『マルー初研究授業』
今日は、年度初めの職員会議で企画書を提出させていただいた研究授業の日です。
(今回も自分の中で整理したい部分があるので、細かく区切って書かせてください。今日は、授業までの流れや考え・思いを書きます。)
○方法について簡潔に説明すると
私の授業に先生方が見に来るというスタイル。
11時40分から始まる、フォーム4(高校1年生)の45分間の理科の授業に、その時間空きの先生方に来ていただき、コメントシート(A4の3分の1程度の紙)に感想とアドバイスを書いていただくというものです。
ずいぶん前の職員会議で紙を配布したものの、覚えてくれてはいないだろうと予想し、朝から来ていただけるようにお願いして回りました。
先生たちの授業の合間を見て、一人ずつに、
「今日はデモンストレーションクラス(研究授業)を行うから、是非見に来てほしい。」
と言いながら、“お菓子”を渡していきます。
職員室にある小さな黒板にも、
「是非紹介したい授業があるから、来てほしい。来てくれたら“日本のお菓子をプレゼント!”」
と書いて宣伝しました。(お菓子でもつる。お腹が減りますから。)
日本でも研究授業の“当番”が回ってきたら、一カ月前からそわそわして、憂鬱な気持ちになったのを思い出します。
日本人でもこんなにプレッシャーがかかる研究授業を、マルーの先生に説明して無理矢理やらせることは不可能だと思いました。
そうではなく、研究授業を導入し、教師全体の教育力向上を目指すために、まず、自分がやって見せなければならないと考えました。
研究授業は普通に行われるものだという雰囲気を出すこと。
研究授業は“当番”になったら喜ばしいこと。
むしろ、日本の先生は研究授業というものを取り合いするんだよ!というイメージを与えること。
だから、見に来てもらいたい、という心からの思いを伝えるために必死でした。
来てほしい、来てくれたらいいことがある、来てくれたら心から嬉しい。
『研究授業の目的』
・教員が研究授業とはどういうものかを知り、意義を理解し、指導力向上に向けて、継続的に実施して“危なくないもの”と感じることができる。
ふざけているように思われても仕方ありません。
しかし、本気の目的です。理解されにくいかもしれません。
いきなり来た日本人が行う研究授業というものが、自分たちの国、地域、自分自身にとって、「安全かどうか」ということが間違いなく第一なのです。
何かを始めるときは、「教育的意義」を理解しただけでは現実は動きません。そこに、自分自身の生活、暮らし、命、家族が「安全である」というベースが必要なのです。だから、まず、「研究授業は負担でなく、楽しく、ハッピーなものだよ」という雰囲気を醸し出すことが一番大切だと思いました。
これは、前の学期からものすごく感じることで、今、文化を理解するから言えます。
研究授業を「生み出す」ために。生みの苦しみの場面は目的も違ってきていい。
今回の『授業の目的』は、
・ゲームを使った授業を通して、子どもたち全員が活発に活動し、授業を楽しみ、興味関心を抱いているように“見せる”。
日本でやったら追放されそう・・・
本来は、子どもたちにつけたい力をつけさせるために、全力で授業を行った先生について、みんなで議論していくのが研究授業のように思います。
そうではなく、今回だけは先生たちがメインの授業と考えさせてもらいました。
だから、先生たちに分かりやすく、子どもたちが活発に“見える”ゲームをまず使いました。(ここはもっと良い方法があるとは思います)
それを見たマルーの先生たちが、子どもたちの学習意欲が見るからに増している、と感じられるものでなくてはならないのです。
また、理科の先生に限った研究授業でないため、実験をすることもできません。どの先生にも分かりやすいもの・・・
このような方針で進んでいくことを決意し、教材を決定し、実践していく流れとなりました。
○自分の思いをまとめて箇条書きにすると
「研究授業という方法を是非導入したいのです!」
「授業を見ること、見られることで効果的に学べるのです!」
「授業を見ること、見られることは失礼なことでも、恥ずかしいことでもないのです!」
「授業をもっともっと見てほしいのです!」
「マルーの学校でマルーの先生たちと一緒に授業について考えたいのです!」
小さい子の作文のようですみません・・・
世界トップクラスの教育大国日本では、膨大な研究が昔から積み重ねられており、無知な自分は専門的なことは何も言えません。
ちょっと“ひっかいた”程度ですが、研究授業の目的として下の①②のようなものがあります。
その目的を達成するためには、☆が必要だとしきりに書かれています。
①「授業をみる側が実践者の意思決定プロセスに歩み寄りながら、そこでの事実を読み解いていく中で、各自が自分自身の教材観や授業観などを問い直し、同僚と議論し合う中で授業の鑑識眼を高めていくことを目的」
②「研究授業の意義は、授業者の実践を手がかりに、参観者一人ひとりの個性的・主観的な見とりを互いに公表し合って、教材観や授業観、子ども観などを交流していくことにある」
☆『それらの目的のために、研究授業を特別な儀式にせず、日常の授業をお互いに公開し合い、そこでの気づきを情報交換し合うものに改革していくことが期待される。外側から与えられたテーマに沿って“やらされる”研究授業ではなく、参加者同士が自分の授業改善のために主体的に学び合う協同学習会として研究授業を位置づけられたら、本来の授業研究としての意義となる。』
参考:(京都府教育委員会ハンドブック等)
結局、ベースとなるのは☆の部分。
それは、教員の人間力にかかっているように思います。
マルーのアーノン・アトメア中高校では、色々なステップを飛び越して、☆へたどり着くつもりです。
だから、誰かが、
「今度は私がやってみたい!」
と手を挙げるまで絶対に自分がやり続けようと思います。
後一年ちょっとの任期で達成できるか・・・・
(明日は具体的な授業内容を書きます。)
いつもクリック↓していただきありがとうございます!
