タグ:名前

【管】(たけかんむり)
1.ふえ(笛) 2.ふきならす 3.くだ 4.筆の軸 5.かぎ 6.かなめ 7.つかさどる。統べる支配する。

【菅】(くさかんむり)
1.すげ、すが、ちがやの一種で、笠や蓑をつくる。2.すげで編んだ船の苫。3.ふじばかま。
(以上、角川新字源から引用)
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このブログのタイトルは「やた管ブログ」だが、ちょっと前まで「管+ブログ」という不可解な検索キーワードでこのブログに来る人が一定数いた。当時、実際にGoogleで検索しても、「やた管ブログ」が一番上に出てくるだけで、とくに何かある感じはしない。これがここのところさっぱりいなくなった。

最近、「管+ブログ」で検索してみて分かった。

管+ブログ:Google検索

どうやら、菅直人氏のブログを探そうとして、「菅」と「管」を間違えて入力したらしい。最近来なくなったのは、Google先生が気をきかせて、菅直人氏のサイトを一番上に表示するようになったからである。

しかし、本当にこれでいいのだろうか。これでは「管」で検索した人は、間違いに気付かないではないか。Google先生は先生失格だ。

人は間違ってこそ成長する。教育者としては捨ててはおけない。そこで、再び「管 ブログ」トップの座を狙うべく、本日のエントリタイトルにした次第。

菅直人氏の「菅」は菅原道真に由来する(子孫とは限らないが)由緒正しい苗字である。だから、苗字に出てくる確率は「管」よりもはるかに高い。これは、日本人の常識である。愛国者ならまず間違えるはずはない。

「菅」と「管」を間違って来ても、恥ずかしがることはない。教養というものは積み重ねである。間違いは正せばいい。人間だれしも間違うものだ。間違いに気付いたら正せばいいのだ。

ということで、菅直人氏のブログはこちら。今、トップの記事は「安倍総理を名誉棄損で提訴」か・・・。

菅直人オフィシャルブログ「今日の一言」
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大学生ぐらいの一時期、署名をするときに「中川聰」と書いていた。「聰」は「聡」の異体字であり、いわゆる旧字体である。

余談だが、楷書の異体字について初めてまとめられた唐代の『干禄字書』は、なぜか「聡」で始まっていて、これによると「聡・聦」が通字で「聰」が正字となっている。『康熙字典』も「聰」になっている。

干禄字書影印
聰


自分の名前を「聰」と表記したのにたいした理由はない。もちろん戸籍上は「聡」だが、同じ字だったらより難しい方がかっこいいと思っただけのことである。

普段そう書いていると、郵便物も「中川聰様」で来るようになる。これには「総」とか「恥」と間違える(信じられないことだが「恥」と間違える人がたまにいる)こともなくなるという副次的な効果もあった。

ところがある日、祖父が「中川聰様」と書いてある手紙を手に取って首をかしげていた。

「これ、中川さんのところと間違えたのかな・・・」

当時、僕が住んでいたのは祖父母の家の二階で、この祖父母は母方なので中川という苗字ではない。中川さんというのは三軒隣の家である。ややこしいことに祖父は文房具屋を営んでいたのだが、三軒向こうの中川さんの家も文具店だった。ついでにいうと、そのころ僕の実家も文房具屋で、三軒隣の中川さんと同じ屋号である。

同じ並びの三軒隣だから、住所もほとんど同じ。宛先が正確に書いてあっても、向こう宛ての手紙がこちらに来たり、こちら宛ての手紙が向こうに着いたりすることは日常茶飯事だった。しかし、この手紙が僕宛てであることに間違いない。

簡単に言うと、祖父が「聰」と「聡」が同じ字であることに気付かなかったというだけだが、問題は僕の名前を付けたのは、この祖父に他ならないということである。

名前を付けた人が読めないのでは仕方がない。それ以来、署名するときは「聡」と書くようになった。

祖父は明治45年生まれ。漢字を旧字体で学んだ世代で、今以上に「聡明」という言葉を使っていた世代である。
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最近は下手なのがバレたのかそういう仕事自体こなくなったが、かつてはこの時期になると卒業証書の名前書きという仕事があった。

これが大変面倒くさい。卒業生全員のぶんだから、枚数が300枚ほどある。成績会議で卒業が確定してから、卒業式までの間に書かなければならないので、期間も限られている。

しかし、そんなことよりも面倒くさいのが、表記の問題である。

名前は使える漢字が決まっているから、書きやすい字とか書きにくい字はあるがそれほど問題ない。問題は苗字である。

よく知られている例でいうと、渡辺さんの「辺」は「辺」「邊」「邉」と少なくとも三種類の書き方がある。これを異体字といい、実はすべて同じ字なのだが、名前はこだわりのある人が多く、間違えると書き直しになってしまう。

そこで、ほとんどの学校では、生徒に正しい字を書かせて、親のハンコをもらってくることになっている。書く方はそれを見て書くのだが、渡邊さんなんか普段、試験の答案なんかには「渡辺」と書いているもんだから、それ自体が間違っていたりすることもある。

これ誤字じゃねえかと思いつつ、書いてみると後で「やっぱり間違ってました、書き直してください」なんてことになる。もちろん、書き直したからといって、余分にお金がもらえるわけではない。

ところで、渡辺の「しんにょう」はあなたのスクリーン上ではどのように表示されているだろうか。

フォントによってはすべて点が一つの場合もあるが、多くの場合「辺」は点が一つで「邊」「邉」は点が二つになっていると思う。下の画像はメイリオの例。

ScreenClip


これらは異体字ですらない。活字のデザイン上の違いである。「半」の上の二つの点も、「半」のときは逆ハの字に書くのに、「絆」だとハの字に書く人がいるが、あれもデザイン上の違いというだけで、「絆」だからといって「ハ」にする必要はない。

卒業証書の名前ではここまでこだわる人がいるが、異体字はともかくここにこだわる意味はない。ちなみに手書きの文字としては、しんにょうは一点、半は逆ハの字が普通である。

しかし、なぜこんな違いがあるのだろうか。ちょっと書くのが面倒くさくなってきたので、それは次回の講釈で。
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“キラキラネーム”でうつになる罪のない子供たち

DQNネームとか、キラキラネームとかいうのは、ちょっと変わった名前のことだ。人の名前をクサすのは好きじゃないので、どんなのがあるかは上の記事を見てほしい。多くは漢字の表記に対して読み方が想像できないものだったり、従来の名前とはちょっとかけ離れたものだったりする。

明治安田生命の発表した2010年の名前ランキングを見ると、たしかにキラキラネームとまでは言わなくっても、なじみのない名前、読めない名前がたくさんある。

名前ベスト100(名前ランキング2010):明治安田生命

なぜ、このような名前が増えるのか。個性的な名前を好むとかいうが、僕はもっとシンプルな理由だと思う。

例えば、僕のことが大嫌いな人がいたとする。その人が我が子に名前を付ける場合、嫌いな人の名前を付ける人はいないだろうから、少なくとも「聡」とか「サトシ」をつけることはない。当然「サトコ」も「サトミ」もダメだろう。さらにいうと、音の近い「サトル」「タカシ」「タケシ」「ヤスシ」あたりもボツになる可能性が高い。

どんな人でも生きていれば、嫌いな奴というのはいるものだ。そして、それはたいていの場合一人ではない。嫌いでなくても、「こいつと同じ名前はちょっとなあ」という人はもっといるだろう。さらに、たいてい親は二人いるので、この「つけたくない名前」は倍になる。

そうすると、付けられる名前は今までにない名前か、もっと前に流行した名前ということになる。例えば「○太」系の名前などはリバイバルタイプだろう。

逆に言えば、前の世代を尊敬していれば、前の世代と同じ名前を付けようとするはず。活躍したスポーツ選手や、人気の芸能人、歴史上の人物の名前を付けるのはそういう心理である。もちろん、限定的にはそういう名前もあるが、目新しい名前が多いということは、前世代を尊敬していないということだろう。

端的に結論をいおう。我々オッサン・オバサンは残念ながら若者には尊敬されていない。子供に付ける一見奇矯な名前はそれを表しているのである。

ヘンな名前を付けるなというのは、オレを尊敬しろと言っているのと同じで実に見苦しいことだ。そんなことより、尊敬されるオッサン・オバサンになることを考えよう。
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サーチナ日本語と中国語(14)上野惠司氏を読んでいて思い出した。

どこの大学入試だったか忘れたけど、英語の長文読解でショパンのことについて書いてある文章がでた。下手に高校時代、中国語を習っていた(授業にあったのよ)僕は、Chopinを中国系の名前だと思い込み、文中でてくるChopinをすべて「チョウピン」と訳してしまった。

内容は「著名なピアニストであるショパンは・・・」とかそういうのだったのだが、思い込みというのは恐ろしいもので、「famousとか書いてある割には聞いたことがないな」なんて思いながらも、最後まで「ヨーロッパで活躍した中国系ピアニスト、チョウピンの伝記」として解釈してしまった。

試験の長文読解というのは、どこかで歯車が狂うとワケのわからないことになるもんで(もちろん実力に欠けていることが大前提だが)、僕の友人は老舎の名作『駱駝祥子』を『祥子ちゃんの留学生日記』だと思い込んで、見事に訳しきった。

話を名前にもどすと、自分の名前の中国語読みを知ったのも高校生の時だった。中国語の先生が出席を中国語読みで取ったのだ。このとき「タオ」と答えるのだが、それが「到」だと知ったのはつい最近のことである。

僕の名前はピンインで書くと「zhong1 chuan1 con1」となる。カタカナで書くと「チョン チュアン ツォン」みたいな感じだろうか。全部タ行から始まり、ンで終わる。言いにくい上に大変間抜けである。

さらに間抜けなのが、中国語には四声というイントネーションがある。上に書いた1というのがそれなのだが(普通は記号を使う)、見てわかるようにすべて一声だ。一声というのは「高い音で平らに音を伸ばす」発音である。放送禁止用語を消す「ピー」みたいなもんだと思ってもらえればいい。それが三つも並んでいるのだから、「キンコンカン」みたいなもんである。

だから、もし自分の子供に名前をつけるとしたら、中国語で発音して、マヌケじゃないものにしなきゃいけないなと、どうでもいいことを考えている。
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