2008年07月30日
ゴダール『気違いピエロ』のラストより
(女)見つけた
(男)何を (女)永遠を
(男)それは海
(女)そして太陽
Elle est retrouvée.
Quoi ? - L'Eternité.
C'est la mer allée
Avec le soleil.
http://poesie.webnet.fr/poemes/France/rimbaud/9.html
また見つかった、
何が、
永遠が、
海と溶け合う太陽が
(小林秀雄訳)
これはランボーの『地獄の季節』のなかの詩の一節だが、有名な詩を独白ではなく男女の掛け合いにした点にゴダールの才能を感じる。
「私は他者である」というランボーのこれまた有名な言葉を内在的に使用したと言えるし、デリダの脱構築とも重なる。
このラストシーン(海へのパン)は溝口健二の『山椒大夫』へのオマージュとも言われるが、ゴダールはいい題材と出会うとき、というより「彼が生涯育んできた理念に<触れた>とき」傑作をつくるとタルコフスキーが正確に論評していた(『映像のポエジア』p110)。トリュフォーはゴダールがいい映画を作るのは若者を題材にした時だとも語っていた、、、
さて、ランボーの「私は他者である」という言葉だが、この言葉に関してディランはこう書いている。
「同じころ、こうしたことに加えて、スージーに教えられてフランスの象徴派の詩人、アルチュール・ランボーの詩を読むようになった。
そして「わたしはべつのだれかである」という題の彼の書簡を知った。このことばを見たとき、鐘が一気に鳴りはじめた。ぴったりのことばだった。どうしてもっと早くだれかがそう言ってくれなかったのかと思った。そのことばは、(ロバート・)ジョンソンの暗い夜の魂にも、ウディ(・ガスリー)の熱っぽい組合集会の説法にも、海賊ジェニー(ブレヒト)で学んだ歌づくりの基本概念にもうまくなじんだ。すべてが変わりはじめ、わたしはその入り口に立っていた。わたしはやがて準備を万端に整え、生き生きとした力にあふれ、エンジンをフル回転させ、一歩を踏み出すことになる。… 」
(『ボブ・ディラン自伝』邦訳pp357-358より。()内は引用者が補足しました。)
ランボーの言葉は、「見者の手紙」と言われるパリコミューンが失敗する前に書かれた手紙のなかにあるものだが、僕が好きな手紙は、パリコンミューンのあとの落胆したランボーの手紙だ。その手紙でランボーはまったく異なった殊勝な文面を綴っている(「私は働きたいのです、、、私は疲れた足です、、、」)。
さて、ゴダールやバディウは政治革命への幻影を引きずっているが、ランボーは「砂漠の商人」となることでその幻影を振り払った。
以下は1980年代に話題になった日本のCMより。
Suntory Whisky Royal CM -Arthur Rimbaud- (LongVer.) 1982
ディランはライブを続ける自身を井戸を掘る人間に喩えていたが、商人と詩人を兼任していると言っていいかも知れない。ランボーの時代のように外部があるわけではないのだ。
以上、話が脱線しましたが、詩人たち同士の交歓が盛んだという主旨だと受け取って下さい。
脱線ついでにランボーの詩(sensation)にメロディをつけた人がいるようなので紹介します。
Sensation
Par les soirs bleus d'été, j'irai dans les sentiers
Picoté par les blés, fouler l'herbe menue:
Rêveur, j'en sentirai la fraîcheur à mes pieds.
Je laisserai le vent baigner ma tête nue.
Je ne parlerai pas, je ne penserai à rien:
Mais l'amour infini me montera dans l'âme,
Et j'irai loin, bien loin, comme un bohémien,
Par la nature, - heureux comme avec une femme.
夏の青い宵に 僕は行くだろう、小径をとおり、
麦の穂につつかれ、こまかな草を踏もうと、
夢想家の僕は、草の夕べの冷気を足に感じ、
風にあらわな顔をまかせたまま。
僕は話すまい、 何も考えまい、
しかし無限の愛が魂にこみあげてくるだろう
そして僕は行こう、遥かに遠く、ジプシーのように、
自然のなかを、女の人と一緒のように幸せに。
by : フランス 四季と愛の詩
(mixiランボーコミュニティより)
(女)見つけた
(男)何を (女)永遠を
(男)それは海
(女)そして太陽
Elle est retrouvée.
Quoi ? - L'Eternité.
C'est la mer allée
Avec le soleil.
http://poesie.webnet.fr/poemes/France/rimbaud/9.html
また見つかった、
何が、
永遠が、
海と溶け合う太陽が
(小林秀雄訳)
これはランボーの『地獄の季節』のなかの詩の一節だが、有名な詩を独白ではなく男女の掛け合いにした点にゴダールの才能を感じる。
「私は他者である」というランボーのこれまた有名な言葉を内在的に使用したと言えるし、デリダの脱構築とも重なる。
このラストシーン(海へのパン)は溝口健二の『山椒大夫』へのオマージュとも言われるが、ゴダールはいい題材と出会うとき、というより「彼が生涯育んできた理念に<触れた>とき」傑作をつくるとタルコフスキーが正確に論評していた(『映像のポエジア』p110)。トリュフォーはゴダールがいい映画を作るのは若者を題材にした時だとも語っていた、、、
さて、ランボーの「私は他者である」という言葉だが、この言葉に関してディランはこう書いている。
「同じころ、こうしたことに加えて、スージーに教えられてフランスの象徴派の詩人、アルチュール・ランボーの詩を読むようになった。
そして「わたしはべつのだれかである」という題の彼の書簡を知った。このことばを見たとき、鐘が一気に鳴りはじめた。ぴったりのことばだった。どうしてもっと早くだれかがそう言ってくれなかったのかと思った。そのことばは、(ロバート・)ジョンソンの暗い夜の魂にも、ウディ(・ガスリー)の熱っぽい組合集会の説法にも、海賊ジェニー(ブレヒト)で学んだ歌づくりの基本概念にもうまくなじんだ。すべてが変わりはじめ、わたしはその入り口に立っていた。わたしはやがて準備を万端に整え、生き生きとした力にあふれ、エンジンをフル回転させ、一歩を踏み出すことになる。… 」
(『ボブ・ディラン自伝』邦訳pp357-358より。()内は引用者が補足しました。)
ランボーの言葉は、「見者の手紙」と言われるパリコミューンが失敗する前に書かれた手紙のなかにあるものだが、僕が好きな手紙は、パリコンミューンのあとの落胆したランボーの手紙だ。その手紙でランボーはまったく異なった殊勝な文面を綴っている(「私は働きたいのです、、、私は疲れた足です、、、」)。
さて、ゴダールやバディウは政治革命への幻影を引きずっているが、ランボーは「砂漠の商人」となることでその幻影を振り払った。
以下は1980年代に話題になった日本のCMより。
Suntory Whisky Royal CM -Arthur Rimbaud- (LongVer.) 1982
ディランはライブを続ける自身を井戸を掘る人間に喩えていたが、商人と詩人を兼任していると言っていいかも知れない。ランボーの時代のように外部があるわけではないのだ。
以上、話が脱線しましたが、詩人たち同士の交歓が盛んだという主旨だと受け取って下さい。
脱線ついでにランボーの詩(sensation)にメロディをつけた人がいるようなので紹介します。
Sensation
Par les soirs bleus d'été, j'irai dans les sentiers
Picoté par les blés, fouler l'herbe menue:
Rêveur, j'en sentirai la fraîcheur à mes pieds.
Je laisserai le vent baigner ma tête nue.
Je ne parlerai pas, je ne penserai à rien:
Mais l'amour infini me montera dans l'âme,
Et j'irai loin, bien loin, comme un bohémien,
Par la nature, - heureux comme avec une femme.
夏の青い宵に 僕は行くだろう、小径をとおり、
麦の穂につつかれ、こまかな草を踏もうと、
夢想家の僕は、草の夕べの冷気を足に感じ、
風にあらわな顔をまかせたまま。
僕は話すまい、 何も考えまい、
しかし無限の愛が魂にこみあげてくるだろう
そして僕は行こう、遥かに遠く、ジプシーのように、
自然のなかを、女の人と一緒のように幸せに。
by : フランス 四季と愛の詩
(mixiランボーコミュニティより)
(20:33)