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August 30, 2011

スッキリ一時帰国。


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最近はすっかり月いちペースの更新になってしまっております。

もっと早く近況をお伝えしたかったのですが、いや〜、新居が思った以上に居心地が良く、そしてそれなりに忙しくしておりまして、気づけば8月ももう終わりとなってしまいました。

オットのダーネのこと、引っ越しの顛末、息子の一歳の誕生日、息子のタコ顔(ツイッターをご覧の方はご存知ですよね・笑)などなど、お伝えしたいネタはモリモリなのですが、引っ越しで身辺が落ち着いたこともあって、前回の一時帰国で残して来た荷物を取りに、ちょっと一時帰国をしてこようと思います。

気づけばオットが亡くなってからそろそろ半年、先日ようやく諸々の手続きがほぼ9割方完了し、オットがらみの手続きだけではなくて、他にもいろいろなことがす〜っとうまくまとまって、今回、とてもすっきりとした気持ちで日本に帰ることができそうです。

不謹慎かもしれませんが、残していく人がいないというのは本当に気楽でいいですね。今までの一時帰国では、どこかオットに申し訳ない気持ちで後ろ髪を引かれながらの帰国でしたけど、もうそういう思いをしなくて良いのだと思うと、なんだか清々しいです。未亡人ってのも、案外悪くないじゃない、なんて強がり半分、本気半分で思ったり。


あ、そうそう、写真のご説明を。
このブログを通じて知り合った美味しいもの好き、スリランカ料理好きのFさんが、引っ越し直後の我が家に遊びに来てくださった時のものです。

Fさんのデジカメに興味津々の息子。
「ねえ撮ってよ」、と迫ります。

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撮ってもらった後には、
「ねえ見せてよ」、と詰め寄る、カメラ奪い取る。

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「ひひひ、よく撮れてんな」、とニマリ。

まあ、単なる息子自慢ですな。
ご協力いただいたFさん、ありがとうございました。

では珍しく今日はサラリとこのくらいにして、次回は日本から、更新できるかな?


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July 19, 2011

ゴールで食す、キャンディ名物パニワラル


no title


現在、引越に備えて荷造りの真っ最中ではありますが、このあたりで一本アップしておこうかと思います。

新居はなんと電話線がなく、まだインターネット常時接続の目処がたっておりません。セレ部さまの置き土産のモバイルモデムがあるから当座はなんとかなるだろうと思っておりますが、ひょっとすると、2ヶ月近くもネット難民になってしまった以前の引越と同じ事態もあり得るわけで。


さてさて、今日お送りする話題は、ちょっと楽しげな食べ物に関するもの。

まずは登場人物をご紹介しましょう。
キャンディに住む義弟サミーラの妻、マルカ。ナターリの母と言えば分かりやすいでしょうか。

写真はこちら  ↓(左から二人目)。


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※すみません、死んだ人間の写真など見たくない方もいるかもしれませんけどね、まあ、ネタがつきるまで、気が済むまでオットとの思い出を垂れ流させてください。



そしてもう一人、私たちがヌワラ・アンティと呼んでいるマルカのお母さん。

「ヌワラ」とはキャンディのこと。

義弟・次男のサミーラはキャンディ出身のマルカと結婚し、婿養子というわけではないんですが現在はマルカの両親と二人の妹とともにキャンディで暮らしています。

1-2こちらがヌワラ・アンティなのですが、アンティが抱いているのは生後6ヶ月のナターリ。

本当はアンティのステキなポートレートがあったんですけどね、画像を収めたCDは既に荷造りしてしまったのであしからず。


いや〜、それにしても懐かしい。










これは仕事で二度目にスリランカを訪れた時、当時はまだ仕事仲間だった「ニシャーダさん」に姪っ子が生まれたということで、キャンディにある取引先を訪れた後に皆で押し掛けたのでした。


以下、オットとの思い出話、垂れ流し

↓↓↓↓↓↓↓

1-3こちらがその時の、嬉しそうな表情でナターリを抱く「ニシャーダさん」。

以前から男性が赤ん坊を愛しげに抱くシーンに弱いのですが、おそらくこの姿を見た時、私の潜在意識に強く訴えかける何かがあったのでしょうね〜(ちなみに、結婚が決まったのはこの半年後のことでした)。


結婚後、病のために少しずつ痩せていったオットですが、義姉たちがもっともハリ・ラッサナイと言うところの、ややぽっちゃりした当時のオット(いや、私は痩せたオットもじゅうぶん男前だと思ってましたけどね)。





あれ?今日はなんの話題でしたっけね。
オットのノロケ垂れ流し、じゃなくって、あ、そうそう、食べ物ですよ、食べ物。

義弟サミーラの妻マルカとそのお母さんのヌワラ・アンティが、オットの死後3ヶ月目のダーネに合わせて、オットの好物だったお菓子を作ってくれたんです。

6月5日のダーネには約600もの人々がやってくるということで、家族や親戚は数日前からゴールの実家に大集合し、日々準備にいそしんでおりました。
そのダーネの前日、マルカとアンティがガスレンジを庭に面した場所に設置し、何やら作りはじめましたのです。

一体どんなお菓子を作っているかと言いますと、キャンディ名物、パニワラル。

ココナッツオイルで揚げたお菓子で、一口齧ると中から蜜がジュワ〜としみ出してくるお菓子。新年のときなどに時々いただくのですが、とにかく激甘で、実は私はちょっと苦手。
ただ、このヌワラのアンティのものは甘すぎず、香ばしくて美味しいのです。

このお菓子、ゴールの女、義姉・長女は作りません。というか、作り方すら知らないそうです。長女だけじゃありません、このあたりの女性たちはみな、パニワラルの作り方が分からない。つまりそのくらい、地方色の強いお菓子なんですね。

オットはゴール出身ですが、20代はほとんどキャンディに住んでいたためパニ・ワラルも好物で、ナターリ一家がコロンボに遊びにくる際にアンティの作ったパニワラルをいつも楽しみにしていました。

以前、オットにパニワラルの作り方を聞いてみたことがあるのですが、さすがに彼も作り方までは知らなかったようで、いつかアンティに聞いてみなくちゃね、などと話したことがあったんです。

というわけで、オットのダーネのために、彼が好きだったパニワラルを目の前で作ってくれているマルカとアンティ、彼がこれを見ていたら、きっと嬉しそうな笑顔になっているに違いないな。いや、もしかしたらこれはオットが計らってくれたのかもしれないなどと思いつつ、私もこの突然のデモンストレーションを見物することにしました。

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パニワラルの材料は、ウルドゥ豆の粉。
ウルドゥ粉は、よくスリランカで食事に添えられる揚げせんべいのようなパパダン、そしてトーセの原料でもあります。

そのウルドゥ粉を溶いたものを布に包んで、そこに穴をあけて絞り出しながら揚げるんですね〜。

そして揚がったものを、すぐに蜜に数分浸します(右)。

この蜜には贅沢にもキトゥル椰子の樹液から作るキトゥル・パニが使われています。
揚げたてのワラルに、美味しいパニが徐々にしみ込んで行きます。


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油で揚げたお菓子は君にはまだ少し早いよ、ごめん。


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アンティの作るパニワラルは、時間がたって数日後でもまだ充分美味しいんですが、やはりできたては格別の美味しさ!甘すぎず、香ばしくていくつでも食べられてしまいそうです。

そしてこのデモンストレーション、ゴール在住の親戚やご近所さんに大好評。みなさん、あとでアンティに作り方を真剣に尋ねていました。キャンディ名物パニワラルが、コンダキャウンを差し置いてゴールの名物になる日も近いかも?


ちなみにこの独特の丸い形ですが、どうせ丸いならシンハラ語のアルファベットの形にしちゃったらどうでしょうね。

というか、既に私の目には
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これと同じに見えるんですが。

う〜ん、こりゃいつか、パニワラルで息子の名前を形作ってみたい!と思った次第。

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これが全部パニワラルで出来ていたら、楽しいと思いませんか?

うまくできたらきれいに並べて写真を撮って来年の年賀状にでもしようか、などと夢は膨らみますが、面倒くさがりの私はやらないだろうな〜と早くも断念。
ていうかそれ以前に、私、喪中なのでした(爆)。

ということで(どういうこと?)、オットのダーネの話題は次回につづく。


最後はこちらの写真でしめくくり。

ご注目いただきたいのは小姑・次女のお腹周りではなく(いまだ独身の彼女、間違っても妊娠中などではございません)、今日の主役マルカの娘、ナターリです。


DSC_9411


初めて会った時には小さな赤ちゃんだった彼女も、今やモンテッソーリに通う5歳。先日はキャンディ代表として英語のスピーチコンテストにも出場しました(残念ながら入賞は逃しましたが)。

息子も、あっという間に大きくなっていってしまうのでしょうね。

まだまだ、将来のことは不安が先に立ってしまうためあまり考えられないのですが、息子の成長は楽しみでもあります。


では次回は新居から。
息子との新生活が軌道に乗った頃に、またお届けしたいと思います。







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July 01, 2011

思い出の上書き保存


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6月のポソン・ポーヤもとうに過ぎてもう7月だというのに、5月のネタですみません。

オットとの思い出のたっぷり詰まった5月のウェサック・ポーヤの夜、義姉たちとウェサック見物に出かけてきました。

いや〜、出かける前はなんだか恐ろしかったんですよ。ウェサックの飾りなんて見たら、オットのことを思い出して余計に辛くなるんじゃないか、と。
ところがところが、ランタンの灯りというのは人の心を癒す効果があるのでしょうかね、そして今年は特に仏陀が覚りをひらいて2600年ということで、あちこちで例年にも増して気合いの入った見事な飾りが見られ、意外にもなかなか楽しめたのです。


以下、ぱぱっとご紹介していきますと、

こちらはポーヤの当日に出かけた、自宅から比較的近くにある場所。
政府のお役所の部署ごとにランタン・コンペが行われていました。

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ね?次女と三女も、なかなかに楽しげな様子ですよね。


この日はご近所さんだけ見物して帰ってきましたが、小姑たちも私も予想に反して楽しめたので、その週末、素晴らしくキレイ!と評判のガンガーラーマー寺院付近の飾りを見に行くことに。


前回、寂しい我が家に白いランタンを取り付けてくれた心優しいマッリの運転でコロンボ市内まで向かうと、


おや、こりゃ結構キレイじゃないですか、この電飾。

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いつもは湖畔に放置されたゴミにカラスが群がる薄汚いベイラ湖畔も、ホラこの通り、ハリ・ラッサナイ。

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何やらイベントが行われていて、我が息子、赤いスカーフがトレードマークのマヒンダ・ラジャパクサ大統領とちゃっかり記念撮影、、、

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のつもりが、いえいえ、よ〜く見たら、大統領のソックリさん、


6でもなく、長男のナマル氏でしたよ。



















なんとなく、韓国料理が食べたくなったところで湖畔を歩いて向かった先は、湖に浮かぶ通称バワ寺、シーマ・マラカヤ寺院


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いや〜、こりゃ本当にキレイですよ。

電飾を見ながらゆっくり散歩しただけなんですけどね、なんだかしっとりと、かつリフレッシュできました。
こうやって一つ一つ、オットと過ごした思い出を少しずつ上書き保存していって新しい思い出を作っていったら、いつか悲しみも完全に消えていくのでしょうか。


歩き疲れて、湖畔に座ってしばし休憩。
息子はマッリに「たかいたかい」をしてもらってご機嫌です。

ふとその背後を見たら、6年前、オットと初めて出会ったヒルトン・レジデンスが夜空にそびえていたのでした。

 * * *

一ヶ月以上も更新していなかったにもかかわらず、その間に沢山の方からコメントをいただき、またメールで励ましのお言葉を沢山いただきました。
本当に、みなさんどうもありがとうございます。
ブログを書いてきて、本当に良かったなと思っています。

そしてちょっとご報告。
ツイッターで日々の出来事をつぶやいていますので、そちらをご覧の方はご存知だと思いますが、今月下旬に引越をすることにしました。

現在のところ、小姑との同居を解消したいという私の願いを聞き入れてくれたオットが見つけてくれた家で息子と二人で暮らしています。その母子家庭生活も、既にオットと家族3人水入らずで過ごした3ヶ月半よりも長くなって、この家に対する未練も薄れて来たところ、家主が突然に私の了解なくこの家を売りに出してしまいました。
それはそれでやや頭の痛い問題ではありますが、このままここに居るべきか、それとも新しい場所に移るべきか自分では決めかねていたこともあり、いわば家主に背中を押されたような形ではありますが、新しい場所で新しい一歩を踏み出すことにしました。

きっと、オットも「そろそろ先に進む時だよ」と言っているのかもしれません。

新しい家は、一階にモミジ工場と小姑たちの居住スペースがあり、二階に私と息子が暮らす予定です。スープは全く冷めない距離ながら入り口も台所も完全独立で、ここならば、時々助け合いつつ、なんとか円満に暮らしていけそうです。

私にとって今までのスリランカは、すべてオットとの思い出で彩られていましたが、この次の場所では、本当にまっさらな、私と息子の新しいスリランカ生活のスタートになります。

身勝手な現・家主のお陰でオットとの思い出のある家への未練はなくなりましたが、引越にあたり、バスルームに残したままのオットの歯ブラシが処分できるか、実はまだ自信が持てなかったりもしますが、引越までに「えいや!」と勇気を振り絞って、次に進むための準備に励もうと思います。

では、次回更新まで、みなさんもご自愛ください。


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May 17, 2011

ウェサックの思い出

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今日は、息子と迎える初めての、
そしてオットがいない初めてのウェサック・ポーヤ。

毎月ある満月のポーヤデーとはちがって、5月のポーヤデーは特別なお祭りの日です。
このブログをずっと読んでくださっている方はご存知だと思いますが、このウェサック祭のある5月(ウェサック月ともいいます)は、オットと私にとっては思い出がとても多い季節、そしてオットが一年でもっとも好きだといっていたのも、このウェサック月でした。

3年前の移住後初めてのウェサックには、オットとともに張り切って巨大ランタンを作り、2年前にはモミジマーク入りのランタンを作って飾りました。
去年は、オットの体調が既に悪化しつつあったこともあり、ウェサックを祝うムードではなかったのが残念です。

今年は、ちょうど仏陀が覚りをひらいて2600年の記念の年ということもあり、例年にも増して街の飾り付けに気合いが感じられます。
今私が息子と二人で住んでいるセキュリティタウン内でも、数日前から仏旗が飾られて、今も目の前の公園内で住人たちが朝からランタン作りをしています。
サロン姿でランタン作りにいそしむ男衆を見ていたら、オットのことを嫌でも思い出してしまいます。


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オットとランタンを作ったのは結局2回だけでしたが、子供の頃の思い出話を聞かせてもらったり、たわいもないことをおしゃべりしながらのんびりと作業をするこの時間が、本当に好きでした。
思えば、オットとの共同作業はいつも本当に楽しかったし、私たちの息のあったチームワークも最高だったよね、オットよ。


さすがに今年のウェサックは一人でランタンを作る気にもならず、かといって出来合いのランタンを買うのもわびしい気がして、オイルランプを飾るだけにしようと思っていました。結婚前、まだ日本とスリランカで別々に暮らしていたときの4年前のウェサック祭で、当時オットが家を飾るのに使ったオイルランプが沢山旧宅に残されていたので、それを使って。

亡くなる数ヶ月前からオットは痛みのため自力で車の運転ができなくなったため、かつて仕事を通じて知り合ったマッリに運転を頼んでいたのですが、そのマッリが昨日このオイルランプを届けに我が家にやって来てくれました。
見ると真っ白いランタンを二つ手に提げています。

オットに似て寡黙なマッリが、静かに、そして器用にランタンを玄関ポーチに取り付けてくれました。
私と息子のために、オットに代わってランタンを用意してくれたんですね。

マッリを通して、亡きオットの優しさを再び感じました。
そして息子は、風にそよぐサワラン(ランタンの下につける細長い飾り)を見上げて嬉しそうに笑っていました。


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ああ、もう本当に、自分でもいやになるくらいしんみりした内容でごめんなさい。
「スリランカに嫁いじゃったよイエスタデイ」のタイトルにふさわしくないですね。もういっそのこと、「スリランカで死別しちゃったイエスタデイ」と変えた方が良いでしょうか?

それでも、徐々に落ち着いてきてはいます。これが心が回復しているということなのか、単に「オットがいない日々」のやり過ごし方を覚えて来た、ということなのかはよく分かりません。
ふとした瞬間に地の底に落下するくらいドスンときて涙が止まらなくなることもありますが、それでも涙の量は確実に減って来ています。

やはり、なんとか仕事が続いていること、そして息子の存在に助けられています。
子供がいると不規則で自堕落な生活は送れませんし、息子のためにも健康でいなければと、かろうじて規則正しい生活を送っています。そのせいか、気持ちが必要以上に荒むこともありません。

幸い息子も元気にしています。ちょうど9ヶ月半になり、体重は8.5キロ、既に4本歯が生えて来ました。最近はじっと抱かれているよりも自分で動く方が好きなようで、身の回りのものへの興味がどんどん増してきています。

元気とまではいえませんが、こんな感じでなんとかかんとか体調を崩すことなくやっています。
次はもう少し明るいご報告ができるように、今はとにかく一日一日、しっかり生きていこうと思います。

そして最後になりましたが、お知らせがあります。
こちらでは亡くなってからちょうど3ヶ月目に大規模なダーネをするのが習わしで、6月5日にゴールの実家でダーネをすることになりました。亡くなったオットのため、600人以上の人たちに食事を振る舞う予定です。
できるだけ多くの方たちに来ていただくのが私たち家族の願いですので、このブログを通じてオットを知る方たち、お近くにお住まいの方、ご都合がつくようでしたら、どうぞ遠慮なくいらしてください。
場所の詳細などは左下のフォームからメールをお送りいただければ、折り返しお知らせします。
(あ、このブログを書いていることはオット家族には内緒ですので、その点だけ、どうかお心にとめていただけると助かります)


それでは、今日もこんなブログに遊びに来てくださって、本当にありがとうございます。
そしてブログを通じて心配してくださったり、激励してくださったり、いつも気にかけてくださって本当にありがとうございます。
皆さんも、どうぞご自愛ください。
そして楽しいウェサック祭をお過ごしください。


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April 04, 2011

あれからひと月がたちました


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3月4日に40歳と5日でオットが息を引き取ってから、今日でひと月がたちました。

まずは、コメントをくださったみなさん、ブログを読んでお悔やみのメールをくださったみなさん、本当にありがとうございました。
すべてに目を通させていただきました。みなさんの暖かいお気持ちがどれほど嬉しく、そして心強かったことか。初めてコメントをくださる方も沢山いて、こんな悲しい内容でなかったらもっと楽しくやりとりができたのにと、残念な気持ちです。

丁寧に言葉を綴ってくださったみなさんお一人お一人にきちんとお返事をしたいのですが、申し訳ありません、今はまだその余裕がありません。まとめてのお返事になりますが、この場から、本当に、本当にどうもありがとうございました。

それから日本からスリランカに戻る道中、空港と機内で声をかけてくださったSさんとNさん、そしておにぎりを持ってわざわざ空港まで会いに来てくれた友人家族、ゴールの実家まで駆けつけてくださったOさんご一家とRさんご一家、義弟と同じ職場で働いていらっしゃるUさん、コロンボから車をチャーターして来てくださったN会のみなさま、中には初対面の方もいらっしゃったのですが、みなさんからの暖かいお言葉に、とてもとても助けられました。

ブログを通じてお悔やみをくださったみなさん、日本や他国から祈ってくれたみなさん、そしてゴールまで駆けつけてくださったみなさんに、ニシャーダも感謝していることと思います。同時に、私がこんなにも沢山の良い方たちに囲まれて、きっと彼も安心していることと思います。彼の分まで、本当にどうもありがとうございました。

* * *

このひと月のことをつらつらと書きますと、両親を連れて急遽スリランカに戻り(チケットや両親のホテルの手配など信じられないほどスムーズでした、もちろん沢山の方たちのお力あってこそですが)、翌日にはゴールの実家へ。

壁には日本で結婚式を挙げたときの笑顔の写真が貼られていて、その前に横たわるオットの顔がとても穏やかで……。

通夜、葬儀、そして荼毘に付すまでは無我夢中で、実はあまり悲しんでいる暇はないというのか、まだオットの死を事実としてきちんと受け止めるには時間が足りない感じでした。なにせスリランカでは、いや実を言えば日本でも、通夜に出席したことはあれどきちんと葬儀に出席したことがなかったんです。

人生で初めての葬儀が自分のオットのものだなんてなんという皮肉だろうと、そしてここはゴールの田舎、ご近所さんたちの容赦ない好奇の視線にさらされて、幼子を抱えてのこされてしまった悲劇の未亡人を演じるべきなのか、などと、妙に冷静になったりする自分もいたりして。

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葬儀に集まった見ず知らずの人に抱かれても、終始ニコニコご機嫌の息子



ともあれ、沢山の方たちからオットの知られざる美談を聞かされ、あらためてオットに惚れ直してまるで結婚式のようにも思えた泣いたり笑ったりのドタバタな葬儀も終って遺体を荼毘に付し、ようやく一息。

あ、遺灰はどうするんでしょう。

と気になって次女に尋ねてみたところ、「川に流す」と。
日本と同じようにお墓に納めることもあるけれど、どうやらアンマも他の家族も、お墓にはまったくこだわっていない様子。

ということで、荼毘に付した翌日、義弟の三男サミーラと、四女ナンギの婿ジャガット君、小姑・次女、私、そして息子の5人で散灰に行くことになりました。

日本人にとって遺灰はかなり重要な意味をもつものだと思うのですが、スリランカ人(というよりこの家族?)にとってはそうではないようで、アンマも他の姉妹たちも無関心。普通に、行っておいで、と見送ってくれました。

でも、これが逆に幸いでした。

ジャガット君の運転で向かった先は、川沿いの土手。

時刻はちょうど黄昏時。

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オットの愛車が夕日に映えます。

そして目の前に広がる美しい光景。
一面の緑、川べりでは水牛が草を食み、沢山の水鳥が夕日をバックに飛んでいます。


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その美しい光景の中へと、土手を下りていきます。


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素焼きの壷に入った遺灰。
それを散骨するのは妻であるこの私。

不謹慎かとも思いつつ、このメンバーなら誰もとがめないだろうと分かっていたので、お別れの前にオットの遺灰にさわってみました。
遺灰といっても、まだ形をとどめている骨もありました。
おそらく背中の骨でしょうか。ふれてみたらまだ暖かかった……。


実はこの瞬間まで川に遺灰をばらまくのかと思っていたのですが、そうではなくてこの壷ごと流すようジャガット君に促されました。


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インド洋へとつづく川に、ぽつんと浮かぶオットの遺灰。
あまりにも、小さなその存在がとてもとても愛おしくて。
と同時に、誰しも最期は一人で旅立って行くんだなと。


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息子は次女の腕に抱かれてすやすやと眠っています。

そして、こんなに美しい夕暮れの景色……。

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この場所を選んでくれたのは地元に詳しいジャガット君ですが、これはきっとオットの計らいに違いないと確信しました。
なぜなら、彼は私がこんな景色が好きなのを誰よりもよく知っていたから。

大勢の人に囲まれてゆっくりオットのことを考えることができなかった葬儀と違って、私にとってこの日のこの経験は、オットとの短い結婚生活のエンディングとして最高の日になったと思います。そのくらい、本当に素晴らしい光景でした。

そしてこのとき、オットと出会ってからそれまでのすべての出来事が一本の線でつながったような、ストンと腑に落ちるような、そんな感覚を覚えました。

そう、すべては運命だったのかもしれない、と。

* * *

などと普通につらつらと書いていますが、まだまだ気持ちは不安定なこともあります。
いまでも朝を迎えるのはとても辛いです。なぜならまだどこかで夢であって欲しいと思っていて、目が覚めて現実を受け入れざるを得ないのが苦しいから。

オットと息子、家族3人水入らずでずっと過ごすはずだった新居に、私を心配して泊まりに来てくれている次女とたわいもない冗談を言って笑ってはいても、ふとした瞬間に涙が止まらなくなることもあります。

ただオットの死からひと月たった今言えることは、生きている限り永遠なんてことはないけれど、オットが死んだことで、私にとって彼は永遠の存在になったのだということ。

もう二度と、彼が苦しむ姿を見なくても良いということ、そして彼を失うという恐怖心からも自由になれたのだということ。

そして、本当に最期まで強く立派に生きた彼の人生に恥じないように、私もしっかりと生きていこうと思える、ということ。

今沢山の人たちに助けられ支えられているのは、すべて彼の生き様のお陰であること。いずれ私もいつかは死ぬわけで、そのとき後に残される家族が今の私と同じように周りの人たちに支えてもらえるよう、私もきちんと生きていかなくてはいけない、ということ。


そして、旅立って行く命があれば、やって来る命もあるんです。

義弟・四男のところに新たな命が誕生しようとしています。

予定日はまさに、オットが亡くなってからひと月の今日。陣痛はまだ始まっていないようですが、現在ゴールの病院に入院して、そのときを待っています。

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そして何より、私は息子のためにも、幸せでいなくてはいけないんです。

オットの願いは、私と息子がいつも幸せでいることだと分かっているから。


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私と息子の幸せを考えた時、自然とこのままスリランカに残ろうと思いました。
オットのことをよく知る人たちの間で、父親ががどれだけ素晴らしい人だったのか、そしてどれだけ自分のことを愛していたのか、これから少しずつ、息子なりの父親像を作り上げてくれればと願っています。

オットと二人ではじめたモミジの仕事も、これからも続けます。彼の力なくして果たして大丈夫なのかと不安もありますが、彼が残してくれた知識と技術を総動員して、小姑たちと頑張っていこうと思います。

ええ、小姑たちと一緒なんて嫌だ〜と思ってはじめたこのブログですが、気づいてみたら今じゃ小姑たちと運命共同体、彼女たちなしには私はここで暮らしていけません。それもこれもすべてオットが仕組んだことだとしたら、もう出来過ぎです。

* * *

最後になりましたが、冒頭の写真は、そうです、オットの遺灰です。
日本人としてすべて川に流してしまうのが寂しくて、ほんの少しだけ分けてもらいました。

今は名古屋の実家の、以前オットがお土産に持って来た仏像(それを、長らくハハはブックエンドのように使っていた!)の前に置いて、ハハが毎日庭に咲く花を供えてくれていますが、いずれは私とオットとスリランカの思い出の花の根元にそっと埋めようと思っています。

とはいえ、ゴールの実家で遺灰を分けてもらう際、適当な容器がなく、、、


















000実は、スリランカに戻る機内で出していただいた息子のベビーフードの容器を使った次第。

ま、こんなオチも、このブログらしさということでどうぞお許しを。















まだまだ本調子ではありませんが、いつかかならず、また楽しいブログを書けるように私も息子とともに頑張ります。

その日まで、引き続き見守っていただけたら嬉しいです。

暖かい言葉をくださったみなさん、見に来てくださったみなさん、本当にどうもありがとうございました。

そしてまだ自分のことで精一杯ではありますが、オットが逝去してからちょうど一週間後の東日本大地震で被災された方たちに、心からお見舞い申し上げます。

一日も早い復興を、ここスリランカからお祈りしています。


<追記>

本日4月4日朝、男の子が誕生したと、ゴールの四男から連絡がありました! 母子ともに無事で元気とのこと。
息子に弟ができたような、そしてこれもオットからの贈り物ではないかと思えます。新年に、ゴールに会いに行くのが楽しみです。
やっぱり、私たちのことを見守っていてくれるのかな。

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