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奈良県立大学が寄贈を受け入れた植物標本を間違って捨てちゃったらしい。1万点というから、なかなかゴーカイな間違いだ。

40年かけ集めた植物標本1万点を誤廃棄 希少種も 奈良県立大:毎日新聞
 民間の研究者が40年近くをかけて採集し、奈良県内ではもう見られなくなった希少種も含む植物標本約1万点を、県立大(奈良市)が誤って廃棄していたと判明した。2001年6月に県が寄贈を受け、専用ロッカーで保管してきたが、校舎の取り壊しに伴い、23年10月に処分された。22日に記者会見した県立大の尾久土正己学長は「学内で意思疎通や適切な引き継ぎがされていなかった。誠に申し訳ない」と陳謝した。
タイトル書いていて、最近似たような記事を書いたのを思い出した。

奈良県立民俗博物館の資料廃棄処分:2024年07月12日

「また奈良県か・・・」といいたくなるが、これを価値のあるものを軽視していると見るのは、間違っていると思う。

民俗博物館の方は、何でもかんでも「民具」を受け入れたため、資料がキャパオーバーしたことが原因である。では今回の奈良県立大学の件はどうか。

調べてみると、奈良県立大学は人文系の学部しかなく、生物学の専門家がいないようだ。それは学長の言葉にも出ている。
尾久土学長は「担当分野の教員が管理に関わらないと資料の価値は伝わらない。今後、人文系の県立大で範囲外の寄贈を受ける際は慎重に判断したい。」

つまり、奈良県立大学はもともと受け入れる資格のある機関ではなかったのだ。では、なぜ県立大学に寄贈したか。この経緯は寄贈した奈良植物研究会の声明に書いてある。
故岩田重夫氏の植物標本廃棄についての要望書の提出について:奈良植物研究会
また本会は、この間自然史研究教育の分野で関連する諸団体と共に、奈良県に自然系博物館を設立するはたらきかけをして参りました。その流れの中での第一歩として、貴重な植物標本の散逸を防ぐために県が適切に保存するとの奈良県知事との覚書に基づき、本会の元会長であった故岩田重夫氏の植物標本 (岩田コレクション)が2000年8月に県に寄贈されました
これによると、将来的に自然科学系の博物館を設立するのを前提で奈良県に寄贈されたということになる。ようするに寄贈された奈良県が県の学術機関である県立大学に保管させたということなのだろう。

しかし奈良県立大学には専門家がいないため整理されず、ナゾのロッカーに入れたまま20年以上経って何だか分からなくなり、校舎の取り壊しと同時に廃棄してしまったということらしい。いくら専門家がいないとはいえ、1万点もあるものを何の疑問も持たず捨ててしまうのはお粗末にほどがあるが、それ以前にどう考えても受け入れが適切でない。

民具も植物標本も、資料である以上同じである。それらを適切に扱うことのできる機関が受け入れなければ、どんな貴重な資料でもゴミになってしまうのである。
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パリオリンピックで活躍が期待されていた体操の宮田笙子選手が、未成年者であるにもかかわらず喫煙・飲酒を行ったことが判明し、代表を辞退することとなった。これについて賛否両論あるが、否の方、つまり煙草くらいで代表辞退は重すぎるんじゃないかという方は、気持ちはよく分かるが時代錯誤である。

喫煙者なら気づいていると思うが、世の中の喫煙に対する風当たりは年々強くなっている。とくに都会では、喫煙できる場所を探すことが難しい。それだけでなく、喫煙に対する意識も変わってきている。

煙草に対する意識は分かりやすくいえば違法薬物に近づいている。当然、若い人たちにとって、僕たちが思っている以上に縁の遠いものになっている。ある意味で違法薬物よりも縁遠いものかもしれない。

値段は昔よりずっと高くなっているし、昔みたいに吸っていてカッコイイとも思われない。違法薬物のように気持ちよくなるわけでもハイになるわけでもない。ただ煙草くさくなって人に嫌われるだけなので、喫煙は若い人にとって何のメリットもないものになっている。

一方でスポーツと喫煙はなぜか相性がいい。僕は職業柄体育科教員との付き合いがあるが、昔は体育科教員の喫煙率が非常に高かった。喫煙室では体育の先生数人と僕だけが煙草を吸って雑談しているなんてことがよくあった。はるか昔に教員採用試験を受けた時などは、明らかに体育科の試験会場の前の灰皿だけが山盛りになっていた。自分のことは棚に上げて「保健を教えるのに、これでいいのか?」と思ったものだ。

しかし、今は学校も校内での喫煙が禁止になり、だれがいつどこで煙草を吸っているのか分からない。たぶん、体育科教員の喫煙率も下がっているだろう。スポーツと喫煙の組み合わせは昔のことと思っていた。

そんな中でこのニュースを聞いたので驚いた。どのように発覚したのか分からないが、よもや好奇心で人からもらって一本吸ったら、たまたま見つかったというわけではないだろう。やはり置かれていた環境で喫煙・飲酒が常態化していたとしか考えようがない。いまだにスポーツの世界と喫煙の親和性が高いらしいことが不思議である。

実のところ僕はオッサンだから、「未成年とはいえ19歳だし、辞退までせずとも」という気持ちもないではない。しかしそれは喫煙が身近な時代の価値観である。しかも彼女は順天堂大学スポーツ健康科学部に在学している。「健康科学部」で喫煙では、出場辞退はやむをえないだろう。
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橋下徹氏のポストが一部で物議をかもしている。

橋下氏が挑発的なのはいつものことだが、気になるのは「何の役に立つかも分からん研究」という言葉である。

どんな分野でも、何の役に立つかを考えて研究している人はいない。研究に対して「何の役に立つか」という疑問がでてくるのは、研究者と開発者の区別がついていないからである。

そもそも、その研究が役に立つか立たないかは研究者が考えることではない。研究者の仕事は物事の真理を発見することである。それを応用して役に立てるのが、開発者の仕事である。研究者と開発者が同じということもありうるが基本は別である。

開発者はそんな何の役に立つか分からない研究の成果から必要なものを組み合わせて、新しいものを発明していく。研究の成果がすぐに役に立つ場合もあれば、100年以上たってやっと役に立つ場合もある。もちろん永久に役に立たない場合もある。

分かりやすく言えば、発見するのが研究者で、発明するのが開発者となる。だから、研究が役に立つか立たないかを研究者に問うのは間違っている。「何の役に立つのか」と聞かれたら、「それは私の仕事ではありません。役に立てるのはあなたの仕事です」と答えればいい。

逆に言えば、研究者が「この研究は何の役に立つ」と具体的に言い始めたら気をつけたほうがいいだろう。それこそ詐欺師の可能性がある。
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最近、「教員にも残業手当を出すべきだ」というようなことをいう人がいる。僕はこれには反対だ。

そもそも教員には何で残業手当が出ないか。それは、教員の仕事が学校外でも行われていて、他の仕事のように時間で計ることができないからである。

たとえば、家庭科の先生が自宅で夕食を作ったとする。夕食は誰しも作るが、家庭科の先生にとっては調理実習の教材研究になる。体育の先生が休日にテニスをしたとする。普通の人がテニスをすれば遊んでいるだけだが、体育の先生がすれば教材研究である。

これらを労働時間にカウントすることはできない。これは分かりやすい例をあげたが、国語の先生が読書するとか、社会の先生がテレビでニュースを見るとか、すべての教科にいえることである。

要するに、教員の仕事を時間で区切ることはできないのである。この建前があるから、伝統的に残業手当を出さない代わりに、その分を定額で給料にインクルードするようにしている。ホワイトカラーエグゼンプションという言葉があるが、教員の世界は昔からホワイトカラーエグゼンプションだったのだ。

問題は教員の仕事が多すぎることであって、労働時間に対して給料が安いことではない。残業手当を出したとしても、仕事を減らすことが出来なければ意味がない。残業手当を出してしまえば、ますます教員の負担が大きくなる可能性もあるが、それでは問題の解決にはなっていない。

やるべきことは、残業手当を必要とするほど少ないのであれば、仕事に見合った給料を出すこと。それと、本来教員がやる必要のない仕事を別の専門家がすることだ。残業手当を出すというのは、教員の仕事の本質に外れていると僕は思っている。
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奈良県知事の発言が一部で物議をかもしている。

奈良県立民俗博物館展示室休止へ スペース足りず資料廃棄処分検討も「保管はコストかかる」:産経新聞/Yahoo!Japanニュース
同館では、収蔵資料の保管場所が足りていない状況が続いており、山下真知事は10日の定例記者会見で「ルールを決めた上で価値のあるものを残し、それ以外のものは廃棄処分することも検討せざるを得ない」との見解を示した。(中略)会見で山下氏は、「物を保管するのはコストがかかるので、見合うだけの価値があるものしか引き取るべきではなかった」とし、「文化財に指定されていない資料を保管し続ける意味はどこにあるのかという議論から始めなければいけない」と述べた。
資料保存のために存在する博物館が資料を廃棄するということだから当然批判が高まる。山下知事の発言も、理解が足りないのか、言葉が足りないのか、いい印象を受けるものではない。

民俗博物館の資料は民具といい、一般の人が使っていた道具である。すでに歴史的な役目を終えた道具ということで、簡単にいってしまえばガラクタである。昔はどこにでもあったものだから、それそのものに文化財に指定されるような価値なんかないし、逆にいえば価値があったら民具とはいえない。民具とはガラクタであること自体が価値なのである。

だから、価値によって廃棄するものとしないものを選別することは不可能である。せいぜい同じものが2つ以上あったら1つだけ残して残りを処分することぐらいだろう。とはいえ、工場で量産されたものではないから、全く同じものはない。

民具は立体物でなかには巨大なものもあるから、無尽蔵に保管することはできない。この記事によると、奈良県立民俗博物館はすでにパンク状態らしい。ある程度の処分は避けられないだろう。

問題は所蔵する民具の詳細なデータが取られているかである。廃棄にしても売却にしても、一度手放した資料は二度と戻ってこない。廃棄や売却だけではない。災害や経年劣化で損なわれる可能性もある。せめて詳細なデータをとり、いつでも復元できるようにしておくべきである。

そしてもう一つ大事なことは、そのデータをインターネットで広く公開することである。しまってあるガラクタは、博物館だろうと農家の納屋だろうと、同じ単なるガラクタである。世界中すべての人が見られるようになれば、ガラクタは価値のあるガラクタになる。
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Youtubeデビューしたといっても、Youtuberになったわけではない。他人の撮ったYoutube動画に写り込んでいたのを発見したというだけの話である。

引っ越しのための家を探していたときのことである。結局たまたま近くに引っ越すことになったが、近くにこだわったわけではないので、良さげな物件があると、Googleストリートビューで場所を確認したり、Youtubeでその町を紹介した動画を見たりしていた。家にいながらにして立地や地域の様子が分かるのだから、まったく便利な時代になったものである。

とはいえ、縁もゆかりもない場所を見るのは飽きる。つい出来心で自分が今住んでいる場所の動画を見てみた。パルム(武蔵小山商店街)を入ってすぐに、向こうから走ってくる男がいる。商店街を走っている人なんかなかなかいないから目立つ。妻が「アレ?今のおっちゃんじゃない」と言う。
走る私
いや、たしかによくこんな格好でパルムを歩いているのだが、マスクで顔がよく見えないし、肩にかけているかばんも見覚えがない。本当にオレか?そもそも何で走っているんだ?と思って見ていたら記憶が蘇ってきた。

この日は雨が降っていた。パルムに入った僕は入口近くのセブンイレブンで買い物をした。店を出たあと武蔵小山駅方面に歩いて行ったのだが、パルムの中ほどでセブンイレブンの傘立てに傘を忘れたことに気づき、慌てて走って戻った。さすがにオッサンが商店街で全力疾走は恥ずかしいので、こんな中途半端な走り方になっているのだ。

だが、まだ半信半疑である。もし僕だとすれば、このあと傘を持って歩く僕が出てくるはず・・・と思ってみていると、走っていた男と同一人物と思われる男がカメラを追い抜いていった。今度は早足で歩いている。
歩く私
あ、確定。

というわけで、動いている僕を見たいという奇特な方はこちらをどうぞ。動画は僕が傘を忘れたセブンイレブンから始まるようにしてある。
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昨日、都知事選の記事を書いたが(今日は都知事選挙参照)、石丸氏の名前は全く書かなかった。票が伸びているらしいとは聞いていたが、よもや蓮舫氏が石丸氏に負けるとは思ってもみなかったからである。

小池氏が勝つという予想も当たっていた。昨日は「(おそらく)2位の蓮舫氏がどれだけ取れるか」なんて書いたが、実はけっこうな差がつくだろうと思っていた。しかし、石丸氏が蓮舫氏よりも37万票も上回るとは全く考えなかった。不明を恥じるばかりだが、いまだにまったく理由が分からない。

報道ではネット選挙がどうのなんて言っているが、少なくとも僕の持っているアカウントではYoutube・X・TickTockいずれにも一度も出てこなかった。Xではミュートしているはずの暇空氏のほうが出てきたぐらいだ。

回数をこなしたという街宣も僕の行動範囲では見ていない。主張を聞いても薄ぼんやりしていて何が何だかよく分からない。もっとも、これは今回の選挙では誰もがそうだったような気がする。

まったく支持はできないが、独特の主張を持つ田母神氏に投票する方がまだ理解できる。石丸氏に投票する理由がさっぱり分からない。誰か説明できる人がいたら教えてほしい。

ところで今回の選挙、56人も立候補したのに、いわゆる革新系の主張をする人が一人もいなかった。リベラルなんて生ぬるいものではなく、「お前左翼だろう」といわれて「はい左翼ですよ。何か問題でも?」と答えるような人、そんな人が出たら案外票を伸ばすんじゃないかと思った。当選はしないだろうけど。
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去年の7月の終わりに、第二種電気工事士の技能試験があったのはすでに書いたが(その後の電気工事:2024年07月02日)、このときの試験会場は五反田のTOC(東京卸売りセンター)だった。

TOCは多数のテナントの入る巨大な商業施設で、テナントとしてはその名の通り卸売業者が多く入っていたが、小売店や小売兼業の卸業者も多かった。一階にはユニクロをはじめとした衣料などの小売店、地下にはちょっと食堂街があり、昭和な雰囲気がただよっていて好きな場所だった。

13階に広大な催事場があり、バーゲンセールや各種試験会場などとして使われていた。去年7月の技能試験もそこが会場だった。
TOC
このTOCビル、もともとここにあった星製薬の工場跡地に建てたもので、竣工は1970年である。老朽化しているので、20年ぐらい前から何度も建て替えの話が出ては延期を繰り返していた。

だから、最近は建て替えと聞いてもあまり信用されていなかったのだが、去年7月の試験のときには、僕がよく行くユニクロや書道具店もすでに移転していたので、「これでもうTOCも見納めかな〜」と思っていた。

それ以来TOCビルには入らなかったが、今年の3月にはすべてのテナントが退去したらしい。
五反田TOCビル、閉館迫る テナントの閉店・移転相次ぐ:品川経済新聞(2024年03月21日)
「ユニクロ」「ABC‐MARTアウトレット」は2月4日、スポーツ用品「ロンドンスポーツ」は2月25日に閉店。3月10日に閉店した「アカチャンホンポ」は4月、大井競馬場前駅近くのショッピングセンター「ウィラ大井」に新規出店する。「THE SUIT COMPANY OUTLET」「DAISO」「スタジオアリス」は3月17日に閉店した。
 3月30日は、ゲンロン(西五反田2)主催の「ゲンロン友の会14期総会『人間拡張』」が開催される。30日・31日にはTOCビル最後のイベントになると見られる「タミヤRCカーグランプリ 東京」が開催される。
 3月末の閉館・春頃の解体工事着工が見込まれているが、TOC広報担当者に確認したところ、正式な回答は得られなかった。
「正式な回答は得られなかった」とか、今思えばこの記事の時点で怪しげな感じだが、なんと4月に入ってすぐにさらに延期されることがアナウンスされた。
五反田TOC、建築費高騰で建替延期 9月に営業再開:Impress Watch(2024年4月9日)
東京・五反田にある「TOCビル」の建て替え延期が決定した。現在のTOCビルを閉館し、地上30階の新たな高層ビルに建て替える計画だったが、運営するテーオーシーは9日、昨今の建築費高騰やビル賃貸市況に鑑み、計画を見直すと発表。3月末に閉館していたTOCビルは、検査・メンテナンス、リニューアルを経て、9月頃に再開する予定。

なんと閉館して、わずか9日で建て替えが撤回されたのである。高い引っ越し費用を払って退去したテナントからすれば、たまったものじゃない。テナントだった書道具店の人と話をしたら、「また延期になるんじゃないの?」という噂はあったが、まさか閉館後すぐに延期とは思わなかったと言っていた。

理由は建築費の高騰だそうだが、それ以外にもオフィスビル需要の低下もあると考えられている。たしかにこれだけリモートワークが浸透した今、賃料の高い東京23区内の巨大オフィスビルにはテナントも集まりにくいだろう。マンションやホテルを併設したほうがリスクは低い。

今度は延期といっても再びテナントを募集するので、9年の延期を予定しているらしい。出ていったテナントがまた戻ってくるはずもないので、ガワは変わらず、中身は全く違ったものになるだろう。それはそれでちょっと楽しみではあるが、また再開も延期になるんじゃなかろうな。
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昭和なマンションから、平成なマンションに引っ越しした。

これまで家というものにあまり興味がなく、そりゃ広いにこしたことはないけど、雨風がしのげればいいやぐらいに思っていたのだが、今回の引っ越しに際して内見を繰り返すうちに、昭和までと平成以降では、家の作りように大きな考え方の違いがあることに気づいた。なお、ここでいう昭和・平成というのはあくまで便宜的な区分である。

昭和までの家はとにかく風通しを重視する。夏に大きな窓を開け放つと、風が通り抜けて、畳の上で昼寝すると気持ちいい。窓を開け放たなくても、ドアやサッシには通風口があって、どの部屋にもある程度の風が入るようにできている。反面、冬はそこから風が入って寒い。暖房を入れるなり、温かい服を着るなりして対処することになる。

日本の家は長くこの考え方が主流だった。兼好法師もこんなふうに言っている。
家の作りやうは、夏をむねとすべし。冬はいかなる所にも住まる。暑きころ悪(わろ)き住居(すまひ)は耐へがたきことなり。(『徒然草』55段


前近代の夏は、暑さと湿気を防ぐためには風通しを良くするしかなかった。空調が発明された近代以降も、部屋ごと冷やす今のような空調は高価だったから、その状況は大きく変わらなかった。昭和までの日本人は、そういう意味で前近代の人と感覚を共有している。僕も「家の作りやうは、夏をむねとすべし」という兼好の意見はとてもよく理解できる。

ところが、平成以降の家は高気密・高断熱を指向するようになった。これは機械による換気や空調が発達して、それらを日常的に利用することが前提になっているからである。空調を効率よく入れるためには、外からの熱を遮断し風が入るのを防ぐ必要がある。

空調によって部屋の熱を屋外に放出するから、外はますます暑くなる。外がますます暑くなるから、ますます高気密・高断熱が必要となる。都市部ではすでに窓を開け放って畳で昼寝するなどという快楽を味わうのは難しくなっている。

これでまた一つ、前近代の人との感覚の断絶が進むことになる。都市部に住む若い人は、すでに兼好の言葉を正確に理解することが難しくなっているのではないだろうか。
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8月中にスマホが壊れたので、新しいのを買った。買ったのはRedmi Note 11 Pro 5G。

このスマホはFerica(おサイフケータイ)に対応していて、モバイルSuicaになる。

これまで、スマホ決済はPayPayを使ってきた。PayPayとクレジットカードで、現金を使うことはかなり減ったのだが、これでSuicaが使えれば財布はほぼ必要なくなる。というわけで、モバイルSuicaを導入してみた。

SNSなどを見ると、モバイルSuicaの方がQRコード決済よりよほど便利だという声が多く聞かれる。一番の理由は、電源をONにしなくても使えるということで、たしかにそれは便利そうだが、慣れるとPayPayがそんなに面倒なわけでもない。大事なのはそれ以外である。

結論から言えば、僕にとってモバイルSuicaはあまりいい印象をもてないものだった。たしかに、タッチだけで決済できるのはいい。しかし、それ以外があまりにダメだ。

最初はモバイルSuicaアプリをインストールしようと思ったのだが、android版のアプリがあまりに評判が悪い。なので、モバイルSuicaアプリはやめて、プリインストールされているGoogleウォレット(旧GooglePay)にモバイルSuicaを入れることにした。

最初は試しに3000円だけクレジットカードからチャージした。チャージされ画面が更新されるまで、やや時間がかかる。これがPayPayと比較するとかなり遅い。

実際に使ってみた。たしかに、スマホだけで改札に入れるのは便利だし、自動販売機もタッチで買えるのはすごく便利だ。学校の自販機でPayPayを使っているが、QRコードを読ませるよりはタッチ決済の方がはるかに早い。

そんな感じで使っていると3000円なんてすぐに使ってしまう。「それでは、またチャージしましょう」と思って、5000円チャージしようとしたら、次の画面が出てきてチャージできない。
mobilesuica
「上限に達しました」とか言われても、何の上限だかさっぱり分からない。続く文章には「しばらくしてからスマートフォンでチャージしてください」とあるので、時間の上限なのかと思ったが、何日待っても同じ画面がでるだけ。一ヶ月ほったらかしても同じ。

エラーコードで検索しても有益な情報が出てこない。同じようにチャージできない人もいるようで、一旦カードを削除するとか、いろいろネットに対策は書いてあるが、どれを試してもダメ。もう面倒くさくなったので、残高が数十円になったところでほったらかしにした。

ところが、偶然モバイルSuicaは最初は3000円しかチャージできないという記事を見かけた。試しに2500円チャージしてみるとなんとチャージできるではないか。

どうやら初回は3000円だったので偶然チャージできたということらしい。実は、調べている過程で限度額があるらしいことはSuicaのFAQで分かっていた。
「クレジットチャージには、一定期間にご利用いただける上限額を設けております。(2320)(2321)」の旨のエラーメッセージが表示される。:モバイルSuicaよくあるご質問
モバイルSuicaではクレジットカードでのチャージについて、セキュリティ上の観点から当社独自の利用限度額を設定しており、当該エラーは利用上限を超える場合に発生します。当該エラーが表示された場合は、クレジットカードでのチャージはできませんので、現金でのチャージをご利用願います。

しかし、エラーメッセージもエラーコードも違っているし、いくらが上限なのか一定期間がどのくらいなのか、具体性を欠いていて文意がわかりにくい。今どきちょっと遠いところへ行けば、往復で3000円ぐらいすぐに越えてしまう。まさか3000円が上限とは考えもしなかった。

使い込んでいけばチャージ限度額も上がるらしいが、それならそれで初期は3000円までと書いておくべきだ。そもそも、クレジットカードでもあるまいし、限度額が上がっていくというのもおかしな話である。

過度にリスクを恐れ、言質を取られるのを恐れて具体的なことを言わないのは、お役所のよくやることである。国鉄が民営化されて30年以上。昔に比べてずいぶんサービスが良くなったなと思ったが、どうも中身はあまり変わっていないらしい。
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