『野球(ソフト)大会』

 

物心ついたころから、野球が好きでした。

 

それがなぜかは分かりません。

 

サッカーボールに触れる機会もあっただろうし、テニスや柔道に触れる機会もありました。

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全ての人間の中に、好き嫌いが存在します。

それが、何によって決まるのか専門家でないので分かりません。

脳の中で、ある瞬間に科学的変化があるのでしょう。

 

しかし、好きなものは一つではないはず。

自分を見つめたときに、「野球ばかりをやってきた人間」でした。

もっと他のスポーツに興味を持ってもよかったはずなのに・・・・

 

人間は一つのものしか好きになれないのか。違います。

 

野球が好きだというのはありましたが、野球のクラブに入ると、野球しかしない環境だったのです。

(だから、今回クロストレーニングを導入しました。)

 hitting


(ベルトが無く、シャツが出てしまう生徒がいて見苦しいかもしれません。申し訳ありません↑)

野球をやっている時は、気づきませんでした。

 

「世界にはもっと沢山興味の湧くことで溢れていることを」

 

視野が狭かった。

考え方が凝り固まっていた。

偏見だらけだった。

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機械のように野球をし、機械のように勉強をさせられ。

でも、その瞬間は主体的だとか、自主性とかと言う言葉でひっくるめられていました。

 

確かに、「一つのことに黙々と取り組む」ということも、産業社会の中では重要です。

 

しかし、「人間としての本来の生き方」を見たときに、同じものを品質高く作れる能力をつけることがそれほど重要なのか。

今になって疑問を感じます。

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自主性だとか、アクティブラーニング?だとか、言われていますが、結局は、「日本人の心に根付いた文化を背景として生きる『日本人教師』」に教えられる子どもたちは、その生き方を真似するのです。

 

「子どもたちに自由な選択を!自主的な行動を!」

と言いますが、それは、あくまでも、日本の文化の中。

 

広い世界の中の、小さな箱の中の一部の教えの話。

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いくら指導要領を変えても、教育キャリキュラムを変化させても、根付いた文化を変えることは難しい。

ならば、もっと、日本が世界の中でどのような性格なのが、どのような人間なのかを学んでいかなければならないと思います。

 

(何の話でしたっけ?)

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要するに、野球ばかりやっていたのではだめなのです。

 

せっかく野球で子どもを集めるのであれば、そこで「教育」をする必要があるのです。

 

その教育は、日本の文化に影響を受けた、「野球の文化」という教育ではなく、「その狭い箱の窓を開け、外の世界の空気を吸えるような教育」。

 

(残り1週間、偉そうなことをブログに書いて終わります)

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☆野球をしてもいい。サッカーをしてもいい。芸術的で独創的でもいい。

 

恐らくこの考え方は、日本の文化に根差した学校の雰囲気からは反するもの。

規範意識やルールに縛られる考え方です。

 

しかし、言うのは自由。

 

〇野球大会は大成功。

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真っ白な飛球に、グラウンドで見ている全員が釘付けになります。

 

大きな飛球に心を奪われます。

 

全力で走るランナーと、ボールの位置関係にはらはらします。

 

1点の攻防に手汗がにじみます。

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大きな歓声、大きな拍手。

これこそが野球大会。

 

「ソロモンで野球が受け入れられた」

と感じました。

 

ここまでさせてもらった。

 both teams

「人は何か一つくらい誇れるものを持っている。

なんでもいい、それを見つけなさい。

勉強がだめだったら、運動がある。

両方駄目だったら、君には優しさがある。

夢をもて、目的をもて、やればできる。

こんな言葉に騙されるな、何も無くてもいいんだ。

人は生まれて、生きて、死ぬ。


これだけでたいしたもんだ。」(これでいいと心から思える生き方:野口嘉則著)


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