2019年10月04日

(第1話)鍼灸師ではない、もう一人の私

鍼灸師ではないもう一人の私(1)


弱みの告白


書くことが第二の取り柄(第一は鍼灸)のクリ助です。そんな私がブログを更新しなくなったのは理由があります。いくつかの記事に分けて、最近の事情を心情を交えて説明します。

整動協会の立ち上げと深く関わっています。協会の設立は2年前です。それから、私の仕事のスタイルは大きく変わりました。協会の起ち上げは私にとって挑戦でした。現在、200人近い人たちがこの会に関わっています。端から見たら順調かもしれませんが、現実は試行錯誤の毎日です。悪戦苦闘という言葉の方がふさわしいです。

今、私が置かれている立場からすれば、弱みを見せるべきではないのかもしれません。しかし、「最近のクリ助は何を考えているのかわからない」と言われることも多いのです。何を考えているのかわからない人は不気味です。2つを天秤にかけて、無言でいるよりも弱みや悩みをさらけ出す方がマシだと判断しました。

すでに200人近くの人を巻き込んでいる組織の長に立つ者ですから、今の私を伝える責任があるでしょう。そんな立場の私に必要なのは、嫌われる勇気です。

まず、最近の私の心情から書き、それから2年前に遡り、そこから時系列で現在までを綴っていこうと思います。


お金の正義


最近は、取り巻く環境が複雑になっていて、「彼方(あちら)を立てれば此方(こちら)が立たず」と場面が多いことです。誰の目から見ても、「それが最善だね!」という手が打てればよいのですが、そうはいきません。どんな行動を取っても完全なる正解にならないのです。それが悩みです。

お金を例にすると、わかりやすいと思います。

持っているお金の額が決まっていれば、Aさんのために使えばBさんのために使えなくなりますよね。有限なものを完全な公平に分けることは難しいです。計算によって公平を割り出しても、人は公平“感”で判断しますからね。

誰かの報酬を高くしたければ、たくさんのお金を集めなければなりません。いっぽう、徴収される側からしたら額は少ない方が喜ばれます。しかし、高い報酬を用意できなくなります。人の価値観にはカバーがかかっています。カバーの下を想像しながら、公平感と対戦する毎日です。

お金は、さじ加減ひとつで誰かの正義の味方にも悪役にもなります。まじめに頑張っていれば、わかってもらえる、なんてことはありません。


評価に囲まれる


大人の世界では、努力したかどうかは関係ありません。すべては結果です。私も社会人ですから、それくらいは分かっています。問題は、経験したことがない立場に私が置かれていることです。かつてないほど、たくさんの目に囲まれていて、どこにも逃げ場がありません。

組織が大きくなれば人間関係も複雑化します。誤解をされることが命取りになることがあります。相手の意図を正確にくみ取ること、誤解を招かない言葉を選ぶことがどれほど難しいか、この数年で痛感しました。つまり、失敗を繰り返してきたという意味です。


臆病な心


私の発言や文章が問題にされ、大騒ぎになったこともあります。そういう経験を繰り返しているうちに、どんどん臆病になっていくのです。結果、何にも言えなくなり、何にも書けなくなります。知らず知らずのうちに無難な道を選んでいます。決断も避けるような生き方を選びます。ブログも書かなくなってしまいます。

こういう類いの記事は、関係者から賛否両論はあるでしょう。ネガティブにとらえる人は、「モメゴトもあるんだね。モメゴトをつくらずに上手くまとめるのがあなたの仕事でしょ」と思っていることでしょう。そんな人に対しては、「代わりにやってみるがいいさ」と心の中で唱えて終了。全員の声を気にしていたら行動できません。私は前進しなければならないのです。このブログと共に再び前進する覚悟です。

明日は2年前にさかのぼり、「整動協会を立ち上げた目的」から書きます。

Twitterもやっています。
https://twitter.com/kuri_suke

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yoki at 01:14│Comments(1)このエントリーをはてなブックマークに追加 仕事日記 | セミナー

この記事へのコメント

1. Posted by 須田万勢   2019年10月04日 09:53
応援しております。頑張ってください!また飲みましょう。

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