「テストの採点結果はいかに」
子どもたちに期待はかけます。
自分が教えた生徒だから、良い点を取ってほしいし、学力が伸びてほしい。
しかし、こればっかりは、自分の思いだけではどうにもなりません。
今までの一時間、一時間の中での具体的な指導の積み重ねと、子どもたちの勉強の頑張りによります。
日本での経験は浅いですが、今までに教えた子どもたちの学力が上がった試しがない・・・・
情けなさすぎます。
教師として一番重要なところがかけているのです。
勉強を進んでする生徒をどのように育てていくのか、世の先生方が勉強し、実践されている
のです。
重要なことを、自分は一番後回しにしてしまう。
結局、行動して、頑張っているように見せていても、自分の前の子どもたちが変わっていなければ、自分が変化したことにはなりません。
いくら頑張っても、変化(成長)していないのです。
要するに空回り・・・・・
☆テストの採点
二年目の、学年末テストの結果は・・・
丸付けが進みます・・・・
いいぞ、いいぞ・・・・・んっ、・・・・頑張れ・・・・・あー・・・・よし!!
どんな先生でも一喜一憂してしまうのではないでしょうか。
うん、こんなものでしょう。
以前のように、「深い後悔」はありませんでした。
びっくりするような変化はありませんでしたが、前回のように、がっかりし、自分のやり方を全否定するようなことがなかっただけ成長だと思います。(無理矢理)
いずれにしても、日本でもソロモンでも、自分にとって、学力(今は点数で測る)を向上させることは、最大の課題であることには変わりありません。
気づき(良い点)
・プロジェクターを使っての、視覚的な理解を深めることで、頭でのイメージ力が増し、文章や絵を用いて現象が説明できる力がついている。
・以前も紹介しましたが、計算力が飛躍的に上がっているため、簡単な代入計算などで間違う確率が格段に下がりました。
・テストの傾向をつかみ、事前に効果的な勉強をしたと思われる生徒が何人か出てきた。
・テスト前に質問に来る生徒が増え、その生徒たちの点数が飛躍的に上がった。
何よりも、最終的な答えが間違っていたとしても、「勉強してきたな」というのが分かる生徒がほとんどであったことが嬉しかったです。
学ぶ意味が見いだせないときもありました。
学校に来る意味が語れないときもありました。
一緒に教育の意味を考えたときもありました。
今は思います。
意味など語れなくても、教育以外のものと同じように、一瞬一瞬を刹那主義的に触れていったらいいのだと思います。
「問題が解けて楽しかった。」「点数が上がってよかった。」「先生に褒めてもらえた。」「今日は叱られて嫌な気分だったな。」「今日は学校に行きたくないな。」「今日は何となく面白かったな。」
それでいいと思います。意味なんて考えなくてよいのかもしれません・・・・

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