子どもの頃はどんな遊びをしていただろう。
田舎育ちの自分は、夏の思い出と言えば学校の帰りに川へ入ったり、網を持ってアユ取りに出かけたり。
冬は外で雪だるまを作ったりかまくらを作って遊んだのを覚えています。
少年野球を始めてからは、家の庭で兄弟や近所のお兄ちゃんたちとホームラン競争をしてよく遊んだものです。
そんな遊びと並行するように、ゲームボーイやテレビゲームが流行り、ポケモンやたまごっちのように小さな画面に夢中になっていました。
しかし、自分たちの子どもの頃であれば、まだ自然と戯れながら遊んでいた方だと思います。だから、高校になって大都市の学校へ通い始めものすごいギャップを感じたのを覚えています。
幼いころはそんな生活をしていたので、ソロモンマルーの大自然を目の前に物怖じすることなく生活できていると思います。
さて、この地の子どもたちはどんな遊びをしているのでしょうか。
もちろん、テレビゲームも小さなゲーム機もありません。
女の子たちはロープ二本の両端をそれぞれ持ち、ロープの高さを変えながら、もう一人がそのロープをジャンプして遊びます。(縄跳びの感覚に似ていますね)
また、棒や長い茎の草を手に立て、バランスをとって遊びます。(傘でよくやりますよね)
最近はマンゴーのシーズンで、どっさりなった果実を採るために、木登りをします。
「ユウスケ~!」
と、どこからか声がしますが姿が見えません。そんな時、高い木のてっぺんを見上げてみるとよく子どもたちが上から叫んでいるのに遭遇します。
動物も恰好の遊び相手です。
うちのラブ(子犬)もよく、子どもたちに遊んでもらっています。
動物を糸に括り付けて飛ばして遊ぶのも楽しそう!
例えばカブトムシの角に紐で結びつけ、うまいこと興奮させて暴れ回るようにして遊びます。また、虫同士を対決させ勝負を楽しみます。(動物心が分かっています)
自分もチャレンジ!
また、ササのような植物をうまいこと風車に組み立て、棒に突き刺して走り回ります。
お父さんと一緒に遊ぶのも最高に楽しそうです。
海では魚をつかみ取りしたり、青いヒトデをブーメランにして飛ばして勝負しています。
畑では、ふわふわの土の上を裸でのびのびと走り回り、お母さんに叱られて本当に楽しそう。その分お手伝いもしっかりしていますよ!
少し高い場所があれば、そこで踊り狂うのはお互いに心を開き、安心した友達関係だからでしょう。
ピッチャー第一球投げました!
よく鳴き声も聞こえてきます。でも、すぐ泣き止んでまた遊んでいます。
喧嘩もすぐに始まってすぐに終わります。
自分たちで折り合いを自然につけられるところがすごいなって思って見ています。
後に引きずったり、相手を恨んだり、いじめに発展したり、陰湿な雰囲気が感じられないのは鈍感なだけですかね。
テレビゲーム、携帯ゲームについて最近日本はどんな議論がされているでしょうか。
同じ人間でも、社会という環境によって、徐々に身に着ける様々な能力や性格が違ってくるのは確かです。オオカミではなく人間が人間を育てていかなければならないのは誰もが納得することです。
今と昔を比較して良い悪いと言うわけではありません。
ただ、大自然の中で生きる人と、ネット、テレビゲーム社会で生きる人とでは明らかに違うことがあります。それは、「生活の中で感じる“命”」の質だと思います。本当の“命”を目の前に感じて生きる「時間」が明らかに違うと思います。体温、呼吸、表情、目の奥の心を感じながら生活する「時間」が明らかに違います。
命を感じるから成功するとか、偉い人になれるわけではないのは分かります。
これは人間を育てるほんの一つの要因だと思いますが、少なくとも“生きることや死ぬこと”“心の痛みや悲しみ”については“生の生命を前にしている時間が長いほど”自然と体に入り込んでくるのではないかと感じます。