POPよもやま

POPな気持ち・ROCKな気持ち・SOULな気持ちなど、日々の泡を書きます。

ジェイムス・テイラーのこと

初めて聴いたのは70年、11月くらいの深夜放送、10時台の15分番組。そのあとの長い帯番組の前からラジオ聴いてたんよな、当時は。で、「ファイヤー&レイン」のあのイントロとあの声が、新鮮に地味で「ハっ」とした。で、いきなりいいとは思わなかった。地味で。

次に聴いたのが、71年の夏、「君の友達」のJTバージョンで。これもラジオで新しいアルバムが出るのでかけます、みたいな。で、あの曲、AMラジオで聴いたら凄くビートがファンキーに聴こえるんよ。それとコーラスの清涼感が残ってね。その時にアルバム「マッドスライド」からあと2曲くらいかかって、全部同じように聴こえたけど、涼しい感じが良かったんでアルバム買った。でも、そんなに聴かなかったんよな。ところがウクレレとかギターとか触り始めると、急にこのアルバムの高度な音楽性が気になってきて。それと秋に出たはっぴいえんどの「風街」の細野さん曲が、まったくこのアルバムの感じやったのとで、一気にこのアルバムにのめり込んだなあ。

だから僕は3枚目から聞いて、2枚目⇒1枚目とたどった。そうすると分かるんよな、3枚目がなぜ出来たかが。JTって今でもそうやけど、「自分のスタイルに必要な分だけ成長する人」なんよ。で、1枚目はともかく、2,3枚目のピーターアッシャーのプロデュース期に自分たちチームの製作方法を見つけて、それがほぼ宅録の4枚目「ワンマン・ドッグ」で完成、セッションマンも呼ぶ余裕が出来たんやろな。

僕はこの「ワンマンドッグ」に、今に続くJTの全ての要素があると思う。やりたい音楽の感じを全部ここで出してるもんね。フォーク、ジャズ、ファンク、ラテン、賛美歌、ゴスペル…。幸いにも、73年には全アルバム聴けていて、かつ何曲かはギターのコピーもしていた僕は、このアルバムでドーンと出てきたJTの音楽素養に圧倒されたんよな。で、ここまでが僕的には第一期JTなんよ。

74年の「ウォーキン・マン」は、びっくりしたな。まずプロデュースにDスピノザが絡んでるのと、それまで一緒に音楽を創ってきた名グループ「ザ・セクション」ではなく、NYのスタジオメンがバックを作ってること、何より、「ヴォーカリストのJT」に焦点を当てた音作りね。このアルバムから次の「ゴリラ」「イン・ザ・ポケット」が、「ヴォーカリスト3部作」と思ってる。

実際、1曲目の声の鳴りにびっくり。つやつやで太いし、バランスも大きい。明らかに今までと録音方法や加工法がちがう。JTも意識して、今までと違う作風の歌も沢山作ってるし。あ、それとアコギの音も変わった。加工気味のブライトな感じにね。これらはその後2作に引き継がれる方向になったんやけどね。特にこの後の「ゴリラ」「イン・ザ・ポケット」は、当時バーバンクサウンドといわれてドゥービーなんかも手がけていたレニーワーロンカーとラス・タイトルマンのプロデュースで、さらにPOPにゴージャスになった。ヴォーカルアルバムとしてね。

この辺(76年)までは、JTは新しい流れに敏感なミュージシャンに見えた。「ワンマンドッグ」までは世の中のシンガー・ソングライターブームを牽引していたし、その後は後のフュージョンやAORにつながるジャズ・POPっぽい作風を74年にやってたと。…で、そんな作風は当時のシンガーソングライターに影響を与えなかったはずがない。リアルタイムに聴いていたものからすると「イン・ザ・ポケット」までは当時最先端のPOPをずーっと提供してくれてたな、JTは。僕的には、ここまでが第二期。

ここからは、本当の黄金期やろな、JTの。流行に左右されない、JT自身がスタンダードになった感のある時期に突入。単に<シンガーソングライター>とか<名ギタリスト>とかじゃない、このひと自身がジャンルになった感じがあるな。photo

77年のアルバム「JT」。愛称がアルバムタイトルという自信。正直、僕はボズの「シルク・ディグリーズ」やネッド・ドヒニー「ハードキャンディー」など、かつてJTが始めたAOR路線でさらに先に行ってるアルバムが売れるのは分かったし、その音楽が主流になることも想像できたけど、自分はもういいわ、と思ってて。飽きたのと僕が音楽に求めたものがなかったから、それらには。76年から77年の気分はそんなところ。そこに「JT」がリリースされた。

ジャケ見てうれしかったのが、かつての仲間で音を作ってるところ。正直「ホッ」とした。でも、AOR系だったらいやなので、後輩にまず買わせて、録音して聴いたら、素晴らしかった。さっきも書いたように、JTはこのアルバムから自分の音楽を作り出していく。同時に、スタジアム・クラスのライヴを行うようにもなって。国中から尊敬されるミュージシャンになった感があった。そして、その規模が大きくなって今も続いていると。

僕は、JTをずっと見続けてきて良かったと思う。それこそ、知り合いの人生を時々気にしているような感じで、大成功からの円熟も、そこからの枯れ方も見てると、規模は違うけど僕らの暮らしぶりとそんなに変わらない機微があるようで、うれしくなる。

あとは長生きや、JT。たのむで。



このごろは

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長いことほおってしまったなあ、ここも。
ごらんの画像は、ここ最近のライヴとギター。百田とのは、東京:西荻窪のTERRAで。このライヴは凄くよかった。自分的にね。なんか、音楽やる自分が久々に全開になり、ほかの事は一切考えないで回りの音聞いて反応して、みんなでいい音楽が作れたと。やっぱりこのレベルでプレイしないとイカンよなあ!と改めて思った次第です。

帰ってからすぐ、ジャマーのワンマン。前日の練習でドラムの柳生にかなりハードな要求をしたのは、東京のライヴの影響やわ。でも、あいつも真剣に捉えて努力してくれたから、出音は結果オーライやったな。ただ、オールドのPA担当が流動的なんで、リハのときに僕が卓に行って触りながらの調整になったのが残念で。本番では出音にまで気を配ることになったんで、神経質になったところがあった。

で、そのときに使ったのがこのエピフォン。エレアコで、生音はあんまり大きな音は出ませんが、バランスのいい、気持ちいい響きなんで好きで。ジャマーのライヴではラインでいい音が出たしね。このギター、今ではマホボディーのとかブラックのとかバリエーションが出てきて、人気があるようで。わかる。買った人はみんな愛着持ってると思う。ギブソン「みたいな」音が出るし、PUついてるから使いやすいし、実はペグが高性能でチューニングしやすいし。これで3万円以下って、そんなんアリですか?って感じ。僕も大好きで、最近の「ちょっと持ち出しギター」No.1に昇格してる。

今度14日に、イクちゃんとライヴやる時にも、マーチンと一緒に持ってこうと思ってるしな。曲によってはこいつのほうがいい感じになるのがあるかな。マーチンはOMC-1Eというエレアコのつもりやけど、一人だけで全ステージやる時にはD18を持ち出したいな。弾きながら歌ってて自分に聴こえる音は、今はD18が一番好きやし。…とか、迷いながら考えてる段階が一番楽しいな。

まあ、そんなんで。何も変わったところのない最近です。

ネガポジでのライヴ

33_n先週の土曜日、京都:ネガポジでのライヴは、本当にうれしかったんよなあ。シラカワたちのバンド「バグース」がCDをリリースした記念ライヴのゲストで、30分程度ソロで歌ってきたんやけど、会場の平均年齢が35歳くらい、僕の知り合いがいな
かったらなんと平均25歳の聴き手に、僕自身もびっくりの受け方したのでした。

 シラカワたちに話を聞くと、あの店にはオーナーやブッキングマネージャーを好きで出入りしている「常連さん」が結構いて、あの日も彼らが来ていたと。これは感心した。今時のライヴハウスで、そんなお客さんを持っていることがすばらしいと思う。で、彼らは演者の良し悪しにはシビアで、つまらない音楽には非常に冷たいらしい。・・・・なんかこれって、70年代のライヴハウス体質やんかって思うわけよ。そう言えば、シラカワたちには所謂チケットノルマで呼んだお客さんがいなかったみたいやし、僕の前のバンドもそういった「清算の緊張」みたいなのが皆無やった。だから、あの日は僕らが声かけた人たちと「常連さん」が相手やったみたい。で、勿論、僕は彼らを知らない。

 僕にしたら、初めての店・初めてのお客さんってのは、やっぱり緊張する。年取ってからは、予測不能な状態ほど怖いものはない。だからその緊張を解くために、僕はリハ後、スタッフだけの店でピアノで歌うってのをよくやる。これは落ち着くんよ。だんだんにこの店にいる自分がリアルになってくる。数曲目で、その場で歌ってる肉体に心が入り、足が地に着く感じがある。こうなったらもう、普段と同じ。リラックスして本番を待つ。

 一つ目のバンドがいい空気で終わり、僕の番や。この日はもう一つ緊張する要素があって、それは、ギターが初めて人前でラインつないで鳴らすマーチンのエレアコやったこと。リハのモニターの音は、太くて綺麗な音で、自分でも「おー」って思ったくらいのいい音で。ただ本番ではお客さんが音を吸うので多少変わる。案の定、少しディケイ(減衰)が早くなった。ま、いいか。と始めたら、すかさずオペのエゾエ君がリバーブを足す。ええがな。いい耳してる。で、肩慣らしに「People get ready」をみんなに声だしてもらいながら終了。掴めた感があったので、そのままオリジナルに突入し、盛り上がりながら終了。で、シラカワが気を使って「サムクックの歌、やってー!」ってなり、そこでもみんなを巻き込んで盛り上がり、本当に終了。041_n
「シーーーーーン」と「ギャーーーーー」の落差が凄い、いい場が作れた。

 幸せだったのは、お客さんが音楽そのものが大好きな人達しかいなかったこと。シラカワやチタルは、僕と同年代の音楽ファンよりも沢山の音楽を聴いてるし、そんなヤツラのバンドが好きなお客さんやから、よく知ってる、洋楽。それがうれしかった。サムクックの通称「セミ・ヨーデル」という歌い方を聴いて「おお!」ってどよめきが上がったのは、初めてやったし、掛け合いにも即応できる。

 終わってからも、いろんな人に声かけられた。みんなが紅潮したカオで話してくれて、なーんか良かったよな。

 まだこんな場があるやんか。だったら、まだ歌えるで!

秀才と天才


60年代、アメリカ西海岸のロックやPOPSは凄く面白い。それはシーンを形成していた才能が一種の背反性をもって共存していたからやろなあと。例えば南部とLA。カナダとLA。サイケデリックとシラフ。スタジオミュージシャンとライヴミュージシャン。これらの両極端が混在していたシーンであったということね。極めつけは「秀才と天才」のコントラストやろうな。その象徴的な人たちがボーンズ・ハウとブライアン・ウィルソンやと、僕は勝手に思っている。

LPPO-06-08ボーンズ・ハウは、ママス&パパス、タートルズ、アソシエイション、フィフス・ディメンションたちの大ヒットを作った名プロデューサーで名エンジニア。50年代から名だたるスタジオでのエンジニアを経て、60年代半ばから先に書いたバンドのPを担当し、次々に大ヒットを飛ばしてきた。この人のサウンドはすぐ分かる。ママパパの作品でのヴォーカル・リバーヴの使い方と端正なリズムセクション。おそらく、大半の伴奏は「レッキング・クルー」が担当しているやろな。ガッチガチにタイトやもん。67年から8年にかけては、アソシエーションの最高の作品群を録音してる。経験もセンスも知識もあるPの絶頂期かな。まさしく秀才タイプの人で、演奏もアレンジも音質も思うがままに理詰めでアレンジしている。きちっとしているシャープさが、どのレコードからも分かるもんね。

9b7567ab対してブライアン。ビーチボーイズの初期から67年までの楽曲・アレンジなどを一人で「レッキング・クルー」を使いながらやって行き、67年の「スマイル」の挫折でいったん退場する。で、ボーンズ・ハウの作品群と比べるとハッキリしてるのは、同じレッキング・クルーを使いながらもどこかリズムが緩くて、あえて無駄な楽器群があるところ。天才やと思うのは、特にペットサウンズあたりからのヴォーカルアレンジが、過去のいろんなジャンルを超え始め、「スマイル」では誰もやった事のない表現にトライしているところかな。音程のないコーラスとか、同じく「スマイル」の中の「サーフズ・アップ」の、マルチトラックでの壁のような響きのコーラスとか。ただ、ブライアンの場合は、他の職業アレンジャーと比べると、リズムアレンジに執着が小さいんよなあ。まあ、そんなもんはあの素晴らしいメロディーがカバーしてるけどね。

面白いのは、この二人が同時にLAで音楽を作っていたこと。それもコーラス主体のPOPをね。

要は、意識が全然違ったんやろうと思う。ボーンズハウは音楽職人としてヒットを狙うし、ブライアンは来るべき新しい意識の人々に聴かせるつもりで音楽を作ってるというね。65年あたりからブライアンの周りにはピンからキリまでの人間がいたらしいけど、その中でもビートルズやディランへの危機感は凄かったらしい。おそらくその危機感は音楽スタイルじゃなくて、歌っている内容やサウンドが表現している世界の新しさに怯えたんやと思うんよな。「遅れてしまう」という怖さね。

で。50年たった今でも聴かれているのは、ブライアンの音楽やと。

やっぱりね、金のためにヒット狙ってヒットさせる職人達の作る音楽は、「世間の新しい意識」を汲み取るのじゃなく、単に流行りモノを嗅ぎ取って似せていく音楽なんよな。それが悪いのではなく、そんな素性やということね。僕はボーンズ・ハウの作る音楽も大好きやしね。ただ、聴く時の気持ちは全然違う。ブライアンの音楽は僕には「必要な」音楽。それに、発想が分からない音楽。
アソシエーションのは「時々聞きたい」音楽。それと仕組みが分かる音楽。

秀才と天才は、そんな違いがあると思うわ。

「新しい夜明け」を、君と。

563あけましておめでとうです。今年もよろしく。
毎年このアルバムから新年は始めることにしてるんやけどね。タイトルが「新しい夜明け」というディラン71年のアルバムです。
もう45年も聴いてるけども全く飽きない。音楽的に見るべきものもそんなないけど、凄くいいのは、多分ディランの歌い方と、時々引っかかる凄くシンプルな歌詞があるからかもなあ。
いい言葉が随所にあるんよ。タイトルとかね。「窓の合図」とか「僕のなかの男」とか「新しい夜明け」、「ジプシーに会いに行った」…これ全部タイトルやけど、いいでしょ?フレーズにもいいのいっぱい。「三人の天使がクリスマスの朝から、通りの電線に座ってる」なんて、好きやなあ。
それとか、ディランが69年の夏にプリンストン大学から詩の賞をもらったその式典に出て、やり取りの中で喧嘩して帰ってくるその道すがらのことを歌った歌「せみが歌ってる」とか、アルクーパーが久しぶりに参加とか、60年代初めにニューヨークに出てきた頃の写真とか、いろいろエピソードもあるしね。
多分この頃のディランはウッドストックの隠遁生活から再び世の中に出始める頃で、例のベースメント・テープスよりも曲調が外向きなのも好きやな。ザ・バンドとやってないのもいい結果生んでるかな。いい意味で整理された言葉と音楽というかね。もちろんバンドとのセッションは大好きやけど、あれよりもうちょっと一般向けというか。…自伝読んだら、ファンがウッドストックの家に乱入したりで、実はこのアルバムもそんなガサガサした気持ちで創ったみたいやけど、受け取る僕は歌の世界で十分で、勝手に雪深いウッドストックの家からのディランの私信アルバムと思ってる。それでいい。作品は一人歩きすべきやと思うしね。
ディランの名盤選出には入らないこのアルバム。でも、僕にはかけがえのない1枚です。

Nヤングと鍋

54375-1ここ数日は、急に寒いねえ。誕生日付近って、こんなに寒かったかな。毎年、月が綺麗な日になることは多いわ。それは覚えてる。

一応、さそり座ってやつなんやけど、その辺生まれのミュージシャンはNヤング、Jミッチェルと、自分の音楽探求に熱心な人が多いんよ。いわゆる「こだわり」派やね。僕もそんなところがあるし。好きなこと・いやな事がハッキリしてる。

昔から、水の星座にはミュージシャンが多いけども、うお座・かに座に結構多いんかな?細野さんもそうやしね。あ、というか音楽が好きな人が多いのかな。

先の2人はそういやカナダ生まれやな。やっぱいまだに凄く惹かれる。時代超えてるし。特にこの時期から年末くらいまでは、この2人の音楽を聴くことも多いな。「アフター・ザ・ゴールドラッシュ」なんて、今聴くのが最高やもんな。

昔、冬に友達の部屋で鍋食いながら二ールヤングかけたことあって、それは失敗やった。合わんわな。みんなでワイワイ聴く音楽ではないわな。鍋のときは不思議とサッチモがあうんよな。あとナット・キングコール。60年代以降のロックは全滅やな、鍋は。 あ、でもスタックスの「ソウルクリスマス」は鍋、行ける気がする。オーティスとかキングカーティス、ええやろなー。

ジャマーで歌った

先週の磔磔でのライヴで、初めてのお披露目になった曲「woodstock」です。

まあ、ロックやPOPが好きな人で、僕より5歳上くらいから3才下くらいまでの世代にとって、「ウッドストック」という言葉には特別な感慨があると思います。例えば僕は、毎年8月15日にはあの映画のヴィデオを見るし、あのフェス関連の本は3冊読んだし、とかね。 だから歌にしておこうと思って。

この動画は、ジャマーのタニマチ・ユキちゃんが撮ってくれて、最初facebookでアップされていたのを僕がシェアして、リクエストが多かったんでyoutubeに上げなおしたものです。ユキちゃん、ありがとう。

京都のライヴハウス

_nsecuredownload・・・やっぱり京都のライヴハウスでのライヴは楽しいなと思う。特に拾得や磔磔は。他の都市のライヴハウスとは明らかに違う。京都でしか生まれ得ないモノがハコにあると思う。これは、京都だけで活動しているバンドマンたちには分からないかもしれん。彼らには当たり前で、他府県の人にはない感覚。「他と違うことをやるから人前に出るんでしょ?」って感覚。そして出るからには磨き上げる意地。出る人がそんな風にプライド持って自分を高めるのは、質の低いものをハコが認めないから。お客さんが認めないから。そんな風に、73年の成り立ちから、京都のライヴハウスはみんなが育てた「文化」なんよ。特に先の2つの店は。

29日。土曜日。こんないい日に、ジャマーはイナヅマホーンズ、ポロリーズとやらしてもらった。きっかけは2年前の拾得のタイバン。その後、今年の5月にイナヅマの人が磔磔のジャマーを見てくれて「またやろか」と誘ってくれたって事。強力なR&Bレヴューのイナヅマには熱狂的なファンがいる。うれしかったのは、ジャマーが京都のバンドマンに認められたこと。うん。他と違うことやってるやんってこと。この事で、僕は安心して磔磔に入れた。

しかしこの日は、とてもうれしいショックがもう一つあった。僕らの後でリハしたポロリーズ。磔磔オーナー・水島さんのバンドが、素晴らしかったんよ。これこそ、今ではもう世界中探してもここまでのことはやってないってくらい、ロックンロールのルーツ音楽を自分達なりに消化してプレイしてて。黒人音楽やロックを愛している人たちにしか聴かせたくない事を淡々とやってた。ファッツドミノ、リードーシー、その他40年代後半から60年くらいまでのR&Bね。これらを自分達なりにってのが素晴らしかった。・・・そうなんよなあ、これが京都なんよ。70年代にハッチャンやシンチャンたちがブルーズを始めた心意気がこうやって綿々と続いてる。「他のヤツと同じことなんかやるか!」っていう姿勢ね。

それは若い人らにも受け継がれている。つじあやのさんは拾得、ここ数年アメリカ遠征で好評のおすすめルーツバンドのパイレーツ・カヌーも拾得か、くるりなんかもそうやし。僕らが昔「サムシン・エルス」と言ってた感覚が、ライヴハウスの壁に染み込んでいる。

ここにあげたスケジュールの中で、名前の知らない人たちを見に行ってみるといい。磔磔も拾得も、間違いなく無名でも面白い音楽が鳴っている。これこそライヴハウスの醍醐味やと、僕は思う。そしてそれは、残念ながら、都市単位でいうと京都でしか成立していない文化なんよ、きっと。



アコギライフです

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/>src="http://livedoor.blogimg.jp/ykawabata451/imgs/f/c/fcbf9d48.jpg" width="259" height="194" border="0" alt="caba" hspace="5" class="pict" align="left" />d18j29omc1el0004 しかしまあ、アコギってのは底なしで。
第一次は高校生の頃。当然、ファーストギターを買うときですね。この時は事前リサーチは楽器屋のカタログと雑誌の広告、それに楽器屋の現物のみで。だからカタログや宣伝がなかったらメーカーすら知らない状態。考えたら恐ろしい情報不足やね。で、最終はヤマハFGとその他現物の一騎打ちで、カネヤマを買ったと。で、大学2年まで大満足で使っていたけど、ある冬の夜に、曲作りに熱中してて電気ストーブにギターのオシリが当たっていたことで、セルが焼けて溶けたことで、一気にトーンダウン。そこで考えた。「やぱギブソンやろ!」ってね。

で、近所のワタナベ楽器に久しぶりにアコギを見に行き。先輩たちがなぜかギルド派で、マーチンはD18の人が一人と。そうなったら差別化の意味でも僕はギブソン、中でもJ45やろ!ってね。学生がそれ以上のもの買うのはイカンという自粛が当時はあった。で、ローン組んで。これがまた厳しかった、返済が。
このように、選ぶ基準がブランドという、アホアホな動機だったので、弾きはじめるとまあ不満だらけ。特にあの70年代スクウェアショルダー時代の45やからね。鳴らんことおびただしい。ここでアコギへの興味はいったんしぼんだな。

ところが77年か、広島の友達がみんないいギターを出してきて、そこにはマーチンの状態のいいものやエピフォンのコルテッツのガン鳴りものもあって、またいいのが欲しくなったんよな。それに後輩にボンボンが多く、こいつらがD35とかギルドD55とか持ってるわけよ。この辺で耳が肥えたな。で、それから2年後、運命のギブソン・ハミングバードがやって来たんよ。

今あるギターには失礼やけど、今まで持った中でこいつが自分には一番バシっときた。素晴らしい重低音で、磔磔のライヴの時にリハでマイクで、DチューニングのCSN&Yやった時は鳥肌たったもんな。5年ほど家にいたけど、馬鹿な僕はDX7とトレードしてしもた。これだけは一生の後悔や。まあ、ただ最近やって来たマーチンのD18が、結構こいつに似たところがあるから、かなり嬉しいんやけどね。どっちもマホガニーやしね。

この辺まではでも、ホント情報がなかった。レコードとライヴとカタログと楽器屋、それに友達か。レコードやライヴは当然作られた音やから、実は買うときの参考にはなり難いから、やっぱ楽器屋に行くわな。だから今とは比べ物にならない頻度で楽器屋に行ってたな。この後、アメリカ行った時にD28を新品で買ったと。こいつはハミングバードと並ぶ宝物になったな。

こっから20年近く、アコギはそのままやったな。だから5本もなかったか。で、昔のFGブームがやって来たと。安さもあって3年くらいの間に10本以上買って、取捨選択して今では1本だけ残ってるけど。これは楽しかった。この時に合板でも面白い音するものがあるやんかって思った。「いい音」ってその人にとって「いい音」ならいいんよな!って学んだな。


それからFGと同じエントリーギターで、60年代のギブソンならどうかと思ってB15というオールマホガニー物を買って。こいつが第三次アコギブームの引き金やったな。いわゆる「鈴なり」ではないんよ。チープなパリーンっていう音。でもねー、雰囲気あるんよなー。しみじみする。この時にヴィンテージギターの価値が少し分かった気がする。存在感が半端ない。でも使うのは気を使うよなーと、今度は安いマーチンとおしゃれなルックスのエレアコのエピフォンを2本買って、ライヴでは気兼ねなくエピフォンをね。これが最近の話。

エピフォンはね、当初あんまり期待してなかったんよ。「この値段で表が単版?ペグがグローバー?PUがフィッシュマン?はー?」ってね。でも来てみたら大ヒットで。インドネシア製が凄くいい。軽く遊んでる分にはこれで大抵いけるくらいいいで。FG体験があったので、安ギターが悪ギターではないことは知ってたし、抵抗なく買ったな。これからギター始める人にはエピフォン、勧めます。

ここまでで凄く幸せやったんよ。でもやっぱ、70年代育ちなもんで、「アコギはマーチン、ギブソン」それもスタンダードシリーズね。で、D18、いっとかんかい!と。それとJ29ね。

このギターは凄いよ。まず軽い。でかるーくストロークするだけでジャーン!って。ピック代えて思い切り行ったら近所迷惑。ガシャーン!っていう音かな、近いのは。やっぱ看板背負うだけの事あるわ。でもその上を行くのがD28。これは下がゴーン、上がジャキーンのドンシャリ。音圧半端ない!いっぺん秋葉山の広場で亀井と鳴らした時に、ヤツが唖然としてた。ギブソンのJ29は、ダルマでローズという仕様が独特の音作ってる。さすがギブソンのパーカッシヴなね。

で、こうなると「この感じをライブでも!」って思うやんか? それで手に入れたのがマーチンのエレアコ。カッタウェイの。こいつの生音も素晴らしい。すっげーお得な買い物やったわ。


とまあ、ここ10年はアコギ、凄く充実してて、身の丈にあった集めかたしてきて良かったと思う。今のヤツラで必要じゃないものは1本もないし、全部使える。ここ大事。下手やけど、場合で使い分けが楽しいわ。
一人で公園に行く時はエピフォン、亀井と遊ぶ時はヤツと探りあいながら、ライヴではマーチンとエピフォン、録音はいろいろと、ずーっと楽しめるラインナップになった。

誰かのと比べてどうのとか、もうどうでもいい。自分が鳴らしたい場所に鳴らしたい音があることが大事。
僕のアコギライフは、まだまだ続くでー。

Martin OMC-1E

omc1e_1このところ、週末になると絶対に触るギターがマーチンの3本です。000−1Rというローズボディのをまずはチャラーンと触り、おー、やっぱり下(低域)がズンと出るよな!って確認したら、次はD18。ジャラーン!おお、ええわ、深い音するやん!…これはこの間の暗中君のカフェのライヴでも亀井が言ってくれたんよな。18が好きなのは、音に弦がしなる感じが乗るところなんよ。粘るというか。これはマホガニーの特長なんかな。だからピック弾きでの当て方で「ぐわしゃーん」とか「しゃらーん」とかになって、楽しい。

 で、D28は、まあもう弾かなくとも鳴りが分かるんで、一応の最後に最近買ったOMC−1Eを弾くと。

 正直、これ買ったときには、生音は期待外で。フィッシュマンのPUシステムが着いていて、カッタウェイであることが良かったんよな。ただ、安いマーチンでも鳴るのは000−1Rで実証済みなので、きちんとしたメンテが出来てそうなところから買うのには抵抗がなかった。ヘンな生音はマーチンの名にかけてないと。

 で。梱包を解いて、弦を張って、ロウEを鳴らすと。おー!!!!ボディの割りに下が出る。ジャーンって感じ。 ええなーこれ!ってね。ボディはサペリ。アフリカンマホガニーね。通常のマホガニー(D18)よりも少しソリッドで軽い感じの音。FG130と同じやな。でも粘りはある。ええがなー!で弾きやすいし。ナット幅が広いから、スッと指が入る感じ。

 この第一印象のまま、今日まで来てる。で、分かったのは、僕はマホガニーボディのギター好きみたいやってこと。ローズウッドものもドカーンって音で面白いけど、最近はタッチが粘るこのマホ系がええかな。まあ、またローズと入れ替わることもある。アコギの楽しみはそんなところにもあるわけやし。

 こいつ、ネックが強いんよ。合成材使ってるからね。剛!って感じ。それも好きなところ。別に削りだしとかはネックの場合はこだわらんし。強く、鳴ったらいい。

そんなんで、OMC−1E、ナイスです。

面白かった、グリンプス。

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 今月の頭の土曜に京都に行って、ちょっとだけぶらぶら出来たんで、一乗寺から銀閣寺界隈に。前も書いた本屋さんに寄った時に買った1冊が、この「グリンプス」。めっちゃくちゃ面白かった、僕は。「僕は」というのは、そうじゃない人も多いかもなってことです。マニアックではあるので。

 昔、70年代の前半くらいまで、アメリカのロックライターたちの本をよく読んでいてね。ポールウィリアムズ、グ
リール・マーカス、その他ローリン・ストーンのライターたち数人。あの情報のない時代、わざわざ和訳が出るくらい面白い人たちであったわけです。前の2人の当時の文章は、今読んでも面白い。特にポール・ウィリアムスのブライアンに関する考察(68年初出)は、その洞察の深さとビーチボーイズへの愛がうれしくなるくらい。当時の彼は、確か18か9で、「クロウダディ!」というロックマガジンの編集者。激しく価値が変わったあの時代に、若いやつらが何を考えていたか、ロックが彼らの生き方にどうコミットしてたのかが良くわかる文章を書いていたなー。なにより、瑞々しい感覚で音楽と共に暮らしている若いやつらが、アメリカには沢山いることが凄くわかった。

 で、「グリンプス」読み始めた時に、ポールウィリアムズ思い出したんですよ。きっとこの作者も、60年代にアメ
リカの西海岸で起こっていたワクワクするようなこと全部を、自分達の時代のシンボルとして誇らしく思っていたやろうし、出来たらそのワクワクを自分でも作り出したかったんやろな。この人、70年代までにコンピュータプログラムを書く仕事もやっていたようで、要は例のゼロックス・パロアルト研究所主導のパーソナルコンピュータ革命にも一枚かんでいるようでもある。アラン・ケイのように。当時の本来的な意味での「ヒップな人たち」は、みんなそうですね。ロック事情に異常に詳しい。ロックンロールに大きなシンパシーと愛を感じてたんやろな。

 秀逸なのが、訳者の小川隆さんのあとがき。52年生まれというから、もろにこの作者と同世代です。この人は60年代をどこで経験してるのかな。とにかくアメリカンスクールやアメリカにいないと、ここまでの内容は書けないって位の、「60年代の若いやつらがロック(や新しい視点の音楽)をどう捉えていたかを語ってくれてます。長い間僕が知りたかった事の答えの一つをもらった気がします。素晴らしい論文です。これは本を読まなくとも、是非読んでもらいたい。立ち読みででもね。ロックが成立する時に、凄く大切なことだった内容を書いてくれてます。

今を感じる

 
3s-久しぶりに本屋さんに行った気がした。この連休、京都でね。
「恵文社」とホホホ座。どちらも、まあ70年代を思い出させる尖がった品揃えで、とてもほっとする。それプラス、本が好きな人の嗜好を考えた展開が2件ともある。センスいい文具や雑貨が控えめにおいてあったり、ワークショップが出来るスペースがあったり、要は本を基点にしたライフスタイルの提案がある。ええよな。70年代にレコードという媒体が、それ自体グラフィックアートでもあったのと同じこと。ジャケットのデザインや記された情報が、また新しい暮らしを提案していた。

久しぶりに、そんな、2016年のクリエイティヴな空気に触れて、自分の中の何かが蘇った気がする。ここ数日はFM802からの音楽が、うるさくもなく素直に自分に入ってくることにびっくりしてるもんね。で、幾つかの歌は凄くいいなあと思ったし、刺激があった。やっぱり、今をしっかり感じて生まれる音楽はどの時代でもあるんやなあと。それが聴こえなくなってるのは、自分のクリエイティヴィティが落ちてる時なんやと。そんなことを思った。

例えば、若い日本のロックバンドは、ラジオで聴くと轟音が多くて、ほんの1週間前なら「うるさいなー!」と局を変えたけども、聴いてる自分がいて、しかも「おー、このヴォイシングで歪ますかあ!」とか感心してる。なによりドキドキしてる。日曜なんて、802を数時間飽きもしないで聴いてたんよ。

あと、久しぶりに見た「BAKUMAN」という青春映画の音楽も、素晴らしかった。エレクトロポップというのかな、ばりばり打ち込みでシンセ音。でも、まさに今、映像と共に2016年の空気に流れると、これ以上ないくらいのすがすがしさと切なさが胸を打つ。

別に若いやつらに迎合する気なんてないけども、自分からシャッター下ろしてた感じはあったなあと、ここ数日は思ってる。

うん。なんか、良かったな、京都で本屋に行って。

77年 夏の気持ち

思わぬ歌を思い出したなあ、今日は。通勤途中で、素晴らしく晴れた、でも暑い中、天王寺の駅からでて横断歩道でたっていたときの事。77年、ポプコンで一緒になった野川算海さんの「天王寺の夢」と言う歌が、頭をよぎった。

77年、6月くらいから僕の周りはあわただしくなってきた。先輩たちのバンドが、僕のオリジナルを歌って、どんどんポプコンを駆け上がっていったのは知ってたけども、どうも作曲者がバンドにいたほうが有利と言うことで、関西決勝大会から一応ギターで僕もそのバンドに入ることになって、大阪ヤマハ周辺ののハイレベルな人たちを沢山知ることになった。僕らは8番目の出番。その前が世良正則とツイスト「あんたのバラード」。で、トリが確か増田俊郎さんかな? 次の大会かもしれない。わすれた。とにかく、いい歌といいパフォーマンスが20曲くらいあったな。先輩達はプロになりたかったんよなー。僕はそうでもなかった、この時点では。

で、当時のポプコンって凄くて、まずヤマハ日本橋店の大きな会場で通しリハがあって、コンテスト当日もリハがあった。その通しリハの時に、野川さんの歌を聴いた。

全体が華やいだ空気の中、アコギ抱えた大柄な長髪の男が、いすに座って弾き語り。朴訥とした雰囲気で、穏やかな歌が始まった。大阪の情景がのんびりと歌われていく。「あー、いいなあ。」と思った。でもコンテストには通らないやろなと。遅れてきた音楽って。時代はクロスオーバーやったしね。でもなんだか、心に残った。その思いは本番でも同じで。でも、僕の中には素晴らしい歌として、また77年の夏の、京都と日本橋を行き来した思い出と一緒にずっと残ってた。で、数年して忘れた。

それが突然、今朝、蘇ったのは、きっと青空と温度と匂いが、あの夏に似ていたんやろな。で、スマホで検索したら、なんとまだ歌ってはる!これは嬉しかったな!

思い出したのは歌だけやなくて、あの頃の気持ち。そうやったな。無名のヒトの、レコードになってない歌でも「いい」と思ったらスグ好きになったんよな。そんな奴らが沢山いたんよな。で、みんなの歌になって。

https://m.youtube.com/watch?v=FU-JdLJvYU4

ライブ2つと亀井

20160811_073019272_iOS20160811_110107082_iOS20160813_154903000_iOS20160814_082313000_iOS8月11日は安曇川町のYAMAJAMA2016というイベントにジャマーで参加。もともと陶芸家一家のパーティーから始まったけど今や300人が来る大パーティに。朽木の近く・森の中の、素晴らしい環境で音出せて、人々はとてもフレンドリーで、参加者の半分くらいが若い外人。一人一つ持ち寄りで、参加したらフリーフード&ドリンク。ジャマーは、会場で知り合った豊田勇造バンドのハーピスト・筒井さんの飛び入りもあり、だんだんに盛り上がる。で、終ってから庭で星空みながら歌ってたら、若い外人が集まってきて、どんどんリクエスト。最後は20人くらいのフランス・イギリス・ドイツ・スペイン・中国の子達がヘイジュードを熱唱してたわ。楽しかった!いいイベント!

8月13日。ジャマー@オールドタイム。お盆恒例の、ジャマーワンマンやけども、この日は僕の願いで「ハッコーくん」がソロでゲスト。1部終ってハッコー君登場。30分、カンペキに持ってかれる。場内爆笑・哄笑の渦で、僕らの2部の出だし2曲くらいは反応が薄かったくらい。ゲスト大当たりですね。最後には湯川も加えて、いつもの盛り上がり。やっぱ、お盆のライヴは楽しいな。

8月14日。11日に還暦ライヴイベントを済ました亀井と会って、僕の新しいギター見せて、いろいろ話したり歌ったり@アートキューブ。亀川というユニットで、2人で9月と10月にライブに呼ばれてるけども、ちょこっとだけやる曲話して、あとはゆるく遊んでた。
この休みは、そんなんで、またも音楽三昧やなー。

スパイシーの化け方

securedownload (3)日曜日はいろいろと面白く過ごしたんやった。
まず午後イチで亀井・こまっちゃんたちと新しいハマちゃんとで、ギター自慢会で大盛り上がりして。みーんな「俺のギターがイチバンじゃ!」と思いつつ人のを弾かせてもらいホメるというのはあるにせよ、ほんと素晴らしいギターが集まってきたので、響き聴いてるだけで気持ちいいし、ギター好きならではの話も沢山出るしね。こんな、エゴの小さい音楽の集まりはいいわ。初参加のハマちゃんもイイヤツで、彼のマーチンには衝撃受けたし。あれはいいギターやったなー、しかし。

で、夜はスパイシー・ハニー・ミルクという、前々から慕ってくれてる女性5人組バンドのライヴに。ドラムのユーコとは15年くらい前の一時期、切磋琢磨した仲で、彼女にパーディさんとの出会いをもらったんよな。で、5月のライヴを見たあとに、バンドがおちいり易いジレンマにいる気がして、アレンジやステージマナー、バンドとして集まるときの姿勢なんかを、スタジオで音出しながら具体的にコーチングしたんよ。それがどんな成果を生んだかを見たかったんで、ライヴを見に行った。

40歳超えて音楽やってる社会人なら分かると思うけど、「音が出て楽しい」「褒められてうれしい」「ええかっこできてうれしい」みたいなことでバンドをしばらくやってても、終るんよ、数年で。それはそこに音楽がないからね。音楽そのものの奥深い楽しみ方を知っているか、「いつかはフジロックじゃ!」って目標持ってるかでないと、楽器鳴らして歌ってCD出してライヴして楽しいなーで終る。そんな人達は、そんな人たちだけで楽しんでくれたらいいけども、「ミュージシャン」っていうのは止めてくれ。違うから。

で、スパイシーは「音楽の奥深さを知ってる、いい意味での野心をもった集まり」なんよ。お客さんのために切実に音楽を作りたがってる・表したがってる人達。だから僕も本気になる。

件のライヴは、驚いた。たった1ヶ月あまりで、指摘したことを咀嚼し、汎用し、自分達の個性を作り上げようとし始めてる。前からバンドを知っている人たちの驚きが声になってもれてきていた。あのライヴは、音楽がわかってる人たちが見ていたら興奮したやろな。いわゆる「化けた」状態やったから。

終ってから、5人が僕の前に来て意見を求めたけど、僕の中にはホメ言葉90%なわけで、それを終演後スグに伝えても意味がないと思い、場所を変えて10年以上自分では行ったことのないカラオケ屋に誘って、ミーティングした。90%のホメと10%の課題提示。課題は「さあ、ここからどこまで行きたい?」や。ヴォーカルのいできちは、相当思いつめてたけども、あくる朝電話で決意を伝えてくれた。そうそう。マジになる時にはならんと、現状は変わらん。

そんなんで。久しぶりに気持ちよくウチに帰れた日やったなあ。

マーチンD18のこと

こないだ、たまたま手に取ったウチのD18が本当に染み入る音がしたことで、もう一気にマーチン、中でもD18ブームで。クラレンス・ホワイトやバーニーリードンの僕的な名演を繰り返し聴いてるんやけども。
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マーチンD18の使い手は、ドク・ワトソン、クラレンス・ホワイト、バーニー・リードン、ポール・サイモンあたりが有名で。まあしかし、この辺の人たちのは、当然60年代初期までのモノで、今のD18とはスペックが違うけど。ポール・サイモン以外はみんな、ピックで早弾き出来る達人ばかりやけども、彼らのD18の音はみんな素晴らしいと思う。

マホガニー特有の「キラっとしながらふくよか」みたいな中高音域のソロは<これぞアコギ!>の一つに数えてもいいトーン。僕は世代的にドク・ワトソンではないけども、あの人のレコードでひっくり返ったことはある。でもやっぱ、ロック世代やからクラレンスとバーニーのD18トーンが大好きやわ。

クラレンスホワイトのD18トーンは、名作「untitled」の最近ものの未発表アコギバージョンでふんだんに聴ける。そこでの、バカテクを抑えに抑えた歌バンのさりげないオブリの音!素晴らしい。ローウェル・ジョージのWillin'やYesterday's trainでの本当に簡単なギターの深み!こういった、余裕のプレイにこそホンモノの腕が出る。ほんと、聞き惚れます。

バーニー・リードンのD18はイーグルスの1枚目・2枚目でのトーンが有名で、特に2枚目のDoolin' Daltonやそれのリプライズでの音、それに!Bitter Creekの凄い鳴りが素晴らしいけども、ギターの音そのものなら77年のバーニー・リードン=マイケル・ジョージアディス・バンドのアルバムを聴いて欲しいなあ。ここでの鳴らし方は、ほんと、ロックでのアコギのお手本の一つやと、発表当時から思ってた。いろんな表情のD18と28が聴けるし、ドラムとのグルーヴの作り方もゴキゲンでね。いわゆるハイファイないい音じゃない録音も秀逸。本来、アコギってこんな風に聴こえたらいいんちゃうの?って響きなんよ。

これはポールサイモンのD18での録音にもいえる。特に65年のソングブックね。なーんか、一見ボソボソっと弾いてるから、いい音じゃないというか、こもったような録音でね。でも、忘れられない音色なんよ。ふくよかな音。シャラーンってのじゃない、素朴な柔らかい音。
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D18って、なんか音が「しなやか」なんよ。弾力性がD28よりある感じ。そこがうれしい。もちろんマーチンのシャラーン的鈴なりもあるけど、僕は弦を替えてから2週間くらいのボソボソの音もこのギターの真骨頂やと思う。温かみのある柔らかい音ね。

ええよー、マーチンD18は!

高校ギター よみがえり

oad・・・なんというか。不思議な気持ち。梅雨対策のギター保管チェックしている時に、ぼろいソフトケースに入れていたコイツを発見。汚れたままで保管していたのを思い出して、さっきまでクリーニングして、弦を張りなおしていた。

思い出一杯のギター。こいつで初めて曲を作ったし、大学2年までのライヴに出たし、練習も一杯したし。お尻のところのバインディングがはげてるのは、夜遅くまで曲作りに没頭してて電気ストーブで焼いてしまったから。でも、僕には凄く大切なギターやな。

長年の酷使とあらい保管で、ブリッジがもうはがれかけてるから、ライヴで使うには怖いけども、こうやって掃除してみたら、ネックは全然反ってないしパーツも痛んでいない。これは暗中君にでも直してもらおうかな。その価値はあるな。

73年の初め、冬かな、年末にウチの仕事を手伝ってもらったバイト代握り締めて、地元の楽器屋に行って。ものすごい期待を持って店の人と何本か買える範囲のものを弾いてみて。で、店の人が「これは名古屋の手工してる人のギターやけど」って出して来たのが、これ。ネック握った瞬間、これ!って決めた。その当時は正直、鳴りとかはわからんかったから、手の感触だけでね。カネヤマ・ギター。32000円也。うれしかったなー。時間があったらずーっと弾いてたもんな。 亀井との練習もライヴも、高校の時はこれやったしな。

ブリッジのはがれを直したら、充分使えるな。鳴りはその時の評価やな。今でもそれなりに響いてはいるけど。えらいもんで、43年も経ってるから、乾いてる、ボディが。・・・まあ、弾く弾かない関係なしに、僕には大切なギターなんで、うれしいな、この蘇りは。

並列に新鮮

IMPR-UseThis1このところ75年の僕にとっての名盤の話を書いてきたけども、やっぱどっかもう懐かしい音楽ではあるんよな。多分、72年くらいからのリアルタイムで聴いてきた音楽は、もちろん今でも色あせないものが多いけども、オーリアンズとかブラックミュージック以外、正直進んで聴きたいと思うことはあんまりないんよ。それはきっと、今の僕のタイム感からすると、ダルイんよな。

ところが69年くらいまでのジャズでもPOPでもソウルでも何でもは、今でも凄く新鮮に聴けてね。2016年の新譜と同じくらいにね。なんでかなって思ってたけど、最近わかった。凄く単純に、僕が自分から音楽を聴き始めたのは、まあ69年の暮れくらいからなんで、それ以前のものでメジャーなもの以外はリアルタイムで知らないから、なんよな。

リアルタイムで聴いた音楽は、その当時の色んなことがどうしても音楽に付着してくる。音楽以外の思い入れとかね。そんなもの一切なしに音楽そのものをなーんにも期待しないで聴いてると、60年代までの音楽が古いと思わないんよ。それどころか、未だに発見の山でわくわくする。

そんなんで、少し時間のあるときにはネットラジオで60年代やそれ以前の曲だけ流す局を聴いてるなあ。で、今日もジュニア・ウォーカーのカッコよさにしびれたり、ミッチ・ライダーの「悪魔とモリー」にやられたり、すんごい楽しい。で、これらのあとにエレクトロニカの小編成の歌が流れても、きっとなんら違和感がないと思う。

あ、ネットラジオは、どんなジャンルでも圧倒的にアメリカ以外が面白いよ。特にフランスがおすすめ。フランスの黒人音楽モノとかオールディーズものはマニアックな歌がかかるから。あとオーストラリア。選曲とか曲順って大事やなあってワカッテル。音楽が大好きでラジオやってますみたいなね。



7月 トロピカル・ダンディ

0707HOSONO75年の7月。発売から少ししてから手に入れたこのアルバム。目前に中ノ島公会堂でのティンパンのライヴを控え、予習の意味もあって買ったのを覚えてる。

もうね、僕はこのアルバムを分析したりすることを初めて聴いたときからスグあきらめた。とてもそんなレベルの音楽じゃない。ただひたすら気持ちいい音楽。それは歌詞も含めてね。リズムの複雑さ、あほらしいユーモア、これ書いている今も聴いてるけど、ひたすらリラックス出来る豊かな音楽。18歳の僕には、誰がどんなプレイをしてるとかどうのとか、どうでもよくなって、アルバムA面を聴き終わったらそのままよく眠っていたな。あの、強烈に暑い京都の夏の夜でもね。

今や、沢山の研究家がいる細野さん。彼らにかかったら「いつ・どこで・だれが・なにを」どんな風にプレイしたか、このアルバムも丸裸になるんやと思う。ただ、面白いのは、このあとの「泰安洋行」「はらいそ」ほどこのアルバムは分析されてない気がする。それはこのアルバムのA面の完成度があまりにも高くて、手を出したくないのだと思いたい。

ただ一つワクワクしながら推測するのは、この時期細野さんが仲が良かった久保田真琴さんの影響がそこかしこに見えるところ。日本きっての音楽のフィールドワーカーで、当時最高のバンド「夕焼け楽団」を率いていたマコトさんのヴォーカルワークに、きっと影響されてるよ、この時期。

細野さんの全キャリア中、僕がもっとも好きなアルバムです。

6月 コバルトアワー

4毎年6月になると、このアルバムとシュガーベイブ「SONGS」を思い出すなあ。たしか、「コバルト」の発売は6月20日か25日で、待ちに待ってソッコー買ったのを覚えてる。ライトミュージックという音楽誌で「今度のユーミンのアルバムは絶好調のティンパン・アリーが全面サポート…」みたいのを見てたからな。この頃のティンパンはまさに絶好調で、小坂忠「ほうろう」や鈴木茂「バンドワゴン」が発売されてて、大瀧さん「ナイアガラムーン」は発売直後、細野さんの「トロピカル・ダンディ」発売待ちって状況。僕は7月にティンパンを見たけど、何度も鳥肌が立ってその日は寝れなかった。その時のライヴは一部音源や動画が出回ってるけど、やっぱり凄いもんね。

「コバルト」がどれだけ衝撃的だったは、僕の場合、1回聴いた時にあんまり凄いから敢えてしばらく聴かなかったくらい。こんな反応はミカバンドの「黒船」以来やったな。まず、ユーミンの作品力の凄いレベルアップを感じた。5月に買ったシュガーベイブのアルバムで、僕は「曲を作ろう」と思ってぼちぼち始めていたけども、このアルバムを避けたのは、影響を受けることが怖かったんやろな。ド頭「コバルト・アワー」の物凄い転調、言葉選びの斬新さ、ティンパンの、特に細野さんのベースの凄さ。曲を分析耳で聞き始めた僕には、この曲は恐怖やった。

 「卒業写真」の凄く柔らかいハネるビート。演奏力ってこういうこと。つまり、付点が極端に少ないのにハネを感じさせるグルーヴ。それとサビの5th/4thの分数。さらに細野さんのフレーズ。えげつない。

「雨のステイション」。今ならわかる、これはシカゴ・ソウルへのオマージュや。シャイライツ「オーガール」の、ボトムのタイトさを緩くしたような演奏。

40年以上経っても、音を聴かないでもこれくらいは思い出せる。しかも僕はこのアルバム、合計10回も聴いてないと思う。で、聴かないでよかったとも思う。何故って案の定、このアルバムのフレイバーを真似たシンガーやバンドが半年後くらいからどんどん出てきて、いわゆる「ニューミュージック」の一つのフォーマットを作ってしまったんやから。それくらい、特に音楽を作ったりプレイしたりする人間に影響を与えたアルバムなんよ、きっと。

でも、本当にすごいのは、そんな少ししか聴いてないのに、歌えるんよ、数曲。なんと言うメロディの力。僕はユーミンの才能のすごさは、ここにあると思う。忘れられないメロディを作るってところね。それと、そのメロディを口ずさんだら最後、気持ちよくて頭から離れないところ。

やっぱこのアルバムは、時代に線を引いた1枚やと思う。そしてこの年はそんなアルバムがあと数枚、出てくることになるんよ。

ハッコー君のこと

 881_nみんなは、月亭可朝さんのこと、覚えてると思う。「ボインはー」ってやつね。67年くらいから、日本語の歌が関西フォークやその後のロックになる人たちの登場で、それまでの綺麗な作り物の世界からどんどんリアルな今を歌う歌詞になっていき、変な歌がたくさんTV・ラジオを席巻した。小学生高学年だった僕でも、そのリアルさには時々「汚いなあ・つらいなあ」と感じることがあった。岡林の「手紙」、風船の「血まみれの鳩」、などなど。それまで知らなかった演歌や花鳥風月以外の歌詞世界が、洪水のようにあふれ出したあの時代に、可朝さんの「ボインの歌」がぽろっと出た。やんわりとおおらかなセックスを含んで、ペーソスがにじみ出るその語り口には、まだそんな行為を知らない子供たちまで引き込まれ、なぜか爆笑したっけ。

 5月某日、オールドタイムで「風前の灯ライヴ」というのがあって。たまたま時間があったので見に行っていた。店長の歌を聴くのもいいかってね。セコイ僕はちゃっかりギターを持って行ってて、流れでライヴすることになったけども、その時に僕の後に出てきたのがハッコーくん。楽しく歌えた余韻で、彼の歌を聴き始めた。

 アコギ+江川君のエレキという編成。おもむろに始まったイントロは「あれ?これニールヤングの…」っていう驚き。で、ハッコー君が歌い始めると。爆笑。たたずまいは競輪帰りの一張羅を着たオッサンみたいなヤサグレ感満載。曲が進むうちに、いつの間にかかぶりつきで大笑いしていた。「あー、この世界!懐かしいぞ! なんやった?」となって、月亭可朝を思い出した。

 可朝さんもハッコー君も、根っこの根っこはブルーズが持ってるものと同じ。ユーモアと強さ、しぶとさ。ハッコー君は、これはもう歌詞を聴いてるだけでわかる、相当な苦労人。普段は僕らと同じで人に頭下げて仕事している。でも!しぶといし賢い。なにより、誰も真似できないハッコー君の世界がある。最高や。

 友達で和歌山のアマチュアシーンに詳しいローガン亀井に聞いてみたら、「もう有名人やで、ハッコー君は。」って。そうかあ。なんで今までジャマー周辺に聞こえてこなかったのかなあ。

 で、そのステージが終わってから、すぐにジャマーのライヴにOAじゃなくゲストで来てもらう交渉をした。ご存知のように、ジャマーはファンの要望で「タイバン入れるくらいなら長くやってくれ」って言われてて、めったに誰かを呼ばない。特にお盆のジャマーはものすごく集まってくれるから、1ステージ3時間くらいやらないと帰してもらえない。でも!あえて僕らのファンに、メンバーに、ハッコー君は見てもらいたい!絶対に楽しいから。あの笑いの衝撃は僕自身いまだに消えてないもんね。

 最近、ジャマーは金ちゃんが言っているように「黄金時代」状態で、あのムツカシイ磔磔のお客も笑かしてきたくらい、新曲が充実してる。先週も新しい歌できて、こーれはもうまたツカめるで!って話してるけど、ハッコー君の世界は根っこで僕らとおんなじ分、初めて見ると衝撃があるで。

というわけで。8月13日、オールドでジャマーバンド<ゲスト:ハッコー君>でやります。

鼻膨らまして楽しみにしてて!

 


6月19日はソロです

6月19日 今度の日曜日は、若い子たちが中心のアコースティックな歌のイベントで歌うんやけど。友達が主催の、有田川町の「布袋」というお店の25周年記念ライヴということで。イベント自体は15:30から始まって21:00までで、それぞれ40分程度、僕は5番目くらいかな、18:20からということで。これ、楽しみにしてる。

 オリジナル曲主体の人が多いのがいい。若い子が作る曲ってどんなのか知りたいし、新鮮な発想があったらうれしいしね。スタンダードな曲をアレンジしてやってくれるのもいいけど所詮古い時代の歌なわけで面白味は少ないし。新しい言葉やアレンジが聴けるのを楽しみにしてる。

 僕はいつものセコイ考えで、ケーブル1本でつながって、パっとライヴできるエピフォンを持って行こうかな。やっぱ知らない人たち8組が出る初めてのハコは、どうしてもどさくさになるやろからね。それにエピフォン、このところいい音に仕上がってきてるし。

 楽しみやな。

ストラト。

ad今日は休めた。午後からは気持ちのいい雨も降ってきて、こころ穏やかに過ごせたかな。友達のところに行って、すぐそこで眠って、起きたらスッキリして遊んで帰ってきた。で、部屋でふっと横見たら、こいつがいい感じにこっち見てた。

何の変哲もないストラトキャスター。これは知り合いに貰ったんやった。「玄関の飾りにしてて弾かないから」ってね。即、あり難くいただき、なにも触らないで掃除だけして使ってる。2007年から10年くらいのライヴでは大活躍したな。で、ノイズが気になり始めたんで最近はライヴには登場させないでウチでペラペラと弾いてる。

エレキはストラト・テレキャ・SGの3種類をその時の気分で使うけど、ストラトは僕には「サンダル」みたいな位置づけ。30歳くらいの頃、エレキをもう一度初めから練習し始めた時に手にした、一番馴染みのあるシェイプ。それまでメインはテレキャスターやったけど、ストラトのボディ裏のスプリングが作るリバーブ感が、弾いてて気持ちいいことに気づいたのと、ネックが長いのでこれで練習しておいたら短いのにも対応しやすいからいいのとで、ぱっと手にすることが多い。

最近はエレキギターの音決めは情報に頼らないで耳でするけど、自分の「いい音」はかつてレコードで聴いたストラトのアノ音!ってのがあるので、それに近づけていく作業になる、な。あとで録音聴いてガックリってこともあるけども、それもまた楽しい。こいつは決して高くないギターやけど、しっかりした道具なんでうれしい。

しかし。面白いのは、持ってるストラト全部、違う音がする。ヒトと同じで、個性が幾つもあるほうが楽しいから、僕はその事がうれしい。用途で使い分ければいいことなんでね。

そんなんで、ストラトは僕の白ゴハン的存在。

ステージに立つなら

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バンドを維持していると、いろんなことがある。ジャマーの今回のように、突然の体調不良とか、事故とか。でもお客さんがまってる。
お客さんは、日々の暮らしの中で、僕らのパフォーマンスをたのしみにしてる。お金と時間を用意してる。
だから、約束した時間に、期待以上のパフォーマンスを届ける責務がある。この考えの正しさの前には、プロもアマチュアもあるはずがない。だって人としてのルールやから。
僕はそう思う。道義的責任や。

幸い、自分の参加してるライヴでは、ここ最近はガラガラになることはない。だんだん人が来てくれるようになった。それは「この場でこの人らと楽しもう」と思い始めた頃からやと思う。
いい歌を用意し、上手い演奏しても人は分かってくれない。こちらの心が開いてない限り。上手く歌おうとかよく見せようとかは、お客さんにみやぶられ、馬鹿にされる。物凄く作り込んだものでも、充分な練習がない場合は、見透かされる。

いい音楽だけやってれば人は認めてくれる。
ただし、そこまでいって聴こうとはしない。
今はもう、そんな時代やと思う。
お客さんへの感謝があるなら、ステージでこころを開くことや。技術はその次。
要は、表したいことを聴いてもらうわけやから。

オーリアンズ

ここ5日ほど、オーリアンズをよく聴いている。きっかけは74年秋のライヴ音源を久しぶりに聴いたこと。74年と言えば、バンドはABCを離れアサイラムに行こうかという時期で、セカンドアルバムが本国アメリカでは出ないで日本とヨーロッパのみで発売、売れなかったと。

セカンド聴いてサード「Let there be music」を聴くと、そのミックスの立体感や音のよさにびっくりする。言い換えれば、セカンドはイナタイ感じ。でもね。セカンド、いいんよなー。オーリアンズはいい曲いっぱい作るから。今回また聴いているのも曲のよさやしね。セカンドには「Let's have a good time」という、もう大好きな歌があって。これと必殺の「Break down」でセカンドはOK。

長い間、4枚目までが僕の大好きなオーリアンズやったんやけども、96年のFM音源でアンプラグド、しかもホッペン兄弟とジョンホールのみっての聴いてから、うーん、やっぱいつの時代もいいんやなーって。それはもう、2015年のライヴ映像とかでもね。

いいところなんていっぱいある。全員がヴォーカルうまい、2人のギター素晴らしい、ハーモニー、リズム、アンサンブルのアレンジかっこいい、グルーヴ感バッチリ・・・。でも、それらを全部越えて、いいメロディがたくさんあるところがいいな。

4枚目までは、たっくさん美味しいところを詰め込みすぎて、聞かせどろがボケ気味で、いいプロデュースがあったら大成功したのになあと思う。
まあでも、そんなとこも好きやな。

一旦こんなとこで。



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高槻ジャズストリート 1日目

wnloadadnloadフライド・プライドを観にいこうと、出かけた。せっかくなら友達のスパイシーを見て、いい音が聞こえて来たらそのバンドも聴こうと思って。毎年10万人以上を動員する、全国屈指のジャズイベント。やっぱり素晴らしい瞬間が随所にあった。

まず着いたとたんに阪急の高架下からゴキゲンなファンクが。行ってみると、黒人ドラマーと白人シンガーのバンドが最高のグルーヴをたたき出してる。もうこれで気分が上がってね。で、至難の駐車場確保もクリアして、スパイシーを見て。そっからはブラブラと街を歩いてて、いい音が聞こえるとそこに入っていって。

正直、ミソもクソもあった。そんななかで、フライドプライド入場のため、数千人と一緒に並んでたグラウンドで、すっごいバンドがやってた。「ソリッド・ラヴ」。後にわかるんやけど、今の関西最高峰のホーン陣と、強力なリズム隊で、久々に国際レヴェルのジャズ、それも今のジャズ(ファンク内包・ヴォイシング複雑)と出会ってしもた。最初並んでたけども、相方に任せて雨の中最前列で見てた。なにしろホーンの全員がハンパない上手さと音のツブ立ちのよさ。古谷たかしさんの身内だそうで、全員が全国で引っ張りだこなプレイヤーだそう。そんな先入観のない僕は、とにかくモノホンな音に惚れ惚れした。写真ではわからんけど、これ、雨の中の演奏でみんな濡れてるんよ。

フライドプライドは、やっぱり良かった。ボーカルの素晴らしさがこのチームの売りやと、改めて思ったなあ。この人伴奏いりません。この日も数千人の前で、大ホールでアカペラで歌って、2階の僕にもくっきり聴こえたし。ギターの人は超絶に上手いけど、それでも伴奏要りません。それくらい歌えると思ったな。

これで結構満足して、帰ろうとまた阪急まで戻ったら、ゴキゲンなジャズ・ファンクが。ヒップホップ以降世代特有の、ちょっとルーズでバウンスするビートの若いヤツラが。これで足止め。さらにそのバンド終了後、屋上から超絶テクのギターが聞こえたので思わず行ってみたら、ガイジンだらけのなかでグルーヴィーな、60年代後半のジャック・マクダフ達のファンクみたいな音楽で、ギターがムチャクチャ上手い日本人で。

いや、もう帰ろう!と後ろ髪惹かれつつ高架下をとおると、なんと!古谷たかしさんのユニットが!ゴキゲンなクラシックジャズをね。しかもほとんどソリッドラヴの人も入ってる。

やっぱりね、いい音出してたらお客さんが集まるんよ。僕が見たバンドはまさに音に惹かれて聴きにいった。それも一瞬のね。大阪の普通の人たちは耳が肥えてるから、やっぱ集まってるんよな、いいバンドには。それと、全部に共通してたのがお客さんをノセル自分達なりのやり方を持ってた。フリーライヴでもきっちりお客さんを掴む。いい音出して集めて、その上でノセル。そら人気もでる。

楽しかったわ!

堺ブルースフェス

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 大型連休ということで。最初の日は、友達と新しく出来た丘の上のお店に行って歌ったりして、のどかに過ごし、3日目に去年に引き続き「堺ブルーズフェス」に行って、晴ちゃん・晴三さん・サカやんがいる8823と、御堂筋ブルースバンドを見てきた。

 8823は、この3人+塩次伸二さん、堀尾さんで作られたバンドで、そのメンバーの時に一度見ていて、やっぱ達者な人たちが名曲をプレイすると素晴らしい音楽になるというお手本のようなバンドで。その後、悲しいことを経て、今も最高の音楽をプレイしているのは分かってた。8795_n

 この日は30分の持ち時間。ドあたまは3人のインスト。真っ黒で60年代的なファンキーさで。晴ちゃんのギターはレスポール。でも、ほぼいつもの「あの」音。名人はそうなんよな。自分の出したい音がはっきり分かってるから、ギターをその音に近づけて弾く、みたいな。

 晴三さんのベースが、いつもより重心の低い出音というか、ボトムを支え最小限の音数でグルーヴを出してくる。むちゃくちゃ弾けるのを知ってるから、この音数の少なさは凄みがある。堀尾さんのドラムも、しなやかでグルーヴィー。ダイナミクスが凄い。出音の大小差が大きいから、バンドの音世界の容積が大きい。気持ちいいわ。

 サカやん(僕らはそう呼ぶが、サカチーのほうが有名)は女子高生のころから知ってる。音楽への愛情は昔から凄かったけど、ヴォーカルもいいよなー。特に昨日は、前見た時よりも数段、力が抜けててでもパワフルで、英語も綺麗に発音してるしで、「おおー!」って思ったな。おそらく、お客さんとの感覚(伝えたり、受け取ったり)が彼女の中で変わったんやろうな。だから歌世界が僕らにもなんとなく分かる。

 コンパクトにまとめたショウケース・セットでも、そのバンド力はがんがんに伝わる。この日は特に、お客さんの反応も素晴らしく、いやらしい身内受けじゃないホンモノの「イエー!」が飛び交う。さすがの音楽でした。気持ちよかったわー。

 御堂筋ブルースバンドも貫禄。

 五月晴れの真昼間の爽やかな路上で聴くブルーズもオツなもの。去年は曇っていたから、それなりにバッチリやったけど、晴れもまたよし。で、14:00くらいには堺を後にして。

 …2日間の後半の日で、メインはベテランのプロ・ミュージシャンばかりのステージなんで、普段ブルーズとか絶対に聴かないような人たちも楽しんでしまえる、質の高いライヴで。これが無料とは、ほんと、お得でね。堺東駅のまん前でガツンと音出すのも好きや。

 こことか、カミングコーベとかが成功してるのは、企画者のイベントの成功イメージがくっきり頭にあって、超具体的に誰にでも説明できるところやろな。だから、微細にわたるまで丁寧に作られていて、それはきっと収支にわたるまで透明化され共有されていると思う。どちらのイベントにも、共通して「無料。やけど高品質な音楽を、初めて聴く人にも届ける」が流れてる。だから複数審査のオーディションがあるし、フェアな競争もある。資金集めのための営業もガンガンやるから、出演者から参加費を取るなんて、ラクでバカなことはしない。結果、質の高い音楽といいお客さんが残る。これが音楽を育てるということの一つの答えやと思うなあ。てか、世界中で当たり前の方法やけどね。

赤ヘル1975

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僕には、広島の友達が沢山いる。大学の時にこいつらと出会ってなかったら、僕の人生は違うものになってたと思うくらい、いい出会いやった。本格的に付き合いだしたのが77年。で、その頃にもカープの75年の優勝エピソードは話の端々に出てきていて、それはもう凄い事件やったというのは知っていた。当時、なんでそんなに大騒ぎしたのか、聞いた事がある。すると、オオミチ君は「カープは、わしらの球団なんよ。」と真剣に真顔で呟いた。

重松 清の小説は、苦手。人物の情が多過ぎて、べたべたすることも多いんで。図書館でこの本を見つけた時、この表紙とタイトルがなかったら借りてないやろな。で、軽い気持ちで読み始めたら、最初の10ページくらいでぐぅーんと引き込まれた。そっからさっき読み終えるまでに、何回も涙をこらえた。

2002年に広島に久しぶりに行ったとき、平和記念公園で涙が止まらなかった。ハタチ前後のにーちゃんが中年になって、この街の凄さが分かったんやった。僕らの親から上の世代みんなが戦争を背負って今日まで生きてるってことが、あの時どん、と背骨に入った。そして広島や長崎はそっから自力で立ち上がり、世界に平和の素晴らしさを今も発信し続けているんやって分かったんやった。

この本には、友達やあの時僕が感じた広島が、ほぼそのまま再現されている。豊かな方言、モラルの高い大人、調子乗りな気質、熱い気持ち、広島カープ・・・。そして、それらを全部包括する昭和の社会と日本人気質。

やっぱり、僕らは凄く大事なものをなくしてる。
この本は教えてくれたわ。

WAR ゆったりや

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今日の帰宅音楽は、WAR。
いつまでたっても褪せないイーストLAの、仲間音楽。きちんと自分達のルーツも滲み出るファンク。
憧れるわあ。
「オールディ ミュージック」から85年くらいまでのアルバムは全部好きや。中でも!となると、「仲間よ目を覚ませ」やけど、あれは全曲素晴らしい奇跡の一枚で、70年代のは、必ず5曲はいいから、やっぱ全部やな。

ラテンとブラックがごく自然に混ざって、そこにリーオスカーのハープが乗ると、誰も真似できないグルーヴになるんよなあ。

ノリが、もう、拍ぎりぎりなんよ。アウト寸前。だからスペースが広い。もったりしてるけど、そんなんでファンクやるとナタでぶった切るみたいな暴力的なノリで無茶苦茶黒い。
しかもラテン入ってるから、哀愁あるし。

いいなあ。

ありがとう、ジョージマーチン。

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ジョージマーチンが亡くなった。
90歳、大往生やな。

お笑い系のプロデュースという、ある意味最も難しい分野で活躍していた人が、偶然ビートルズと出会って、彼らの才能をドンドン引き出した。レコーディング、とくにラバーソウル辺りまでは、恐らくこの人に教えてもらいながら、ビートルズはノウハウを得たんやろな。で、そっから先は対等に意見出しながら、マジカルまでは行ったと思う。

このチームのすごさは、こと音楽に関しては最後までお互いにリスペクトがあったとこやと思う。それは、今に至るまで、本気の中傷がどちらサイドからも出ない事でもよく分かる。

凄く好きな写真があって。
最後のレコーディングになったアビーロード録音時に、ブースで4人が笑ってるんよ。そんな空気は、ジョージマーチンがいなかったら出来なかった、絶対。四人にとっては、数少ない信用できる大人やったんちゃうかな。


天国で、ジョンやジョージと会ってたらええな。

職人さんの映画

11189520_ori79年くらいから、自分のルーツ音楽への回帰が始まってね。きっかけは60年代前半のヒット曲とR&Bやった。例えばサムクックのRCA時代のバックは誰や?とか、バカラック=デビッドの素晴らしいバックは誰や?とか考えたりしていくと、どうしてもぶち当たるのがフィレス・レコードのスタジオミュージシャンで、それがこのレッキングクルーと呼ばれるミュージシャン集団であったと。この集団に、LAのTV番組でのミュージシャン軍団を足すと、60年代西海岸の録音物の80%くらいは再現できるんちがうかなってわかったのが80年くらいのこと。アメリカの芸能システムの一部が分かったんやった。そんな、ヒットシステムの仕組みが分かったら「なーんや、あのバンドもレコーディングは他人か!」と失望する人もいるけども、僕はアメリカやイギリスのPOPシーンにますます興味がわいた。だって、70年代に売れた人は、だいたいがそんなシーンで下積みしてチカラをつけた人たちやったからね。

レッキングクルーにしても、ファンクブラザースにしても、まあ言えば職人さんで。テクニックは凄いんよな。キャロル・ケイでもバーニーケッセルでも動画を検索してみたらいいと思う。制約なしに弾いた時に見せる腕前はとんでもない。ただ、求められて弾く人たちなんで、オリジナリティを出せない。オリジナリティは曲やアレンジやシンガーの声で出すわけで。特に、作品主義だった60年代では、その凄腕は仕事が終ってからの楽しみでやるセッションでないと見せなかったように思う。で、仕事ではバカみたいに単純なコード弾きを強いられたと。

この手の映画がすごく注目されていることに僕は驚いてる。僕は、昔、音楽を仕事にする時に必要やったから、この人たちの繋がりや広がりをワクワクしながら調べて、すごく面白かったのと、今に続くアメリカのショービズ産業の徹底的なプロ意識が垣間見れた点で良かったと思ってるけども、一方で「本当に凄いのは、この人たちをディレクションして圧倒的な水準の録音物を作ったプロデューサーなんやけどなあ」とも思ってる。
うん。要は、録音物をしっかり聴きましょう。そして感動しましょう。ということ。




少年の夢 Revisited


ネットでの古い友達・アブさんが上げてくれた。レコードしかないから、わざわざ録音してね。
PIEという名前で僕らは世に出た。81年の秋や。そのデビューアルバムの1曲です。

この歌はメンバーのコーヘイが、デビューが決まった前の年の冬のある夜に、練習場に持ってきて。最初はアップテンポでコーヘイが歌ってくれたんやけど、聞いてて閃くものがあり、このバラードっぽい感じにした。「こんな風に歌ったら?」って僕が歌ってみたら、それが良かったらしく、そのまま歌うことになって。寒い1月くらいの夜、「いい歌が出来た!」って喜んだのを覚えてる。

録音は8月か9月のはじめ。暑い夏・新大久保のフリーダムで。忠英さんのイメージは、中西部のカウボーイ母子の話らしかった。僕は勝手に南部の親子で、川はミシシッピやったんやけどな。まあ、それくらい雄大な自然が思い浮かぶいい曲。アコギは2本とも忠英さん。ドラムは林立夫さん。歌ってて最高に気持ちいいハットワークでね。リズムどりの時の立夫さんの真剣な顔が忘れられない。シンプルな組み立ての時ほど笑わない。素晴らしいグルーヴ。

2日目はオルガンのダビング。中西康晴。レズリー+ハモンドB3のセットアップがてら弾いたのは「チェンジズ・ゴナ・カム」。僕らはコントロールルームで大喜び。で、1回のリハ。「・・・この曲、いいね。歌、気持ち入ってるやん」とつぶやき、本番は1テイクでOK。思わずスタジオに行ってお礼を言う。さらにストリングスのダビング。確か8人のチームを2回ダビング。見事な弦アレンジで、僕はランディ・ニューマンのグッド・オールド・ボーイの弦を思い出した。

3日目。ヴォーカルの本番。仮歌の時点で、「これ本番にしようか?」って言ってたけど、ディレクター・早川さんの欲が出て、「まーだいけるんじゃない?」とそそのかされ、ブースに向う。で、1回歌ったら、それでOKが出た。

その後、この歌はもう一度録音してTVの主題歌に。
いい曲やもんなあ。



バッファロー・スプリングフィールド

61ND1FXnnbL友達がバッファローのことアップしてたので、昔にも書いたけど、また書きたくなった。

本でも映画でも、作品のことがいつまでも頭に残ってて離れないのがあるけど、僕の場合、音楽ではこのアルバムはその一枚なんよな。自分が音楽を作ったりプレイする時に基準にしている姿勢を教えてくれ続けている1枚。だからとても大切。

67年の録音やと思う。サスガに音やアレンジは「今聴いても古くない」とは言えない。でもね。今の録音技術でこのままのアレンジで演奏したら、間違いなく凄い作品だと、誰もが認める構造が全作品にある。そこが凄いところなんよ、このアルバムの。例えば「Mr.SOUL」のドアタマから歌までの展開や間奏のギターソロまでのアレンジ、「クエスチョンズ」のフィード・バックとジャズ、「ブルーバード」のガシガシのアコギの音とスティルスの天才的なDチューニングのプレイ、「サッド・メモリーズ」のニールヤングのアンビエントなギター・・・・。それらが全部、音楽的なんよ。ギミックじゃなく。ここに書いたことはすべて、メンバーが「誰もやったことのない音楽を創る」意志があったからこそ出来たことやと思う。だって、このアルバム製作の時点で、バンド組んでたったの数年やもんね。明確な創作意志がないと、ここまで成果のある実験は絶対に出来ないはず。

このアルバムを出して、バンドはほぼ空中分解する。それもわかる気がする。メンバーは「成し遂げた」感があったんちがうかな。「こんな音楽、誰もやってないやろ!」ってね。だからこのあとの3枚目は、いいPOP曲が集まったアルバムでしかないもんね。

若きスティルスもニールも、この時点ではまだまだ自分のコピーを始めてない。それはきっと、エンジニアリングを担当したジム・メッシーナたちも含め、才能あるメンバーやスタッフがまわりにごろごろいて、刺激を受けつつ変わっている途中であったからやと思う。スティルスの「ブルーバード」でのギターは、エンディングのFOまでひらめきのカタマリで、この辺からギタースタイルが出来ていったんちがうかな。ニールはここでジャック・ニッチェと作ったサウンドで、ファーストソロ作ってるし。

この当時の西海岸のシーンはLA近辺ではカート・ベッチャー一派やブライアン・ウィルスン周辺、アソシエイション、バーズ、勿論レッキング・クルーたちなど、むちゃくちゃ音楽性の高い人たちがいた。他方ではドアーズがショッキングなライヴをやっていた。バッファローは66年のデビュー直前にウィスキー・ア・ゴー・ゴーで数週間、伝説的なライヴをやってるけど、メンバーは口々に「あの数週間がバンドのピークだった」っていうくらいの内容だったらしい。それはLAのシーンが彼らを育てたんやと思う。そこで、「誰にも似ていないバンド」を目指したと。

ビートルズのリボルバーもそうなように、アイディアがあふれ過ぎて一見支離滅裂な音楽が並ぶ。だから、当時のシーンを知らないで単に音楽だけ聴くと、しばらく「はあ?」ってなる人も多いと思う。僕も、このアルバムが一生ものになるまで、だいぶん時間がかかった。それは僕自身の音楽経験がこのアルバムに追いついていなかったからなんやけどね。ただ、全曲、曲がいい。だから、ぼーっと聴いているだけでも楽しい。

今でも僕は音楽プレイヤーにこのアルバムを入れてるし、月に1度は聴く。創作のピークに向う時のバンドの熱が、元気にしてくれるんよ。

小冊子、愛情入り。

IMG_0570今年は司馬遼太郎さんの没後20年ということで、本屋の文庫コーナーはどこも特集をしてくれてて、助かる。最近はなかなか手に入りにくい本も出てきてたんで。

この人の小説が好きでね。読み始めたのはでも、80年代に入ってからで、それまで歴史小説に関心すらなかった。たまたま手に取った短編ばかりの文庫で、イッパツにやられた。それ以来、結構コツコツと、しかも何度も読んでいるなあ。

なんでこんなに好きなのか、読み始めて10年経ったくらいに分かった。ひとつは、この人が典型的な「昭和一ケタ生まれ」のオトナやということ。戦争の体験を持ち、20歳前後で価値観をぎゅんと捻じ曲げられ、その結果「クニ」を頼りにしない大人になっていった世代の人。 もうひとつは、語り口が大げさなマンガや浪曲的な、デフォルメの多いところ。一つのことを徹底的に調べ上げ、自分の解釈で書くから、結果的に史実と離れることも多いんよ。でも、あくまで小説なんで。目くじら立てたらアカン。

で、本屋のコーナーにあるのがこの小冊子。これはねえ、泣ける。本当に。出版社のワクを超えて、しかもこれだけの内容のものを無料で配布してるって、ここまでやってもらってる作家って僕は知らんわ。それくらい、本に関わる人たちみんなが、司馬さんの作品や人となりが好きやったんやと思う。司馬さんの本を読み始めるには絶好のガイド本になってるし、すでに沢山読まれた人にも「ふふふ」と温かい気持ちになれるものになってる。僕にはこの冊子は数千円の新刊くらい価値があるわ。

松原さん

松原正樹さん。
ゆっくり休んでください。

81年の夏。新大久保のフリーダムスタジオ。デビューアルバム録音時に、仮歌ブースごしに今さんと2人のプレイを見た時の衝撃はおぼえてる。

まず、トーンが物凄く抜ける音だった。松原さんはあのアルバムでは素晴らしいバッキングを弾いてくれた。アルペジオの拡がりは、未だに超えるひとがいないと思う。

初めて見たのは70年代終わり、キー坊の大阪のライブで、BBキングが速く弾いてるような、真っ黒なギターやったわ。で、すぐに東京から凄いギターやとの評判が聞こえてきた。

友達がしばらく世話になってて、いろんな話きいた。「ブルース忘れたら、終わりだよ。」って言葉が消えない。あの歌うギターは、やっぱりそうやったな。

アルバムでは、たまたま僕の曲で何曲か弾いてもらったから、仮歌ブースから見てたけど、1978という曲での、忠英さんの最高なアレンジでの盛り上がりは忘れられない。2番サビあたりから、ギター2人が体を揺らし始め、ツインリードでのカウンターメロディと歌の絡みでは僕も鳥肌立てながら歌った。終わった時、立夫さん、大仏さん、ギター陣が「今年のベストテイクだ!」とハイタッチ。こんなもん、忘れるわけがない。

あの時のように、沢山のシンガーにギターで「歌いなよ」って言い続けてきた松原さん。
歌っていきますから、見ててくださいね。

ほんと、悲しいけど。
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ラジカセ

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昨日夜、PCでエリア外のFMを聴けるようにして、関東圏の番組聴いてたんよ。まあ、あんまり面白くなかったけど、坂崎の番組聴けるようにしておきたかったから。
NACK5でやってるやつ。

で、ラジオが欲しくなった。

ラジオといえば、ラジカセ。
CDとかいらない、モノラルの。
音質じゃないんよ。
どこででも点として音楽があって、しかも押し付けがましくない在り方がいいんよな。で、カセットで巻き戻しして、数曲聴く。あの待ち時間もいい。ガチャって押し込むボタンでな。
カセットて、形がすきや。テープ巻きとるのが見えるし。MDより質感もいい。

ラジカセは「あ」と思ったらパチンと録音できる。ひと手間やな。スマホもかなり近いけど、実は手間が少しある。この違いは大きいんよ。

何より形がいい。アンテナ! 電波拾うで!と
いう意気込みバッチリやし、カセット窓も顔みたいやし。

なんか、ホンマに欲しくなってきたなあ。





ハエはいいから。

ベッキー、清原の事ね。

次々に泡沫のような事実が出てくるけど、別に自分には関係ない。
「アホやなあ」で笑っておわり。違うんかなあ。
あとは当事者と利害のある関係者でなんとかしたら終わりの話で、なんかハエが何匹か周り飛んでるうざったい感じが、いつまで続くんかなあと。

同時にたった今も放射能が大量に放出されてるって、東電がシャーシャーと発表したし、関東圏の電車が突然の体調不良の人を降ろす回数が激増してるのにな。

関東圏、大丈夫か。

メディアが偏向報道してるのもあるやろけど、住んでる人達も不安を紛らわせたいからゴシップに騒いでなければいいけどなあ。

今や日本人口の半分は関東圏にある。
さらに北を足すと。ね。怖いでしょ。

頑張れ、自分のために。と、自分にも言い聞かせてみる。




良くも悪くも

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僕らがフォークやロックを聴き始めたころは、やっぱり特別な時代であったと思う。
「歌謡界」のシステムが欧米の新しい文化としての音楽にさらされ、根本から変わっていきつつあった時代。

専属作家による楽曲提供、興行制度、ヘッドアレンジでのレコーディング導入、作家と演者・・・。もっともっと沢山の「仕事の仕方」が、特に60年代後半から70年代いっぱいまででガラリと変わった。
そんな激しい変化をうっすら感じながら、僕らは日々新しい音楽を聴いていられた。

72年のこのライブにしてもそう。
僕はロックが英語でしか語られてなかった時代も知ってる。70年にはっぴいえんどが流れた時の違和感も覚えてる。
だから、覚悟を持って日本語でつくられた、あるいは意訳された歌と演者を誇らしく応援してた。全く新しい文化が日本でも産まれてるん違うか、と。14歳の頃に思った。
この誇らしさが、今まで続いてる気がする。

世界中でもある程度同じような波があったと思う。1940年生まれから下で60年生まれくらいの世代は、20世紀後半に、世界の大衆音楽が一番ダイナミックに動いてた事を体験として知ってる。その中で音楽の虜になり、今も聴いている人たちの、なんと多いことか。
そして、この世代にしか分からない感覚の、なんと多いことか。

音楽に音楽以上の意味があった事を知ってる世代。
シアワセなんかどうか、分からんけどね、





ブリティッシュロック ウィンウッド

スティーヴィー・ウィンウッド。これはブラインド・フェイス時代の曲かな。単なるタイミングの問題で、僕はこの人に出会うのは凄く遅かった。ロックを聞き始めた頃、この人はトラフィックやってたけども、ヒット曲やヒットアルバムや名盤と呼ばれるものを集中的に聞いていく中で、なぜかトラフィック関係には手を出さなかったから。

で、70年代の中ごろか、ウィンウッドのソロがアイランドから出て、ちょっと聴いたら凄く良くて。そっから遡りパターンでスペンサー・デイヴィスグループまで聴きなおして。気が付いたら大ファンになってた。特にスペンサーデイヴィスグループ時代のいろんな試行錯誤は大好き。そのグループを抜ける直前に、ジミーミラーと一緒に作った「アイム・ア・マン」という曲なんかは、未だに聴きたくなる。で、その次に好きなのがトラフィックの「ジョン・バレイコーン・マスト・ダイ」から後の時期、それに80年代のソロアルバム全部かな。

この動画の歌は、まさに70年前後のウィンウッドの音楽性。ブリティッシュ・トラッドみたいなフォークロアな音楽性も持ってるから、この人の音楽は凄く面白いと思う。絶対にアメリカンロックでは出せない味。で、この曲や「ジョン・バレイコーン・マスト・ダイ」とかは、アメリカでCSN&Yやザ・バンドが大騒ぎになっていたのと同じころに出てる。68年くらいからのアメリカンロックは、南部志向というかルーツミュージック回帰が大きな方向で、ルーツってのはR&B、ロックンロール、ブルーズ、カントリー、ケイジャン、アパラチアン音楽やった。アメリカではね。イギリスのほうでも原点回帰が言われ始め、フェアポート・コンベンションやブリティッシュフォークの方々の、ブリティッシュ・トラッドの匂いがする音楽やバンドが日の目を見始めた。

他にも、クラシックをベースにした音楽性のバンドや、ジャズが入ったバンドも出揃って、イギリスのロックは面白かった。この辺の動きが、今にまで続くなんでもある音楽性を、ロックにもたせたと思う。
でも未だに聴いてて意味のある内実があるものは、ウィンウッド達やその他一握りのクリエイターかなあと思う。僕にはね。

単純に、古臭くないと思ったんよ。
これ聴いて。

ウィンウッドは昔から、そんな普遍性を大切にした音楽やってると思う。それは、あの凄いボーカルがあるからやろな。
ボーカルを全面に出す音楽に、珍奇なサウンドはいらんからな。

しかし、かっこいいな。

ノーマンシーフ

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