カテゴリ: 写真3

8月にオーストラリアのシドニーに行ってきました。オーストラリアといえば珍獣ですが、行ったのは大都会のシドニーです。さすがにそのへんの公園でカンガルーが寝ていたり、コアラが電信柱に抱きついたりはしていません。

とはいえどさすがはオーストラリア、街の中にもちゃんと珍獣はいます。全部鳥だけど。まず、到着した日に公園で見つけたのがこいつ。
オーストラリアクロトキ
誰がどう見てもトキです。色は違いますが、日本のトキは珍獣どころか滅亡しています。これがそのへんをひょこひょこ歩いています。

こいつは、オーストラリアクロトキといいます。オーストラリアではどこにでもいる鳥で、しょっちゅうゴミ箱を漁っていることから「bin chicken(ゴミ箱チキン)」と呼ばれているそうです。街中ではこんな落書きも見つけました。
落書き
本当にどこにでもいるので、飼われている動物にまざって動物園にもいます。次の写真はペンギンにまざっているところです。「は?ボク飼われているんですけど」とかとぼけて言ってそうです。
さりげなくペンギンに混ざるクロトキ
ビン・チキンはちょっとひどい名前ですが、こいつもオーストラリアの固有種で、へんな名前を付けられています。
ノイジーマイナー
和名は「ズグロミツスイ(頭黒蜜吸)」ですが、英名は「ノイジーマイナー(Noisy miner)」といいます。「うるさい炭鉱夫」といったところでしょうか。たぶん鳴き声が大きいことから「うるさい(Noisy)」顔が黒いところから「炭鉱夫(miner)」、ということなのでしょう。

ビンチキン以上に素行が悪かったのがこいつ。英語名はSilver Gullで、和名はそのままギンカモメ。
ギンカモメ
クチバシと足が赤いので一瞬ユリカモメかと思った(『伊勢物語』九段参照)のですが、ユリカモメよりははるかに目つきが悪い。この写真も僕たちの昼食を狙っている目です。
カキ
幸いこのときは一羽だけだったので、奇声を発したり変な踊りを踊ったりして撃退しましたが、街中のカフェではヒッチコックの『鳥』さながら、集団で襲いかかっているところも見られました。襲われたのは右のお姉さんです。
ヒッチコック風
そして、ここにもあいつが・・・。
ギンカモメにまざるビンチキン
お口直しにもう一羽ご紹介します。
キバタン
和名をキバタン(黄芭旦)といいます。英語名はSulphur-crested cockatoo。オウムの一種で、写真で見ると小さく見えますが、けっこうでかいです。街中では見かけなかったので、どこにでもいるというわけではないようですが、郊外には多いようです。
このエントリーをはてなブックマークに追加

毎日暑い日が続きますね。そんな中、四年に一度恒例、銀座鳩居堂の伊藤忠綱個展に行ってきました。

伊藤先生(このブログでは葛的先生として登場)、いつもDMをくれるのですが、今年は来ませんでした。と思っていたのですが・・・、
伊藤忠綱展DM
これまでとずいぶん雰囲気が違います。どこかのブティックかヘアサロンの広告にも見えるので、もしかしたら私がポスティング広告と間違えて捨ててしまったのかもしれません。まあFaceBookで知ったので問題ありませんが、よもや伊藤先生の展覧会情報をネットで知る日が来るとは思ってもみませんでした。

会場はこんな感じ。
伊藤忠綱展.jpg
今回でなんと八回目だそうです。作品の傾向としては書だけよりも絵を含むもの、それも動物を描いたものが増えたようです。形式もバラエティに富んでいます。

伊藤先生といえば根付と瓢箪ですが、もちろん今回もあります。あえて写真には出しません。いや、実は撮り忘れただけなんですけど、とにかく根付がすごいです。どうやって作ったんだかさっぱり分からないものがいくつもあります。会場に行ったらどうやって作ったのか聞いてみてください。

伊藤忠綱個展は銀座鳩居堂画廊3階で8月10日(日)まで。また、4階では二松学舎大学書道会展を開催しています。

さて、ここからは余談になります。

鳩居堂といえば日本一地価が高い場所として知られますが、これはあくまで路線価で、実際に取引するとなると交差点に面した角地の方が高くなります。ということは、隣の三愛ビル(三愛ドリームセンター)の方が鳩居堂ビルよりも高いということになります。

三愛ビルは和光・三越・日産ギャラリーともに、長い間銀座四丁目交差点のランドマークとして親しまれてきましたが、現在は建て替えのため取り壊されて存在しません。ということは、鳩居堂ビルから銀座四丁目交差点が見えるということです。

途中でこれに気づいて、伊藤先生にお願いして非常階段から見せてもらいました。これが銀座のランドマーク揃い踏みと日本一値段の高い地面です。
銀座4丁目交差点
新三愛ビルは2027年に竣工予定だそうですが、おそらく来年にはこの風景は見られなくなるでしょう。期間限定の貴重な景色が撮れました。
このエントリーをはてなブックマークに追加

引っ越しして2ヶ月あまり、なんだか前に住んでいた昭和の住居が貴重なもののように思えてきた。そこで、これまで16年間僕が住んできた昭和のマンションの写真をお目にかける。

まず、スペックから。1980年1月建築の築44年のSRC(鉄骨鉄筋コンクリート)で11階建て。総戸数は39戸。住んでいたのはその9階で、約50平方メートルの3Kである。3Kなんて最近じゃあまり聞かないが、6畳の和室が2部屋と5畳くらいの洋室が1部屋、それに狭いキッチンがある。

こちらがそのキッチン。もういろんなものが昭和。蛇口はひねるやつ。右の空いたスペースに冷蔵庫を置く。居間と違いコンセントは下に付いているのでホコリがたまる。利点は横に長いので意外に使いやすいことと、右側に大きな窓があるので夏でも熱がこもらないことだ。
キッチン
リビングが存在しないので、和室の一部屋をリビングに使っていた。そのリビングからキッチンを見たところ。ガラス戸が泣かせる。左の壁に何やら貼ってあるのは、僕が手をついて穴を開けてしまい、DIYで補修したところ。退去時に唯一弁償したのがこれ。16年も住んでいたのでほかは全部経年劣化ということで済んでしまった。
ガラス戸とキッチン
一時期、弟・従兄弟・妻の姪が別々の場所で同じ9階に住んでいたんだけど、眺めはうちがダントツだった。理由は近くに高い建物がないから。旗竿みたいなのは隣のマンションの避雷針。さすがにここに雷が落ちたことはない。
窓からの景色
ベランダは幅が細いけど角部屋なので回り込んでいて使い勝手が良かった。南に面しているので、夏は洗濯物がものすごい勢いで乾いた。
ベランダ
寝室。居間と同じなんだけど居間がガラス戸なのに対し、なぜかこちらは入口がふすまになっている。
寝室
僕の仕事部屋。机と本棚を出したら意外と広くてびっくりした。西向きなので、夏はむちゃくちゃ暑くて冬は寒い。もちろんエアコンなんてものはない。
仕事部屋

キッチンのところにも写っているが、もともと壁の中に水道の配管があったのだが、2010年の夏に水回りの工事があり水回りが露出配管になった。中国を自転車で走って、帰ってきたらこのありさま。風呂がなんだか現代アートみたいになってた。ユニットバスではないし、もちろん追い焚き機能もない。
露出配管
玄関。鉄扉で扉のスキマや郵便受けから風が入りまくり。そもそも鉄なので内にも外にも熱を通しやすい。
玄関

前にも書いたが(昭和の家から平成の家へ:2024年06月23日参照)、昭和の住居と平成の住居では設計思想が180度違う。風通しをよくする昭和の住居に対して、平成の住居は気密・断熱を宗とする。

今、暑い夏を迎えてその違いに戸惑っている。エアコンの効いた部屋は快適だが、風の通る部屋で昼寝する気持ちよさはもう味わえない。
このエントリーをはてなブックマークに追加

戸越地蔵尊(その1)の続き。

まずはもう一度全体像。
戸越地蔵尊

さて、いよいよ主役のお地蔵さんをご紹介しよう。
地蔵尊
身長は147cm、蓮台も加えると241cmになるという。お地蔵さんとしてはなかなかの高身長である。この写真では鈴と紐が邪魔してご尊顔が見えないので、近くに寄って撮影した。
地蔵様のお顔
解説によると、造立年代は彫られておらず不明だが、形式から江戸中期から後期にかけてのものらしい。

お地蔵さんの手前、ちょうど池波正太郎の玉垣の裏隣には髭題目が彫られた墓碑がある。
墓碑
いかにも古そうだが「寛文2年」とあるので1662年か。なぜか中の解説には「造立年代は大正3年」とあるけど、そんなに新しくはないだろう。あるいはここに置かれた年のことだろうか。

お地蔵さんの左隣には1.6メートルの供養塔がある。かなり古そうだが、やはり年代は分からないらしい。江戸時代中期と推定できるそうだ。
供養塔

その隣には風化が激しくて何だかわからない板碑みたいなのがある。解説によると宝暦4年(1756)造立の庚申塔で青面金剛が刻んであるそうだ。
庚申塔1

地蔵堂?の外にも庚申塔が2基ある。右が延宝元年(1637)、左が寛文6年(1666)の造立。いずれも三猿が彫られている。
庚申塔2
このエントリーをはてなブックマークに追加

ブログ強化月間を迎えるにあたって、考えていたことがあった。

ネタに困ったら近所のお地蔵さんを紹介しよう。

僕の家の近所はお地蔵さんが多い。ネタに困った時、散歩がてらぱぱっと撮ってくればいい。ということで、第一弾は旧中原街道沿いの戸越地蔵尊。
戸越地蔵尊
右はじにいらっしゃるのがお地蔵さんである。それにしてもこの建物、お地蔵さんの家にしてはやたらとでかい。鉄骨で作ってあって、夜も煌々と明かりが灯っている。今に至るまで地元住民に信仰されているのだ。

向かって右の玉垣に注目。『鬼平犯科帳』『剣客商売』でおなじみ、歴史小説家の池波正太郎の名前が見える。池波正太郎はこの近くに住んでいた。
池波正太郎

屋根からイチョウの木が突き出しているのが見える。下はこんな感じ。ちなみに右の椅子の後ろにあるのは、地元住民の物故者の名前。誰のための椅子かは分からん。
イチョウ1

このイチョウがやたら高い。隣の四階建てマンションと比べると高さが分かると思う。
イチョウ2
ここのお地蔵さんは、30年前から知っているのだが、道路拡幅のため家が立ち退くまで、こんなに高いとは知らなかった。道路が狭くて木の上まで見えなかったのである。

さて、肝心のお地蔵さんだが・・・。長くなりそうなので明日に回すことにした。
このエントリーをはてなブックマークに追加

↑このページのトップヘ