野球は教育のツール。
サッカーと同じです。
スポーツは教育に有効に生かすことができるツール。
ただし、「競技性」によって違いがあります。
野球で言うと、大きな競技性の一つに、「文化」があります。
礼儀、生活態度から始まり、甲子園、プロ野球中継に代表されるように、「日本の性格」にうまくはまった競技。
道徳心を教える場面が多く持てるのが、日本に根付いた原因であるかもしれません。
また、道具が多いことから、道具管理を徹底できます。
練習が多いことから、様々なトレーニングにより、違った角度から教育していけます。
そして、ルールが複雑であることから、「考えさせる」場面が多い。
だから、プレーの中で、教材になる場面が多々あるのです。
そして、団体競技ということから、コミュニケーション能力、人間関係形成に大きな役割を果たすと考えます。
では、今回のソロモンの野球(ソフト)大会は、教育的に何の意味があったのか。
☆ソロモンで初野球大会の意味
一つだけ挙げます。
「グラウンド整備」
これに尽きます。
初めての野球大会を経験できることも意義はありますが、大会前のグラウンド整備に感動させられました。
ボールがサッカーよりも小さい競技なので、どうしても、長い草を刈っておかなくてはなりません。
そのために、沢山の子どもたちの力が発揮されたのです。
中高生に呼びかけ、私も率先して、ブッシュナイフという小刀で草を刈っていました。
すると、その様子を見た、小学生たちも、小刀を持って来てきて草を刈り始めました。
「ソロモンの文化に即した教育」
だと思いました。
小さい頃から、ブッシュナイフを用いた、草刈りには慣れています。
ソロモンでの、大切な「生きていく力」。
その力を生かして、新しい取り組みをしていく。
そこに意義があったと思うのです。
「ブッシュナイフを貸してみな!僕が全部刈ってあげる!」
得意気に私のナイフを奪い取り、せっせと働きます。
それぞれの国で、それぞれの教育スタイルがあると思います。
目的は、例えば、「生きていく力」という国もあります。
ソロモンでは、もしかしたら、
「産業社会へ移行するため」
「資本主義経済についていけるため」
「西洋文化を取り入れるため」
などという目的が隠れていると思います。
しかしながら、「今を生きる子どもたちは、どう生きていくのか」。
どこの国の子どもも同じ。
頭は真っ白なキャンパス!
大人の考えや価値観を押し付けるのではなく、学ぶ中で、彼らが選択していくことが大切。
草刈りからこんなことを考えました。
「私たちは、未熟で未成熟な人間ですが、人格的に成長すればするほど、成熟すればするほど、素晴らしい特性が現れてきます。誰でもその胸中に聖人が宿っているのです。」(王陽明より)
活動紹介ムービー↓
JICAボランティアからテレコムへのCMがアップされています↓
https://www.youtube.com/watch?v=rSWtCKaOtyM
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