心の至るところが躓いている。
もちろん、それは311以後、ずっと続いていることではある。
自分の心を静かに覗き込んでみる。
今に至るまで、心のどこかで、
何らかの、仮に、それがほんのわずかであったとしても、
ことの好転を期待していたのだと思う。
事態が急激にはよくなることを期待していたわけではない。
それでも、日本という国が、政府が、
問題と真正面から取り組み、
解決への道筋を、
少なくとも、その方向へと向かう道筋を進むための、
そのための舵取りを始めてくれはしないだろうか・・・そう、祈るような気持ちでいた。
でも、それは起こらなかった。
そして、時間のみが過ぎた。
それどころか、事態は悪い方へ、より悪い方へと転がっている。
政府だけではない、人々の認識もまた同じだ。
政府がそうだから、人々がそうなのか、
人々がそうだから、政府がそうなのか、
ニワトリと卵。
それを、ここで、議論をしても何もならないだろう。
とにかく、事態は悪化し、好転の様相は示していない。
被災地は表向きの復興が謳われ、
被災難民は相変わらず取り残され、
放射能汚染はないものとされたまま汚染場所への帰還が促される。
放射能汚染の実態は隠蔽され、
それによる健康障害は軽視され、
汚染瓦礫は日本中に拡散され、
原発推進は相変わらず続行される。
二つの問題が相殺しあうかのようにせめぎ合い、
人々は不安と怒りと悲しみの中で分断され、
いくつもの内部分裂が煽られる。
できることは何なのだろう。
・・・・・呆然と立ち竦む。
したいこと。
できること。
無論、私如きに世の中の流れを変える力などない。
それどころか、体力も気力も人の半分も持ち合わせておらず、表立った活動など望むべくもない。
それでも、何か。
この状況の中で生きていくための何か・・・。
今、改めて立ち止まる。
今まで夢中で現状の理解に努めてきた。
原発についての知識を深め、
原発問題について、
放射線の健康障害について情報を収集し、
必要と思われることは拡散してきた。
それらのことはこれからも変わらずに続けていくつもりだ。
でも、それだけではない、何か・・。
私ができることは何なのか。
考え、考え、そして、思う。
結局は、生き方を問われているのだと。
今いる世の中でどう生きるのか。
外の世界と向き合うことは、自分自身と向き合うことだ。
一人佇み、周りを見つめる。
自分がどこに立っているのか。
その周囲はどうなっているのか。
全身全霊で思いを駆使し、そして、また、考える。
自分の望みは何なのか。
どんな世界に身を置き、どんな風に生きていきたいのか。
それがいくらかでもわかったら、そのために動き始めることを考える。
思いを巡らし、言葉を紡ぎだし、そして、行動を起こす。
どんなに努めてみたところで、完璧な答えなど得られるわけもない。
それでも、私に必要なのは、
与えられた時間の全てを使い、
繰り返し、繰り返し、思い、語り、行い、そして、また、思い、語り、行い・・・・
望む世界を求め続けること。