思いがめぐる

2012年12月






心の至るところが躓いている。

もちろん、それは311以後、ずっと続いていることではある。
自分の心を静かに覗き込んでみる。

今に至るまで、心のどこかで、
何らかの、仮に、それがほんのわずかであったとしても、
ことの好転を期待していたのだと思う。

事態が急激にはよくなることを期待していたわけではない。
それでも、日本という国が、政府が、
問題と真正面から取り組み、
解決への道筋を、
少なくとも、その方向へと向かう道筋を進むための、
そのための舵取りを始めてくれはしないだろうか・・・そう、祈るような気持ちでいた。

でも、それは起こらなかった。
そして、時間のみが過ぎた。
それどころか、事態は悪い方へ、より悪い方へと転がっている。

政府だけではない、人々の認識もまた同じだ。
政府がそうだから、人々がそうなのか、
人々がそうだから、政府がそうなのか、
ニワトリと卵。
それを、ここで、議論をしても何もならないだろう。
とにかく、事態は悪化し、好転の様相は示していない。

被災地は表向きの復興が謳われ、
被災難民は相変わらず取り残され、
放射能汚染はないものとされたまま汚染場所への帰還が促される。

放射能汚染の実態は隠蔽され、
それによる健康障害は軽視され、
汚染瓦礫は日本中に拡散され、
原発推進は相変わらず続行される。

二つの問題が相殺しあうかのようにせめぎ合い、
人々は不安と怒りと悲しみの中で分断され、
いくつもの内部分裂が煽られる。



できることは何なのだろう。

・・・・・呆然と立ち竦む。

したいこと。

できること。

無論、私如きに世の中の流れを変える力などない。
それどころか、体力も気力も人の半分も持ち合わせておらず、表立った活動など望むべくもない。

それでも、何か。
この状況の中で生きていくための何か・・・。

今、改めて立ち止まる。

今まで夢中で現状の理解に努めてきた。
原発についての知識を深め、
原発問題について、
放射線の健康障害について情報を収集し、
必要と思われることは拡散してきた。
それらのことはこれからも変わらずに続けていくつもりだ。

でも、それだけではない、何か・・。
私ができることは何なのか。

考え、考え、そして、思う。


結局は、生き方を問われているのだと。
今いる世の中でどう生きるのか。

外の世界と向き合うことは、自分自身と向き合うことだ。

一人佇み、周りを見つめる。

自分がどこに立っているのか。
その周囲はどうなっているのか。
全身全霊で思いを駆使し、そして、また、考える。

自分の望みは何なのか。
どんな世界に身を置き、どんな風に生きていきたいのか。

それがいくらかでもわかったら、そのために動き始めることを考える。

思いを巡らし、言葉を紡ぎだし、そして、行動を起こす。
どんなに努めてみたところで、完璧な答えなど得られるわけもない。

それでも、私に必要なのは、
与えられた時間の全てを使い、
繰り返し、繰り返し、思い、語り、行い、そして、また、思い、語り、行い・・・・
望む世界を求め続けること。





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http://nikkan-spa.jp/175946
(最初の2ページの簡単なまとめです)


◆体内に取り込んだ放射性物質に負けない「食事の基本」
富永国比古医師

放射性物質に負けない食事の基本は、【穀菜果食】( 栄養価の高い玄米などの穀類を主食とし、野菜や果物をたくさん食べること)です。

(1) 抗酸化力、免疫力を高めて身を守る。
(2) 体内に取り込んでしまった放射性物質を解毒して体外へすみやかに排出する。


・食材はできるだけ信頼できる流通ルートから手に入れる。

・糖分の摂取を減らしてインシュリンの分泌を抑える。

・塩分の摂取も控える。

・カロリー制限も重要。

・自ら持って いる免疫力を弱めないこと

・ビタミン類を積極的に摂る。
ニンジンやカボチャなどに多く含まれるビタミンA(ベータカロテン)や、多くの野菜に含まれるビタミンCに は、放射性物質にさらされた生体を防御する作用があります。
また、ゴマやピーナッツ、緑黄色野菜や大豆製品などに含まれるビタミンEには、放射線障害を軽 減する力があることがわかっています。

・味噌などの発酵食品が被曝対策に効果があったとの体験談や研究報告もあります

・赤ワインに含まれるポリフェノール、お茶のカテキンなどのポリフェノール類、トマトやスイカに含まれるリコピンは強力な抗酸化作用を持ちます。

・キャベツやニンニク、ネギなどに含まれるイオウ化合物は、がん細胞を攻撃する免疫細胞を活性化してくれます



がん予防のための国家プロジェクトとして、’90年にアメリカで始まった「デザイナーフーズ・プログラム」では、国立がん研究所(NCI)が膨大な疫学調査データをもとに、がん予防に効果のある食品約40種を厳選し、重要度に合わせてピラミッド型の図を作成している。



ピラミッド
































「この図を見てもらうと、動物性の食材はいっさい入っていないことがわかります。植物性の食べ物が放射能対策にはいいんです」



◆セシウムより危険で排泄しにくいストロンチウム

「放射能に負けない食事」のもう一つの柱は、放射性物質の吸収を抑え、排泄を促すこと。

・半減期が約30年と言われているセシウム137は筋肉や心臓などに蓄積されやすい。
カラダに入ると約10%が2日間で、約90%が3~4か月かかって体外に排出されるが、この間、セシウムはガンマ線とベータ線を出し続ける。

・ストロンチウムは体内に入ったうち30%が血中に残り、70%は排出される。
血中に取り込まれたうちの30%は骨にたまる。
骨に蓄積されたうち、30日後に8%が減少。1年後でも4%が残留。
セシウムよりも排出されにくいという特徴がある。



【セシウム・ストロンチウムの吸収を避け、効率よく排出するために】

・セシウムの吸収を阻害するカリウムを多く含む、ニンジンジュース、バナナ、納豆、海藻類などを食べるといいでしょう。
またリンゴや柑橘類に含まれるペ クチンも効果があるようです。(ペクチンの効果については様々な意見があるようです。現時点では、助けにはなっても根本的な解決策ではないと理解しています)ベラルーシの研究者たちが『チェルノブイリで汚染された地域の住民の食物にペクチンを加えた食品を摂取することで、蓄積され たセシウム137の効果的な排出が促進される』という研究成果を報告しています。

・骨肉腫や白血病を引き起こす恐れのあるストロンチウムは、カルシウムと似た性質を持っています。カルシウムだと思って体が吸収してしまうのを防ぐため、 カルシウムを多く含んだヒジキ、切り干し大根、小松菜などを食べておきましょう。海藻のぬめり成分フコイダン、水溶性食物繊維のアルギン酸を含む海藻もお すすめです。

・排泄には腸の役割が重要となります。便秘になると、放射性物質を体内に留める時間が長くなってしまいます。ナトリウム、亜鉛などの有用なミネラル類を摂って排泄を促すとよいでしょう。



 富永医師は最後にこう語った。

「効果があると言われている食べ物を偏食するのではなく、いろいろ試してみる。相乗効果として発がんリスクは減っていくでしょう」

【富永国比古氏】
福島県浅川町出身。郡山市の婦人科・心療内科「ロマリンダクリニック」院長。「放射性物質から身を守る食事法」を説き続けている。著書に『放射性物質から身を守る食事法』(河出書房新社)など





【主な放射性物質の生物学的半減期】
※生物学的半減期が年齢によって異なり、文献によっても異なる。値は参考値

物質名:セシウム137
物理学的半減期:30年
生物学的半減期:70~100日
ベータ線、ガンマ線を放出。カリウムなど人体に必要な栄養素と似た挙動をとるため、体内に取り込まれやすい。体内に入ったうちの10%は2日間で体外へ、90%は約100日で排出される

物質名:ストロンチウム90
物理学的半減期:29年
生物学的半減期:50年
ベータ線を放出。体内に入ったうち30%が血中に残り、70%は排出される。血中に取り込まれたうちの30%は骨にたまる。骨に蓄積されたうち、30日後に8%が減少。1年後でも4%が残留する

物質名:ヨウ素131
物理学的半減期:8日
生物学的半減期:80日
ベータ線、ガンマ線を放出。体内に入ると甲状腺などに集まり、甲状腺がんの原因となる。幼児の場合の生物学的半減期は早く、平均11日。年齢が高くなるほど排出に時間がかかり、成人は約80日

物質名:プルトニウム239
物理学的半減期:2万4000年
生物学的半減期:20~50年
アルファ線を放出。吸入によって肺に沈着したり、肝臓や骨に蓄積されたりする。骨に取り込んだ場合は50年、肝臓ならば20年で排出される。生殖腺の場合はさらに長いと考えられている

物質名:セシウム134
物理学的半減期:2年
生物学的半減期:100~200日
ベータ線、ガンマ線を放出。カリウムと似た挙動をとるため体内に取り込まれやすく、体内に入ると全身に分布する。セシウム137と同じく10%はすぐ排出されるが、残りの90%は100日以上滞留する










シュラウドからの手紙 

鈴木 比佐雄



  

父と母が生まれた福島の海辺に

いまも荒波は押し寄せているだろう

波は少年の私を海底の砂に巻き込み

塩水を呑ませ浜まで打ち上げていった



波はいま原発の温排水を冷まし続けているのか

人を狂気に馴らすものは何がきっかけだろうか

検査データを改ざんした日

その人は胸に痛みを覚えたはずだ

その人は嘘のために胸が張り裂けそうになって

シュラウド(炉心隔壁)のように熱疲労で

眠れなくなったかも知れない



二〇〇〇年七月 

その人はシュラウドのひび割れが

もっと広がり張り裂けるのを恐怖した

東京電力が十年にわたって

ひび割れを改ざんしていたことを内部告発した

二年後の二〇〇二年八月 告発は事実と認められた



私はその人の胸の格闘を聞いてみたい

その良心的で英雄的な告発をたたえたい

そのような告発の風土が育たなければ

東北がチェルノブイリのように破壊される日が必ず来る

福島第一原発 六基

福島第二原発 四基

新潟柏崎刈羽原発 三基

十三基の中のひび割れた未修理の五基を

原子力・安全保安院と東京電力はいまだ運転を続けている

残り八基もどう考えてもあやしい



国家と電力会社は決して真実を語らない

組織は技術力のひび割れを隠し続ける

福島と新潟の海辺の民に

シュラウドからの手紙は今度いつ届くのだろうか

次の手紙ではシュラウドのひび割れが

老朽化した原発全体のひび割れになっていることを告げるか



子供のころ遊んだ福島の海辺にはまだ原発はなかった

あと何千年たったらそのころの海辺に戻れるのだろうか

未来の海辺には脱原発の記念碑にその人の名が刻まれ

その周りで子供たちが波とたわむれているだろうか







シュラウド


















シュラウドは、原子炉圧力容器内部に取付けられた円筒状のステンレス製構造物(隔壁)で、内部に燃料集合体や制御棒等を収納しています。シュラウドは、ジェットポンプによりシュラウド下部から炉心部に導かれた原子炉冷却水の流路を確保するための仕切板の役割を果たします。









息子がチャリティーに協力したいと言い出したのは、11月半ばの日曜日のことだった。

なんでも、前の週の金曜日、脳性麻痺の人々を支援するチャリティー団体のプレゼンテーションを見たのだという。
学校内では、手作りクッキーやブレスレットなどの販売で寄付金を集めてはいたようだったが、どれも細々と行われているだけで、金額はそれほどになっていないとのことだった。

で、息子は一案を考えた。
目標額を決めて、そのターゲットを突破したら、息子が坊主になるというのはどうだろう?というもの。

一も二もなくダーリンと私は賛成した。

あくる月曜、息子は朝早く家を出て、提案を先生に伝えにいった。
聞いてくださった先生は、好意的な反応を示してくださり、校長を交え、他の先生方と協議するという返事を頂いた。
ここまでの報告を、私たちは息子からの電話で月曜日の午前中に知った。

午後5時。
いつものように息子を迎えに行くと、そこには浮かない顔があった。
息子の提案は却下されてしまっていた。
理由は、スペインの慣習にはそぐわないからということ。

何かの目標を達成できたら、頭を丸める?というようなことはイギリスでは結構行われることなのだが、スペインでは、特に、子供たちの間では普通ではないというのがその理由のようだった。

息子はひどくがっかりした。
夕食の席で息子を慰めた。
息子が寄付金を集めるためのアイデアを考えたこと。それを実際に提案して実行しようとしたこと。そのことは素晴らしいことであり、とてもりっぱだと思う。
そう言っては何度となく褒め慰めたのだが、息子の気持ちは晴れなかった。

夕食後、息子は言った。

「あきらめない」

「え!?どうするの?」

「ビデオを作って、提案をもう一度訴える」

その夜、息子とダーリンは5時間かかってビデオを制作した。

そのビデオの中での息子のスピーチが以下である。


*:--☆--:*:--☆--:*:--☆--:*:--☆--:



委員会の皆様

僕は、〇〇〇〇・△△△△、×年生です。
先週金曜日、脳性麻痺を患う若年患者のためのチャリティー団体、ASPADISについてのプレゼンテーションを聞きました。とても考えさせられるもので、できるのなら今週、この学校でも寄付を募るため、最大限のことをしたいと思いました。

まず、寄付金を募るために目標額を決めることを考えました。チルドレン・イン・ニード(『愛は地球を救う』のようなチャリティー)などのテレソンでやるようにです。1000ユーロという金額は大した目標ではありませんが、でも、スタートとして、募金を集めるための目標となりえます。

次に、寄付金を集めるために何か励みとなるような賞品があればいいのではないかと考え、僕が坊主になったらどうだろうと思いました。ちょっと芝居がかっているように感じられるかもしれませんが、生徒たちの興味を引くことはできるのではないかと思います。

僕の髪など大した問題ではありません。1、2週間もすれば、またもとのように伸びます。でも、脳性麻痺は一生涯の問題です。そして、今、この団体への寄付金は経済的危機により枯渇しており、人々の協力を必要としています。

●●●●は素晴らしい学校です。ここでは様々な機会が与えられています。スタッフは生徒たちの学力向上に最善の努力をしてくれていますし、僕たちはこれからもずっとその期待に十分応えることができるだろうとも思います。

でも、●●●●は単に勉強するだけの場所ではありません。学校の外の世界でも僕らが日々、進歩していくことができるよう手を貸してくれています。その中には自分で考えるということも含まれていると思います。新しいアイデアを思いつき、それを実行に移す勇気をもつということです。

ここで学ぶことができないことがあるとしとしたら、それは失敗するということです。

やってみることと失敗することとの間には大きな違いがあります。やってみても必ずしもゴールに到達できるとは限りません。失敗したくないのなら、なにもしなければいいのです。

僕は少しぐらいバカみたいに見えるかもしれないことなど気にしません。そして、失敗するということも。
寧ろ、失敗からの方が成功からより多くを学ぶことができるのではないかと思っています。
と言っても、もちろん僕は成功を目的としていますが。

このチャリティーのために少しでも多くのお金を寄付してもらえるよう生徒に呼びかけるための短いビデオを作りました。
後、僕に必要なのはチャンスです。

僕の名前は、〇〇〇〇・△△△△。
僕にこの計画行う許可を与えてくださるようお願い申し上げます。


*:--☆--:*:--☆--:*:--☆--:*:--☆--:




息子は翌火曜日の朝、やはりいつもより早くに家を出て、このビデオを提出に行った。

委員会からOKが出たのはその午後だった。





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FBのWallに、作家の片山恭一さんが、玄海原発差止裁判(2012年12月7日)でされた意見陳述が紹介されていました。

素晴らしい意見陳述でした。
検索いたしましたら、ニュースに紹介がありましたので、以下に転載させて頂きます。

http://www.data-max.co.jp/2012/12/07/post_16449_ymh_2.html






『作家・片山恭一氏意見陳述~原発は、自らの文学を否定してしまいかねない』




九州電力玄海原子力発電所操業停止を求めた「原発なくそう!九州玄海訴訟」の原告で、作家の片山恭一氏が12月7日、佐賀地裁で述べた意見陳述を紹介します。



 私は文筆を生業とする者で、主に小説を書いています。学生のころから、核兵器を含め、核エネルギーという人間の技術にたいして、心情的な嫌悪と反発を感じてはきましたが、かといって積極的に反対してきたわけではありません。原発の安全性についても、多くの日本の国民と同じように、福島の事故が起こるまでは、ほとんど無関心であったと言っていいのです。そのことを強く後悔しながら、いまあらためて核エネルギーについて考えようとしています。

 福島の事故が起こってまず思ったことは、私たちは歴史上はじめて、未来の者たちから憎まれ、蔑まれる先祖になったのかもしれない、ということです。私たちは子どものころから、先人たちを敬い、感謝することを教わってきました。そうした教えは、実感ともずれていなかったと思います。この暮しは、昔の人たちが連綿として培い、築き上げてきてくれたものの上に成り立っている。そう素直に信じることができたのです。しかし今や、状況はすっかり変わってしまったと言うほかありません。未来の者たちが私たちにたいして抱く思いは、敬いでも感謝でもなく、「なんということをしてくれたのだ」という、恨みとも憎しみとも蔑みともつかない、やり場のないものではないでしょうか。

 原子カ発電は、ウラン鉱の採掘からウラン燃料の濃縮、発電に至るまで、すべての過程で多くの放射性廃棄物を産出します。高レベル放射性廃棄物の場合は、深度三百メートル以上の地層で数万年以上にわたって管理する必要があるとされています。これは「地層処分」と呼ばれ、現時点では唯一の最終処分法と考えられているものです。フィンランドでは、一億八千万年間動いてないことが確認されている花崗岩の岩盤に、深さ五百メートルの地下施設を作って、最終処分場にしようという計画が進んでいるそうです。しかし地殻変動の活発な日本では、このような地下処分は不可能でしょう。そこで今後、五十年から数百年にわたって暫定的に保存し、そのあいだに最終処分法を考えようという案が浮上しています。

 「最終処分」と言うのだそうです。放射性廃棄物の最終処分......どこかナチスのユダヤ人絶滅政策を連想させないでしょうか。「最終処分」というプロセスを伴っていることが、すでに決定的に間違っているのではないか。そう考えてみるべきではないでしょうか。地中から取り出したウラン鉱石をエネルギーに利用し、その廃棄物を最終処分する。それが地球を、あるいは世界そのものを最終処分することにならなければいいと思います。

 いったい誰が、どのような権利がおって、こんなことをはじめたのでしょう。五十年から数百年にわたって暫定的に保存すると言っても、数百年先のことなど誰にもわかりません。日本という国はなくなっているかもしれないし、人類だってどうなっているかわからない。ほとんど人間が生存するかぎり管理しつづけなければならないものを、私たち現在の自分たちの生活のためだけに作りつづけています。たった半世紀ほどのあいだに繁栄を謳歌した、地球上のごく一部の人間が、この先数万年に及ぶ人間の未来を収奪しつつあると言っていいのではないでしょうか。

 いくらノーベル賞級の知性を結集したと言っても、私たちのやったこと、やりつづけていること、将来もやりつづけようとしていることは間違いなく浅知恵です。人間は技術的に高度化すればするほど、深刻な浅はかさにとらわれていく。一流の頭脳をもった人たちが一生懸命にやっていることを集積すると、ほとんど人間性を根底から否定してしまうほどの、巨大な愚かしさが立ち現れてしまう。そういう恐ろしさ、忌まわしさが人間の技術にはある気がします。

 数十年先、数百年先には、核にたいするテクノロジーは格段に進歩しているかもしれない。原子力発電所は安全に運転されるようになっているだろうし、核燃料サイクルは確立されているだろう。「死の灰」を無毒化する方法も見つかっているかもしれない......そのように考えることが、まさに浅知恵なのです。本当の「知恵」とは、未来の者たちにより多くの選択肢をもたらすことではないでしょうか。核エネルギーの研究や開発をつづけるかどうかは、あくまで未来の人たちが判断することです。これまでに生み出された放射性廃棄物を処理するためだけにも、彼らは否応なしに、核エネルギーの問題に取り組みつづけなければならない。このことをとっても、すでに私たちは、既定の未来を彼らに押しつけているのです。将来に不確かな期待をもつことは、さらに彼らの未来を収奪しつづけることになるでしょう。数万年以上にわたり貯蔵・保管しなければならない物質を生み出すような技術を、過去に人間はもったことがありません。この厄介な物質をどうするかということは、私たちがはじめて考えなければならないことです。ここに原子カ発電という技術に伴う、大きな倫理的空白が生じているのです。この空白に付け入ってはならないと思います。それはかならず大切な人間性を損ない、私たちをいかがわしい生き物にしてしまいます。

 最後に、私がたずさわっている文学の話をさせてもらいたいと思います。文学とは本来、人間の可能性を探るものです。人間はどのようなものでありうるか。小説とは、それをフィクションという設定のなかで問うものだと、私は考えています。核エネルギーとともにあることで、私たちは人間の可能性を探ることができなくなってしまいます。なぜなら核廃棄物という、自分たちに解決できないものを押しつけるというかたちで、私たちは数万年先の人間を規定し、彼らの自由を奪ってしまっているからです。少なくとも私のなかでは、核エネルギーの問題を放置して小説を書きつづけることは、自らの文学を否定してじまいかねない矛盾と欺瞞を抱えることになります。これが原子力発電所の廃絶を求める裁判に、私が参加しているいちばん大きな理由です。

 自分はいかなる者でありうるか、ということをあらためて考えたいと思います。私たちが個人でなしうることは、一人の人間の身の丈を、それほど超えるものではありません。しかし私たちが「こうありたい」と望むことは、過去と未来を貫いて、人間全体を眺望しうるものです。そのような眺望をもって、自分の死後に生まれる者たちと、どのようにかかわるか、いかなる関係をもちうるか。それが経済や暮らしとはまったく次元を異にする、人間の自己理解の根本にある問題です。過去を健全に引き継ぎ、歪曲されない未来を受け渡していこうとすることによって、私は自らが望むべき者でありたいと思いまず。そして私たち一人一人の人間性を深刻に損なってしまう原子カ発電からの速やかな離脱を、この裁判をとおして強く訴えたいと思います。

 以上、意見陳述を終わります。





片山恭一


<プロフィール>
片山 恭一(かたやま・きょういち)

1959年愛媛県生まれ。福岡県在住。九州大学卒業。1986年に「気配」で文学界新人賞受賞。主な著書に「満月の夜、モビイ・ディックが」「きみの知らないところで世界は動く」「船泊まりまで」「雨の日のイルカたちは」等。代表作は、故郷の宇和島市を舞台にした『世界の中心で、愛をさけぶ』















以下、〔「放射線と健康」 アーネスト・スターングラス博士〕からの転載です。
http://fujiwaratoshikazu.com/2011disaster/



 アーネスト・スターングラス博士は、ピッツバーグ医科大学放射線科の放射線物理学名誉教授です。
 1967年から同大学の放射線物理・工学研究所を指揮し、X線と放射線医療診断における放射線量を低減させる新しい投影技術の開発をしました。
 更に、放射性降下物と原子炉核廃棄物による人間の健康に対する広範囲な医学的影響調査研究を行い、その結果をアメリカ議会で発表しています。
 著書に「低レベル放射能」(1972年)、「隠された放射性降下物」(1981年)、「ビッグバン以前」(1997年)などがあります。
 現在は、ニューヨークの非営利団体である放射線と公共健康プロジェクトの科学ディレクターです。
 アメリカ物理学会会員であり、以前は北米放射線学会会員でした。
 
 2006年3月、長年に渡って低レベル放射線の危険性を訴えているアーネスト・スターングラス博士が初来日し、全国で講演会を行いました。

 スターングラス博士は、アメリカとソ連が核実験を繰り返していた冷戦当時、核実験の死の灰(放射性降下物質)による放射線の影響で世界の子どもたちの白血病やガンが急増している事実を議会で報告し、それがきっかけとなって米ソ核実験停止条約が締結されました。




 Ernest sternglass






 以下は2006年青森市での講演記録です。

 私が原子力発電所からの放射線拡散に興味を持つことになったのは、最初の子どもが生まれた時です。ピッツバーグで、ちょうど家を建てていました。
 当時は冷戦最中で、死の灰から身を守るために核シェルターを作らなければならないと言われていました。私 はアメリカ科学者同盟(Federation of American Scientists)のメンバーでしたが、ずっと前から私たちは米ソ軍備競争は止めなければならないと警告していました。
 当時、政府が、核爆発を何回行いその放射性降下物(死の灰:Fall Out)がどこに行ったのかという報告書を初めて出したので、私たちはそれを調査していました。

 議会で公聴会が開かれ、その際イギリスのアリス・スチュワート博士の論文が報告されました。スチュワート博士はオクスフォード大学で、イギリスの子どものガンや白血病が急増している原因について研究していました。
 彼女はガンや白血病になった子のお母さんのグループと健康なこどものお母さんのグループに100の質問ア ンケートを送りました。アンケートを回収すると驚いたことに、10歳未満のガンや白血病の子どものお母さんたちが妊娠中にエックス線を浴びていたことがわ かりました。それが、わずかな放射線でも人体には影響を与えることの初めてヒントになりました。つぎのグラフがその研究結果です。




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 スチュワート博士が発見したのは、数回のエックス線照射でガン発生率が倍増することです。この際、1回の エックス線の放射線量とは、自然界の環境放射線の約2年分に相当します。この放射線量というのは、大人にガンを発生させる量に比べるとその10分の1から 100分の1に相当します。赤ちゃんや胎児は100倍も影響を受けるのです。また妊娠3ヶ月未満にエックス線を浴びたお母さんの子どもの幾人かは、ほかの お母さんのこどもより10〜15倍ガンの発生率が高かったのです。

 政府は(核戦争があっても)核シェルターから出てきてもまったく安全だと言いましたが、それは1000ラッドの放射線量の環境に出てくるわけです。それはエックス線を数千回浴びることに相当するわけですから、子どもたちが生き延びることは不可能です。
 ですから、このような人類の惨禍を防ぐために核兵器を廃絶しなければなりません。それで、私は、核実験の後のアメリカの子どもたちにどのような影響があるのか調べ始めました。




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 上の図は、乳児1000人に対する死亡率を示しています。
 年ごとに始めは下降していきますが、途中で急に下降が止まります。それはネバダの核実験が始まったときです。それ以降、核実験のたびに乳児死亡率も合わせて上昇しています。これは米ソ英による大気核実験停止条約が締結される1963年まで続きます。
 しかし、中国とフランスは核実験をつづけました。1961年に北シベリアでソ連が5000万トンのTNT 爆弾に相当する巨大な原爆実験をしました。広島原爆は1万キロトンTNTでした。広島の5千倍の威力の原爆です。これは北半球に住む人間全員に腹部エック ス線照射をしたことになります。これから世界中の子どもたちにガンや白血病が発生することが予想されます。

 そしてその後、実際にそうなりました。私は核実験を止めないと世界中の子どもたちにガンや白血病が発生す ることになるとサイエンス誌で警告しました。幸いなことに当時、ソ連のフルシチョフ首相と核実験停止条約を結ぼうとしていたケネディ大統領のもとで働いて いた友人がホワイトハウスにいました。
 しかし、条約が締結されるには議会の上院での承認が必要です。そこでケネディ大統領はテレビとラジオで演説し「われわれの子どもたちの骨に含まれるストロンチウム90や血液中の白血病細胞をなくすために核実験をやめなければいけない」と国民に呼び掛けまし た。するとたくさんの女性が乳母車でホワイトハウスを囲んだのです。また上院議員たちに手紙を書き、電話をしました。

 私は議会で証言する必要があると言われました。それから約1ヶ月後の8月にワシントンに行って議会で証言するようにという手紙を受け取りました。幸いにも、ハーバード大学のブライアン・マクマーン博士がスチュワート博士と同じ研究をアメリカ国内で行っていて、同様な結果を得ていました。
 エドワード・テラー博士が、核実験は継続するべきだと証言しましたが、合衆国上院は条約批准賛成の投票をしました。
 すると幸いなことに、その後乳児死亡率が下がったのです。しかし、すべての州でベースライン(核実験がなかった場合に予想される乳児死亡率)に戻ったわけではありませんでした。




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 多くの州では乳児死亡率の下降が止まってしまいました。ベースラインとの差がまだありました。




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 乳児の死亡の主な原因は、多くの場合、出産時の体重が平均よりも低体重(2キロ以下)であることが考えられます。乳児の低体重率は条約締結後に低下し、そのまま降下するはずでした。
 しかし、2つのことが起こりました。
 ペンシルバニアでスリーマイル島事故と呼ばれる大きな災害が起こりました。ハリスバーグ近辺の原子力発電所の原子炉事故です。その後しばらくして乳児低体重率の下降が止まり上昇し始めました。
 それから1986年のチェルノブイリ原発事故です。それにより放射性降下物質が世界中に広がりました。
 低体重率はその後上昇し、大気核実験が行われていた時期と同じレベルに戻ってしまいました。このころから明らかになったことは、放射性降下物(Nuclear Fallout)が、原子炉事故と原子力発電所の通常運転による放出にとって替わられたと考えられることです。

 低体重で生まれた子は、深刻な知的およびほかの肉体的な問題を抱えています。とくに初期の学習能力障害や後期の精神障害などです。





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 この表はたくさんの原子炉がある州(ニューヨーク、ニュージャージー、イリノイ、フロリダ、カリフォルニア)と無い州との(乳幼児死亡率)比較です。
 ご覧のように核実験中は下降が停止して横ばいになっていますが、(核実験が終わっても)もとのベースライ ンに戻ることはありません。ところが原子力発電所が無いネバダでは核実験が終わるとベースラインに戻っています。ほかの原子炉が無いニューメキシコ、ケン タッキー、ワイオミングなどの州も同様です。
 これは、原子力発電所の原子炉が関係していることを示す非常に明確な証拠です。

 われわれはこのことを確証するために他の証拠を探しました。




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 1935年から乳幼児死亡率は年率約4%ほどで下がって行きます。それはベースラインにそって下がっていくはずだったのですが、上昇し始め、核実験期間中に1958年にピークになり、その後下がって行きますがベースラインまでに戻ることはありませんでした。
 その結果、「なにも無ければ」という想定数値に比べ100万の乳児が死んだことになります。

 重要なことは、アメリカ国民全員が被曝している事実です。




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 上の図は7、8歳になったこどもから取れた乳歯に含まれているストロンチウム90の値で、骨に蓄積していることがわかります。
 この表から60年代前半に、乳歯中のストロンチウム90が環境中のストロンチウム90の値を反映していることがわかります。
 核実験が終わると下降しますが、その後、下降が止まり横ばい状態になります。ちょうどこの頃、アメリカでは大規模な原子力発電所が操業開始しました。それは日本も同じです。
 それ以降80年代中頃になっても横ばいが続きます。そして最近になってまた上昇し始めました。
 このことからも、一見何も無いような平和的な原子力発電所の日常運転による放出も核実験中と同様に、ストロンチウム90の原因であるという重大な事実がわかります。
 86〜89年に少し減少しているのは原子力発電所の稼働率減少や閉鎖されたことによる影響でしょう。
 重要なことは、その後数年にわたって上昇しつづけていることです。
 また、ガンになった子どもにはガンにならないこどもの倍のストロンチウム90があることが分かりました。




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 これまでに、私たちはほぼ5000本の乳歯を調査しました。この表からも、どうしてこのようなことが起きているのかを理解することができます。
 上は政府が発表したミルク中のストロンチウム90の値です。コネチカットのミルストーン原発からの距離との関係を示しています。
 この原発から数マイル(1マイル=1.6キロ)以内に住んでいる人たちのレベルは、大気核実験中の時の最高値よりも高くなっています。
 それと同じ原子力発電所がある日本では、なにも危険なものは出していないと言われています。これはジェネ ラル・エレクトリック(GE)の原子炉です。表から、100マイル(160キロ)離れていてもミルク中には高いレベルのストロンチウム90が含まれている ことがわかります。
 多くの原子炉を抱える日本ではその周囲が非常に放射能汚染されていることが予想されます。



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 上の表から、1970年から1975年にかけて、ガン死亡率が原発からの距離に比例して低くなっていることがわかります。
 原子炉があるところでは、わずか5年間で58%死亡率が上昇しました。これから、ガンが原子炉からの核物質放出を明瞭に反映するインジケーター(指標)であることがわかります。
 しかし、今だに「原子力発電はクリーンだ」と宣伝されています。放射能は見えない、臭わない、味もしないからです。理想的な毒です。

 コネチカットでは1935年からの甲状腺がんのデータがあります。甲状腺がんに罹ったひとは政府に報告する義務がありました。これは死亡率ではなくガン発生率です。





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 1935年〜1945年では変化がなく、むしろ減少経過があります。そして医療の向上や改善によってさらに減少するはずでした。
 しかし1945年からわずか5年間で3倍にもなります。そして大気核実験のピークから5年たった1965年に再び上昇します。 
 また、大きなミルストーン原子力発電所が稼働し始めてから5年後に急激な上昇がはじまります。
 チェルノブイリの事故から5年後に大きな上昇が起こります。

 ここで重要なことは、甲状腺ガン発生率の増大が医療の向上を反映していない事実です。ガン発生率が0.8から4.5に5倍も増大したことは統計的にも小さな変化ではあり得ません。




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 これは同地域の乳がん発生率です。同じように1935年から1945年までガンの発生率は上昇していません。
 実際、多少減少傾向にあります。そして核実験中に上昇し、1967年にコネチカットで最初のハダムネック原子炉が稼働すると急激に上昇します。
 1970年にミルストーン原子炉が稼働するとその5〜8年後に大きく上昇します。
日本でも同じような研究をすべきでしょう。




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 政府は「肺がんやその他の病気は喫煙が原因だ」とみなさんに信じてほしいと思っています。
 大規模な核実験が終わった1961〜62年から1990年までに、18歳以上の女性の肺がん死亡率は5倍以上になっています。
 実際には女性の喫煙率はどんどん落ちているのです。

 世界中の政府や国際原子力安全委員会などは「放射能による影響はガンと子どもの先天性障害だけだ」とみなさんに信じ込ませようとしています。
 しかし実はさまざまな面で健康に影響を及ぼしているのです。




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 乳児死亡率や低体重児出産のほかに糖尿病があります。
 1981年から2002年の間にアメリカの糖尿病罹患者は580万から1330万に増加しました。それと同時に原子力発電所の稼働率は40〜50%から92%に増大しています。(注:アメリカ国内の原子力発電所の建設は1978年以来ないので稼働率が発電量を反映する)
 原子炉の検査やメンテナンスや修理の時間がより減少してきたことがあります。その結果、振動によってひび割れや放射能漏れが起きています。

 1959年ドイツのスポーディ博士などのグループがストロンチウム90をたくさんの実験動物に与えまし た。それらは当初カルシウムのように骨に蓄積すると予想されていたのですが、実験室がイットリウム90のガスで充満していることを発見しました。イットリ ウム90は、ストロンチウム90の核から電子がはじき出されると生成する元素です。このようにストロンチウム90からイットリウム90に変換します。
 そこで実験動物の内蔵を調べた結果、ほかの臓器にくらべ膵臓にもっともイットリウム90が蓄積していることが判明しました。
 また、肺にも蓄積されていましたが、それはラットの肺から排出された空気中のイットリウム90をまた吸い込んだためだと考えられます。
 膵臓はそのβ細胞からインシュリンを分泌する重要な臓器です。それがダメージを受けるとタイプ2の糖尿病 になり、血糖値を増大させます。膵臓が完全に破壊されるとタイプ1の糖尿病になり、つねにインシュリン注射が必要になります。おもに若年層の糖尿病の5〜 10%はタイプ1です。
 アメリカと日本に共通していることですが、ともに膵臓がんの数が非常に増加しています。




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 アメリカの普通死亡率推移(1900〜1999)。
 これは乳幼児死亡率、肺がん、膵臓がん、乳がんなどすべてのガン、糖尿病などのすべての死亡率(1000人中)の総計です。
 1900年から1945年までは年率約2%で死亡率が下がって行きました。
 唯一の例外は1918年に世界的に流行したインフルエンザの時です。このときはアメリカも日本も世界中が影響を受けました。

 この間ずっと、化学物質や喫煙率も増えているのにもかかわらず、死亡率は減少しています。それはネバダの核実験が始まる1951年ころまで続きます。
 そして核実験が終わって少し下がりますが、やがてほとんど下がらずに横ばい状態が続きます。

 予想死亡率減少ラインから上の実際の死亡率ラインとの比較から、アメリカでこの間2000万人が余計に死んだことになります。
 広島や長崎で死んだ人の数よりはるかに多くの数です。




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 これは日本の膵臓がん死亡率のチャートです。
 前述したように、1930年から1945年ころまでは低く、まったく変化がありません。
 しかし、1962〜63年ころまでには12倍に増加しています。これは東北大学医学部環境衛生の瀬木三雄博士たちの1965年のデータです。

 これからお話しすることは本当に信じられないことです。
 この12倍になった死亡率が、2003年までには、さらにその3倍から4倍になったのです。
 ストロンチウム90やイットリウムが環境に放出されることがなければ、膵臓がんの死亡率は減少していたでしょう。
 アメリカでは約2倍になっています。




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 これは同じ東北大学のデータで、日本の5〜9歳男の子のガン死亡率チャートです。
 1935年から1947年までは、実際に死亡率が減少しています。
 それ以降、ソ連の核実験やアメリカの太平洋での核実験が度重なるにつれ、6倍に上昇しています。
 そして、これ以降もさらに増加していることがわかっています。

 これらのデータは政府刊行物である「人口動態統計」からとりました。このような詳細にわたる統計は世界でもいままで見たことがありません。




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 同様に東北大学のデータです。これはアメリカ(非白人)と日本の男性のガン死亡率を比べたものです。

 1920年から1945年まで、この間、喫煙率や化学物質の量が増加し、また石油、ガス、石炭の消費量増加による大気汚染も増加しているにもかかわらず、日本ではほとんどガンの増加はありません。非常に重要なのは、このことを理解しないと放射能を理解することができません。
 1945年以降ガン死亡率が急に上昇し、1962年にまでに42%増加します。
 それ以前にアメリカと日本で少し減少したところがありますが、これは核実験を一時停止した時期です。

 これらは核降下物の低レベル放射線が原因であることの強力な証拠です。
 しかし、政府は、その量があまりにも低すぎて検出できないと主張しています。




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 これは1970年以降の日本の原子力エネルギー生産量を示したものです。一時増加が止まった時期もありますが、最近では急激に上昇しています。これは原子炉の稼働率をなるべき上げるようにしているからです。アメリカも同じです。




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 1950年から2003年までの、さまざまなガンによる男女別死亡率の推移です。
これを見るとわかるように、1970年ころから急に上昇し始めますが、1950年ころからすでに上昇し始めています。
 もっとも増加したのは男女とも肺がんです。大腸がんは女性の方がやや高いですが、やはり急激に上昇しています。膵臓がんは1962年までにすでに12倍に増えていますが、さらに大幅に上昇しつづけています。

 このことから、日本になぜアメリカの倍の糖尿病があるのかという説明になります。





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 1899年から2003年までの主要死因別死亡率の推移です。これは男性女性を合わせたものです。
 1900年代初頭は世界的な疫病が流行し、1918年に肺炎死亡率がピークになってやがて降下していきます。
 抗生物質の出現で肺炎を含む感染性疾患は1990年ころまでに減少します。
 ではガンはどうでしょう。現在日本中の最大の死亡原因はガンです。

 東北大学の瀬木博士が指摘しているように、1962年ころまではガンの大きな増加はありません。
 それまでの感染症(伝染病)が増加した20〜30年間にガンは多少増加していますが、これはガン全体の20%がバクテリアやウイルス感染に起因することが影響しています。感染症が横ばいになると、ガンも同様に1945年まで変化しません。

 その後1947年ごろから急激にガンが上昇し始めます。
 そして1966年商業用原子力発電所の放出が始まるとさらに上昇します。

 もし、これらが核実験によるものであるのなら減少していかなければならないはずです。ところが実際には、ガンの早期発見や治療法の向上にもかかわらず、ガン死亡率は増加しつづけています。

 1990年代はじめから急激なガン死亡率の上昇が見られます。
 このときに放射性物質を含む劣化ウラン兵器がアフガニスタン戦争やイラク戦争で用いられました。それが世界中を回っているのです。

 ですから、平和的な原子力発電所の放出から平和的な劣化ウラン兵器に置き換わったわけです。安すぎて計量できないと言われたクリーン原子力エネルギーのおかげというわけです。




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 1899年から2003年までの死亡数と死亡率の推移です。
世界的なインフルエンザ大流行の時期に大きなピーク(1918年)があります。
その後下降し、広島・長崎原爆後も、また核実験が終わったあとでも下降しています。

 それは、その後もそのまま下降するはずでした。ところが1970年ごろから下降が止まります。そして1990年ころになって、1918年以来はじめて上昇し始めます。
 これから国の医療費の負担が、いかほどになったか想像できるでしょう。国の将来を担う新生児が影響を受けているのです。

 赤ちゃんだけではありません。死ななくともいい人びとが多く死んでいるのです。
 巨大な軍事費の代わりに、あなたの国はなんとか死亡率を下げようと巨大な医療支出を被っています。
 どなたか広島・長崎以降の国家医療費の総計を、原子力発電所の推移とくらべて調べてみるといいでしょう。

 これが私のみなさんへのメッセージです。
 民主主義のもとで選ばれた、みなさんを代表する議員たちにこのことを伝えてください。
 私たちがホワイトハウスを乳母車で囲んだように、みなさんも乳母車で国会を囲んでください。

 ありがとうございました。

訳文責:森田 玄(ハーモニクスライフセンター)



『人間と環境への低レベル放射能の脅威―福島原発放射能汚染を考えるために』 [単行本]
ラルフ・グロイブ (著), アーネスト・スターングラス (著), 肥田 舜太郎 (翻訳), 竹野内真理 (翻訳)

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スターングラス博士インタビュー
http://blog.livedoor.jp/ygjumi/archives/67311416.html







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