ひとりごと

2020年01月18日

すごい治療家のうわさ話


医師以外で治療行為を行う人は、「治療家」と呼ばれています。

病院の医師の治療を受けて治らない人が、次に頼るのが治療家です。民間療法を行っていたり、独自に考えた治療法を施したり、スピリチュアルな世界に誘ったり。あまりにも多くて誰も正確に把握できないのではないでしょうか。

治療家は、免許や資格の名称ではないので、愛妻家と同じジャンルの言葉です。ですから、治療家を管理する法律もありませんし格付けする客観的な指標はありません。すごい治療家と言われている人、名人と言われている人はいったいどういう人なのか、興味はありませんか。

すごい治療家を考える上で、とても勉強になる動画を見つけたので紹介します。私は「鍼灸師」という免許の上で業を行っていますが、医療者のはしくれなのか、治療家のはしくれなのか、未だによくわかりません。

それはさておき、すごい治療家の条件を知りたい方はぜひ観てくださいね。短い動画なので、ご覧になりながら、読んでみてください。くりぃむしちゅーの上田晋也さん、話を聞いていて飽きません。どんどん、上田さんの体験談に引き込まれていってしまいました。

お願いです。動画を見る時は、必ず3つ目の最後まで観てくださいね。最後まで見ると、最後まで観てほしいとお願いしている意味がわかると思います。



しびれと肉離れがいつまでも治らない。ある時、知人から地方と東京を行き来しているという、ある人の存在を知る。

看板を出していないのでLINEで本人に連絡した。都内のマンションの一室に行ってみると、女性なら抵抗がありそうな雰囲気が漂う…。

その人は、幼少期からマッサージが得意で、傷は治っているのに痛みが残るケースがあり、それは脳が「痛い」という信号を出し勘違いが起きているかららしい。脳の不思議に興味をもち、いったん脳外科になり、そのときの経験を活かして整体をしている。



施術は軽いタッチで、手早い。痛みを出している信号を見抜く感覚は、霊的なものではなく、大工さんが柱の歪みを見極めるの能力と似たようなもの。

その人によると、癌もステージ2なら治せるという。うつ病も治せるが、膵臓がん、パーキンソン病、肺気腫、リウマチは治せないとのこと。

患部と違うところに原因を見つけ出し、瞬間的に手で何かされた。翌日は変わらないけれど、3日後にスカッと治ると告げられた。

・・・

翌日は予告通り、症状変化なし。
そして、3日後・・・

結末は、いかがでした?


ネタバレと感想


芸人さんのネタですから、実話かどうかわかりません。でも、オチを聞くまでの展開は「ふむふむ」と思ってしまうものばかり。聞き入ってしまいました。身近に心当たりがあるからです。結末はさておけば、私の活法の師匠にそっくりです。予告どおりに治ってしまえば、神のように扱われ、治らなければ詐欺師と扱われます。

治療家には客観的な格付けがありませから、実際に診てもらうまで、どんな人なのかわかりません。施術を受けた時も、はじめて見る手技でれば、それが上手なのか下手なのかわかりません。

オチで爆笑した後、考えさせられる話でした。

何気ない芸人の雑談のように見えているけど巧妙な話術です。もちろん、エンターテイメントですが、実際目の前にこんなふうに話す人がいたら、名人像をつくりあげられてしまうのだろうと思います。話を聞いている太田光さんもオチを知らないらしく、オチの直前まで興味深く聞いているのがわかります。


動画1の感想

,覆なか治らない症状であることを印象づける。
解剖学用語を交えて説明し、話に緊張感をもたせる。
紹介がなければ会えない人である希少性を演出。

動画2の感想

,△笋靴の酖でないことを大工の職人芸で説明する。
△任ない例を挙げることで、できる例を信じさせる。
4吃瑤箸楼磴Δ箸海蹐某┐譴襪箸いΠ娚粟を強調。

動画3の感想

.チの直前まで全く同じ口調。
△海海泙任垢戮椴∪擇觀詼。


こんなふうに名人像はつくれてしまうのです。オチまで観なかったら「こういう名人がいるんだ!」って信じると思います。弱っている時ほど信じてしまうので、治療家業界にはこういう手法がマーケティングで有効です。もちろん悪用なんてしてはいけません。

話に出てきた治療家は名人でなかったかもしれませんが、上田さんは疑いようのない名人。
お見事でした!


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2020年01月02日

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あけましておめでとうございます。

2020年を無事に迎えることができました。誰もが必ず迎えられるわけではありませんから、本当におめでたいです。

本当は、すぐに今年の意気込みを語りたいところですが、2019年は私にとって特別な年でしたので振り返らずにはいられません。反省すべきことが多いので、整理してから次に進みます。2020年は2019年の学びを活かして仕事も生活もアップデートします。


思考と感情を記録する


このブログは、私の行動も記録されますが、思考と感情も記録されます。私には、思考と感情を記録する目的が主です。行動は写真や動画で記録が残りやすいのですが、思考は意図的にアウトプットしておかないと、いつのまにか上書きされてしまいます。油断すると、自分の過去は都合よく書き換えてしまうものです。

生きているとつらいことがあります。毎日のように患者さんと接しているので、この感情と向き合いながら生きています。

どんなにつらいことがあっても思い出に変わる時があります。時間がそうさせてくれることもありますし、心が整理できた時にそうなることもあります。トラウマにせず、よい思い出にするには、記憶と感情の整理がもっとも重要ではないかと思います。

専門的な話になりますが、ツボは記憶と密接に関わっていると考えています。感情とも関係が深いです。通説ではありませんが、これからの研究で詳細が明らかになっていくでしょう。

少なくとも凝りの程度と位置情報はその人の状態を表す立派な情報です。「毎日同じところが気になる」ということは記憶されている証です。体の状態は脳に伝わりますから、ツボと脳の関係も密接です。

このように考えると、鍼灸師という職業は記憶を扱う仕事です。記憶を整理することで健康を取り戻すお手伝いをしているのです。

ということで、自分の記憶もしっかり整理したいと思っています。

ちなみに、メンタルを「強い」と「弱い」で考える人が多いのですが、強弱で考えることはおすすめできません。出来事に対する記憶の仕方の違いが、メンタルの安定感の違いになると考えているからです。上手に記憶を整理できる人が、精神が安定するので「メンタルが強い」と言われます。私もメンタルを褒められることがありますが、強いわけではないのです。記憶を整理する習慣をもっているだけです。ここだけは自慢できます。


自分に嘘をつかずに生きる


自分に正直に生きることは意外と難しいことです。ついつい周りに合わせてしまいます。「迷惑かけちゃいけない」とか「変なふうに思われたらいやだな」とか、思ってしまいませんか。

でも周りに合わせて行き着くのは、無理してつくる平均です。自分に嘘を付きながら生きていれば、精神がどんどんすり減ってしまいます。平均の中に幸せが眠っているとは思えません。

仕事でも正直でありたいです。小さな院でも経営していれば不安はつきまといます。不安が強くなればなるほど平均に向かっていきます。みんながやっていることの方が安心できるからです。

しかも、上手くいかなかった時に、「みんながそうしているから」と言い訳にもなるのです。でも、平均をとってうまくいくことはありません。みんながやっていることは時代遅れになっているからです。

経営の正解はわかりません。これだけ時代の動きが激しいと先読みができません。どうせ失敗するならば、自分に正直にやって失敗した方がマシです。自分に嘘をついて失敗すると人のせいにしたくなります。一番よくないことです。

正直でいると、「自由で勝手すぎる」と離れていく人が出ます。でも気にしません。本当の仲間は、自由で勝手すぎることにワクワクしてくれる人たちだと思っているからです。

でも、正直を通すにはひとつ条件があるように思います。それは、理解してくれることへの感謝の気持ちです。新年を迎えられたのは、私を理解し応援してくれた人たちのおかげです。改めて、ありがとうございます。


余裕をつくって愛されたい


私は、そこそこ正直に生きられるようになってきたのですが、余裕がぜんぜん足りません。2つの原因が考えられます。

一つ目は時間の配分が下手であることです。そのため、忙しくなってしまうのです。端から見ても自分の感覚でも忙しい状態になります。文字通り、心を亡くした状態になり周囲に無関心になってしまいます。本当は無関心ではないのに、無関心な態度に見えてしまいます。それで誤解されて損をします。

二つ目は、夢中になってしまうことです。これは欠点であると同時に長所なので、周りに理解を求める努力が必要だと思っています。私は、集中できることには異常に集中してしまうタイプです(全く集中できないこともたくさんあります)。その世界に没頭してしまうので、周りが見えなくなります。

ただ、周りが見えない時ほど、ひらめいています。私と一緒に働いているメンバーはそのことを理解しているようで、フォローしてくれます。本当にありがたいです。

没頭していることが多いので、周りにいる人間は「なぜ大事にしてくれないのだろう」と感じる人もいるでしょう。大事にしたいと思っていても視野が狭くなっていて気がつけないのです。

時間は有限、そして体は一つです。自分の器に合わせて人間関係を整理することが必要なようです。努力に関係なく理解し合えない人がいます。そこで消耗してしまうと新しいことができません。割り切りをして、理解してくれる人のために時間を使おうと思います。

「余裕がある人って素敵だなぁ」

って、思われるようになりたいですね。そうしたら、愛される人間になれると思います。なんだか、愛に飢えている人みたいな感じになってしまいましたね。


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2017年01月21日

自動運転のクルマが_512


コミュニケーションの第一歩は景色を共有すること


本日、車関係の仕事をしている患者さんと雑談をしていたら、興味深い、ハッとさせられる話がありました。

自動車は自動運転技術に向けて、技術競争があちこちで繰り広げられているわけですが、その中で、「クルマとのコミュニケーション」という言葉が出てきました。どうやら他人事ではなさそうです。

クルマのディスプレイに何を映すか、という話なのですが、ドライバー(自動運転になればドライバーではなくなりますが…)の視野に入っているものを映す必要があるとのこと。

フロントガラスから見える外の景色をなぜわざわざ映し出す必要があるのか…

と思うわけです。

意味があるのです。クルマから発する「あなたと景色を私も見ています」というメッセージらしいのです。ちょっと難しく言えば、「あなたと同じ認識をしています」ということです。これはクルマの方からドライバー(搭乗者)に働きかけるコミュニケーションとして、とても大事なことらしいのです。

なぜなら、そうしないとドライバー(搭乗者)が不安になるとのこと。確かに!

自分で運転する際も、フロントガラスから前方を見ている自分を認識しているから、安心しクルマを走らせることができます。その見ているものに少しでも疑いがあれば、安心して運転できません。

誰かに運転してもらう時もそうですよね。その人が、きちんと情報を認識しているとわかっているから、運転を任せられます。「その人とコミュニケーションが取れる」ということを前提として任せられます。



鍼灸師は何を観て何をしているのか


ここから鍼灸の話です。

自動運転するクルマが何を認識しているのか、搭乗者が知りたいように、鍼灸を受ける患者さんも鍼灸師が何を認識しているのか、わからないと不安です。

これ、すべての鍼灸師に共通する課題です。鍼灸師が見ている景色を患者さんに伝えるだけで、患者さんは安心できます。ここに気が付かない鍼灸師は、いくら腕を磨いても苦労します。

整動鍼では、(患者さんの)動きを“一緒に"見ることで、患者さんの安心を誘っています。

ちなみに、何をしているのかわからなくても大丈夫な時は、相手の権威を感じている場合です。「この方は世界が認めた名医です」と、専門家が口を揃えていれば、その医師が何を見ているのか、何を考えているのか、わからなくてもよいのかもしれません。むしろ、「私などには考えもつかない上の上の事を考えているのだろう」と前向きな想像で片付けてしまいます。

話はそれますが、時々権威にあぐらをかく医師をみかけます。うちでは突発性難聴をよく観ているので、聴力検査の結果(オージオグラム)を持参するように患者さんにお願いしています。でも、もってきてもらえない時が希にあります。

信じられないことに、オージオグラム(聴力検査の結果)を渡してくれない医師がいるのです。「結果を知ってどうするんですか?」という耳を疑うような態度なのです。自分の体のことを知りたいと思うのは、当然なはずです。人は、立場や地位が保証されてしまうと、相手を不安に陥れていることに無頓着になるのかもしれません。



鍼灸師も人工知能に負ける可能性


地位や権威から縁が遠い私だからこそ、患者さんの不安に目を向けやすいとも言えます。目を向けなければ、職業として成り立たず、食べて行けません。患者さんも、そこに期待しているように思います。

不安をいかに解消できるか。いつもそこを考えるようにしています。
知ってびっくり、自動運転のクルマと発想が同じでした。

クルマも積極的に人間とコミュニケーションしようと仕掛けてきます。これからAI(人工知能)の時代に入ります。きっと、私たちの気持ちをくすぐるような働きかけをしてきます。人間として、鍼灸師として負けてはいられません。



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2017年01月18日

鍼灸師の3つのタイプ


ずっと東洋医学をやってきたつもりでした。しかし、ここ数年「東洋医学」という言葉を使わなくなってきていることに気が付きました。同時に「西洋医学」という言葉も使っていません。
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結局のところ、こだわりはなさそうです。ただ、東洋医学独自の考え方は、病院医療の主流ではないため、誰かが東洋医学の魅力を叫んでいないと、その価値は埋もれてしまいます。その役目を私が担うまでもなく、いろいろな方が情報発信しています。ふと気が付けば傍観していました。

鍼灸師は3つのタイプに分かれます。

‥賤琉絣悒織ぅ
∪祥琉絣悒織ぅ
折衷派タイプ


,離織ぅ廚蓮◆幔灸学は、古き時代の東洋で生まれたのだから、東洋医学ベースに行うのが当たり前であり、そうでなければ鍼灸のポテンシャルは引き出せない」と考えています。

△離織ぅ廚蓮◆屮┘咼妊鵐后焚奮愿根拠)に乏しい東洋医学では、医療として認めてもらえない。医師と同じ言葉を使えないようでは鍼灸師の社会的信用は上がらない」と考えています。

のタイプは、「良いところは何でも吸収して臨床に活かすべきだ。その時その時によって使い分ければいいではないか」と考えています。


自分は,離織ぅ廚任后

理由はしっくりくるからです。しかし、現実と妄想を区別できない鍼灸師に思われないように気を付けています。△紡个靴討蓮▲侫Д鵐轡鵐阿琉畫をまとって剣道をするような気持ち悪さを感じます。に対しては、柔軟な思考であるようで、軸が定まっていない不安定さを感じます。



できれば科学的な方がいいよね


この記事の目的は、 銑に決着を付けようという目的ではありません。論争に参加しようとは思いません。それは、私の関心が「目の前で起こる現象」に移っているからです。

 銑は、きっと各々の思想や生き方の話なのです。言い換えれば、それぞれの正義を示す言葉なのです。正義をぶつけ合っても、生産性のある話になっていきません。

私にも正義のようなものがあります。それは「できるだけ鍼灸は科学的な方がいい」ということです。「できるだけ」というところが大事です。

鍼灸のすべてを科学で説明することはできません。現実的に、治効機序のごくわずかな部分がわかっているだけです。つまり、ほとんどわかっていません。わかっていなくても臨床的価値は疑いようがありません。

「科学的」という言葉は、「客観的」に置き換えてもかまいません。「誰でも効果がわかる鍼灸」を目指しています。そのことばかり考えていたら、東洋医学とか西洋医学とか、そういう論争に興味がなくなってしまったのです。私の関心の9割が「鍼灸をわかりやすくする」に向かっています。

わかりやすい鍼灸に必要なのは、「現象の観察」と「認識の誘導」です。ツボによって起こる変化を見逃さないことが大切です。観念的になりがちな鍼灸を、観察的にすると、鍼灸のイメージがガラリと変わります。

結局、最近の私は、現象を観るのに夢中で正義の話をする余裕がなくなっているのだろうと思います。



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2016年11月02日

クリ助、バレエを観に行く


先日、新国立劇場にバレエ(演目:ロメオとジュリエット)を観て来ました。バレエ観劇は、もともと妻の趣味で今では何となく私の趣味でもあるような位置づけになって来ています。


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この日は息子と娘も一緒でした。『ロメオとジュリエット』は、心情表現が際立っていました。『白鳥の湖』や『くるみ割り人形』も素晴らしいけれど、心情表現を楽しむ点では『ロメオとジュリエット』だと思いました。

ちなみに、私の一番のお気に入りは『ラ・バヤデール』です。バレエの魅力が全部つまっています。衣装や舞台も音楽もゴージャスで、欲張りな演目です。

バレエの芸術性を楽しみながら、いっぽうで、鍼灸師、活法使いとして、身体の使い方という点が気になります。何かを言わずにはいられません。



■古武術とバレエの違い


活法は古武術の裏技ですから、古武術視点でバレエを観ることがあります。その目から見て、バレエは古武術と根本的に異なります。

古武術は「いかに身体を無理なく動かせるか」を追求しているのに対し、バレエは「不自然で無理な動き」を追求しています。窮屈なトゥシューズを履いてつま先で立つ。どう見ても無理しているのです。無理はつま先だけではありません。股関節を外旋方向に極端にひねったり、腰を極端にそらしたりと、言い出せばキリがありません。


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バレエの身体操作は無理の連続です。

飛んだり回転したりするので、一見するとスポーツのようでありますが、スポーツとは身体に求めるスペックが違います。バレエではカラダのシルエットをキレイに見せるという目的があるので、そのための姿勢、そのための関節の使い方、その関節を支えるように筋肉を鍛えます。ですから、関節や筋肉の使い方が不自然です。

合理性の向こうに芸術性が見えてくることはよくありますが、芸術の追求は合理性の追求とは違うものです。古武術の動きに対して「美しい〜」と思う時の芸術性と、バレエを観て「美しい〜」と思う時の芸術性は異質であり異次元のものです。

古武術からバレエを観ると「そんなに無理しなくても...」と思うわけですが、そもそも目的が違うので、古武術の言い分はバレエでは通用しません。

私に定義づけできる資格があるかはさておき、この二つを対比させなければ話が進みませんから、このように考えてみました。

 古武術の身体操作は、効率の追求
 バレエの身体操作は、表現の追求




■無駄な動きは死を招く


効率について考えてみます。

効率を上げるためには、合理的に物事を考えなければなりません。無駄を探して排除していきます。

肉体には限界がありますから、持ちうる肉体のポテンシャルを最大に引き出すことが古武術が目指すところです。本来はもっと生々しい話で、無駄な動きがあったらスキができて、即、殺されてしまうのです。平和な世においては、無駄のない動きの追究です。

無駄のない動きは、健康と親密な関係です。無駄があると関節に負担がかかります。筋肉も余計に頑張ります。

その結果、たとえばですが、膝を痛めたり腰を痛めたりするのです。その痛みを鎮痛することができても、根本的な動きが変わらなければ、同じ症状を繰り返します。こうした原理で慢性化していく症状がたくさんあります。

慢性症状の背景には、非効率な動き、合理的でない身体の使い方が潜んでいるというわけです。ここに注目すると、慢性症状を解決する糸口がつかめます。


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■古武術とスポーツが決定的に違うのは「反則」があるかないか


スポーツは種目によって極端に酷使する部分があります。やればやるほど非日常になっていき、極めれば極めるほど、身体の使い方が偏っていきます。限定的な効率を求めると、全体の中に非効率が生じてしまいます。しかし、ルールが決まっていて、動きが限定されるスポーツにおいては宿命です。

これに対し、古武術にはルールがありません。現代から見るから「古武術」という言い方になりますが。ある時代の人にとっては、敵を殺したり敵から命を守るための武術です。


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状況を読みながら、最適な行動を取らなければなりません。どんな手を使おうと自由です。殺されたら終わりです。武器を手にしていたら武器を最大限利用し、武器を持たない時には、武器を持つ敵からどうしたら逃げられるかを考えます。

想定している「時と場合」がスポーツよりずっと広いのです。ルールがないからです。その分、身体の使い方も幅広く追究しなければなりません。そのなごりを受け継いだものが、「古武術」と呼ばれるものです。活法(かっぽう)はその裏技です。人を救うのが活法です。

だから、活法にもルールがありません。あるのは上手な人に共通する法則です。発売されたばかりなので宣伝させてください。

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■表現するための身体


原始的な観点から見れば、身体運動を追究する目的の一つは「戦いに勝つ(負けないで生き延びる)」です。もう一つは「コミュニケーションのための自己表現」です。

言語が使われる前から、人類はコミュニケーションをしていたわけですから、(言語にならない)発声や、身振り手振りで気持ちや状況を伝えていたはずです。

今も昔も、ダンスは自己表現の手段です。表現する目的は「仲間に入れてもらう」ためです。身体を動かすことは、仲間作りにとって重要だったわけです。バレエも例外ではないでしょう。身体表現の手段に注目したいので、ここではショービジネス歴史とは切り離しておきます。


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バレエと言えば、何と言っても柔軟な身体です。常識を越えた関節の使い方をします。運動学的に見たら、いつ関節が壊れてもおかしくない姿勢を取り続け、そこに重力を受け続けます。ダンサーは、限界ギリギリを見極めてレッスンし舞台を演じています。バレエダンサーは綱渡りを続けています。一流になるほど、細い細い綱を渡っているのだろうと想像できます。

身体の使い方として見れば、バレエは合理的ではありません。日常では、そんなに脚を挙げる必要も、そんなに腰を反らす必要もありません。つまり、自己表現を目的した運動は、エネルギー効率を追究したものではないのです。武術やスポーツにおいては、身体のエネルギーがロスしないように効率を求めてトレーニングしますが、バレエは違います。

武術やスポーツが、エネルギーロスを最小にしようと身体を使うのに対し、バレエでは表現力を最大にしようと身体を使います。バレエはスポーツと混同されることがありますが、身体を使う目的が全く違うのです。



■肉体は有限、精神は無限


生きていくためには、肉体を守ること、そして仲間とつながること、この2つが同等に大事だと私は思います。どんなに強い肉体を持っていても、人間は一人では生きていけないからです。逆もしかり。どんなに精神性を磨いても病気になったら生きていけません。

武術は有限なる肉体への抵抗であり、バレエは無限なる精神への挑戦だと思います。身体運動として矛盾することを共存させることができるのは、動物の中で人間のみです。

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■生きるとは矛盾を抱えること


このように考えると、人の動きは矛盾の中にあります。この矛盾を上手に扱える人が人生の達人なのかもしれません。

人間は健康に良いことばかり選ぶわけではありません。患者さんと話していると、「なぜ身体に悪いとわかっていて、その行動がやめられないのだろう?」と思う場面があります。患者さんは「治りたい」と言っているのに、治りにくい行動もしてしまうのです。

医療者として「それはダメ!」と言い切らなければなりませんが、人間としては「わかるよ〜」と心の中でつぶやいています。いつだって、医療というのは矛盾だらけです。矛盾をわかった上で取り組まないと矛盾に苦しみます。

うまく対応するには「物事には二面性があって、どちらも正解なんだ」と考えることかもしれません。患者さんの二面性を意識するだけで変わるかもしれません。

「効率と表現」は、仕事全般にも言えることです。効率ばかり追いかけるとマシンですし、表現ばかり考えていては十分な利益を得られません。どう両立させるかが課題です。考えるんだ、クリ助。

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