2008年01月

2008年01月16日

「私たちも人を許します」

私は言いました。

「人をゆるすって、どんなことですか?
ぜんぶをうけいれることですか?

憎んでもいないけど、そばにはいてほしくないって気持ちがあるのは
ゆるしていないってことですか?」



シスターは言いました。

「屁理屈だけど、それはゆるしていないわけじゃないのかしら。
人格をみとめないことがゆるさないことになるなら、
自分のそばじゃなければみとめられるのよね。
それは、ゆるしていることに一応なるんじゃないのかしら」

「でもね、私くらいの年になると、ゆるすもゆるさないもないのよ。
私はゆるされているから、こうして存在している。
そう考えたら、『私が』ゆるすゆるさないなんて
言えないわ。
でもね、これから年をとっていくあなたは
悩んでほしいと思うわ。」



私は、いきるためにじぶんをころしました。


私にそうまでさせた、あのひとを
私は

ゆるしているのかゆるしていないのか
ゆるしたいのかゆるしたくないのか

それすらもわからないまま

ただ、すくわれたくて。



シスターはこうも言いました。

「いきるために逃げるのは、それも一つの手だわ。
そうしないといきていかれなかったんでしょう。
自分をまもるためでしょう。
それはわるいことじゃないわ。」



逃げることは恥ずかしいことだと
教え込まれていた私。
自分をまもるために逃げた自分のよわさを
まず受け入れることができなくて
つぎにあのひとという大きな壁にぶつかって


そんな状態はもう過ぎた。

自分をまもるために逃げたことはしかたのないこと。
だって、そうしないと私は本当にコナゴナ、バラバラに
なっていたはずだから。
時間はかかったけど、自分のよわさを受け入れたよ。


そうして、あのひとという壁がまだのこっている。


これからも、私は考えつづけるんだろう。

いつか、すくわれたらいいな。






yeah_am_music_i at 21:29|PermalinkComments(0)