鍼灸師の裏話

2022年04月25日

新人研修で育てるのは自信


新人研修の目的


(針の統一


うちの鍼灸院の場合、新規で採用した鍼灸師は他で臨床経験があっても、必ず研修期間を経てから患者さんの施術を担当するようになっています。これは、技術的な意味合いもありますが、方針を統一するという意味合いの方が強いです。

方針というのは、たとえば通院ペースであったり、難しい症状だったときにどう対応するか、などです。鍼灸院によって、おすすめする通院ペースが違います。リピートに対する考え方も違います。

うちの院の場合は、ネットに公開している症例を読まれている方が多いので、そこで通院ペースや通院回数を目にしているので、ほとんどの方がリピート(通院)する心構えでやってきます。ですので、リピートを促すようなトークなどまったく必要としていません。

こうした案内がスタッフでバラバラですと、担当が変わったときに違和感が出てしまいます。逆の言い方をすれば、担当が変わってもできるだけ同じ質感のサービスを提供したいという方針があるので、統一するようにしています。

次に、技術的な研修について説明します。ひとくちに「鍼灸」と言っても、やり方は千差万別です。鍼灸師によって違います。鍼灸師の私から見ても、実際に見るまで、どんな施術をするのかわかりません。ネットの文言だけで鍼灸院を決めなければならない患者さんは本当にたいへんです。

⊆信をつくる


うちの鍼灸院の場合、臨床(施術業務)にデビューするまで、1〜6ヶ月間くらいかけています。場所によって3日くらいの研修で臨床デビューするところがあると聞くので驚いています。研修期間が短ければ短いほど経営的なメリットがあるのでしょうが、うちの鍼灸院では、急がないようにしています。


研修を進めていくと、技術的にもどんどん上手くなっていくわけですが、技術の追求に終わりはありません。もし完璧をゴールにしたらいつまでも臨床デビューできません。ですから、研修のゴールは技術面以外のところに置いています。

「患者さんを不安にさせない」

という基準で考えています。自信がないように見えたら患者さんは不安です。自信がなければ、必ず言葉やしぐさに表れて患者さんはすぐに気がつきます。ということで、どうやって自信をつけていくのかという話に移っていきます。

完璧な技術などないのですから、技術面は自信の一部にはなりますが、それがすべてではありません。未完成な技術の中で自信をつけていくものです。


自信と謙虚さの関係性


私自身が「自身のつくり方」で悩んでいた時期があります。ようやく自信の正体が見えてきました。結論を書く前に、私の勘違いをお伝えしようと思います。

「自信」の反対は「謙虚」だと思っていました。私の他にもこう思っている人はいるのではないでしょうか。こういう勘違いをしているので、自信があるように見られた方がいいのか、謙虚であるように見られた方がいいのか、と態度の取り方に困っていました。謙虚になると自信なさそうに見えてしまうし、自信を出すと謙虚でないように見えてしまうし…といった具体に。

私の頭の中が整理できてから、まだ数年しか経っていません。ようやく、

「謙虚さは自信によって生まれる態度」

であるとわかったのです。ただし、謙虚さを生むのは本当の自信です。本当の自信とは「何度も同じことを繰り返せるという確信」です。本当の自信というのは、地味なものでアピールするようなものではありません。たとえば、職場から家に変えるとき「何度も家に帰れるという確信」があるわけです。「またあした〜」と挨拶する言葉の中には、「帰宅できる」という自信が存在しているのです。

このように考えると、自信というのは意気込みのようなものではなく、何気ない当たり前そのものなのです。


自信が生まれるプロセス


通勤を例に続けます。引越しをして新しい土地であれば「ちゃんと帰れるだろうか」という気持ちが生まれます。自信が持てないという状態です。最初はそうであっても、1ヶ月も通勤していればそんな気持ちは消えてしまいます。成功体験を積み重ねているからです。

自信をつける方法はただ一つ、成功体験を積み重ねることだけです。通勤くらいであれば、難易度が低いので苦労せずに成功体験を積み重ねていけますが、仕事となるとそうはいきません。失敗の連続ということだってあります。失敗が続くと、自信を完全に失ってしまって取り戻せなくなります。

そのときのレベルに合わせた課題に取り組むことが自信をつけていくには重要です。「そりゃそうだよなぁ」と誰もが思うような話だと思います。難しいのは「そのときのレベルに合わせた課題」を用意することです。

簡単すぎたら飽きるし、難しすぎたら失敗を繰り返して自信を失います。どんな課題を用意できるかが研修のポイントなのです。


謙虚さが生まれるメカニズム


何かができるようになると、何ができないかがわかってきます。できるようになるということは、できないことを知るということです。できることが増えると、できないことが減るわけですが、視野が広がり世界がどんどん広がっていくので、できないことだらけであることに気が付きます。

できることが増えれば増えるほどに、できないことが増えていくわけです。この「できないことがたくさんある」という気づきが謙虚さになります。

自信と謙虚


自信をつくる研修課題のルール


未だに「これが正解」というものにたどり着けていませんが、気をつけていることを書きます。研修の目的は自信をつけてもらうことです。もちろん。スキル向上を伴う自信であることが大切です。ときには、スキルが向上しているのに自信につながらないことがあるのです。

自信にならないときは、課題が重すぎる場合です。課題を出す側としてみたら、しっかり課題を与えた方がそれを乗り越えて自信になっていくと思いがちです。しかし、実際には失敗を繰り返して行くうちに、自信をどんどん喪失していきます。自信は成功の積み重ねから生まれるわけですから、課題を与える目的は成功体験をしてもらうことにあります。

そのために気をつけているのは、課題を細かく切り分けることです。そして、その課題に取り組んでいるときは、別のことが気になっても我慢します。いくら細かく切り分けたとしても、同時にいくつもの課題をクリアするのは無理だからです。

つまり、自信をつくる研修を実現するためには、課題を細分化しておく方がよいのです。研修時間も細分化するようにしています。そして、毎回ほめて終わるようにします。

ほめてくれる人が自信をはこぶ


自信は成功体験を積み重ねから生まれる話をしてきましたわけですが、忘れてはいけないのが、成功を認めてくれる人の存在です。施術のスキルは対人ですから、一人で「うまくいった!」とはならないわけです。研修を担当するときは、課題を与えるだけでなく評価をして終わることが必須です。その評価はほめるです。もちろん、無条件にほめたら無責任ですから、ほめて終われるような課題を用意します。

ほめすぎたら勘違いすると勘違いして、悪い点ばかり指摘しているとどんどん自信をなくしますし、研修が苦痛になってしまいます。責任ある仕事ですから、苦痛を伴う業務から逃げられないという場面もあります。だから、普段からわざわざ苦痛をつくる必要なんてありません。

好きで始めた仕事ですから、嫌いになる理由さえなければ好きでいられるのです。嫌いになる理由の一つは、自信を奪う人が近くにいることだと思います。

人は子供であっても大人であっても、ほめられて伸びるものです。あなたの近くにほめてくれる人はいますか?



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2022年04月19日

患者さんを観るときの手順


これから、私が臨床でどんなふうに患者さんを観ているのかを解説していきます。やり方は鍼灸師によっていろいろですから、これが正解というものではありません。ひとつの個性として読んでいたければと思います。話をわかりやすくするために、問診を終えたあとからやることを書きます。

〆前未両態から観る


着替えたあと、施術室のベッドに横たわって待っている患者さんもいます。寝た状態で施術が始まるというイメージがあるからなのかもしれません。不思議なのは、鍼灸が初めての方でも、横たわっている場合があるのです。

もし、寝ていたら必ず起きてもらいます。ベッドの腰掛けた状態からはじめます。例外はありますが、基本的に坐位から始めます。もちろん理由があります。それは、覚醒時の状態からチェックしたいからです。理由からすれば立位でもよいのですが、落ち着かないという事情で坐位としています。

坐位のまま患部やその周辺に触れて正確に把握するようにしています。患者さん自身に気になるところをに触れてもらい、そこをトレースするように触れていくことが多いです。坐位でやりづらい場合は、立つかベッドに寝るかなど、確認しやすい姿勢になってもらいます。


患部にとわられず全体を観る


最初に患部の確認はするのですが、いったん患部から目を外します。理由は、患部に意識がとらわれないようにするためです。患部に原因があれば、患部をじっと見続ければよいのですが、そういう場合は少ないのです。こじらせた症状ならなおさらです。

あえて目的をもたず全体の印象を観ることを大切にしています。触れる前の話です。観た印象を大切にするようにしています。医学知識があるなしに関わらず、人が本来もっている本能というものがあります。それをできるだけ殺さないように心がけています。

知識の否定ではありません。本能的な感覚に飛び込んでくる情報を大切にしたいからです。鍼灸師である前に一人の人間ですから、人間の持つ直感も大切であると思います。もし「何かが変」だと感じれば、理由はわからずともその感覚は大切にしています。場合によっては、それ以上は触れず、他の選択肢を促すようにしています。もちろん、医学的な知識で危険兆候を察知すれば、言うまでもなく病院での検査をすすめています。


A歓箸龍敍に触れて緊張感を診る


全体を目で観たあとは、実際に触れて行きます。肩からや背中から診ることが多いです。ここでも、患部にはとらわれず診るようにしています。どうしても、気になるところを診ようとするので、意識が偏ってしまうのです。そうならないようにします。理由は、診たいところに原因があるとは限らないからです。

話はそれますが、原因というのは一見関係なさそうなところにあることが多いのです。慢性化してなかなか治らない症状では特にそうです。肩こりや腰痛など、一般的な症状でも同じです。患部から離れたツボを使って症状が改善すると、患者さんは「そんなところが関係していたんですね」と不思原因を探すためには、議そうな顔をされることがあります。

患部で起きていることの理解と同時に、患部以外のところで起因となることがないかと、先入観を入れずに観ることも必要なのです。言うは易し行うは難しです。


ご吃瑤抜慙△垢覿敍の緊張感をチェックする



で書いたような、患部にとらわれない観察を繰り返していると、患部と全身との関係のパターンも見えてきます。鍼灸師はこうしたパターンを経験の中に蓄積しています。私の中にも蓄積があり、再現性の高いものは積極的に共有するようにしています。

筋肉ばかりで骨の歪みは観ないのか、と思われるかもしれません。骨格の癖も目に入ってきますが、私は筋肉の緊張感を優先しています。理由は、骨格の癖を生み出しているのは、筋肉だからです。筋肉の状態が整うと必ず骨の位置も変化していきます。

このように筋肉の緊張でカラダの状態を理解しようとするのは、私の個性です。鍼灸師によって、手首の脈を診て判断する人もいますし、舌診といって下の状態で判断する人もいます。他には、皮膚の状態で判断する人もいます。カラダにはあまり触れず、問診で得た情報からツボを絞り込んでしまう人もいます。


デ感、冷汗、発汗をチェックする


い汎瓜になってしまいますが、筋肉の緊張度をチェックする一歩手前では皮膚に触れているので、皮膚からも情報を得ています。筋肉に触れる前に皮膚に触れているわけですから、5番目ではなく4番目でもよいのですが、ここに位置づけたのは重要度が筋肉の次だからです。あくまでも私の中での重要度なので、皮膚は重要ではないという意味ではありません。

少し細かい話になりますが、筋肉の方が座標としてわかりやすいと考えているからです。座標としてわかりやすければ、再現がしやすく、他者との共有にも有利です。私は再現可能であり共有可能なものを重視するタイプなので、座標としてわかりやすい筋肉を優先しています。

もちろん、これは私の個性ですから「私はこうじゃない」という話があって然りです。


ζ阿をチェックする


ここからが個性の本番です。私は人間の不調を動きの不調として理解しています。痛みがあるとき、動きづらいという問題が潜んでいます。だるい場合、疲れやすい場合も同じです。思ったように動けないという状態が不調を招いているのです。内臓の不調でも同じです。内臓と筋肉には、神経学的にも深い関係があり、筋肉が異常に緊張していれば内臓機能に悪い影響を及ぼします。

動きは、客観的な判断がしやすいことも特徴です。患者さん自身も変化に気づきますし、第三者もわかります。鍼灸の効果を視覚化できるというのは大きなメリットです。鍼灸の効果に懐疑的な人でも、動きの変化を見せられると認めざるを得ません。

最近、ツボには動きを整える効果があることがわかってきました。私はここを切り口に鍼灸の可能性を広げていこうと思っている鍼灸師です。


まとめ


いかがだったでしょうか。書き漏らしているところもありますが、私の個性を伝えるには必要に達しているのではないかと思います。もっと詳しいことは、専門家向けの教材やセミナーを通じて行っています。

鍼灸の魅力の一つは多様性です。しかし、そのいっぽうで種類がありすぎてどう選んだらよいのかわからないという意見も多いのです。鍼灸師業界では、「ひとり一流派」なんて言う人もいます。鍼灸は、鍼灸師の感覚に委ねられるところも多いので、鍼灸師の感性によってその効果が左右されます。そのため、相性のよい鍼灸師に出会えるかどうかで、鍼灸に対する評価が変わってしまいます。

鍼灸を名人芸として考えるなら、名人のみが生き残る世界でよいのでしょうが、鍼灸を医学的に発展させていくには、名人芸が引っ張る業界から脱皮しなければなりません。訓練さえすれば、誰でもできる技術に整理していく必要性を感じています。私がその一翼を担えればと思って、新しい技術体系の提唱に力を注いでいます。このブログでもその活動を時々取り上げていこうと思っています。



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2022年04月18日

患者さんをどこから観るかで鍼灸師の個性がわかる


鍼灸はいろいろ


鍼灸も色々で、鍼灸師の数だけやり方があると言っても過言ではありません。この多様性がよくも悪くも鍼灸の個性です。

よい部分としては、病院などの標準治療(保険診療)では対応してもらえない症状にも対応できる場合があることです。悪い部分としては、統一見解がないので何が一番よいのかわからず、患者さん自らが判断しなければならないことです。色々な受け比べる余裕がある人は少ないわけですから、「ここが合っているかもしれない」と直感で選ぶしかありません。


最初に何を観るか


鍼灸師の一人として、鍼灸師の個性がどこに表れるのか説明したいと思います。ここで取り上げるのは、最初に観るところです。患者さんと対面した時に、何を観るかがその鍼灸師の個性を表しています。

たとえば、姿勢を観るのか、顔色を観るのか、脈を診るのか、全体の印象を観るのか、などなどあります。人間の脳は万能ではありませんから、着目したところの情報を優先して受け取ります。ガヤガヤした人混みの中で友人と会話が成立するのは、友人の声を優先的に拾って、それ以外をノイズとして処理しているからです。

私も例外ではなく、すべての情報を平等に処理することはできないので、意図的に着目するところを決めています。私の話はさておき、どこに注目するかが鍼灸師の個性を決定づけるというところは、鍼灸師選びのヒントになると思います。


説明が腑に落ちるか


鍼灸師にカラダを診てもらうときは、最初に何をチェックされるのかに意識を向けてみてください。ずばり訊いてみてもよいと思います。「私のカラダ、どうですか?」と。

どんな回答であれ、スラスラと回答が返ってくるようであれば期待できます。ただ、何を言っているのかわからない場合、その後もわからないかもしれないので、説明が腑に落ちる鍼灸師が合っていると思います。


「なんとなく」ではダメ


こうした発言は、ブーメランですから私自身にも返ってきます。患者さんから「私のカラダどうですか?」と訊かれた際に、即答できるようにしたいものです。そのためには、カラダを観る際の着眼点を定めておき、その解釈をスラスラできる準備が必要です。単に知識を増やすだけではむずかしいです。情報を整理する能力を磨く必要があります。

ですから、普段の臨床で心がけているのは「なんとなく」をつくらないことです。ツボを選ぶ際もそうです。なんとなくツボを選ぶことはしないようにします。口に出さなくても、ツボを選ぶ根拠があれば、訊かれた時に明瞭な回答を用意することができます。その際、専門用語のままではわかりにくいので、わかりやすい言葉を選ぶようにしています。


次回は、私が何を観ているのかを書きます。▶患者さんを観るときの手順(クリ助流)



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2022年04月17日

気持ちよい治療が最高の治療であるという誤解ははぜ生じるのか


気持ちいい施術ほど優秀なのか?


施術において、患者さんの気持ちよさを追求することがよい施術の条件でしょうか。答えはNOです。患者さんの欲求を満たすことがよい施術の条件でしょうか。これもNOです。ただ、商売として考えるなら、それはGOODになるでしょう。

こう言い換えることができます。

来院する方を患者さんと扱うなら、気持ちよさの追求はNOですが、来院する方をお客様と扱うなら、気持ちよさの追求はGOODかもしれません。

つまり、鍼灸を医療と考えるのであれば、気持ちよさは善し悪しの基準にはなりません。リラクゼーション業と考えるなら、気持ちよさが価値の柱です。当然ながら、リラクゼーション業から鍼灸に転向した方に「気持ちよい施術がよい治療」と主張する人が多くみられます。その理由を私なりに考えてみました。


二つの基準が混在する日本の業界


日本の鍼灸師は、施術に気持ちよさを求める傾向が強いように思います。それは、免許制度にあると思います。私は、「はり師」「きゅう師」「あん摩マッサージ指圧師」の3つの免許を持っています。「はり師」と「きゅう師」は一緒に取る人が多いので合わせて「鍼灸師」とまとめて表現することが慣例です。

ここで質問です。鍼灸師の上手さとは何でしょうか。いろいろな言い方があるでしょうが、ひとつは「ツボの効用を引き出せるか」だと思います。ツボ特有の効用を自在に引き出せる鍼灸師が上手だと私は考えています。

これに対して、あん摩マッサージ指圧師の上手さとは何でしょうか。ほとんどの人が、気持ちよさがあるかどうかで上手か下手を判断しているのではないでしょうか。専門的にみれば、気持ちよさだけで判断されるべきではないのですが、現実問題、現場が重視しているのは気持ちよさでしょう。

お気づきかと思いますが、この日本独特の免許制度によって、鍼灸とあん摩マッサージの上手さの基準が混同されてしまっているのです。その結果、日本の鍼灸師は知らず知らずのうちに「気持ちよさ」を正義にしてしまっているのです。


気持ちいい鍼灸は日本の宝?


世界的に見ても、日本のように気持ちのよい鍼灸ができる国はないと思います。日本人鍼灸師が世界で人気がある理由のひとつであると思います。であるならば、気持ちいい鍼灸を日本人は追求すべきではないか、という意見になりそうです。確かに一理あります。

ただ、慎重に考えてみる必要があります。なぜならリラクゼーションの一角として評価されているとも言えるからです。もちろん、リラクゼーションとしての鍼灸にも十分な価値があり、特筆すべきものです。ただ、鍼灸はリラクゼーションの中に収まるようなものではなく、医療的な価値を秘めていると考えれば、気持ちよさという一本の基準で鍼灸の価値を測るべきではないと考えます。


リラクゼーション業に従事する人が抱えるコンプレックス


「気持ちよい施術がよい治療」と主張している人たちは、「リラクゼーションをバカにするな」と主張していることが多いのも興味深いです。「医療が上でリラクゼーションは下」であると思い込みから生まれる劣等感が見え隠れしています。

気持ちよさを追求するいっぽうで、治療効果も同時に狙っていこうという欲がちぐはぐを招いているように思います。

鍼灸師の中には、もともとリラクゼーション業をしていた人もいます。リラクゼーションの現場で「気持ちよさ」という基準で技術を評価されることに慣れてしまうと、簡単に基準を変えられません。無意識に気持ちよさを演出しようとするのです。その方が評価が高くなると考えるからです。もちろん、気持ちよくて良くなる治療があれば最高ですが、そんなことはあり得ません。

気持ち良さと効果を切り分けて考えることができるようになったとき、コンプレックスから解放されるのかもしれません。


医療は気持ちよくないのが当たり前


本来、医療は気持ちいいものではありません。むしろ、苦痛を伴うのが普通です。その苦痛をできるだけ少なくしようと色々な人が努力をしています。検査方法であったり手術方法であったり、楽な方に進化しています。あくまでも楽な方であって、気持ちいい方に進んでいるわけではありません。

もともと鍼灸は医療でしたから、苦痛が減るように進化してきました。100年前の鍼よりも、今の鍼の方が痛くありません。素材も加工も工夫されています。道具の進化に助けてもらいながら、私たち鍼灸師は「効果の高さ」を目指しています。


気持ちよさが最良のクスリになる場合


これまで、医療においては気持ち良さは基準にはならないと書いてきました。しかし、例外があります。ストレスを起因とする症状においては、気持ちよさが特効薬になる場合があります。一般的な医療のスキマになっています。スキマというほど小さなものではなく、医療の欠陥であるということもできます。

検査しても原因がわからない。そんな症状は少なくありません。「自律神経が原因でしょう」と言われたら、はっきりとした原因が見つからなかったという意味です。多くの場合「交感神経優位」という状態で、体が緊張しすぎている状態です。こんなとき、鍼灸や手技療法の気持ちよい刺激が効果的です。「気持ちよい」と感じる刺激は、交感神経のはたらきを抑えてくれるからです。

結果、体だけでなく心の緊張も解けて、身心の調子が向上するのです。ですから、リラクゼーションにも治療効果があると言えます。リラクゼーション的なサポートは、医療の中で抜け落ちている部分であり、鍼灸師が担える部分です。

とはいえ、鍼灸をリラクゼーションの殻に閉じ込めるべきではないと考えます。リラクゼーションは、鍼灸の持つ魅力のほんの一部でしかないからです。


社会が求めるストレス解消ビジネス


リラクゼーションは一つの産業です。鍼灸よりもはるかに大きな産業です。免許を問われないいわゆるマッサージ系の仕事はたくさんあります。その中には「整体」も含まれます。

多くの人が誤解していますが「整体」という免許はありません。「整体」はサービス名で、言ってみれば「ネイルサロン」と同じです。

話を戻します。医療の世界を一歩出たら、そこにはリラクゼーション産業が広がっています。鍼灸はそもそも医療の端っこにありますから、リラクゼーション産業の中に片足をつっこんでいる状態とも言えます。

今も昔もストレスは問題です。多くの人がストレスに悩んでいます。リラクゼーション業は、ストレス解消ビジネスの一つであるように私は思います。遊園地やサウナと同じジャンルとして扱ってもよいと思います。もっといえば、居酒屋を含めてもよいかもしれません。


職業観とプライドの話


あとは、私たち鍼灸師の職業観の問題です。鍼灸で何をしたいのか、それぞれの鍼灸師で違うわけです。私は、鍼灸の医療的価値を追求していく立場です。

こうした立場からすると、気持ちよさを正義とは言えないのです。「痛くて苦痛を伴う鍼灸治療であっても患者さんが治るためなら仕方ない」と考える立場です。これを、わざわざ表で言うことはありません。商業的な立場からすると損をしてしまうからです。もちろん、施術においては、できるだけ苦痛が少ないように努めています。

商業的に考えたら「うちの鍼灸院は気持ちよくて治りもいいですよ〜」と言っている鍼灸院の方がウケます。「マズイけど栄養たっぷりですよ」というよりも「美味しくて栄養価も高いんですよ〜」と言った方が売れるように。

中には、美味しくて栄養価が高いものもありますが、美味しいから栄養価が高いとは言えません。同様に、鍼灸も気持ちいい施術ほど効果が高いとは言えません。

開業鍼灸師は、人気商売でもあります。私のようにバカ正直に生きるのは損なことかもしれません。ただ、自分の仕事には嘘はつきたくないのです。端から見たら、くだらないプライドに縛られているだけなのかもしれません。



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2021年10月26日

昨日、こんなツイートが流れてきてビックリしました。



あまりに馬鹿げていると思ったので、ご本人に「反論しますよー」と宣戦布告のDMを送ってしまいました。ご本人のツイートを見たら、私以外にもDMを送っている鍼灸師がいるらしく、このツイートに対して黙ってはいられない鍼灸師がいるようです。真面目な鍼灸師が反応しているという言いっぷり。

こういうものは、裏でやっても面白くないので私は自分の意見を表で書くことにしました。私にとって大好物のネタです。

ご本人から許可も頂いているので、さっそくテツさんのツイートに突っ込んでみようと思います。こういう記事を書くと、「足の引っ張り合いをしてばかりいるから鍼灸業界が盛り上がらないんだ」という意見が必ず出てきます。そういう方に言っておきたいことがあります。鍼灸業界を盛り上げていくのは、活発な議論です。おかしいと思うことはしっかり批判し、発言する側も批判を受け止める覚悟を持つことです。

テツさんにもテツさんの考えがあり、それを支持する鍼灸師がいることも確かです。私はテツさんが憎いわけではありません。ただ、考えが180度違うので、私みたいに考えている鍼灸師もいますよ、と存在を示しておきたいと思ったのです。テツさんに恨みはありません。私が送ったDMにきちんと返信をくださったので信頼しています。

ということで、遠慮なく行きまーす!


1.今の鍼灸が効かなくなったと誰が言っているの?


こう言っている人がどこかにいるかもしれません。どこにもそんな根拠はありません。そもそも、鍼灸は効果を数量化するのが難しくて苦労しているので、効かなくなったというデータなどあるはずがないのです。「最近の若いもんは〜」と全く同じです。若手をディスっているなら老害です。

2.「気」や「邪気」が見えるはずがない


「気が見える」という鍼灸師は怪しいと思って間違いありません。少なくとも医学的な立ち位置ではありません。占い師と同じような存在価値であると思います。「気」や「邪気」というのは、見えない物質や見えない力を指すものとして使われてきた言葉です。

空気を吸わないと死んでしまいますから、空気に何かしらのエネルギーが含まれていることは昔の人も気づくわけです。いっぽうで、空気には有害物質が含まれていることがあります。悪いものが含まれているのは間違いないがそれが何かわからない、という状況もあったわけです。そうしたときに、それを「邪気」と呼び危険性を理解しなければならない時代があったわけです。

ですから、「気」や「邪気」は人間の五感では判別できないが存在するであろう何かを指す言葉なのです。だから、見えるはずがないのです。見えているならそれは幻覚です。もしくは虚言です。


3.鍼灸師の才能は多角的に評価されるもの


勘が働くという言葉があるように、理屈では説明できないほど未来を予測できたり、状況を見抜けるような場面があります。そのとき第六感が働いているのかもしれません。ただ、鍼灸師は第六感で勝負する職業ではありません。問診力や洞察力によって症状の起因や原因を絞り込み、五感を駆使して異常点にたどり着くのです。手指の感覚も大切ですが、コミュニケーション能力、観察力、推察力、洞察力、推理力などを駆使して患者さんの悩みを解決していくのです。勘がいいかどうかだけで適正が決まるほど簡単ではありません。


4.徒弟制度こそが鍼灸の発展を妨げてきた


今でも徒弟制度のなごりはあると思います。同業の鍼灸師と話していると、「師匠」と言葉を時々耳にします。「技術は師匠から学ぶ」という慣例は残っているように思います。鍼灸師には共通の技術、つまり標準治療がありません。師匠それぞれが使っている技術が違うのです。理論的に施術を組み立てている鍼灸師もいれば、それこそ第六感を頼りにしている鍼灸師もいるわけです。

自由にやっていいのが鍼灸なのです。その良さがあることは否定しません。ただ、この状況では永遠に標準治療にはたどり着けません。標準治療はエビデンスから正しさや妥当性を導いていきますが、徒弟制度は師匠が黒といえば黒、白といえば白の世界です。鍼灸がアートであれば、同じものが白に見えても黒に見えてもかまいませんし、むしろ、白でありながら黒であるようなところにアートの価値があると思います。

そういう意味で、テツさんの視点は完全にアートに偏っています。あのツイートもそんな立場から出たと考えれば合点がいきます。

5.気が見えるとしても病気や怪我を治せるわけじゃない





ここは、テツさんと同意見です。見えることと解決できることは別問題なのです。たとえば、家から火が出ていれば火事だとわかります。しかし、鎮火できるかどうかは別問題です。気が見えるという話が本当だとしても、病気や怪我を治せるわけではないのです。

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