仕事が早く(と言っても夜の8時くらいだが)終わると、「ちょっと行こか」とよく誘ってもらった。まず、赤提灯で腹ごしらえしながら軽く飲んで、それから行きつけのスナックというのが定番のコースで、川口さんはカラオケも上手かったし酒も強かった。それにモテた。ぼくは一度だけ完全に酔いつぶれてしまったときがあったが、そのときも近くの宿まで運んでくれ宿代も済ませてくれていた。明くる日にお詫びとお礼を言うと、「よう飲んだな、二日酔いで頭痛いなぁ」と笑ってくれた。
仕事でも、ぼくにデザインを叩き込んでくれたのは川口さんだった。あるときぼくは、急ぎで入稿しなければならないリーフレットのデザインをしていたのだけど、表面よりも裏面のレイアウトで苦労していた。入れなければならない要素が多すぎて、なかなかうまくまとまらなかったのだ。それでもどうにかこうにか収 めたものに満足して、「できました」と川口さんに見せに行った。そしたら、川口さんは「まだやなぁ…」と言って、ぼくのレイアウトの上に白い紙を重ね、鉛筆で修正し始めた。「ええか、これは目立たせんとあかんから、ここへ大きめに入れて。これはこっちの関連事項なので、この横か下に置いて。これは小さく扱う内容なんで……」と、ひとつずつ理由を説明しながら、ぼくの目の前でレイアウトを入れ替えて行ったのだ。そのつぶやきは呪文のようだし、その手先の動きはまるで魔術のようだった。そして、「どや、これで」とできあがったレイアウトは、ぼくが時間をかけたレイアウトよりも、ずっとすっきりしていて分かりやすく読みやすかった。それからも、川口さんはレイアウトの秘訣を少しずつ教えてくれた。
それから何年か経ったころ、川口さんと親しくしていた営業職の方から連絡をいただいて久しぶりにお会いすることになった。話を聞いてみると、某有名企業の販促物を請ける新しい制作会社をつくることになったので、副社長兼クリエイティブディレクターとして来てくれないかという、たいへんありがたいお誘いだった。そのころぼくは小さな広告代理店で働いていて、やがては独立するつもりだったので、丁重にお断りしたのだが、川口さんが真っ先にぼくのことを推薦してくださったらしい。「アイツはいまはオレより上手いで。アイツなら安心やで。」と言ってくださったのだそうだ。
「川口さんの太鼓判やのにな、残念やな、来て欲しかったなぁ。」と、ほんとうに残念がってもらったのが恐縮だったが、川口さんに覚えてもらっていたこと、褒めてもらったことはものすごくうれしかった。


