弥生文化博物館では特別展「南関東の弥生文化」展が開催されています。
8月20日に、塚本統括学芸員の展示解説があったので行ってきました。
DSC_0813
この特別展、むちゃくちゃ面白いです。
行った方がいいです。特に関西の人は目からウロコが落ちまくり間違いなし!

南関東の弥生文化には縄文文化が色濃く残っているのも面白いですし、漁業や操船などの海洋文化が発達しているらしいことも興味深いです。

さて。
弥生時代の特徴、稲作が始まったのは北九州からだろうと考えられていますが、弥生土器の一号は関東から出土しています。
DSC_0809
ややこしいんですが、「弥生土器第一号」は「出土された第一号」なんですね。
出土地の「弥生町」から「弥生土器」の名が生まれました。

ただ、当時はまだ考古学の黎明期。
見ただけで「縄文土器に比べて高温で焼かれており、薄手ではないか」と気付いたのはすごいことじゃないかと感じませんか?

実は、弥生土器一号が発掘された場所からは縄文土器の破片も発掘されていて、確かに厚さが全然違います。
DSC_0811
縄文土器はもっとも厚い部分が10mmほど、比べて弥生土器は4mmほどしかありません。
これは、「違う焼き方で作られたんでは?」と考えるのが自然です。

南関東の弥生時代早期の遺跡からは、トチ、つまりドングリと一緒にアワやキビ、そしてコメが見つかっています。
DSC_0814
つまり縄文式の生活に、まずアワやキビなどの畑作りが受け入れられ、そして稲作が始まったと考えられるわけで、とても平和な風景が想像できます。
南関東は縄文文化と弥生文化が併存する期間が長く、弥生時代後期になっても土器に縄文がついているのが面白い。伝統を大切にする人たちが住んでいたのかもしれません。

南関東の弥生中期には、関東や信州、東北の文化が豊かに、数多く入ってきているのですが、人の移動が盛んだったのか、人ではなく文化の交流が盛んだったのか。
無人で、三浦半島から100キロ以上離れた伊豆の恩馳島の黒曜石がたくさん見つかるようですから、当時の人たちは日常的に長距離を移動していたのかも。
それなら、遠くのムラと交流もできますね。

さらに興味深いのは、関西と南関東の弥生文化の違い。
たとえば南関東の遺跡から石包丁がほとんど見つかっていないというお話。
海浸遺跡もそばにあり、そこから貝包丁が見つかっているのですが、農耕地では見つかっていない。
つまり、南関東の人たちは収穫に包丁のようなものを使っていなかった可能性が高いのでしょう。
包丁がないわけじゃなく、あるのに使ってない。つまり包丁を使うより効率の良い収穫方法があったんでしょうか。手でちぎっていたとも考えられているそうですが、脱穀が大変になる気がするなぁ。
謎です。

また、南関東では銅鐸や銅矛が出土せず、代わりに有角石器が見つかっています。
DSC_0822
剣のような形で、祭具だと考えられているとか。
どんな祭りをしてたんでしょう。

さらに弥生時代になってアワビの貝殻が見つかるようになるというのも面白い。
アワビは比較的深海に生息しており、縄文時代にはほとんど見つかっていないそう。
つまり弥生時代になって、潜水技術が確立したということでしょう。
伊勢へ行くと、倭姫に海女がアワビを献上したという話が出てきますが、倭姫は弥生時代中期の皇女。話のつじつまが合いますね。
「海洋民族」というと、なんとなく縄文人をイメージしていましたが、弥生人だったのですよ!
ね?目からウロコですよね。
ってことは記紀神話に登場するサルタヒコも弥生人か……。

漁具もとてもよくできています。
DSC_0823
銛のようなものですが、先端部分が折れて魚の体に残るよう工夫されているんです。
そこに紐がついているので、それをたぐれば魚を捕まえられるんですね。
現代は銛を刺してそのまま魚をとりますがそれだとあまり大きな魚は無理。
わざと折れるようにすれば比較的大きな魚も漁できるはずで、現代よりも漁業が重要だったのかもなぁとか思ったり。

弥生時代後期になると、南関東では大規模な洪水が起きたようです。
洪水で村が埋もれると、その村の人々は移動します。
でもしばらくすると土地が復活しますから、そこに新たな人々が移住してくる。
そこで、さまざまな地域の特徴的な土器などが南関東の狭い地域から出土しているようです。
これなんか、縄文土器と言われても納得しません?
少なくとも弥生土器のイメージじゃない。
DSC_0829
詳細はぜひ展示で。

関西に住んでいる人間にとっては、むちゃくちゃ面白い展示です。
でも解説を聞くとさらに面白いので、ぜひ展示解説へ!!
特別展は9月19日まで。
展示解説は8月27日と9月10日に開催されます。