徒然なるままに。

占い師 北條 義明のblog。 日々の出来事、他愛もないこと、思っていることを書きます。

人の了見と神様の了見。

私が禁酒を破ったことにおいて、幾ばくかの反響がありました。


自己都合で破ったのではないし、知人への恩義のためだから重く考えなくても良いのではないでしょうか?


むしろ良いことをしたと思います。


などコメントやメッセージをいただきました。
(私のblogへコメントを送っても私の許可がなければ公開されることはありません。それは占いをしてほしいと依頼してくださる方が生年月日や個人情報を送ってくるための配慮です。)


私が禁酒を破ったのは自分の意思でしたものです。


知人と一緒に酒を飲むことが最善だと判断したので、そこに後悔はありません。


でもそれは人としての了見。


私の禁酒は神様との約束なんです。


なのでどんな理由があったとしても、神様の了見で考えなければならずその報いはあります。


それを承知の上で破りました。


それでも神様はそんなことで怒ったり、障ったりするわけないと思う人や言う人もいますよね?


実際に知人に言われたことがありますし、私も昔はそう思ってました。


でもそれって人の了見で神様を判断しようとしてるから出てくる思考なんですよね。


確かに神様は慈愛に満ちていて万人を守っておられると思います。


そこに個人差はないと思います。


ただ人は多かれ少なかれ欲望や不満があります。


それらを何とかしたいと思っているものです。


そして神社仏閣へ行き、○○してください、○○なりますようにと神様に願掛けをします。


本来、神社仏閣へは日頃の御加護や無事を感謝するのが在るべき姿だと思いますが、特に日本ではその限りではなく願掛けをする人が多いというのが実情だと思います。(私もそうです。)


その善悪ではなく、願掛けをした時点で特別に神様に私のために何かをしてくださいとお願いしたということなので、神様への感謝と配慮は必要なんだと思います。


配慮をしないから必ずしも障るわけではないでしょうけど、願掛けは叶いにくくなるのかなと思います。


比較的、優しい神様は多少の不備は大目に見てくださるでしょうけど、その人に相応な願い以外は叶えてくださらないことが多いように思います。


厳しい神様は配慮も大変ですが、それらを怠らなければ叶えてくださる願いは幅広いと思います。


どちらの神様でも感謝し上手に配慮をして付き合っていければ、効果を実感することは出来るでしょうが、人の了見や己の欲望に捉われてしまっては実感出来るものも出来なくなってしまいます。


それは味覚と似ていて敏感な人は薄味でも実感出来ますが、敏感でない人は濃い味でないと実感しにくいと思います。


感性の鋭い人やchannelingが出来る人は神様から直接、アドバイスをいただけたりします。


そうでない人でも他人の言葉を介してだったり、夢で教えてくれたり、何かの媒体を介して何とかメッセージを送ろうとしてくれます。


どのような神様と御縁が生じるかはわかりませんが、こちらから望む縁よりも神様から望まれた縁のほうが強いのではないかと思ってしまうのは私だけでしょうか。


神様へは神様の了見で接するのが、不備も少なく物事を円滑に進むポイントだと思います。


三年前にも事情があって、禁酒を破ったことがあります。


そのときは私も安易に考えていましたが、相応の報いがありました。


なので今回も覚悟しています。


まぁまた禁酒は続けますけどね。

禁を破っても。

私は六年前から禁酒をしている。


それを破っても、こういう時は一緒に酒を飲むというのが人間らしいのではないだろうか?


もしその報いがあるのならば、甘んじて受ける。


そもそも酒を禁じたことをこのタイミングで今一度考えることになるとは…。


あの時、何の気なしに望んだものは思っていたよりも難しいものだったと気づくのには二年ぐらい時間がかかった。


あの時と今とは状況も見えてるものも違う。


けれどそれを言い訳にして今を正当化するのは、自分に甘えることになってしまう。


今迄、歩んできた道を否定するつもりはないけれど、もっと真摯に向き合えたのではないだろうか?


そう思うぐらいなら納得するまで、真摯に向き合えばいい。


結論はハナから決まってる。


昔は見栄を張って、ウサギとカメの休まないウサギになれば良いなんて思ったこともあるけど、休まないウサギになれなくてもカメで良い。


そのかわり何があっても先に進む。

続、北の一等星。

京都に来ています。


知人がひとつの大きな節目を迎えて、夢を諦めることになった。


知人からその報せを聞く前に友人からそのことは聞いていたので、近いうちに連絡が来るかもしれないと想定はしていた。


これは規則だから致し方ない。


他人がとやかく言う資格もないし、話を聞くことしか出来ない。


いや、話を聞くだけで良いのかもしれない。


ずっとひとつの道を邁進して、当事者にしかわからないことも沢山ある。


普段全く酒を飲まない知人に酒を酌み交わしたいと言われては断れない。


こういうときは何も語らず、ただ寄り添うだけで良い。
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