東洋医学(中国医学)

2022年08月15日

気自然エネルギーという言葉を使わない理由



昨日、このようにツイートしました。内容も理由もそのままなのですが、説明を加えようと思います。このツイートの前提として、鍼灸師が、ゝぁ↓⊆然、エネルギーを使うことが日常的だということをお伝えしようと思います。もちろん、すべての鍼灸師が使っているわけではありませんが、珍しくありません。

私がこの言葉を使わないのは、この言葉に頼ると自分の成長が遅くなると考えているからです。こうした言葉は意味が広く解釈が自由ですから、どんな場面にもうまく当てはまってしまうのです。説明したような気分になれますし、聞く側もわかったような感覚になります。

であるならば使えばよい、という意見が当然あるでしょう。ただ、その考えがヤバイのです。このヤバイもかなり便利な言葉です。ここでは「まずい」という意味です。

やばい

こんなにたくさん意味があります。文脈や言い方で使い分けられる日本人はヤバイ(すごい)です。便利だから、細かいこと言わずにいつも「やばい」で済ませてしまえばいいじゃないか、という考えることもできますが、それでは表現に深みがありません。その時に適した言葉を選べる方が品格も生まれますし、誤解されにくいと言えます。

患者さんとのコミュニケーションにおいて、伝わらないことは仕方ないと処理できる場面があっても、誤解は仕方なくありません。患者さんが誤解するのは100%私たちが原因です。

ゝぁ↓⊆然、エネルギーのような意味の広い言葉を使わないと自身に制約をかけておくことで、語彙探しが習慣になります。



質問にお答えしようと思います。

ここまで読んでいただけたらお分かりかと思うのですが、「ヤバイ」を単一の言葉に置き換えられないように´↓も置き換えることができません。それでは答えにならないので、例を考えてみました。

たとえば「気の巡りをよくしましょう」と言いたかったとしましょうか。

患者さんが精神的に落ち込んでいるようであれば「気分転換に朝の涼しい時間に散歩するのはどうでしょうか」という具体的な提案になることがあります。

また、登山の疲れで体が重いようでしたら「ぬるめのお風呂で疲れが抜けそうですね」と、具体的に提案します。

鍼治療をするならば、前者でしたら「呼吸が浅くなっていますので、広がるように胸の筋肉が緩むツボを使います」と言ったり、後者でしたら、下半身の疲れが取れやすいように足の付け根をやわらかくして血液やリンパを通りやすくしておきましょうか」というパターンがあると思います。あくまでも例なので、その場にあった具体的な言葉を選んでいくようにしています。

便利な言葉であればあるほど「使わない」と決めたときに工夫が生まれます。もちろん、使ってはいけない言葉ではありません。ここに書いたことは、あくまでも個人的なもので、ひっそりと自分に課しているルールですので「そういう考え方もあるのね」くらいに受け取っていただけたら幸いです。

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2022年05月08日

ぶっちゃけ古典の勉強は役立つのか




ー騨兔颪箸靴憧待しない


古典を読んだからといって、突然臨床力がアップすることはあり得ません。小説を読み始めたからと言って、人の心理や人生観が突然わかるということがないのと同じです。古典は読むと臨床に深みが出てくるかもしれませんが、深みというものは長年かけて出るものですから、即効性はありません。

超ベテランの先生が「古典を読みなさい」と言いたい気持ちはよくわかります。古典を知らないま鍼灸師人生を終えてしまうことがもったいないと思っているのでしょう。私も基本的には同じ意見です。ただ、若手には古典ではなく実用的なものをすすめています。

まずは、深みより食べていくために必要なスキルを身につけなければ深みを味わう前に、退場させられてしまいます。深みをつけるのは、安定した収入が得られるようになってからでも遅くはないと考えています。

古典を読むなら、趣味の枠を使った方がよいでしょう。自己投資の感覚で古典を読むことに時間を使うのはリスクが高すぎます。

△いなり原文を読まない


「原文を読みなさい」とおっしゃる先生がいますが、私はいきなり原文から入るのは反対です。原文も添えてある解説本がたくさん出版されていますので、解説本から入る方がよいです。古典は漢文です。句読点がありません。どこで区切って読むかだけでも大変ですし、専門家でも意見が分かれるところがあります。

太陽之為病脈浮頭項強痛而悪寒

なんて書かれていると、わかりにくいですよね?

【太陽之為病】 太陽の病はね
【脈浮】    脈が浮いて
【頭項強痛】  頭痛とうなじのこわばりがあって
【而悪寒】   悪寒がするんだよ

こんなふうに区切って解釈するのが一般的です。ちなみにこれは『傷寒論』の第一条です。わかりやすいと思う解説書を選んでみてください。

最初は大まかに理解する


第一条の例でいうと「太陽の病」って何だろうと思ったら、いきなりストップしてしまいます。「太陽の病」を知っていることを前提に書き出しています。これは一例に過ぎません。解説書も太陽の病を詳しく説明していないかもしれません。ですので「そういうのがあるんだなぁ」くらいの感覚で読んでいかないと、いつまでも読み終わりません。

わからなくても、何度も読んでみる方が大切だと思います。「そんなんじゃ役に立たないじゃないか?」と思うかもしれませんが、最初に書いたとおりすぐに役立つ読み物ではありません。


い錣らない所は気にしない


解説を読んでも、何を言いたいのかさっぱりわからないなんて珍しくありません。私もほとんどわかりません。むしろ、わかった気になる方がよくないと思います。そもそも解釈は複数あるのが普通なので、どれが正しいのかわからないのです。

怒る人がいると思いますが、私はわからないまま読み進めるのが古典だと思います。少なくとも、臨床を軸にしている鍼灸師にとって結論を出すことは重要ではありません。実用書として読むわけではないので、わからなくてもよいのです。


セ代の違いを意識する


たとえば「寒邪」という言葉がありますが、「邪」という言葉が使われていてもオカルト的な意味はありません。「邪が体内に侵入する」という言葉は、菌やウイルスに感染すると理解すべきです。電子顕微鏡はおろか顕微鏡すらない時代ですから、見えないものが多かったので、このように表現するほかなかったのです。

こういう時代の差を無視して、菌でもなくウイルスでもない「邪」をイメージすると、途端にオカルト的になってしまいます。古典が書かれた時代は呪術と決別しているので、科学的視点で古典を読むことが大切であると考えます。


Ψ桧佞亙Г辰討眇鯒劼呂靴覆


古典は聖書のような教典ではありません。ですから、古典に書いてあることを信じる必要はありません。古典を疑う姿勢は古典への裏切りでも東洋医学の否定でもありません。むしろ、批判的精神を失ったら医学の立場ではなくなります。疑いの気持ちがなければ読まない方がよいとさえ思います。

紛れもなく、この時代に鍼灸があるのは古典があったからです。古典を拠り所に鍼灸が存続してきたのです。途中、何度も伝統は途切れてきましたが、古典があったから復古できたのです。

こうした意味で古典には最大の敬意を払うべきです。古典の存在を否定することは誰一人としてできません。それと古典に真実があるかどうかは別の話です。現代の医学書を想像してもらうとわかると思いますが、今の常識がそのまま100年後の常識として残るとは考えられません。その時代のベストが医学書に記されているのです。


必須ではないが無駄でもない


勇気をもって書くと、古典を読んでも臨床力に直結しません。完全に意味がないわけではありませんが非効率です。現代の書物から学ぶことに時間を使う方が比べるまでもなく有利です。少なくとも古典を知らなければ鍼灸ができない、ということは絶対にありませんし、古典を読んでいる鍼灸師の方が成績がよく高収入であるという相関もなさそうです。
古典を学ぶのは最後でよいのではないでしょうか。もちろん「読むのが好きで...」と趣味的な意味合いの場合は別です。スキルアップのためという意味であれば後回しにすべきでしょう。古典を読んでいないものは東洋医学を語るべからずなんてかたい話はスルーしてよいと思います。東洋医学をきれいにまとめた本が山ほどありますので、飽きるほど読んでからの方がよいと思います。

では、古典を読むことは無駄なんでしょうか。個人的はそうは思いません。ロマンチストだと思われてもかまいませんが、1000年前、2000年前の人とつながれるのは古典を読んでいる人だけです。自らの体験と古典の原文が一致したとき、時空を超えて何かとつながったような感覚に包まれます。

個人的には、経絡理論ができるまでの過程に興味があります。古代の人の何を見て何を思い、経絡理論にたどり着いたのかを考えて読むとミステリー小説のように楽しめます。


┣鮴盻颪脇瓜に3冊以上


まず何から読めばいいのかという問題があります。鍼灸師であるならば『黄帝内経霊枢』が定番でしょう。おすすめしないのは『難経』です。難経は文字通り難解ですし抽象的な話ばかりなので、やめた方がよいと思います。しかしながら、やたらと日本の鍼灸家は難経が好きなようです。想像ですが、昭和の初期にできた「経絡治療」の影響が大きいでしょう。『難経』の「六十九難」が理論の基盤となっているからです。

もし『難経』から始める場合は、3冊以上を同時に読むことを絶対におすすめします。内容が抽象的であるため解釈が自由です。極端な言い方をすればどう解釈しても正解になるのです。古典を読んだと思ったら、書いた臨床家の思想を読まされていたということが起こるのです。

おすすめしたいのは『傷寒論』です。

「それって漢方薬の本でしょ?」とお気づきの方もいると思います。そうなのです。薬の処方が記されているものです。鍼灸師に関係ないと思われると思われるかもしれませんが、最後までお付き合いください。

おすすめする理由は2つあります。

ひとつめの理由は短いこと。2000字しかありません。
目を通すだけなら1時間もかかりません。

ふたつめの理由は、どんな症状のときに何をすべきかが具体的であること。東洋医学がイメージの世界ではないことがよくわかります。また、漢方薬の処方の原理を知ることもできるので、患者さんが飲んでいる漢方薬がどんな作用を持つのか理解できるようになります。ですから実用性が高いのです。

傷寒論であればおすすめしたい本があります。私が読んだ解説書の中で一番読みやすくわかりやすいです。この記事もこの本を参考にしながら書きました。鍼灸師が書いた本ではなく医師が書いた本です。古典の怪しさをいっさい感じることはありませんし、解説も現代人の感覚で理解しやすいように工夫されています。

最初の一冊としていかがでしょうか?





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2022年02月23日

日本鍼灸の地図帳


前回に引き続き、日本鍼灸の歴史についてです。歴史より臨床で使えるツボが大事だよと思う方も、この機会にぜひお付き合いください。患者さんに説明するときも、役立つと思いますよ。

今回は私のオリジナルではなく、松田博公先生の講義からの切り抜きです。

ソースは、東京都鍼灸師会の「令和3年度第5回東京都委託施術者講習会 松塾スペシャル」の講義です。私は会員ではないのですがYouTubeに公開されている動画ですので、リスペクトを込めて紹介します。私が個人的に「ここ大事!」と思ったことをいくつか取り上げていきます。

YouTubeは、頭出しをしてあるのでツイート部分の内容がすぐに出てきます。


日本鍼灸は昭和の初期に誕生した




中医学は中国の国家戦略で世界標準化を目指している




江戸時代は鍼灸の全盛期ゆえに論争も過激!?




富国強兵の中で虐げられた東洋医学




法律では医業なのに、なぜか医業類似行為扱い




経絡は身体の中に設定された12の旋律







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2022年02月14日

日本鍼灸の心は江戸にあり


江戸時代の鍼術はすごかった


日本の鍼灸の最盛期は江戸時代でした。江戸時代の流儀書はたくさん残されており、学生時代は放課後に図書室でオリエント出版のものを読んでいました。高価なので鍵付きの棚に入っていました。毎回司書さんにお願いして開けてもらっていました。江戸の流儀書を読むには最高の環境だったと思います。

杉山真伝流


江戸の流派でもっとも有名なのは、杉山真伝流です。日本独自の管鍼法を広めた流派として有名で、鍼灸師でその名を知らない人はいません。内容となると、鍼灸師のほとんどがわかりません。杉山真伝流宗家○代目、という継承者がいるわけではありません。



他にも、吉田流鍼術、匹地(ひち)流鍼術、入江流鍼術、多賀流鍼術、夢分流などが有名で、流儀書などの記録が残っていないものがあるでしょうから、その数を正確に把握することはできません。明治時代になると、政府は医学を近代化しようと伝統的な医学を排斥しました。明治維新は歴史ドラマで人気のある時代ですが、影で苦しい境遇に遭っていたのは鍼灸や漢方薬です。ほとんどの流派の継承は途絶えたのです。


伝説の鍼灸家、澤田健


大正時代になって途絶えた医学を取り戻そうという動きが芽生えます。先陣を切ったのが澤田健です。鍼灸師でこの名を知らない人はいない伝説の鍼灸家です。澤田健の鍼灸は後に澤田流と呼ばれるようになっています。

ただ、本人が流儀書のような書物を残していないため、弟子が付けていた臨床記録(『鍼灸眞髄』)から、推測するしか術がありません。いろいろな意見があるでしょうが、完全な継承は行われませんでした。そもそも、澤田健に流派として遺そうという意志がなかったと思います。


経絡(けいらく)治療の誕生


澤田流のあと登場したのが柳谷素霊です。この人物も伝説の鍼灸家で鍼灸師で名を知らない人はいません。澤田健と柳谷素霊は野球界でいうと、王、長島のONクラスです。

柳谷素霊が澤田健と大きく違うのは、出版をしたり組織をつくったことです。弟子たちが、古典医学の復古を願ってつくったのが経絡治療という方法です。昭和16年のことです。経絡は『黄帝内経霊枢』の時代からある古典的な理論です。ツボは経絡に沿ってあるというものです。江戸時代からの継承が途絶えて「鍼は痛いところに刺す」程度のものに成り下がっていたので、経絡理論に基づいて西洋医学に負けない理論をつくろうとしたのです。

経絡治療が重視したのは、手首にある橈骨動脈の拍動を診る、脈診という方法です。経絡治療では6つのエリアに分けて診る方法が採用され「六部定位脈診」と呼ばれています。




戦後の鍼灸


戦後は、鍼灸も近代化を急ぐようになりました。古典医学というより、物理療法の一つとしての位置づけが生まれました。たとえば、皮電点、良導点、圧診点などです。電気を使った機械で診断する動きが活発になります。「鍼+電気」という組み合わせは古典的鍼灸にはなかったわけですから、大きなインパクトをもたらしました。以降、電気を用いるスタイルが生まれました。電気を使う鍼と使わない鍼に優劣はありません。


中医学という黒船


中国においても、伝統医学の見直しが行われました。毛沢東の「伝統医学の復興」という号令のもとに生まれたのが中医学です。1972年から世界に向けて発信されました。

この中医学は日本の鍼灸学校で教える東洋医学の中核に位置づけられています。理路整然としているため、教育の中に組み込みやすいからです。そもそも、そうしやすいように国家事業として戦略的につくったものです。

伝統医学というと、数千年の継承があるかのように想像が膨らんでしまいますが、古典の知恵を現代に活かそうという復古運動がもたらしたもので近代史に属するものです。


経絡治療を学んだ時代


私は、学生時代に経絡治療を学んだ経験があります。クラスメイトから「よさそうな勉強会があるよ」と言われたのがきっかけです。経絡治療の勉強会グループ(確か4〜5名)が結成され、毎月1回経絡治療の勉強会に行って、実習室で練習をしていました。

経絡治療の理路整然としていて感動していました。脈診にも憧れていて、授業中は自分の脈を取って変化を観察していました。脈診を極めたらカッコイイだろうなぁと空を見上げる20代でした。

経絡治療の勉強と並行して他の勉強会にも顔を出すようにしていました。その中の一つに中医学がありました。気持ちが中医学に傾き、経絡治療はやめてしまいました。脈診はスタイルが違うものになりましたが、続けていました。その後、中医学もやめてしまったので、今の私にはどちらも語る資格がありません。


鍼を操るテクニック


やめてしまったとはいえ、私の刺鍼技術の基礎は経絡治療にあります。

経絡治療を行う鍼灸師は細くて柔らかい鍼を好みます。ステンレス合金よりも、柔らかい銀の鍼もあります。私も使っていました。細くて柔らかい鍼は受け手にもソフトに伝わります。やさしい印象があります。経絡治療に参加していた鍼灸師も温和な人ばかりでした。

銀の鍼は、柔らかいので扱いが難しいです。ちょっとでも扱いが雑になると曲がってしまいます。ステンレスよりも摩擦も強いので、刺入するときには精度が要求されます。

鍼の基本操作を学ぶには銀の鍼はもってこいですが、時代の流れで銀の鍼を使う鍼灸師が減るいっぽうです。私も使っていません。

鍼メーカーも刺入しやすい鍼を開発しているので、鍼灸師の刺鍼テクニックは昔ほど必要ないのかもしれません。スルスルと刺入出来るようになっています。とはいえ、テクニックの差は確実に存在します。


道具を愛する心


最近の鍼は使い捨てが主流です。決められた滅菌処理をすれば、感染のリスクはありませんが「使い捨て以外の鍼はNG」という方ばかりです。私が使う鍼はすべて使い捨てです。

今でも職人の鍼を使っている鍼灸師がいると思うので、誤解のないように繰り返すと、使い捨てでなくても滅菌処理したものは安全です。

経絡治療の時代は、(使い捨てではない)細い鍼管を愛用していました。鍼管とは、鍼を刺すときに使う管のことです。鍼管が細いほど狙ったツボに当てやすいからです。使い捨ての鍼を使うときも細い鍼管を選びたいのですが、トレンドは太めの鍼管です。

「なんで太いのばかりなんだー!」

と怒ったところで「太い方が売れる」というメーカーの判断があるので仕方ありません。一介の鍼灸師ではメーカーも耳を傾けてくれません。

私も少しずつ影響力が持てるようになってきました。主催する勉強会グループが200人になりました。所属している鍼灸師のみんながメーカーに働きかけてくれて、私の声がメーカーに届くようになってきました。

昨年の9月から細い鍼管が発売されました。私の要望が盛り込まれたその鍼管は、経絡治療を学んでいた頃に愛用していた細鍼管がモデルとなっています。

ディスポーザブルの細鍼管

開発秘話を知りたい方はこちらの記事をお読みください。



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2021年12月15日

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東洋医学の「曖昧さ」が好きな鍼灸師と嫌いな鍼灸師


鍼灸師の間でも、「東洋医学 vs 西洋医学」みたいな構図があります。しかし対立するほど過激な関係ではなく「あっちとは違う」と互いに思っているような程度です。

鍼灸学校に入学すると、東洋医学の時間があります。経絡(けいらく)や中医学の理論を学びます。もともと、鍼灸は経絡と共にデビューしたようなものですから、鍼灸を学ぶ上で経絡は切り離せません。いっぽう、中医学は古典医学を現代医学から理解しやすいように整理して生まれた近代の理論です。

私が興味深いと思っているのは、東洋医学が好きな鍼灸師と、東洋医学が嫌いな鍼灸師は、その理由が同じであることです。

その理由とは「曖昧さ」です。これは、 巍K罎世ら処理できる人」と◆巍K罎世ら処理できない」人に分かれるのではないかと考えています。

こうも言えるのではないでしょうか。

,蓮意味を自分の中で作りたい人
△蓮意味を誤解なく理解したい人

どちらも、感覚的には真理に近づきたいと考えているように思います。ですから、どちらも、ホンモノを追求したいという欲求があります。ホンモノであるという裏付けを,麓分の中に求め、△麓分の外にも求めているという違いなのでしょう。

私は完全に△離織ぅ廚任后それをはっきり表に出しているので,離織ぅ廚麗灸師からはどうも好かれていないようです。,凌佑砲靴討澆譴弌↓△鮗臘イ垢觧笋魯離ぅ困世らです。自分が感じている価値を否定されたら誰も嫌な気持ちになります。

もちろん、誰かを嫌な気持ちにさせたくて△領場をとっているのではありません。,諒も大切にしています。文学やアートでは,重要だと思っています。


文学の価値、鍼灸の価値を並べてみると


文学やアートの答えは受け取る側にあります。それぞれが感じたものの中から価値を発見できます。価値基準はいくつあってもよいのです。

「I LOVE YOU」を「月が綺麗ですね」と訳したという夏目漱石の都市伝説が有名ですが、読み手が価値を創造した典型例です。こういう話は好きです。意味を自分の中でつくるのは楽しいです。

こうしたパターンは鍼灸においても見られます。「価値は患者さんが決めるもの」という考え方です。受け手が感じたものが価値という考えです。

一見すると正しいのですが、鍼灸は文学ではありません。医療として考える必要があります。たとえば、甘くて美味しい薬と苦くて不味い薬があったとします。

多くの人は、甘くて美味しい薬を選んでしまうでしょう。しかし、薬の価値は「美味しさ」では決められません。味がついているなら「飲みやすいように」という配慮です。医師や薬剤師が効果や副作用を説明するからこそ、薬の本当の価値を理解できるのです。

鍼灸にも配慮があります。心地よい施術室、施術者の笑顔などがそうです。しかし、そういった要素と鍼灸の価値は分けて考えなければいけません。配慮のある鍼灸院の方が患者さんが多くなるでしょうが、ここでは「患者さんの数=鍼灸の価値」という考え方はしません。


海底ケーブルの価値を評価できますか?


鍼灸の価値には見えないものがあり、患者さんがすべてを評価できないのです。たとえば、インターネットの通信速度は誰でも評価できますが、海底ケーブルに使われている素材の評価は専門家でなければできませんよね。ほとんどの人が考えませんが、耐久性のある素材が通信速度という価値を支えているわけです。

「患者さんが価値を決めるもの」という主張には、こうした見えない価値の存在が軽視されているように思うのです。「患者さんウケ=鍼灸の価値」という主張には疑問があります。鍼灸はアートではないからです。アートの要素はあっても、アートそのものではありません。

鍼灸にも、海底ケーブルの素材のように、わかる人にしかわからない確かな価値があるのです。そして、その価値を創造できるのは鍼灸師だけです。

施術を患者さんが評価するのは当然ですが、鍼灸の価値の評価を患者さんに丸投げするのは違うのです。「患者さんの評価がすべて」という言い方はとても聞こえがよいのです。私は受け入れられません。「売れるものが正解」は市場原理としては正しいと思いますが、医療倫理で考えると必ずしもそうではありません。

患者さんが集まらなければ職業として成り立ちません。だから、「鍼灸師は人気商売だよ」という意見は間違いではありませんが、それだけが価値基準になってしまうと、売上が鍼灸師の価値を決めるようになってしまいます。

けっして、人気で勝負したらいけないという意見ではありません。何の努力もしなければ人気も出ませんから。ただ、人気と価値はイコールではないという見方をしておかないと、鍼灸師として大切なものを見失ってしまうと危惧しています。


倫理観に根ざした鍼灸の価値


わかりやすく説明するために、たとえ話をします。糖尿病の人に医師が糖質制限を行うのは倫理観が働いているからです。

たとえば、患者さんの要望が正解なら、甘いものが食べたいなら「どんどん食べましょう」でよいはずです。しかし、そうしないのは「病気が悪化して死んでしまったらいけない」という考えがあるからです。これは社会の中にある標準的な考え方です。これを倫理といいますが、この倫理は絶対ではありませんから時代は社会状況によって変化するものです。個人の強烈な考えに揺さぶられることもあります。

「倫理観とは何か」と調べてみたら、「社会での善悪の判断の基準となる考え方」とありました。個人より社会を優先した考え方です。この倫理をとても重んじるのが医療です。医療に関わるものが、それぞれの趣向や価値観を出し過ぎてしまうと、何が正解かわからなくなります。仕組みが作りにくく、チームが混乱してしまいます。

医療とは個人的なものではなく社会的なものです。対極にあるのは「母の手」だと思います。個人的な関係の中から生まれる癒やしです。

このように考えると、鍼灸を医療と考えるなら倫理を重視することが必要です。社会と照らし合わせながら正解を探していく行為です。いっぽう、癒やしと考えるなら個人の関係の中に正解を求めていけばよいのです。

鍼灸には、医療の側面と癒やしの側面があります。私は医療としての鍼灸を追求したいので、倫理観というものを大切にしています。そして、この立場から鍼灸の価値を高められるよう努めていきます。

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