2007年08月21日

「共感」を感じられるか?

決算の時期が近づいてきました。我が市の場合、3月で可決された予算を実施した結果である決算を翌年の9月に審査します。今年で言うなら、18年3月に審査された予算の対象が、18年4月から19年3月の間に執行され、その結果が19年の9月に審査されるというわけです。
予算審査と決算審査の違いについては過去何度か書いてきました。平たく書くと、予算審査とは政策判断であり、政策に納得できるか否かで賛成か反対を決めるものであり、その意味で意見形成の幅は広いのですが、決算は数字認定ですので、政策判断は伴わないものと判断しています。その意味で選択の幅は縮小します。当初予算案に反対したからその使い道自体が反対だから決算も反対という論法か、お金の使い道でより良い方法があったと考えられるという視点から反対という論法しかないと思うのです。そもそも決算審査に何の意味があるのか?その疑問も依然呈しました。私は予算より決算重視という立場ですが、会議体としての決算委員会のあり方には疑問を感じている1人です。
この考え方を広げると、いっそのこと決算は新人の皆さんで固めて、勉強会にしてしまうというのもありかもしれません。ま、かなり乱暴な議論ではありますが(笑)。

さて、予算にしろ決算にしろ、行政から出された案に対し、政治家として判断することになります。ここには政治家としての哲学が必然的に伴うべきなのです。私の場合は、「未来の子ども達に借金を残さない!」という哲学がありますが、近時これに加えて、表題の「共感」もキーワードになるのでは、と考え始めています。
自己の哲学を政策という形で掲げ選挙という洗礼を受けて政治家になるわけですが、国政選挙と異なり、自治体の場合身近な話題が中心になるのは当たり前であり、結果として予算にしろ決算にしろ、どれだけ市民の皆様にわかりやすくお伝えできるかが重要だと思えるのです。

何度か二つの社会について書いてきました。そもそも半数以上の有権者に相手にされていない三鷹市なのです。その方々にも理解をいただくためには、諸所の施策に「共感」度が必要なのではないでしょうか?「なるほど!それ必要だよね!」という感覚です。例えばネットワーク大学がそうです。私はネットワーク大学構想が審議された年の予算案に反対しました。経営諮問会議に参加させて頂きましたが、そこでは様々な議論がありましたが、生涯学習機能のほかにシンクタンク機能などという議論の中で私は会話をしながら、「これはやはり共感に欠けるな…」と実感したのです。行政の方と異なり、政治家はやはり「市民の皆様はどう考えるだろう?」という生の視点がもっと必要な人種なのではないか?と考えるわけです。

最近、自治体が本来的にやるべきことは何か?という点を考えるようになりました。数日前に産業振興のあり方について考えを述べました。また、事業仕分けのことも何度か書いてきました。ひとつひとつの事業につき、本来的自治体業務といえるのか?言えるとしても「共感」を頂けるものなのか?を議論し始めると途方もない時間が必要でしょうが、やはり必要なことなのかなという気がしています。
決算審査につきわが会派で誰を委員会メンバーにするかはまだ決めていません。まだまだ未定ですが、決算のあり方につき議論しあいたいと思います。また数字認定という性質の他に、決算書に羅列してある個々の事業が、本当に市民の皆様の「共感」を得られるものだったかを考えてみたいと思います。

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