明治15年(1882年)創業の老舗、「国稀酒造」に到着しました
呉服商として増毛に移り住んだ本間一族が、当時この地第一の産業であった鰊(にしん)業に手を広げ、その季節従業員たる”ヤン衆”のため、醸造業を始めたとされています。
(創業は明治15年ですが、)最初の20年間は近くにある「旧商家丸一本間家」(国の重要文化財)で造られていました。鰊業の予想外の繁栄により、本間家の設備では需要が追いつかず、今の場所に酒蔵を建設したそうです。
再び「国稀酒造」に戻って、建物周辺を散策
雪が解けて春になると、水飲み場(入口左側)が開放され、お酒の仕込みに使われる暑寒別岳の水を無料で飲むことができます
夏には生協のペットボトルで持って帰る人もいるんですよね〜
丸形ポストもなかなかいい感じです。近くに郵便局がありますが、ここには昔から必要なのかもしれませんね。
駐車場から酒蔵を撮っていると、一匹の猫が僕の前を通り過ぎました天気よくて気持ちがいいでしょうね。どこの猫かな?「国稀」の・・・?まさかとは思いますが、飲んでませんよね
「それでは、お邪魔します!!」
中に入るとまず最初にあるのがご覧の部屋ここでヤン衆がお金を払って飲んでいたのか?本間一族がお偉いさんを呼んでもてなしをしていたのか?どうなんでしょう。
話は変わりますが、皆さんは天井からぶら下がるこの”巨大まりも”のような物体をご存じですか?〜お酒を飲む方は当然分っているとは思いますが・・・
「酒林(さかばやし)」〜日本酒を造る酒屋の軒先に吊すことで、今年もお酒ができましたというメッセージを知らせるもの。
毎年新酒ができたころは、上画像のような蒼々としたものがぶら下がっていますが、これが徐々に枯れた茶色に変わっていきます。酒の熟成が進んでいるかお客さんが判断できるというわけですね。最初の画像(「国稀酒造」の玄関先)をご覧ください軒先に吊された「酒林」・・・・茶色になっていますよね。新酒が十分熟成されたということです。ちなみに家の中のものがなぜ?緑のままなのか聞いてみましたが、雨風の影響を受けていないため、色の変化がしにくいとのことです。
創業明治拾五年と書かれた伝統ある国稀酒造の暖簾をくぐって、そのまま直進すると酒蔵がありますが、その前に手前の壁をよく見てみると
「番傘(ばんがさ)」が展示されていました手造りということもあって、大きさも種類も様々ですね。鰊のころはこれを使っていたのでしょうか?当時にタイム・スリップして”国稀酒造の旦那様”になってみたいなあ・・・
「今日は本間一族の会合があるから、一番いいものにしょうか」とか・・・
時代劇などで貧乏侍が造っていた番傘、最北端の酒造で使われていた傘は一体誰が造っていたんでしょうね
店員さんに許可を得て、一枚だけ撮らせていただきました。お忙しいのに全く・・・すいません写真がヘタでちょっと暗くなってしまいましたが、なかなかの雰囲気が味わえます「国稀」、「鬼ころし」の二枚看板以外にも新種のお酒がたくさん並んでいましたよ。ヤッチノ家お気に入り「酒造ら〜めん」も販売されていました
いろいろと話をしていて、酒蔵にいく時間が過ぎてしまいましたが、いただいた「甘酒」を飲んで満足していますさすが、国稀さんの甘酒!美味しいですね〜
今回は本物のお酒は飲まず(買わず)、自宅にいる娘とかみさんにお土産を買って帰りました。(まだ乳児なので・・・飲むわけにはいかんでしょう)
非常にまったりとした旅でした。留萌本線もよかったのですが、こうして歩きながら増毛の方と話ができるのもいいもんですね。その五”ファイナル”は総集編にしょうかなと只今考え中です
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