鍼灸

2022年05月08日

ぶっちゃけ古典の勉強は役立つのか




ー騨兔颪箸靴憧待しない


古典を読んだからといって、突然臨床力がアップすることはあり得ません。小説を読み始めたからと言って、人の心理や人生観が突然わかるということがないのと同じです。古典は読むと臨床に深みが出てくるかもしれませんが、深みというものは長年かけて出るものですから、即効性はありません。

超ベテランの先生が「古典を読みなさい」と言いたい気持ちはよくわかります。古典を知らないま鍼灸師人生を終えてしまうことがもったいないと思っているのでしょう。私も基本的には同じ意見です。ただ、若手には古典ではなく実用的なものをすすめています。

まずは、深みより食べていくために必要なスキルを身につけなければ深みを味わう前に、退場させられてしまいます。深みをつけるのは、安定した収入が得られるようになってからでも遅くはないと考えています。

古典を読むなら、趣味の枠を使った方がよいでしょう。自己投資の感覚で古典を読むことに時間を使うのはリスクが高すぎます。

△いなり原文を読まない


「原文を読みなさい」とおっしゃる先生がいますが、私はいきなり原文から入るのは反対です。原文も添えてある解説本がたくさん出版されていますので、解説本から入る方がよいです。古典は漢文です。句読点がありません。どこで区切って読むかだけでも大変ですし、専門家でも意見が分かれるところがあります。

太陽之為病脈浮頭項強痛而悪寒

なんて書かれていると、わかりにくいですよね?

【太陽之為病】 太陽の病はね
【脈浮】    脈が浮いて
【頭項強痛】  頭痛とうなじのこわばりがあって
【而悪寒】   悪寒がするんだよ

こんなふうに区切って解釈するのが一般的です。ちなみにこれは『傷寒論』の第一条です。わかりやすいと思う解説書を選んでみてください。

最初は大まかに理解する


第一条の例でいうと「太陽の病」って何だろうと思ったら、いきなりストップしてしまいます。「太陽の病」を知っていることを前提に書き出しています。これは一例に過ぎません。解説書も太陽の病を詳しく説明していないかもしれません。ですので「そういうのがあるんだなぁ」くらいの感覚で読んでいかないと、いつまでも読み終わりません。

わからなくても、何度も読んでみる方が大切だと思います。「そんなんじゃ役に立たないじゃないか?」と思うかもしれませんが、最初に書いたとおりすぐに役立つ読み物ではありません。


い錣らない所は気にしない


解説を読んでも、何を言いたいのかさっぱりわからないなんて珍しくありません。私もほとんどわかりません。むしろ、わかった気になる方がよくないと思います。そもそも解釈は複数あるのが普通なので、どれが正しいのかわからないのです。

怒る人がいると思いますが、私はわからないまま読み進めるのが古典だと思います。少なくとも、臨床を軸にしている鍼灸師にとって結論を出すことは重要ではありません。実用書として読むわけではないので、わからなくてもよいのです。


セ代の違いを意識する


たとえば「寒邪」という言葉がありますが、「邪」という言葉が使われていてもオカルト的な意味はありません。「邪が体内に侵入する」という言葉は、菌やウイルスに感染すると理解すべきです。電子顕微鏡はおろか顕微鏡すらない時代ですから、見えないものが多かったので、このように表現するほかなかったのです。

こういう時代の差を無視して、菌でもなくウイルスでもない「邪」をイメージすると、途端にオカルト的になってしまいます。古典が書かれた時代は呪術と決別しているので、科学的視点で古典を読むことが大切であると考えます。


Ψ桧佞亙Г辰討眇鯒劼呂靴覆


古典は聖書のような教典ではありません。ですから、古典に書いてあることを信じる必要はありません。古典を疑う姿勢は古典への裏切りでも東洋医学の否定でもありません。むしろ、批判的精神を失ったら医学の立場ではなくなります。疑いの気持ちがなければ読まない方がよいとさえ思います。

紛れもなく、この時代に鍼灸があるのは古典があったからです。古典を拠り所に鍼灸が存続してきたのです。途中、何度も伝統は途切れてきましたが、古典があったから復古できたのです。

こうした意味で古典には最大の敬意を払うべきです。古典の存在を否定することは誰一人としてできません。それと古典に真実があるかどうかは別の話です。現代の医学書を想像してもらうとわかると思いますが、今の常識がそのまま100年後の常識として残るとは考えられません。その時代のベストが医学書に記されているのです。


必須ではないが無駄でもない


勇気をもって書くと、古典を読んでも臨床力に直結しません。完全に意味がないわけではありませんが非効率です。現代の書物から学ぶことに時間を使う方が比べるまでもなく有利です。少なくとも古典を知らなければ鍼灸ができない、ということは絶対にありませんし、古典を読んでいる鍼灸師の方が成績がよく高収入であるという相関もなさそうです。
古典を学ぶのは最後でよいのではないでしょうか。もちろん「読むのが好きで...」と趣味的な意味合いの場合は別です。スキルアップのためという意味であれば後回しにすべきでしょう。古典を読んでいないものは東洋医学を語るべからずなんてかたい話はスルーしてよいと思います。東洋医学をきれいにまとめた本が山ほどありますので、飽きるほど読んでからの方がよいと思います。

では、古典を読むことは無駄なんでしょうか。個人的はそうは思いません。ロマンチストだと思われてもかまいませんが、1000年前、2000年前の人とつながれるのは古典を読んでいる人だけです。自らの体験と古典の原文が一致したとき、時空を超えて何かとつながったような感覚に包まれます。

個人的には、経絡理論ができるまでの過程に興味があります。古代の人の何を見て何を思い、経絡理論にたどり着いたのかを考えて読むとミステリー小説のように楽しめます。


┣鮴盻颪脇瓜に3冊以上


まず何から読めばいいのかという問題があります。鍼灸師であるならば『黄帝内経霊枢』が定番でしょう。おすすめしないのは『難経』です。難経は文字通り難解ですし抽象的な話ばかりなので、やめた方がよいと思います。しかしながら、やたらと日本の鍼灸家は難経が好きなようです。想像ですが、昭和の初期にできた「経絡治療」の影響が大きいでしょう。『難経』の「六十九難」が理論の基盤となっているからです。

もし『難経』から始める場合は、3冊以上を同時に読むことを絶対におすすめします。内容が抽象的であるため解釈が自由です。極端な言い方をすればどう解釈しても正解になるのです。古典を読んだと思ったら、書いた臨床家の思想を読まされていたということが起こるのです。

おすすめしたいのは『傷寒論』です。

「それって漢方薬の本でしょ?」とお気づきの方もいると思います。そうなのです。薬の処方が記されているものです。鍼灸師に関係ないと思われると思われるかもしれませんが、最後までお付き合いください。

おすすめする理由は2つあります。

ひとつめの理由は短いこと。2000字しかありません。
目を通すだけなら1時間もかかりません。

ふたつめの理由は、どんな症状のときに何をすべきかが具体的であること。東洋医学がイメージの世界ではないことがよくわかります。また、漢方薬の処方の原理を知ることもできるので、患者さんが飲んでいる漢方薬がどんな作用を持つのか理解できるようになります。ですから実用性が高いのです。

傷寒論であればおすすめしたい本があります。私が読んだ解説書の中で一番読みやすくわかりやすいです。この記事もこの本を参考にしながら書きました。鍼灸師が書いた本ではなく医師が書いた本です。古典の怪しさをいっさい感じることはありませんし、解説も現代人の感覚で理解しやすいように工夫されています。

最初の一冊としていかがでしょうか?





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2022年04月19日

患者さんを観るときの手順


これから、私が臨床でどんなふうに患者さんを観ているのかを解説していきます。やり方は鍼灸師によっていろいろですから、これが正解というものではありません。ひとつの個性として読んでいたければと思います。話をわかりやすくするために、問診を終えたあとからやることを書きます。

〆前未両態から観る


着替えたあと、施術室のベッドに横たわって待っている患者さんもいます。寝た状態で施術が始まるというイメージがあるからなのかもしれません。不思議なのは、鍼灸が初めての方でも、横たわっている場合があるのです。

もし、寝ていたら必ず起きてもらいます。ベッドの腰掛けた状態からはじめます。例外はありますが、基本的に坐位から始めます。もちろん理由があります。それは、覚醒時の状態からチェックしたいからです。理由からすれば立位でもよいのですが、落ち着かないという事情で坐位としています。

坐位のまま患部やその周辺に触れて正確に把握するようにしています。患者さん自身に気になるところをに触れてもらい、そこをトレースするように触れていくことが多いです。坐位でやりづらい場合は、立つかベッドに寝るかなど、確認しやすい姿勢になってもらいます。


患部にとわられず全体を観る


最初に患部の確認はするのですが、いったん患部から目を外します。理由は、患部に意識がとらわれないようにするためです。患部に原因があれば、患部をじっと見続ければよいのですが、そういう場合は少ないのです。こじらせた症状ならなおさらです。

あえて目的をもたず全体の印象を観ることを大切にしています。触れる前の話です。観た印象を大切にするようにしています。医学知識があるなしに関わらず、人が本来もっている本能というものがあります。それをできるだけ殺さないように心がけています。

知識の否定ではありません。本能的な感覚に飛び込んでくる情報を大切にしたいからです。鍼灸師である前に一人の人間ですから、人間の持つ直感も大切であると思います。もし「何かが変」だと感じれば、理由はわからずともその感覚は大切にしています。場合によっては、それ以上は触れず、他の選択肢を促すようにしています。もちろん、医学的な知識で危険兆候を察知すれば、言うまでもなく病院での検査をすすめています。


A歓箸龍敍に触れて緊張感を診る


全体を目で観たあとは、実際に触れて行きます。肩からや背中から診ることが多いです。ここでも、患部にはとらわれず診るようにしています。どうしても、気になるところを診ようとするので、意識が偏ってしまうのです。そうならないようにします。理由は、診たいところに原因があるとは限らないからです。

話はそれますが、原因というのは一見関係なさそうなところにあることが多いのです。慢性化してなかなか治らない症状では特にそうです。肩こりや腰痛など、一般的な症状でも同じです。患部から離れたツボを使って症状が改善すると、患者さんは「そんなところが関係していたんですね」と不思原因を探すためには、議そうな顔をされることがあります。

患部で起きていることの理解と同時に、患部以外のところで起因となることがないかと、先入観を入れずに観ることも必要なのです。言うは易し行うは難しです。


ご吃瑤抜慙△垢覿敍の緊張感をチェックする



で書いたような、患部にとらわれない観察を繰り返していると、患部と全身との関係のパターンも見えてきます。鍼灸師はこうしたパターンを経験の中に蓄積しています。私の中にも蓄積があり、再現性の高いものは積極的に共有するようにしています。

筋肉ばかりで骨の歪みは観ないのか、と思われるかもしれません。骨格の癖も目に入ってきますが、私は筋肉の緊張感を優先しています。理由は、骨格の癖を生み出しているのは、筋肉だからです。筋肉の状態が整うと必ず骨の位置も変化していきます。

このように筋肉の緊張でカラダの状態を理解しようとするのは、私の個性です。鍼灸師によって、手首の脈を診て判断する人もいますし、舌診といって下の状態で判断する人もいます。他には、皮膚の状態で判断する人もいます。カラダにはあまり触れず、問診で得た情報からツボを絞り込んでしまう人もいます。


デ感、冷汗、発汗をチェックする


い汎瓜になってしまいますが、筋肉の緊張度をチェックする一歩手前では皮膚に触れているので、皮膚からも情報を得ています。筋肉に触れる前に皮膚に触れているわけですから、5番目ではなく4番目でもよいのですが、ここに位置づけたのは重要度が筋肉の次だからです。あくまでも私の中での重要度なので、皮膚は重要ではないという意味ではありません。

少し細かい話になりますが、筋肉の方が座標としてわかりやすいと考えているからです。座標としてわかりやすければ、再現がしやすく、他者との共有にも有利です。私は再現可能であり共有可能なものを重視するタイプなので、座標としてわかりやすい筋肉を優先しています。

もちろん、これは私の個性ですから「私はこうじゃない」という話があって然りです。


ζ阿をチェックする


ここからが個性の本番です。私は人間の不調を動きの不調として理解しています。痛みがあるとき、動きづらいという問題が潜んでいます。だるい場合、疲れやすい場合も同じです。思ったように動けないという状態が不調を招いているのです。内臓の不調でも同じです。内臓と筋肉には、神経学的にも深い関係があり、筋肉が異常に緊張していれば内臓機能に悪い影響を及ぼします。

動きは、客観的な判断がしやすいことも特徴です。患者さん自身も変化に気づきますし、第三者もわかります。鍼灸の効果を視覚化できるというのは大きなメリットです。鍼灸の効果に懐疑的な人でも、動きの変化を見せられると認めざるを得ません。

最近、ツボには動きを整える効果があることがわかってきました。私はここを切り口に鍼灸の可能性を広げていこうと思っている鍼灸師です。


まとめ


いかがだったでしょうか。書き漏らしているところもありますが、私の個性を伝えるには必要に達しているのではないかと思います。もっと詳しいことは、専門家向けの教材やセミナーを通じて行っています。

鍼灸の魅力の一つは多様性です。しかし、そのいっぽうで種類がありすぎてどう選んだらよいのかわからないという意見も多いのです。鍼灸師業界では、「ひとり一流派」なんて言う人もいます。鍼灸は、鍼灸師の感覚に委ねられるところも多いので、鍼灸師の感性によってその効果が左右されます。そのため、相性のよい鍼灸師に出会えるかどうかで、鍼灸に対する評価が変わってしまいます。

鍼灸を名人芸として考えるなら、名人のみが生き残る世界でよいのでしょうが、鍼灸を医学的に発展させていくには、名人芸が引っ張る業界から脱皮しなければなりません。訓練さえすれば、誰でもできる技術に整理していく必要性を感じています。私がその一翼を担えればと思って、新しい技術体系の提唱に力を注いでいます。このブログでもその活動を時々取り上げていこうと思っています。



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2022年04月18日

患者さんをどこから観るかで鍼灸師の個性がわかる


鍼灸はいろいろ


鍼灸も色々で、鍼灸師の数だけやり方があると言っても過言ではありません。この多様性がよくも悪くも鍼灸の個性です。

よい部分としては、病院などの標準治療(保険診療)では対応してもらえない症状にも対応できる場合があることです。悪い部分としては、統一見解がないので何が一番よいのかわからず、患者さん自らが判断しなければならないことです。色々な受け比べる余裕がある人は少ないわけですから、「ここが合っているかもしれない」と直感で選ぶしかありません。


最初に何を観るか


鍼灸師の一人として、鍼灸師の個性がどこに表れるのか説明したいと思います。ここで取り上げるのは、最初に観るところです。患者さんと対面した時に、何を観るかがその鍼灸師の個性を表しています。

たとえば、姿勢を観るのか、顔色を観るのか、脈を診るのか、全体の印象を観るのか、などなどあります。人間の脳は万能ではありませんから、着目したところの情報を優先して受け取ります。ガヤガヤした人混みの中で友人と会話が成立するのは、友人の声を優先的に拾って、それ以外をノイズとして処理しているからです。

私も例外ではなく、すべての情報を平等に処理することはできないので、意図的に着目するところを決めています。私の話はさておき、どこに注目するかが鍼灸師の個性を決定づけるというところは、鍼灸師選びのヒントになると思います。


説明が腑に落ちるか


鍼灸師にカラダを診てもらうときは、最初に何をチェックされるのかに意識を向けてみてください。ずばり訊いてみてもよいと思います。「私のカラダ、どうですか?」と。

どんな回答であれ、スラスラと回答が返ってくるようであれば期待できます。ただ、何を言っているのかわからない場合、その後もわからないかもしれないので、説明が腑に落ちる鍼灸師が合っていると思います。


「なんとなく」ではダメ


こうした発言は、ブーメランですから私自身にも返ってきます。患者さんから「私のカラダどうですか?」と訊かれた際に、即答できるようにしたいものです。そのためには、カラダを観る際の着眼点を定めておき、その解釈をスラスラできる準備が必要です。単に知識を増やすだけではむずかしいです。情報を整理する能力を磨く必要があります。

ですから、普段の臨床で心がけているのは「なんとなく」をつくらないことです。ツボを選ぶ際もそうです。なんとなくツボを選ぶことはしないようにします。口に出さなくても、ツボを選ぶ根拠があれば、訊かれた時に明瞭な回答を用意することができます。その際、専門用語のままではわかりにくいので、わかりやすい言葉を選ぶようにしています。


次回は、私が何を観ているのかを書きます。▶患者さんを観るときの手順(クリ助流)



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2022年04月17日

気持ちよい治療が最高の治療であるという誤解ははぜ生じるのか


気持ちいい施術ほど優秀なのか?


施術において、患者さんの気持ちよさを追求することがよい施術の条件でしょうか。答えはNOです。患者さんの欲求を満たすことがよい施術の条件でしょうか。これもNOです。ただ、商売として考えるなら、それはGOODになるでしょう。

こう言い換えることができます。

来院する方を患者さんと扱うなら、気持ちよさの追求はNOですが、来院する方をお客様と扱うなら、気持ちよさの追求はGOODかもしれません。

つまり、鍼灸を医療と考えるのであれば、気持ちよさは善し悪しの基準にはなりません。リラクゼーション業と考えるなら、気持ちよさが価値の柱です。当然ながら、リラクゼーション業から鍼灸に転向した方に「気持ちよい施術がよい治療」と主張する人が多くみられます。その理由を私なりに考えてみました。


二つの基準が混在する日本の業界


日本の鍼灸師は、施術に気持ちよさを求める傾向が強いように思います。それは、免許制度にあると思います。私は、「はり師」「きゅう師」「あん摩マッサージ指圧師」の3つの免許を持っています。「はり師」と「きゅう師」は一緒に取る人が多いので合わせて「鍼灸師」とまとめて表現することが慣例です。

ここで質問です。鍼灸師の上手さとは何でしょうか。いろいろな言い方があるでしょうが、ひとつは「ツボの効用を引き出せるか」だと思います。ツボ特有の効用を自在に引き出せる鍼灸師が上手だと私は考えています。

これに対して、あん摩マッサージ指圧師の上手さとは何でしょうか。ほとんどの人が、気持ちよさがあるかどうかで上手か下手を判断しているのではないでしょうか。専門的にみれば、気持ちよさだけで判断されるべきではないのですが、現実問題、現場が重視しているのは気持ちよさでしょう。

お気づきかと思いますが、この日本独特の免許制度によって、鍼灸とあん摩マッサージの上手さの基準が混同されてしまっているのです。その結果、日本の鍼灸師は知らず知らずのうちに「気持ちよさ」を正義にしてしまっているのです。


気持ちいい鍼灸は日本の宝?


世界的に見ても、日本のように気持ちのよい鍼灸ができる国はないと思います。日本人鍼灸師が世界で人気がある理由のひとつであると思います。であるならば、気持ちいい鍼灸を日本人は追求すべきではないか、という意見になりそうです。確かに一理あります。

ただ、慎重に考えてみる必要があります。なぜならリラクゼーションの一角として評価されているとも言えるからです。もちろん、リラクゼーションとしての鍼灸にも十分な価値があり、特筆すべきものです。ただ、鍼灸はリラクゼーションの中に収まるようなものではなく、医療的な価値を秘めていると考えれば、気持ちよさという一本の基準で鍼灸の価値を測るべきではないと考えます。


リラクゼーション業に従事する人が抱えるコンプレックス


「気持ちよい施術がよい治療」と主張している人たちは、「リラクゼーションをバカにするな」と主張していることが多いのも興味深いです。「医療が上でリラクゼーションは下」であると思い込みから生まれる劣等感が見え隠れしています。

気持ちよさを追求するいっぽうで、治療効果も同時に狙っていこうという欲がちぐはぐを招いているように思います。

鍼灸師の中には、もともとリラクゼーション業をしていた人もいます。リラクゼーションの現場で「気持ちよさ」という基準で技術を評価されることに慣れてしまうと、簡単に基準を変えられません。無意識に気持ちよさを演出しようとするのです。その方が評価が高くなると考えるからです。もちろん、気持ちよくて良くなる治療があれば最高ですが、そんなことはあり得ません。

気持ち良さと効果を切り分けて考えることができるようになったとき、コンプレックスから解放されるのかもしれません。


医療は気持ちよくないのが当たり前


本来、医療は気持ちいいものではありません。むしろ、苦痛を伴うのが普通です。その苦痛をできるだけ少なくしようと色々な人が努力をしています。検査方法であったり手術方法であったり、楽な方に進化しています。あくまでも楽な方であって、気持ちいい方に進んでいるわけではありません。

もともと鍼灸は医療でしたから、苦痛が減るように進化してきました。100年前の鍼よりも、今の鍼の方が痛くありません。素材も加工も工夫されています。道具の進化に助けてもらいながら、私たち鍼灸師は「効果の高さ」を目指しています。


気持ちよさが最良のクスリになる場合


これまで、医療においては気持ち良さは基準にはならないと書いてきました。しかし、例外があります。ストレスを起因とする症状においては、気持ちよさが特効薬になる場合があります。一般的な医療のスキマになっています。スキマというほど小さなものではなく、医療の欠陥であるということもできます。

検査しても原因がわからない。そんな症状は少なくありません。「自律神経が原因でしょう」と言われたら、はっきりとした原因が見つからなかったという意味です。多くの場合「交感神経優位」という状態で、体が緊張しすぎている状態です。こんなとき、鍼灸や手技療法の気持ちよい刺激が効果的です。「気持ちよい」と感じる刺激は、交感神経のはたらきを抑えてくれるからです。

結果、体だけでなく心の緊張も解けて、身心の調子が向上するのです。ですから、リラクゼーションにも治療効果があると言えます。リラクゼーション的なサポートは、医療の中で抜け落ちている部分であり、鍼灸師が担える部分です。

とはいえ、鍼灸をリラクゼーションの殻に閉じ込めるべきではないと考えます。リラクゼーションは、鍼灸の持つ魅力のほんの一部でしかないからです。


社会が求めるストレス解消ビジネス


リラクゼーションは一つの産業です。鍼灸よりもはるかに大きな産業です。免許を問われないいわゆるマッサージ系の仕事はたくさんあります。その中には「整体」も含まれます。

多くの人が誤解していますが「整体」という免許はありません。「整体」はサービス名で、言ってみれば「ネイルサロン」と同じです。

話を戻します。医療の世界を一歩出たら、そこにはリラクゼーション産業が広がっています。鍼灸はそもそも医療の端っこにありますから、リラクゼーション産業の中に片足をつっこんでいる状態とも言えます。

今も昔もストレスは問題です。多くの人がストレスに悩んでいます。リラクゼーション業は、ストレス解消ビジネスの一つであるように私は思います。遊園地やサウナと同じジャンルとして扱ってもよいと思います。もっといえば、居酒屋を含めてもよいかもしれません。


職業観とプライドの話


あとは、私たち鍼灸師の職業観の問題です。鍼灸で何をしたいのか、それぞれの鍼灸師で違うわけです。私は、鍼灸の医療的価値を追求していく立場です。

こうした立場からすると、気持ちよさを正義とは言えないのです。「痛くて苦痛を伴う鍼灸治療であっても患者さんが治るためなら仕方ない」と考える立場です。これを、わざわざ表で言うことはありません。商業的な立場からすると損をしてしまうからです。もちろん、施術においては、できるだけ苦痛が少ないように努めています。

商業的に考えたら「うちの鍼灸院は気持ちよくて治りもいいですよ〜」と言っている鍼灸院の方がウケます。「マズイけど栄養たっぷりですよ」というよりも「美味しくて栄養価も高いんですよ〜」と言った方が売れるように。

中には、美味しくて栄養価が高いものもありますが、美味しいから栄養価が高いとは言えません。同様に、鍼灸も気持ちいい施術ほど効果が高いとは言えません。

開業鍼灸師は、人気商売でもあります。私のようにバカ正直に生きるのは損なことかもしれません。ただ、自分の仕事には嘘はつきたくないのです。端から見たら、くだらないプライドに縛られているだけなのかもしれません。



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2022年02月23日

日本鍼灸の地図帳


前回に引き続き、日本鍼灸の歴史についてです。歴史より臨床で使えるツボが大事だよと思う方も、この機会にぜひお付き合いください。患者さんに説明するときも、役立つと思いますよ。

今回は私のオリジナルではなく、松田博公先生の講義からの切り抜きです。

ソースは、東京都鍼灸師会の「令和3年度第5回東京都委託施術者講習会 松塾スペシャル」の講義です。私は会員ではないのですがYouTubeに公開されている動画ですので、リスペクトを込めて紹介します。私が個人的に「ここ大事!」と思ったことをいくつか取り上げていきます。

YouTubeは、頭出しをしてあるのでツイート部分の内容がすぐに出てきます。


日本鍼灸は昭和の初期に誕生した




中医学は中国の国家戦略で世界標準化を目指している




江戸時代は鍼灸の全盛期ゆえに論争も過激!?




富国強兵の中で虐げられた東洋医学




法律では医業なのに、なぜか医業類似行為扱い




経絡は身体の中に設定された12の旋律







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