぞ師の言葉を伝へらるる。通事などの儀なり。
今のところ、伏羲から尭まで作ってみたが、文字はややクセがあるものの、それほど読みにくくはない。だが、翻訳・翻案作品独特の難しさがある。

『唐鏡』は中国の歴史なので、やたらと難しい字がでてくる。それ自体は覚悟していたし、漢籍に出典があるので調べればすぐわかるが、作者もしくは筆写者がよく理解しないまま書いている部分があるようで、異体字なのか、誤字なのか、そもそもそんな字があるのか、判断が難しい部分もある。

僕では力の及ばないところもあるので、ぜひとも識者の方のご協力を仰ぎたいところ。よろしくお願いします。

もちろん、『醒睡笑』もまだまだ続くので、こちらもよろしくお願いします。
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『篁物語』の電子テキストを公開しました。

宮内庁書陵部本『篁物語』:やたナビTEXT


底本は、宮内庁書陵部本です。いつもどおり、翻刻部分はパブリックドメインで、校訂本文部分はクリエイティブ・コモンズライセンス 表示 - 継承(CC BY-SA 4.0)で公開します。

一年半ほど前『醒睡笑』を始めた時に読み始めましたが、すぐに面倒くさくなってしまい「準備中」のままサスペンド、今日まで来てしまいました。いつまでも準備中というのもいかがなものかということで、夏休み中に一気にやってしまおうと思った次第。意外と面白くて、すっかりハマってしまいました。

写本は流麗な字でとても読みやすいのですが、一部色付きの紙に書かれていて、モノクロ画像では真っ黒になってしまいます。また、誤写に起因すると思われる意味の分からない言葉がけっこうあります。そのへんでつまづいて、面倒くさくなったというわけです。

さて、主人公は言うまでもなく小野篁です。篁の説話というと、バイトで閻魔大王の補佐官をしていた(『今昔物語集』20-45)とか、嵯峨天皇とトンチ比べで勝った(『宇治拾遺物語』49)とか、その類まれな学才を描く説話で知られ、色気のあるイメージはありません。

ですが『篁物語』は恋愛物で、しかも相手は腹違いの妹です。妹萌えの元祖ですな。

女の親は娘に教育を受けさせるため、腹違いの兄である篁に家庭教師をさせます。勉強しながら歌のやりとりをし、次第に二人はうちとけてゆきます。そうこうしているうちに深い関係になり、女は妊娠してしまいます。

1-9 かく夢のごとある人は孕みにけり・・・
かく夢のごとある人は、孕みにけり。書読む心地もなし。「例のさはりせず」など、うたてある気色を見て、この兄も「いとほし」とおしみて、人々、春のことにやありけん、物も食はで、花柑子・橘をなん願ひける。知らぬほどは、親求めて食はす。兄、大学のあるじするに、「みな取らまほし」と思ひけれど、二・三ばかり畳紙(たたうがみ)に入れて取らす。
「花柑子・橘をなん願ひける」とは妊娠して酸っぱいものを食べたがるという意味です。この時点では親はまだ気づいていませんが、すぐに妊娠はバレて女は母親によって部屋に幽閉されてしまいます。

1-10 かかることを母おとど聞き給ひて・・・
いよいよ鍵の穴に土塗りて、「大学のぬしをば、家の中にな入れそ」とて追ひければ、曹司にこもりゐて泣きけり。
妹のこもりたる所に行きて見れば、壁の穴のいささかありけるをくじりて、「ここもとに寄り給へ」と呼び寄せて、物語して、泣きをりて、出でなまほしく思へども、またいと若うて、ねたりたへき人もなく、わびければ、ともかくもえせで、いといみじく思ひて語らひをるほどに、夜明けぬべし。
「鍵の穴に土塗りて」は鍵穴に土を詰めて開けられないようにしたということですが、どう考えてもナニかの暗喩です。篁が「壁の穴のいささかありけるをくじり」ったというのも同じでしょう。

やがて女は死んでしまいますが、幽霊になって篁のもとに現れます。最初は頻繁に現れていたのが、時が経つのにつれて少なくなっていきます。その間、篁は結婚することはありませんでした。

と、ここまでが、ここまでが物語の主要部、やたナビTEXTでは第一部としました。第二部では篁は「時の右大臣の女」と結婚します。ここからあとは、読んでみてください。二部はあっという間に終わっちゃうけど。
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投資はプロには絶対に勝てないのだから、素人は手を出すべきじゃない。これはよく聞く話だ。素人投資家の僕としては、これは一面では正しいが、基本的には間違っていると思っている。

たしかに、プロ(証券会社やヘッジファンドなど)は、手に入る情報の量も違うし、相場に向き合える時間も違う。その点ではたしかに素人はプロのカモにしかならないように思える。

しかしそれはプロと同じ土俵で戦った場合のことだ。素人にはプロがどうやってもかなわない強みがある。

プロは絶えず成績が問われるから、◯月◯日までに稼がなければならないという期日がある。素人にはそんなものはない。極端にいえば素人投資家が死ぬまでに儲ければいいのである。つまり素人の強みは時間である。

素人でも期日を作ってしまうと、プロと同じ土俵に立ったことになるから、負ける可能性が高くなる。短期で相場を張ったり、信用取引したりして負けるのはそのためだ。もちろん、プロ並に情報を集め、プロ同様に相場に張り付いてプロに勝つ素人もいるが、そんなのはもはや素人とはいえないだろう。

考えてみると、これは投資の世界だけの話ではない。何となくアマチュアはプロには勝てないと思われがちだが、アマとプロの差なんて納期があるかないか以外にはない。

納期を守って一定のレベルで何かをするのは、よほど実力がないとできないことである。そこがプロのすごいところではあるが、納期を守るためにはどこかで妥協しなければならないだろう。

アマチュアは妥協する必要がない。死ぬまでが納期である。どこまでも自分が満足するまでやればいい。そんな気持ちでやたナビTEXTを作っている。
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『醒睡笑』巻二「賢だて」の14話(『醒睡笑』巻二賢だて14 二条院和歌好ませおはしましける時・・・参照。)にある「岡崎の三位」に「藤原俊成」と注を付けたら、Twitterで当の俊成卿(@toshinari_bot)から「岡崎の三位は藤原範兼だ」とクレームを付けられた。

調べてみるとたしかに間違いで、即刻書き換えたうえで、俊成卿には深く非礼をお詫びした。

さて、なぜこんな間違いをしたのか。簡単に言うと、参照していた岩波文庫『醒睡笑』(鈴木棠三校注)のタイトルと注を鵜呑みにしてしまったからである。
醒睡笑注a
「ちゃんと調べないお前が悪い」という批判は甘んじて受けるが、だって稀代の碩学鈴木棠三先生ですよ。その大先生が「俊成の賢だて」なんてタイトル(本来、『醒睡笑』にタイトルはない。)を堂々と付けて、「藤原俊成の通称。『千載和歌集』の選者」なんて注付けてたら、そのままでいいと思うじゃん。いや、もちろん言い訳ですけどね。

この岩波文庫版『醒睡笑』は1986年に刊行(僕の持っているのは1993年の第4刷)されたもので、同じ校注者の角川文庫版『醒睡笑』(1964年刊行)をベースにしたものである。こちらも同じタイトルで、岡崎の三位は俊成という注もある。ということは二十年以上誰も指摘しなかったのかと思って、次のページを見てみると・・・。
醒睡笑注b
何とこちらではちゃんと藤原範兼になっているではないか!う〜ん、直しておいてくださいよ。

それにしても、こんな大家の注釈で、しかも二十年経て改版されたものに、こんなミスがあるとは思わなかった。いや、調べ直さなかった僕が悪いのはもちろんなんだけど・・・。
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7月になった。毎年好例ブログ強化月間である。これから毎日更新するつもりなのだが・・・。

ここのところ月一二回ほどしか更新していない。だからいつになく最後まで書ける自信がない。とりあえず何か書かなきゃいけないので、こういう宣言をするのはなかなか勇気がいるが、東京オリンピックのことは一切書かないつもり。というか、書きたくない。

前にも書いたが(もうオリンピックには関わりたくない:2021年05月26日参照)、賛成とか反対とか関係なく、もう一切関わりたくない。ただただ不快である。

僕は選手でもなければ関係者でもないので、「関わりたくない」というのはちょっと奇異に聞こえるかもしれない。分かりやすく言えば「ヤ◯ザとは関わりたくない」というレベルで関わりたくないのだ。もし前からオリンピックが歩いてきたら見つけ次第横道に逃げるとか、オリンピックが話しかけてきても無視するとか、オリンピックがこっちを見たらすぐさま隠れるとか、もうそれぐらい関わりたくない。

そんなわけで、「オリンピック」という文字すら書きたくないのだが、なにしろ開催地の東京に住んでいるので、どうしても言葉ぐらいは書かなきゃならないこともあるかもしれない。その時は「例の運動会」と書くことにするのでよろしくたのむ。
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『醒睡笑』巻一まで完了した。

内閣文庫本『醒睡笑』:やたナビTEXT

今まで中古・中世の作品のテキストを作ってきたが、『醒睡笑』は初の近世。といっても、ごく初期の成立で中身の戦国・安土桃山時代の話である。バリバリの近世文学よりは中世的なんじゃなかろうかと思ったが、思った以上に近世だった。慣れない言葉が多く―といってもむしろ現代語に近いのだが―読みにくい。

さらにいうと、『醒睡笑』という名前のわりにイマイチ笑えない話が多い。

まず作品名がよくない。本来は「醒睡抄」とするところを、ちょっとひねって「笑」にしたのだろう。これが笑いのハードルを上げている。「○○爆笑寄席」みたいなのが「いうほど爆笑でもないな」というのと同じである。素直に「醒睡抄」にしておけば、「眠気醒しにはなかなか面白いじゃん」となったかもしれない。

それはともかく、中世の笑い話と比べて、ネタが洗練されているのがイマイチ笑えない最大の原因だと思う。

笑いは意外性から起こる。意外性を引き起こす要素は二種類しかない。ボケと言葉遊びである。ボケは予想しない言動で、たとえば帽子と間違えて(あるいはわざと)パンツをかぶるというようなものだ。言葉遊びとは、駄洒落やナゾナゾの類いである。もちろん、これらが複合することもある。

中世の笑いはボケに起因するものが多い。帽子と間違えてパンツをかぶれば、誰がどう見ても面白い。ボケの笑いには普遍性があるから、時代が違っても外国人でも笑えるのである。

『醒睡笑』の笑いは言葉遊びによるものが多い。その言葉を知っていないと笑えないのだ。相手はあまり僕が慣れていない17世紀の言葉で、当時の流行語も多いらしい。注釈を読んだり、う〜んと考えてやっと分かるか分からないかなのだが、そもそも考えた時点で意外性がふっとんで、感心はするが笑えないのだ。

また、落語の祖というだけあって、最後にオチがくる話が多いのもイマイチ笑えない理由の一つである。最初に、「笑いは意外性から起こる」と書いたが、オチが最後に来ると最初から分かっているのはそれだけで意外性を損なってしまう。

では、オチが最後に来ると分かっているのに、なぜ落語は笑えるか。そこが話術というものなのだろう。

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『古今著聞集』の電子テキストを公開しました。いつもどおり、翻刻部分はパブリックドメインで、校訂本文部分はクリエイティブ・コモンズライセンス 表示 - 継承(CC BY-SA 4.0)で公開します。

宮内庁書陵部本『古今著聞集』


トップページに2015年1月10日入力開始となっていますが、漢文があったり宣命書きがあったりで面倒くさくなり、すぐに挫折してほっぽってあったのを再開したのが去年の1月19日です(『古今著聞集』リスタートしました:2020年01月19日参照)。『『今昔物語集』に次ぐ大きな説話集ですから二年はかかると予想していましたが、コロナによる長い休みのおかげで一年ちょいで終わることができました。

今回は誤写と判読に悩まされました。底本の宮内庁書陵部本は日本古典文学大系(岩波書店)の底本でもあるのですが、とても誤写が多く、その上文字の判読が難しいものが多かったのです。判読の難しさには大系の校注者(永積安明・島田勇雄)も苦労したらしく、凡例に次のように書かれています。
底本の書写には、筆者の筆癖があり、「る・り・か」「と・に」「も・り」等の如く、そのいずれとも読みとれる曖昧な字体が少なくない、この種の場合には、同系統の学本・九本等の読み方を参照して決定したところがある。また、前後の文脈によって、筆者の意図を汲んで翻字したものもある。

大系の凡例にあるもの以外にも判読しにくいものがあります。
読みにくい字
右の行が「たゝいまうへふしして」で左が「きといひてしはらく」ですが、「ゝ」「し」「て」「ら」「く」が字形だけでは読み分けるのが不可能です。他の箇所では「\/(踊り字)」もこれに含まれます。もちろん文脈で読めますが、これに誤写が入るととたんに読むのが難しくなってきます。

文字そのものは丁寧に書かれているので、それほど読みにくくはありません。何人かで書いているように見えますが、この紛らわしい字の傾向は、最初から最後まで変わりません。

世俗説話集を代表する作品といえば、『今昔物語集』『宇治拾遺物語』『十訓抄』『古今著聞集』あたりが挙げられますが、これでついに揃いました。これらの全文が全て入っている叢書は(たぶん)ありません。これだけでも十分価値があると自負しています。
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TwitterBotというのは、自動的かつ定期的にTwitterに投稿するプログラムのことである。思うところあってやたナビTEXTの古典文学作品から、笑える(であろう)説話を厳選して紹介するTwitterBotを作ってみた。現在、約3時間おきにランダムに投稿するように設定してある。

日本の面白説話Bot:Twitter

「笑える説話」としたのは、古典入門には笑い話が最適だと思ったからである。古典はつまらんものだと思っている人には意外性があるし、怖い話が嫌いな人はいても面白い話が嫌いな人は(たぶん)いない。笑いのトリガーは普遍性が高いので、時代背景や習慣などを知らなくても理解しやすい。その一方で、読めなければどこが面白いのか分からないから、頑張って読もうとするモチベーションが保ちやすい。

そんなことを考えて、いざ説話を集めてみたのだが、考えていたよりも難しかった。

まず、紹介する以上説明文を書かなければならないのだが、どこまで説明するかが難しい。オチまで書くと面白さが半減する。短すぎると何だか分からない。さらに、Twitterの字数制限も考えなければならない。

もう一つ難しかったのが、説話の選定である。誰が読んでも面白そうな説話を集めていたら、自然と下ネタばかりになった。いっそのこと「下ネタ説話Bot」にしてしまおうかとも思ったが、それじゃあんまりなので、そうでないのを選んでくると説明が冗長になる。公開までに下ネタ濃度をかなり薄めたつもりだが、それでもまだまだ高い。今後の課題である。

僕の希望としては、すでに古典を読んでいる人よりも、古典に縁のない人に届いてほしいと思っている。Twitterというメディアはそれがなかなか難しいのだが、フォロワーが増えれば自然と届きやすくなるだろう。もしこれが好評なら、「ホラー説話Bot」とか「泣ける説話Bot」なんかも作ってみたいと考えている。
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やたがらすナビは古典文学のサイトなので、年間を通してのPV(ページビュー)や利用者数には偏りがある。毎年多いのは7月と1月、少ないのは3月である。理由は高校・大学の定期考査・レポートと入試・卒論だろう。それらがすべてなくなる3月は、ちょっとびっくりするぐらい減る。まあ、入試や卒論が終われば、古典なんか見たくもないというのは仕方がない。

3月があまりにひどすぎるので、4月・5月はほんの少し上がるのが例年のパターンだが、今年はそれが甚だしい。次のグラフは今年と去年の同時期のPVを比較したものだが、今年(青)は去年(オレンジ色)に比べて、4月以降大幅に増えているのが分かる。もちろん、ページそのものが増えているので単純な比較は出来ないが、それでもここまで増えたことはない。
PV推移
アクセスされている時間帯を調べてみると、もっと顕著な違いがでている。左が去年、右が今年の4月17日〜5月16日で、横が曜日、縦が時間帯である。色が濃いほど利用者数が多い。
時間帯比較
去年は平日の下の方の色が濃い。つまり夜の利用者が多かったのだが、今年は午前9時から5時ごろまでの利用者が増えている。おそらく、遠隔授業や課題などで参照する人が増えたのだろう。去年は少なかった土曜日のアクセスも、今年は増えている。

それならさぞかしアフィリエイトで儲かってるのではないかと思われるかもしれないが、もともと年度始まりなのとコロナ禍で広告費が抑えられているらしく、クリック単価がものすごく低い。例年よりはちょっとましという程度である。

どうせアフィリエイトなんてせいぜい月数千円程度である。そんなことよりも、ほんの少しでも古典を勉強する人たちの役に立っているのなら、こんなに嬉しいことはない。
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現在、電子テキストを作成している『古今著聞集』が巻10まで完了した。

宮内庁書陵部本『古今著聞集』:やたナビTEXT


『古今著聞集』は全部で10巻だから、だいたい半分が終わったことになる。TOPページには2015年1月に初めたことになっているが、ほんのちょっとやって諸般の事情により中断していたので、実質今年の1月に初めて約四ヶ月半で半分までできた。当初は年内に終わらないだろうと思っていたが、コロナ騒動のおかげで年内に最後までできる可能性が出てきた。

さて、半分まで終わった感想だが、予想したよりも難しかった。

宮内庁書陵部本は、それほど読みにくい字ではないのだが、文字に紛らわしいものが多い。同じ書陵部本を底本にする日本古典文学大系の凡例にも
底本の書写には、筆者の筆癖があり、「る・り・か」「と・に」「も・り」等の如く、そのいずれとも読みとれる曖昧な字体が少なくない。この種の場合には、同系統の学本・九本等の読み方を参照して決定したところがある。また前後の文脈によって。筆者の意図を汲んで翻字したものもある。

とある。漢字も含めれば「曖昧な字体」はもっと増える。

紛らわしい文字というのは、どんな写本にも多かれ少なかれあるものだが、これはそれが甚だしい。しかも、「る・り・か」「と・に」「も・り」などは動詞の活用語尾や、助詞などに頻繁に使われて、意味が大きく変わるものだからたちが悪い。

それに加えて、誤写が多い。『とはずがたり』も誤写が多かったが、あれは分かりにくい言葉が多いから仕方がない。こちらは、衍字などケアレスミスみたいなのが多い。誤写と「曖昧な字体」の合わせ技で、読んでいてわけがわからなくなってしまう。僕が見たところ筆写者は何人かいるようだが、不思議なことに、いずれも共通してこの傾向がある。

写本を読む以上に難しいのがテクニカルターム(専門用語)である。『古今著聞集』は部立てがある。当然、その部立てごとにテクニカルタームが出てくるのだが、「神祇」・「釈教」このへんはまあいい。「文学」・「和歌」・「能書」もまず問題ない。だが、「管絃歌舞」・「弓箭」・「馬芸」・「相撲強力」となってくるとマニアックすぎて、注釈読んでも調べてもよく分からん。脳内で風景を想像して読んでいるが、たぶん大間違が多いだろう。

とまあそんな感じで、まだまだ続けていくので、これからもよろしくお願いします。『古今著聞集』は後半のほうが面白いはず。
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