2016年11月02日

古武術とバレエの間に見える、身体の合理と非合理

クリ助、バレエを観に行く


先日、新国立劇場にバレエ(演目:ロメオとジュリエット)を観て来ました。バレエ観劇は、もともと妻の趣味で今では何となく私の趣味でもあるような位置づけになって来ています。


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この日は息子と娘も一緒でした。『ロメオとジュリエット』は、心情表現が際立っていました。『白鳥の湖』や『くるみ割り人形』も素晴らしいけれど、心情表現を楽しむ点では『ロメオとジュリエット』だと思いました。

ちなみに、私の一番のお気に入りは『ラ・バヤデール』です。バレエの魅力が全部つまっています。衣装や舞台も音楽もゴージャスで、欲張りな演目です。

バレエの芸術性を楽しみながら、いっぽうで、鍼灸師、活法使いとして、身体の使い方という点が気になります。何かを言わずにはいられません。



■古武術とバレエの違い


活法は古武術の裏技ですから、古武術視点でバレエを観ることがあります。その目から見て、バレエは古武術と根本的に異なります。

古武術は「いかに身体を無理なく動かせるか」を追求しているのに対し、バレエは「不自然で無理な動き」を追求しています。窮屈なトゥシューズを履いてつま先で立つ。どう見ても無理しているのです。無理はつま先だけではありません。股関節を外旋方向に極端にひねったり、腰を極端にそらしたりと、言い出せばキリがありません。


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バレエの身体操作は無理の連続です。

飛んだり回転したりするので、一見するとスポーツのようでありますが、スポーツとは身体に求めるスペックが違います。バレエではカラダのシルエットをキレイに見せるという目的があるので、そのための姿勢、そのための関節の使い方、その関節を支えるように筋肉を鍛えます。ですから、関節や筋肉の使い方が不自然です。

合理性の向こうに芸術性が見えてくることはよくありますが、芸術の追求は合理性の追求とは違うものです。古武術の動きに対して「美しい〜」と思う時の芸術性と、バレエを観て「美しい〜」と思う時の芸術性は異質であり異次元のものです。

古武術からバレエを観ると「そんなに無理しなくても...」と思うわけですが、そもそも目的が違うので、古武術の言い分はバレエでは通用しません。

私に定義づけできる資格があるかはさておき、この二つを対比させなければ話が進みませんから、このように考えてみました。

 古武術の身体操作は、効率の追求
 バレエの身体操作は、表現の追求




■無駄な動きは死を招く


効率について考えてみます。

効率を上げるためには、合理的に物事を考えなければなりません。無駄を探して排除していきます。

肉体には限界がありますから、持ちうる肉体のポテンシャルを最大に引き出すことが古武術が目指すところです。本来はもっと生々しい話で、無駄な動きがあったらスキができて、即、殺されてしまうのです。平和な世においては、無駄のない動きの追究です。

無駄のない動きは、健康と親密な関係です。無駄があると関節に負担がかかります。筋肉も余計に頑張ります。

その結果、たとえばですが、膝を痛めたり腰を痛めたりするのです。その痛みを鎮痛することができても、根本的な動きが変わらなければ、同じ症状を繰り返します。こうした原理で慢性化していく症状がたくさんあります。

慢性症状の背景には、非効率な動き、合理的でない身体の使い方が潜んでいるというわけです。ここに注目すると、慢性症状を解決する糸口がつかめます。


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■古武術とスポーツが決定的に違うのは「反則」があるかないか


スポーツは種目によって極端に酷使する部分があります。やればやるほど非日常になっていき、極めれば極めるほど、身体の使い方が偏っていきます。限定的な効率を求めると、全体の中に非効率が生じてしまいます。しかし、ルールが決まっていて、動きが限定されるスポーツにおいては宿命です。

これに対し、古武術にはルールがありません。現代から見るから「古武術」という言い方になりますが。ある時代の人にとっては、敵を殺したり敵から命を守るための武術です。


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状況を読みながら、最適な行動を取らなければなりません。どんな手を使おうと自由です。殺されたら終わりです。武器を手にしていたら武器を最大限利用し、武器を持たない時には、武器を持つ敵からどうしたら逃げられるかを考えます。

想定している「時と場合」がスポーツよりずっと広いのです。ルールがないからです。その分、身体の使い方も幅広く追究しなければなりません。そのなごりを受け継いだものが、「古武術」と呼ばれるものです。活法(かっぽう)はその裏技です。人を救うのが活法です。

だから、活法にもルールがありません。あるのは上手な人に共通する法則です。発売されたばかりなので宣伝させてください。

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■表現するための身体


原始的な観点から見れば、身体運動を追究する目的の一つは「戦いに勝つ(負けないで生き延びる)」です。もう一つは「コミュニケーションのための自己表現」です。

言語が使われる前から、人類はコミュニケーションをしていたわけですから、(言語にならない)発声や、身振り手振りで気持ちや状況を伝えていたはずです。

今も昔も、ダンスは自己表現の手段です。表現する目的は「仲間に入れてもらう」ためです。身体を動かすことは、仲間作りにとって重要だったわけです。バレエも例外ではないでしょう。身体表現の手段に注目したいので、ここではショービジネス歴史とは切り離しておきます。


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バレエと言えば、何と言っても柔軟な身体です。常識を越えた関節の使い方をします。運動学的に見たら、いつ関節が壊れてもおかしくない姿勢を取り続け、そこに重力を受け続けます。ダンサーは、限界ギリギリを見極めてレッスンし舞台を演じています。バレエダンサーは綱渡りを続けています。一流になるほど、細い細い綱を渡っているのだろうと想像できます。

身体の使い方として見れば、バレエは合理的ではありません。日常では、そんなに脚を挙げる必要も、そんなに腰を反らす必要もありません。つまり、自己表現を目的した運動は、エネルギー効率を追究したものではないのです。武術やスポーツにおいては、身体のエネルギーがロスしないように効率を求めてトレーニングしますが、バレエは違います。

武術やスポーツが、エネルギーロスを最小にしようと身体を使うのに対し、バレエでは表現力を最大にしようと身体を使います。バレエはスポーツと混同されることがありますが、身体を使う目的が全く違うのです。



■肉体は有限、精神は無限


生きていくためには、肉体を守ること、そして仲間とつながること、この2つが同等に大事だと私は思います。どんなに強い肉体を持っていても、人間は一人では生きていけないからです。逆もしかり。どんなに精神性を磨いても病気になったら生きていけません。

武術は有限なる肉体への抵抗であり、バレエは無限なる精神への挑戦だと思います。身体運動として矛盾することを共存させることができるのは、動物の中で人間のみです。

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■生きるとは矛盾を抱えること


このように考えると、人の動きは矛盾の中にあります。この矛盾を上手に扱える人が人生の達人なのかもしれません。

人間は健康に良いことばかり選ぶわけではありません。患者さんと話していると、「なぜ身体に悪いとわかっていて、その行動がやめられないのだろう?」と思う場面があります。患者さんは「治りたい」と言っているのに、治りにくい行動もしてしまうのです。

医療者として「それはダメ!」と言い切らなければなりませんが、人間としては「わかるよ〜」と心の中でつぶやいています。いつだって、医療というのは矛盾だらけです。矛盾をわかった上で取り組まないと矛盾に苦しみます。

うまく対応するには「物事には二面性があって、どちらも正解なんだ」と考えることかもしれません。患者さんの二面性を意識するだけで変わるかもしれません。

「効率と表現」は、仕事全般にも言えることです。効率ばかり追いかけるとマシンですし、表現ばかり考えていては十分な利益を得られません。どう両立させるかが課題です。考えるんだ、クリ助。

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