薬師寺運動器クリニック院長のblog

栃木県下野市の日曜診療・祝日診療の整形外科・運動器リハビリ・スポーツクリニックである薬師寺運動器クリニックの院長がつづるブログです。 土曜日も月に2回程度の診療をして、週末に多く発生するスポーツやレジャーでの痛みに対してなるべくその日のうちに治療開始できるようにしています。 栃木県や茨城県西部の野球選手が数多く来院されます。 診療に関連して是非知っておいていただきたいことや、新たな情報を述べていきます。

2022年01月

下野市・小山市・栃木市付近は古墳や遺跡、城址などの史跡が多い地域です。
当院の近くには奈良時代に東国の仏教の中心であった下野薬師寺が建立され、下野市内は国分寺と国分尼寺もあり、思川を渡った西側には下野の国府があって、都と東国を結ぶ東山道が通っていたことになっています。
当院の前の道もかなり古いもののようであり、歴史の研究職をしている患者さんによれば東山道の可能性もあるとのことです。

さて、先日小山ベースボールビレッジからの帰りに大規模な縄文時代の遺跡である寺野東遺跡に立ち寄りました。
ベースボールビレッジへの行き帰りに通る県道(これも江戸時代の街道 日光東往還)に寺野東遺跡の案内標識があって、以前から気になっていました。
工業団地の一角には資料館もあって、係の人が常駐をしており、名前を書いて体温を測ったうえで無料で見学できます。予想以上に充実した展示でした。
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縄文式土器をはじめ出土したものや、縄文時代当時の村の想像模型の展示があり、係の人は「コロナ禍で本当は今は上映しないのだけど」といいつつ、遺跡についてのDVDも見せていただきました。

今でこそ工業団地で開けていますが、かつては雑木林だらけの地域で、どんぐりなどの木の実には恵まれていたと思われます。
江戸時代は日光東往還のこのあたりには「追い剥ぎ」が出ると言われていたと、どこかのWEBサイトで読んだ気がします。

遺跡の東側の低地には田川が流れており、これは上流へ行くと宇都宮の駅のそば流れている川で、数年前に宇都宮で氾濫したように、下野市~小山市東部でも氾濫を繰り返したと思われます。そのため遺跡の東側は部分的に失われたようだと展示に書かれていたかと思います。
一方で水に恵まれていたことから、どんぐりなどの木の実のあくを抜くために水につけていたという木組遺構も遺跡で発見されたそうです。

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不勉強で縄文時代が1万年近く続いたとは知らず、この遺跡も旧石器時代~平安時代までの長い年表があり、安定した地盤で住みよかったものと思われます。
古墳が栃木県南部で多く造られた時期、あるいは奈良時代に仏教に関連して人の流れが盛んであった時代にどんな村であったのかとか、江戸時代には近くを街道が通ったのに、集落がなくなってしまっていたのかとか、いろいろ想像されるところです。

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遺跡は現在は埋め戻されて広い草地になっているようです。
寒い日で草花も芽吹く前でしたので、屋外は長居はできませんでしたが、春ののどかな日にはのんびり歩いてみてもいいかもしれません。
遺跡の東側には、駐車場から階段があって下りることができます。田川の流れの向こうに筑波山がきれいに見えます。縄文人も筑波山を見たはずです。
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奈良や京の都からは遠く離れており、朝廷とも幕府とも関わりのない歴史は表舞台には出てこないのですが、学校の日本史の教科書には載らないような、ローカルな歴史も興味深いところです。

暖かい春ののどかな日にまた出かけてみようかとも思います。
人混みのない密とは無縁な地域です。
外へ出て歩いてみましょう。

休診日の金曜を利用して、都内で医療ではなく人事やスタッフのマネジメントに役立つ研修を受けてきました。

10時半スタートなので、8時過ぎに自治医大駅に行きましたが、すでに通勤・通学の時間帯ではないようで電車が到着する直前までは閑散とした感じでした。
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乗り継ぎの関係で小山から上野まで新幹線を利用しましたが、こちらもコロナによる在宅勤務が増えているのか、空いている印象でした。

研修先の近くには旧貴族の邸宅をレストランとした建物がありました。江戸時代の地図と対比できるアプリを見ると、昔はその貴族と同じ姓の江戸屋敷だったようですね。

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13時過ぎまで研修を受けた後、急いで帰る必要がなかったので、本郷三丁目で下車をして湯島経由で上野まで歩いてみました。

都内の病院に勤務していた頃、渋谷区のマンションから外勤先の墨田区の病院に向かうのに、毎週車で通っていた道を、十数年ぶりに歩きました。
車では気づかなかったような建物やお店があって、やはり都心部は電車・地下鉄よりも歩いた方が面白いです。
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途中、湯島天神にも立ち寄り、40年ぐらい前の高校受験前に行ったような記憶があり、男坂は覚えていたのですが神社の建物や配置は全く覚えていませんでした。
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坂を下りて、池之端方面へ曲がり、上野駅に戻る前に数年ぶりに不忍池に行きました。
不忍池が日本の駅伝発祥の地というのも聞いていたのですが、確かに石碑がありました。
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昨年行った寛永寺の関連施設としての不忍池辯天堂と清水観音堂に立ち寄りました。
辯天堂の説明を読むと、なんと現在筑西市となっている旧下館市にあった城の殿様が造ったようです。
道路を挟んで上野の山の上にある清水観音堂はその名の通り京都の清水の舞台をイメージした造りになっています。舞台の上からは真正面に観音堂が見えます。

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上野公園のシンボルのひとつである西郷隆盛像もいままできちんと見たことがなかったなと思い、これも見物してから上野駅へ。
一蘭のとんこつラーメンを食べてから栃木へ戻ってきました。

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この日の歩行はこれでも12000歩程度です。
JRと地下鉄の駅構内の階段昇降や坂道の昇降もあったので、歩数以上に運動にはなったと思います。
街歩き中は密な場所は全くありませんでした。

日常診療では「東京はコロナが怖い」という発言を耳にすることもありますが、場所と時間を選べば感染は防げるものと考えます。
リフレッシュと運動としての外出を適度に行いましょう。


2020年12月に栃木県内の9つの野球団体と医療側の組織であるNPO法人野球医療サポート栃木が参加して、栃木県野球協議会が設立されました。
9つの団体とは、栃木県民球団(栃木ゴールデンブレーブス)、JABA栃木県野球連盟、(一財)栃木県野球連盟、栃木県高野連、栃木県中体連の野球専門部、中学硬式の4団体(ボーイズ、リトルシニア、ポニー、ヤング)です。

2021年には女子野球連盟栃木支部と関甲新学生野球連盟も参加して全部で12の団体からなる組織になりました。

先日1月15日に小山市の小山ベースボールビレッジで栃木県野球協議会の総会が行われました。
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医療側の組織である NPO法人野球医療サポート栃木のメンバーとして出席し、総会の進行のお手伝いをさせていただきました。
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現在、野球人口の減少が全国的に見られるようですが、栃木でも例外ではなく、消滅した学童野球チームがありますし、チームの選手の人数も少なくなっているようです。

医療側の立場でいえば、選手の人数が少なければ、試合や大会の数が減らない場合は肩・肘・腰の負担が大きくなり、それぞれの故障が起こることを懸念しています。

学童野球はまだ骨ができあがっていない年齢の選手たちがプレーをしており、負荷の増大は骨・軟骨障害を来すことにつながりかねません。

野球人口の拡大のためには野球の普及の推進も必要であり、各野球団体がいろいろと工夫を凝らしているところでもあります。

こういった活動も先進的に取り組んでいる県があり、そういった県の野球や医療の関係者から学ばせていただく機会も必要です。

栃木県野球協議会は栃木県の野球を盛り上げていけるよう、試行錯誤しながらも連携して活動を行っています。

12月に野球フェスタというイベントを成功させるべく準備を始めています。
事務局ではそれにむけた話し合いを繰り返し行っています。

栃木県野球協議会の活動にご賛同いただける個人や団体からの寄付も募集中です。
各チームの関係者、野球団体関係者、野球に関わる企業の皆様などに趣旨をご理解いただくべく、ホームページ https://tpbo89.com/ をご覧いただければ幸いです。

総会終了後に外に出てみるとエイジェック女子のユースの選手でしょうか、練習をしていました。
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女子野球はこれから選手が増える状況にあり、エイジェック女子硬式野球部は日本の女子野球のトップチームとして注目されており、栃木の女子選手がさらに増えることが見込まれます。

まだまだ新型コロナの問題が続いており、今後も野球がどの程度行えるかわからないところもありますが、栃木県野球協議会の活動にも関わってまいります。






2022年の診療が始まりました。
正月明けで身体がまだなじんでいないところの3連休でほっとするところですが、当院は3連休も平常通りの診療です。

国内でもオミクロン株の感染拡大が一気に進み、新型コロナウイルスに影響を受ける状況がまだ続くようです。

栃木県も1/11からほとんどの学校が授業を再開しますので、さらなる感染拡大が懸念されるところです。

もうすぐ3回目のワクチン接種が下野市でも始まります。


当院のある薬師寺地区は、奈良時代に東国の仏教の中心として下野薬師寺が建立された歴史のある地域で、当院の前の道も中世にはすでにあった古道とのことです。

薬師とは病の平癒を祈る場所であり、古くから病を治したい方々の信仰を集めていた地域とのことです。現在も自治医科大学がありますが、この大学の所在地も薬師寺地区になります。

奈良の薬師寺に隣接して神社があるように、下野薬師寺にも隣接して神社があり、この地区の鎮守としての薬師寺八幡宮には約1200年の歴史があります。

参道に連なり、また八幡宮の西側に続く道は鎌倉道でもあるようです。
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当院は新年に薬師寺八幡宮にご祈祷をお願いしており、今年も1/7に参拝をしてまいりました。
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静かな境内には摂社としての八坂神社もあり、当院周辺に祇園原、祇園小学校、祇園1~5丁目といった祇園という地名がつくことにも関連しているそうです。

東山道も近くを通っていたようであり、国分寺、国分尼寺建立された地域でもあります。
奈良あるいは京都から遙か遠くの下野の地に都からの文化がもたらされていたものと思われます。

そんな歴史を想いながら新年の祈願をしてまいりました。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
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