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役所というところは、とにかく書類の多い所である。僕のように、公務員の極北のさらに末端にいるような非常勤職員でさえ、何のために必要だかよくわからない書類をせっせと書かされる。

昔、共産圏の国のトップを「書記長」といい、なんでそんな偉くなさそうな肩書なのか不思議だったが、官僚制では書類こそが重要だから、トップは書記長になるのかと妙に感心する次第。

ことほどさように、役所というところは書類だらけのところなのだが、これは今も昔も変わらない。それどころか、冥界でも変わらないらしい。

『今昔物語集』巻9「震旦遂州総管孔恪修懺悔語 第廿八:やたナビTEXT

孔恪という男が死んだ時、閻魔庁(本文では官府)に連行され、殺生の罪に問われた。判決は有罪。罰を受けることになった。

いよいよ地獄に連行されるときになって、孔恪は「官府、大に濫也」と抗議した。「濫也」というのは「いいかげんだ」というような意味だろう。
其の時に、孔恪、大きに叫びて云く、「官府、大に濫也」と。官、此れを聞き□、喚び還して、□□何事に依て濫なるぞ」と。孔恪、答て云く、「我れ、生れてより、□□罪□□□□□□□□□□□□□□□□□□□此れ濫なるに非ずや」と。
『攷証今昔物語集』では空白が多くて分かりにくいのだが、鈴鹿本によると、孔恪は「罪の有ることだけを記録し、善行を記録していないのはおかしいじゃないか」と抗議している。

閻魔大王(本文では「官」)は、孔恪の抗議を受けて、主司にこの件を確認した。すると・・・。
主司、答て云く、「善をも悪をも、皆録せり。但し、善悪の多少を計るに、若し、善多く罪少きをば、先づ福を受くべし。罪多く善少きをば、先づ罪を受くべし。而るに、孔恪、善は少く罪は多し。其の故に、其の善を叙べさる也」と。
主司の答えを要約すると、「孔恪は善が少なく、罪が多かった。どうせ罰を受けるのだから、善は記録しなかった」というのである。最初に「善をも悪をも、皆録せり」と言っているのが、いかにも言い訳くさい。

これを聞いた閻魔大王、大激怒。主司は百叩きの罰を受けることになった。
其の時に、官、怒て云く、「汝が叙る所、福少く罪多かる者は、先づ罪を受くべしと云へども、何ぞ、善を記さざる」と云て、命じて、主司を罸(う)つ事百度。罸畢る。血流て、地に濺げり。
役人にとって、正確な文書を残さないことが、いかに大きな罪だったかということが分かる。

このボンクラ役人のおかげで、孔恪は閻魔大王から七日間の猶予をもらい、生き返った。その間、善行を修して亡くなったという。

さて、役人と文書といえば・・・・
真偽を検証 佐川理財局長が言った“自動的に消去”システム:日刊現代デジタル
「パソコン上のデータもですね、短期間で自動的に消去されて復元できないようなシステムになってございますので、そういう意味では、パソコン上にも残っていないということでございます」
 腰を抜かす国会答弁だ。発言者は、財務省の佐川理財局長。3日の衆院決算行政監視委員会で、野党議員から行政文書の電子データは残ってるはずだと指摘され、こう答えた。
こいつ百叩きな。

『十訓抄』の電子テキストを公開しました。

宮内庁書陵部本『十訓抄』:やたナビTEXT

底本は新編日本古典文学全集『十訓抄』(浅見和彦・小学館・1997年12月)
と同じ、宮内庁書陵部本です。例によって、翻刻部分はパブリックドメインで、校訂本文部分はクリエイティブ・コモンズライセンス 表示 - 継承(CC BY-SA 4.0)で公開します。

『十訓抄』は、その名が示すように、10の教訓からなる作品です。説話集や教訓書にカテゴライズされますが、今回、深く読んでみて、どちらも間違いではないけど、当たってもいないという印象を受けました。

作者は間違いなくウンチクオヤジです。古典の作者は多かれ少なかれウンチク言いの傾向がありますが、『十訓抄』作者の場合、並外れた博覧強記の理屈っぽいウンチクオヤジです。

作品の構成も理屈っぽい。まず、教訓を9でも11でも20でもなく、ぴったり10にするところからして、すでに理屈っぽい。全体の序があって、各教訓に序があって、説話が並んで、各教訓の結論があって、そして最後に全体の跋がある。こういう、カッチリした研究書みたいな構成も、他の古典文学作品ではあまり見ません。

構成はカッチリしているにもかかわらず、話がブレまくります。最後の教訓、「可庶幾才芸事」に至っては、ぶれまくった挙句やたらと長くなって、全然才芸とは関係ない話で、脱線したまま終わっています。このあたり、いかにもウンチクオヤジらしいと思います。本当は教訓よりウンチク優先なのでしょう。

だいたい、こういうウンチクオヤジは実生活では嫌われます。一緒に酒飲んで、朝までウンチクを聞かされようものなら、もうその人は二度と一緒に飲んではくれません。

しかし、よく誤解されますが、ウンチクオヤジは物知りを自慢したくて、ウンチクをたれるのではありません。ウンチクの面白さを共有したくて、たれるのです。自分が面白いと思ったから、人に聞かせて一緒に面白がりたいだけなのです。

だから、顔を突き合わせて、リアルタイムで朝まで聞かされるのはきつくても、文章になっていれば大丈夫。作者もそのつもりで、思う存分書いています。読むなら、是非最初から通して読んで欲しい作品です。

作者は判然としませんが、奥書の「六波羅二臈左衛門入道」というのがヒントだろうと考えられています。たぶん、この名前にもとんでもないトンチが隠されているのでしょう。

『今昔物語集』に出てきた、源満仲に対する源信のオルグがあまりにあざやかだったので感動した。

『今昔物語集』巻19 摂津守源満仲出家語 第四:やたナビTEXT

源満仲(多田満仲)の息子に、源賢という比叡山で修行する僧侶がいた。いい年した満仲が殺生を好むことを心配し、出家させたいと思って、叡山横川の源信僧都に相談した。源信僧都は『往生要集』で知られる高僧である。

源信は、「あの満仲を出家させれば、満仲だけでなく、それに殺される命も救うことができる。こりゃすごい功徳だ」ってなもんで、源賢の申し出を快諾。同じ叡山の高僧、覚雲阿闍梨・院源君と三人で、満仲のオルグに出発。

1.権威付けする。
修行のついでに、満仲の屋敷に源信・覚雲阿闍梨・院源君の三人の高僧が来訪(という設定)。息子の源賢、「とんでもない高僧がいらっしゃった!」と大騒ぎする。オヤジの満仲も慌てたところで、「あの三人は、天皇が召しても山を下りない人たちですよ。この機会に、是非説法してもらいましょう」と提案する。

実は、偶然でも何でも無く、来訪も源賢のセリフも、すべて源信の仕込み。役者やのォー。
「・・・己(※源信)は、此の二人の人を倡(さそひ)て、修行する次に、和君(※源賢)の御するを尋ねて行たる様にて、其へ行かむ。其の時に、君、騒て、『然々の止事無き聖人達なむ、修行の次に、己れ問ひに坐したる』と守に宣へ。己等をば、聞て渡たらば、其れに驚き畏る気色有らば、君の宣はむ様は、『此の聖人達は、公けの召すだに、速に山を下ぬ人共也。其れに、修行の次に此に御したるは希有の事也。然れば、此る次に、聊の功徳造て、法を説かしめて、聞き給へ。此の人達の説き給はむを、聞き給てこそ、若干の罪をも滅し、命をも長く成し給はむ』と勧よ。然らば、其の説経の次に、出家すべき事を説き聞かしむ。只物語にも、守の身に染む許、云ひ聞かしめ進(たてまつ)らむや」

源信は説明不要の高僧なのだが、住む世界が違う満仲には権威付けが必要だ。それも息子が言うと説得力がある。俗の最高権威である天皇にも従わないとなると、満仲にとっては、源信らが天皇以上の権威者であると感じられたはずだ。

そんな、天皇にも勝る三人の高僧が、偶然自分の家に来る。そんな偶然に満仲は仏縁を感じるのである。聖人たちの説法は、より有り難く聞こえることだろう。偶然じゃないんだけどね。

2.考える隙を与えない。
さすがに叡山を代表する高僧の説法は効く。感動した満仲、一両日中に出家したいと申し出る。源信はこう答えた。

「出家するなら、明日が吉日だ。明日を逃したら、とうぶん吉日は来ない」

もちろん、デタラメ。こういうふうに熱中した者は、2日以上経つと、考え直すだろうという算段である。役者やのォー。
心は、「此る者は、説経を聞たる時なれば、道心を発して、此く云にこそ有れ。日来に成なば、定めて思ひ返なむ」と思て云なるべし。

満仲は「じゃあ、今すぐにでも」というが、源信はそれも日が悪いと断り、次の日を主張する。満仲、出家への期待でワクワクが止まらない。

翌朝、満仲は出家する。オルグは無事成功。だが、これでは終わらない。

3.後戻りできなくする。
鷹狩の鷹、魚取りの罠、武器甲冑など、殺生に関係するものはすべて破壊。おまけに、郎等50人余りも一緒に出家させる。
其の間、鷹屋に籠たる多くの鷹共、皆足の緒を切り放たる。烏の如く飛び行く。所々に有る簗に人遣て破つ。鷲屋に有る鷲共、皆放つ。長明(長明は意味不明)有る大網共、皆取りに遣て、前にして切つ。倉に有る甲冑・弓箭・兵仗、皆取り出して、前に積み焼つ。年来仕ける親き郎等五十余人、同時に出家しつ。

ここまでしたら、もう後には引けない。

4.奇跡を起こす
次の日、どこからともなく、なにやら妙なる音楽が聞こえてきた。満仲が源信らに、「あれは何の音楽でしょう」と聞くと、聖人たちは「さて、なんでしょうね。極楽の迎えが来るとこういう音楽が聞こえるそうですが・・・とりあえず念仏しましょう」ととぼけて、声を揃えていい声で念仏する。役者やのォー。

満仲が障子を開けると、なんということでしょう、そこには金色に輝く菩薩さまが、手に蓮華を持って行列しているではないか。満仲、感動で涙にむせびつつ拝み倒す。

たぶんこんな感じだったのだろう。


もちろん、すべて仕込み。金色に輝く菩薩様はすべて、源信が雇った役者。役者やのォー。
兼て、「若し信ずる事もや有」とて、菩薩の装束をなむ、十具許持たしめたりける。只、笛・笙など吹く人共を少々雇たりければ、隠の方に遣して、菩薩の装束を着せて、「新発の出来て、道心の事共云ふ程に、池の西に有る山の後より、笛・笙など吹て、面白く楽を調へて来れ」と云ひたれば、楽を調へて、漸く来たるを・・・

「若し信ずる事もや有」ってのは、「こんなのに騙されるやつおらんやろ」という気持ちが含まれているのだが、満仲はあっさり騙されてしまった。満仲はコワモテのイメージだが、案外いい人なのかもしれない。

出家してすぐの人を「新発意(しんぼち)」という。かくして、満仲は1000年後の今日まで新発意呼ばわりされるハメになったのである。

それにしても、源信の一連のスキーム(枠組みをもった計画)はよく出来ていて、現代の新興宗教やマルチ商法、詐欺の手口に通じるものがある。平安時代には、そんな方法がすでに確立されていたのだろう。
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『十訓抄』の「第六 忠直を存ずべき事」6-24に、短いけどちょっと面白い記事があった。

6の24 およそ攘災はかりごと信力には過ぐべからず・・・

まず、『十訓抄』作者は、「災難に立ち向かうには、信心に過ぎたるはない。兵力では役に立たない」という。そりゃそうだ。
およそ、攘災、はかりごと、信力には過ぐべからず。千万の兵、大刀・鋒を捧げたりとも、そのせんなかるべし。

その例証として、平家の侍が上洛するときに、難波三郎経房という男が雷に打たれたが、同行していた安芸前司能盛・越中前司盛俊は無事だったという話を挙げている。

では、なぜ経房だけが雷に打たれたのか?

経房、もとより仏神の行方も知らざりけり。太刀ぬきて、肩にかかげたりけりけり。けれども、しいだしたりけることもなかりけり。

そりゃ、そんなことしたら雷落ちますがな。

なんでそんなバカなことをしてたのかと思ったら、新編日本古典全集『十訓抄』(浅見和彦校注・訳 小学館)の頭注に書いてあった。
当時、雷が鳴ると、抜刀して警護することが多かった。

そんな役だけはやりたくないものだ。くわばら、くわばら・・・。
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10月20日のエントリの続きのようなもの。

最近、河出書房新社から日本文学全集が出ている。

日本古典文学全集 全30巻:河出書房新社

日本文学全集というと、近代文学と古典文学で分かれているのが普通だが、この全集は半分近くを古典が占めている。ただし、古典は現代語訳で、訳者の多くは古典文学の専門家ではなく、小説家が〈訳して〉いる。

現在、サンプルとして、町田康氏の「奇怪な鬼に瘤を除去される」(『宇治拾遺物語』より)が全文読めるようになっている。なお、この原典は、『宇治拾遺物語』の第三話「鬼に瘤取らるる事」である。

町田康訳「奇怪な鬼に瘤を除去される」(『宇治拾遺物語』より):河出書房新社

さて、これを古典の現代語訳と言っていいのか、はなはだ疑問ではあるが、翻案としてはアリだと思う。これを読んで、忠実な現代語訳だと思う人はいないだろうから、原文を尊重せよなどと野暮なことを言うつもりはない。だが・・・残念ながら、ちっとも面白くない。

やたらとこねくり回しているが、原典の面白さを超えていないのである。あまりこねまわすものだから、まるで中学生が昼休みに書いたオモシロ小説みたいになっていて、これなら元のものをそのまま現代語訳した方がよほど面白い。

例えば、鬼の描写を見てみよう。

その姿形たるやはっきり言ってムチャクチャであった。まず、皮膚の色がカラフルで、真っ赤な奴がいるかと思ったら、真っ青な奴もおり、どすピンクの奴も全身ゴールドというど派手な奴もいた。赤い奴はブルーを着て、黒い奴はゴールドの褌を締めるなどしていた。顔の造作も普通ではなく、角は大体の奴にあったが、口がない奴や、目がひとつしかない奴がいた。かと思うと目が二十四もあって、おまえは二十四の瞳か、みたいな奴もおり、また、目も口もないのに鼻ばかり三十もついている奴もいて、その異様さ加減は人間の想像を遥かに超えていた。

原典ではこうなっている。
おほかた、やうやう、さまざまなる物ども、赤き色には青き物を着、黒き色には赤き物をたうさぎにかき、おほかた、目一つある物あり、口なき物など、おほかた、いかにもいふべきにもあらぬ物ども、百人斗おしめきあつまりて、火をてんのめのごとくにともして、我が居たるうつほ木の前に居まはりぬ。おほかた、いとど物おぼえず。

一見して、町田氏の方が具体的に描写されているのが分かる。鬼がやたらとカラフルになってるし、「二十四の瞳」だの「目も口もないのに鼻ばかり三十もついている奴」だのは原典には出てこない。描写を盛ることによって、鬼の異様さを描いているのだろう。

原典のはずっとシンプルだが、「おほかた」という単語が四回も出てくるのが目に付く。この「おほかた」は「大体」みたいな意味だが、こんなに連発されるような言葉ではない。わざわざ対句風に作られ、リズミカルなはずなのに、「おほかた」を挟むことによって、なんとも不自然な、たどたどしい文章になっている。しかし、これによって、名状しがたい鬼の奇怪さと、翁の恐怖が伝わってくるのである。

このあと、鬼の宴会が人間のそれと何ら変わりがなかった・・・という描写に続いていくのだが、原典では先に鬼の恐ろしさをしっかりと描いているから、鬼の宴会の楽しさが生きてくる。町田氏の翻案のように、鬼の描写で笑いを取ってしまえば、宴会の面白さとのコントラストが甘くなる。

このように、町田氏訳はあまり印象のいいものではないのだが、ひとつだけ関心した部分がある。瘤を取られた翁が、妻にこの顛末を喋った場面である。
お爺さんの顔を見て驚愕した妻は、いったいなにがあったのです? と問い糾した。お爺さんは自分が体験した不思議な出来事の一部始終を話した。妻はこれを聞いて、「驚くべきことですね」とだけ言った。私はあなたの瘤をこそ愛していました。と言いたい気持ちを押しとどめて。

原文ではこうなっている。
妻のうば、「こは、いかなりつる事ぞ」と問えば、「しかじか」と語る。「あさましき事かな」と言ふ。

町田氏訳の、妻は瘤のある翁を愛していたというのは付け足しである。だが、原文での妻の反応は、驚くほどそっけなくて、妻になんらかの理由があることを伺わせる。ここに気づいたのは、さすが芥川賞作家というべきだろう。

「瘤取り」といえば、太宰治『御伽草子』である。こちらは、完全な翻案だが、やはり妻の反応の薄さに注目しているようだ。
家に帰るとお婆さんは、
「お帰りなさいまし。」と落ちついて言ひ、昨夜はどうしましたとか何とかいふ事はいつさい問はず、「おみおつけが冷たくなりまして、」と低くつぶやいて、お爺さんの朝食の支度をする。
「いや、冷たくてもいいさ。あたためるには及びませんよ。」とお爺さんは、やたらに遠慮して小さくかしこまり、朝食のお膳につく。お婆さんにお給仕されてごはんを食べながら、お爺さんは、昨夜の不思議な出来事を知らせてやりたくて仕様が無い。しかし、お婆さんの儼然たる態度に圧倒されて、言葉が喉のあたりにひつからまつて何も言へない。うつむいて、わびしくごはんを食べてゐる。
「瘤が、しなびたやうですね。」お婆さんは、ぽつんと言つた。
「うむ。」もう何も言ひたくなかつた。
「破れて、水が出たのでせう。」とお婆さんは事も無げに言つて、澄ましてゐる。
「うむ。」
「また、水がたまつて腫れるんでせうね。」
「さうだらう。」
 結局、このお爺さんの一家に於いて、瘤の事などは何の問題にもならなかつたわけである。

こちらは妻(お婆さん)の無関心としている。ずいぶん引き伸ばしたものだが、最初から翁を社会からも家族から疎外されている人として設定しているので、「あさましき事かな」というただ一言を作品全体のテーマにしているとも考えられる。これにより、太宰の「瘤取り」は原典の面白さとは違う面白さを書くことに成功している。

古典を改変して壮大に失敗するのを何度も見てきたが、結局原典をどれだけ尊重しているかがポイントなのだと思う。慢☆画太郎の『罪と罰』ぐらい豪快に改変している人のほうが、案外原典を尊重しているのである。

古典というものは、何百年、何千年という長い時間を生き抜いた作品である。小手先の改変で面白くなるようなものではない。

今昔物語集』巻14の入力を完了、現在、巻15を進めている。

巻14はワンパターンのつまらない説話が多いが、先日紹介した空海の話(本当は怖い弘法大師)あたりから、面白い話が増えてくる。どうも、面白い話は最後に取っておく癖があるらしい。

その巻14の掉尾を飾るのが、利仁将軍(藤原利仁)の最期を語る説話、「依調伏法験利仁将軍死語 第四十五」である。

『今昔物語集』巻14 依調伏法験利仁将軍死語 第四十五:やたナビTEXT

利仁将軍と言ってもピンとこないかもしれないが、芥川龍之介の『芋粥』で、五位に芋粥をふるまった人物といえばご存知の方も多いだろう。なお『芋粥』の元ネタは、『今昔物語集』巻26「利仁将軍若時従京敦賀将行五位語 第十七」で、『宇治拾遺物語』第18話「利仁暑預粥の事」も同じ話である。

『芋粥』の説話は、どうしても「飽きるほど芋粥が食べたい」と言ったのに、希望が叶えられた途端に食べたくなくなるという、心理の変化に目が行きがちだが、本来は統率された武士の軍団や、狐をも使役してしまう、武士としてのナゾのパワーに主眼が置かれていると思われる。当時の貴族たちは、武士に神仏と同等の不思議な力を感じていたのである。

さて、巻14ー45では、武士のナゾパワーが、密教のナゾパワーに負けるという話である。

文徳天皇の時代、日本の朝廷に反逆した新羅を征伐するため、利仁将軍の軍が派遣されることになった。利仁将軍が軍備を整える一方、新羅では、なにやら様々な妙なことが起こる。何の予兆か占ってみると、異国が攻めてくる前兆であると出た。

そこで新羅は、唐(『今昔物語集』では宋だが、時代的には唐)の高僧、法全(はっせん)阿闍梨を呼んで、敵国調伏の法を行わせる。調伏の法を始めて7日目、壇の上に沢山の血がこぼれた。法全は調伏の法が効いたことを確信し、結願して唐へ帰って行った。

一方、出発の準備をしていた利仁将軍は、呪いが効いたのか、ウィスキーでおなじみ山崎で病の床に臥せていた。ところが、利仁将軍、突然立ち上がって、虚空に向けて刀を振り回す。何度も見えない敵と戦った後、利仁将軍はバッタリ死んでしまった。誰にも見えない敵が見えていたところが、利仁将軍のナゾパワーではあるが、密教のナゾパワーには勝てなかった。

・・・というあらすじなのだが、呪詛は海の彼方の新羅で行われた。そのままなら、利仁将軍頓死の真相は分からない。その経緯を日本に伝えた人物がいるのである。

敵国調伏を依頼された法全阿闍梨は、智証大師円珍の師匠で、留学中だった円珍自身、この法会に参加していた。円珍はこれが祖国を呪うものとは知らずに参加していたが、帰国後、利仁将軍の死を知って、事の次第を知ったという。

円珍は空海の血縁(甥とも姪の息子とも言われる)で、呪詛した法全は『今昔物語集』の本文によると「恵果和尚の御弟子として、真言の密法を受け伝へて」とある。つまり、法全は空海の兄弟弟子ということになる。

空海、またおまえか・・・。
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『今昔物語集』巻14 弘法大師挑修円僧都語 第四十が怖すぎる。

登場人物は、弘法大師空海と、山階寺の修円僧都である。二人はともに嵯峨天皇の護持僧だった。

法力で生栗を煮るという、凄いのか凄くないのかよく分からん技(しかも普通に煮るより美味い)で、修円が天皇の心をつかむと、弘法大師、これに嫉妬したのか、陰に隠れて法力で妨害した。

修円がいくら祈っても、栗はさっぱり煮えず生のまま。「どうもおかしい」と思ったら、空海登場。

「コイツの仕業か!」

ここから、二人の関係は悪化した。悪化したなんて生易しいものではない。その部分は直接『今昔物語集』の原文を読んでいただいた方が伝わるだろう。

其の後、二人の僧都、極て中悪く成て、互に死々(しねしね)と呪詛しけり。此の祈は、互に止めてむとてなむ、延べつつ行ひける。

「互に死々と呪詛しけり」である。仏教には不殺生戒(生き物を殺してはいけない)という戒律があるはずだが、そんなのはお構いなし。なにしろ、法力で生栗を煮ることができる僧と、法力でそれを妨害できる僧の対決である。なかなか決着がつかない。

一計を案じた空海、弟子を市に行かせ、葬送の道具を買わせる。そのとき、弟子に「空海僧都はお亡くなりになりましたので、葬送の道具を買います」と言わせた。不妄語戒(嘘をついてはいけない)ってのもあるんですけど・・・。

市でそれを聞いた修円の弟子は、空海の死を報告した。報告を聞いて喜んだ修円、呪詛が効いたと思い込み、祈祷を止めてしまう。

一方、弘法大師は、修円のもとにスパイを送り、祈祷を終えたかどうか確認させる。この周到さが実にイヤらしく、弟子の報告だけで空海の死を信じた修円とは対照的である。

祈祷が終わったことを確認すると、空海はいつも以上に気合を入れて祈祷し、修円はあっさり死んでしまった。もう法力も何もあったもんじゃない。知恵比べと周到な確認で、弘法大師が勝った、いや、ブチ殺したのである。

この後、実は修円は軍荼利明王だったとか、言い訳臭い話が続くのだが、問題はなぜこれほどの高僧が殺しあわなければならなかったかである。『今昔物語集』には次のように書かれている。
然るを思ふに、「菩薩の此る事を行ひ給ふは、行く前の人の悪行を止どめむが為也」となむ語り伝へたるとや。

わけわかんね。
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現在、『今昔物語集』の巻14の電子テキストを作成しているのだが、巻14-12から25は、『法華験記』由来のワンパターンな説話ばかりでさっぱり面白くない。だいたい、『法華経』の信仰者(持経者という)に妙な癖やら特徴やらがあって、それは前世が○○だったからだという夢のお告げを聞くというような話ばかりが続く。

例えば、巻14-15「越中国僧海蓮持法花経知前世報語」はこんな話である。

海蓮という持経者(『法華経』を信仰する僧)は、『法華経』の序品から観音品(普門品)までの二十五品(『法華経』は章立てを「品(ほん)」という)までは暗唱できたが、残りの三品だけは、何故か覚えることができない。ある夜、海蓮の夢に菩薩の姿をした人が現れて、なぜ覚えられないか教えてくれた。

いはく、「海蓮の前世は僧坊の壁にとまっていたコオロギである。そこにいた坊さんが法華経を二十五品まで読んだ後、風呂に行った。風呂から戻って、一休みしようと壁に寄りかかったら、壁にいたコオロギを坊主頭でプチっと潰してしまった。コオロギは『法華経』を二十五品まで聞いた功徳で、人間に転生できたが、残りの三品を聞かなかったので、現世でも覚えられないのだ」

仏教の考え方では、コオロギも生き物である以上、生まれ変わる。来世、何に生まれ変わるかはコオロギの現世での行いによって決まる。だが、動物は本能で生き、人語を解さないので、人間に生まれ変わることはまずない。

ところが、この説話では、偶然『法華経』を聞いたので、人間に転生できたという。要するにコオロギでさえ人間(しかも僧侶)に転生できるほど、『法華経』のパワーはすごいと言いたいのだが、それにしても坊主頭で潰されたコオロギは気の毒だ。

その他、何が人間に転生したか、まとめてみると、次のようになる。

14-12・・・人間
14-13・・・紙魚(しみ)
14-14・・・黒い馬
14-15・・・コオロギ
14-16・・・犬
14-17・・・毒蛇
14-18・・・牛
14-19・・・毒蛇
14-20・・・黒い牛
14-21・・・犬
14-22・・・狐
14-23・・・鼻の欠けた牛
14-24・・・白い馬
14-25・・・みみず

哺乳類はまあいい。蛇もなんとなく賢そうな気がする。コオロギはすでに述べたとおり。紙魚は法華経の経巻に巻き込まれていた功徳という。お経の中にいたんじゃ、有難いという他ない。

しかし、14-25のミミズがどう考えてもヘンだ。このミミズは、お寺の庭の土中に住んでいて、坊さんの唱える法華経を聞いていたというのだが・・・ミミズって音聞けるのかな。
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『閑居友』の電子テキストを公開しました。

底本は現在刊行されている注釈書と同じ、尊経閣文庫本です。例によって、翻刻部分はパブリックドメインで、校訂本文部分はクリエイティブ・コモンズライセンス 表示 - 継承で公開します。

尊経閣文庫本『閑居友』:慶政:やたナビTEXT

『閑居友』の内容に関しては、上巻入力完了時に書いた、エントリをご参照ください。

『閑居友』上巻入力終了:2015年07月14日

この尊経閣文庫本『閑居友』、現物は見たことがありませんが、非常に流麗に書かれています。美しい写本というと、いままで翻刻したものの中では、『古本説話集』がありましたが、あれはちょっと癖があって、「達筆すぎて読みにくい」ところがありました。しかし、この『閑居友』は非常に素直に書かれていて、字詰めも無理がなく、実に読みやすく書かれています。

これはらくちん・・・が、しかーし!トラップがありました。仮名遣いがめちゃくちゃでした。

現在、歴史的仮名遣いと言われているのは、契沖仮名遣いといって、江戸時代の国学者、契沖が体系化したものが元になっています。だから、契沖以前の仮名遣いがめちゃくちゃなのは当たり前なんですが、普通めちゃくちゃなりに、なんらかの統一感があります。

ところがこれは、統一感がまるでありません。いや、本人的にはなにかあるのかもしれないけど。
閑居の友

この写本で困ったのが、格助詞「を」を「お」と表記していることが散見されることです。「を」は、「遠」を字母とする現在の「を」か、「越」「乎」を字母とする変体仮名が一般的です。ところが、『閑居友』では、「を」に「お(於)」を使用することがあります。

一例を挙げると、上の写真のAは「きこゑおも」ですが、本来「きこえをも」とあるべきところです。

ならば、ぜんぶ「を」が「お」になっているかというとそうでもなく、Bは「おこないを」となっていて、こちらはちゃんと「を」になっています。ところが、今度は「おこなひ」とあるべきところが「おこない」になっています。これも、すぐ右の行では「おこなひ」となっているので、こいつ、どうやら統一する気が全然ありません。

「え」「ゑ」「へ」や「い」「ひ」が混在しているのはそれほど珍しくないので、混ざっていてもそれほど気になりませんが、これに格助詞の「を」「お」の混在が入ると途端に読みにくくなります。

助詞は付属語なので、そこが分節の最後だと認識します。例えば、Cは「これおみて」で、「これをみて」が正解。「これをみて」と書いてあれば、「これを/みて」と容易に判断できますが、「これおみて」だと一瞬「これ/おみて」だと、思ってしまうわけです。

現代仮名遣いで、助詞の「は」「へ」「を」が残った理由が分かったような気がします。

現在、絶賛入力中の尊経閣文庫本『閑居友』の電子テキストが、上巻まで終了した。

尊経閣文庫本『閑居友』:やたナビTEXT

『閑居友』は、鴨長明の『発心集』の影響を受けた鎌倉時代の仏教説話集である。作者は慶政上人、内容から身分の高い女性からのために書かれたらしいと推測されている。上下二巻からなる。

この説話集、説話本体以上に作者自身の文章が長い。これがイマイチおもしろくない。たぶん、葬式のとき、「あの坊さん、話長いんだよなー」とか言われてしまうタイプだろう。ものすごく真面目で頭のいい人だけど、ちょっと空気を読めない人なんじゃないかと思う。

『閑居友』が面白いのは、上巻の最後の3つの説話が、不浄観の説話であることだ。

上第19話 あやしの僧の宮仕へのひまに不浄観を凝らす事
上第20話 あやしの男、野原にて屍を見て心を発す事
上第21話 唐橋河原の女の屍の事

仏教では、人間の世界は不浄な場所(穢土)で、仏の世界は清浄(浄土)な場所であると考える。だから、「みんな来世は浄土に生まれ変わることを目指しましょう」となるのだが、世の中には恵まれた人もいて、「この世は天国だ!」という人もいる。

そういう人にとっては、「いや、生まれ変わってもやっぱり人間がいいし〜。浄土とか行きたくないし〜」となってしまう。そんなの個人の勝手だが、最終的に仏になることを目標とする仏教的にはよろしくない。そこで、不浄なものの現物を見て、あらためて「この世は不浄だ」と認識しましょうというわけだ。これを不浄観という。

ここでいう「不浄なもの」とは人の死体である。これが、爛れ朽ちていく様を凝視して、「きれいなお姉さんも正体はこんな穢れたものだ=だからこの世はすべて不浄である」と身をもって知るのである。以前紹介した九相詩絵巻(説話文学会10月例会:2006年10月07日)が作られたのも、この不浄観に基づいている。

3つの不浄観説話のうち、上巻第19話の標題に、「不浄観を凝らす」とあるのが興味深い。「不浄観を凝らす」という表現は本文中にも出てくるが、不浄観は「行う(修行する)」ものではなく、「凝らす」ものらしい。「凝らす」は「心を集中する」という意味だが、「凝視する」というようなニュアンスも含まれているのではないだろうか。

上巻第19話の「あやしの僧」は、不浄観を凝らしまくった結果、ついに何でも不浄なものに変えるパワーを得たらしい。この説話では、主人の前で、朝粥を虫(たぶんウジ)に凝らしてしまったという。そんなパワーいらん。

それにしても、本当に女性に読ませるために書いたとすれば、上巻の最後にこんなグロ話を3つも置くとは、慶政上人、なかなか悪趣味である。

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