セミナー

2024年07月09日



テツ先生


6月30日、松浦哲也先生(以下、テツ先生)とのコラボセミナーを行いました。ものすごく刺激的な一日でしたので、振り返ってみようと思います。

出会いはX(旧ツイッター)でした。そのときの様子をこのブログで書いたと思うのですが、どの記事だかわからなくなってしまいました。

とにかく最初は意見の相違。「見ているものが違うんだな、この人」と思いました。普通は意見が合わない人は避けるものですが、彼は違いました。違うことを言う私に興味を示したのか、絡まれるようになりました。

絡んだときにどう対応するかで人を判断している。私にはそう見えました。要するに反応を試しているのです。嫌われる覚悟がなければできないことですから、それを安々とこなしているテツ先生に私も興味を持つようになりました。

実際に何度か会って底に眠っている能力のようなものが見えてきました。それは類まれなコミュニケーション能力。生まれ持ってのものなのか、どこかで研鑽してきたものなのか、どうであれスゴイものです。私には備わっていません。というより、もともとコミュニケーション能力には劣等感を抱いていた人間です。

今になっても苦手意識は奥底にあります。だからこそ、コミュニケーション能力が高い人と一緒に仕事をしたいと考えています。

高いコミュニケーション能力を武器に他分野で大きな成果を上げてきたテツ先生。いっぽう、コミュニケーション能力の弱さを補う工夫をしてきた私。この2つが合わさったらすごく面白いと思ったのです。


なぜコミュニケーションなのか


説明するまでもなく、コミュニケーション能力が高い鍼灸師が上手くいくのです。逆に言えば、コミュニケーション能力が低すぎると何をやっても上手くいきません。鍼灸というものが患者さんと情報交換をしながら行う双方向型のサービスだからです。コミュニケーション能力が核となっています。表現の仕方は違いますが、テツ先生も私と同じようにコミュニケーション能力を重視しています。

鍼灸師としては、どの流派で勉強すればいいのか、どの本を読めばいいのか、どんな知識から身につけたらいいのか、と考えるわけですが、私はコミュニケーションを学ぶことが一番ではないかと考えています。

コミュニケーションというと、会話を盛り上げなければいけないと考える人がとても多く「私はそういうのは苦手で…」なんて言われます。いやいや、そうじゃなくて、コミュニケーションは、相手に自分の話を聞かせることではありません。

テツ先生は「相手に気持ちよくなってもらうこと」と定義していましたし、私は「安心をつくること」と定義していました。それぞれの定義の角度の違いが、そのまま内容の違いになっていました。


セミナー始まる


打ち合わせでは、意見のすり合わせをせず、互いの「これだ!」と思うものを吐き出しました。テツ先生の話は私も勉強になりました。テツ先生自身のコミュニケーション能力は名人芸ですぐに真似できるものではありません。この日は、誰でも真似できる基本を伝授していただきました。コミュニケーションの本質は「相手を知ろうとする姿勢」だと私は感じました。

コミュニケーションセミナー_01(整動協会)

いっぽうの私は「安心をつくること」がテーマ。「不安を取り除く」ための言動とは何かに注目しました。鍼灸師は、患者さんから見れば得体の知れない怖い存在であるという前提で、その怖さを取り除くためには、どのような言動が必要になるのかを実技の中で学んでいただきました。言葉で不安を取り除こうとするのではなく、体や手の使い方だけでもできることがあることを伝えました。

コミュニケーションセミナー_02(整動協会)


信用と信頼


真面目に誠意をもって患者さんと接していれば自ずと信用を得られ信頼関係を築いていける、というほどあまくありません。具体的に何をするかがわかっていないと気持ちが空回りしてしまいます。相手に届けなければ意味がありません。つまるところ、今回のコミュニケーションはどうやって信用を積み重ね、信頼関係をつくっていくのかという具体的な方法でした。近道はありません。上っ面なものはすぐに剥がれてしまいます。

「患者目線で考えましょう」と成功者は語ります。もちろん、それは大事です。同じくらい大事なのは、患者さんの目にどう映っているのかを想像することだと思うのです。患者さん一人ひとり感じることは違いますが、「これイヤだな」と思うことは共通していることが多いものです。

キャラを磨き上げ上げて唯一無二の鍼灸師を目指すのもよいでしょう。しかし、その前にNGを押さえておかないと、受け入れてもらえません。このセミナーを準備するにあたって、私自身も我が身を振り返って考える機会となりました。

実技はやればやるほど学びが深くなるので、もっと練習する時間があってもよかったなぁと思いました。次回は決まっていませんが、またこういう機会をつくっていけたらと思います。


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2024年06月24日

失敗が許される条件

失敗は誰だって怖い


昨日、鍼灸師のための英語レッスン「AcuEigo(アキュエイゴ)」をセラピストイングリッシュの宮口一誠先生と共同開催しました。うちのチームもレッスンに参加し、英語力の向上にかなり役立ちました。仮に英語がある程度できても鍼灸の現場にふさわしい表現ができるとは限りません。

今回は「超初級編」という設定で、まだ英語を使ったことがない鍼灸師が対象でした。英語に限りませんが、何事も最初の一歩が肝心ですよね。最初の印象がよいと続けやすいです。「失敗を怖れるな」なんて言う人がいますが、失敗は誰だって怖いものです。

再起不能な失敗をしたら取り返しがつきません。失敗というものは、失敗をしても大丈夫な環境があるからできると思うのです。

つまりは、失敗が許される環境があることが成長には重要ってことです。

本番で失敗するわけにはいきませんから、失敗が許される環境を意図的につくる取り組みが必要です。

もっとこうした方がいいと言ってくれる患者さんはいませんから(黙って来なくなるだけです)、ですから私たち自身で気がつける仕組みが必要です。

社内では、互いに施術して感想をフィードバックしています。私が一人鍼灸院をやめてチームをつくったのは成長のためです。私自身の成長のためでもあるし、迎えるメンバーの成長のためでもあります。


実力をさらす勇気


鍼灸院のほかにセミナー事業を営んでいますが、目的の一つは仲間づくりです。セミナーに参加する鍼灸師同士が仲良くなってつながっていくのが楽しいです。

こちらにできることは限りがありますが、セミナーのあと無料で参加できる交流会を行っています。そこで仲良くなった人が地元で勉強会(復習会)を催したりする光景が見られます。

うちのセミナーに限らず勉強会に参加する鍼灸師を尊敬しています。実技形式の勉強会は実力が露呈しやすいので、参加するには少し勇気が必要です。恥をかくかもしれないというリスクがあります。

主催者としてできるのは、勇気を称え合う空気をつくることです。

英語でもそうだと思っています。英語の先生から聞いたのですが、英語は日本人の前で話すことが一番むずかしいそうです。

その意味、わかる気がします。文法が間違っていたら指摘され、発音が悪くてもバカにされ、発音がよければ嫌味を言われ、いい想いをすることがないからです。日本人がいないところで英語を使わないといけません。そんなのは嫌です。

鍼灸師の間ではこの雰囲気が変わったらいいなぁと思っています。だから自分から率先してレッスンの様子を公開しました。どこかで誰かが「下手くそ」と思うでしょうが、気にしません。私のような者でも学べば進歩できることを示すことが重要だからです。



学んでいると状況に変化が訪れます。

私が経営する東京の鍼灸院(Acupuncture Tokyo-KAPOS)は海外からやってくる患者さんが増えています。英語圏だけではなく、スペイン語圏、中国語圏など幅広いです。

今は自分の院で精一杯ですが、これから周りの鍼灸師と連携しながら海外の人に届けられる仕組みと空気をつくっていきたいと思います。

「今、世界から日本の鍼灸に注目が集まっています!」

と、メディアが特集を組む日を夢見て今日も過ごしています。

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2024年04月28日

セミナーより論文の方が先という意見を見て思うこと

セミナーより論文や出版の方が大事という意見を見た


SNSにて、新しく体系化した技術は講習会よりも論文や書籍が先ではないか、という意見を見ました。誰に向けられた意見かわかりませんが、「整動鍼」という体系化したものをセミナーで広めている立場として思うところがありますので、私の目線から事情を書こうと思います。

あらかじめお断りしておきますと、反論を意図した内容ではありません。単にこういう理由があるんだと背景を書くだけですので、肩の力を抜いて読んでいただければと思います。

冒頭のご意見はとてもよくわかります。論文や書籍があれば、まずそれを読んで試して、深めたいと思ったらセミナーに行くという行動が取れます。無料に近い形で情報を手にして、それから有料のサービスを検討するという流れとなります。消費者の立場からすると、まずは無料お試しがほしいのは当然ですよね。


論文に整動鍼を書けない理由


それでは、まず論文を書かない理由について説明します。結論から言いますと、ぜったいに無理です。「ぜったい」と強い言葉になってしまいましたが絶望的です。

整動鍼では、まだ誰も言及していないツボの作用を100を軽く超える数含んでいます。また、A(刺激)→B(反応)というだけでなく、Bが引き金となって起こるCにも言及しています。そこから先もあります。論文に掲載できるとしたら、A→Bに絞り込んで書くしかありません。A→Bが不確かな状態ではB→Cを語れないからです。

それを積み重ねていくのが手順と思われるかもしれませんが、100を超える数の論文が必要となりますし、落合陽一が憑依して一週間に一つのペースで仕上げても700日です。臨床メインで仕事をしている私にはむずかしいです。仮に論文に全労力を費やしてしまえば、整動鍼の発展は少なくとも10年は止まります。

仮に論文ができたとしても、論文に専念することで臨床で実績が積み上がっていないので、見向きもされない可能性だってあります。あとですね、学術論文は整動鍼の宣伝になってはいけないので、整動鍼セミナーの内容とは距離を取る必要があります。

結局、整動鍼を一から説明しなければなりませんし、実績(症例)を示してほしいと言われるでしょう。だから、今はそれを積み上げて、論文が書かれるいつかのために準備を師ているのです。


書籍では伝えられないものが多すぎる


書籍の出版なら論文のように一つ一つエビデンスにこだわる必要がないので「こういう仮説ですよ」というノリで書けます。実際に、セミナーで使っているテキストがまさにそれですから。

出版したものをテキストとして使用するという方法もあります。ここからは私の考えになりますが、出版物で伝えられるのはごく一部で、私の力量ではきちんと伝えることはできません。

いちばん避けたいのは「効果がない」と判断されることです。セミナーを10年以上もやっているからわかるのですが、同じ文字情報やイラストを見ても、実際にやってみるとまちまちです。再現できるレベルまで身内で何度も確認してから外に出しているので、それを「効果がない」と判定されるのは、こちらとしても精神的に耐えられません。

あとは、出版してくれる出版社があるとは限りません。大量に売れるものではありませんから、仮に出せたとしても高額になるでしょう。PDFしてネットで販売する方法もありますが、そうしたなら「鍼灸師の本分を忘れて情報商材で儲けている」と陰口を叩かれるでしょうね、たぶん。

とは言っても出版についてはいつも前向きです。『ツボがある本当の意味』を出版してから5年が経ちました。次を出したい気持ちはありますが、整動鍼のカリキュラムを完成させることを優先してきました。

整動鍼の全貌を見ていない人は「10年もかかったのか」と思われるでしょうが、つくった側の立場から言うと、10年でまとめられたのは自分の能力からすると奇跡です。

施術室で朝から晩まで働きながら、夜間に執筆するとなると体力的に難しいです。体調を壊さないことが最優先です。一睡もせずにブログを書くとか、もうできません。悔しいですけど。


日々の臨床とセミナーだけで精一杯


できる範囲でやるという結論でやっているのがセミナーです。そういえば、以前に「セミナーをしている人は施術に専念していないので技術が信用できないので人を紹介しない」とSNSで公言している人がいました。

どういうふうに解釈するかは自由ですが、身内はみんな私が朝から晩まで施術をして、休診日はセミナー活動に費やしていることを知っています。セミナーは、デモンストレーションの施術と実技指導の連続なので、一週間休みなく鍼を持っています。もちろんたまには休んでいます。この調子で書くと忙しい自慢になってしまってカッコ悪いのでやめますね。


論文は私の仕事じゃない


論文を書く意義は十分に理解しています。でも、周りに求められているのは論文ではないと思うのです。新しいツボの作用を探すことを多くの方が望んでいると思います。

私が注力すべきは論文のネタになるツボの作用を探ることだと思うのです。論文は誰かが書いてくれたらいいのです。私が主宰する整動協会には200人を超える会員さんがいますので、きっと誰かがやってくれます。やらなければ、やらないでよいです。人に強いることは嫌いだからです。

とはいっても、私が見つけたツボはいつか誰かが論文にしてくれると思っています。期待せずに待っています。私が生きているうちでなくてもよいです。


内輪だけで盛り上がっているだけと言われても


私がこういう考え方ですから、整動鍼のセミナーをやっても「内輪で盛り上がっているだけ」と揶揄されることがあります。論文も書かず出版もしていないのですから、そう言われて当然です。

でも、その身内がどんどん大きくなっています。500人、1000人と身内が膨らんでいけばよいのではないでしょうか。もちろん、気をつけなければいけないのは組織の宗教化です。しっかり外と交流をもちながら、いろいろな価値観に触れて、いろいろな考え方を学んでいくことを忘れないようにします。

今年コラボセミナーを積極的に企画しているのは、こういう背景があります。

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2024年04月15日

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鍼灸師はコミュニケーションが極めて重要です。異論がある人はすくないのではないでしょうか。患者さんもしっかり話を聞いてくれる鍼灸師の方が安心できると思います。こうしたコミュニケーションの重要性は鍼灸師側もかなり意識していますし、話題になることが多いです。

ただ気になる傾向があって、コミュニケーションが話題になるのは経営が話題になっているときが多いのです。売上を伸ばすためにはコミュニケーション能力を高めましょう、という流れです。

「技術だけではだめです。コミュニケーションも大事ですよ」

こんな台詞、鍼灸師ならどこかで聞いたことがあるのではないでしょうか。

現実としてコミュニケーション能力が高い人の方が売り上げているのかもしれませんし、SNSで目立つ鍼灸師もコミュニケーション能力が高いように見えます。

私はこういう話題を目にすると胸がざわざわします。どちらの言い方も、技術とは別にコミュニケーションがあるように聞こえます。

技術の中にコミュニケーションがあると考えた方がよいです。技術と切り離したコミュニケーション術は、鍼灸師が養うべきものとは違うように思います。

技術に勝るマーケティングはない


確かな技術は人を集める力があります。一人で鍼灸院を経営する小規模事業を想定した場合、確かな技術力に勝るマーケティングはないと思います。

コミュニケーションが技術力の幹であると考えています。その幹が太ければ太いほど、学んだ知識や、修練した技を活かしやすいのです。こうして考えれば、コミュニケーション能力が高い人に患者さんが集まることが自然に理解できます。

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ただし、私がここで言っているコミュニケーションとは雑談力や説明力、そして傾聴力のことではありません。では、ここからコミュニケーションを整理して、どのように取り組んでいけばよいのか考えていきましょう。

技術の幹となり得るコミュニケーションには、言語系と非言語系があります。それぞれについて詳しく説明します。ここから臨床がすごく楽になる考え方を書きますので、現場で悩んでいる鍼灸師がいましたら参考にしてください。そうでない方も頭がスッキリするはずです。ぜひ、最後までお付き合いください。


コミュニケーションの目的


幹の説明をする前に、コミュニケーションの目的をはっきりさせておいた方がよいでしょう。正解をひとつに決めることはできませんが、私の意見としては「安心感をつくること」だけを考えておけばよいと思います。

はじめての患者さんが鍼灸院にやってきて、一番最初に欲しいものってなんでしょう。もし私が患者ならダントツで安心感です。鍼灸師のすべらない話とか求めていないわけです。だから、コミュニケーションの目的を、安心感に全フリしてしまえというのが私の方針です。

「すべては安心感のために」

ということです。どういう情報のやりとりが安心感をもたらすのだろう、常に考えながら行動することです。これが正解とは言えませんが、これを目的と決めたなら、すべての言動がこの目的と合致するようにします。少なくとも矛盾しないようにします。

そして作り出された安心感が施術の土俵になります。上手なコミュニケーションは、施術の土俵として機能する安心感を生み出してくれます。では、ここから具体的に言語系と非言語系に分けてコミュニケーションの幹を考えていきましょう。


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言語系コミュニケーションの幹


相手が何を言っているか以前に、相手の声からいろいろ感じとります。同じ言葉を発しても、励ましになることもあれば嫌味になることもあります。「それはすごいですね」で試してみてください。たとえばこんな感じに。

「そりゃ、スゴいっスね〜!」

「そ、れ、は、すごいですねぇ」

演技力のある人ならなおさら言いわけられると思います。


ところで『はぁって言うゲーム』をご存知でしょうか。

今言った「はぁ」は、怒ってる「はぁ」? とぼけてる「はぁ」? それとも、感心してる「はぁ」?
与えられたお題を、声と表情だけで演じて当て合うカードゲーム!

各プレイヤーは共通の台詞を与えられたシチュエーションで演じ、他のプレイヤーはそれぞれ何を演じているかを当てます。身振り手振りは禁止、声と表情だけで表現しましょう。大盛り上がりのコミュニケーションゲームです。 


内容一式(軽)
オフィシャルサイトより)

声の出し方を表情でどんな意味なのか当てるゲームです。社内研修の晩に遊ぶ定番のゲームになっています。このゲームは、まさにコミュニケーションの本質をついています。何を言うかではなく、どう言うかがコミュニケーションなんだと笑いながら学べます。

やってみるとわかるのですが、演じるのは恥ずかしいものです。言葉に感情を乗せるからです。逆の言い方をすれば、感情を抜いた言葉は恥ずかしくないのです。

人は恥じらいを隠すために平常は無感情を演じているのです。ですから、平常のまま患者さんと接してしまうと「何を考えているのかわからない怖い人」になってしまいます。対人において普通にしていることは「得体の知れない怖い人」を演じてしまっているのです。

ですから、患者さんを普通に迎えてしまうと相手は怖いのです。安心感のためには「あなたを歓迎しています」という感情をしっかり乗せた「こんにちは」が必要です。対面だけでなく電話でも同じです。

このとき、「あなたを歓迎しています」という本物の感情がなければ、わざとらしく見抜かれてしまいますので、実際に感情をつくることが必要です。

私自身、このスイッチを入れるために、「今日も大好きな鍼灸師をしていられるのはあなたのおかげです。両親に反対され諦めなければならなかった時期、仕事がなくて食えない時期もあった。でも今は毎日のように必要とされて幸せ」という感情を一瞬にして引き出せるようにしてあります。

みんなそれぞれ感情の引き出し方があると思いますので、私の例を参考にして探してみてください。

ということで、言語系のコミュニケーションの幹は感情です。

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非言語系コミュニケーションの幹


これから説明する非言語系コミュニケーションの幹も感情です。感情は表情に出ます。先ほどと同じ理由で平時の顔は「得体の知れない怖い人」です。表情や視線も言葉を交わす際に意識されるので言語系に入ると思います。

ここから観点を変えていきます。

トイレをきれいにしているかどうか、トイレをきれいにつかってもらえているかも非言語系のコミュニケーションだと言えます。清潔なトイレを使ってほしいという感情が患者さんに届き、きれいに使ってもらえると、私たちも大切にされていると感じます。これって十分すぎるコミュニケーションですよね。

部屋の温度や照明の明るさも情報です。こうしたものを一言で表すなら配慮です。清潔感が大切というのも、こうして考えるとコミュニケーションの重要な一部だからです。

ということで、非言語系コミュニケーションの幹は配慮です。

ここまでの話をまとめると、感情が乗っていない言葉をいくら並べたとしても、配慮に欠けた状況でいくら説明したとしても、相手には伝わりません。私自身も改善の余地がたくさんあります。人のことを言う前に改めるべきところはたくさんあります。


施術における言語系と非言語系


ここまでの言語系と非言語系を踏まえた上で、施術中のコミュニケーションを言語系と非言語系で考えてみます。鍼灸師ならではのコミュニケーションを展開できるかどうかが分かれ道になります。

ここまで読んでいただいた方はお分かりだと思いますが、施術に上手なトークなんて必要ありません。ニュースやSNSでネタとなる情報を集める必要もありません。施術におけるコミュニケーションの本質さえおさえてしまえばよいのです。

軸になるのが触診です。

臨床で苦戦する鍼灸師に見られるのが、触診を「患者さんの体から情報を得る行為」と捉えていることです。皮膚や筋肉に触れて状態を探っているとき、相手も探られていることを感じています。つまり、触診というのは情報を得る行為でありながら「どんなふうに触れているのか」という情報を与える行為です。

頭で理解しても強く意識しておかないと、触れた瞬間に医学知識を照合する作業に没頭してしまうのです。自然にできるようになるには練習と時間が必要です。

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触診をコミュニケーション化できるのは鍼灸師の特徴です。言ってしまえば、触診によるコミュニケーションこそ鍼灸の核心ではないでしょうか。このように、触診はコミュニケーションであると再設定すると、さまざまな課題が浮かび上がってきます。

鍼灸師は施術中に多くの言葉を発する必要がないこともわかってきます。「目は口ほどに物を言う」という言葉がありますが、手は口ほどに物を言うのです。それは、鍼灸院において患者さんが求めている会話の形だと思います。少なくとも、私はそういう鍼灸院で十分と考えて経営しています。


しゃべらなくてもいい


私たち鍼灸師は、学生の頃から患者さんとの会話が大切であると習います。そういう話をしてくれる先生はたいてい話が上手ですから、後進にも同じように会話を磨いてほしいと考えるのは自然です。

でも、あえて言います。話し上手になる必要はありませんし、トークを磨く必要もありません。無理してしゃべらなくてもよいのです。

施術に必要なことだけ端的に伝えるだけで十分です。世間話はしなくてもよいです。新人が疲れるのは施術そのものではなく、会話をしなければというプレッシャーからだったりするのです。

触診をするときは、確認の意味で「ココとココを比べたらどうでしょうか?」などという言葉がけが必要です。ネタを用意して話すわけではないので、ハードルはとても低いです。

触診に伴う会話にも上手下手は生まれます。とはいえ、クリエイティブな発想が必要ではなく、もともと用意してある言葉をタイミングよく発するだけですから、ルールさえ守れば大きな差になることはありません。


説明をがんばってもリピートしない


私たち鍼灸師の間で共有されることがある「2回目の予約がないんです…」という悩み。こういうとき、技術が足りないのか、説明が足りないのか、という思考に陥りやすいです。どっちも違うと思います。「不足」が招いているのではないと思います。

基本的に患者さんは話を聞きに来ているわけではないので、施術者がしゃべるほど違うものを提供されているような気分になります。

「しゃべってよいのは患者さんだけ。私たちは必要なこと以外はしゃべってはならない」

これくらいに思っておいた方がよいです。

極端に思えるかもしれませんが、しゃべりが上手でなければいけないという思い込みをぶち壊すにはこれくらいでちょうどよいです。

患者さんとの間で必要なコミュニケーションは「おしゃべり」の中にはありません。むしろ、施術中は余計なことを言わないことに細心の注意を払うべきです。ついつい、自分がしゃべりたいことをしゃべってしまうものです。

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患者さんを迷わせないための言葉


患者さんは常に迷っています。藁にもすがる思いでやってくる人が多いです。「本当に鍼灸で治るのだろうか」「私と同じような人は通っているのだろうか」「何回くらいで治るのだろうか」「鍼は痛くないだろうか」、こんなふうに患者さんはいつも迷いの中です。

私は、どうしたら患者さんが迷わないだろうか、という視点から言葉を選ぶようにしています。施術中だけではありません。はじめての方がやってきたときは、まずどこに行けばよいのか、何をすればよいのか、何をされるのかわかりません。その迷いの時間が短くなるように心がけています。

キョロキョロされる前に「そちらにおかけください」と言いますし、座ってから「どうするんだろう?」と思った瞬間には「こちらの問診票に記入をお願いできますか」と声をかけられるようにします。

もちろん、こんなことは当たり前と言えば当たり前ですが、受付担当がトイレに行っていているときや、電話中に新規の方がお見えになったときなど、イレギュラーな場面は必ずありますから、普段から準備しておかないと的確な言葉は出てきません。

施術のときも、患者さんは迷っています。鍼をされたところが痛い気がするけど我慢した方がいいのか言った方がいいのか、わかりません。痛いとしても、問題のない痛みで10秒だけとわかっていたら我慢できるかもしれません。

あまり痛くなくても、それがいつまで続くのかわからなければ不安になって我慢できないかもしれません。
痛くない方が患者さんが安心するとは限らないわけで、どういう意味を持つのかわからないことが嫌われるのです。

患者さんは、鍼をされたときの違和感が気になっているのに、ツボの効果の話をされたら、その説明がいくら正しく有益な情報だとしても、二度目は遠慮したくなるでしょう。

このように考えているので、私は「患者さんを迷わせないように」というルールから出てくる言葉を最優先にしています。

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マッサージが上手だと触診も上手なのか


鍼灸師の間でも答えは真っ二つに分かれているので、ここには私の意見を書きます。私は、マッサージが上手だからといって鍼の触診が上手とは言えないと考えています。

人の体に触れたことがない人よりも、マッサージ経験がある人の方が触れることに慣れているというのはあります。また、マッサージを受ける人が気持ちよく感じているか、相手から好まれるような圧やリズムを意識しているので、それも好印象になると思います。

私は鍼灸師向けの勉強会を10年以上も続けていますが、その経験から確かだと思うことがあります。普段から業務でマッサージしている鍼灸師は、触診のときに揉むような動きが入りやすくなります。この無意識の動きがツボを探すときに邪魔になってしまうことがあります。

鍼灸における触診とは、刺鍼をする前のシミュレーションでもあります。刺した鍼は内部で自発的に動くことはありません。指でモゾモゾするように鍼が動くことは絶対にないわけです。触診と事前の触診は、同質なものでなければなりません。これが私の意見です。

鍼には鍼の手の使い方があります。ただ、それを教えてくれる先生は少なく「鍼が上手くなりたかったら、とにかく揉め」とアドバイスされてしまいます。いろいろな考え方があるので間違いとは言い切れませんが、私は、鍼灸師は鍼灸に特化した手の使い方を追求した方が近道だと思います。マッサージの練習をしていれば鍼が勝手に上手くなるというのは本当に幻想です。

具体的なところは動画でなければお伝えするのが難しいので、ここではここまでにしておきます。



コミュニケーションが苦手なのは勘違い


会話が苦手な鍼灸師もいます。「なんで鍼灸師になったんだよ?」と言わないでください。困っている人の助けになりたいと知識を蓄えながら、技術を磨いているのです。実際、すごく真面目で優しくて気遣いもできるのに、人気のない鍼灸師がいたりします。原因はちょっとコミュニケーションが残念なだけです。

何を隠そう、私自身が会話が苦手なタイプです。鍼灸師だから患者さんと会話ができるだけです。言ってみれば、鍼灸師という立場とスキルを使ってコミュニケーションができるように振る舞っているだけです。

たとえば、患者さんの背中側に立てば、患者さんと目を合わせずに会話ができます。頚や肩を触診しながら話をすれば自然です。美容師さんと似ていますが、正面に鏡がないので目が合うことがありません。患者さんが目を合わせられないシャイな人なら、私の方から背中に回って触診しながら話を続けるなんてこともあります。

また、この記事に書いてきたように会話上手を目指す必要はありません。施術に必要な意思疎通ができればよいのですから。ここでもう一つ大事な概念をお伝えすると心理的安全性です。患者さんが抱く「ここなら安心」という感覚であったり、鍼灸師の心の余裕のことです。

余裕というのは心の強さではなく設定で変わります。幅50cmの板の上は普通に歩けるのに、100mの高さに渡された幅50cmの板の上を汗一つかかず歩ける人はほとんどいません。幅50cmと条件は同じでも、設置してある場所が違うという設定を変えるだけで、できることが突然できなくなります。

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コミュニケーションも同じです。苦手意識がある人は設定が適切ではないのです。だから、設定を変えたらコミュニケーションが突然上手くなります。

こうした設定を学べる機会を作りました。最後の告知をさせてください。コミュニケーションのセミナーに参加することに抵抗がある人には特におすすめです。

詳しくはこちらをご覧ください。
特別セミナー『鍼灸師のコミュ力の高め方

日時:6月30日(日) 東京/御茶ノ水
講師:松浦哲也、栗原誠

鍼灸師のコミュニケーション能力を高める方法


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2023年12月02日

前回の記事と一部重なりますが、今年は鍼灸師人生で大きな節目ということで現在の気持ちを残す意味で意味で改めて違った角度から書きます(10年後、自分が書いた記事を読むのが面白い)。

今年が節目となる理由は整動鍼のカリキュラムが完成したからです。10年かけて10編をリリースしました。と言っても、この記事で私のことを知った人は何のことやらとなっていると思いますので、私の活動と経歴を簡単に説明します。


人生を変えた活法


鍼灸院は開業したのは20年ほど前です。そして14年ほど前になりますが2009年にセミナーを事業として始めました。最初は活法(かっぽう)という古武術由来の整体からでした。この技術の出会いと伝えるという経験が私の鍼灸師人生を大きく変えることになりました。

「なぜ鍼灸師なのに整体?」と思われるかもしれませんが、当時、技術の伸びに不安を抱えていた私は整体にヒントを求めに行ったのです。私が担当している患者さんは、私が今も整体の講師をしていることを知らないので「整体にも行って歪みを直してもらった方がいいですか?」などと聞いてきます。

臨床の現場では話が長くならないように「整体もできるんですよ」と口にすることはありません。本当は「鍼や灸で整体をしている」と言いたいのですが、混乱させてしまうことを懸念して飲み込んでいます。

整体を定義するのは難しいのですが、「骨の位置を直す」のが整体だと認識されている方が多いです。うちの鍼灸院で「整体にも行った方がいいですか?」と尋ねてくる患者さんは、鍼灸で痛みやしびれが取れても、ちゃんと骨格を直さないと根本治療にはならないのではないか、と考えているように思います。

鍼灸では整体のように骨格の調整ができないというのは誤解です。本当は「そもそも整体とは」という話をしなければいけないのですが、早く本題に入りたいので割愛します。鍼灸が骨格に作用しているという話をしようと思います。


ツボと連動


活法という整体を通じて身体の連動を学びました。一見関係なさそうなところが関係しているなんてことがたくさんあるのです。鍼灸学校で解剖学や運動生理学は勉強するのですが「連動」に着目しません。トレーナー志望の学生が自主的に学んでいたという印象です。

ですから、たいていの鍼灸師にとって「連動」という視点は馴染みがありません。ですが、ツボに鍼をすると連動に変化が起こるのです。連動しているところは刺激したツボから離れていても変化が起こるのです。

意識をせずとも、鍼灸師がツボに鍼灸で刺激をすると動きが変わっているのです。ただ、多くの鍼灸師がそこに注目していませんでした。せっかくのツボの効果に気づかず素通りしている状況にあったのです。

私の中に使命感のようなものが芽生えました。

ツボと動きの関係を明らかにするというテーマが目の前に現れたのです。活法で起こる変化を鍼で再現できないかと考えながら施術をするようになったのです。


「古武術鍼法」改め「整動鍼」に


得られた知見は、古武術へのリスペクトから「古武術鍼法」と名付けたのですが、古武術の印象が強すぎて、本来伝えたい「ツボと動きの関係」が隠れてしまうので翌年には「整動鍼(せいどうしん)」と呼ぶようにしました。

「体を整える」という意味の「整体」になぞらえて「整動」を採用し、鍼を中心に使うので「整動鍼」と名付けました。説明しなくても「動きを整える鍼」とわかるようになりました。

2014年、今から9年前のことです。


脊柱を軸に理論を組み立てる


この整動鍼は、理論の軸を脊柱に設定しました。脊柱が自由に動く状態が健康であるという基準をつくりました。真っ直ぐか曲がっているかより、可動性を重視します。曲がっているように見えても不自由なく動けば問題なしと考え、逆に真っ直ぐに見えても動かなければ問題ありと考えるのです。

四肢(腕や脚)の動きは、脊柱と連動しているのだから問題が生じれば脊柱に現れるとシンプルに考えます。このシンプルな考え方から出発し、どことどこが関係しているのかを調べ続けて、テーマごとにまとめました。それが整動鍼のカリキュラムで10年続けてきたものです。

鍼は連動を探すには最高のツールです。極点を刺激できるので、その刺激の応答が極めてシャープに現れるのです。変化したところがピンポイントでわかるということです。

鍼でなくても手を使って周辺の筋肉を揉みほぐしても変化は出るのですが、変化が出るところが広くなるので、どこに作用しているのか、その一点を知ることが難しいのです。

鍼は点で効くので点で変化が起こります。

点しか変化しないことが臨床でのデメリットにならないように、動きの起点になるところを対象にします。簡単にいえば、動き始めで重要なところを狙うのです。初動が良くなると周辺に波及していきます。

こうした動きの調整を経験的にされている鍼灸師はたくさんいると思います。整動鍼のみが動きを整えられると言いたいのではありません。ツボが本来持っている「動きが整う効果」を探し出して整理したに過ぎません。


動くから痛みが取れる


患者さんが求めているのは、動きの改善より痛みの軽減だと言われることがあります。興味深いことに、動きが整うと関節や筋肉の負担が減るため痛みも軽減します。整動鍼は痛みを軽減させるという目的においても高い効果を示してくれます。

というより、痛みの改善が得意な方法なのです。整動鍼は、関節や筋肉を整えて痛みまで軽減させるという、患者さんが思い描いている整体そのものです。

この着眼点と実際の効果に多くの鍼灸師が興味を示してくれるようになりました。セミナーは初年度から満席になるほど大盛況。

コロナ禍という苦しい時期もありましたが、セミナーも10年続けてくることができました。最初は、1編しかなかったカリキュラムも今年で10編になりました。色々なテーマでやってきて、ようやく整動鍼の全体像を明らかにできました。


ツボとツボとのつながりを地図にする


整動鍼の理論は簡単に言えば、ツボとツボのつながりです。あるツボに鍼をすると、別のあるところに変化が生じます。さらにそこから変化が別にツボに伝わっていきます。連動の経路があるのです。よく知られた経絡(けいらく)とは、完全に別のルートです。つまり、ツボと動きの関係は経絡では説明できないのです。

整動鍼は経絡とは全く異なる理論です。整動鍼の理論を知っている鍼灸師にしか引き出せないツボの効果があります。この整動鍼ならではの部分に魅力を感じる鍼灸師に整動鍼を伝えてきました。
整動鍼の理論に着手してからゴールは経絡と決めていました。


整動鍼を通じて経絡の始まりを探る


たまに誤解されるのですが、私の目的は経絡を否定することではありません。整動理論を経絡より優れていると言いたいわけでもありません。まだ見ぬツボの効果に出会いたいだけなのです。

同じ身体を観ているのだから、異なる視点で追求していても出会うことになるだろうと、ぼんやりと思っていました。整動鍼に理論の始まりがあったように、経絡にも理論の始まりがあったはずです。

古代の人は、何かを観て経絡学説を仕立たのです。整動鍼を追求しているうちに、彼らが観たものと同じものに立ち会っているような感覚が芽生えてきました。何を観て経絡という発想に至ったのか、理論の始まりとなる原糸のようなものに興味が湧いてきました。

「経絡原糸編」と名付けた整動鍼の十番目。経絡をつくった鍼灸家の意識に触れることができるかもしれません。

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(2023年11月26日撮影)


カリキュラムは一区切りとなりますが、終わりではありません。むしろ、十の編を練り上げていくという仕事が始まります。また、臨床家として整動鍼を使いこなすという課題は存続します。理論をつくったからと言って使いこなせるわけではありません。むしろ、私より上手に使いこなす鍼灸師がこれからどんどん出てくるはずです。楽しみです。

こちらもよろしくお願いします。
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yoki at 23:48│Comments(2)
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