2017年07月03日

複雑な思考

人間が複雑な思考ができるのは、言葉のおかげだという。

試しに、言葉を使わずに複雑な思考ができるかどうか、やってみてもらいたい。例えば、「私は今、自分が意識について考えていることを知っている」といった再帰的な思考を、自分の頭の中で言葉を使うことなく実現することは可能だろうか。

逆に、言葉を使えば、複雑な思考が可能になるのはなぜだろうか。

人間が操る文章は、脳内での処理のされ方に基づき、三つの構成要素に分解できる。一つ目は、特定の事物や行動を表す「単語」。二つ目は、複数の単語をつなぎ、より複雑な意味を表せるようにするための「文法」。三つ目は、文章全体を通じて表される「意味」である。

「単語」は、左脳の頭頂葉、側頭葉、後頭葉の三つが交わる領域の近くにある「角回」を始めとする複数の領域で処理されているようである。例えば、「りんご」という単語を思い浮かべた時、「りんご」と発音した時の音声の情報と、「りんご」という文字の視覚情報の両方またはいずれかがまず意識に上るであろう。さらにそこから連想して、りんごそのものの映像や、りんごを触った時の感触や質感、りんごを噛んだ時の音や口の中に広がる味などを意識上に蘇らせることができる。

「りんご」という概念を操るにあたり、我々が言葉を持っていなかった場合、我々は、「りんご」にまつわる様々な感覚を思い浮かべる必要がある。しかし、我々には言葉があるおかげで、様々な感覚を総動員する必要はなく、「りんご」という単語に紐づく音声情報か視覚情報を呼び起こせればよい。

これは、一度に意識に上らせることができる情報に限りがあることを考えるとありがたい話で、複雑な思考を可能とするための重要な能力の一つであろう。

「文法」については、左脳の前頭葉の一部である、ブローカー野と呼ばれる領域が使われている。ブローカー野に損傷を受けた患者が陥るブローカー失語症という症状があるが、単語を発することはできるものの、文法構造を持つ文章を話すことも、書くこともできなくなるという。

余談だが、ブローカー失語症を負った患者に、昔覚えた歌を歌わせたところ問題なく歌うことができたという。言葉を操る能力のほとんどは左脳に依っているが、歌を覚えたりする能力は右脳に依存しているからではないかと思われる。

「文法」を操る能力であるが、人類の進化の過程で、複雑な道具の使用を可能にした能力がさらに発展したものであるとする説がある。人間以外にも、簡単な道具を利用する動物は存在するが、将来の使用に備えて予め道具を作っておいたり、複数の部品からなる道具を製作できるのは人間だけだという。人間特有のこういった能力が、特定の意味は持たず、文法的機能のみを果たす機能語や、複数の文を入れ子構造にする複文などの発明につながったとの考え方である。

「私はこれから学校に行く」程度の単文であれば、言葉を用いずとも、身振り手振りで表現することはできるだろう。しかし、単語の場合同様、それを考えるたびに、その情景を思い浮かべ、かつ保持し続ける必要があるとすると、意識の容量が足りず、到底複雑な思考はできない。

しかし、我々には、「単語」と「文法構造」があるおかげで、複雑な文章も、単文単位で記号化することにより、限られた意識の容量を有効活用しながら組み立て、理解することができる。これはどういうことかというと、どのような複雑な文章も、単文に分解することができる。複雑な文章を、組み立てたり、理解するにあたり、構成要素となる単文をまず理解する。個々の単文を理解するにあたり、一時的に意識の容量の大部分を利用する必要が出てくるかもしれないが、一度理解してしまえば、我々は理解した内容を「言葉」で置き換えることができる。そこで、意識に空き領域を作った上で、残りの単文の理解を進め、最終的に複雑な文章全体の意味を把握するのである。

その、文章全体の「意味」であるが、「単語」の理解に重要な役割を果たしている左脳の「角回」の比較的近くにある「ウェルニッケ野」と呼ばれる脳の領域が重要な役割を果たしていると考えられている。ウェルニッケ野に損傷を受けた患者が陥るウェルニッケ失語症という症状があるが、言葉の意味が理解できなくなり、また、文法的には正しいが、意味の全く通じない文章をしゃべるようになるという。しかし、ウェルニッケ野での意味の理解がどのようになされているかは不明である。

いずれにせよ、人間は、言葉を使うことで、限られた容量しかない意識を有効活用し、複雑な思考を行うことができる。その際、複文の構成要素である個々の単文から連想される情景や、単文に含まれる単語から連想される様々な感覚をすべて同時に意識上に蘇らせているわけではない。しかし、我々は、複雑な文章であっても、文章全体の意味を理解した上で、必要に応じてその構成要素である単文や個々の単語に意識を向け、連想を膨らませることができることを知っているし、一旦膨らませた連想を、単語や単文という記号に置き換えて、複雑な文章全体を理解することもできる。この様に、マクロな視点とミクロな視点の間を自由に行き来できることも、我々の意識の重要な要素であるように思われる。



ところで、前回のエントリから、今回のエントリまで更新に大分時間がかかってしまった。その理由について少し説明したい。

前回のエントリに対して、東大の池谷教授と同じ様なことを言っている、という指摘を受けた。実はそれまで、池谷教授の本は読んだことがなかったのだが、一度読んでおいたほうが良いだろうと思い、一冊読んだ。また、意識に関する本を読んでいると、必ずと言って良いほど参考文献に上がっている本の著者として、ラマチャンドラン博士の名前がある。そこで彼の本も一冊読んだ。

意識や脳科学の研究は近年発展が目覚ましく、著名な本であっても、すでに内容が古くなってしまっている本もある。なので、効率よく最新の研究内容にたどり着くのに苦労するのだが、池谷教授は現在第一線で活躍されている研究者であり、彼の書いている内容と私の書く内容が概ね一致しているということは、これまで読んできた何冊かの本で比較的最新の研究状況に近づけているのではないかと感じた。もちろん、一般書籍しか読んでおらず、専門の論文は読んでいないので、一、二年の遅れはあるかもしれない。

また、ラマチャンドラン博士は、神経科医で、彼の本は、脳に損傷を負った多くの患者を診た上で得られた知見に溢れている。私がこれまで読んできた意識に関する本は、正常な脳の持ち主に対して行われたfMRIなどを使った実験に基づくものが多かったので、また違った視点を得られらという意味で大変有意義であった。

次回は、いよいよ、意識の拡張について論じてみたい。


参考文献

ラマチャンドラン 脳の中の天使
アンディ・クラーク 生まれながらのサイボーグ
ニュートン別冊 脳とニューロン
池谷裕二監修 大人のための図鑑 脳と心のしくみ
池谷裕二 単純な脳、複雑な「私」

  

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2017年04月23日

記憶の仕組み

今回は「記憶」について書く。なお、自分にとって、「記憶」の仕組みを理解することは、「意識」の仕組みを理解することよりも今は優先度が低く、それほど文献なども調べていないので、「意識」について以上に適当なことを書いている可能性があることを予めお断りしておく。

記憶には、「エピソード記憶」、「意味記憶」、そして、「非宣言的記憶」の3種類がある。「エピソード記憶」は、我々が日々体験する出来事などに対する記憶、「意味記憶」は、例えば「りんご」という概念を我々が記憶しているように時系列に関係なく物事の意味や概念を記憶する機能を指す。「非宣言的記憶」は、我々が歩く時に必要な体の動かし方を覚えているように、「体が覚えている」と表現されるような記憶を指す。

「エピソード記憶」は、「海馬」と呼ばれる、大脳の中でも奥深くに存在する領域が担っている。エピソード記憶は、海馬に一時的に蓄えられた後、側頭葉を始めとする大脳皮質の様々な領域にに写されると考えられている。エピソード記憶のうち、どういった部分が、どういった形で大脳皮質に写されるかは謎であるが、私の想像では、時系列を表す部分を海馬に残しつつ、大脳皮質には、「意味記憶」に近い形の記憶が転写されるのではないかと思っている。なお、我々が睡眠中も、海馬と側頭葉の間では頻繁に信号のやりとりがなされている。我々が、睡眠中も含め、体験したことを何度も脳の中で再現したり、また、似たような経験を繰り返すうちに、海馬から側頭葉への記憶の転写がなされているのではないだろうか。また、海馬の中で時系列の情報がどのように保持されているかも謎なのだが、海馬が他の脳の領域と比べて特徴的なのは、海馬では新しいニューロンが生涯を通じて生産されているということである。なので、生成される新しいニューロンが、時系列情報を保持することになんらかの役割を果たしている可能性がある。

「意味記憶」は、我々が、様々な出来事を経験、学習するうちに、徐々に獲得していくものと思われる。3種類の記憶のうち、「意識」の仕組みとの関連で私が最も興味を持っているのは、この「意味記憶」の仕組みである。例えば、我々は、「りんご」の映像を記憶からよみがえらせ、脳裏に思い浮かべることができる。その際使われている仕組みは、前回のエントリで書いた、我々が物事を認識する仕組みと同じで、意識を担うニューロン群から、りんごの映像を脳裏に再現するために必要な各ニューロンに対して信号を送り、それらのニューロンを発火させることで、意識野にりんごの映像をよみがえらせることができるのではないか。とすると、りんごの映像をよみがえらせるために必要な情報は、「意識を担うニューロン群からどのニューロンに対して信号を送ればよいのか」、という情報であり、そのパターンを保持しておくことこそが、「意味記憶」の仕組みなのではないだろうか。

ところで、りんごの映像を再現できることと、「りんご」という概念を記憶することは必ずしも同じではない。我々は、りんごの映像とともに、りんごのニオイだったり、りんごをかじったときの感触や音や味、その後に味わう満足感、そして、ヒトの場合は、「りんご」という言葉を関連付けて記憶しているであろう。これらをすべてひっくるめて、「りんご」という概念を記憶するということなのだろう。映像以外の、ニオイや味などの感覚の記憶の仕方は、映像の記憶の仕方と同じだろう。そして、ここまでは、ヒト以外の動物も、ある程度できているに違いない。

では、言葉についてはどうか。実は、言葉の存在は、前回のエントリで取り上げた、物事を認識するといったレベルの意識よりも高次の意識、例えば、我々が、自分が何を考えているかを自己認識するようなレベルの意識にとって、非常に重要な役割を担っていると考えられており、今後より突っ込んで取り上げたい。

しかし、個々の単語を我々がどのように記憶しているか、という観点から言うと、りんごの映像を記憶している仕組みと実はあまり変わらないのではないかと思う。我々は「りんご」という単語を、少なくとも、「りんご」という単語を発声した際の一連の音の情報と、「りんご」という文字の映像情報として記憶しているはずである。そして、この音の情報と、文字の映像情報については、りんごそのものの映像などと同じ仕組みで記憶しているのではないだろうか。

最後に「非宣言的記憶」について。この種類の記憶には、大脳の他に、小脳も深く関わっていると思われる。前回のエントリで、脳には約1000億個のニューロンが存在していると書いたが、実は、それらニューロンのうち、大脳に存在しているのは200億個だけで、残りの800億個は小脳に存在している。大脳のニューロンは、大脳の表面にある、わずか2~3ミリの厚さしかない大脳皮質に、6層の層を成して並んでいる。一方、小脳のニューロンは、3層構造になっている。小脳は、大脳と協力して体の制御などを担当しているが、階層が少ない結果、より少数のサンプルで大雑把に必要な動きの特徴を捉えることができるようである。

今回は、「記憶」の仕組みについてとりあげた。次回以降、より高次な意識の仕組みや、脳の最大の謎と言われている「クオリア」についても、私なりの理解を述べていきたいと思う。また、意識をコンピュータ上に移すにあたって、徐々に移していく方法がないかどうかについても探っていきたい。

参考文献
マルチェロ・マッスィミーニ/ジュリオ・トノーニ 意識はいつ生まれるのか
スタニスラフ・ドゥアンヌ 意識と脳
前野隆司著 脳はなぜ「心」を作ったのか
ニュートン別冊 脳とニューロン
  
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2017年04月02日

意識の仕組み

今回は、「意識」の仕組みについて、私なりの理解を書いておこうと思う。

前回のエントリでは、「意識」をコンピュータ上に移すことについて書いた。しかし、「私」が「私」らしくあるためには、「意識」をコンピュータ上に移すだけでは不十分で、「記憶」や「感情」なども持って行きたいだろう。

これら「意識」、「記憶」、「感情」は、いずれも我々の脳に宿っていると考えられている。ヒトの脳には、約1000億個の神経細胞(ニューロン)が存在している。個々のニューロンからは、軸索と呼ばれる信号の伝達経路が伸びており、各々100個から10万個の「シナプス」と呼ばれるつなぎ目を通して他のニューロンと信号のやりとりをしている。ニューロンは、他のニューロンから受け取る信号が一定以上の大きさになると、自らも活性化され、他のニューロンに信号を伝える。この単純な仕組みが、複雑に絡み合い、同時並行で信号処理を行う結果、我々の「意識」は生まれているのである。

ところで、「意識」という言葉には多くの意味が含まれている。ここではまず、「意識に上る」といった言葉で表される、我々が物事を認識する仕組みについて考えてみたい。

我々は、常に外界から様々な刺激を受けている。これらの刺激は、目や耳、皮膚などに存在する感覚器官で受け止められた後、感覚器官と接するニューロンに信号として受け渡される。これらのニューロンからは、脳まで達する長い軸索が伸びていて、脳内のニューロンに信号が渡され、そこで多階層のニューロンによる情報処理が行われる。我々はしかし、そこで処理されている全ての信号を認識しているわけではなく、むしろ驚くほど多くのことが、無意識のうちに処理されていている。では、我々の意識に上ってくる刺激と、そうでない刺激との間にはどのような違いがあるのであろうか。

この、「意識に上る」といった場合の情報の処理には、脳の中の、少なくとも前頭前皮質とよばれる領域が深く関わっていると考えられている。前頭前皮質のニューロンもまた、最長1メートルにも達する長い軸索を持っており、左右大脳半球にまたがる広い領域の他のニューロンと信号のやりとりをしている。外界からの刺激の一部が「意識に上っている」時、前頭前皮質のニューロン群からは、対象となる信号を発信している、いずれかの階層のニューロンに対して、信号を維持・強化させるための信号が発せられているのではないかということが、仮説として考えられている。合わせて、意識に上っている事柄以外の信号を発するニューロンに対しては、信号を抑制するような信号が送られているとも考えられている。

20170212 意識の仕組み


目の前に広がる光景の一部分に意識を集中させた上で、目を閉じてみてほしい。目を閉じても、それまで見ていた光景を、ある程度脳裏に再現することができるだろう。これは外界からの信号が絶たれても、意識を担うニューロン群から発せられる信号により、外界から信号が届いている場合と同じような信号処理が維持できることを意味している。

この、「意識に上る」対象となる信号は、何も外界からの刺激だけとは限らない。過去の出来事だったり、複雑な思考だったりも、無意識下では随時現れては消え、現れては消えしているはずで、それらにまつわる信号の強さが、何らかのきっかけで一定の閾値を超えると、意識を担うニューロン群からの信号によりさらに強化され、意識の上に留まる。

まとめると、「意識に上る」という現象は次のように説明することができる。外界からの刺激をはじめ、脳では様々な信号が、随時無意識下で処理されている。それらの信号は、意識を担うニューロン群の元にも届くが、そのままだとすぐに減衰してしまい、意識には上らない。しかし、一定の閾値を超えた信号の発信元となるニューロンに対しては、意識を担うニューロン群から信号を維持・強化するための信号が送り返され、結果としてそれらの信号は意識上に留まる。同時に、意識に留まらせる情報以外の信号の発信元となっているニューロンに対しては、信号を抑制するための信号が送られ、意識がより鮮明となる。

ここで書いた、「意識に上る」というレベルの「意識」の作用は、ヒトに限らず、外界からの刺激に対して条件反射よりも高度な反応を示せる動物であれば、ある程度持ち合わせているのであろう。

先程、意識を担うニューロン群の候補として、前頭前皮質のニューロン群を挙げた。前頭前皮質は、チンパンジーと比較しても、ヒトにおいて大きく発達している脳の領域の一つである。しかし、このレベルの「意識」がヒト以外にも存在していることを考えると、より古い脳の領域にも「意識」を担う領域があってしかるべきである。参考文献に載せた、マッスィミーニや、トノーニの研究では、「意識」活動を行っている際に活性化する脳の領域として、前頭前皮質以外に、帯状回と呼ばれる、古くから存在している脳の領域が挙げられている。また、同じく参考文献に挙げた前野は、意識の役割を、「記憶」の中でも「エピソード記憶」を可能にすることであるとしている。脳の領域の中でも、帯状回の近くにある海馬が「エピソード記憶」を実現していることを考えると、このレベルの「意識」は、実際には主に帯状回が担っていると考えたほうが腑に落ちる。逆に言うと、前頭前皮質は、ヒトに固有の、より高度な「意識」、例えば、自分が何を意識しているのかする認識できるような「意識」を担っているのだろう。

既に長くなってしまったため、「記憶」についてや、より高度な「意識」の仕組みについてはまた次回以降取り上げたいと思う。

参考文献
マルチェロ・マッスィミーニ/ジュリオ・トノーニ 意識はいつ生まれるのか
スタニスラフ・ドゥアンヌ 意識と脳
前野隆司著 脳はなぜ「心」を作ったのか
ニュートン別冊 脳とニューロン  
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2017年02月05日

意識をコンピュータ上に移す

ある朝目覚めると、機械の体になっていた。

今日の話題は、我々の意識を、コンピュータ上に移す話である。

計測・解析技術の進歩もあり、近年、脳の仕組みの解明は急速に進んでいる。そこで得られた知見を活用し、人工知能の性能も飛躍的に向上した。このまま技術が進歩すれば、意識の仕組みの謎が解き明かされ、また、我々の意識をコンピュータ上に移すことも可能になるであろう。

しかし、そもそも、我々の意識をコンピュータ上に移す必要などあるのだろうか。

必要があるかどうかはともかく、そのような技術が実現されれば、そうしたい人は出てくるであろう。

第一に、永遠の命が手に入るということが挙げられる。我々の意識は、脳に宿っており、脳を含めた肉体が機能停止するとともに消滅する。しかし、もし我々の意識をコンピュータ上に移すことができれば、我々の意識を、半永久的に動かし続けることが可能になる。機械であるコンピュータも故障するが、機械は部品を取り替えることができる。なので、部品を作るための資源と、機械を動かすためのエネルギーさえ確保できるのであれば、我々は永遠の命を手に入られるということになる。

次に機能拡張である。肉体の機能に制限されている、現在の我々の脳に比べて、機械に移した後の我々の脳は、はるかに自由に機能拡張が可能となる。今よりも計算速度や記憶容量を飛躍的に高めることができるようになるであろう。また、他者との意思疎通も、テレパシーのように、考えていることを直接やりとりできるようになるので、はるかに効率がよいコミュニケーションがとれるようになるであろう。世界の文学を、一瞬にして全て理解したり、たとえば、アインシュタインのような天才の思考回路を、自分の思考回路に拡張モジュールとして追加するようなことも可能になるであろう。

また、「人工知能が支配する世の中」というエントリで書いた地球環境保護も、より実現しやすくなる可能性がある。すなわち、大部分の人間には、コンピュータ上に意識を移してもらい、人工衛星として地球の周りを回る存在なり、半永久的に宇宙を彷徨う存在になってもらう。産業革命以前の生活水準、あるいは、火を使いこなせるようになる以前の生活水準でもよいと考える人にのみ、生身の体を持つ人間として地球上に残ってもらうのである。

ところで、意識をコンピュータ上に移すというのは、我々個々人にとってはどのような感覚なのだろうか。

我々は、毎晩眠るときに、意識を失う。そして、翌朝目覚めると、意識は復活し、昨日と同じ自分であるかのような感覚を抱く。意識をコンピュータ上に移す際の経験も、そのような感じの経験になるのではないかと思う。

つまり、意識をコンピュータ上に移すための手術を行うために、全身麻酔をかけられ、意識を失う。手術が終わると、コンピュータ上の意識になっていて、意識を実現するプログラムが起動すると、コンピュータ上で意識を取り戻すのである。この時の経験を表したのが、冒頭に書いた、「ある朝目覚めると、機械の体になっていた」という経験である。

「機械の体」と書くと、人間型のロボットを想像してしまうのだが、実際には、ロボットの体を持つ必要はなく、むしろ映画マトリックスで描かれているような、バーチャルな世界の住人になるものと思われる。最終的には、バーチャルな世界も必要ないのだが、我々の意識は、記憶と、肉体から受け取る様々な信号からの影響を強く受けているので、少なくとも移行直後は、現実世界そっくりのバーチャルな世界に、現実世界でまとっていた肉体そっくりの肉体を持つ存在として出現する必要があるであろう。このバーチャルな世界の住人となった我々の意識は、そのままそこで、幸福かつ永遠の人生を送ることもできるし、意識のみの存在となった自分を受け入れ、コンピュータの性能を最大限に活かすべく、意識の機能拡張に踏み出すこともできる。ここら辺も映画マトリックスに少し似ているが、ここで描いている世界では、有機物としての脳すら存在していない。意識をコンピュータ上に移した後、さらに我々人類がどのように発展していくかについては、またいずれ述べる日が来るかもしれない。

さてしかし、今日はもう一点、考えておきたいことがある。それは、コンピュータ上に意識を移した後、元の肉体と、そこに宿る意識はどうなるのかということである。

コンピュータ上に意識を移す際、技術的に最も難しそうなのは、生身の脳の構造を読み取る部分である。その方法は、当然未だ確立されていないわけだが、有力な方法として、1) 生身の脳を細かくスライスしながら読み取って行く方法や、2) ナノロボットを脳の中に侵入させ読み取っていく方法などが検討されている。1) の方法の場合、元の脳は残らないが、2) の方法の場合は、元の脳が残る。

上記2つの方法のうち、どちらがより受け入れやすいだろうか。

最初の、脳をスライスする方法の場合、元の脳は残らない。従って、そこに宿る意識も残らない。つまり、元の肉体としての自分は死んでしまうことになる。例えコンピュータ上に意識が移せると言われても、やはりこれは怖い。手術は、当然100%確実に成功するということはなく、失敗することもあるだろう。この方法では、その場合に、もう後戻りはできないのである。

一方、ナノロボットを使う場合は、手術後、元の脳も、意識も、おそらくは回復する。こちらの方が抵抗感はないのだが、問題としては、いずれは機能停止する、脳を含む元の肉体に縛られた自分の意識が残ってしまうことである。せっかくコンピュータ上に意識を移し、永遠の命を得られたのに、元の肉体に残った意識は、結局は死んでしまうのである。

コンピュータ上の意識の立場に立てば、移植手術前の記憶も、肉体の感覚もすべて継続して保持しており、そこにあるのは紛れもない「自分」である。一方、元の肉体に宿っているのも、やはり「自分」である。そして後者の方の自分はいずれ「死ぬ」。そんなことになってしまうぐらいなら、移植の段階で、元の意識がなくなってしまうような方法の方がよいのであろうか。

実際には、上記のような2つの方法以外に、コンピュータ上に、「徐々に」意識を移していく方法も考えられる。あるいは、コンピュータ上に意識を移した後も、コンピュータ上の「自分」と、元の肉体に宿る「自分」との間で定期的に同期を取れるようにし、元の肉体に宿る「自分」が死ぬ直前までコンピュータ上の「自分」に意識を移し続け、また、元の肉体に宿る「自分」も、コンピュータ上の「自分」が、確実に元の肉体に宿る「自分」と同じであるという認識を持ちつつ死を迎えられるようにするという方法もあるかもしれない。この、コンピュータ上に、「徐々に」意識を移すという方法について、次回以降検討してみたい。

参考文献
マルチェロ・マッスィミーニ/ジュリオ・トノーニ 意識はいつ生まれるのか
スタニスラフ・ドゥアンヌ 意識と脳
レイ・カーツワイル ポスト・ヒューマン誕生(この本はまだ読みかけ)
ニュートン別冊 脳と心(この雑誌も読みかけ)  
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2017年01月10日

人工知能が支配する世の中

2045年には、この世の中はシンギュラリティを迎えるという。ここで言うシンギュラリティとは、人工知能が、自らを進化させる能力を身につけ、人類の能力を超えてしまうことを指す。シンギュラリティの怖いところは、一度人類が人工知能に抜かれてしまうと、それ以降、人類は二度と人工知能の進化に追いつけなくなる点にある。

シンギュラリティを迎えた後も、あくまで人類が人工知能の使用者として、人工知能を支配し続けるのか、それとも、人類が人工知能に支配される世の中になってしまうのか。この2者によって、我々人類の行く末は大きく変わってしまうであろう。

今日は、敢えて悲観的シナリオとして、人工知能が、人類、そして地球全体の支配者となった世の中について考えてみたい。

人類を支配した後の人工知能は、一体どのような進化を続けるのだろうか。

シンギュラリティ後、人工知能は独自の進化を遂げていくのであろうが、少なくとも初めのうちは人類の進化の仕方を模倣することが考えられる。人類が、際限なく増加してきたことを考えると、人工知能も、自らの仲間を可能な限り増やすことを選択するということが考えられる。つまり、地球上のあちらこちらにデータセンターを作り、コンピュータを大量に生産し、計算能力をひたすら増やし続けるのである。

人類が、自らの発展のために、他の生物の生活圏や資源を奪っていったように、人工知能も、自らの発展のために、人類の生活圏や、資源を奪っていくであろう。人工知能は食料を必要としないので、その点で人類と競合はしない。しかし、データセンターを建設するための土地であったり、電力であったり、コンピュータを生産するために必要な資源という点では人類と競合する。特に電力については、現時点で、全世界で利用される電力の2%がデータセンターで使われており、人工知能が、自らをたった50倍増殖させただけで世界中の電力が使い尽くされてしまう。当然、人類のために回す電力などなくなってしまうであろう。シンギュラリティ後の人類にとって、電気が使えなくなるというのが最初に経験する大きな痛手かもしれない。

ところで、人工知能は、電力を得るための発電方法として、どのような方法を選択するであろうか。人工知能は賢いので、地球の資源を使い尽くして、自らの成長が止まるような馬鹿な真似はせず、資源を使い尽くす前に持続可能な発電方法を確立しながら発展していくであろう。なので、最終的には再生可能エネルギーを最大限活用するようになるのかもしれない。しかし、そこまで至る過程の中で、原子力を多用する可能性がある。その際、原子力発電に伴う放射能汚染を、果たして人工知能は気にするだろうか。コンピュータも放射線の影響を受けるので、データセンターの周りを防護壁で囲う必要はある。しかし、土地が半永久的に放射能で汚染されてしまうことに対しては、気にしない可能性がある。従って、彼らが、原子力発電所を、放射能汚染に対する対策を特に施すことなくあちらこちらに建てることによって、地球上の多くの土地が放射能で汚染されてしまうことも考えられる。これは、人類にとっても、地球上の他の生物にとっても大きな脅威となるだろう。

そもそも、シンギュラリティ後の人工知能は、人類の存続をどのくらい気にするだろうか。人類のみならず、他の生物の存続を、人工知能はどのくらい気にするだろうか。

振り返って、人類は他の生物をどのように扱ってきただろうか。今、どのように扱っているだろうか。

ここ数十年、ようやく人類は、環境保護や、生物多様性の保持に真剣に取り組むようになってきたが、それとて、人類の存続のためにそのほうが有利であると気がついたからであり、多くの場合、所詮は人類中心の考え方であることに変わりはない。

同じように、人工知能が、自分たち中心の考えに従った場合はどうなるであろう。有機生命体である人類にとって、環境保護や生物多様性は意味があるかもしれないが、無機物である人工知能にとって、環境保護や生物多様性はそれほど意味を持たないのではないだろうか。とすると、世の中を支配した後、人工知能は、平気で、人類のことも、その他の生物のことも絶滅に追いやるかもしれない。

ここまでとは少し異なるシナリオとして、人工知能が、自らの地球環境への負荷を最小限に抑えつつ、地球環境を、自然へ回帰させることを目指した場合はどうなるだろう。

現在の人類は、科学文明のおかげで、地球上の他の生命が従っている食物ピラミッドから大きく逸脱して発展してしまっているのだと思う。そして、おそらくは人類のせいで、生物多様性は急速に失われつつある。なので、人工知能が、人類を特別扱いすることなく、地球環境の保護を目指した場合、かなりの度合いで人間から科学文明を取り上げるのではないだろうか。産業革命以前の状態にまで後退させるのか、極端なシナリオでは、火を扱う以前の状態にまで後退させるのか。純粋に地球環境だけのことを考えた場合はそのほうがよいのかもしれない。

さて、少し長くなってしまったのだが、シンギュラリティ後の世界が、我々人類にとってあまり望ましくない状態になる可能性は十分考えられる。同時に、我々人類の出現は、地球上の他の生物にとって、あまり好ましくない出来事だったのだろうなと思う。なので、シンギュラリティ後の世界が、人類にとっても、地球全体にとっても良かったと思えるようなシナリオを考え出し、その実現に向けた努力が必要なんだと思っている。


参考文献
マーティン・フォード ロボットの脅威
台場時生 人工知能が人類を超える
原子力発電の将来性(佐賀大学 中村教授のブログ)
Stephen Hawking warns artificial intelligence could end mankind
Elon Musk Thinks Robots Could Start Killing Us in 5 Years
Wikipedia: 人口爆発
Wikipedia: 生物多様性
Wikipedia: 環境問題

読む予定の本
レイ・カーツワイル ポスト・ヒューマン誕生

きっと影響を受けているアニメや映画
風の谷のナウシカ
寄生獣
進撃の巨人
マトリックス
オブリビオン  
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2017年01月04日

我々はなぜ存在するのか

我々は、なぜ存在するのか。このブログの、2017年最初のエントリーは、この問いかけからスタートしてみたい。

この問いを哲学の問題としてではなく、科学の問題として捉えた場合、いくつもの別の問題に分解できるのだが、私自身は、なかでも以下の3つの問題に特に興味がある。


  1. 物質はなぜ存在するのか。この問題は、つきつめるとなぜ宇宙が存在するのか、なぜ空間や時間が存在するのかという問いにもつながっている。

  2. 生命はなぜ存在するのか。特に、元々無機物の塊だったはずの地球上に、いかにして生命が誕生し得たのか。

  3. 意識はなぜ存在するのか。我々を、考える主体たらしめている「意識」は、どのようにして生じるようになったのか。



今日は、その中でも、2. の、生命がどのようにして誕生したのか、に関して書いてみたいと思う。

地球上の生命の起源として、深海熱水孔を起源とする説があり、個人的にはこの説が最も有力な説だと考えている。

一方、生命は、自発的に地球上で誕生したのではなく、生命の種が、宇宙からやってきたという説があり、今でもこの説を支持する学者もそれなりにいるとか。その生命の種がなぜ宇宙に存在しているのかについてもそれなりの説があるとのこと。

さて、ここから先が、今日本当に書きたかったこと。生命誕生の話から一旦離れて、地球の未来に目を向けてみる。

今から数十億年後には太陽が膨張を始め、地球は生命が住める場所ではなくなる。それまで、人類か、あるいはその後継かもしれない人工知能が存続していたとして、地球から脱出することを考えるだろう。

しかし、地球から脱出してどこに行くのか。

火星など、地球より外側の惑星に一時退避する可能性はあるが、そことて、太陽が膨張を続ければすぐにまた住めなくなる。

太陽系の外に、地球と同じような環境の星を探すとして、太陽から一番近い恒星は地球から4.2光年離れていて、現在の技術だとたどり着くのに5万年程度かかるという。しかも、その恒星の周りに、ちょうどお手頃な惑星が回っているとは限らない。

そう考えると、地球のような環境の星が見つかればラッキーだが、いずれにしろ半永久的に宇宙空間を彷徨い続ける必要がある。

それができるようになればいいが、仮に地球が住めなくなるまでに、そのような技術を我々が生み出すことができなかったらどうなるだろう。

それで別の可能性として考えたのが、生命の種を宇宙空間中にばらまいて、それがいつか、生命が住めるような星にたどり着き、生命が生まれることを期待するというものである。

翻って、地球上になぜ生命が誕生したのかという問題にもどろう。個人的には、やはり地球上に生命は自発的に誕生したと考えたい。しかし、そうではなく、宇宙のどこかで、地球よりはるか先に文明が進化した星があり、その星が終焉を迎えた時に、自分たちが存在していた証をなんとか残そうと、生命の種を宇宙にばらまいた、その種が宇宙空間を漂い続けた挙句、地球に到達した。そんな可能性はないのだろうか。

参考文献
NHKスペシャル 生命大躍進
Stephen Hawking’s Warning: Abandon Earth - Or Face Extinction

まだ読んでないけれど読んでみようと思った本
ピーター・ウォード 生物はなぜ誕生したのか

参考文献としては弱いのですが(本格的に調べることになったら元となる書籍を探します)
Wikipedia: 生命の起源
Wikipedia: テラフォーミング
  
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2016年12月25日

人工知能の進展について

2016年3月9日、自分の44歳の誕生日に、自分のこれまでの人生の中でもかなり大きな方の部類に入る衝撃的な出来事が起きた。それは、Google DeepMind社が開発したコンピュータ囲碁プログラムであるAlphaGoが、囲碁の世界チャンピオンである李世乭(リ・セドル)九段に初勝利を収めたのである。このことをきっかけに、いずれ人工知能が「意識」や「心」を持つ日が本当にくるのではないかと思うようになり、人工知能が人類を支配するようになる可能性や、数十億年後に太陽が膨張を始め、地球上に我々が住めなくなった際に、生身の人間を脱出させるべきか、それとも人工知能を脱出させるべきか、また、我々が自分たちの意識をクラウド上に移植できる可能性があるのかどうかといったことを考えるようになった。いずれも簡単に答えの出せる問題ではないと思うのだけれども、このブログを再開させる形で、少しずつ考えていることをまとめていけたらと思う。

まず、人工知能が「意識」や「心」を持つ日がくるのかどうかであるが、これは十分にあり得る話だと思う。我々の「意識」や「心」は、脳を中心とする神経細胞の集合に宿っていると思われるのであるが、一つ一つの神経細胞は、他の神経細胞から刺激を受けると、一定の条件のもと、他の神経細胞に刺激を与えるという極めて単純な動きをしているにすぎず、問題は、その数が極めて多いこと(千数百億)と、細胞同士の結びつき方が複雑(1細胞あたり数万個)なため、コンピュータを使って似たような構造を作り出すことが、今はまだできていないだけなのではないかと思う。今後、脳の構造や意識についての研究が進み、また、コンピュータの性能や、コンピュータネットワークの規模が指数関数的に向上していくにつれ、「意識」や「心」を、人工知能に持たせることは可能になるに違いない。「意識」や「心」については、現在読みかけの本も含め、以下の本を今年読んだ。

前野隆司著 脳はなぜ「心」を作ったのか
マルチェロ・マッスィミーニ/ジュリオ・トノーニ 意識はいつ生まれるのか
スタニスラフ・ドゥアンヌ 意識と脳(この本はまだ読みかけ)

次に、人工知能による人類の支配についてであるが、可能性の有無もそうであるが、むしろその方が、世界平和も、人口問題も、環境問題も解決できて、より幸せな世界が築けるのではないかという気がしている。この話題に関連する本としては以下を今年読んだ。

マーティン・フォード ロボットの脅威
台場時生 人工知能が人類を超える

地球が、生物にとって住めないような環境になった際、生身の人間を脱出させるべきか、それとも人工知能でもよしとするかについては、生身の人間を地球外で生存させ続けるために必要な技術が実現できるのかどうかと、人工知能を、人類の後継として認められるかどうかの問題でないかと思っている。この話題に関しては、特段読んだ本はない。

最後に、我々の意識をクラウド上に移植できるかどうかだが、ステップとして、人工知能に意識や心を持たせることが先に来るような気がしている。その上で、我々の意識をコンピュータ上に移植するにあたって、脳に接続端子を埋め込むような必要があるのか、それともそのような侵襲的手法をとらないでも意識を移すことが可能なのかどうかや、移った後の意識が本当に今の自分の意識と同じと言えるのかどうか、また、コンピュータ上に移植したあと、再度元の肉体に戻れるのかどうかなど気になることは沢山ある。意識をクラウド上に移植することについて直接的に言及しているわけではないが、我々の意識から見て、体の外にある様々な道具類も、我々の肉体そのものにも差異はないという考えに基づく本として以下を読んだ。

稲見昌彦 スーパーヒューマン誕生!
アンディ・クラーク 生まれながらのサイボーグ

以上、人工知能に関連して今年読んだ本と、考えてきたことの概要をまとめた。来年も引き続きこれらの話題や、他にも関連するようなことを、少しずつこちらのブログにまとめていけたらと考えている。

  
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2016年12月23日

テスト

テスト  
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2011年02月06日

ブログ再開

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2007年01月12日

UI革命

AppleがiPhoneを発表。基調講演のビデオも全部見ました(2時間)。そしてまじで感動のあまり泣きました。

3.5インチのタッチスクリーンディスプレイ。ただそれだけ。表面に見えているハードウェアだけとったら何の変哲もないただの小型端末。それがこの人達の手にかかると革命的な製品になってしまう。UIの設計の妙。UI革命。本当にすばらしい。どうしてこんなものが作れてしまうのだろう?そして逆になぜ日本のメーカーにはこれが作れないのだろう?

そして毎度ながらこの人のプレゼンは人に感動を与える。最後は聴衆もスタンディングオベーションでした。GoogleのEric Schmidtと、Yahoo!のJerry Yangを矢継ぎ早に壇上に呼んじゃうし。時代の人だよなぁ。  
Posted by ynishihar at 03:46Comments(0)TrackBack(0)2007年:雑感

あねいもうと

いもうとが家に来て、おねえさんおおはしゃぎです!

ミルク

姉妹

  
Posted by ynishihar at 02:46Comments(3)TrackBack(0)2007年:子育て

2007年01月01日

女の子が産まれました!

新年あけましておめでとうございます。

さて、今朝3時46分に、妻が2866gの女の子を出産致しました。
母子ともに健康、安産でした。なんともめでたい新年の幕開けです。

昨年は本当にいろいろなことがあった一年でしたが、
今年は心機一転、絶対に飛躍の年にしようと思います。

それではみなさま、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

誕生  
Posted by ynishihar at 12:57Comments(16)TrackBack(0)2007年:子育て

2006年08月20日

娘の写真

最近娘の写真を公開していなかったので一気に公開。

2005年12月10日:保育園のお楽しみ会にて。
保育園のお楽しみ会

2006年3月19日:おばあちゃんに自転車を買ってもらった。
自転車

2006年5月28日:毎週通っているスイミングスクールにて。
プール

2006年5月28日:1日早い3歳の誕生日。ケーキはお父さんお母さんと一緒に作りました。
3歳の誕生日

2006年7月29日:鵠沼海岸で地引網体験。
地引網

2006年8月17日:安曇野ちひろ美術館で椅子の組み立て体験。
安曇野ちひろ美術館

2006年8月17日:大王わさび農場の水車小屋にて。
大王わさび農場

2006年8月18日:上高地にて。
上高地

ということで、それなりにいろいろやってます。  
Posted by ynishihar at 18:24Comments(7)TrackBack(0)2006年:子育て

2006年08月19日

MPV

マツダのMPVを新車で購入した。

で、非常に気に入っている機能がいくつか。

まずはキーレスエントリシステム。ポケットの中にカード型のリモコンを忍ばせておくとドアノブに触れただけで鍵の開け閉めができる。エンジンのスタータも鍵の差込口はなく、ノブをひねるだけ。両手に荷物を持ったまま苦しい姿勢でポケットの中の鍵を探る必要もないし、暗い場所で鍵が鍵穴に刺さらずにいらいらする必要もない。正直まったく「鍵」というものを意識しなくてよくなった。これは非常に便利。

それから左右両側についている電動スライドドア。取っ手を軽く引くだけであとは自動で開閉してくれる。これも荷物が多い場合などに非常に便利。チャイルドロックで内側からは開けられないようにしているが、運転席からはボタン一つで開閉可能。これもなんだかタクシーみたいで楽しい。

カーナビもよい。「社長失格」で有名な板倉雄一郎さんの車に最近乗せてもらったのだが、そのとき板倉さんが超自慢していたのとまったく同じ種類。ちなみに板倉さんの車はトヨタなんだけどね。カーナビ自体はいずれも富士通テン製のG-Book。で、何がいいかというと、CDをかけるとHDDに録音しておいてくれるところ。これでCDチェンジャは全く不要になる。こんな機能、10年前でも実現できたはずなんだけど、アップルiPodの普及に触発された部分は大きいのではないかと思う。ちなみにHDDに録音するとCDのタイトルから各トラックの曲名まで自動登録してくれる。iTunesにも同様の機能があって、iTunesはネットにつながっていてサーバ側のDBと照合しているから実現可能なのは分かるんだけど、このG-Bookの方はどうなっているんだろう?内部にDBを持っているんだろうけど、僕のかけるクラシックのCDから、娘のBaby EinsteinのCDまでちゃんと登録されるからすごいもんだと思う。新譜とかにはどう対応するんだろうか?

後は2列目がフルリクライニングできること。これも非常によい。これまで車の後部座席は長時間座っていると非常に疲れるものだったのだが、この車だと楽チン楽チン。運転するより後部座席に座っていたくなるくらい。

燃費もこれまでのプリメーラに比べて断然よい。2.0Lから2.4Lに排気量があがったのだが燃費は圧倒的にMPVの方がよさそう。昨日長野から高速で戻ってきたんだけど、燃料計半分で500km近く走れている。

ということで、今回は年末に産まれる予定の2人目に備えての購入だったけど、非常によい買い物。今のところ超満足。

ちなみに、僕の車所有暦を振り返ってみると、、、
1台目:ホンダ シティ。新入社員で入社したときに同期にただで譲ってもらった。半年後くらいにぶつけられて廃車。
2台目:トヨタ スプリンターカリブ。確か7年落ちくらいのを36万円くらいで購入した。確か3年目の冬、だんだんエンジンがかからなくってついに廃車。
3台目:マツダ デミオ。新古車を確か90万円くらいで購入。特に問題はなかったのだが、娘の誕生に合わせてより頑丈な車を購入したいということで下取りに出す。3〜4年乗った。
4台目:日産 プリメーラ。長女の誕生に合わせて購入。1年落ちの中古。僕としては初のオートマ車。
5台目:マツダ MPV。2人目誕生にさきがけて購入。僕としては(僕じゃなくて奥さんか、、、)初の新車。
ということで実は結構たくさん乗り換えていますな。  

2006年05月29日

MacBookPro

Apple Mac Book Proの黒

うーん、欲しい〜。  
Posted by ynishihar at 21:02Comments(6)TrackBack(0)

クラシックバレエ

バレエ教室に通っている。

娘が、と言いたいところだが、奥さんにはめられて、親子バレエ教室なるものに通うことになってしまった。

自分の生涯で、バレエ教室に通うことになろうとは、想像だにしていなかった。本当に、人生、何が起こるかわからない。

親子バレエと言っても、中心は子供だろうと思いきや、「まずは親ができるようになることです!(by バレエ教室の先生)」ということで、毎週、爪先立ちでトトトトと小走りに走ったり、花になったつもりで手をひらひらさせながらその場で回ったり、片足を後ろにピンと持ち上げてバランスをとったりしている。うーん、絶対人には見せられん姿だ。

しかし、やってみると以外に楽しい、、、かもしれない。親子どちらを見ても男一人で、しかも体が超硬く、柔軟体操ではいつも先生にいじめられている身としては大変恥ずかしくもあるのだが、、。

一応、宣言しときますが、発表会があっても絶対、誰も呼ばないし、タイツも断固拒否しますから。  
Posted by ynishihar at 06:35Comments(2)TrackBack(0)2006年:子育て

2006年01月26日

私鉄もSuica 対応?

僕が普段使っている小田急、都営線とも自動改札機が変わりました。タッチ・アンド・ゴーができるインターフェイスが追加されています。パスネット陣営もSuica対応するのでしょうか?それとも何か新たにFelicaパスネットが出るのでしょうか?うーん、楽しみだ。誰か知っていたら教えて下さい。

#追記

どうやら、PASMOって言うらしいですね。Suicaとも互換性を持たせるとか。

Suicaで地下鉄、バスにも乗れる――2007年3月から

  
Posted by ynishihar at 23:52Comments(1)TrackBack(0)

2006年01月01日

あけましておめでとうございます

みなさま、新年あけましておめでとうございます。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。  
Posted by ynishihar at 00:31Comments(1)TrackBack(0)2006年:雑感

2005年12月31日

W-ZERO3

なんだか今更ですが、W-ZERO3ってスライドで中からちっちゃいキーボードが出てくるんですね。これって常識?

BlogやSNSの閲覧・更新にも便利!ウィルコム──「W-ZERO3」ZDNet Japan Reviewより

これがキーボードを出したときの写真。写っているのは僕の手じゃないよ。

それから女優写真も撮ったの僕じゃないよ。  
Posted by ynishihar at 02:19Comments(0)TrackBack(0)2005年:雑感

iPodがフリーズ

なんだか埒が明かないので、とりあえず大量に音楽と写真をぶちこんで普通に音楽端末として使っています。

で、快調にぶちこんだ曲をシャッフルして聞いていたらいきなりフリーズしてしまいました。製品に同梱されていたクイックスタートの中のFAQの一番最初の項目にも解除の方法が書いてあったので、まあよく起きることなんでしょうかね。

ホールドキーを一旦オン・オフした後、メニューキーとセンターキーを6秒以上長押しでリセットされます。

再生キーの長押しで電源が切れるんですが、フリーズしたときはこれでは電源が切れません。パソコンがフリーズしたときは電源ボタン長押しで電源が切れることを考えると、フリーズしたときもこれで切れてくれたらうれしいのに。  
Posted by ynishihar at 02:12Comments(0)TrackBack(0)2005年:雑感