薬師寺運動器クリニック院長のblog

栃木県下野市の日曜診療・祝日診療の整形外科・運動器リハビリ・スポーツクリニックである薬師寺運動器クリニックの院長がつづるブログです。 土曜日も月に2回程度の診療をして、週末に多く発生するスポーツやレジャーでの痛みに対してなるべくその日のうちに治療開始できるようにしています。 栃木県や茨城県西部の野球選手が数多く来院されます。 診療に関連して是非知っておいていただきたいことや、新たな情報を述べていきます。

2021年12月

当院から車で15分も走れば、茨城県に入ることができます。

県西部の結城市や筑西市ということになります。

栃木県では見られないけど茨城県で見られる、そして本拠地は北海道のセイコーマート(セコマ)が筑西市まで行くとあるので、北海道好きにとってはちょっとうれしかったりします。

コロナ禍の前は、毎年1回は学会で札幌に行っていましたし、個人的な旅行でも札幌や旭川に行くことがあるので、北海道滞在中はコンビリはセコマを利用するようにしていました。
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スーパーもそうですが、その地域にしかない店に入り、その地域でしか売っていない食べ物や飲み物を見るだけでも楽しいと思うので、セコマはお気に入りです。

今回はつくば市の国土地理院の敷地内にある「地図と測量の科学館」に行った帰りに、常総市のセコマに立ち寄りました。

やはりセコマブランドのお菓子や飲み物は多く陳列されています。

でもクマザサ茶とかカツゲンなどのローカルな飲み物はなかったように思います。
カツゲンのソフトキャンディやセコマのカップ麺などを買ってみました。
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茨城県西部を南北に走る国道294号は道幅も広く、ついスピードが出がちですが、移動時間が短縮されたことにより当院には下妻市からも受診をいただくようになりました。

当院周辺にお住まいの方からも、つくばのコストコに買い物に行く話を聞くことがあります。

今回は「地図と測量の科学館」に行ってみましたが、コストコのすぐ近くでした。
国道294号のおかげで、茨城県西部に出かけやすくなっており、これからもセコマに立ち寄ることを楽しみにします。

一方、やはり国道294号のおかげで下妻市から当院への受診もいただくようになったのではないかと思われます。
北関東の車社会は、1時間半程度までの車での移動は苦でないと思われ、そのぐらいの時間をかけて受診をいただくケースが多くなりました。栃木県内では日光市、那須町、那須塩原市からの受診も増えているように思います。

下妻市に隣接する常総市からも、日曜診療や土曜診療、祝日診療を中心に、どうぞお越し下さい。

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先日の休診日は診療以外の仕事もあったので、遠出はせず壬生にちょっとだけ出かけてみました。

東京駅丸の内口を出て丸ビルの裏あたりに、江戸時代の地図が書かれた案内の看板をかつて見たことがあって、江戸城から近いところに当時の下野國壬生藩の屋敷があったとされていたのを覚えていたので、一度壬生の城址に行ってみようと思っていたわけです。
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壬生は鹿沼方面に行くときに通過するだけで、蘭学通りに昔の名残が少しあるなという程度の理解でしたので、大きな城下町でもないのになぜ江戸の真ん中に屋敷があったのかが不思議でした。

それから、かんぴょうは滋賀県あたりから壬生に伝わったといううろ覚えの知識があったので、同じくかんぴょうを多く生産する下野市の市民としては、そのあたりも気になっていたこと、日光西街道が通過しており何らかの重要な役割があったのかなと推測をして、城址公園のなかにある民俗民俗資料館に行ってみました。
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当院周辺や宇都宮市南部などと同様に、壬生も古墳が多い地域でもあり、資料館も大きな埴輪の展示がありましたが、今回は江戸時代が興味の対象なので埴輪は軽く流して、城下町壬生についての展示をじっくり見学しました。

やはり江戸から将軍が日光東照宮に詣でる際に壬生に滞在したようですが、参詣の道程は宇都宮経由のパターンもあり、毎回のように壬生を通るわけでもないようで、しかも毎年のようにあるわけでもなく、その割に立派な建物が用意されていたのは驚きです。壬生が幕府に重要視され、江戸城の近くに江戸屋敷が造れたこととも関係するのかもしれないですね。

小山市喜沢の追分になる地点に「男體山」とか「左日光」と彫られた石碑が立っていますが、一昨年に107年ぶりに元の位置に戻ったというニュースがありました。繰り返し倒されてしまった石碑とのことで、日光に行くのに壬生経由か宇都宮経由かは、江戸時代は大事なことだったのでしょう。


資料館の展示では、かんぴょうと壬生については、1712年に城主になった鳥居忠英の時代にかんぴょうが広まったとありました。滋賀県水口(みなくち)から移ってきた殿様のようです。
現在は滋賀県甲賀市となっている水口は、甲賀市の観光協会のホームページには、水口かんぴょうとして掲載されています。こちらのホームページには、逆に1712年に壬生から新しいかんぴょうの製法が水口に伝わったと記載されています。水口は東海道五十三次の宿場でもあり、安藤広重の絵ではかんぴょうを干している人が描かれているようです。初めて知りました。

壬生の城址公園の北西には神社があって、ここには「干瓢発祥二百五十周年記念碑」と「干瓢伝来三百年記念」のかんぴょうの石像がありました。
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発祥と伝来がどう違うのか現場では考えなかったので、あらためて見に行ってみようかと思った次第で、いずれ甲賀市の水口城にも行ってみたいところですね。

今回は壬生城やかんぴょうについて資料館や神社で学ぶことができました。
2時間程度のプチ旅行ですが、身近なところでも街歩きは楽しめます。



東京ドームでの都市対抗野球の観戦の後、明るいうちに帰るのはもったいないので、都内の街歩きも楽しんできました。
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都心の病院に勤務していた頃は、渋谷区と中央区に住んでいましたが、当時も街を歩き回るのが好きでしたし、自転車通勤をしていた時期もあり、きょろきょろと見て回るのは今も楽しみのひとつです。
基本は無計画にぶらぶらと、時には裏道に入ったりもして歩いて、景色や古い建物の写真をスマホで撮影して回ります。

江戸時代から明治維新を経て、昭和の前半までの街の痕跡を見るのが楽しみで、都心は電車よりも徒歩を好んで動きます。

歩道には区で立てた歴史的な説明の書かれた小さな看板を見つけることがあります。
東京ドーム周辺は水戸藩の屋敷だったわけですが、東京ドームシティの東側から白山通りへ出ると、水戸藩の藤田東湖が安静の大地震の際に母親をかばおうとして倒れてきた梁で圧死した場所という説明の看板がありました。

神田川を越えて南下して神保町に向かう途中で、日大経済学部の近くに古い教会を見つけてふらふらと東側へ。
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地名に神田がつくこともある地域は戦災にあわなかった建物も残っていたりして、意外な発見をすることがあります。
一方で区立の小学校の建設工事も行われていて、通学する児童がそれなりに住んでいるということですね。
そのまま道なりに三省堂書店まで歩いて、医学書と地学書、イラスト集の立ち読み。
三省堂も建て替えとの告知があり、この建物もあと何回か通ったら取り壊されてしまうのだなと思うところで、その昔、今の建物が新装開店した頃を覚えているのですが、すでに40年以上経っていると思われ、建て替えも仕方がない時期なのでしょう。

駿河台を上がって御茶ノ水駅へ。上野駅に着いてもまだ明るいからもう少し歩こうと考えて、ノープランのまま上野公園へ。
上野駅の公園口は改札の位置も変わったし、外へ出ると道路も寸断されて歩道のまま公園に入れるようになっていました。
西洋美術館は工事中、博物館も今回はパスして、まずは行った記憶のない上野東照宮へ。
東照宮といえば、栃木県民には日光ですが、上野も社殿と唐門は金色です。1627年に立てられたそうですが、参道の石灯籠も各地の大名が奉納したようです。
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上野公園を抜けて寛永寺に向かおうとしたところ、上野公園の中でロバート秋山さんとケンドーコバヤシさんを含むロケ隊が何かテレビのロケをしていたようです。
都内在住時はロケ以外でも芸能人をときどき見かけたものです。
上野公園はスタバでくつろぐ人、犬を散歩させている人、修学旅行生、大道芸人など多くの人で賑わっていました。でも密ではありません。

国立博物館、旧因州池田屋敷表門黒門、京成電鉄の旧博物館動物園駅、国際子ども図書館など建築として興味深い建物のあいだを抜けて寛永寺へ移動します。
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幕末までは上野公園一帯が寛永寺だったそうですが、古地図でみる当時の莫大な敷地は、やはり徳川幕府のすごさを物語ります。
金曜の午後ということで静かなたたずまいでした。
寛永寺の墓地と国立博物館の間の道路はタクシー運転手の休憩スポットのようでしたが、ここから夕日を受けたスカイツリーがきれいに見えました。
上野駅公園口まで戻り、自宅に帰って15840歩でした。

都内は坂道・階段が多く、立って電車に乗る場面もあり、歩数も増えます。
栃木で車に乗って動くよりも運動量が増え、いつもと違う景色、いつもと違う食べ物、いつもは経験できないイベントに参加できます。
コロナ禍が一段落している今のうちに、出かけてみましょう。

今年の都市対抗野球大会は小山市からエイジェック硬式野球部が初出場で、栃木県の野球好きの皆さんは盛り上がったのではないかと思います。

初戦が日曜で、内容もいい試合だったようで、惜敗でしたが多くの方が観戦できてよかったです。
日曜が診療であったので、初戦を突破すると2試合目は金曜で休診日ということで、2試合目の観戦は申し込んだのですが、それは来年以降の楽しみとします。

で、都市対抗野球大会に観戦に行くモードにしてあったので、12/3は朝から出かけて第1試合のTDK対西部ガスを観戦しました。
TDKには白鷗大から大関投手が新入団選手としていて、真岡工業のエース投手だった頃を知っていることもあって、新人だから登板しない可能性が高いと思いつつも、出かけてみました。

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寒い12月でもドームなので観戦は先日の明治神宮大会よりも身体には優しいです。
長年野球観戦をしてきたつもりですが、都市対抗野球大会は初めてで、都市対抗野球は両チームの応援がすごいということは聞いていましたが、楽器もチアリーダーもにぎやかで、場内のアナウンスもなかなか聞こえないぐらいでした。

ヒットエンドランあり、ホームランあり、盗塁阻止+三振のゲッツーあり、さらには外野ファウルフライへのビデオ判定ありで、中身の濃い試合でした。

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公式ガイドブックには各チームの選手が紹介されていますが、栃木の高校野球の頃から知っている選手が他にも何名か掲載されています。高校の時には来院したことがなかったものの、県外の大学卒業後に社会人野球を始めるために転居する前に、気になる箇所のチェックに来た選手もいます。

高校の時に当院で治療をさせていただいた選手のなかには、来年大学を卒業し、社会人の強豪チームへの就職が内定している選手がいるという話も聞いています。
知っている選手が上のカテゴリーでプレーするのを楽しみにしています。

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 都道府県が異なると事情は全く異なるのかも知れませんが、栃木県においては、運動器リハビリを受けられていない方々が少なからずいるのではないかと考えています。

 県内でも地域差があるようで、運動器リハビリを行う施設がほとんどない地域もあり、近くではリハビリができないということで、1時間以上かけて当院まで来院されるケースも増えてきています。

 スポーツ選手の治療はある意味特殊な世界でもあり、大会出場や進学などの目標が明確でその日程も明らかなので、モチベーションは上がりやすいかと思われます。
 そのため、高校生までのスポーツ選手のリハビリは少々遠くても来院を継続することが多いです。
 塩谷・矢板・益子・茂木・大田原・市貝・芳賀といった地域から来院いただくこともあります。
 一方で、両毛地域からはあまり来院されません。おそらく群馬も含めた近隣にスポーツ整形外科が点在しており、運動器リハビリも受けられるからと思われます。
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 高齢者の慢性的な疾患で生活に支障がない程度であれば、外出を促すことも兼ねて電気治療程度でもいいのではないかと思われることもありますが、片脚立ちができないケースでは、80代でも運動器リハビリを行うようにしています。

「高齢だから仕方がない」とされて介護保険サービスに移行すると、デイサービスでは転倒しないために「勝手に立ち上がらないように」と指導されることもあるようです。
 できれば運動器リハビリを実施したいと考える理由のひとつです。

 ただし、80代以上になると来院するのも身体的に大変ということも多く、隣接する栃木・壬生・真岡・小山・結城・筑西からでも通いきれないケースがあるように思います。

 医療類似行為と呼ばれることもある、いろいろな施設へ何年も通い続けている高齢者もいるようですが、本来は近所で整形外科がきちんと運動器リハビリを行える仕組みを作っておくべきだろうと考えます。


 病院の手術後の場合も、時として「外来のリハビリは行えない」とされてリハビリを受けられていない方が受診されることがあります。
 本来は病院でも外来でリハビリができる仕組みがあっていいと思うのですが、現実は厳しく、一方でクリニックレベルで運動器リハビリを受けられる施設も少ないため、「リハビリ難民」になっている方はかなりいるものと思われます。
 当院はそのような場合も対応しており、手術に関わった先生からの紹介状をいただくことで、手術から150日までの運動器リハビリを健康保険で実施可能です。
 
 少しでも手術の知識を身につけられるよう、学会にはオンラインも含めて参加しています。当院が金曜・土曜を休診にしているのはそのためでもあります。
 ここ2週間程度は、足の外科学会と肩関節学会の学術集会を、連日数時間オンラインで聴講しておりました。
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 宇都宮・小山はもちろんのこと、県内各地や茨城県西部からリハビリを希望されて受診という方を広く受け入れるのを当院のミッションのひとつとしています。
 病院ほどのレベルではないけれど、クリニックとしては高いレベルの診療ができるよう、研鑽をしてまいります。
 スポーツ選手だけでなく、10代~高齢者まで幅広い世代の皆様にご利用いただければ幸いです。
 

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