学芸員の中尾さんが、弥生博をやめたとき、ちょ~どコロナでした。
普段なら「承継セミナー」が開催されてたところが、どうにもこうにも集まれない。

ってことで、3年たっての開催となったということのようです。

でも、もんのすごい駆け足だったので(笑)
エッセンスだけ。

今わかっている、計量の文化が生まれた時代を世界で見てみると、もっとも古いのが四大文明ではない中央アジアで、約6500年前とのこと。
このあたりは良質なラピスラズリの産地であり、多分、ラピスの交易で必要だったんじゃないかという話でした。

そして5500年前にエジプトで、4900~4350年前ごろのインダスで、2700年前ごろには中国で、計量の道具が作られているのが出土しているようです。

島国日本では交易が始まるのも遅かったのか、日本で分銅が見つかるのは2000年前。
亀井遺跡で分銅が見つかるまでは、飛鳥時代にはじまったと考えられていたので、600年も遡ったことになります。
しかも日本の発掘調査は写真でも、文章でも、スケッチでも出土当時の様子が記録されているのが画期的なことなのだそうです。
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日本の分銅(権)には3タイプあるとわかっています。
一つが亀井系列のもの。
近畿や四国の一部、出雲などで見つかっています。

もう一つは朝鮮半島の茶戸里系列。
石川県などで出土。

そして最後がその他。
北九州などで出土しているものです。

系列ごとに何が違うかというと、基本となる分銅の重さです。
亀井系列では8.67、茶戸里系列は5.53、しかし北九州がイマイチはっきりしないのだとか。

分銅は一番小さいものの重さをaとすると、2a、4a、8a、16a、32a。
つまり、二の乗数です。
この分銅を作ることにより1~100までの数字を作れます。

基本となる重さはどうしてその重さになったのか、偶然か、それとも必然か、ちょっと気になりましたが、質問タイムがなかったので、今度聞いておきます。

また、天秤だといろいろな重さが必要だけど、棹秤なら支点の位置を変えれば分銅一つで重さを計量できること。
弥生時代に棹秤があったかどうか……などという話しもあったのですが、定説とは言えなさそうなので省略。

また掘り下げることがあれば、追記します。