下野市・小山市・栃木市付近は古墳や遺跡、城址などの史跡が多い地域です。
当院の近くには奈良時代に東国の仏教の中心であった下野薬師寺が建立され、下野市内は国分寺と国分尼寺もあり、思川を渡った西側には下野の国府があって、都と東国を結ぶ東山道が通っていたことになっています。
当院の前の道もかなり古いもののようであり、歴史の研究職をしている患者さんによれば東山道の可能性もあるとのことです。

さて、先日小山ベースボールビレッジからの帰りに大規模な縄文時代の遺跡である寺野東遺跡に立ち寄りました。
ベースボールビレッジへの行き帰りに通る県道(これも江戸時代の街道 日光東往還)に寺野東遺跡の案内標識があって、以前から気になっていました。
工業団地の一角には資料館もあって、係の人が常駐をしており、名前を書いて体温を測ったうえで無料で見学できます。予想以上に充実した展示でした。
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縄文式土器をはじめ出土したものや、縄文時代当時の村の想像模型の展示があり、係の人は「コロナ禍で本当は今は上映しないのだけど」といいつつ、遺跡についてのDVDも見せていただきました。

今でこそ工業団地で開けていますが、かつては雑木林だらけの地域で、どんぐりなどの木の実には恵まれていたと思われます。
江戸時代は日光東往還のこのあたりには「追い剥ぎ」が出ると言われていたと、どこかのWEBサイトで読んだ気がします。

遺跡の東側の低地には田川が流れており、これは上流へ行くと宇都宮の駅のそば流れている川で、数年前に宇都宮で氾濫したように、下野市~小山市東部でも氾濫を繰り返したと思われます。そのため遺跡の東側は部分的に失われたようだと展示に書かれていたかと思います。
一方で水に恵まれていたことから、どんぐりなどの木の実のあくを抜くために水につけていたという木組遺構も遺跡で発見されたそうです。

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不勉強で縄文時代が1万年近く続いたとは知らず、この遺跡も旧石器時代~平安時代までの長い年表があり、安定した地盤で住みよかったものと思われます。
古墳が栃木県南部で多く造られた時期、あるいは奈良時代に仏教に関連して人の流れが盛んであった時代にどんな村であったのかとか、江戸時代には近くを街道が通ったのに、集落がなくなってしまっていたのかとか、いろいろ想像されるところです。

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遺跡は現在は埋め戻されて広い草地になっているようです。
寒い日で草花も芽吹く前でしたので、屋外は長居はできませんでしたが、春ののどかな日にはのんびり歩いてみてもいいかもしれません。
遺跡の東側には、駐車場から階段があって下りることができます。田川の流れの向こうに筑波山がきれいに見えます。縄文人も筑波山を見たはずです。
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奈良や京の都からは遠く離れており、朝廷とも幕府とも関わりのない歴史は表舞台には出てこないのですが、学校の日本史の教科書には載らないような、ローカルな歴史も興味深いところです。

暖かい春ののどかな日にまた出かけてみようかとも思います。
人混みのない密とは無縁な地域です。
外へ出て歩いてみましょう。