東洋医学(中国医学)

2024年05月26日

今月は、NHKで立て続けに鍼灸の特集がありました。私は20年以上鍼灸の世界にいますが、こんなことは初めてです。

あなたが変わるトリセツショー ツボのトリセツ


冨永愛と巡る鍼灸・漢方薬の新たな世界


鍼灸をこのような位置まで引き上げてくださった先輩方や関係者の皆様にはどれだけ感謝しても感謝しきれません。頭が下がる思いです。

ようやくここまで来たと思う一方、満足できていない気持ちの方が強いです。鍼灸の効果に対する疑いは根強くあります。鍼灸が選択肢から外されていると思う場面がが多々あるからです。

私は鍼灸師ですから、鍼灸を受ける人の数を増やして利益を出したいという本音を隠すつもりはありません。最近流行りの「ポジショントークではないか?」という批判を浴びる前に「はい、ポジショントークです」と前置きしておきます。とはいえ、利益のことを考えて鍼灸師をしているわけでもないというのも本音です。

私が鍼灸の道に入ったのは、私自身が鍼灸院の患者だったからです。興味があって鍼灸院に行ったわけではなく、両親に連れていかれたという受け身なスタートです。鍼灸院に対してネガティブな感情がありました。そんな私が鍼灸師になり鍼灸院を経営し、鍼灸師が集う研究会を主催しているのですから、人生わからないものです。


「鍼灸がなくても困らない」という人


私自身がそうであるように、何かがきっかけで鍼灸が身近なものになります。「鍼灸なんてあってもなくても関係ない」と思っている人も多数いますが、そういう人はただ鍼灸特有の恩恵に気づいていないだけです。

¥灸でなければできないこと
鍼灸の方が早く解決できること
o灸の方がコストが低いこと

それは、この3つになると思います。

鍼灸師になると「集客しましょう」という話が中心になります。その前にこの3つを考えておかないと、整体や民間資格のセラピストの中に埋もれて消耗してしまいます。

「鍼灸の方がスゴイ」なんて言うつもりはありません。鍼灸の方が優れているところを探すことが鍼灸師の仕事です。この意識をもって仕事に取り組んでいれば、医療や慰安などのサービスの中に入っても存在感を失うことがありません。

逆の言い方をすれば、鍼灸の優れているところを見つけられなければ「良くなればなんだっていいでしょ」に言い返すことができず、提供するサービスの価値を見失っていきます。


エビデンスについて


私が鍼灸師をしてもっともストレスを感じる言葉は「エビデンス」です。鍼灸を否定する人は正義感が強い人だと思います。「効果が証明されていない非科学的な治療法は存在してはならない」という信念を感じます。ただ、その正義感は過去のものとなり、その正義感を振りかざせば振りかざすほど自らの無知を宣伝することになります。

『東洋医学はなぜ効くのか』によると、鍼に関するランダム化比較試験の報告数は2000年頃から急激に増えて2010年には6倍くらいに増えています(年間約50→年間約300)。

東洋医学はなぜ効くのか


鍼灸に効果があることは科学的に事実となっています。誤解されていることがあります。「効果がある」というのは全員に効果があるという意味ではありません。条件によって効果は変わりますので、時には効果がわからない人もいます。効果は100%保証ではありません。

繰り返しになりますが、鍼灸に効果があるというのは、全員が確実に恩恵を得られるという意味ではありません。ただし、鍼灸の現場では「効果があるときとそうでないときがある」という曖昧な態度は不信感につながります。鍼灸師は、各々の技量と経験によって効果が出せそうか判断しながら患者さんと接しています。

鍼灸師のウデによって効果が大きく変わることも事実です。効果があると感じている患者さんも、どの鍼灸師でも効果は同じと思っていないはずです。どうせなら、より高い効果を出せる鍼灸師の施術を受けたいと考えているに違いありません。


スキルについて


論文には、どのツボを使ったか書いてあるのですが、そのツボにどんな鍼灸師が行ったかまではわかりません。同じツボを使っても、スキルが高い鍼灸師が行ったなら、もっと大きな効果を示せたかもしれませんし、スキルが高い鍼灸師だから効果を示せたと言うこともできます。

実は、ツボの位置は鍼灸師によって違います。「正確な位置」という定義もあいまいです。1〜2ミリでもズレたら効果が出ないと考える鍼灸師もいれば、1センチくらいズレても問題ないと考える鍼灸師もいて見解はバラバラです。表面的な位置ばかりでなく、深さや角度の問題もあるので、ツボの位置だけでも複雑です。

刺鍼する際も、あまり痛みが出ない場合もあれば痛みを感じる場合もあります。刺入時の痛みも効果に影響しているでしょう。

上手さを評価することは現実的にむずかしく、公平性の高い情報をここに書くことはできません。ですので、私がどんな鍼灸師が上手いと考えているのか、個人的に思うことを書きます。

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古来から伝わるツボには名前があります。一つひとつ区別されているということは、それぞれに特有の効果があるからと考えられます。仮に、たくさんの鍼を同時にしてしまうと、一つひとつのツボがどのような変化をもたらしたのか確認できません。鍼の効果は、鍼の数で決まるわけでも刺激の強さで決まるわけではありません。ツボの個性を利用している鍼が効果が高いのです。

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このツボに鍼をしたら身体がどのように変化するのかを緻密に予測できる鍼灸師の方がウデがよいと考えます。その変化は受け手(患者)がわかるものが望ましいです。たとえば可動域です。動きが制限されていた関節が動き始めたらわかります。すべての症状で可動域に違いが出るとは限りませんので、触診を工夫して変化を共有することもできます。

5甸囘な変化を重視している


鍼灸の感想に多い「気持ちよかった」「軽くなりました」という言葉。その言葉を疑うわけではありませんが、客観的なものではありません。

検査に表れない不調を得意とするのが鍼灸という位置づけもありますから、客観性よりも患者さんの感覚(主観)が大切であると考えることができます。ですから主観的なものを尊重しながら、客観性を忘れない鍼灸師が望ましいと考えています。一つ前に書いた可動域もその一つです。

ぢ┯性を大切にしている


鍼には即効性と遅効性のどちらもあります。その場で変化がわからなくても1〜2日後から症状が軽減していくことは珍しくありません。また、何度か受けて初めて軽減する症状もあります。そういう場合、気づかないだけでその場で何かが変化しています。その変化を読み取って大切にしている鍼灸師はウデがあると思います。

タ佑茲辰篤によって使うツボが変わる


同じ症状でも、人によって原因は違います。たとえば頭痛一つとっても、候補となるツボはたくさんあるわけです。患者さんの個性や、その日の体調に合わせてツボを選択できる鍼灸師の方がよいウデをしていると思います。


ビジネスについて


鍼灸が評価されるために必要なのは、ウデばかりではありません。長年鍼灸に携わっていて思うことがあります。それは、稼いでいる鍼灸師しか相手にしない人がいるということです。ビジネスが成功しているかどうかだけが興味の対象なのです。

深いことを書くつもりはありませんが、経済的な成功が社会的地位を押し上げるという側面から考えると、たくさん稼ぐ鍼灸師が増えることは鍼灸が評価される一つの要因になるでしょう。ただ、個人的には、売上自慢ばかりしている鍼灸師がいたら距離を置きたくなります。


開業について



とはいえ、避けては通れないお金の話。鍼灸をビジネスで考えるなら、資本力に左右されにくい部類に入ります。資金がいらないと言ったら語弊がありますが、免許を取るための資金である数百万円と、加えて数百万円があれば施設や用具を用意することができます。勉強時間や練習時間などのコストを除いて計算すれば、1000万円があれば開業できるビジネスです。

個人的に1000万円が安いとは思いませんが、一般的に1000万円の資金で開業できるビジネスは、お金がかからない側に位置づけられるビジネスでしょう。

これは魅力であると同時に参入障壁が低いという大きなマイナスがあります。競合がひしめき合う中で存在感を示さなければいけない構造だからです。

鍼灸だけでもそうですが、街を歩けば国家免許を必要としない整体やマッサージ系のサービスに溢れていて、国家免許を持つ鍼灸師がその中に埋もれてしまいます。肌感覚として免許を持つアドバンテージはありません。免許は何の社会的地位も与えてくれません。

参入障壁が低い施術系ビジネスにおいて、免許取得費用を負担している鍼灸師はディスアドバンテージな状況と言えます。鍼灸師が開業するときには、こういう現実をすべて受け入れて同時に鍼灸の優位性をしっかり持たなければなりません。


パーソナリティについて


鍼灸師の誰かが有名になることで、鍼灸の知名度が爆発的に上がるということは考えられます。ただ、誰も望まないイメージで固まってしまうこともあり、良いのか悪いのかむずかしいところです。

鍼灸師は一人でも業が成り立つので、組織に属さず一人で開業してやっている人が多いです。その鍼灸師のパーソナリティが経営に大きな影響を与えます。患者さんにしても、技術的な差がわからなければ鍼灸師のパーソナリティが判断材料になるでしょう。

ただ、パーソナリティに偏りすぎるとタレント業になってしまうので、気をつけたいところです。


研究について


認知されるための方法としての王道はやはり研究だと思います。これについても私の目線から思うことを書きます。ちょっと自分のことを棚に上げてしまう部分もあるのであらかじめお断りしておきます。

鍼灸師は開業して一人で経営している場合が多く、研究をする余裕がないという現状があります。自分自身も含めて擁護すると、必要性はわかっているけれど目の前のことに追われてしまうのです。

オブラートに包まずに書けば、直接的な見返りがないのです。「君のように目先のことしか考えない鍼灸師がいるからいつまでも評価されないのだ」とお叱りを受けるかもしれません。

市井の鍼灸師から見て、研究のためにお金と時間を使える鍼灸師はほんの一握りです。鍼灸師として食べていけるかどうかの瀬戸際にいては研究のことは考えられません。

仮にがんばって研究にお金を使い執筆したとしても、収入が増えるわけではありません。広告費にお金を投じた方が収入が増えるという現実があります。

開業鍼灸師の立場からいうと、研究には経済的メリットがないのです。ないと言ったら言い過ぎですが、リターンが読めません。研究は投資として魅力的に映らないのです。

これで話を終わりにしたら未来がありませんので、現実的にできることを考えていきます。

鍼灸師が経済的余裕を持てるように


それができないのが問題だと言われたらおしまいですが、「経済的余裕を持たなければいけない」というのは避けては通れない考え方です。研究で評価される前に、目の前の患者さんに高く評価してもらえるように注力することが経済的余裕をつかむ第一歩です。

私は鍼灸師がみんな研究に携わる必要はないと考えていて、余裕ができた分だけでよいと思っています。

負担のない方法で行う


市井の鍼灸師の力を合わせて大きな力にするという考え方です。ドラゴンボールの元気玉と同じ発想です。いろいろな方法があると思いますが、私が取り組んでいるのは症例を集結させることです。鍼灸院はそれぞれ症例を持っているのですが、バラバラに持っていたのでは力になりません。

症例を書く手間はかかるにしても、慣れたら1症例30分程度で書くことができます。施術の結果に過ぎないので効果におけるエビデンスを示す必要はありません。一つひとつにエビデンスはなくても、症例が100例、1000例と集まるほど統計的な魅力が増してきます。

とはいえ、30分程度であっても見返りがなければ続けられません。私が用意したプラットホーム(ツボネット)では、集客に結びつくように設計をしています。症例を見た方から予約をいただけるようになっています。投稿した症例が50〜100くらいに達すると集客効果が生まれてくるようです。

現在、3400ほどの症例が集まっています。訪問者は右肩上がりで、PV(ページビュー)が月間46万に成長して、海外からのアクセスも増えています。

ツボネットの症例数

この数では満足できません。月間100万PVが次の目標です。私ががんばるだけでは増えませんので、参加する鍼灸師を増やさないといけません。

現在は、私が主宰する整動協会の会員に無料で提供しているだけですが、このプラットホームに可能性を感じる鍼灸師からの問い合わせも増えているので考える時期に入ってきています。

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2024年04月30日

根本治療という幻想


はじめに


よく「根本治療」という言葉を目にします。対となる言葉は「対症療法」です。もちろん、誰だって根本治療の方がいいと思いますよね。

根本的に解決しておけば、再発の心配もいらないですから。対症療法はその場しのぎですから、その場はよくても解決していないのでいつかは症状がぶり返してきます。

おそらくこんな前提で「根本治療」と「対症療法」という言葉が使われていると思うのですが、この先には大きな落とし穴が待っています。

実は、こんな単純な話ではないのです。この文章は一般の方を対象に書いていますが、プロの方にも耳を傾けていただきたい話があります。

結論を言うと「根本治療」という言葉はあいまいで無責任な言葉です。気軽に使っていい言葉ではありません。「根本的に解決したい」という意気込みを表しているに過ぎません。なぜなら、根本治療を定義するのがむずかしいからです。

根本的に治るって何なんでしょう。これを考えるには、どこからが病気でどこからが健康であるかを知っておかなければならないので、とても重いテーマなんです。


病気の原因はどこ?


そこで、この本に登場していただきます。

どこからが病気なの?

一般向けに書かれた新書ですが、鍼灸師の立場から読んでもとても勉強になります。病気と平気の境界線について考えることができますし、病気の原因について医学的な視点から丁寧に説明されています。本当に説明が上手な先生です。

同業の鍼灸師には必ず読んでほしい本です。医師の立場を理解する意味でも十分に読む価値があります。ここでは病気の原因に注目しながら根本治療について考えます。

結論はとても単純で、病気の原因は一つではなく複合的なものだから、「コレだ!」という手段を用いても原因の一つかもしれないものにアプローチしているにすぎません。人体は複雑系ですから、原因が一つなんて考えることに無理があります。

著者の言葉を引用します。

世にある病気のうち、多くは、原因を一つに決められない。これは、人体が、さらには病気という状態自体が「複雑系」といって、無数の要素から構成されているからである。社会に暮らす人間は、あまりに多くの要素・要因に囲まれており、もまれたり流されたりバランスをとったりしているうちに、いつしかある種の結果に向けて漂着していく。


私が、根本治療をうたうことが無責任だと思うのは、根本が何であるか特定などできないのに、それをまるでわかっているかのような態度になるからです。このように考えると、対症療法の印象が変わってくるのではないでしょうか。

つまるところ、どれも対症療法なのでは?

と思えてくるのです。患者さんがその治療をどう受け取るかなのです。「これは根本治療です」という言葉を信じれば根本治療らしき治療になるのです。

このように考えると、気軽に「根本治療」という言葉が使えなくなるのではないでしょうか。私は使いません。「対症療法」という言葉もつかいません。わざわざ「対症療法」なんて発してしまうと、患者さんは、本来やるべき根本治療が別にあると錯覚してしまうからです。


本治法と標治法


鍼灸の世界には「本治法」と「標治法」という言葉があります。昭和の初期に作られた言葉です。鍼灸師によっては、伝統的なニュアンスでこの言葉を使っているのですが、鍼灸の歴史のスケールから見ると『現代用語の基礎知識(鍼灸版)』があったら載りそうなくらい新しい言葉です。なにせ、鍼灸の歴史は二千年以上ですから。

「本治法」と「標治法」は対になって使われるのですが、「本治法」には根本治療っぽい雰囲気がありませんか。鍼灸治療は、経脈に流れる気を整えるというコンセプトが背景にあるわけですが、病気の原因を「気の滞り」と考えています。

ここでは経脈の詳しい説明は割愛しますが、簡単にいうと、血管や神経の走行と類似しつつも、それは別に設定されている情報伝達のルートのことです。経絡学説のまさに根幹に位置するものです。


鍼灸医学における根本治療


話を戻しまして、鍼灸しか存在しない世界で考えると、気の滞りが万病の元と考えるのは便利で都合がよいです。ここに原因があると考えることで、実際に手を動かせるわけで、便宜上の原因を設定しないと何も始められません。

ある意味においては、鍼灸医学における根本治療は「経脈の滞りを解消する」という設定で行われているわけです。こうした流れで「標治法」という言葉を見ると、根本ではないもの、つまり経脈の流れに関係ないものに対するアプローチが標治になります。

「経絡(的)治療」と称される昭和初期に生まれた学派では、脈診(手首の脈で患者の病状を診断すること)をして、その脈をきれいに整えることを「本治法」、痛みがあるところなど症状があるところやその周辺に鍼を用いることを「標治法」と呼んでいます。


本治法はスローガン


広くて深い古典の世界を、本治法、標治法という言葉で整理してわかりやすくしたことは発明だと思います。ただ、現代を生き、さまざまな医療者と付き合うなかでは、「本治法=根本治療」というニュアンスは誤解を招きます。鍼灸師自身も錯覚してしまいます。

繰り返しになりますが、そもそも原因をひとつに特定できないのが病気です。それぞれの療法のなかで展開される作業仮説において「根本的な解決を目指そう」というスローガンが存在しているにすぎません。


標本病伝論篇


せっかくなので昭和の初期につくられた「本治法」と「標治法」の原典を探ってみます。眠くなる前にささっと終わらせます。もう少しお付き合いください。

『素問』という本があるのですが、その中に「標本病伝論篇」というのがあります。おそらく、ここから引っ張ってきたのではないかと思います。そこには何が書いてあるのか。

「・・・・・・」

やっぱり何が書いてあるのかわかりません。歴史的な医家も解釈が分かれています。根本原因が「本」で症状が「標」であるという解釈もできるが、他の解釈もできるということです。



古典は読むのが本当にむずかしいです。実際の体に当てはめて運用するのは難しいです。ありがたいことに、鍼治療はどんなふうにやってもある程度は効いてしまうので、仮に解釈が間違っていたとしても、効果が出てしまうのです。古典の理論から導かれた効果であるのか、刺鍼のテクニックからもたらされるのか、はたまた心理的な影響なのか、区別がむずかしいです。


治るとはなにか


最後に「治るってなんだろう」と一緒に考えてくれませんか。再び、市原先生に登場していただいてヒントをいただきましょう。

市原先生は、病気だと決めるのは、本人、医者、社会だと述べています。健康診断の数値を家族が心配しても、本人は「平気」と言って聞く耳を持たないってことがあると思います。検査の数値を気にして治療を始めたら病気になりますし、検査せず不自由なく日常を送れているなら病気ではないということになります。

どっちが正しいかを判断するのは難しいと思いませんか?

数値を気にしすぎて、健康感が失われてしまうのもどうかと思いますし、検査を無視してに気がついた頃には手遅れもどうかと思います。人が病気であるかどうかは、そのときの心境や環境によります。

『がんと癌は違います』の著者、山本先生も治るを定義することは難しいと述べています。

がんと癌は違います

 多くの病気が、治療を継続しながら長期的に「付き合っていく」タイプの病気であり、どこかで「治る」ものではない、と言えます。
 しかし、誰もが社会的生活を送っている以上、少なくとも「社会復帰できるタイミング」はどこかに設定しなければなりません。医学的に「治癒」を定義できなくても、社会的に「治癒」を定義しなければ社会が立ち行かない、ということです。


医師が言うように、「治る」を定義するのが難しいわけですから「根本治療」という表現は少なくとも医学の中では成立しません。

私も鍼灸院の中で患者さんと接するときは「治る」という言葉は慎重に扱っています。「心配しなくてもよさそうです」「よくなりそうです」「似た症例がたくさんあります」など、対応できるときの言い回しをいくつも用意しています。


根本治療を求めてしまう心理

     
患者さんの気持ちを想像すると、根本的な治療を望むのは自然なことだと思います。代弁すれば「再発しないようにちゃんと治したい」ということだろうと思います。それを叶えてくれそうなのが根本治療、というわけですよね。

鍼灸の現場で数え切れないほど経験しているのは「鍼灸はよく効くんですけど、根本的に治したいので整体にも行っています」という患者さんの言葉。

「骨盤の歪みを直さないと、肩こりも頭痛も治らないらしくて…」という話です。いつからか「骨盤の歪みがすべての原因」というトレンドが生まれてしまいました。YouTubeを観ても、それに近い言葉で溢れています。正しいかどうかは別として、社会が納得して受け入れた原因の説明です。

余計な話かもしれませんが、整体は職業としては認められていますが、医療系の免許が必要ではありませんから「体を整える」というコンセプトのサービス業です。

根本治療は幻想です。

ただ、その幻想は簡単に捨てられないものです。根本的な解決は、何ごとにそおいても理想として掲げておきたいのです。私もそうです。

いつでもどこでも、根本治療は理想であり夢なのです。


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2023年11月12日

本日、2年ぶりに新しいカリキュラムをリリースしました。2日間のセミナーでシェアしていきます。1日目を終えて宿泊の部屋で一息ついているところです。気持ち的に落ち着いたものですから、今の心境を残してから床に入ろうと思います。



セミナーを事業として始めたのは2009年ですから、もうずいぶん昔の話です。最初は、活法(かっぽう)という古武術由来の整体を教えていました。「鍼灸師なのに整体?」と思われるかもしれませんが、巷の整体から学べるものはたくさんあるのです。

私はあん摩マッサージ指圧の免許ももっているのですが、こうした技術に含まれないテクニックが数え切れないほどあります。特に活法はその宝庫だと感じました。現に私の鍼灸師人生を大きく変えるきっかけとなりました。出会っていなければセミナー事業を始めることもなかったですし、「整動鍼」という新しいコンセプトを提唱することもありませんでした。

整動鍼セミナー

整動鍼を初めて世に出したのは2014年。従来の鍼灸とは違う考え方をするので、最初は批判的な意見もありましたが最近は肯定的な意見ばかりです。続けてきて本当によかったです。とはいえ批判を受けてこそ成長するものですから、今もご意見から目を背けないようにしています。

誤解されがちなので補足すると、整動鍼は流派ではありません。ですから習いに来てくれる鍼灸師は門下生ではありません。言うなれば整動鍼というコンセプトの賛同者たちです。

そのコンセプトは「ツボとツボの間には張力のネットワークがある」というものです。ツボとツボは人体が力学的なバランスを取るために必要な要所であると捉えています。いっぽう、従来のものは「ツボはエネルギーが流れる通り道にある」と考えています。



受講者さんたちに繰り返し言っているのは「従来の考え方が全てだと信じてしまうと得られる恩恵が減ってしまう」という話です。従来の考え方では理解できない現象が新しい考え方で理解できるのです。

従来の鍼灸を一言で表せば「経絡(けいらく)」という言葉で表すことができます。経絡とは体内に流れるエネルギーの通り道です。この経絡は実体が明らかになっておらず、鍼灸業界のミステリーです。否定する鍼灸師もいます。

私は推測や願望を入れたくないので「実体は見つかっていないが、鍼灸師のガイドラインの一つとして機能しているもの」であると考えています。

「一つとして」の部分が肝です。他にもあると考えているからです。一番もったいないのは、経絡を唯一のものであると信じてしまうことです。人体で起こる現象を経絡で説明することには限界があります。対応できる症状が限られてしまうのです。

鍼灸は不思議なもので、解剖学では説明できないことばかりが起こるのです。医学部を出ている医師でも不思議がります。不思議なところばかりに目を向けるとスピリチュアルな世界に引き込まれやすくなりますが、解剖学から完全に離れてしまうのは危険です。

整動鍼セミナー

鍼灸師のポジション取りはむずかしく、解剖学に偏りすぎたら鍼灸独自の効果を見逃してしまい、スピリチュアルに偏りすぎると科学から離れて根拠を示せなくなります。うまくポジション取りができずに悩んでいる鍼灸師も少なくありません。私もその一人でした。

そこから抜け出すためにもがいて到達したのが「整動鍼」というコンセプトなのです。整動鍼は解剖学的な知見を尊重しつつも、そこからはみ出てしまう現象を何とか説明しようと試みています。そのアイデアとして「張力」を用いています。

張力はゴムを引っ張ったら縮むアレです。人体にも伸び縮みする筋肉があって、その筋肉が生み出す収縮力を利用して動いているわけですから張力が発生しています。その張力の起点にツボがあると仮定して理論を展開しているのです。

解剖学では、筋肉の構造で人体を理解するので筋肉が実際に繋がっているかどうかが重要ですが、整動鍼では実際の構造がどうであれ、変化を観察できたなら何かしらの関係が存在していると見なします。もちろん再現できるものだけしか採用しません。

再現できているかどうかは、関節の可動域の変化やツボの触診で確認しています。最初は私自身が再現できるかどうかを試し、次に近くにいるスタッフが試します。それで再現ができればセミナーに持ち込みます。そして受講者の鍼灸師がそれぞれの現場で試すという流れです。

整動鍼セミナー

受講者さんにまで試させているのかとお叱りを受けるかもしれませんが、受講者さんは私が何十回、何百回、時には何年もかけて検証をしているのを知っているので、セミナーに持ち込まれるものは相当再現性が高いと信じてくれています。その上で検証に参加してくれているのです。

鍼灸には古典がありますが、伝統は「昔の人が書いたものは正しい」と信じることではありません。検証を積み重ねたものが伝統になっていくと考えています。

整動鍼セミナー

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2022年08月15日

気自然エネルギーという言葉を使わない理由



昨日、このようにツイートしました。内容も理由もそのままなのですが、説明を加えようと思います。このツイートの前提として、鍼灸師が、ゝぁ↓⊆然、エネルギーを使うことが日常的だということをお伝えしようと思います。もちろん、すべての鍼灸師が使っているわけではありませんが、珍しくありません。

私がこの言葉を使わないのは、この言葉に頼ると自分の成長が遅くなると考えているからです。こうした言葉は意味が広く解釈が自由ですから、どんな場面にもうまく当てはまってしまうのです。説明したような気分になれますし、聞く側もわかったような感覚になります。

であるならば使えばよい、という意見が当然あるでしょう。ただ、その考えがヤバイのです。このヤバイもかなり便利な言葉です。ここでは「まずい」という意味です。

やばい

こんなにたくさん意味があります。文脈や言い方で使い分けられる日本人はヤバイ(すごい)です。便利だから、細かいこと言わずにいつも「やばい」で済ませてしまえばいいじゃないか、という考えることもできますが、それでは表現に深みがありません。その時に適した言葉を選べる方が品格も生まれますし、誤解されにくいと言えます。

患者さんとのコミュニケーションにおいて、伝わらないことは仕方ないと処理できる場面があっても、誤解は仕方なくありません。患者さんが誤解するのは100%私たちが原因です。

ゝぁ↓⊆然、エネルギーのような意味の広い言葉を使わないと自身に制約をかけておくことで、語彙探しが習慣になります。



質問にお答えしようと思います。

ここまで読んでいただけたらお分かりかと思うのですが、「ヤバイ」を単一の言葉に置き換えられないように´↓も置き換えることができません。それでは答えにならないので、例を考えてみました。

たとえば「気の巡りをよくしましょう」と言いたかったとしましょうか。

患者さんが精神的に落ち込んでいるようであれば「気分転換に朝の涼しい時間に散歩するのはどうでしょうか」という具体的な提案になることがあります。

また、登山の疲れで体が重いようでしたら「ぬるめのお風呂で疲れが抜けそうですね」と、具体的に提案します。

鍼治療をするならば、前者でしたら「呼吸が浅くなっていますので、広がるように胸の筋肉が緩むツボを使います」と言ったり、後者でしたら、下半身の疲れが取れやすいように足の付け根をやわらかくして血液やリンパを通りやすくしておきましょうか」というパターンがあると思います。あくまでも例なので、その場にあった具体的な言葉を選んでいくようにしています。

便利な言葉であればあるほど「使わない」と決めたときに工夫が生まれます。もちろん、使ってはいけない言葉ではありません。ここに書いたことは、あくまでも個人的なもので、ひっそりと自分に課しているルールですので「そういう考え方もあるのね」くらいに受け取っていただけたら幸いです。

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2022年05月08日

ぶっちゃけ古典の勉強は役立つのか




ー騨兔颪箸靴憧待しない


古典を読んだからといって、突然臨床力がアップすることはあり得ません。小説を読み始めたからと言って、人の心理や人生観が突然わかるということがないのと同じです。古典は読むと臨床に深みが出てくるかもしれませんが、深みというものは長年かけて出るものですから、即効性はありません。

超ベテランの先生が「古典を読みなさい」と言いたい気持ちはよくわかります。古典を知らないま鍼灸師人生を終えてしまうことがもったいないと思っているのでしょう。私も基本的には同じ意見です。ただ、若手には古典ではなく実用的なものをすすめています。

まずは、深みより食べていくために必要なスキルを身につけなければ深みを味わう前に、退場させられてしまいます。深みをつけるのは、安定した収入が得られるようになってからでも遅くはないと考えています。

古典を読むなら、趣味の枠を使った方がよいでしょう。自己投資の感覚で古典を読むことに時間を使うのはリスクが高すぎます。

△いなり原文を読まない


「原文を読みなさい」とおっしゃる先生がいますが、私はいきなり原文から入るのは反対です。原文も添えてある解説本がたくさん出版されていますので、解説本から入る方がよいです。古典は漢文です。句読点がありません。どこで区切って読むかだけでも大変ですし、専門家でも意見が分かれるところがあります。

太陽之為病脈浮頭項強痛而悪寒

なんて書かれていると、わかりにくいですよね?

【太陽之為病】 太陽の病はね
【脈浮】    脈が浮いて
【頭項強痛】  頭痛とうなじのこわばりがあって
【而悪寒】   悪寒がするんだよ

こんなふうに区切って解釈するのが一般的です。ちなみにこれは『傷寒論』の第一条です。わかりやすいと思う解説書を選んでみてください。

最初は大まかに理解する


第一条の例でいうと「太陽の病」って何だろうと思ったら、いきなりストップしてしまいます。「太陽の病」を知っていることを前提に書き出しています。これは一例に過ぎません。解説書も太陽の病を詳しく説明していないかもしれません。ですので「そういうのがあるんだなぁ」くらいの感覚で読んでいかないと、いつまでも読み終わりません。

わからなくても、何度も読んでみる方が大切だと思います。「そんなんじゃ役に立たないじゃないか?」と思うかもしれませんが、最初に書いたとおりすぐに役立つ読み物ではありません。


い錣らない所は気にしない


解説を読んでも、何を言いたいのかさっぱりわからないなんて珍しくありません。私もほとんどわかりません。むしろ、わかった気になる方がよくないと思います。そもそも解釈は複数あるのが普通なので、どれが正しいのかわからないのです。

怒る人がいると思いますが、私はわからないまま読み進めるのが古典だと思います。少なくとも、臨床を軸にしている鍼灸師にとって結論を出すことは重要ではありません。実用書として読むわけではないので、わからなくてもよいのです。


セ代の違いを意識する


たとえば「寒邪」という言葉がありますが、「邪」という言葉が使われていてもオカルト的な意味はありません。「邪が体内に侵入する」という言葉は、菌やウイルスに感染すると理解すべきです。電子顕微鏡はおろか顕微鏡すらない時代ですから、見えないものが多かったので、このように表現するほかなかったのです。

こういう時代の差を無視して、菌でもなくウイルスでもない「邪」をイメージすると、途端にオカルト的になってしまいます。古典が書かれた時代は呪術と決別しているので、科学的視点で古典を読むことが大切であると考えます。


Ψ桧佞亙Г辰討眇鯒劼呂靴覆


古典は聖書のような教典ではありません。ですから、古典に書いてあることを信じる必要はありません。古典を疑う姿勢は古典への裏切りでも東洋医学の否定でもありません。むしろ、批判的精神を失ったら医学の立場ではなくなります。疑いの気持ちがなければ読まない方がよいとさえ思います。

紛れもなく、この時代に鍼灸があるのは古典があったからです。古典を拠り所に鍼灸が存続してきたのです。途中、何度も伝統は途切れてきましたが、古典があったから復古できたのです。

こうした意味で古典には最大の敬意を払うべきです。古典の存在を否定することは誰一人としてできません。それと古典に真実があるかどうかは別の話です。現代の医学書を想像してもらうとわかると思いますが、今の常識がそのまま100年後の常識として残るとは考えられません。その時代のベストが医学書に記されているのです。


必須ではないが無駄でもない


勇気をもって書くと、古典を読んでも臨床力に直結しません。完全に意味がないわけではありませんが非効率です。現代の書物から学ぶことに時間を使う方が比べるまでもなく有利です。少なくとも古典を知らなければ鍼灸ができない、ということは絶対にありませんし、古典を読んでいる鍼灸師の方が成績がよく高収入であるという相関もなさそうです。
古典を学ぶのは最後でよいのではないでしょうか。もちろん「読むのが好きで...」と趣味的な意味合いの場合は別です。スキルアップのためという意味であれば後回しにすべきでしょう。古典を読んでいないものは東洋医学を語るべからずなんてかたい話はスルーしてよいと思います。東洋医学をきれいにまとめた本が山ほどありますので、飽きるほど読んでからの方がよいと思います。

では、古典を読むことは無駄なんでしょうか。個人的はそうは思いません。ロマンチストだと思われてもかまいませんが、1000年前、2000年前の人とつながれるのは古典を読んでいる人だけです。自らの体験と古典の原文が一致したとき、時空を超えて何かとつながったような感覚に包まれます。

個人的には、経絡理論ができるまでの過程に興味があります。古代の人の何を見て何を思い、経絡理論にたどり着いたのかを考えて読むとミステリー小説のように楽しめます。


┣鮴盻颪脇瓜に3冊以上


まず何から読めばいいのかという問題があります。鍼灸師であるならば『黄帝内経霊枢』が定番でしょう。おすすめしないのは『難経』です。難経は文字通り難解ですし抽象的な話ばかりなので、やめた方がよいと思います。しかしながら、やたらと日本の鍼灸家は難経が好きなようです。想像ですが、昭和の初期にできた「経絡治療」の影響が大きいでしょう。『難経』の「六十九難」が理論の基盤となっているからです。

もし『難経』から始める場合は、3冊以上を同時に読むことを絶対におすすめします。内容が抽象的であるため解釈が自由です。極端な言い方をすればどう解釈しても正解になるのです。古典を読んだと思ったら、書いた臨床家の思想を読まされていたということが起こるのです。

おすすめしたいのは『傷寒論』です。

「それって漢方薬の本でしょ?」とお気づきの方もいると思います。そうなのです。薬の処方が記されているものです。鍼灸師に関係ないと思われると思われるかもしれませんが、最後までお付き合いください。

おすすめする理由は2つあります。

ひとつめの理由は短いこと。2000字しかありません。
目を通すだけなら1時間もかかりません。

ふたつめの理由は、どんな症状のときに何をすべきかが具体的であること。東洋医学がイメージの世界ではないことがよくわかります。また、漢方薬の処方の原理を知ることもできるので、患者さんが飲んでいる漢方薬がどんな作用を持つのか理解できるようになります。ですから実用性が高いのです。

傷寒論であればおすすめしたい本があります。私が読んだ解説書の中で一番読みやすくわかりやすいです。この記事もこの本を参考にしながら書きました。鍼灸師が書いた本ではなく医師が書いた本です。古典の怪しさをいっさい感じることはありませんし、解説も現代人の感覚で理解しやすいように工夫されています。

最初の一冊としていかがでしょうか?





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yoki at 09:26│Comments(0)
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