2016年05月20日 鍼灸 ツボ(経穴)

前回の記事で「鍼灸とマッサージでは触診のスケール感が違う」という話をしました。でも違うのはスケール感ではありません。背景となる考え方や理論にも大きな違いがあります。

たとえば、硬い筋肉を緩めようと思った時、その硬い部分を揉んでほぐす方法があります。マッサージ的な発想です。こうした方法で解ける硬さもあれば解けない硬さもあります。その限界を感じたときに鍼灸独自の発想が役立ちます。

いろいろな考え方がありますが、私が特に強調したいのは筋肉の張力をツボで調整する方法です。これは古武術整体「活法(かっぽう)」から得た発想です。

ある筋肉がこわばっている時、その筋肉を引っ張りすぎている“どこか”があるのです。その“どこか”を正確に割り出すことができれば、その一点に刺激するだけで筋肉を瞬時に柔らかくすることが可能です。

この話は文章で説明するよりも、イメージして頂く方が断然早いと思いまして2分の動画にまとめてみました。




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2016年05月18日 鍼灸 ひとりごと

「鍼灸の基本がマッサージである」という誤った説が蔓延しています。

私もこの空気に飲まれ、鍼灸と合わせてあん摩マッサージ指圧師の免許を取ってしまいました。今さらなことなので、後悔はしていません。学びの場では素敵な仲間と出会えましたから。


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■触診のスケール感

鍼灸が求める触診と、マッサージ系の触診では、スケールが全く違います。仮にマッサージを基準としてしまうと、ツボは、揉んだり押したりする時のスケールでしか捉えられないのです。はっきり言ってしまえば、親指の腹のサイズ感でツボを捉えることしかできないのです。これは鍼灸師として致命的なことです。

鍼をするということは、鍼の太さが基準です。ですから、少なくともミリ単位での触診が必要なのです。私の意見が入る余地はなく、鍼とはそういうものです。親指のスケールのままツボ探しをすることは、ゴルフのカップにサッカーボールを入れようとするのと同じです。成り立つわけがありません。


ゴルフ


マッサージと鍼灸を並行して行う場合、必ずスケール感を変えなければなりません。少なくとも2種類のスケールを使い分けることが必要なのです。使い分けなければ、鍼のみが持つ究極の鋭敏さが繰り出す効果には、決して出会うことができません。鍼灸の技術を磨くということは、鍼の鋭敏さに準ずる鋭敏な指先を作ることだと思うのです。こうした感性が伴わなければ、鍼灸の原典である『素問』や『霊枢』の価値に気づくことなく終わってしまう気がします。

東洋医学のベースとなる東洋思想はスケールの大きなものです。しかし、それは「細かいことは気にせず大雑把にぼんやりと考えろ」という解釈を許すものではありません。鍼という極限まで小さな道具を生み出しているのが、その証拠です。


■鍼灸の刺激の本質は「量」ではなく「質」にある

触れる面積が少ないほど、体は敏感に反応します。これは、触れる際の力学的なエネルギーに比例していないということです。

物理療法でありながら、物理的な刺激量では計れないものが鍼灸にはあるのです。少なくとも鍼灸の本質を語る時「量」では言い表せないのです。ですから、鍼灸は刺激の「質」こそ重要です。「質」とは、鍼灸による刺激を人体がどう解釈するかです。

接触するだけより刺入した方が優しい刺激になるということが起こります。極端な言い方なようで極端ではありません。「痛くないから優しい、痛いから優しくない」と分けることもできません。

ついでに言うと「気持ちいいから優しい」というわけでもないのです。マッサージで気持ちよい刺激ができるようになったからと言って、鍼灸における良質な刺激を生み出すとは限りません。なぜなら、鍼灸とマッサージは求められる技術の次元が異なるからです。


■種目が違う

鍼灸とマッサージ、それぞれ上手いという専門家は確かにいます。それは、シンプルにそれぞれが上手いのです。揉んで揉んで...を繰り返すだけで鍼灸の方が勝手に上手になるわけがありません。気持ちのいい触り方は上手になるかもしれませんが...。バレーボールを練習しても、バドミントンが勝手に上手くならないと全く同じ理由です。種目がそもそも違うのです。


球技のボール


患者さんの“今”の「気持ちいい」を引き出す慰安的マッサージをいくら研磨しても、患者さんの“未来”の「変化」をもたらす技術にはなりません。

裏返せば、慰安的鍼灸を追究するのであれば、マッサージの延長上に鍼灸を配置することができるかもしれません。


■鍼灸を慰安にしたのは誰か

そもそも、鍼灸の歴史は慰安の歴史ではありません。古典の中に慰安の話を見つけるのは容易ではありません。

慰安を行うことが悪いと言いたいのではありません。ただ、鍼灸で慰安を極めるのは、分が悪すぎるのです。ただでさえ、食べていくのが難しいと言われている鍼灸師。就職先を探している鍼灸師に「鍼灸の基本はマッサージである」というレトリックは都合がよいのです。修行という名目で安価に医療系国家免許所有スタッフを雇用することができるからです。

繰り返しになりますが「鍼灸+マッサージ」という組み合わせが問題の本質ではなく、マッサージが上手になれば鍼灸が上手になるというレトリックが問題の本質です。ここに気が付かないと、いつまでも、慰安と医療の混合施術から抜けることができず、自分の価値を正当に評価してもらう機会を得られなくなります。

私は、マッサージ経験を持たない優秀な鍼灸師をたくさん知っています。彼らは「マッサージが基本ですよね」とは決して言いません。


■慰安と医療の区別(保存版)

私なりに、慰安と医療を区別してみました。このように考えると、揉んで揉んで...を繰り返しながら患者さんの気持ちよさを追究することと、患者さんの病気や怪我の回復を追究することと根本的に構造が違うのです。


慰安的医療的



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2016年05月13日 鍼灸 仕事日記

)の続き

■価値を見抜ける人

鍼灸施術の価値を見抜ける人は2割くらいかもしれません。いや、1割かもしれません。数字はこの際どうでもよく、それだけ価値を見抜くのは難しいことです。

鍼灸に限った話ではないと思います。私は、ワインの善し悪しがわからないので、価値は値札で判断します(もともとお酒は飲みませんが)。クルマを整備してもらっても、その整備士の技術が良いのか悪いのか判断できません。

価値を自分で判断できるのは自分の専門分野だけです。それ以外は、提示された金額を承認しているだけです。みんながそれくらいで買っているのだから、それが相場なんだろう、と思って支払っているに過ぎません。価値に対して払っているのでいるのではなく、相場に対して支払っているのです。私も例外でなく、ほとんどの買い物でそうなっています。

話を鍼灸に戻します。やはり、相場というものがあります。自由診療であれば、相場は数千円から高くても1万円程度です。1回で何万円もする、相場から極端に外れた値付けもあります。


鍼灸の相場


私の目から見て、料金と技術は比例していません。ですから、そうでもない技術に大きな額を支払っている場合と、高い技術に小さな額を支払っている場合があるということです。相場というものに、本当の技術の価値はかき消されてしまっているのです。これが良いとか悪いとかは、議題からそれていくのでやめておきます。

断言しますが、患者さんが鍼灸師の腕を客観的に判断することはできません。健康状態が安定し経済的な余裕があれば、複数の鍼灸院に足を運んで受け比べができるかもしれません。しかし、医療的な鍼灸を求めている時というのは余裕がありません。受け比べもできませんし、冷静な判断もできません。

「芸能人が通っている鍼灸院」、「本を書いている鍼灸師」と言った情報は、価値を判断できない専門家以外の人にとっては比重が高いものです。そういう鍼灸師が、1回の施術でたくさんの鍼をしている話を書けば、鍼は多いほど効くものだと勘違いしてしまいます。


■人間性は大事だが売り物ではない

鍼灸師は人間性が大事という話もよく耳にします。では、患者さんは人間性にお金を支払っているのでしょうか。

嫌な感じがする人より、イイ感じがする人から施術を受けたいという気持ちはわかります。でも、それは「同じ物を買うなら誰から買いたいか」の「誰」の部分です。クルマで言えば、気持ちのイイ営業マンから買うことに相当します。


セールスマン


営業マンが優れていても、クルマの最高速度も燃費も変わりません。ただ、購入時の満足度が高くなるだけです(それも大事なことだと思います)。営業マンによってクルマの価値は変わりません。

もし、鍼灸師が人間性を価値だと考えた瞬間に、おかしなことになるのは間違いありません。人間性が大事だという話は、「いい感じの営業マンになりなさい」というのは、ぼんやりとしたマーケティング論でしかないと思うのです。

開業していればなおさら、マーケティングも仕事ですから、自分の技術の価値を正しく伝えられなければなりません。そういう意味で、耳を傾けてもらいやすい人間である方が断然有利です。

人間性という言葉はぼんやりしているのに、言う人が言うと説得力のある不思議な言葉です。実は、私の活法の師匠もよく使います。だからこそ、気を付けたいと思っています。人間性は大事ですが、売り物ではありません。

「技術はあって当たり前、勝負は人間性だ」という言葉を聞いたら、気を付けてください。決して、人間性を売ろうと思ってはいけないのです。言わずもがな、「いい人」になっても鍼灸で食べていけません。

自分はどんな価値を生み出し、そして何を売っているのかを分析し、それと合わせて、患者さんの視点から「何に対してお金を払っているのか」を考え抜ける鍼灸師だけがスタートラインに着けるのだと思います。


■人間性より態度

漠然とした言葉では指示は出せません。新入社員に「人間性を磨こうよ」と思ったとしても、「人間性を磨きなさい」という指示はあまりにも漠然としていて、意味がありません。人間性は結果だと思っていますので、患者さんからも同業者からも高く評価される人間性を想像し、そこに達するためのプロセスを提案することにしています。

常に言っているのは「専門家として親切に接する」という言葉です。患者さんが話しやすいように聞くこと、分かりやすい言葉で伝えること、院内で迷わせないこと、などが基本です。そして、専門家として「こうした方がよい」という提案をします。

専門家として患者さんに譲れないことがあります。患者さんに「○○にしてください」と言われても、専門家として妥当ではないと判断すれば理由を添えてきっぱりと断ります。専門家の立場は絶対に崩さないようにします。


専門家としてベストな選択をしていますか?


できないことは「できない」と言うことが大切ですし、そのためには、自分や属する組織でできることを分かっていないといけません。

「これは親切だろうか、それとも不親切だろうか」

と問いかけ続けていれば、必要な態度から大きく外れることはないと考えています。

「マッサージをしてほしい」という患者さんが目の前にいた時、その要望に応えることが親切であるとは限りません。もし、専門家の立場から見てもマッサージを必要としているならば、信頼できるあん摩マッサージ指圧師を紹介するのが親切だと思います。餅は餅屋の理屈のままです。

マッサージをやらない理由は、鍼灸師だからです。
鍼灸師の立場で常にベストを尽くしたいからです。

<おわり>

『私がマッサージをやらない理由』をはじめから読む ≫(

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