July 11, 2012

テノールは大変 その3人(フランコ コレッリ)

次に先生が検索したのは、フランコ コレッリが歌う、ベッリーニのPuritani から
" A te o cara"。

コレッリは重厚な声のテノールです。パヴァロッティのような元々がベルカント向きの声でなくても、揺るぎないテクニックがあれば、ベッリーニも歌うことが可能なんですね。アルバレスやパヴァロッティと比べ、声そのものに成熟した男性の魅力があり、私は三人の中で一番心が惹かれます。

次はプッチーニのToscaから"E Lucevan le stelle" 

コレッリは声だけでなく容姿にも恵まれた人で、背が高く端正な顔に、ダンサーのような長くてまっすぐな綺麗な足を持ち、それはそれは人気があったのだそうです。
 それにしても素晴らしい歌の技術。先生は
「現代ではもうこのような歌手は見つからない。」
としんみりおっしゃいました。

つぎは、観客だけでなく共演のブリギット 二ルソンまで虜にした プッチーニTurandotから有名な"Nessun Dorma"

カラフ王子は女奴隷のリウが彼の笑顔を一目見た時に、命を捧げてもいいと思ったほどの男性。確かにこの役を美男が演じると説得力があります。

YouTubeのコレッリの動画でこんな貴重なものがよく出てきたなあと思うのが1971年の日本公演です。ハンサムで親しみやすい雰囲気。サービス精神が旺盛でカリスマがある。そして劇的な声とテクニック。当時の日本人も良いものを聴いていたものです。

コレッリは声と容姿に恵まれその上確かな技術を持った稀有な人でした。しかし、唯一足りなかったと言われるのが演技力。動画を見ていると段取りをきちっと守っているのが伝わってきて生真面目な人だったのだろうなあ、としみじみ思います。
しかし、当時は彼の演技が容赦なく批判されたそうです。
うーーーーん、昔の人はキビシイ!!
テノールの目指す山の頂はかくも高い。
タイヘンな仕事です。

ynsn1 at 22:31|PermalinkComments(5)TrackBack(0)

July 10, 2012

テノールは大変 その2(ルチアーノ パヴァロッティ)

次に先生が検索したのは若い頃のパヴァロッティ。ドニゼッティのLa fille du regimentから"Ah! mes amis"1972年です。

映像がぼやけているのが大変残念ですが、やっぱりパヴァロッティはすばらしい。
また若い頃のパヴァロッティの映像がこうも簡単に見られるなんて、現代に生きることも悪いことばかりではありません。

次に聴いたのがパヴァロッティが歌うベッリーニのPuritani から"A te o cara"

 良い映像が見つからなかったのは残念でしたが、これはサザランドとパヴァロッティの最強コンビのLIVE。パヴァロッティはあの高音をサザランドから学んだと言われています。ですからこの録音も貴重です。特にこの時の演奏は、これぞベルカントという確固たるテクニックが発揮されていています。この曲が歌われる時にありがちな過剰なポルタメントも殆どなく、晴れ晴れとしたイタリアの青空のように清々しい演奏。

 ちなみに、パヴァロッティの成功はサザランドなしではあり得なかったと言われます。当時すでに大きな成功を収めていた背の高いサザランド。サザランドの役は薄幸のヒロインが多かっただけに、夫で指揮者のボーニングが見出したのが、サザランドより背の高いパヴァロッティ。
 もし彼がサザランドより背が低かったら、彼の成功のきっかけはもっと遅かったと言われる程パヴァロッティの歌手人生においては重要な起点で、この出会いにより彼はキャリアをどんどん積んで行きます。

さて、パヴァロッティのルイーザ ミラーのアリア。1992年です。

物凄い集中力。ベルカント時代のものを歌う時とスタイルが変わらず、劇的な表現が声と言葉と音楽でされている。
「これです。先月観たルイーザ ミラーでヌッチにはあったがモズクやアルバレスになかったもの!」
 
そう話す私に先生は、ひとたびテクニックを理解すれば、ベルカントもヴェリズモも歌えるはずなのよ、
と言いつつ、また別の動画を見せてくれました。

続く

ynsn1 at 19:26|PermalinkComments(3)TrackBack(0)音楽 | オペラ

July 09, 2012

テノールは大変 (マルセロ アルバレス)

もう一ヶ月も前のことになりますが、スカラ座のルイーザ ミラーを見た翌日、歌の先生にオペラの感想を尋ねられました。そこで私は正直に、
「ヌッチはいつものように素晴らしくて、バルチェッローナもそこそこで云々…」
と話し、最後に
「でもテノールのアルバレスが酷かった。」
と付け加えました。すると先生がとても驚いて
「アルバレスが酷かった!?彼は有名だしベッリーニやドニゼッティもきれいに歌う人よ。ルイーザ ミラーが歌えないとは思えない。」
と仰いました。

 私はアルバレスのベッリーニやドニゼッティを聴いたことがなかったので、最近iPadを購入した先生と一緒にYouTube巡りをすることになりました。

まずは、ベッリーニのPuritani から"A te o cara"1994年のアルバレス。

素晴らしい。まさに音楽の神様に愛された声。そして、正統なベルカントのテクニック。
私は、先生に昨日と同じ人とは思えないと、感想を述べました。

そして次に観たのが、ドニゼッティのLa fille du regimentから"Ah! mes amis"1996年のアルバレス。
 
これも素晴らしい。美しい声。ブレのない確かな技術。これを聴いた会場の人々は彼の輝かしい未来を確信したことでしょう。
私は先生にやっぱり、
[昨日と同じ人と思えない」
と言いました。

そこで私達はすこしづつ彼の歴史を追って行きました。
すると、彼がプッチーニやヴェルディなどのヴェリズモを歌い出したころから、上体が揺れだし感情に任せて、声を押すようになるのに気づきます。
そして、2009年のサレルノのコンサートでのルイーザ ミラーの "Quando le sere al placido"

「ああああっ!これは、昨日とほとんど同じ歌い方。」
と言ったのは私。
「ここにさらに歌いづらそうなナーバスな雰囲気が加わって、必死に体の緩和を求めていたがそれがうまく行っていない様子だった」
という私の言葉を聞いた先生は、
「よくわかったわ。劇場でどんなことが起きたかも。」
と仰いました。

数日後、アルバレスはスカラ座を病気を理由に降板してしまいます。降板の理由が本当に病気なら問題はないのですが、大抵別の理由があっても公的には病気と発表されるものです。
恵まれた声と技術をもち、次世代を担うと思われたアルバレスがなぜ、こうなってしまったのか。彼の役の選択が間違っていたのか。彼を使う劇場関係者や音楽関係者が彼の使い方を間違ったのか。彼のそばに良い助言をする人がいなかったのか。

とはいうものの、歌手の役選びは難しいものだ。
「テノールのベルカントとヴェリズモの両立も大変だな〜」
と繰り返す私に先生が、まあまあ、とばかり別の映像を見せてくれました。


つづく

ynsn1 at 14:06|PermalinkComments(0)TrackBack(0)音楽 | オペラ

June 28, 2012

ミラノで寿司米!?!?!?

先日、歌の先生のご主人が嬉しそうに
「日本のSushi用のコメが売ってたから買って来た!」
と言って見せてくれたのがこちら。
私はみるなり絶句してしまいました。
Riso per Sushi とは寿司のための米という意味です。
しかし、こちらにご家族とはずいぶん親しくしてもらっていて、、正直であることを良しとする人たちなので、はっきり言うことにしました。

「どこの産地で育てられ、どんな種類の米が寿司に適しているという議論はある。
しかし、
私は日本で、『寿司の為の米』所謂『寿司米』と、明記してある米が売られているのを見たことがない。寿司のための米が育てられるという話も聞いたことがない。
それは、
Risotto alla Milanese(ミラノ風リゾット)を作ろうと思いついたとして、スーパーの米売り場に行っても、『ミラノ風リゾットのための米』 というものを見つけられないのと同じです。」
 
それを聞いた ご主人のがっかりしたことといったら!
そして、
「いったい誰がこうしたものを売るんだ?縦書きになっている文字は日本語だろう?」
と聞きます。

 私は 
「誰がこういう商売をするのか私は知らない。ただプリントされている言葉は確かに日本語だけど、そこに書かれているメーカーは見たことも聞いたこともない。」
と、答えました。

ミラノでは沢山お寿司を出すお店があり、今はスーパーでも買えます。しかしある日本人の奥様をもつイタリア人は
「あれが、日本のSushiだとイタリア人が思っていることが非常に残念だ。」
と、いいます。

お寿司だけでなく、ミラノには「日本のものーgiapponese」を語るあやしげな商品は沢山あります。全てを規制するのはきっと不可能だと思われる。でも、せめてお寿司くらいはまともに伝わって欲しい、と言うのは愛国からくる切なる願い。

 とはいうものの、日本も長い間、アメリカから伝わったピザをPizzaだと考えていた時代がありました。しかし、円高が進み、イタリア料理のブームが来て、ナポリのピッツアをナポリで食べる人やナポリでピッツア作りを修行する若者も増え、今はようやくピザとピッツアが違うものだという認識が広まったところです。
 この間には日本のアメリカンピザに対して、これはイタリアのピッツァではないと言い続けてきた人がいたことでしょう。
また、
「真のナポリピザ協会http://verapizzanapoletana.jp/」の存在も大きいとおもいます。

本当に変なお寿司を美味しい美味しいと言って食べているイタリア人を見る度、個人の意見の限界を思います。
日本も「真の江戸前鮨協会」のようなアソシエーションを作って、江戸前寿司とは何かという規定を作り、日本人でなくとも本当に江戸前のスタイルを守る板前のお店には協会からの認定証を与え、その正統性を内外に広めて行く必要があると思います。

でも、きっと政府が腰をあげるのを待っていては始まらないのだろうな〜。



ynsn1 at 17:33|PermalinkComments(3)TrackBack(0)文化 | 生活

June 25, 2012

やっぱりお豆腐と同じだね!!

先日は先生の御宅でナポリからやって来た、モッツァレッラを頂きましたが、今回はサレルノからやってきたモッツァレッラを頂きました。

 サレルノはナポリよりさらに南に下った街ですが、そんなに離れていません。

 しかし!

 二つの街の モッツァレッラの風味は あきらかにちがいます。

 ナポリのそれが旨味がぎゅぎゅっと詰まったものだったのに対し、サレルノのモッツァレッラは、噛んだ瞬間ふわっと乳の豊かな香りが口の中に広がります。
 オリーブオイルや塩、胡椒をかけてしまうのはあまりにもったいない新鮮な食べ物ならではの繊細さもあります。

おおお、産地が少し離れただけでこうも風味が変わるとは!
やっぱり、まるでお豆腐のようではないですか。
きっと同じサレルノでも、ほんの数百メートル離れたチーズ屋さんが、それぞれの個性のちがうモッツァレッラを売っているのだろうな。

ウィキペディアでモッツァレッラのページをみると、発祥の地はサレルノと出ています。私はナポリが発祥の地だとばかり思っていました。今日は一つ賢くなってヨカッタ。

しかし、今やモッツァレッラチーズは世界中の人々に愛されている。
サレルノの人はすごい食べ物を考案したものだな〜。

ynsn1 at 21:58|PermalinkComments(6)TrackBack(0)イタリア料理 | イタリア食文化

June 24, 2012

オペラ 「ルイーザ ミラー」感想

6月6日、スカラ座のオペラ、「ルイーザ ミラー」の初日に行ってきました。
初日というだけあって、春夏ファッションの夜会服を来たカップルが多く、客席は華やかなものでした。


 指揮はノゼーダ。
 この日の最大の注目は、ミラーを演ずる70歳になったレオ ヌッチ。多分ここに集ったすべてのオペラファンが、ヌッチをまた聴くことができる喜びを感じていたと思います。
 そして、ヌッチはその期待に見事に応えました。
  
 以前にも書きましたが私はヌッチはヴェルデイで悲劇の老いた男を演じるよりも、プッチーニ、取り分けジャンニスキッキのようなユーモアとアイロニーと効いた役が、彼生来のもつ天性が生かされ素晴らしいと思います。それに、彼の美しいフレージング技術もプッチーニの方が活かされていると思います。
 とは言うもののヌッチのスーパーと言っても良いテクニックはヴェルディを歌う時にも機能します。そして、この日もその職人技がはじめから終わりまで発揮されていました。ヌッチは
無駄に体を動かしたりするすることなく、声の技術と音楽性で、その悲劇を表現し、それこそ「これぞイタリアオペラが守ってきた伝統」というものを体現するのです。

 一幕のアリアは、歌の流れはまるで途切れない一本の線が永遠に続くように思われ、その線がそれまで保ってきた集中力が最高に高まった状態で最高音に達し、(そこにいた全員が手を握りしめ前のめりになっていたと私は確信する)その声は会場中に響き渡り、そして、その研ぎ澄まされた空気のまま歌い終えられました。 すると、もう会場からは溢れるばかりの拍手と歓声が長く長く彼に贈られました。
 
 改めて書きます。御年70歳。才能、声、容赦に恵まれているのに40を過ぎた頃から様々な理由で消えて行く歌手が多い中で、こうして実力を保っていられるのは単に運や環境に恵まれているといったものだけではない。それに、まだまだどんどんいけそうなゆとりさえ感じます。
 芸術家でなくてもこの年齢で、なお現役で、プロで、人々から尊敬される仕事ができることがいかに尊いか。多くの観客はそうした人生の難しさを知っていて、その奇跡を舞台で表すヌッチに拍手を捧げているのだと思いました。いやはや、何ともめでたい。私も拍手を送り続けました。
 
しかしイタリアは ヴェルディが歌える優秀なバリトン歌手をこれまで何人も生んできましたが、このヌッチに続く人は育っているのでしょうか。いささか余計な心配をしてしまいます。
 
 フェデリーカ役のダニエラ バルチェッローナも確実なテクニックで歌い、また立ち姿が美しくオーラがありました。

 ルイーザ役のエレーナ モズクは軽い声の人で、まるでリゴレットのジルダを歌うように、この役を歌いました。ルイーザ ミラーの物語がリゴレットと似ているのでそれはそれで悪くはないとは思いました。しかし、スコットやリッチャレッリ、フリットリでこの役を聴いてきた人には多分物足りなかったのでは?と感じました。上体をよく動かす人で、ヌッチやバルチェッローナの無駄のない立ち姿の美しさや、イタリア的な一本線の上で音楽と内面を表現の仕方が秀逸だっただけに、その感情に任せた動きが気になりました。でも、全体的に丁寧に仕上がっていて、これから楽しみなソプラノだと思います。ー

 調子が芳しくなかったのはロドルフォ役のテノール、マルセロ アルバレス。声にまとまりがなく、楽々と三点ドを出すかと思えば、パッサッジョあたりが苦しげ。それが一番顕著に現れたのが有名なアリアQuando le sere al placidoでのことでした。レチタティーボは力任せに歌い切ったものの、カンタービレに入った途端、彼のナーバスさがこちらに伝わってくるのでした。そして、苦しげにそれでもなんとかたどり着いた最後のアクート(高音)は、思いっきりぶん投げられたように放たれました。
 いったい彼に何があったのだろう?
 病気なのだろうか?
 と、心配になるくらいの調子の悪さでした。

 終わってみれば、テノールとソプラノに口笛(スカラ座ではこれはブーイングと同じ意味)が一回づつ、バルチェッローナに暖かい拍手、そして一番大きな拍手と歓声はヌッチへ。

 深くは考えまい。
 今宵は、元気なヌツチの素晴らしい歌が聴けて本当に良かった。
 彼の舞台は活力を与える。
 良いものが観られた。
 明日も頑張ろう。
 そんなことを考えながら帰宅しました。

2012年 ミラノスカラ座 ルイーザ・ミラーキャスト
Direttore
Gianandrea Noseda
Daniele Rustioni (21)
Regia
Mario Martone
Scene
Sergio Tramonti
Costumi
Ursula Patzak
Luci
Pasquale Mari

CAST 

Il conte di Walter
Vitalij Kowaljow (6, 9, 12, 15, 18, 23)
Orlin Anastassov (8, 11, 21)
Rodolfo
Marcelo Alvarez (6, 9, 12, 15, 18, 23)
Piero Pretti (8, 11, 21)
Federica
Daniela Barcellona (6, 9, 12, 15, 18, 23)
Barbara Di Castri (8, 11, 21)
Wurm
Kwangchul Youn (6, 9, 12, 15, 18, 23)
Marco Spotti (8, 11, 21)
Miller
Leo Nucci (6, 9, 12, 15, 18, 23)
Vitaliy Bilyy (8, 11, 21)
Luisa
Elena Mosuc (6, 9, 12, 15, 18, 23)
Tamar Iveri (8, 11, 21)
Laura
Valeria Tornatore
Un contadino
Jihan Shin





ynsn1 at 16:15|PermalinkComments(5)TrackBack(0)ミラノスカラ座 | オペラ

June 18, 2012

官能的な絵を贈る

数週間前訪れたレーナさんの御宅には、たくさん絵が飾ってあります。それら総てを描いたのはレーナさんのお兄さん、すなわち私の先生のご主人です。

それらの中で、先生が一番好きなのがこの薔薇の絵。

好きな理由はSensualeだから。Sensualeーセンスアーレとは 官能的な、という意味のイタリア語です。
先生は、
「この絵が大好きだから私にも描いて欲しいって言っているのに、彼は未だに 約束を果たしてくれないのよ。」
と、ご主人を軽く睨みます。
ご主人は、
「必ず描くよ。」
と言います。

 そんな長年連れ添ったあと夫婦の関係も、これまたよし、だなあと思う私でした。


ynsn1 at 20:02|PermalinkComments(5)TrackBack(0)美術 | 文化

June 17, 2012

お豆腐と同じだね!

先生の御宅に、ナポリの生徒さんがナポリから直接運んできたモッツァレッラチーズが届き、私もご相伴に預かりました。

先ずは、何もつけないで試して見なさいと、言われたので、お塩も、胡椒も、オリーブオイルもなーんにもつけないで頂いてみました。
 
うーん、美味しい、水牛の乳の香りが豊か!
その塩味だけで、トマトとバジリコとのハーモニーを愉しめます。

本当に新鮮なモッツアレッラは、お豆腐と同じで、シンプルにいただくのが一番美味しいことを知りました。

ynsn1 at 23:20|PermalinkComments(3)TrackBack(0)イタリア食文化 | イタリア料理

June 15, 2012

メジュゴリエへの巡礼 〜さよなら、マリアさんありがとう〜

メジュゴリエを発つ朝、空はこの4日間ずっとそうだった様に雲一つなく晴れ上がっていた。
毎夕行われる青空ミサの会場は嘘の様に静まりかえっていた。


今日もまた多勢の巡礼者がメジュゴリエ入りし、聖母マリアに祈るのだろう。

 これは私の個人的な考えだが、カトリック教会が公認していないにもかかわらず、これだけたくさんの、とりわけ多くのイタリア人巡礼者が集うのは、前の教皇ジョバンニ.パオロ2世が銃撃された時、聖母マリアの加護があったと話したこと、またその後教皇がここを訪れ聖母マリアに感謝の祈りを捧げたと言う事実が大きいと思う。
 また、現在の教皇ベネディクト16世はインテリジェントで素晴らしいが、前の教皇はもっとカリスマがあったと言う話もよく聞く。 このようにジョバンニ.パオロ2世の影響はいまだに続いているのだ。日本からは、とても遠く感じるエピソードだが、これもイタリア人のもついろんな面の一つである。

 メジュゴリエの聖母マリアの出現は私は見ていないので、真実のほどは何ともいうことができない。
でも、考えてみれば、ボスニアは1995年まで民族浄化と称して内戦が行われていたところである。しかし、今、そのボスニアの小さな街に、毎日あらゆる国から聖母マリアを礼拝しに大勢の人がやってきて祈り、ミサの平和の挨拶になると、
「PACE(平和を)」と言い合い、人々は周りの人、初めて出会う両隣り、前後の人と握手を交わすのだ。これはメニュゴリエの起こした大きな奇跡と言って良いのではないだろうか。

 またメジュゴリエの私が行ったあらゆる施設は、誰でもで入りでき、お金を要求されなかった。拝観料をとる有名な教会や寺などに比べればはるかに良心的だ。
お金の話をさらにすれば、私が3泊4日の旅で使ったのは宿代、食事代、交通費、途中で買った水やお土産など含めても3万円にもならなかった。
勿論、土産物屋には世俗的なものも売られている。しかし、求められる金額は10ユーロ以内で収まってしまう。因みにお揃いで買った腕にかける数珠のようなロザリオも店の人の手作りで、二つで5ユーロだった。

 こうして、私達のグループの巡礼は、リタがフリウリを車が出発したあとに願ったようにとても晴れ晴れと、そして無事に行われた。
それぞれの人生に、哀しみや、絶望などを持ってはいるが、誰もが優しく、明るく朗らかな人だった。
ほとんどが初対面の人であったが、お互いに節度を持ち、お互いを励まし合い、お互いのために祈り、時に涙を流し、そして、大いに笑った。
私は旅の間、彼等からの愛情をいつも感じ、ずっと幸せだった。
 そんな旅を与えられたことこそ私に起きた奇跡だったのだと思う。

メジュゴリエへの巡礼  お終い

ynsn1 at 15:44|PermalinkComments(4)TrackBack(0)旅行 | 私とキリスト教

June 14, 2012

メジュゴリエへの巡礼 〜水の奇跡〜

メジュゴリエの教会から5分程歩いた場所に、イエス磔刑のブロンズ像がある。
その足元には、毎日大勢の人々が並んでいる。

不思議なことに、そのブロンズ像の両膝のあたりから、水が雫となって流れ出すのだ。

 周りには、水たまりとか、池とかそうしたものは何もない。
それなのに、水の雫がブロンズ像から滲み出てくるので奇跡の水だという。その雫水をもらうために人々は並ぶのだ。順番が来た人は、膝のあたりを流れる雫をハンカチで拭う。大抵の人はハンカチをいく枚も持っていて、一枚一枚拭って行く。雫を含んだハンカチは病気治癒など奇跡を信じる人に渡されるのだろう。
 私はこうした人を否定したり、ましてや、馬鹿にしたりなどしたくない。
私自身両親を病で失いつつあった時、日ごと明らかになる現実の中で、奇跡を祈った一人だからだ。
雫を拭うためにお金を払うこともない。ただ 人々は炎天下の下を、辛抱強く、黙って、前の人が一枚一枚、もう一枚と、拭いているのを待つのだ。


 しかし、雫を拭けるのは運の良い人で、せっかく順番が回ってきても、その人の時には雫が流れ出ない事がある。その人はいかにも残念という様子で、それでもその雫が流れるあたりを拭っていた。

 その運の悪い人の一人がジャンナで、連日並んでいるのに雫を拭き取ることができない。そうして時間は経過し、最終出発日の朝になった。朝のミサのあと、ジャンナと私はイエス磔刑のブロンズ像の前に来た。ジャンナの番になる。やはり雫は拭き取れない。
私はジャンナが、最近腫瘍のため視力を失った姪や、脚を傷めている友人、年齢と病気で外を出歩けない従姉妹など、彼女が愛するいろんな人にこの雫のハンカチを贈りたい事を知っていた。
 後ろの人がジリジリしているのが伝わってくる。気の短いジャンナはもう諦めようとしている。私は思わず自分の鞄からテッシュを取り出し、
「私がやって見るよ」
と言って、
「このあたり!」
と勘と確信に任せて拭ってみた。
すると、ほんの小さく3箇所、テッシュが雫で濡れていた。
私はカトリック教徒ではないので、私には必要ないからと言って、ジャンナにそれを渡した。

 フリウリに帰って数日後のある日、ジャンナはにっこり笑って、私に一枚のハンカチをくれた。ハンカチにはメジュゴリエの聖母マリアがデザインされ、手のひらサイズにたたまれたその淵はミシン糸でピッタリと縫い合わされている。ジャンナはあの私が渡したテッシュを、細かく切り、いく枚のハンカチに入れ縫込み、手作りのお護りを作ったのだ。
 「ジャンナ、あれは本当にあなたにあげたものだよ。私はカトリックじゃないし、これは本当に必要な人に渡して…」
という私に、
「この一枚はあなたのために作ったの。なぜならあなたが大好きだから。」
と早口で言い、
「ああ、忙しい」
と、キッチンに行ってしまった。

(雫を待つ人の陰で涼をとる子犬)

ynsn1 at 15:15|PermalinkComments(3)TrackBack(0)

June 12, 2012

メジュゴリエへの巡礼 〜太陽の奇跡〜

メジュゴリエではマリア出現の奇跡以外に、太陽の奇跡が語られる。
ネットで検索するとYouTubeの映像で太陽の真ん中に黒い円が現れるものなどがでている。

一方、メジュゴリエ最後の夜を迎えようとしていた日暮れどき、夕方のミサから宿についた私たちが見たものは、太陽が円の中でくるくる回るものだった。これもメジュゴリエの太陽の奇跡だと言う。
周りの人、リタ、ジャンナ、マリア、もう一人のマリア、マルチェッラ、運転手のフランコはそれはもう大騒ぎで、私に対しても、やれサングラスをかけろ、写真を撮れ、誰々を呼んで来い…とまあ慌ただしいものだった。


動画ではないので太陽の回る様子は撮れなかったのだが、太陽の周りを虹のように光が取り囲むのが見てとれる。これもメジュゴリエの太陽だけが見せる姿だということらしい。 この様な太陽の奇跡が起こっている時、世界の何処かで聖母マリアが出現していると語られている。

  太陽の奇跡を見てひどく驚いたとか、すごく感動したというような感情は私には特に湧かなかった。
ただ、この旅で極東からやって来た私に本当に親切にしてくれた優しい人々が、喜んでいる姿を見つめながら
「よかったなあ」
と、心から思った。
母国への帰国後、彼等は家族や友人達に、この出来事を興奮をもって語るのだろう。



ynsn1 at 23:39|PermalinkComments(3)TrackBack(0)旅行 | 私とキリスト教

June 10, 2012

メジュゴリエへの巡礼 〜白い十字架の立つ山2〜


頂上は、石ばかりの荒地で、そこに大きな白い十字架が立っていた。

 その大きさは、宗教観よりも何よりも
これは何と!
という圧倒されるもので、それは奈良の大仏を初めて見た時の感覚に似ている。

 この頂上からはメジュゴリエの町すべてと、その向こうの山々とそれにかかる白い雪まではっきりとみることができる。汗ばんだ身体に吹く湿気を含まない風が心地よい。
その十字架の下で祈る人も多くいたが、十字架の下の方に自分の名前や日付を書き込んでいる人も結構見られた。

 私達は、この十字架から少し離れたところでロザリオを唱えた。3人は最後にまた、私のために、子供に恵まれる様にと祈ってくれ、私は彼女達の好意を嬉しく受け取った。
 
 ロザリオの後で、マリアが私に
「あなたは仏教徒?」
と、尋ねた。私はいつものように、そうだと答える。日本人の汎神的な感覚の説明は話が長くなるので避けた。するともう一人のマリアが
「ああ、あなたはブディスタなの。私は、ダライ・ラマ好きよ。」
と言った。
すると、あとの二人も彼は素晴らしいと、ダライ・ラマ法王を高く評価した。
そこでは、チベット仏教と日本のそれとの違いも、話が長くなるので私は話さなかった。
 因みに、私が仏教徒だと答えると、ダライ・ラマ法王の事を話し出すイタリア人は少なくない。そして彼等は大抵ダライ・ラマ法王に好感を持っている。たとえ、この三人の女性のような敬虔なカトリック信者であっても。
 多分、前の教皇パオロ6世と、ダライ・ラマ法王の会談が大きく影響されているのだと思う。
そうしたダライ・ラマ法王の国際的な活動のおかげだろう、私がこのようなカトリックの聖地で、カトリック教徒に対し正直に仏教徒だと話しても肩身の狭い思いをするはなく、その後も彼女達の私に対する態度が変わることはなかった。

  30分ほど頂上にいただろうか。私達は十字架に別れを告げ下山し始める。
 下りはやはり大変だった。滑らないように、慎重に降りる。こちらの下り道にもスタツィオーネはなく、従ってロザリオは唱えない。マルチェッラが、またハート型の石を見つける。3人ともセレーナ(私のこと)の心の石が見つかったと言って喜ぶ。私はマルチェッラから渡されたハート型の石を握りしめ、大切に懐にしまった。

 歩いているのはほぼイタリア人だ。マリアも、もう一人のマリアも、マルチェッラも気さくな人達で、途中で追い越し追い越されたりするグループの人々と気軽に、挨拶したり話したりしている。そして、最後に
「Auguri(アウグーリ幸運を)!」
「あなた方も!」
と、声を掛け合う。
 そんなイタリア人のグループの中に親切な男性がいて、いくつかあった大きな石を降りなくてはいけない場面で、私たち一人一人の手を取り助けてくれた。
 彼と、そのグループにもお礼の言葉と共にAuguri!と声をかける。
 何だか微笑ましくて楽しい。

 無事に山を降りると、私達はメジュゴリエの教会に赴き、
教会内の聖母マリア像の前に座り、感謝の祈りを捧げた。

夕食後、私はマリアから彼女の数珠の方のロザリオをもらった。彼女も巡礼のスペシャリストといって良い。メジュゴリエだけでなく、ルルドやエルサレムの巡礼の経験がある。彼女は彼女で重たい人生を背負ってきた人だ。
マリアは私の手のひらにロザリオをおき、そして両手で私の手を握り
「私達はあなたが大好き。いつもあなたのことを考えるわ。」
と、言った。

 その夜私は夢を見る。
私は、卵焼きを作っていた。
卵の黄色を綺麗に出したいので出汁入れない。
味付けは塩と砂糖。
卵を回転させ、仕上げる。急げ。
もう一つ色をいれなくては…赤、プチトマトにしよう。
海苔を一枚出して、はたと考える。
星形に切ろうか?サッカーボールのおにぎりににでもするか…
いや、サッカーボールは男の子用でしょう。
私の子供は女の子、あれ?男の子?
どっちだ?
いや、
私に子供はいない…
これは夢だ。

 数年前流れた子が、もし無事に生まれることができていたら、今頃あの子は私が毎朝お弁当作りに奮闘する位にの年になっている。
あの子は今度こそ愛し合う両親の元に生まれることができたのだろうか。
そうであればいい。本当に。
目覚めた私に、カーテンのはしからこぼれる朝日が注がれる。
私は寝床の中でしばし幸せな夢を抱きしめた。



ynsn1 at 16:25|PermalinkComments(1)TrackBack(0)旅行 | 私とキリスト教

June 09, 2012

メジュゴリエへの巡礼 〜白い十字架の立つ山1〜

三日目の朝、6時起床。
食事をすませた私達は、7時前に白い十字架の立つという山へ向かった。
この山は、前日の聖母マリア像のある山登りより厳しいという。従って参加するのは私を含め、マリアともう一人のマリアにマルチェッラの4人。
昨日と同じように、
「チャオ セレーナ(私のこの旅での呼び名)体の調子はどう?アモーレ。」
と言って私を抱きしめたリタは、
「あなた方の巡礼が美しく晴れやかなものになるように祈っています。」
と、私たちを見送ってくれた。
麓の道から眺める山はなかなか手強そうだ。

山の中に入ると、すぐにスタツィオーネがあった。

この山のスタツィオーネは、キリストの受難を14の場面に表した、Le stazioni della Via Curucis(十字架への道の留)のようだ。早速私たちはロザリオを唱え出した。

たしかに、前日より道は険しい。ここにも物乞いがいた。身綺麗な物乞いだ。若くて巡礼者と見分けがつかない女性もいる。マリアは気前良く財布を開く。


 あるスタツィオーネでは、話をする神父を取り囲む大きな団体がいた。私達は彼らの邪魔をしないように、迂回して登る。
と、その時マルチェッラが石に足を滑らせて転んでしまった。大事はないか声を掛け合う私たち。大丈夫と、答えるマルチェッラに、マリアは少し休むことを提案する。その日は晴天で、4月後半とはいえ、気温は30度にまで上がるという予報だった。
 そんなやり取りをしている時、大きな団体の輪にいた一人の男性が、私たちに静かにするようにと叱りつけ、睨んだ。聖地で騒ぐな。自分たちの神父が大事な話をしている。と、彼の怒りはこんなとこだ。どこにでも、大きな団体にいることに胡座をかき、事情を把握せずに最もらしいことをいう人間がいるものだ。イエスならばこの場合、神父の話などはひとまずおき、転んで脚を痛めた女性には手を差し伸べるだろう。それが、彼が説いた愛だろうに。
 私は一部のカトリック信者が放つ嫌なものを見た気がして腹が立った。
 しかし、マリアたちは立ち上がり、マルチェッラの手を取り先へ進んだ。私達はこんこんと登った。時折3人は聖なるものの姿を見ることのできる石を見つけ、拾って行く。
 あるスタツィオーネでロザリオを唱えたあと、マルチェッラがふと目をしたに落とした時、ハート型の石を見つけた。3人ともイエスの心を見つけたと喜ぶ。そして
「今度はセレーナ(私のこと)のために心の石を探しましょう。」
といった。

 自分たちが登ってきた道を振り返ると、いかに険しい道だったかわかる。
 最後のスタツィオーネは私のために祈りが捧げられた。私には子供がいない。そんな私の為にロザリオを唱えてくれるというのだ。亡くなった母と同じくらいの世代のこの女性たちの祈りは私の心を打った。


こうして登ってきた頂上には、巨大な十字架が青空に向かって立っていた。

ynsn1 at 20:23|PermalinkComments(1)TrackBack(0)

June 08, 2012

またまた小休止

昨夜は、ミラノスカラ座のルイーザミラーの初日に行ってきました。
初日というだけあって、観客はエレガント。イタリアの夏の最新の abito(アビト)夜会服に身を包んだ女性を連れた美しいカップルがたくさんいました。
レオ ヌッチが素晴らしかったです。御年70歳。このくらいの年齢の人がこんな舞台ができるとは、全く持っておめでたい!
観客は大喜びで、惜しみない拍手を彼に送り続けました。
詳しくはまたこのブログで綴ります。
写真


 


ynsn1 at 00:27|PermalinkComments(1)TrackBack(0)オペラ | ミラノスカラ座

June 07, 2012

小休止

この日曜日、スイスのレーナさんのお家に行きました。
花と緑に囲まれて、お食事をいただき、幸せな時を創ってもらいました。


 いつも親切なレーナさんのお嬢さんが腫瘍のため視力を失ってしまいました。
  帰り際、それまで明るく振舞っていたレーナさんが、涙ぐみながら
「 あなたのブッダにも祈ってね」
と、言い 思わず彼女を抱きしめた私は、彼女の耳元で
「もちろん」
と言いました。


ynsn1 at 18:46|PermalinkComments(0)TrackBack(0)旅行 | 生活