科学

2018年02月25日

経絡を信じている


証明されていない経絡


鍼灸において経絡(けいらく)ほどやっかいなものはありません。

経絡は、鍼灸理論の根幹を成すものでありながら、その存在は未だに確かめられていません。鍼灸に携わるものであれば、この事実は受け入れなければなりません。

経絡はあるに決まっている。」 とか、

経絡を否定したら鍼灸そのものを否定することになる。」とか、

伝統はどうなるのか?」とか、

患者さんが治っているのだから、そんなことどうでもいい。」とか、

私は感じることができる。」などなど、

専門家のご意見はあるだろうと思います。

しかし、何を言っても「経絡を証明できた人はいない」という事実だけは変わりません。

経絡が明らかでないまま経絡ありきの話をされてしまうのが鍼灸業界です。こうした現状に反発する人もいれば、嫌気が差して離れて行ってしまう人もいます。

私は、経絡否定派と誤解されやすので補足します。

「経絡がない」とは言っていません。「経絡は証明されていない」と言っているのです。「経絡なんてない!」と言いたいのではなく、確かめられていないものに全体重を乗せることに危うさを感じてほしいのです。



自己肯定のための東洋医学


好きでないのは、あやふやな事象を「東洋医学」という言葉でまとめてしまうことです。「東洋医学は科学的に証明できなくてもいいんだ、だって東洋医学だから」という理屈は理解できません。

「東洋医学≒不確かでもいい医学」

という使い方は都合が良すぎます。

たいがいにおいて、「東洋医学」という言葉を使う場合、その裏には「西洋医学」に対するアンチテーゼ(批判精神)が含まれています。

東と西がこれだけ交流している現代社会において、東洋哲学(思想)と西洋哲学(思想)が別々に存在しているわけがありませんし。そういう言葉が必要なのは、区別しなければならない事情があるときだけです。

それはどんな時でしょうか?

鍼灸業界にいると、よく耳にするのが病院医療に対する批判です。私も病院で嫌な気持ちになったことが何度もあります。病院への不満は西洋医学だからなんでしょうか? たとえば、ドクターの言葉に傷ついたとして、それは西洋医学だからでしょうか? 違いますね。

東と区別する理由が答えられなければ、「東洋医学」という言葉はアイデンティティ(自己肯定)のために使っているのかもしれません。患者さんのためというより、自分のため。

私も何度も自分自身に問いかけました。頭の中は、東洋でも西洋でもありませんでした。そういう頭の中で考える鍼灸が、西洋医学か東洋医学に分かれるはずもありません。東西を融合させようとか、そういう意図が生まれる前に融合してしまっています。


「経絡は信じる者だけに見える」は論外


「経絡は信じる者だけが見えるもの」という発言は、鍼灸をダメにします。宗教ではないのですから、信仰は必要ありません。そういう発言をしている人は、鍼灸を宗教化してしまっています。医療の質を信仰心が決めるなんておかしな話です。

鍼灸に効果があるなら、術者の思想や信仰に関係なく効果が出せるはずです。同じツボに同じように鍼をすれば同じ変化が表れます。もし、結果が違うなら同じことをしているように思っても、同じことができていないのです。

また、鍼でツボを刺激するという行為の前後には、様々な情報が入り込みます。患者さんが事前に得ている情報や、施術室の環境、鍼灸師のしゃべり方、触れ方、どれも患者さんの身心に変化をもたらします。患者さんに働きかけが上手であれば、鍼をする前に良い状態を作り出せてしまうこともあります。

患者さんが術者を信じている時の方が治りが早いとは思います。催眠状態にするのが得意な鍼灸師もいます。「信じる者は救われる」も成り立つわけですが、それは個人的な魅力やスキルに依存しすぎていて共有が難しいです。


「治れば何でもいい」という考えの怖さ


確かに治れば何でもいいです。ただ、再現できることが重要です。

治る最短の方法を考えるのも医療に携わる者の務めだと思います。思い付くままにやって治ったとしても、それを仲間と共有できなかったら、その方法が広がることはありません。その人がいなくなったら、それで終わりです。患者さんは困ります。

「治れば何でもいい」という考えは、患者さんを術者個人に縛り付けるものです。「このワザが使えるのは世界で私だけですよ」というのは、マーケティング的には正しい手法かもしれませんが、医療としては間違っています。

人(術者も患者も)を選ばないのが医療の在り方と思います。


再現性を第一に考える


私は、誰でも練習さえすればできるものが最良だと思います。医療はオリンピックで金メダルを目指すのと違い、誰でも同じことができることが理想です。だから、普段から再現できる方法を使うようにしています。

実現するために、ツボの位置は厳密に決めています。できるだけ1ミリもズレないようにしています。ツボによっては許容幅がありますが、いずれにしてもミリ単位は心がけています。ツボを厳密に取るという段階はルーズにやっている人にとっては面倒です。

ただ、厳密さを追究するほど再現性が高くなることを経験すると、ツボの微妙なズレが気になるようになります。ツボの位置によって作用はまるっきり違います。ただ、経験したことがない鍼灸師にはわからないかもしれません。

ツボも経絡と同様に実体がわかりません。ですので、鍼をして脳にどんな変化が起こるのか、整動協会と北斗病院(北海道)が力を合わせて実験を行っています。ツボの組織的な実体がつかめなくても、脳に明かな変化を引き起こす肉体上の点(座標)は、ツボという機能を持っていると言うことができるようになります。

経絡も、実験によって機能が証明できるかもしれません。ただ、そのためには私たち鍼灸師が科学的な姿勢でいなければ研究者と協力関係になることはありません。


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2018年02月01日

)から順番に読む

10)のつづき

科学は最強のマーケティング


明日の天気を読む


天気が予想できるのは、気候や天候の変化に法則性があることに誰かが気づいたからです。そこから知見の集積が始まり、現在のような精微な予報ができるようになっています。知見を得るために科学技術が使われています。

科学の発展には個人の努力が必要ですが、個人ではどうにもならないことだらけです。努力や才能だけで人工衛星は打ち上げられません。

空を読むのが得意な少年がいて、経験を積み重ねて直感を磨いて順調に育っても、スマホのアプリには及びません。もし、鍼灸師がお天気少年だとしたら...。



独立のリスク


発展に必要なのは集積と集結です。鍼灸にどちらが足りないかは言うまでもないと思います。どこかの院で修行を積み、独立開業したら一人前と言われる雰囲気。

しかし、技術の壁にぶちあたるのは、一人前になってからです。そして、しだいに近づいてくる「マーケティング」という響き。「技術だけは食べていけないんですよ」と、技術で悩んでいる時に襲いかかってきます。

空をそこそこ読めるようになったら、経営の勉強です。人を雇う余裕なく一人で何でもやっていくことになります。鍼灸を極めんと始めたのに、いつのまにか鍼灸以外の部分で競っているのです。

鍼灸師には鍼灸に専念できる職場が必要です。



チームで光る才能


北斗病院(北海道)の研究室を見学した時に、強烈に感じたのは専門分野とその専門家が集結して作るチームの強みです。

「そんなことも知らない(自分の専門外のことは詳しくない)」人たちの集まりです。専門知識はどんどん高度化していきます。だから分からなくて当たり前です。専門分野は専門家に任せるという仕組みが出来ています。

それぞれの専門家に信用があるからできることです。鍼灸師も、チームの一員になるなら鍼灸師の信用を何かの形で必要です。人間性とかではない何かを。

自分らしさの追求のために鍼灸を選んだ人には余計な話かもしれません。しかし、メッシもサッカーチームに所属しているから輝けることもお忘れなく。



まとめの時間



科学は万能ではない

「科学で鍼灸の価値は計れない」という人がいます。それは間違っています。科学に携わったことがある人は、科学の限界も知っています。科学者とはわからないことを楽しんでいる人のことだと思います。


科学で安心できる

鍼灸の一番の課題は、わからないために患者さんを不安にさせていることです。鍼灸のメカニズムの一部でも解明できたら、患者さんは安心します。


科学で交流が増える

科学は共有することです。鍼灸を科学で語ることでたくさんの人と共有できるようになります。共有できれば情報交換が盛んになって知見が増えていきます。


科学は説明を省いてくれる

「鍼灸って伝統医学でWHOにも認められていて…」などと説明する必要がなくなります。治療に必要な説明に専念できます。


科学は最善の選択にヒントをくれる

医療の現場は選択の連続です。医療者は常に最善を探っています。大きなヒントを与えてくれるのが科学です。


科学は人をクリエイティブにする
 
科学は経験や技法を蓄積する手段でもあります。感覚の世界だと思い込んでいることも、数値化できるかもしれません。私たちが指先で感じるツボの感覚はセンサーが捉えてくれるかもしれません。

もうクルマが自動で走れる時代なのです。鍼施術ロボットはやる気(とお金)の問題です。こういうことを言うと、鍼灸師の仕事がなくなると心配する人もいます。しかし、そこを考えることがこれからの鍼灸師の仕事だと思います。


科学は最強のマーケティングになる

科学的な裏付けがあれば、医師などの医療関係者から信頼されます。そうすれば、つながりができます。このつながりは最強です。本当は当たり前であってほしいのですが...。

※追記 参考記事 ≫ 鍼治療を科学する風景(整動協会) by 副代表(谷地一博)


おわりに


最後の回は長くなってしまいました。

このシリーズいかがだったでしょうか? 

賛否両論があるかと思います。批判的精神を表に出してはいますが、目的は鍼灸業界が直面している課題を表面化させることでした。考える機会にして頂けたら幸いです。 

時代の渦は鍼灸も巻き込んでいます。危機感を抱くと共に可能性を感じます。その可能性をつかむも逃すも、発想次第だと思うのです。

鍼灸が科学になるかを決めるのは私たち鍼灸師の姿勢です。

バルセロナに着きました。
次回はバルセロナからレポートします...バルセロナセミナー2018年冬編

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2018年01月30日

)のつづき

鍼灸は伝統ではありません



脈診が科学になるには


科学になるには、診断結果をみんなで共有できるようにしなければなりません。共有できなければ科学になりようがありません。

そのためには、積極的に科学技術の手を借りる必要があります。今や自動運転の自動車が道路を走ってしまう時代です。最新技術が脈診に費やされたら、古典が示している様々な脈状(脈の打ち方)もハッキリしてくるでしょう。

私も熱心に脈診をしていた時期がありますから、橈骨動脈が様相を変えることは体感しています。測定すれば差異が見られるでしょう。症状や病状との相関関係がわかれば、古典の価値が見直されるに違いありません。

最新の科学が投入されれば、の話です。

大きな問題が2つ思い浮かびます。

〔を分析する機器の開発に多大な費用がかかる
∠骨動脈(手首の脈)にこだわる理由がない


お金をかけるなら最大効率を目指します。脈診というのは人間が診やすいという方法であって、これをわざわざマシンにやらせる必要を探すことは難しいのです。血液検査は人間には違いがわからないけれど、機械は詳細まで数値で教えてくれます。

科学は見えなかった世界を見せてくれます。そして扱わせてくれます。科学によって鍼をして脳の中で何が起こるのか視覚的に知ることもできるようになってきました。

そういう時代です。だから、この機を逃したくはありません。そのためには科学を受け入れる姿勢を見せ続けていくことが大事だと考えています。



鍼灸の信用をつくりたい


鍼灸の効果を科学で説明できるようになれば、鍼灸を受けたいと思う人が爆発的に増えるはずです。もちろん、鍼灸のすべてを科学で説明するなんて当分は無理です。

一部分でも科学で理解できたなら、鍼灸を誰もが信用するようになります。

鍼灸業界の問題点は、鍼灸師ひとりひとりが信用を得るために「鍼灸とは何か」を語らねばなりません。病院のドクターが一人一人「外科とは何か」を説明する必要はありません。

 鍼灸師は、時に医療者であることを求められ、
 時にカウンセラーであることを求められ、
 時に研究者であることを求められ、
 時に漢文学者であることを求められ、
 時に歴史学者であることを求められ、
 時に演者であることを求められ、
 時にデザイナーであることを求められ、
 時にマーケッターであることを求められ、
 時に経営者であることを求められ、

そして、時にブログを書くことを求められます・・・(笑)


臨床に専念できている鍼灸師は本当に少ないです。鍼灸を追求できる環境が得られないのは、鍼灸に信用がないからです。一人一人の鍼灸師の努力によって、鍼灸を支えている状態です。

本当ならば、鍼灸という信用によって鍼灸師は支えられるべきです。国家免許なのですから、このくらい望んでもワガママにはならないと思うのです。


おふくろの味を記憶できる能力


誤解されそうなので補足します。

科学で証明できないものは否定されるべき、とは一言も言っていません。「おふくろの味」は科学で証明できなくても、おふくろの味という価値が揺らぐことはありません。むしろ、科学分析されて、あの味が「味の素」だったとは知りたくないものです。

おふくろの味は、むしろ共有できないところに良さがあります。味が一定でない料理を「おふくろの味」と認識できるのは人間ならでは能力です。ぼやけた輪郭線であっても、カテゴリに収めることができるわけです。

計測機器がない時代、こうしたファジーなとらえ方ができる人間は、さまざまな異変に気がつけたと思います。職人の世界では経験を重ねれば重ねるほど腕を磨けます。その経験が代々受け継がれていけば伝統と言えるでしょう。

しかし鍼灸は事情がまったく違います。そもそも鍼灸は技法が継承されてはいません。いったん途切れてしまったら、発祥から伝統をカウントできません。一度も途切れずに脈々と継承されてきた年数のみが伝統の期間です。



守るべき伝統はどこにあるのか?


鍼灸の古典、『素問』や『霊枢』が書かれたのは二千年以上も前です。もし、古典を読むことが鍼灸師の嗜みであるならば、どうやって二千年前から進めばよいのでしょうか。古典を読むことを伝統医学と考えているなら、大きな間違いです。それは古典主義です。

鍼灸は歴史的には続いていますが、伝承が絶えず続いてきたとは言えません。「途絶えては復古し...」を繰り返しているのです。ルーツが古いのは間違いありませんが、歴史の分だけ技術が積み上がっているとは言えません。

私には、今の鍼灸学が伝統医学かと問われたらイエスという自信がありません。伝統っぽいだけです。伝統であるならば、自分が受け継ぐ時に何がどれだけ積み重なっているのか説明できなけれなりません。

私は歌舞伎役者のように答えることができません。古典を読んでその再現に成功したとしても、私の鍼灸は伝統的ではありません。

このように、鍼灸の99.99...%は伝統ではありません。

となると「伝統を守るって何だ?」ってことになります。守るべき伝統はどこにあるのでしょうか?

私の目から見ると、ほぼ全ての鍼灸師に失うものはありません。だから挑戦するのです。伝統は鍼灸の効果を科学で説明できた時から始まると信じています。


次回、最終回です。


つづく...科学は最強のマーケティングになる


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2018年01月28日

)のつづき

鍼治療の目的


なぜ脈診をするのか


鍼灸学の古典といえば、『素問』と『霊枢』です。

この中に「脈」という言葉がたくさん出てきます。この脈の意味を一つに絞り込めません。血管を指している場合もあれば、目には見えない反応系統を指している場合もあります。また、時には動脈の拍動を意味することもあります。

いずれにしても、鍼灸学の歴史は「」の歴史です。文字通り、この脈に関する理論が脈々と受け継がれてきていいます。

脈診とは、脈で身体の健康状態を診断する方法です。しかし、そもそも脈には色々な意味があるため、この脈診という言葉の意味も広大なのです。

現代では、「寸口脈診(すんこうみゃくしん)」と言われる、手首の脈を診る方法が主流になっています。橈骨動脈の拍動を指先で触れて、その脈の打ち方で健康状態を診断します。

このように、橈骨動脈で身体の健康情報が得るというスタイルが生まれたのは、鍼灸学がもともと「循環を整える」という理論に根ざしているからです。



鍼治療の目的


ちょっとだけ、古典に付き合って頂きます。

『黄帝内経霊枢』の「九鍼十二原編」には次のようにあります。

欲以微鍼通其経脈(微鍼をもってその経脈を通じる)

微鍼というは、細い鍼のことです(当時はそれでも今よりだいぶ太かったと思いますが…)。

つまり、鍼治療というのは、経脈を通じさせることから始まっています

少し読み進めると、

凡将用鍼、必先診脈(およそ、まさに鍼を用いんとすれば、先ず脈を診る)

とあります。

まとめると、

脈を診てから、鍼で脈を通じさせる

ということになります。



脈診をするなら考えてほしいこと


「必先診脈(まず脈を診る)」なんて書いてあるので、手首の脈(橈骨動脈の拍動)を診てからツボを決める鍼灸師がとても多いです。

でも、ちょっと考えてほしいことがあります。「必先診脈」としか書いてありません。どんなふうに脈を診るのかまで指定はしていません。

つまり、「寸口脈診=手首の脈で脈を診る」のは一つの流派のやり方です。伝統的なものにもハヤリやスタリがあります。気軽さで優る、寸口脈診がメジャー化しました。

「脈診」と言った時、この「寸口脈診」を指している場合が多いです。

ここで言いたいのは、寸口脈診は一つのスタイルでしかないことです。

「脈」が拍動を指すという説明は前後にありません。にも関わらず拍動だと解釈するのは、だいぶ血管(物質)よりの解釈です。ほかに、「脈」は見えない「気」が通る機能的な存在という解釈もできます。

個人的に不思議に思うのは、寸口脈診(物質的な拍動を感じる)をする鍼灸師ほど、見えない「経絡(けいらく)」や「気」を重んじる傾向にあることです。

診断は物質的な拍動を頼りにし、鍼施術をする際には見えないものを扱っていると、違和感を覚えます。どっちかにすればいいのに...と。

話が戻ります。

寸口脈診は重要かもしれないけれど、解釈の一部です。ですから、それを踏まえた上で情熱を注ぐようにしなければいけません。

鍼灸師が学ぶべきものは他にもたくさんあります。有限の時間をどこに使うべきか、考える時間をつくるべきです。



脈診は科学ではない


脈診は科学的姿勢から生まれたと思います。寸口脈診を例にするならば、健康状態によって橈骨拍動に変化が起きるという“気づき”は、相関関係を見出す科学的姿勢です。残念ながら、それを計測することができないのでデータとしては残せません。

科学とはいえないけれど、科学的です。

できるだけ指先で感じたものを後世に残そうと、脈を文字に置き換えました。受け取る方がわからなくても、残す側としては伝える最大努力をしてます。観察した現象をみんなに伝える努力は、科学的姿勢だと言ってもよいでしょう。

でも、これだけで科学とは呼ぶわけにはいきません。しかし、可能性はあります。


つづく…脈診が科学になるには



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2018年01月26日

)のつづき

占いの理論と鍼灸理論は似ている



鍼灸理論のルーツ


占いの理論と鍼灸理論は元になっている思想や哲学が同じです。だから、鍼灸のルーツを重要視する鍼灸師は、『易経(えききょう)』を読みます。

『易経』は、ものすごく難しい本です。宇宙や世界がどのような法則で成り立っているのか、当時の叡智を集結させたものです。占いの元ネタとなる本ですが、占いそのものの教科書ではありません。

思想が色濃く入っていますが、宗教的なものではありません。むしろ、科学的姿勢で書かれた書物だと思います。どの時代にも宇宙を説明しようと思う人がいたのです。今となっては科学的とは言えなくても、当時の科学的姿勢が生んだものと考えるのが妥当です。

だから、古い鍼灸書(古典)を読む時も易を勉強する時も、科学的姿勢が大事です。歴史を学んだり歴史観を持つことは意義がありますが、それ以上に、目の前の患者さんで起きている現象を素直に観察することが大事です。



医学的根拠と科学的根拠


未来を予測する時は、できるだけ根拠を探します。誰もが納得できそうな根拠を探します。自分のイメージで患者さんの未来を語ったりしません。できるだけ医学的根拠を探します。それをするから医療者でいられます。

ここで医学的根拠という言葉を使いましたが、科学的根拠とは意味が異なります。医療的効果がある証拠です。そして科学的根拠はメカニズムの説明です。

詳しい違いを知りたい方は「科学的根拠と医学的根拠の違い」(整動協会副代表 谷地先生のブログ)が参考になります。



診断がファンタジーであってはならない


もちろん、全てにおいて医学的根拠が見つかるわけではありません。むしろ、鍼灸において医学的根拠を探すのは困難なことが多いのです。研究が進んでいないからです。

医学的根拠をもたない鍼灸師が、商業的に占い師と同じポジションになることや、同じ手法になってしまうのは、ある意味で仕方ないのかもしれません。実際にそういう現実もあります。

医学になるには、ファンタジーな診断は許されません。「見立てが違っても、効いていればどれも正解」という理屈は鍼灸師側の都合でしかありません。

鍼灸が医学になるには、見直さなければならない診察法があるのは間違いありません。

脈診



鍼灸がなぜ効くのか説明したい


医学的根拠を鍼灸師が持つようになるには、まず誰にでも説明できることが大切です。有効性が誰にでも分かれば医学になります。公平な視点が必要です。

そしてメカニズムへの関心を高めることです。そうすることで科学的根拠を持ちます。私は鍼灸の治効メカニズムにとても関心があります。効くことが明らかなのに、なぜ効くのか説明できないのは、もどかしいのです。

この調子でもう少し続きます。


つづく…なぜ脈診をするのか


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