鍼灸院経営

2026年07月22日

鍼灸はファン化ビジネスでよいのか

前回の記事「なぜ“あの先生”が選ばれるのか」のつづきです。


鍼灸はファン化ビジネスでよいのか?


鍼灸を医療のインフラと考えるのであれば、どこに行っても同等の効果があるのが理想です。合理性を追求すればするほど、属人性が希薄になります。優秀なカリキュラムほど希薄化を推し進めます。私がセミナーのカリキュラムを強化するほど属人性の希薄化を招くわけです。

経営の話題になると、鍼灸は「ファン化ビジネス」と分類されることがあります。「差別化」なんていう言葉もよく登場します。これは属人性を濃縮する方向性です。

つまり、私が行っているような技術系セミナーでは属人性の希薄化を促し、集客的には属人性を濃縮する方向になりやすいのです。

この辺のところは丁寧に考えた方がよいところです。当然ながら、セミナーで技術を磨く人は、その腕で多くの患者さんの役に立ちたいと思っているわけですから、噛み合わなくなってしまいます。シンプルな言い回しをすれば、技術を磨いているのに患者さんが増えていかなかったら悲しいわけです。

周囲を見渡せば「〇〇式」で溢れています。セミナーで習得した技術に独自の名前をつける、というのは属人性を濃縮させる簡単な方法だからです。「〇〇」に自分の名前をつければ、その方法における第一人者となれるからです。第一人者というポジションは属人性の最たるものです。誤解のないようにお願いします。「◯◯式」でやりましょうという話ではないのです。もっと気持ちのよいやり方を探したいのです。

結論に向かって書き進めますので、もう少し私の話にお付き合いください。


横方向に展開して成功する


ある日、SNSにこんな内容の投稿がありました。「◯◯(地域)にお住まいの患者さんを紹介したいのだけど、その地域で腕の良い先生を知らない」と。この投稿が目に入ったとき、その地域でご活躍の施術者はよい気分でいられなくなるだろうな、と思いました。どこの地域にも腕のよい施術者はいるのですが、つながっていなければ評判は耳に入ってきません。

円滑に紹介し合える関係はインフラとして機能します。紹介をすることもあれば、紹介をされることもある、そういうお互い様は経営にとってもプラスです。言い換えれば同業者から信用を得るという戦略です。私はこれを横方向の展開と言っています。自らの資金で店舗展開するのも横方向の展開ですが、そうなると鍼灸施術に専念できなくなります。臨床家であり続けたいという鍼灸師にとって、同業間のネットワークは経営の味方です。

この同業間のネットワークづくりをフォローできるのがセミナーです。


キレイゴトを言って成功する


セミナーの受講者には、たくさん稼いでほしいと心から願っています。「そんなのはキレイゴトだ!」と言ってもかまいません。どう思われても、売上が増えた受講者さんはまたセミナーに足を運んでくれますから、キレイゴトがこのビジネスの正解です。

無料セミナーはどうなのでしょうか。中にはずっとボランティアで後進育成をされている先生もいらっしゃいます。私は無料では続けられません。会場代や講師やスタッフの費用を負担し続けることはできないからです。セミナーを継続させていくには有料が条件です。

用具メーカーが行うセミナーはフロントエンドですから低料金であることが多いです。私のようにセミナー単独で利益を上げる必要がある会社からしてみたら脅威です。ですので、学びを深めていける環境と、喜びを分かち合える仲間づくりをお手伝いする、というこれまたキレイゴトを整えていくことが重要になってきます。

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2026年05月06日

経営危機の中であえて崖っぷちを選ぶ理由

今回は経営危機の第三弾です。第一弾、第二弾をお読みでない方はそちらもぜひ。

1 「根拠のない自信と患者ゼロの日々」(4/16)
2 「技術を教えたら辞めていく鍼灸院の厳しい現実」(4/18)

本題に入る前に、知っておいてほしいことを書きます。最近ではSNSを軸に日本中の鍼灸師が情報を発信していますが、そういうところで目に入る鍼灸師は生き残り組なんです。もちろん、活躍している鍼灸師がすべてSNSに力を入れているわけではありませんので、知る人ぞ知る鍼灸師がいたりします。

鍼灸師になった全員が鍼灸師として活動できるわけではないというのが現実です。

2つ前の記事に書いたような「患者ゼロ経験」は特別なものではなく、多くの鍼灸師が遭遇し得るものなのです。平均的な鍼灸師は食べていけません。フツーに鍼灸師をしようと思っても、フツーでは及第点に届かないのです。

ここから先は、私がどうやって「フツー」を捨てたのかというお話です。


緊急事態宣言


努力だけではどうにもならない状況があります。あの新型コロナウイルスがそうでした。容赦なく私の努力をぶっ壊していきました。若い鍼灸師に「あの頃大変だったんだよ」という話をすると「あのときは高校生でした」なんて返ってきて、時代の流れは速いなぁと思います。

コロナ禍が始まった2020年、うちには3人の新人がいました。前回の記事で書いた通りスタッフが引き抜かれてしまったので新たに雇い入れたのです。新しいスタッフを育てて新体制をつくろうとした矢先、緊急事態宣言が発出されました。「不急不要の外出は避けましょう」となったあれですね。

新人はすぐに戦力になりませんから、人件費の負担だけが重くのりかかります。「ソーシャルディスタンス」という言葉がメディアに溢れるほど患者さんは減っていき、半分以下になりました。

その頃は採用を見直す企業が多発していました。うちは採用を取り消すことはしませんでした。というよりスタッフが流出してしたので、取り消す方がリスクが高いと考えたのです。問題は財源です。

売上は悲惨でした。目も当てられなくなったのはセミナー事業です。鍼灸院経営の他にセミナー運営をしていたのですが、開催ができる状況ではなくなり、中止、中止、中止。


二度目の借金


ここで私を突き動かしたのはあの言葉です。

「銀行は晴れた日に傘を貸し、雨の日に傘を取り上げる」

残高が減ってからでは遅いのです。大丈夫なうちに備えなければと、政策金融公庫と地元の銀行に相談に行きました。そして借りられるだけ借りておいたのです。3年間は利子の返済が免除されるという特別措置があったので、借りる以外の選択肢は頭にありませんでした。

ここで勝負に出ました。

品川の鍼灸院(カポス)を移転させることにしたのです。移転と言っても、同じ品川駅の徒歩圏内に。ここで大きな額が出ていくことになりました。移転することにしたのは、セミナー会場を確保するためでした。セミナーがあるときだけ借りていた会議室が、コロナ禍の煽りを受けてなくなってしまったのです。コロナ禍が明けたとき、セミナーを再開しようと思っても会場がなければできません。「いつか」に備える投資として、セミナー会場としても使える物件に移ろうと思ったのです。広いところが必要ですので家賃が上がるのは覚悟の上で。

よい物件と出会うには最高のチャンスでした。テレワークという言葉が飛び交う時期だったので、空き物件が増えていて探しやすくなっていたからです。

と言ったところで人材不足の難は消えていません。前回の記事に書いた通り、スタッフがいっせいに辞めていたからです。品川で残っていたスタッフは鍼灸師が一人と学生のバイトが一人。

撤退という安全牌を無視して、群馬で研修を終えたスタッフが行くまで耐えてほしいと願っていました。最悪な結果となりました。品川に送り込む予定だった新人スタッフがメッセージを残して辞めていったのです。「君は何のために10か月も研修を受けていたんだ?」という疑問と向き合っている余裕なんてありません。

マ、マズイ…


救世主現る


神は私を見捨てませんでした。即戦力が2つも向こうからやってきたのです。一つ目は、整動鍼セミナーの受講者の石井くんが入ってくれて3か月の研修のみで即戦力になってくれたことです。

この3か月が短いかどうかは意見があるところだと思います。鍼灸院によっては新人鍼灸師が1か月もしないうちに現場デビューするところもあります。業務内容によってまちまちなので、標準を定めることはできません。うちでは半年〜1年くらいを目安にしているので、石井くんは赤い彗星シャアのように3倍くらいのスピードでした。石井くんとは、カポスの副院長の石井佑のことでダブルエースのうちの一人です。

二つ目の即戦力が楠さんです。石井と同様に副院長です。副院長を二人設定しています。品川の鍼灸院(カポス)には、副院長を二人設定しています。理由は単純です。患者さんが予約をする際に副院長でない方が担当になるとハズレ感が生じるためです。実力が拮抗していて料金に差もないので、どちらも副院長です。ちなみに院長は私です。週一回(金曜日)しか行っていないのですが。

話を戻しますね。

楠はもともと独立して音楽家に向けた鍼灸院をやっていたのですが、コロナ禍に飲み込まれてしまいました。無理もない話です。あの時期、コンサート、ライブなどの音楽活動は「不要不急」扱いされてしまっていて、音楽家のコンディショニングの需要がゼロに近いレベルでなくなってしまったのです。

その楠が合流することになったのです。総合的な鍼灸をやりながら、音楽家の需要回復を待つ作戦でした。しかも、楠は整動鍼のセミナーの受講者でもあったので、対象が音楽家でなくても対応できるので即戦力として申し分ありませんでした。前回の記事に書いた通り、多言語に対応できるという想定を超えた能力の持ち主です。

状況は階段を一歩一歩登るように回復していきました。それから数年が経ち、外国人の患者さんを積極的に受け入れられるようになり、石井も英語力の強化の真っ最中です。


組織運営の転機と学び


ここに書きづらい危機も何度もありました。

共同経営において、経営上の透明性に関わる問題が発生し、結果として関係を解消するに至ったこともあります。

また、学術団体の組織運営においても、中核を担う立場との間で、運営方針やコンプライアンスに関わる深刻な問題が生じ、体制の維持そのものが揺らぐ局面がありました。その経験を踏まえ、現在は目的や方針を共有しながら、それぞれが安心して力を発揮できる、無理のない関係性と組織づくりを大切にしています。


危機を選び続ける理由


ここまで書いて気がついたのですが、経営危機は自分から招いているとも言えるのです。リスクを取りに行っているのは私です。

だからといって行動を変えようとは思いません。

理由は簡単です。私は平凡な人間だからです。花もなければカリスマ性もありません。そんな私が鍼灸院を2つ経営し、学術団体まで運営しているのは、自分を常にギリギリに置いてきたからに他なりません。毎日を夏休み最後の日にすることで、本来の力を絞り出す環境を作ってきました。

環境が能力を引き出してくれたのだと思います。トキワ荘をご存知でしょうか。藤子不二雄、石ノ森章太郎、赤塚不二夫…など、著名な漫画家を数多く排出したアパートです。たまたま天才がここに集まったと考えることもできますが、天才が近くにいると、眠っている非凡なるものが開花してしまうのでしょう。

私にも非凡なるものが眠っているのなら、引き出せる環境に身を置くしかありません。鍼灸師の免許を取ったとき、鍼灸で食べていけるだろうかと最初から崖っぷちでした。攻めるしか選択肢がない状況だったのです。それは今も同じです。安全圏に身を置きたいと思っても、そんなところがあるように思えないのです。鍼灸師になってから安堵感を味わったことは一度もありません。たぶん、安堵感が訪れた瞬間に次の危機がやってきているのかもしれません。

今も、経営危機は続いています。この一文だけ切り取られてしまうと困りますが、自分の中に危機感が常駐しているからこそ、安心感に飢えることができます。安心感を切望するエネルギーが私の機動力ではないかと思います。

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2026年04月18日

技術を教えたら辞めていく鍼灸院の厳しい現実

前回の記事「根拠のない自信と患者ゼロの日々」では、スタート直後に遭遇した経営危機について書きました。実家の一室を利用して開業し、インターネットを介して患者さんがなんとかやってくるようになった私です。

だから怪しいって言われる


下の写真をご覧ください。私はここからスタートしました。画像が小さいのはお許しください。昔はダイヤルアップで接続する人のために画像はあえて小さくしていました。ダイヤルアップの速度がイメージできない人は、速度制限中のスマホとほぼ同等だと思ってください。

養気院の外観(実家時代)
入口(普通に実家の玄関の隣に強引に作ったもの)

養気院の待合室(実家時代)
待合室の椅子に座った目線から(これでもきれいに見せているつもり)

養気院の施術室(実家時代)
施術室(怪しさしかありません)

わかっていただけていると思いますが、自慢したくてこの写真を出しているのではないんですね。もちろん、若手に勇気と自信を与えるためです。これでも患者さんが来てくれたのですからすごくないですか?

「鍼灸を怪しいものにしたくない」などと普段から偉そうに語っている私ですが、その私が先頭に立って怪しさを広めていました。でも、誤解しないでください。この怪しさが経営危機を招いたのではありません。むしろ、自宅開業は固定費を低く抑えることができるので生存戦略としてアリという立場です。

スタッフが続々と去っていく


では、ここから本題に入っていきましょう。こんなふうにスタートとしたわけですが、それから16、17年が経つと、実家とは別に鍼灸院(2003年〜)を建て、東京に2院目の鍼灸院(2014年〜)を経営するようになっていました。

このあと廃業の一歩手前を経験するのです。舞台は品川でした。タイトルを読んで予想はされていると思いますが、スタッフが次々と辞めてしまったのです。

問題が起きたのは品川の鍼灸院が始まって3年が過ぎたあたりです。スタッフの一人が独立で退職、そこに引き抜きが重なり退職が連鎖したのです。引き抜きをしたのは独立したスタッフ。

退職前は遠い地で開業するという話だったのですが、直前で話が変わり、そんなに遠くないところになりました。患者さんもまるっと移動したので、うちの院の予約はスカスカに。

その後、群馬でも問題が起こりました。スタッフが家庭の事情で地元に戻らなければならなくなったのです。退職したあと、なぜか独立した元スタッフが開業した院で見慣れた名前がありました。

北海道の病院から声がかかって抜けた者もいました。引き抜きなんて珍しいことではないでしょうが、ここまでごっそりやられた人は私くらいじゃないでしょうか。

それで東京の鍼灸院に残ったのは一人だけ。もし一人も残らなければ閉院でした。まさに首の皮一枚。


退職の原因はコミュニケーション不足なのか


誰かに相談すると「コミュニケーション不足だね」と返ってきます。そうかもしれませんが、これを言われ続けると病みます。

この経験があるから、従業員が突然やめて困っている経営者に対して「◯◯が悪かったんじゃない?」なんて分析して伝えることは絶対にしません。自分を責めている人をさらに追い込むことになるからです。

もし相談するなら社労士さんをおすすめします。社労士さんは構造で問題を考えてくれます。従業員の立場も経営者の立場も理解しているので的確なアドバイスがもらえます。一方的に経営者が悪いって言わないと思います。


スタッフがやめる理由


構造で考えるとシンプルな答えが得られました。私の鍼灸院に就職したスタッフは整動鍼を学びたくて集まり、外には整動鍼を習得した鍼灸師を欲しがる人が多かったのです。「整動鍼ってなに?」って人はこちらからお願いします。

私は鍼灸院の経営と併せて技術系のセミナーを開催しています。ここでやっているものが整動鍼で、この整動鍼を習いたくて入社を希望する人が多くて、そういう人を採用していたのです。

整動鍼のマスターが目的なので達成したら離れていくのが自然な流れ。整動鍼をマスターしたあとも辞めずにいて欲しいなら、残ろうと思えるほど強い理由をつくる必要があったのです。

これは私だけの問題ではありません。教育して戦力になったと思った途端に独立してしまい、「何のための教育だったのか…」と力が抜けてしまった開業鍼灸師はいくらでもいます。院長一人の鍼灸院ばかりである理由はこのあたりにあります。

話は戻ります。この集団退職は序の口でした。本当の経営危機はこのあとやってきます。みんなが知っている、あの新型コロナがやってくるのです。売上がピークの8割減。さて、どうなるか…。次回、私は大きな決断をすることになります。

つづく…

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2026年04月16日

根拠のない自信と患者ゼロの日々

開業鍼灸師がブログに残してきた思考の軌跡」の続き

経営危機は3回


転んだのは誰かのせいかもしれない。けど、立ち上がらないのは誰のせいでもないわ

ルパン三世の峰不二子が発した言葉としてあまりにも有名です。有名かはさておき、鍼灸院経営もこれなんですよね。経営していると運の要素は大きいなぁと思います。そういう意味で私は運がよい方なんだと思います。誰が言ったか知りませんが「運も実力の内」とはよく言ったもんです。

この辺の話はいくらでも転がっているので、自分自身が起き上がった話とその理由について書いてみようと思います。前提としてお伝えしたいのは、経営危機が何度もあったことです。鍼灸院を続けていられなくてもおかしくはありません。

まずは、経営危機について書いてみようと思います。経営危機は3回です。悲壮感が出てはいけないので、かる〜いタッチで書くことにします。


開業して最初にやる仕事は電話線チェック


2000年代の初頭。

最初の経営危機はスタート直後にやってきました。患者さんが全然来ません。もちろんゼロの日だってありました。電話線が抜けていないか1日に何度も確認しました。

何を支えにしていたのか。それは単純。「自分ほど鍼灸が大好きな人は見たことない」という感覚です。実際にそう感じていたのか、そう思い込もうとしていたのかはわかりません。誰も否定ができない自分だけが納得している根拠です。まさに、根拠のない自信です。

自信家なのに患者さんが来ない。端から見たらこんなに滑稽なことはありません。超かっこ悪いです。でも、企業していきなり順調なんてSNSの中だけの話です。実際には、多くの起業家が自信をもって事業を始め、売上が上がらない時期を経験しているはずです。


「患者様の笑顔が〜」とか言ってる場合じゃなかった


問題は患者さんがいないこと、売上がないことではありません。その時期をどうやって過ごすかです。なんかかっこいいことを書きそうな雰囲気になっていますが、感情的には、カッコ悪い状況を早く抜け出したいと思っているだけです。

ネットや広告で「患者様の笑顔を見るのが幸せです♪」という宣伝文句をよく見かけますが、自分が笑えない状況でそんなふうに思う人はいません。いたら病気です。


「ネットで患者は来ない」と言われていた時代


幸い私は健全な精神で「やばいよ、やばいよ〜」と心の中で叫んでいたわけです。で、実際に何をしていたかというと、ひたすらWebサイトをつくっていました。いわゆるホームページです。ずっとパソコンと向き合っていました。患者さんの方は見ません。だって、いないから。

当時は高速通信が当たり前ではありませんでした。ちょうどADSLが普及し始めた頃です。街でSoftBankと書かれた赤い紙袋が配られていた頃の話です。もちろん、スマホなんてありません。

「ネット」なんて言葉は誰も使っていません。ちゃんと「インターネット」と言っていた時代です。「インターネットで患者さんが来るわけねーじゃん」といろんな人から言われました。「だってオマエの仕事は高齢者がターゲットだろ。使っている人なんてゼロ。わかってる?」って感じです。

私の心が悪意に変換しているので、こう聞こえていたのですが、実際はすごく親切な言葉でアドバイスをしてくれていたと思います。そういう親切をすべて無視。空き時間はパソコンに向かっていました。父親には「インターネットばかりやっているから患者が来ないんだ。禁止にする!」と何の権限があって言っているのか、わかりませんが、それも無視。

自信過剰で何の結果も出していないめんどうな存在、それが20代半ばのクリ助です。クソ助ですね。


マッサージすればいいのに…


そういえば「マッサージすればいいのに…」というアドバイスもいっぱいもらいました。そうなんです。私は鍼灸師であると同時に「あん摩マッサージ指圧師」という国家免許を持っているのです。いつのまにか整体師の方が格上みたいに思われていますが、整体師には免許がないですからね。「整体師」は自称の職業です。

話を戻します。私は鍼灸(得に鍼)をしたいと思ってこの道を選んだので、「マッサージすればいいのに…」は転職しろと言われているのと同じ意味でした。誤解のないように言っておくと、マッサージを否定しているのではありません。ケーキ屋さんになりたいのに和菓子屋をすすめられているような意味なのです。あん摩マッサージ指圧は、私にとってケーキの修行中に勉強した和菓子なのです。

鍼灸への強いこだわりが経営危機を招いていました。でも、やっぱり私が睨んだ通りインターネットの時代になっていきました。「みんなわかってた」とツッコミを入れたくなる場面かと思いますが、その当時は全力でチラシを撒いていた時代です。タウンページも健在でした。


ネットの時代キターーー!


自宅(農家の一室)で開業していたのに、それでもインターネット経由で患者さんがやってくるようになり、なんとか開業即廃業だけは回避できました。

ここで言いたいことを一言で表すと「孤独」です。私なりに孤独を楽しめていたのは、鍼灸の価値をわかっていたからです。カッコよくまとめてみました。次回は第二の経営危機について書きます。人が転んでいる姿を見たいという根性をお持ちの方は次回の更新を楽しみにしていてください。

つづく…「技術を教えたら辞めていく鍼灸院の厳しい現実

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2026年04月14日

開業鍼灸師がブログに残してきた思考の軌跡

開業23周年


昨日、鍼灸院を開院してから23年が経ちました。実は23年周年の記念日であることに気がついていなくて、スタッフに教えてもらって気が付きました。はずかしながら余裕がありませんでした。

数字的にはきれいな節目とは言えませんが、ここまで鍼灸院をやってきて思うことを今日は書き綴ってみようと思います。私の経験が、どこかで誰かの役に立つかもしれない、そんな淡い期待を抱きながら。



ブログは画期的だった!


私の鍼灸師人生はこのブログと共にあります。最初の記事はこちらです。
ツボの探し方」(2004年10月18日)

開業した当時はブログが登場したばかりで、普通の人が気軽にネットで情報発信ができるようになったのです。今ではSNSで自分の意見を言うなんてあたりまえの話ですが、私が若い頃はいわゆる言論人のみがテレビ、新聞、書籍で発信するのみだったのです。一般人は単なる読み手です。

最初はおっかなびっくりです。見知らぬ人に情報が届くことに対するスリル。ブログはアフィリエイトというビジネスを育てることになりました。ブログに来た人に何らかの商品をおすすめして成約が取れると、お金がチャリンと入る仕組みです。

これはこれで大変なんですよね。読みたくなるような文章を用意しなければならないわけですから。私もアフィリエイトのアカウントを取得していましたが、それを目的に書いていると思われるのは嫌だなぁと思って途中から捨てました。何か月もがんばって数万円くらいの売上にしかならないので未練はありませんでした。


ブログがもたらしたもの


ブログがもたらしてくれたのはお金じゃありません。ブログを通じていろいろな人と出会えたのです。当時は、出会いといえば対面だけでした。それ以外がないわけではありませんが、文通、アマチュア無線、パソコン通信など、今では「なにそれ?」なものばかりです。

昨今はネットで出会うことのマイナス面が社会問題として取り沙汰される時代ですが、最初は恩恵が目立っていました。その恩恵にあやかることができた最初の世代かもしれません。

鍼灸のことを書いているブログですから、つながるのは同業者が多いわけです。同時期に開業した人と情報交換をしたり、実際に行き来してみたりと。その延長上に、患者さんとなる人とのつながりがあるのです。これだけを切り取ってしまえば、集客のための記事と言われてしまうのですが、私がブログを続けてきたのは集客のためではありません。

つながった人の誰かが患者さんになるのです。もし、私が患者さん集めのためだけにブログを書いていたら、今のスタッフと出会うこともなかったでしょうし、スペインでセミナーを開催することもなかったでしょう。ブログは機会と運んできてくれました。


ブログの一番の読者は自分


普及すると同時に集客するには◯◯ブログがいいよ、といった類の情報が飛び交うようになりました。有利なメディアを使うのは広告戦略としては必要なのでしょうが、私はいっさい浮気をせずずっとライブドアブログです。

私自身を書き写すことが目的だったからです。一番の読者は未来の私です。出会いの機会も副産物として考えているのです。ブログはもともと公開日記です。私が未来の自分に読んでほしいのは、その時の「思考」です。その時の自分を一番説明できるものは「何を考えていたのか」です。

貫いてきたこともブレてしまったことも変えてきたことも、このブログの中にぜんぶ詰まっています。開業鍼灸師が22年の間、思考の足跡を残してきたと言ったら大げさかもしれませんが、私にとっては鍼灸師人生そのものです。

ブログからどういった展開になっていったのか…。
この続きは次回。「根拠のない自信と患者ゼロの日々

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