カテゴリ: 言葉2

電車マニアではないけど、外国の電車や地下鉄に乗るのが好きです。日本とは電車そのものや乗り方、駅のつくりや車内の様子など、外国に来た感が味わえるからです。

で、本題の吊り革。日本の電車にはたいていこれがぶら下がっています。形や長さは鉄道会社によってちがうけど、ビニール製のベルトにプラスチックの輪がついているのが普通です。
日本のつり革
でも、これ吊り革と言っていいのでしょうか?吊っている部分がビニールなのは百歩譲っても、どう見ても主役は輪っかの方です。この吊り革は「吊り輪」というべきです。

ちなみに吊り輪といえば体操のアレですが、英語では「rings」というそうです。一方で電車の「吊り革」は「strap」です。ちょっと前の携帯電話についていたストラップと同じですね。

では、他の国の吊り革を見てみましょう。まず、ボストンの地下鉄。
ボストン地下鉄の吊り革
さすがは全米最古の地下鉄、まごうことなきストラップです。革製ではありませんが、これは日本語で吊り革と言っても文句ないでしょう。

ちなみにニューヨークの地下鉄には吊り革はなく、手すりだけでした。手すりだけのタイプはけっこう多い気がします。
ニューヨーク地下鉄の手すり

ボストンのはストラップであり吊り革ではありますが、いかにも持ちにくそうです。その点、ニュージーランドはオークランドの吊り革はひと工夫されています。
オークランドのつり革
これは文句なく吊り革です。「吊り革は革であるべき」という、強い意志が感じられます。持ちやすいように輪っかになってはいますが、吊る部分と革が一体なので、ストラップ感もあります。

さて、最後は8月に行ったオーストラリアのシドニー。私はこれを見て驚愕しました。
シドニーのつり革
もはや革でもなければストラップでもありません。「吊り棒」とでもいうべきでしょうか。斬新なデザインですが、持ちやすそうには見えません。

それ以前に、白昼堂々こんなのぶら下げていいのかとちょっと心配になります。
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小学館から『日本国語大辞典』第三版がアナウンスされた。

日本国語大辞典第三版:小学館

『日本国語大辞典』といえば日本最大の国語辞典で、調べ物では「とりあえず日国」といわれるような辞典である。そんな辞典の改訂なので当然注目される。

ニュースの見出しに「第二版から30年ぶりの改訂」とあったので、もうそんなに経つのかとびっくりしたが、第二版は2000年刊行なので現在はまだ24年である。しかも公開予定は2032年なのできっかり30年ではなく32年ぶりとなる。読んでいるうちに何だかよく分からなくなってきたので、重要な情報をまとめてみる。

1. 第三版の公開は2032年を予定
明日にも出そうな勢いだが、公式サイトには「日本国語大辞典はじめます」となっていて、これから制作を始めるという意味である。公式サイトのスケジュールによれば、今年から環境構築に2年、編集・校正に6年、合計8年かけて2032年に完成するとなっている。

2.デジタル版優先
『日本国語大辞典』は会員制の辞書サイトJapanKnowledgeでデジタル版を使うことができるが、第三版はこちらで公開される。

3.紙媒体は未定
紙媒体は公式サイトによると、「書籍版は、2034年からの発売を検討する」となっている。この書きぶりは、まだ検討段階で出すかどうかも未定と考えていいだろう。

4.段階的に公開される
編集委員の近藤泰弘氏(@yhkondo)のポストによると、2032年の完成時に一気に公開されるのではなく、ソフトウェアのバージョンアップのように段階的に公開され、古い版も閲覧できるようになる。

デジタル優先になるのは時代の流れだろう。段階的に公開というのも、古い版も見られるというのも、デジタルの利点を生かしていていてよい。とはいえ、紙媒体には紙媒体の利点があるので、書籍版の刊行にも期待したい。
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最近、どうもブログでないものをブログと呼んでいるのをSNSで見かけるようになった。どうやら昔でいう個人サイトをブログと呼んでいるらしい。言葉の意味が時代によって変わるのは仕方のないことだが、この場合、あまりいいことではないように思うので、ちょっと苦言を呈させてもらうことにする。

ブログとは本来Web Log(ウェブログ)の略である。つまり、Web上に公開されたLog(日誌)という意味である。個人サイト全盛の時代、なぜだかみんな日記を書いた。これはどうも世界的な傾向だったらしく、「ならば自動的に日付が入るシステムを作っちまえ」ということで、ブログができた。

ブログは日誌だから、もっとも重要な情報はいつ書いたかということになる。あなたが今読んでいる「やた管ブログ」は紛れもなくブログなのだが、タイトルより前に日付が入っているのはそのためである。

そんな中、WordPressというブログシステムが出てきた。これはあまりに多機能かつ高機能だったため、ブログだけでなく一般的なウェブサイトを構築するためにも使われた。今ではWordPressはブログソフトウェアというよりもCMS(コンテンツ管理システム)と呼ぶべきだろう。このへんからどうもブログの意味が曖昧になってきたような気がする。

さらにSNSが隆盛し、個人サイトが下火になって、個人が作っているサイトを全部ひっくるめてブログと呼ぶ人が増えてきた。いわゆる「いかがですかブログ」の登場もそれに拍車をかけたのかもしれない。

しかし、日時が重要でないものや、ブログシステムで作られたものでないものをブログというのはどうにも違和感がある。それだけではない。単に個人が作ったサイトを「ブログ」と呼んで他のサイトと区別するなら、それは一種の差別だとすら思う。

やたがらすナビは現状僕一人で運営しているが、ブログではないし個人サイトのつもりもない。たまたま運営しているのが一人だというだけだ。はっきり言ってしまうと、担当者がいなくなるとページが消えてしまうようなどこかの機関サイトよりも、はるかに責任をもってサイトを運営している自負がある。

やた管ブログはまぎれもなくブログである。個人が書いているからブログなのではない。ブログシステムを使った日誌になっているからである。
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『一言芳談抄』の電子テキストを作っていたら、「聖(ひじ)る」という言葉が出てきた。
『一言芳談抄』128
行仙房の云はく、「あひかまへて聖るべきなり。往生の障りの中に、貪愛に過ぎたるはなし。衆悪の障り、色貪を先とす」云々
いわゆる名詞の動詞化である。「聖(ひじり)」という名詞は「日知り」に由来しているといわれる。だとすると「動詞の名詞化の動詞化」ということになる。

意味は「聖らしくすること」だろうと推測できるのだが、「あひかまへて聖るべきなり」の部分の現代語訳が面白かった。

まず、角川文庫(昭和45年8月)の簗瀬一雄訳。
遁世者は、十分に注意して、その生活態度を聖らしく保つべきです。
ちょっと付け足しが多い気がするが、『一言芳談抄』の文章は簡潔すぎて分かりにくいものが多いので、これはこれでいいのかもしれない。

次に、ちくま学芸文庫(1998年2月)の小西甚一訳。
どこまでも坊主化することだ。
なんだか妙な迫力があるけど、「坊主化」とは何ぞ。

ここで、他に用例がないか気になって、やたナビTEXTで検索してみた。動詞の場合活用するので、「聖る」で検索するのは不十分である。

そういう場合はor検索すればいい。or検索は「○○or☓☓」だと〇〇・☓☓どちらかの語が含まれるページがヒットする。具体的には、「聖ら or 聖り or 聖る or 聖れ」のようにキーワードをorで結ぶか、「聖ら|聖り| 聖る|聖れ」のように「|」で結べばよい。というわけでやってみた。

「聖ら or 聖り or 聖る or 聖れ」の検索結果

『今昔物語集』と『唐鏡』は名詞なので除外すると、やたナビTEXT所収テキストには『一言芳談抄』以外に『沙石集』に用例が1つ・・・いや2つ見つかった。

『沙石集』巻4第3話(31) 上人の子を持つ事
「上人の子は、いかにも智者にて聖りなり」と申せば、ある人、難じていはく、「父に似て聖るべからず」と。答へていはく、「さらば、一生不犯の聖をこそ。父に似て聖らんずらん」と答へて比興すと云々。
「上人」というのは仏典の漢訳で知られる鳩摩羅什のことで、後秦の皇帝姚興が彼の跡継ぎを欲しがったため妻帯させられた。だから父に似たら「聖る」かどうかが話題になっているわけだが、ここでは「聖る(終止形)」だけでなく「聖ら(未然形)」にもなっている。最初の「聖りなり」も名詞+なりというよりも、一語の形容動詞(を認めるかどうかは別として)と解すべきだろう。

最後の「比興す」は「面白がる」という意味だが、ここでは鳩摩羅什の子が聖かどうかの議論を面白がると同時に、名詞の「聖」を活用させて面白がっているのではないだろうか。
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最近、むっちゃ◯◯、めっちゃ◯◯という言い回しをよく聞くようになった。たぶん関西芸人の影響だと思うが、若者言葉という印象がある。

ところが、『醒睡笑』の本文を作っていたら、この表現がでてきた。ただし、「とても」のような副詞的な使い方ではなく「滅茶苦茶」の意味である。

『醒睡笑』廃忘 2 神事能のありけるに地下の庄屋の息子に稽古をさせ・・・
神事能のありけるに、地下の庄屋の息子に稽古をさせ、大夫になし、始めて舞台へ出だしける。「自然(しぜん)忘るることもありなめ」と、論議のかしら書きを仮名に書きたり。
「兼平の御最期は、何とかならせ給ふらん」と問ふ時、ちらと手の内を見てあれば、汗に流れ正体なし。肝をつぶし、「兼平の御最期は、むつちやとならせ給ひけり」と。

初めて能舞台に経つ庄屋の息子が、セリフを忘れた時のために、冒頭部分を手に書いておいたところ、いざというときに汗で消えてしまたため、「兼平の御最期は、むつちやとならせ給ひけり」と謡ったという意味である。

ちなみに本来は、
ロンギ地:実に痛はしき物語。兼平の御最期は。何とかならせ給ひける。
シテ:兼平はかくぞとも。知らで戦ふ其隙にも。御最期の御供を。心にかくるばかりなり。(半魚文庫「兼平」による。)
となるはずだった。違うにもほどがある。

それにしても面白いのは「むっちゃ」である。ここではどうも「むちゃくちゃになった」という意味で使っているようだ。「セリフを忘れてむちゃくちゃになった」とも取れるし、「兼平の最期はむちゃくちゃだった」とも取れる。おそらく両方だろう。

もう一つ思いついた。木曽義仲は深田に踏み込んで動けなくなり討たれた。自害した兼平も近くにいたのだから、深田の泥でむっちゃとなった・・・ってのはどうよ。
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「二階から目薬」は二階から一階にいる人に目薬をさそうとしてもなかなか目に入らない、つまり思うようにいかないもどかしいさまをいう言葉で、京都版「いろはかるた」にも入っている。ちなみに、江戸版は「憎まれっ子世にはばかる」、大阪版は「憎まれっ子神直し」である。

ネットでちょっと調べてみたら、西沢一風の浮世草子『風流御前義経記』にあるらしい。「らしい」というのは確認していないからだが、だとすれば江戸時代中期には使われていたということになる。

知ってる?「二階から目薬」の正しい意味と由来:@DIME

しかし、「二階から目薬」ならぬ「二階へ目薬」の話は『醒睡笑』巻2 躻(うつけ)にある。成立としてはこっちの方が古い。

『醒睡笑』巻2 躻「京の町にて人あまた二階に遊びゐけるが目薬は目薬はといふ声を聞き・・・」:やたナビTEXT
京の町にて、人あまた二階に遊びゐけるが、「目薬は、目薬は」といふ声を聞き、その座にありしうつとり、ふと立ち、「目医師殿」と呼び寄せ、「一さし、それがし申しうけう」と、上瞼(うはまぶた)下瞼を、わが手にて開き待ちけり。

目医師、「それまで届く目棒(めぼう)を持たぬ」。時に手を合はせ、「れうじを申した」と。
この時代(戦国時代〜江戸時代初期)は、目医者は行商で来るものだったようだ。「目薬はいかが〜」という声を聞いて、建物の二階にいる人が「一つさしてくれ」といって目を開く。目医者は下にいるから「二階まで届く目棒を持っていない」と言って、合掌し「りょうじいたしました」と言った。

落ちがちょっと分かりにくい。「りょうじ」は「療治」だが実際には治療していない。岩波文庫『醒睡笑』(鈴木棠三校注)によると、「聊爾(失礼)」をかけているという。また二階にいる患者を仏に喩えて、合掌したとする。しかし、いまいちピンとこないので、何か他の意味があるのかもしれない。

「目棒」というのは目薬をさすための棒で、そんなに長い棒ではないから、二階で目玉ひらかれてもさせないよということだろう。当時の目薬は液体ではなく、軟膏状のものが主流だったともいう。液体なら長い短いにかかわらず、上にいる人にはさせない。

ところで、目玉に軟膏を塗るというのはちょっと恐ろしい感じがするが、軟膏状の目薬は今でもあって、僕も去年の12月、網膜剥離で入院中は寝る前に毎晩軟膏を塗られていた。しみたりすることもなく、ひんやりして案外気持ちのいいものだ。で、そのときこの話を思い出して、退院してから書いたのだが、何だか文章に締まりがなくって放置、今ごろになってやむなく開陳した次第。
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昨日のKDDIの通信障害は交換機の故障による輻輳(ふくそう)が原因だという。

au通信障害、原因は通信設備の故障による輻輳 通信規制で対処中:ITmediaNEWS
一部のVoLTE交換機の故障により、トラフィックが一部に集中(輻輳)した結果として、通信がつながりにくい状況が起きているという。同社は輻輳の軽減のため、各ユーザーの通信を規制するといった対応を取っているとしている。ただし、復旧自体のめどはいまだ立っていない。
交換機というのは電話をかけた相手に繋ぐ装置のことだから、一部のこれが故障して、故障していない交換機に集中した結果、繋がりにくくなったということだろう。「輻輳」という言葉はあまり聞き慣れない言葉だが、個人的には東日本大震災のとき知った言葉である。あのときも電話が集中して繋がりにくくなった。

気になるのは「輻輳」という言葉である。どちらも常用漢字に入っていないどころか、これ以外に見た覚えがない。読みは声符(音符)で推測できるとおりだが、本来の意味はさっぱりわからない。というわけで調べてみた。

辞書などに書かれていたことをまとめると、「輻」は車輪から車軸に伸びるもので、自転車のホイールでいえばスポークのこと。「輳」は「一点に集まる」という意味で「凑(湊)」の異体字。「凑(湊)」の方が古く、本来は川が集まる場所という意味に由来するらしい。したがって「輻凑」や「輻湊」とも書く。

そこから、スポークがハブの一点に集中するように、人や物が一ヶ所に集中することを「輻輳」というようになった。用例も古くからあり、例えば『管子』任法に見られる。ここでは、聖君を中心にスポークがハブに集中するように群臣が集まって仕えるという意味だろう。
聖君亦明其法而固守之,群臣脩通輻湊以事其主,百姓輯睦聽令道法以從其事。
そう考えると、「トラフィックが一部に集中」には適切に思えるが、気になるのは中国語でそのような意味として使われているのかである。

いくつか辞書を当たってみたがそのような意味は書いていない。baiduなどで検索してもそのような使い方は見られない。今回の障害も報道されているが、「輻輳」という言葉を使っているものはない。どうも「トラフィックが一部に集中」する意味としては中国語では使わないらしい。

ただし、医学用語の輻輳反射(近くを見ると寄り目になること)としては使われていて、これは日本でも使われるので、もともとは医学用語が通信用語に転用されたものだろう。しかし、目玉は2つしかないのでイマイチ輻輳感がない。「トラフィックが一部に集中」意味に使い始めた人は、かなり教養のある人だったのだろう。

それにしても、まだ通じてないよ。休日で暑い中復旧作業をしている人は大変だと思うけど、大丈夫かねコレ。
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4月に滋賀へ行って伯母と話していたとき、「ハガリヤさんに来てもらってセンザイを手入れしてもらった」というようなことを聞いた。一瞬何のことだか分からなかったが、よく考えるとセンザイは古典によく出てくる単語「前栽」で、植え込みのことである。

前栽の検索結果:やたナビTEXT

「ハガリヤ」も聞き慣れない言葉だったが、前栽の手入れをするのだから「葉刈り屋」で、植木屋さんのことだろうと分かった。Googleで検索してみると、「葉刈り」そのものは盆栽用語ででてくるが、「葉刈り屋」でヒットしたのは松居一代さんのブログぐらいである。松居さんも滋賀県出身なので、あのあたりの言葉なのかもしれない。

さて、五月も終わりに近づき、だんだん暑くなってきた。梅雨に入ると、雨と気候で植物はバンバン伸びる。前栽というほどのものではないが、ここ数日は葉刈り屋さんの真似事みたいなことばかりしていた。

まず、以前祖母が住んでいた家のカポック。祖母は一昨年の今日亡くなったが、カポックは全然手入れをしていないのにバンバン伸びて、またモリゾーみたいになっている。
カポックビフォー
これをハサミとレシプロソーでここまで刈った。刈った葉は70リットルのゴミ袋2つぶんになった。途中、通りがかりのおばさんが欲しいというので、切った枝をあげた。庭に植えるそうだ。
カポックアフター
このカポック、実は小さな鉢植えである。モリゾーになってもまだ鉢から生えているが、なんだかすごいことになっている。
カポック鉢
こんなに刈って大丈夫かと思われるかもしれないが、心配には及ばない。どうせ秋には(下手すると8月終わりごろには)またもとのモリゾーに戻っていることだろう。

次は実家の生け垣。以前は父がやっていたのだが、高齢でできなくなったので、ここのところ僕がやっている。
生け垣ビフォー
ちょっと分かりにくいかもしれないが、かなりさっぱりした。
生け垣アフター
生け垣は電動のバリカンを使ってざくざく刈るのでなかなか楽しい。本物の葉刈り屋さんみたいにきれいには出来ないけど、運動不足とストレス解消にはなった。
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Twitterで次のようなtweetが流れてきた。


ここで、『和名類聚抄』が引用している『宇治拾遺物語』の説話は36話(巻3第5話)「鳥羽僧正、国俊と戯れの事」のことなので、飯間浩明氏は間違って引用している。

それはともかく、46話(巻3第14話) 「伏見修理大夫俊綱の事」に湯船が出てきた記憶がない。ちょっとおかしいなと思ったので、やたナビTEXT『宇治拾遺物語』46話を見ると、次のようになっている。
国司、出会ひ、対面して、人どもを呼びて、「きやつ、たしかに召しこめて、勘当せよ。神官といはんからに、国中にはらまれて、いかに奇怪をばいたす」とて、召し立てて、結ふほどに、こめて勘当す。

「ゆぶねに」が「結ふほどに」になっているのである。こう書くと随分違うようだが、「ゆふねに」と「ゆふ程に」だとするとわずか一文字の誤写となる。しかも、「ね」の字母の「祢」は、くずし方によっては似た形になるので、間違っても何の不思議もない。もちろん意味そのものはどちらでも通じる。

ではどちらが正しいか。この説話は、神威をかたに横柄な態度をとる熱田神宮の神官を、尾張守になった橘俊綱が勘当すると言う話である。神威が効かなかったのは、実は俊綱の前世が・・・ということだが、それは今回の記事とは関係ないので、あとは読んでほしい。

俊綱がいかに怒っていたとしても、さすがに熱田神宮の宮司を湯船に漬けて折檻するのはやりすぎだろう。その可能性もなくはないが、ここは「結ふほどにこめて」つまり、「縛って(どこかに)監禁して」の方が自然である。

この部分の主要な諸本間での異同は次の通り。なお、伊達本の影印は持っていないので、『三本対照宇治拾遺物語』(武蔵野書院)によった。

ゆふ程に・・・陽明文庫本・伊達本
ゆふほとに・・・古活字本
ゆふねに・・・龍門文庫本・書陵部本

上の、tweet画像の本文は古活字本を底本とする新編日本古典全集(小学館)のものだ。ならば「ゆふほどに」のはずだが、なぜか「ゆぶね」になっている。その頭注には、
底本「ゆふほとに」。書陵部本に従って改める。湯船に閉じ込めて懲らしめた。

となっている。つまりそのままで通じるのに、わざわざ書陵部本によって改変していたのである。これは恣意的な校訂と言わざるをえない。

新日本古典文学大系(底本は陽明文庫本)は「ゆふ程に」となっている。新潮日本古典集成(底本は書陵部本)は「ゆふねに」と判断を保留し、頭注に「諸本には「ゆふほとに」とある。「ゆふ」は縛ること。底本のままならば、「湯槽(ゆぶね)に」に当たるか」としている。やはり「湯船」とするには躊躇したのだろう。

やたナビTEXT『宇治拾遺物語』の底本は陽明文庫本である。この説話に湯船が出てこなかったという記憶は間違ってなかった。
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やたナビTEXTの『古今著聞集』のテキストを作っていたら、源顕基がでてきた(『古今著聞集』136)。この説話とは関係ないが、顕基といえば「罪無くして配所の月を見る」という言葉である。

そこで、なんの気なしに検索してみたら、辞書サイトのコトバンクに行き当たった。ところがこの「配所の月」の解釈、どれも僕の考えていたのと違うので驚いた。

罪無くして配所の月を見る:コトバンク

このページでは、『デジタル大辞泉』・『大辞林』第三版・『精選版 日本国語大辞典』の三つの解釈を読むことができる。一番詳しく書かれている、精選版 日本国語大辞典を引用してみよう。
罪を得て遠くわびしい土地に流されるのではなくて、罪のない身でそうした閑寂な片田舎へ行き、そこの月をながめる。すなわち、俗世をはなれて風雅な思いをするということ。わびしさの中にも風流な趣(おもむき)のあること。物のあわれに対する一つの理想を表明したことばであるが、無実の罪により流罪地に流され、そこで悲嘆にくれるとの意に誤って用いられている場合もある。
これによれば、単純に配所みたいな殺風景な場所の月をながめるのが風雅だというのだ。

『デジタル大辞泉』は「流罪の身としてではなく、罪のない身で、配所のような閑寂な土地の月を眺めれば、情趣も深いであろうということ。」、『大辞林』は「流刑地のような辺境の地で、罪人としてではなく普通の人として月を眺められたらさぞ情趣があることだろうの意。 」とあり、いずれも『精選版 日本国語大辞典』と同じく配流されずに配所に行くとしている。

一方、僕は「無実の罪で流されて配所の月を見たい」といっているのだと思っていた。そんなの林冲(水滸伝)や盧俊義(水滸伝)やカルロス・ゴーン(日産)に聞かせたら、「配所なめるな!」と怒るだろう。しかし、僕がそう思っていたのは、古典で読む限りそうとしか読めないからである。

鴨長明『発心集』5-8(55)「中納言顕基、出家籠居の事」
いといみじき数寄人にて、朝夕琵琶を弾きつつ、「罪なくして罪をかうぶりて、配所の月を見ばや」となむ願はれける。

『撰集抄』4-5(30) 顕基卿事
朝に仕へしそのかみより、ただ明け暮れは、「あはれ、罪無くして配所の月を見ばや」とて、涙を流し・・・

兼好法師『徒然草』第5段
不幸に愁へに沈める人の、頭おろしなど、ふつつかに思ひ取りたるにはあらで、あるかなきかに門さしこめて、待つこともなく明かし暮らしたる、さるかたに、あらまほし。顕基中納言の言ひけん、配所の月、罪なくて見んこと、さも思えぬべし。

『発心集』と『徒然草』を読めば、三つの辞書の解釈が本来のものではないことは明瞭である。

『発心集』では「罪をかうぶりて」とあるのだから、無実の罪で流されることだし、『徒然草』は「不幸に愁へに沈める人」に似た例として出しているのだから、これも無実の罪で流される意味として出しているのは間違いない。『撰集抄』の例は定かではないが、やはり同じとみるべきだろう。

そもそも、平安時代には配所じゃなくても配所みたいな殺風景な所はいくらでもあったはずだ。都からちょっと離れただけでもあるだろうし、なんなら旅に出て東下りでもすればいい。

わざわざ「配所の月」と言っているのだから、それは「俗世をはなれて風雅な思い」かもしれないが、『精選版 日本国語大辞典』では誤用とされる「無実の罪により流罪地に流され、そこで悲嘆にくれる」ような心情を加味しないと配所の意味がないのではないか。

さすがに三つの辞書が同じ解釈で、自分の解釈と違うと自信が無くなってくるが、どう考えてもそんな単純な意味だとは思えないのである。
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