青年海外協力隊!ソロモン!教師!

青年海外協力隊平成27年度1次隊、理科教育でソロモンへ派遣されます、西山裕介です!理科教師として、ソロモンの中、高学校で働きます。ソロモンのマルーという田舎町ですが、人々との触れ合いを一番大切に考え、一生懸命頑張ります。

2016年04月

世界の中には、時間について厳しく指導する文化もあります。

 

「時間を守ろう」

「環境をきれいにしよう」

「あいさつをしよう」

 

日本の学校現場ではこのようなスローガンを目にします。(豊富な経験はありませんが)

その時間については赴任当初に少しだけ書かせていただきました。

 

1年近く過ごしてみて、感じること。

 

時間感覚は「生きる知恵」です。

 

泥だらけになる畑仕事に時計はつけないでしょう。

ココナッツの木に登るのにも時計は邪魔になります。

(働き方の違い)

 

鶏を育てるのに、「12時になったからエサをあげなさい!」という指導をしますか?

鶏の様子を見たり、エサや水の減り方を見て、適切なタイミングであげるのです。

8時になったから野菜に水をやりなさい!」とはいかないのです。

土の渇きや、天候を見て水をやるのです。

(生活の対象は機械でなく“生命”)

 

1時になったから次の授業へ行きなさい!」とはいかないのです。

大雨が降っているので、この教室で雨宿りする間、もう少しだけ問題を解いて待ちましょう、となるのです。

 

3時になったから、外で走りなさい!」

太陽がそんなに高い状況で、走らせて生徒を死なせる気ですか?となるのです。

ちょうど曇ってきた315分くらいからなら走れるかな、となります。

(時間厳守できない環境がある)

 

『上手な時間感覚を生み出し、生きておられます。』まさに知恵です。

 

他の国では、時間感覚を生活の“知恵”として扱っているでしょうか。空気に任せて、「時間厳守=正しい」となっているところもあるかもしれません。

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それに関連して、今日の出来事。

 

いつも通り、少し日が陰ってきた“時間”(数字ではありません)になると、子どもたちがサッカーボールと練習道具を取りに来ます。

 

大体の選手が集まり、練習を開始して少し時間が経ったときに、一人の選手がやってきました。

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一瞬、「んっ」という、遅れた子に対する、日本の感覚が込み上げてきましたが、その子の手を見て考え直したのです。手は泥だらけでした。

 

「ああ、週末で家の畑仕事を手伝っていたんだ・・・」

 

1年も生活すれば、こんなことにすぐに気づけるようになります。

 

去年のように、危うくその子に「遅刻だぞ!」という気持ちを心に抱きながら話しかけるところでした。危ない、危ない。

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「なんで遅れた?」とか「何してた?」という“うっとうしい”質問もせずに済みました。

 

「えらいな。家の手伝い頑張ってるな!家の人も喜んでるだろ!」

 

こう言えたことに、自分が一番ほっとした気持ちになるのが分かりました。

伝えられてよかった・・・

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文化理解、生活理解、子ども理解。

少しずつ、この地の子どもたちが理解できてきているのかもしれません。(遅すぎますが)

 

この、少しほっとした気持ちが練習の最後のミーティングまで続いていました。

最後のミーティングでは、明日の大会(小学校も含めた大会。ビッグマンが来られます。)のための役割分担などを決めた後、こんなことを言いました。

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「みんなの世代は、家での仕事も多いだろう。畑仕事をしたり、薪を集めに行ったり、水を汲みに行ったり、ご飯をつくったり、草を刈ったり。今日みたいな週末は特に家族もみんなの働きを期待していると思う。長くここに生活してみんなのことは少し理解できる。サッカーもみんなにとって大事だけど、家の仕事はもっと大切だと思う。生きていくうえで一番大切なんじゃないかな。だから、サッカーよりも家の仕事があればそちらを優先しよう。家で草を刈ったり、木を運んだりするのも凄いトレーニングだぞ!それで鍛えられるから、心配するな!」

 

子どもたちは、今までのミーティングの中でも一番良い表情をしていたと思います。

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子どもたちの中に無意識に芽生える「本能的ニーズ」がそこにあります。

家庭や家族に不安を抱える状態では、どこの国の子どもも絶対に素直に、思い切って、生きていくことはできません。

 

なぜもっと早くこういうことを言ってやれなかったのか。

遅すぎる。情けなさと後悔でいっぱいでした。

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部活動をもっと教育的価値あるものにしないと申し訳ない。

家の仕事を必死に早く終わらせてやってくる子どもたちに、もっと質の高いものを与えないと。

ただ楽しんで、遊びのようなサッカーをして、汗だけ流していて、家族に何て説明すればよいのか。

 

もっともっと、質の高い「教育」の機会にしなければ。

 

☆話は変わります。

 

最近は、スーパースターの活躍に刺激され、多くの先生や地域のサッカー経験者がグラウンドで子どもたちと一緒に活動してくださいます。

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最後のミーティングでは、必ず感謝の気持ちを伝え、一言話をしていただくように心掛けています。

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若い先生たちはもちろんのこと、地域のサッカー経験者の方々も、「子どもたちへの関わり方」を熟知されています。

そこからは、常日頃、「異年齢」による関わりが深いことを感じずにはいられません。

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「異年齢交流」が希薄であれば、上下関係でしか人を見られなくなったり、同年代での「いじめ」が多発すると言われます。

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毎回のミーティングで、子どもたちは先輩の話を尊敬の眼差しで聞いています。

それに答えるように、「優しい表情で厳しい話」をしてくださる先生や地域の方々には心から感謝いたします。一番伝わります。

 

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「学校教育を多様なネットワークと結合させる試みは、多くの学校で着手されている。多くの教室で地域の人々を講師として招く授業が展開されているし、学校の行事や文化活動を教師と親の連帯で推進している学校もあらわれている。さらには、父母がボランティアで教師のアシスタント(助教師)として教室を訪問する動きもあらわれている。教師と親とのティームティーチングが実現しているのである。さらに新しい動向として、教育の方針や実践の在り方を教師の代表と生徒の代表と親の代表の三者で討議して決定する学校も出現してきている。」(ひと誌:学校に出没するヘンなおじさん・おばさんたちより)

 

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地域の人は学校に関わらないでほしい。

親が入ってくると面倒だ。

教師としてのプライドがこちらにはある。

 

こんな気持ちが日本であったのは事実です。今は、なぜだろう?と疑問を持ちます。

 

コミュニケーションの欠落、だったのかもしれません。

上手く、親、地域と関わることができずにいたのだと思います。

子どもたちを自分の所有物みたいに囲い込みすぎていたのかもしれません。

 

日々勉強。

 

明日はビッグイベント!!

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「目標」に飢えていた。

このことを身に染みて感じたのは、前のタームに実現した「対外試合」の時です。

 

試合の日程が決まったとたんに、子どもたちの目の色は変わり、生まれ変わったように意欲が増したのが分かりました。

 

人はなぜ目標があれば意欲が増すのでしょう。

まだまだ勉強不足で、それを解決するための心理学の域には達していません。

 

しかし、自分の体験からも、目標を見据えて常に生きてきたように思いますし、目の前の子どもたちにも常に目標を持つことを強要してきました。

 

こんな風になりたい、こんなことがしてみたい、何点取りたい、勝ちたい。これらの目標を抱いたことのある人は多いと思います。

 

日本にいても、ソロモンにいても、世界中どこへ行っても、目標によってモチベーションが上がるのは同じなのです。

 

アブハム・マズローが唱える、5段階欲求は心理学の世界では大変有名です。

高次の人間の欲求には、尊厳欲求と自己実現欲求があります。

尊厳欲求は、自分を認めてもらいたいという欲求のこと。

自己実現欲求は、自分の能力を引き出し、創造的な活動をしていきたいという欲求です。

 

しかし、マズローは晩年この上にさらなる欲求があると言っていたようです。

 

それは、「自己超越」の段階です。

 

自己超越とは、「目的の遂行・達成だけを純粋に求める」という領域です。

見返りも求めず、エゴもなく、自我を忘れてただ目的のみに没頭するという領域です。

 

「宿命に生まれ、運命に挑み、使命に燃える」(元総理小渕恵三)

 

という言葉もあります。

 

この言葉から考えられるのは、人間は“生まれるように”天から与えられた命であり、その命を自分がコントロールすることはできないのということです。

 

要するに、生まれることを拒むことは絶対にできないのです。

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そして、生まれてしまった限り、次に人間が従はなければならないのは、「生きる」という運命です。

生まれた命として、最初から誰しもが持っているのは「生きる」という使命なのです。(宗教的ですが)

 

小渕さんがおっしゃっているニュワンスとは少し違うのかもしれません。

恐らく運命とは、育ちの環境や自分は望んでいないかもしれない不運のことを言っているのだと思います。

使命は、そのような自分が生きる世界で、生まれてきた意味を考え、自分の生き方を実現していくことなのだと思います。

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勝手なことを言いますが、

人間は、宿命としてこの世に生まれ、その瞬間から、「生きる」という『目標』が備わっているのだと思います。

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その『生きるという目標』が自分の体に内在していることこそが、運命であり使命なのだと思います。

 

だから、目標を持つとモチベーションが上がるのは当たり前なのです。

目標を持つということは、「生きようとする、人間に備わっている心」に従っていると考えられるからです。

 

(わけのわからないことを言っています)

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今日は、目標をつかみ取るために、隣町まで足を運びました。(前とは違う村)

 

前回も紹介しましたが、交通機関に頼ることが全くできないソロモン、マルーでは、自分の足だけが、唯一時間が狂わず、思ったときに移動できる手段です。

 

そして、前回は大雨の中、隣町まで練習試合を申し込みに行きましたが、今日は、真逆の天気。

日が昇る前に家を出たのですが、数時間もすると、太陽がいじめるように鋭い日光を浴びせかけます。

 

「今日は本当に危ないかもしれない・・・」

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そんなことを考えながら、もしも、何かあった時の手段を考えていました。

しかし、そんな心配を吹き飛ばしてくれる天使たちに出会うことができて命は助かりました。

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それは、子どもたち。

 

隣町のアブブという村へ行くまでの間に、子どもたちが後をつけてきたり、喉が渇いて倒れそうになっている私を見て、ココナッツジュースを御馳走してくれたのです。

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ジャングルの中を通って、学校まで通う子どもたちは、その途中でココナッツを拾って、水分補給をしているのです。そのココナッツを親切にくれるのです。涙が出そう・・・

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のどを潤し、「生き返る!」と大声で叫びたいほどでした。叫んでいました。

 

そんな「奇跡」を引き寄せ、また一歩ずつ歩き出そうと思えました。

2時間・・・3時間・・・「今日はきついぞ・・・」

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やっと着きました。

アブブという隣村には小さなセカンダリー(中高校)があります。

アポイントメントも何も取らずに行ったので、学校の先生たちは驚いていました。

しかし、私のことについては、隣町の人々もすでに知っているようで、話は早かったです。

 

「サッカーの試合をしてほしいのですが・・・」

 

担当直入に言うのが一番分かりやすい。

さすがは、ソロモンの先生方。

どこの学校へ行っても、快く職員室へ案内してくれ、椅子に腰かけ、早速日にちや試合内容、準備物を確認することに成功したのです。

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これでまた、目標を持たせることができる・・・

 

日にちや時間は変更大いにあり得るので、今は少し言えませんが、なかなか良い日程であるのは確かです。

 

それと同じようなタイミングで、前回対外試合を初めて行ったビタアマという村の中高校からも、5月の中旬に試合をするために今度はマルーへ行きたい、という連絡が入っていました。その電話も、「奇跡的」に今日いただきました。

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5月は熱い月になりそうです!!

 

面白かったのが、その交渉の後、学校を見学させていただくことができたことです。

自分の勤めるマルーのアーノン・アトメア中高校以外の学校はあまり見たことがないので、大変興味がありました。

 

教室のサイズも違えば、もちろん人数も違います。

先生たちとあいさつをし、教室へ向かいます。

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珍しそうに私を見つめる子どもたち。

でも、同じソロモンの子どもたちの目をしています。

優しい表情で受け入れてくれます。

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「今度、この学校へサッカーの試合で来るから、その時はよろしくね!」

 

そう言って、一緒に写真をちゃっかりとってしまいました。(子どもたちより先にフレンドリーになってしまった・・・)

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帰りも、灼熱のロードを一人、とぼとぼと帰っていきました。

熱い、ちくしょー、水がない・・・

 

その時です!またしても、目の前からソロモン女性二人と、男の子が歩いてきたかと思うと、ココナッツをくれたのです!

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「ホットトゥーマスヤ!」(熱いよね!)

 

そんな優しい言葉を掛けてくれ、また涙が出そうになりました。必死に前歯でココナッツを剥き、吸い付くようにココナッツの中の水分を飲み干しました。

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目標をつかみ取ることは、やはり、苦労がつきものです。

 

さあどうなる。

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思い出をたらたら書きますので、時間があれば読んでください。

 

 

今回のタームの、毎週月曜日のプレゼンテーションの計画を立てました。

 

1回・・・アメリカ文化

2回・・・第2次世界大戦

3回・・・日本のテクノロジー(戦後)

4回・・・人種差別

5回・・・女性差別

6回・・・性教育第2回(生命誕生)

7回・・・環境教育第2回(世界の環境問題)

8回・・・折り紙教室(臨機応変)

 

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このような流れで行っていこうと思っています。

 

今日は「アメリカ文化」についてプレゼンさせてもらいました。

 

なぜ、アメリカなのか?

 

単刀直入に言うと、アメリカへ行ったことがあり、写真が沢山あったからです。

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後から付けた理由としては、やはり、世界一の経済大国であり、世界に多大な影響を与え、世界を良い意味でも悪い意味でもリードしているからです。

 

プレゼンテーションでは、地図帳でのアメリカの位置から始まり、コロンブスや、トーマス・ジェファーソン、リンカーンなどの歴史上の重要な人物の話をまずしていきました。

 

歴史の重要な出来事として、南北戦争、第2次世界大戦などを取り上げながら、浅く広く説明していきます。

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後半はアメリカ留学の経験を、写真を見せながら話していきました。

ほとんどの名所には足を運んでいますので、写真は豊富にありました。

 

まずは、アメリカの首都ワシントンです。

特に、ホワイトハウスの前で写真を撮っている場面を見て、子どもたちは歓声を上げました。“オバマ”については知っており、ここで生活することもあることを説明すると、感激している様子でした。

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ニューヨークの有名な“タイムズスクエア”の写真では、都会のネオンが眩しすぎる様子でした。

 

ナイアガラの滝や、グランドキャニオンといった自然観光名所の写真では、最初はソロモンも負けていないぞ!という様子でしたが、その驚くべき規模の大きさにあいた口がふさがらない感じ。

 

マイアミや、テキサスのヒューストン宇宙センター(NASA)、サンフランシスコ、ラスベガス、ロサンジェルスなどなど、少ない枚数の写真ではありましたが、経験した全てを語らせていただきました。

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その町を特徴づける物や建物、歴史などにさらっと触れるイメージです。

サンフランシスコなら、急な坂道が有名で、そこを登る路面電車はこの町を象徴しています。

ラスベガスなら、カジノや絶叫マシーン。

テキサスにあるヒューストン(NASA)の研究所の中にあるプールで訓練する宇宙飛行士の背中からは、宇宙規模で考える人間の壮大な展望が感じられます。

 

今日は、特に教育的内容はありません。

ただただ、アメリカでの思い出話をさせていただきました。

強いて言うなら、世界に興味を持ち、海外へもっと学ぶ意欲を持って出ていってほしい、というものです。

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アメリカへ留学したのはちょうど大学4回の時でした。

 

それまで野球一筋で生活していたのですが、「野球を抜いてゼロ」になるのではないかという危機感から、ちょうど同期の野球部が英語専攻で留学すると言っていたので、それに乗っかることにしたのです。

 

高校時代に物凄くしんどい生活に鍛えてきたので、大学へ行ってからは、もちろん練習はハードでしたが、少し要領をつかんで余裕はあったように思います。

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勉強も全くせず、ただただ遊んでいたのが大学時代。(遊ぶ、のレベルがどのくらいかを人と比べることはできませんが)

 

その延長線上で、アメリカに行ったものですから、振り子が振り切れて吹っ飛んでいったような感じです。

“自由”の国アメリカで一番自由にしていたのではないかと思います。

 

そんなアメリカでの経験は自分の好奇心をすべて満たしてくれ、見るものすべてが刺激的でした。

 

面白いことに、自分の適当で、ふざけやすく、抜けた性格が留学生たちやアメリカ人に“はまった”ように思います。

本当に沢山の留学生、アメリカ人に毎日のようにパーティーに誘っていただき、朝まで無茶苦茶な生活をしていたように思います。

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ヨーロッパの沢山の学生と色々な場所へ一緒に旅しました。

 

その時は、何かを学ぼうとか、何かを得ようとか、自分を高めよう、などという意識は全くありませんでした。

だから、ただ、一緒に時間を共有したいと思い、思いっきり遊んだ留学生活だったのです。

 

ただ、大学の単位は全てとることはできました。24時間空いているアメリカの大学の図書室では、徹夜が可能だったのです。

あの頃は寝る時間などいりませんから、何とか勉強をする時間も確保できていたのです。

 

「今日はこの新聞記事を読んでまとめたものをメールで私に送ってください。」

「教科書のこのページから、賛成か反対かを明確にして、レポートを教科のサーバーへ保存してください。」

「今から決めたグループで、次までに、この課題についてのプレゼン発表を考えてきてください。」

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日本より、講義で教授が話す内容はそれほど多くはないですが、自主的に行う課題が半分以上あったように思います。

何でもかんでも、まとめたり、発表したり、それらから、議論していくのです。

つたない英語で、あんなに多くの修羅場を潜り抜ける経験もなかなかできないように思います。

 

だらだらと思い出を書いています。

 

「世の中に無駄なことなど一つもない」(本田宗一郎)

 

生かすのは”今の自分”なのです。

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違った人種に飛び込んでいった自分がそこにあったと思います。

食事をする時も、パーティーをする時も、旅をする時も、自分をさらけ出し、心から目の前の人を好きになろうと意識していた自分もいました。

 

その時は全く意味など考えず経験していたことが、必ず生かされる(絶対生かす)と心に誓って生きていくことが、過去を味方につける生き方なのだと信じます。

 

 

☆今週は“ビックマン”たちが来て下さいます。

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子どもたちも受け入れ態勢を整えています。

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サッカー大会も企画します。

 

マルーの気温がまた、60度から70度くらいに上がりそうです。

上げて見せます!!

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明日は歩いて隣町だ・・・

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「フレネがみごとに洞察したように、学校はそれ自体が、さまざまな文化と文化を媒介する「メディア」だと思います。現在の学校が「メディア」としての機能をはたしていないのは、それがいまだに「大量生産システム」に閉ざされているからではないでしょうか。学校は、多様な文化と文化を結び、さまざまな人と人を結びつける「メディア」となって、「学び合う共同体」へと脱皮することが求められています。フレネ教育の「自由作文(自由テキスト)」「学習文庫」「学校間通信」などの一連の「技術」から、私たちは、沢山のことを学びなおす必要があると思います。」(学びその生と死の再生:佐藤学著)

 

たまたま、上のような文章に出会いました。

 

学校が「メディア」(媒介)として機能するというのは物凄く納得できました。

 

日本でも、学級通信を中心として、学校通信、広報、といった発信システムはあります。

最近は、ネットウェブサイトを使った発信も進んでいます。

 

発信し、様々な文化をつないでいくためには、受信することも必要です。

職業体験や様々な講演会を企画することで、子どもたちが外の社会や多様な文化を受け取り感じることができます。

 

部活動という自由度がある組織をうまく動かすことで、子どもたちが様々な文化と触れ、自分を発信していくこともできます。

 

ただ、ソロモンに来て、日本よりも学校=地域のメディアという考えが膨らんできました。

もちろん、そこには、社会の規模が大きく関わり、小規模であればあるほど学校が地域を構成する一つの存在として力を発揮しやすいのは事実だと思います。

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良い機会なので、日本と比べると小さな規模の今生きるソロモン、マルーで、学校がメディアとしてどのくらいの機能を果たすのか試してみようと考えています。

 

例えば、養鶏場では、子どもたちがセキュリティー(猫や犬から鶏を守ったり、餌や水をやる係)として働いています。

これも、地域の文化が子どもたちに継承される役目を果たしていると感じます。

ここから、命の循環といった生物として生きる社会の文化を知ったり、販売体験によって経済文化に触れることもできると思います。

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展示場建設により、地域の方々が子どもたちの作品や教室内の様子を見ることで、学校により関心を持っていただくことができるはずです。

 

サッカー大会では、レフリーに必ず地域の経験者の方を誘い、子どもたちのプレーを近くで見て、技術指導を行ってもらっています。

教師の技術を越えた、より高度な技術を伝授していただくことができます。これも他の文化に触れていることになります。

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地域通信「メッセージ」は、週に一回、学校の様子、地域の様子などを写真付きで書き込み、人々が集いそうな場所に配布し、掲示していただいています。

そのメッセージには、他の先生方の子どもたちに対する、温かいコメントが書き込まれています。(尊敬する先生の実践を真似しました)

 

前回も紹介しましたが、最近は、このメッセージに子どもたちが、地域の自慢を書いたり、学校生活について事細かに紹介したり、先生に対する思いを綴ったりして、自分たちで地域に配布しています。

 

そして、今回は、大活躍している、サッカーチーム「スーパースター」が、前のタームに開催された大会の様子をメッセージに載せてくれました。

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白熱した様子を日記風に書く子もいます。

 

自分の悔しかった思いを強烈に表現する子もいます。

 

私のメッセージに似せ、新聞記事のように写真の横に試合について説明する選手もいます。(写真は後で私が貼りました)

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気持ちが溢れてきたのでしょう、1枚には書ききれず、2枚目へ突入した女の子もいます。

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これらの「発信」を地域の人々に「受信」してもらうためにも、子どもたちが地域に配布したり、また、展示場へ展示するのも良いと思います。

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英語の教師ではないので、文章ミスを指摘したり、書き方については指導できずにいます。(学力を高めるためには必要かもしれませんが)

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「学びが学びとして成立する要件は〈出会い〉と〈対話〉だろう。「勉強」ならばなにごとにも出会わず、なにごととも対話しないでも遂行することができるが、モノや他者や自己との〈出会い〉なしに「学び」は成立しないし、モノや他者や自己との〈対話〉を含まない「学び」は存在しない。私たちは何か(だれか)との〈出会い〉を起点として何か(だれか)との〈対話〉を通して、私という存在をかたどり世界をかたどる経験の軌跡を創出することができる。」(学びの身体技法:佐藤学著)

 

対話するとはどういうことかを考えたときに、人と会話するということ以外にも、モノから感じることに対して思いを抱いたり、自分自身に語り掛け、それにアンサーを出していくことも対話なのだということが言われているように思います。

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何かをした時に、それを感じ、発信していくことは、人と人の会話と何ら変わらないと思います。

また、自分を見つめなおす内省の作業も自分自身と話し合うことです。

 

だから、何かを経験したのちに「書く」という作業は、「学びの基本」なのだと言えます。

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出会ったモノに対して何を考えるか。

出会ったモノから何を学んだか、何を発見したか、何が分かったか。

出会ったモノから何を発信し、伝えたいか。

 

こういったことを考えると、学校で行う授業全てに通じていく大切な軸になってくるように思います。

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学校を媒介として、子どもたちが、多様な文化や人々、モノと出会い、そこから、何を感じ、何を考え、何を学んだのかを、伝えていく行為が教育の質を高めていくのです。

 

もちろん、こんなことは昔から言われていることですし、教育大国日本では実践されていることです。

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そんな当たり前のことが、その場その場でどれだけ意識して、いくつ実践していけるかは、その教師次第です。

 

ここソロモンで実践していけるかは、自分次第です。

 

率先垂範が有効なら、その教師が広い視野で、多様な文化に触れ、高いアンテナを張って社会、国、世界を意識した生き方を実践しなければ誰()とも出会えないでしょう。

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まだまだアンテナが低い・・・

そして、恐ろしいほどの知識の無さがネックです・・・

 

出会ったモノから、何を考えてほしいのか、何を学んでほしいのか、何を感じてほしいのか、という私自身のアイデアが曖昧で浅はかすぎることを感じます・・・

 

さあ、ここから・・・

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『一緒に』子どもたちと取り組みをする。

 

ソロモンで生命の誕生のような学校をつくられた、田中先生に出会ってからは、この言葉を自分の信念として持てるようになってきたかもしれません。

信念とまではいかずとも、頭の中の意識として常にあります。

 

一緒にやることの意味は、まず、「背中を見せること」にあるように思います。

また、子どもたちだけでは見ることが不可能に近い「未知の世界を見せること」ができるのも、一緒にやるからだと思います。

 

「影の努力」よりも「見せる努力」の方がより価値があるように感じます。

 

それは、人々に勇気を与える、元気を与える、励ます、ということを考えたときに、その人の必死な表情、行動、汗や涙を見ることで周りが受ける影響は大きいからです。

 

学生時代に、野球部でプロ注目のピッチャ―がいました。

彼が、練習中に走っている姿を見たことはありませんでした。ウエートトレーニング場へ行っても、力を入れた瞬間すら見たことがありませんでした。

もちろん、カリスマ的でセンスあふれるオーラに対して「すごいなー」という浅い感情はありましたが、それ以上の影響は正直受けなかったように思います。(努力の話に限定しています)

 

対照的に、いつ見ても汗だくになりながら走り込み、一番つらい時に周りに声をかける仲間もいました。

プロに注目されるような選手でもなければ、能力的には決して上手とは言えないほどでした。

ただ、彼が必死こいて、自分を高めようとする姿勢が、仲間から常に見える位置にあったのです。

彼が与えた影響は計り知れません。

「勇気は伝染する」と聞いたことがあります。

 

「努力は見せてこそ」人のためになると思います。

 

もちろん、良い影響を与えた彼は「影の努力」も並行して行っています。

影の努力は自分のため、見せる努力は人のためと考えられるように思います。

 

偉そうなことを言っています。

自分に目を向けたとき、能力もなければ、頭の回転も遅く、会話の能力も著しく低いのが特徴だと思っています。

だから、できるのは、「それらを克服しようとする姿勢」を見せるしかないと確信しています。

昔からそうでした。中学以降は、何に対しても能力で信頼を得ることはできませんでした。“下手くそ”でも「努力する姿を見せる」ことで周りと共生していくしかなかったのです。

 

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だからこそ、『一緒にやる』という田中さんの言葉は響きました。

これなら自分にもできるかもしれない。

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子どもができないこと、また、自分もできないかもしれない挑戦を一緒にやっていくこと。

自分が頑張る姿を子どもに見せながら、失敗も全てさらけ出し、一緒に前へ進むこと。

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今日は、毎週土曜日の午前中に行っている音楽活動の後に、チームスーパースターの「横断幕」を作成しました。

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布は何とか町まで出れば手に入ります。

絵の具や、カラフルなマジックはありません。

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習字で使った墨汁と筆を使用しました。黒一色!

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プロジェクターはあるので、白い布を黒板に貼り付け、それにプロジェクターで大きく文字を映し出します。

それを子どもたちが丁寧になぞっていくのです。

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特に横断幕がどんな教育的意味を持つか、というところまでは考えていません。

なんとなく、日本でどんなチームもやっているのでやってみようと思っただけです。

恐らく、ちょっとだけ子どもたちのモチベーションが上がるのだと思います。

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少しでもやる気がアップして、子どもと一緒にできるのなら、やらないわけにはいかないと思いました。

 

そして、子どもたちは横断幕のつくり方を学ぶことができます。

美術のない子どもたちにとって、貴重な経験となり、心に残るはずです。(後から付けた価値)

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丁寧に文字をなぞる姿は真剣そのもの。

墨汁をこぼさないように、はみ出さないように慎重に塗っていく子どもたちには、少しの間静寂の空気が流れました。

昼ご飯を食べないソロモンでは、昼の時間に家に帰る必要がないので助かります。

 

I love Malu’u Super star☆」

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という大きな横断幕が数時間で出来上がり、今度の大会や部内戦などで張り出そうと考えています。

 

 

次に行ったのが、以前から計画している「展示場」(ギャラリー)の製作です。

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スモールマイケルの家の空き部屋を貸していただけることになったのは先月です。

今日は、マイケルのお母さんからご飯を御馳走になり、腹ごしらえをしてから作業開始!!

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まず、A4サイズでラミネートされた写真や生徒作品をテープで12枚繋げます。(壁に適した長さになる)

それを画鋲でつるしていくのです。

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こういった作業は、手先が器用な女の子たちが得意で、物凄く助けてくれました。

私が何もしなくても、みんなきれいにつなげていってくれました。

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一気にやってしまうのはもったいないので、少しずつ時間をかけてやっていこうと思います。

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この企画も、教育的意味を考え始めると、賛否両論あります。

でも、その議論は時間の無駄であることは、ソロモンに来てから嫌というほど経験してきました。

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昨日も紹介しましたが、

 

『やってみないとわからない』

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という法則が成り立つ、今日この頃です。

そもそも、正しいか、正しくないかの判断は、自分の育ってきた環境や教育からくる「固定概念」によって行っているのです。

 

その時点で、ここソロモンでは、自分の頭から創出されるものは、何一つとして「絶対」とは言えなくなります。

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これらの写真や子どもたちの作品によって、もしかしたら救われる人がいるかもしれない。

子どもたちの意欲や自尊感情が高まり、今まで以上に学ぶ子が出てくるかもしれない。

入場料をとることで経済的効果を生むかもしれない。(これはマイケルの家に任せますが)

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いずれにしても、色々考すぎて、「ちくしょう、やっておけばよかった・・・」なんて後悔してソロモンを去るのはあまりにももったいないと思っています。

 

子どもたちや、地域の人々と一緒に取り組んで、失敗する姿をみんなに見てもらった方が、まだ、後悔は残らないように思います。

 

少なくとも、

 

「頑張った日本人の姿」

 

だけは、ソロモンで残していきたいと考えています。

 

さあ、どうなっていく・・・

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