『最終号』
「生き方」を学びに来ました。
そのために沢山の活動をしてきました。
しかし、何かを与えたわけでもなく、ソロモンの人々の親切心と愛に包まれて生活させていただいただけでした。
甘えさせてもらっただけだったのです。
結局、自分がすごく成長したとも、変化したとも思えません。
日本では周りの人にがっかりされるかもしれません。それが結論。
しかし、この二年間でしか経験できなかったことがあるのは確かです。
「現地の人々と一緒にこの地で生活したということ」
『現地の人々のすごい生き方に触れることができたということ』
それによって、自分が変わっていけるかどうかは、日本へ帰国してからにかかっているということ。
青年海外協力隊は一つの留学。
学んだことを実践してこそ、留学した意味があるのです。
「これから」が人生なのです。
☆私はソロモン、マルーに生き続ける。
最後に嬉しい出来事がありました。
去年私のクラスで、村の男性と結婚をし、子どもを授かったヨリンダという女子生徒がいました。
写真中央
あれから月日が流れ、出産直前。
私が去る前に、彼女の家族が私のところにやって来ました。
「ユウスケという名前を、生まれてくる子どもにつけたい。ユウスケの許しを得たい。」
驚きました。そして、笑い転げました。嬉しかった。
「どうぞどうぞ、ユウスケという名前を付けてください!!!」
ソロモンのユウスケは、マルーで生き続けることになりました。
残るものと、残らないもの。
いくら物を作っても、与えても、いずれは消えていきます。
残るものは、人と人の触れ合いの中で交換された心です。
人の「生き方」がいつまでも、周りの人の心に残り続ける。
名前を付けてもらったからといって、人々の心に私の生き方が残ったとは言えません。
しかし、少なくとも、その家族は私の名前を付けたいと思ってくれた。
ユウスケのように育ってほしい、という思いが少しでもあるのだとしたら、嬉しくなります。
もし、またマルーへ戻った際は、「ソロモンのユウスケ」と顔を合わせて、協力隊時代のことを話してやりたいと思います。
その子が大きくなって日本へ来た際には、その子がユウスケという名前を誇れるように、私自身がよい人間になっていたい。
☆本に残す
本が書き上がりました。
出版するかどうかは、周りの人の判断。
とにかく、自分の中で記憶と共に、記録にもしっかり残すことができました。
A4、150枚ほどの分量。書きたいことをむちゃくちゃに書きました。
もし、目にする機会がありましたら、読んでいただけたらと思います。
☆夢
最後に、今後の夢を少しだけ話します。
人生はここから。ここがゴールでない。始まったばかり。協力隊での経験を生かさなければいけません。
『学校をつくる』
協力隊生活の中で、日本人の方や周りのソロモンの人々にずっと言っていました。
なぜ、その夢なのかについては、長くなるのでここでは割愛。
この夢は、人生を終えるまでに成し遂げたいと思います。
この夢を実現するためのステップが日本で待っています。
一つひとつ乗り越え、夢を実現し、後悔のない人生で、一生を終えたいと思います。
これから。
ここから。
「もう、気持ちは次に向いています」
今週末日本へ帰国します!!
今まで支えていただき、ありがとうございました。
(ブログは日本ではしません。別の形で発信する機会があれば、見てやってもらえたらと思います)
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コメント
コメント一覧 (1)
このブログはもうクローズされているでしょうから、届かないでダメもとと思いながらメールしてます。
本は出来上がりましたか?とても貴重な記録、拝見する機会はないのかなと。教育についての深いお話伺いたいです。
この夏は燃えましたね。予選、甲子園と感動でした🙂応援席では、息子は同期から「なんでオマエが体育教師やねん!」といじられっぱなしだったみたいです。そりゃそうです。
勤めてる所の校長からは、「技術科の先生が足りない。免許とって貰えないか」言われ、この春から某教育大へも通っています。自費で。かなり凹んでましたが、成章野球をみて、また力を貰ったみたいです。
西山先輩の現在が、学校設立のビジョンのマイルストーンになっている事、期待しています。では。メール送信出来るかな??