社会の外で過ごす夏

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サーフキャンプの翌日に岡山へ。
K森先輩の「関係性の美学」講義や鋭い人物分析を、岡山城下を流れる旭川ほとりで深夜3時まで聞く。
K森さんが友人のアーティスト2人と運営する古民家ゲストハウスに泊。


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高知へ。
3週間のサーフィン生活を送る。
板が壊れ、お世話になったSouth Border@双海でショートボードを購入。
清貧生活を余儀なくされる。
オーナーのナベさんにはディープなローカル事情を聞いた。


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稲刈りに初参加。
猛暑で熱中症の危険があるが、体を濡らしながら行えば気化熱で体温を奪うので快適だ。
コンバインの運転の仕方を教わる。稲を刈りながら進んで行くと、おびただしい数のバッタやカエルが逃げ惑っているのが見える。
稲刈りは際にさえ稲を植えなければ全てコンバインで済む。代掻き、田植え、稲刈りを含め、全行程がタバコを片手にできるのが現代の稲作だ。
ただし一反の純利益は5万円に満たない。
各地で稲が倒れているのを目にした。
そのままだとコンバインに入らないため、起こすのは大変な手間だ。
倒れる理由は肥えのやり過ぎ、風、雨など色々な説があるようだったが、肥料を吸い上げて頭がでかくなるわりに足下がおぼつかない、つまり土壌の状態が悪く根が伸ばせないのが原因だろう。自分のつけた穂の重みで倒れてしまう植物など自然界にあるわけがない。去年から放置された元水田には、一年経ってもイネ科の雑草がまばらに10cmほど生えるだけで、ひどいひび割れも起きていた。おそらく大勢の研究員を擁する農協が指導してこの有様ということは、きっと何かが根本的に間違っているのだろう。

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足摺まつり。
人生初の花火に耕太朗は、泣いた。
ドーン、ギャー、ドーン、ギャーの騒ぎで9000発の花火大会を見終われるはずがなかった。

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家族としばしの別れをつげて、I上と伊勢へ。
味噌樽ハウスに宿泊し、農園の手伝い、海実習、野人ディナー、野人講義、と充実の内容。
協生理論の理解がかなり深まった。
http://ameblo.jp/muu8/theme-10025578192.html


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旅の締めくくりは富士登山。
頂上から駆け下りたらゾーンに入っていまい、結局5合目までほとんど走っておりた。
あれから5日間経つが、まだ筋肉痛で階段が降りられない。
動けないのは集中して論文を書くのには都合がいいから、いっか。

poo dumpin'

今日はあんまりにも気持ちがいいのでブログを書くことにしました。
こんなに生きてるだけで気持ちいい日は年に何日あるのか。

就活にも少し終わりが見えてきたので、昨日は麦わらの農場で堆肥を撒きに行って来ました。腐れ縁のY君と、元家庭教師の教え子きみちゃんと共に。
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40アールの畑に堆肥を撒く、驚くほどマニュアルレイバーな果てしない作業。
こんなのも操縦しました。

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やり終えた達成感.yeah.


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リアルなエクペリエンスができました。
なによりリアルなのは筋肉痛かな。
とりあえず都会でジムとか行ってる人は皆農作業でもやればいいんじゃないかと思う。そのバーベルを持ち上げるエネルギーは一体何に変換されているのか。そのエアバイクをこぐエネルギーは一体何を生み出すのか。その皇居を何週も走るエネルギーのもっといい使い道はないのか。都心の20%を農地とする法律を定めたらどんなことになるんだろうか。二酸化炭素の25%削減ができるくらいならそれもできるんじゃないのか。そっちをやった方が皆喜ぶんじゃないか。

そんなことを思いました。
そんな世の中になったらきっとアディダスは「ランベース」じゃなくて「アグリベース」とか作るんだろうな。資本主義ってすごい。

耕太朗もすごい。あっという間に寝返りをゴロゴロ打つようになりました。


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ギターもひくようになりました。

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思ったけど、このブログのタイトルと全然関係ないですね。でもスノーボーダーとかスケーターとか、そういうオルタナティブな考え方をできるやつが世の中を変えていかなくてはいけないんだと俺は思う。ということで、スノーボード学とは非常に幅広いものなのです。

あおいちゃんとみーちゃん

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今日は俺ととしおおじさんで幼稚園の先生の二人の娘と遊んだ。近所のアスレチックで氷鬼をしたり、鶴の折り方を習ったり、剣玉したり。いい小さな春の日だった。

耕太朗はだいぶ首が持ち上がるようになってきた。

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勉強風景

そうなんです。奇跡のりんごを読んでえらく感動した僕は、ついにMacBookを買ってしまったのです。まぁー奇跡の快適さです。
そこでブログをアップするモチベーションが腐った水から発生するボウフラのごとく湧いてきたので、とりあえず今日は最近の勉強風景でもアップします。1:9くらいの割合で顔に目が行ってしまうのが南天のど飴。

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親父になった日

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(生後0時間)

2009年10月7日1時44分。宮坂家に長男、耕太朗が誕生した。体重3208g。
9月30日におしるしがあったとの報告を受けて、その日の夜行に飛び乗った。なにしろ車で行けば15時間かかる。間に合うといいと思いながら新宿を出た。

しかし行ってみれば一ヶ月半ぶりに会う舞は普通。ふーふー行って歩いてるわけでもないし、むしろ胸まである鉄柵を大丈夫だからと飛び越えたりしているし。着いた日には一緒にバレーボールをして遊んだくらいだった。

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(後ろから見てもわからない)


そこから一週間弱、足摺宇和海国立公園のど真ん中にある舞の実家で、お父さんに釣りに連れてってもらったり、お産を促すために近所を散歩したり、まったりとゆっくりと、舞と二人の時間を過ごした。

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(小さいのが三匹釣れた)

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(横から見たらわかる)


舞がスクワットを100回こなした次の日の夕方、破水したかも、と散歩中に舞が言ってきた。かも、くらいだったのであせることもなく、帰ってひとまずシャワーを浴びて、お母さんのご飯を食べて、病院に電話すると、「すぐ来て下さい」。まだ陣痛らしい陣痛もなかった。 車で一時間走り、8時半頃病院に着いて診察してもらうと、やはり破水だった。破水してからあまり時間が経つと、それまで羊水で保護されていた赤ちゃんが菌にさらされてしまい良くないらしい。明日の朝になっても陣痛がなかったら促進剤入れましょう、今日はゆっくり休んで下さい、ということで個室に入る。

9時半頃、車で送ってくれたお母さんが帰った後から急に陣痛が始まった。10分間隔がみるみるうちに縮まって行き、痛みも反比例的に強まってくる。12時を過ぎるころには3分くらいの間隔になり、「痛ーい!」と言うのを「フー、フー」でこらえさせるのに必死。内診をすると子宮口も一挙に開いてきているという。いつお産になってもいいように分娩室の用意してくるね、という若めの当直の看護婦の言葉を聞いて、お父さんお母さんを呼び寄せた。

0時半くらいに分娩室に入る。分娩室に入ってからの一時間と少しは、書けば4、5行で終わってしまうかもしれないけど、たぶん自分の奥さんが自分の子供を、目の前で、必死に痛みに耐えながら、震えながら、産もうとがんばっているのを、自分もなんか腹が痛くなりながら見届けた、夫にしかわからない色んなものが詰まっていたと思う。出てきたのは、なんだかよくわからない赤い小さな宇宙人だったけど、そのなんだかよくわからない赤い小さな宇宙人を産んでくれた舞に、本当によくやったという気持ちがいっぱいで、いっぱい涙が出た。舞も耕太朗に負けないくらい泣いていた。

産まれてきた耕太朗は不細工だ。でもすごくかわいい。これが俺の息子かぁ、と思ってしげしげ見ているとなおさらかわいいく思えてくる。
耕太朗、これから山ほど遊ぼうね。
そして産んでくれた舞、ありがとう。一緒に耕太朗育てて行こうね。

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産まれそう

なので今晩の夜行で高知に行ってきます!

One Flew Over The Cuckoo's Nest

(邦題:カッコーの巣の上で)

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すごい映画だった。
最後のジャック・ニコルソンのアップ。何分、いや何秒あったのかは正確にはわからないが、永遠に続いていたようにも、一瞬だったようにも思える。「演じる」とはそういうことか、と思わされた。

映画の舞台は精神病院である。精神病院と言えば猫も杓子もミシェル・フーコー(フランスの思想家)である。フーコーはゲイだった。ゲイであるから変なやつだと周りから思われていた。そんな変な自分とは何なのかと思い、たくさん本を読みたくさん勉強した。そして、「変」があるからにはその逆の「普通」があるはずであり、その「普通」はそのときどきの社会によってぜんぜん違うことを発見した。

フーコーはまず精神病院について考え始めた。精神病院で働いていたからである。そこで「科学的手法」として使われていた心理学が、「異常」という名の下に「正常」ではない人々を排除するもの以外のなにものでもないことを発見した。そこから始まるフーコーの思想的冒険は大変面白いが、それを説明するのは面倒くさいのでしない。

『カッコーの巣の上で』はカウンター・カルチャーの作品だと言われているが、基本的なラインはフーコーに通じている。主人公のマッカーフィーは「異常を正常に戻す」ための精神病院に入れられるが、本人は医者も認めるように「異常」ではない。病棟に入ったマッカーフィーが対峙するのは、精神病院という制度の権化のような存在のナースである。彼女は潔癖な「正常さ」を身にまとっているが、実はカウンセリングという名の下に患者を「異常」な状態におとしめている悪いやつであり、実はこいつが異常なんだと映画を見ている誰もが思う。

一方のマッカーフィーはカウンター・カルチャーの権化である。彼は自分の欲望の赴くままに行動し、クリエイティブで、楽しいことが好きだ。ときに周りを巻き込んで無茶をやらかすが、次第に周囲からも精神病院の「正常/異常」という考え方をひっくり返そうという意識が生まれてくる。ナースの「正常さ」のシンボルだった純白のナースハットが汚されるシーンは象徴的だ。

しかし結局、本当に正常だったマッカーフィーはロボトミー手術を施されて正気を失ってしまい、唯一カタルシスとして、インディアンの「チーフ」が自己を解放して自然へと帰り、物語は終わる。ちなみにインディアンとはアメリカでは歴史の最初から他者である。

カウンター・カルチャーは失敗ではない。しかし革命はもたらさなかった。精神病院に象徴される官僚組織、大企業、すべてが映画の通りに残っている。マッカーフィーは死んだ、ジョン・レノンも死んだ、ヒッピーはどうなったのか。カウンターカルチャーには外的なヴィジョン、社会像がなく、あくまで内面的探求が主題であった。近代科学技術の上に成り立つ文化ではあったが、その産業的側面と折り合いをつける精神性を見つけるまでは至らなかった。近代的産業には単純機会労働は不可欠だが、創造的・享楽的な価値観がそんな仕事と折り合うわけもないからだ。

はっきり言って、今の世の中どん詰まりだ。いや、世の中を変えたいと思う人にはどん詰まりに見えるだろう。しかしどん詰まりだと思ったらあなたの人生どん詰まりだ。中世の農民に封建社会の終わりが見えなかったのと同じように、現代に生きる人にも資本主義の終わりは見えない。しかしいつの時代にも結構楽しくやってた人がいて、つらーく毎日を過ごしてきた人もいるはずだ。だから、毎日、楽しく、元気よく、真剣に生きましょう。

ひさしぶりのなつやすみ

八月中旬の二週間ほど、舞の実家に行ってきた。


本当に遠かった。

「地理的に大消費地から遠く、高速道路・鉄道も通っていない。当市は日本の市の中で東京からの移動時間を最も要する場所であるとされる。」(wikipedia)

おまけに本当に田舎だった。

「高知県内11市中、最も人口が少なく同時に高齢化率も最も高い市である。(wikipedia)

住民は皆顔見知りみたいな世界だった。まさにゲマインシャフト。
舞の出身町(?村?)は海辺の扇状地。川が山を削って運んできた土砂が堆積した狭い平野部に600人ほどの人口が集まって暮らしている土地。だから西南豪雨の際にはその川が氾濫して町中が水に浸かり、舞の家も一階がすべて浸かってしまったらしい。でも住民が助け合ったおかげで、高齢者だらけにも関わらず死者はなかった。消防団に入っている舞のお父さんも活躍した。

そんなところだから自然は豊かだった。
家のすぐ裏の川に毎日泳ぎに行って、水の綺麗さと魚の多さにびびった。なぜか地元の子は水着を着ない。しかし裸ではない。普通の服で泳いでいる。舞も妊娠8ヶ月なのに泳いでいる。
そして川エベがいっぱいいる。石をめくるとササーと出てくるのをモリでつく。かえって揚げて食うとうまい。舞は突くのはうまいけどエビは食えない。
しかしこんな川でもしっかりコンクリートで護岸されているのは驚いた。

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もちろん海もある。
それもものすごい綺麗なのがある。
舞の親戚にロングを借りた。なかなか波がなくて二回しか行けなかったけど、湘南でのサーフィンとは別物だった。
ベ、ベッセカイ。

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車で一時間行くと隣町の中村に着く。ここには何でもある、ツタヤとか。戦国時代一条氏の城下町だったときの名残りで、碁盤状に区画されている。
そしてここにはものすごく綺麗なスケートパークがあった。滑っては近くの浜で海に飛び込んで汗を流した。そして家に近くの川で塩抜きした。もう言うことはなかった。

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ほかにも、足摺岬や沈下橋に行ったり、花火を見たり、貝を獲ったり皿鉢を食べたり、幡多弁に慣れ親しんだり、親戚一同でBBQしたり、舞の友達にあったり。

総括すると・・・い〜夏休みだった。

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One goes out. One comes in.

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先週、ちゃちゃという名前の猫が亡くなりました。
17歳の三毛猫でした。
最後はため息を何度もつくようにして、呼吸を止めてしまいました。

ちゃちゃは美しい猫でした。
死んでからも美しい猫でした。
そんな美しいちゃちゃから死臭がしたのは信じれませんでした。

動かなくなった後でもちゃちゃは柔らかでした。
あまりに手触りがそのままなので、死んでいることの意味がわかりませんでした。
しかし、次第に体が硬くなっていきました。

ちゃちゃは10年ほど前にうちに来ました。
死んだばあちゃんが残していったからです。
しばらくは写真みたいに、僕の棚の一角を占領していました。

10年間、ちゃちゃは我が家の至るところにいました。
死んでしまった今でも、ちゃちゃの姿をどこにでも見ることができます。
しかし、どこにもいないのです。
きっとばあちゃんのところに戻ったのだと思います。

僕は10月に産まれてくる赤ちゃんに関係があるのだと思っています。
赤ちゃんが産まれてくることを知ったちゃちゃが、
赤ちゃんにうちを譲ったような気がしてならないのです。
猫というのは不思議なものですから。

最後よぼよぼになったちゃちゃは、実は足を二箇所骨折していました。
それでも必死に歩いていた姿は忘れません。
お疲れ様、ちゃちゃ。
ありがとう。

一歩踏み出す

長らく間が空いてしまいました。
ブログを再開します

さりげなく。
小さな一歩を。



それから
独立して、結婚して、秋には男の子が生まれます。


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