2025年12月10日
痛いところだけに鍼をする方法の限界

鍼灸をチープな物理療法にしてはならない
まだまだ「鍼は痛いところにするものだ」というイメージが根強くありますが、脱却しなければいけない、私たち鍼灸師の課題です。確かに、鍼を刺したところには局所効果がありますので、痛みが緩和されたり、血行が改善するなどの変化をもたらします。
しかし、そこには「ツボ」の意味がごっそり抜け落ちています。痛いところだけに鍼をする行為は、チープな物理療法と批評されても反論はできません。私たちの存在意義は「ツボの効果をいかに引き出すか」に尽きるのです。
ただ「ツボ」といっても、その捉え方や考え方はさまざまです。話が複雑にならないように、ツボは「特別な変化をもたらす体表の点」としておきましょう。鍼灸の歴史は、常に特別な変化に注目してきたものであり、発展させていくためには、この観点をより強固にしていく必要があるでしょう。
古典鍼灸は筋肉調整が苦手
従来、ツボは「流れを整えるポイント」として使われてきました。その理論の軸は内臓の調整です。筋肉へのはたらきについては、鍼灸師がそれぞれの経験で補っているのが現状で、古典的な理論では頼りないと言わざるを得ません。こういう現状は、古典主義の鍼灸師は認めなくはないでしょうが、否定しようがない現実です。

西洋医学的な鍼灸の課題
現実を直視する鍼灸師は、解剖学的な知見に基づいて刺鍼点を決定します。狙うところはツボというわけではありません。機能を鼓舞したり、沈静化したいところに鍼をダイレクトに届けます。西洋医学的鍼灸と言われることがあります。
解剖学を拠り所にすることには一定の理はありますが限界もあります。鍼先を安全に届けられるポイントにしか使えませんし、鍼を届けられたとしても、それで症状が改善するとは限りません。
眼精疲労を解剖学的に対処しようと思えば、眼球そのものか、それに近いところが刺鍼点ということになります。実際に眼窩内刺鍼といわれる方法もあります。こういう努力に対してリスペクトしたいところではありますが、鍼灸がこういう発想にとどまっている限り、発展はしていかないでしょう。
「眼精疲労=眼球周辺に原因がある」という発想を脱却しなければ、いつまでも西洋医学ごっこのままです。
鍼灸学とは「ツボ学」として再考すべき
鍼灸は東洋医学に分類されることがありますが、すでにこの考え方は古いものとなっています。西洋医学を見本にした方法もあるわけですし、鍼灸は東洋でもあり西洋でもあります。ですから、結局のところ、どっちかに当てはめようとしても無理が生じます。
さらにいえば、代々継承してきた技を持つ鍼灸師はほぼいませんから伝承医学という言い方も微妙です。「伝統風」の鍼灸は無数にありますが、本当の意味での「伝統」に出会えることは滅多にありません。
私の本心は次の通りです。
東洋医学とか西洋医学とか、そうしたカテゴリに押し込める発想が残っている限り、本当の鍼灸のポテンシャルには出会うことができません。鍼灸はツボ学として再考すべきなのです。
考えてみてください。鍼灸の基礎的な理論を構築した古代の人々が東洋医学を意識していたと思いますか?東洋を意識するためには西洋という相対する概念が必要です。西洋なきところに東洋はありません。
事は単純です。東洋も西洋もなく「ツボがもたらす変化は何であろうか」と純朴な観察を続けてきた者が基礎的な理論を生み出したわけです。
観察を強化せよ
私のスタンスはシンプルです。鍼灸はツボ学です。ツボ学とは、ツボがもたらす変化を観察して集積することです。誤解を恐れずに言えば、なぜそうなるかは二の次でよいのです。「医師に理解してもらうためには、西洋医学的な説明が必要だ」という意見はもっともなのですが、「鍼灸師にわかるはずがない」というのが私の考えです。自分の勉強不足から逃げるわけではありません。違う土壌で生まれたものですから、説明できなくて当然なのです。
もちろん、医師に伝える努力は必要です。ただ、医師の言葉で鍼灸を語ることより、鍼灸がもたらす変化を見せることの方が私は重要だと思います。私が重視しているのは再現力です。効くときもあれば効かないときもある、というのでは信用してもらえません。高い確率で観察できる変化が重要です。
どこに何をしたら何が起こるのか、を集積していけば法則性が見えてきますし、その法則性が従来の理論と重なることもあれば、外れることもあります。既存の理論を重視しすぎてしまうと、理論から外れた現象を軽視してしまいます。素朴な目で観察することが必要なわけです。
鍼の極点刺激がもたらすもの
鍼灸以外に体に変化をもたらす方法はいくらでもあるわけですから、鍼灸である理由と意味を考えておかなければいけません。結論はシンプルです。とりわけ鍼は体表の極点を刺激することが可能です。さらに深度も調整できます。「どこに」の部分が極めて明瞭です。だからこそ、引き起こす変化が出現する位置も明瞭にでやすいのです。
たとえば、ふくらはぎ全体を揉めば腰の筋肉も柔らかくなります。こうした現象に対して鍼を使うと解像度が上がります。ふくらはぎのどの部分に鍼をしたら、腰のどの部分に変化が起こるのか、ということがわかるのです。変化が限局的だからです。狭い範囲に大きな変化が生じます。
鍼灸学のはじまりは謎に包まれていますが、極点刺激がもたらす変化を観察し集積するところから始まったと考えるのが自然です。ある程度の集積ができてから東洋思想と絡めながら理論構築をしたのでしょう。
私たちは、東洋医学的にどうなんだろう、西洋医学的にどうなんだろう、と考えてしまうわけですが、鍼の極点刺激がもたらす変化の前ではあまり重要ではない気がします。
経絡の枠から外れると見えてくる法則
いったん経絡という枠を外してツボがもたらす変化を観察しています。経絡学説に近づいていく部分もあれば、そうでない部分もあります。「そうでない部分」をどのように扱うかが重要なわけで、経絡に当てはまらない例外という扱いをしてしまえば、理論の発展は望めません。理論展開できるかどうかにかかっています。というわけで、私自身の観察については「整動鍼」というものにまとめています。最後は自分の取り組みの方に話を引っ張って恐縮ではありますが、多方面から高い評価をいただいていますので、まだの方はぜひ。
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