2026年02月22日
ブログと動画で「思考の公開」という原点回帰

YouTubeを再開した理由
今年になってYouTubeを再開しました。いくつか動画を作ったあと1年間の空白期間がありました。再開した理由はシンプルです。原点に立ち返ろうと思ったからです。この原点というは、情報発信のことです。振り返れば、情報発信に力を入れてきたから鍼灸師としてここまでやってこられたのです。
その情報発信は主にこのブログで行ってきました。YouTubeは情報発信に力を入れるという原点に立ち返りながら動画というステージへの挑戦です。この挑戦する心も含めて原点回帰です。
当たり前と思ったらなんでも終わりなんです。今年の私はめちゃくちゃ挑戦者です。
AIがはずかしさをデリート
話がいきなりそれてしまうのですが、LLM(大規模言語モデル)のAIが文章を代わりに書いてくれるようになりました。私もよく利用しています。使ってみて思うのはAIに書かせた文章を公開するときは、書いた文章を公開するときに感じる特有のはずかしさがありません。
文章を書くことは内面をさらけ出す行為を含むわけですが、AIを使うとその前提が揺らぎます。AIにははずかしさのデリート機能があるように思えます。これについて説明しようと思いますが、その前にこの文章はAIを全く使わず、伝統的な手法、つまりキーボードを叩いて書いていることをお伝えしておきます。
ここまで書いた時点で、この文章のどこにはずかいさが潜んでいるかといえば「はずかしさのデリート機能なんて話はとっくに誰かがしてるよ。今さらですか?」とトレンドに乗り遅れてるだけの自分をわざわざ公開してしまっているかもしれないところです。
はずかしいが正義
あえて言います。こうしたはずかしさは正義だと思うのです。はずかしいと思うということは、こんなことを書いたらどう思われるのだろうか、と自分を客観視する行為です。自分は常に正しいわけではないという舞台の上にいるのです。AIを使うとその舞台から降りることができます。情報の精度と効率の面では正義かもしれませんが、文章を書く意味においては必ずしも正義ではありません。
自分で書くというのは、「間違っているかもしれないけれど…」という前提を許容し、こう思った、こう感じた」をさらけ出すわけです。この前提を人間は失ってはいけない気がします。恐ろしいと感じているのは、ChatGPTが出てから「自分の考えは合っているのだろうか?」とAIで確認しようとする自分です。
これは「はずかしさ」から逃げる行為で、正義から離れてしまっているように思うのです。改めて、私が思うところの正義を言い直すと「自分は常に正しいわけではないという前提で生きる」ということです。
間違っていてもいいのだ、という開き直りではありません。何が正しいのか誰もわからない、という前提であるべきではないかという提案です。
正しい鍼灸はどこにある?
ここで自分の仕事=鍼灸における正しさを考えてみます。
昔所属していた勉強会で症例発表をしたことがあります。そこで先輩にあたる鍼灸師にこう言われたのです。
「あなたの症例から学ぶものは一つもなかった」
私からしてみると、試行錯誤して症状が軽減し明らかに改善しているので、ヒントくらいは提供できていると思っていました。
若かったので全否定されても言い返せませんでした、言い換えしたら喧嘩になっていたと思います。よく言えば大人な態度をとったわけですが、今こうしてグチグチ書いているのですから、やっぱり子供です。あ〜はずかしい。こういうことですよ、はずかしさって。
それでは、ここにあった「正しさ」を読み取ってみます。勉強会には勉強会のルールがあります。症例発表におけるルールは、その勉強会で習ったことを使って患者さんがどうなったかを共有する必要があります。そういう意味では私の症例発表はそのルールから少しズレていました。
でも、その言葉がきっかけで私はその勉強会から離れていくことになりました。そのときは、ただなんとなく「ここは居るべきところじゃない」と感じただけですが、今思えば私なりの正しさを求めた結果なんだと思います。
ツボはもっと自由に使ってよいはず…。
臨床の現場に立つ鍼灸師ならわかると思うのですが、習った通りにやれば必ずよい結果が得られるとは限りません。むしろ「よい結果が出ないときにどうするか」を考え続けるのが臨床です。答えは勉強会にはないのです。勉強会はヒントの場であると考えています。
つまり、正解というのは常に患者さんと私たちの間から生まれてくるという考え方です。誤解のないように補足すると、患者さんの「こうしてください」に従うことではありません。患者さんが正解を持っているのでも、私たちが正解を持っているのでもなく、両者の間から正解を拾うのです。
正解をその場その場で探していかなければいけない、この状況をストレスと感じるか面白さと感じるか、それはそれぞれです。私は後者です。
AIを使うとむしろ非効率?
YouTubeの更新はものすごくたいへんです。スタッフにも苦労をかけています。特に編集に時間がかかります。収益化できてるわけではありませんから、チャンネル登録者数の増加が心の報酬になっています。現場で「観ています」と言われることも励みになっています。
動画制作は私の趣味で続けていくわけにはいきません。ちゃんと目的があります。誰かの役に立つ情報を発信し、信用を積み上げていくことです。信用の素地は安心感だと思っているので、そういう立ち位置から情報を発信しています。
もっといえば、鍼灸への安心感だけでは不十分で、鍼灸師への安心感が必要です。再生回数を伸ばすという意味では、もっとよい方法があると思います。AIにコンテンツを作ってもらって、AIに画像と読み上げをしてもらうなど、選択肢があります。
ただ、信用の積み上げという観点からみたら、AIの活用は最小限にして人間臭さを残す方が効率的だと思っています。臨床は人間臭いものですから。現場と乖離しない、ということが私の立場ではもっとも重要だと思っています。とはいえ、チャンネル登録者数はもっと増えてほしいです。
文章と動画の二刀流
動画をがんばっていたらブログの更新が途絶えてしまいました。動画の時代と言われていますが、文章の価値がなくなったわけではありません。ブログの方が好きという方もたくさんいらっしゃいます。
ですので、これからは同じ内容をブログとYouTubeでやってみようと思います。YouTubeの原稿をブログに利用してみます。
こうやって久しぶりに文章を書いてみると、頭の中が軽くなるのがわかります。思考をちゃんと自分の力でアウトプットすると思考が整理されます。だから軽く感じるのでしょう。AIを否定するつもりはありません。積極的に利用していくつもりですが、私にとってブログは「思考の公開」ですから、やっぱりキーボードからでなければ。
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