2007年10月29日
heidegger on future of philosophy (english subtitles)
http://jp.youtube.com/watch?v=MZkYMwmMS4k
思惟の運命がどういうふうなさまになるかは誰にもわかりません。
私は1964年にパリで「哲学の終わりと思惟の使命」という講演をしました。もっともこれは私がでかけて行って自分でしゃべったのでなく、フランス語に翻訳してもらって皆さんの前で読んでもらったのですが。この題からもおわかりのように、私は、哲学すなわち形而上学と、私が解しているような意味での思惟との間に一つの区別を設けているのです。
この講演の中で私が哲学と区別し対照して置いている思惟------この区別、対照は特にギリシア的アレテイア(真理)の本質を明らかにしようという試みがなされることによって生じるのですが------この思惟は、事柄から言えば、形而上学との関係においては哲学よりずっとずっと単純です。しかし単純だからこそ実行においてはずっとずっとむずかしいのです。
そしてそのためには、言葉というものを今までとは違った意味で慎重に扱わねばなりません。ただしこのことは、私自身もかつては考えていたことのある新しい述語の発明ということではないのです。そうではなくて、われわれ自身の国語でありながら、だんだん枯れてゆくような状態にありつづけている言葉の根源的な内実へと帰ることなのです。
誰か将来の思惟する人が、たぶん、私が準備を試みているこの思惟を真に受け継ぐという使命の前に立たされるでしょう。その人に対しては、かつてハインリッヒ・クライストが書いた一句が述べているのとぴったり同じことがあてはまるでしょう。その句というのは次のようなものです。「私は、まだここにいるのではないひとりの前で後ずさりし、その人の精神のまえにひざまずく。」
『ハイデッガーは語る』(1973年、理想社、pp89-90)
(12:25)