2009年10月15日
山の図書館
9月の連休は山の図書館で本を借りて、いろいろ読みふけった。
『茂吉(50代歌集)を読む』(小池光)……小池光の読みが面白い。実作者としての「とてもこうは書けないよ」という指摘は説得力がある。
『屋上への誘惑』『雨男 山男 豆をひく男』(いずれも小池昌代)……最近、著者の新書版『通勤電車で読む詩集』を買った。詩のアンソロジーだが、前書きの文章に感心。通勤電車は詩を読むにふさわしい空間だと言われると、日々の通勤がなんだかとても大切な、いとおしい時間に思えてくる。それぞれの詩につけた短い解説も秀逸。図書館にあったこの2冊も、暖かいまなざしに共感した。
『淳之介さんのこと』(宮城まり子)……山に行く日、たまたま家の本棚の『闇の中の祝祭』を抜き取って高速バスの中で読んだ。吉行淳之介のこの小説が宮城まり子とのことをモチーフにしていたのだと初めて知った。そこで、彼女の本が目についた次第。宮城まり子の肉声が聞こえてくるようだった。
「考える人」の「ピアノの時間」の号も借りた。吉田秀和と堀江敏幸の対談がのっている。『世界のピアニスト』(吉田秀和)が文庫化されているということなので、いつか入手しようと思う。『自作自演集Vol.1 8つの演奏会用エチュード』 これはニコライ・カプースチンという人のCDだそうだが、面白そうだったのでこれもメモっておく。
『茂吉(50代歌集)を読む』(小池光)……小池光の読みが面白い。実作者としての「とてもこうは書けないよ」という指摘は説得力がある。
『屋上への誘惑』『雨男 山男 豆をひく男』(いずれも小池昌代)……最近、著者の新書版『通勤電車で読む詩集』を買った。詩のアンソロジーだが、前書きの文章に感心。通勤電車は詩を読むにふさわしい空間だと言われると、日々の通勤がなんだかとても大切な、いとおしい時間に思えてくる。それぞれの詩につけた短い解説も秀逸。図書館にあったこの2冊も、暖かいまなざしに共感した。
『淳之介さんのこと』(宮城まり子)……山に行く日、たまたま家の本棚の『闇の中の祝祭』を抜き取って高速バスの中で読んだ。吉行淳之介のこの小説が宮城まり子とのことをモチーフにしていたのだと初めて知った。そこで、彼女の本が目についた次第。宮城まり子の肉声が聞こえてくるようだった。
「考える人」の「ピアノの時間」の号も借りた。吉田秀和と堀江敏幸の対談がのっている。『世界のピアニスト』(吉田秀和)が文庫化されているということなので、いつか入手しようと思う。『自作自演集Vol.1 8つの演奏会用エチュード』 これはニコライ・カプースチンという人のCDだそうだが、面白そうだったのでこれもメモっておく。
2009年09月26日
新しい曲
ヘンデルに続いて、モーツアルトのセレナード第13番「アイネクライネナハトムジーク」に取り組むことになった。この曲はモーツアルト31歳(1787年)のときの作品である。題名はモーツアルト本人がつけたもので、訳すと「小夜曲」。死後の1827年に初めて出版されている。
昨日はその1回目のレッスンだった。
ハッシー先生の編み出したボーイング練習を毎朝している成果が少しずつあらわれているようだ。しかし、レッスンは厳しかった。クロイツエルの重音を練習する曲では、「音程が全然頭に入っていないから間違いに気がつかないで平気で弾いている」と手厳しい。「音楽として理解していない」と言われて、ひと言もない。
指が自然な方向で2つの弦を同時に押さえられるように、バイオリンの持ちかたをアドバイスしてもらう。バイオリンは体に密着して使う楽器だから、体型や腕の長さによって持ちかたはそれぞれに微妙に異なる。指が短いとか、歳だから指が回らないとかつい愚痴をこぼしたくなるが、言ったからといって解決することではない。すべて自分の体のことだから、受けとめてその体でどうやれるかを探っていくしかないのだ。
モーツアルトを弾いてみる。「自分でどういう音楽にしていこうという気持ちをもってください」と先生は言う。「楽譜どおりに弾いてもそれは音楽ではない。演奏するときは平坦な地面を一度ボコボコに掘り返して荒地にして、そこから自分の音楽を一からつくっていかないと」「ここのところ、透明な水玉が転げ落ちるような感じで弾いてみたらどうでしょうか。美しい水玉が芋の葉をころげていくイメージです。ただ譜面をなぞっていくだけだと感情移入もないから無表情だけど、水玉のころがっているさまを思い浮かべながらやさしい気持ちになれば、弾く時の表情だってかわってくるはずです」
わずか3つの音符の連なりでもどうしてこんなに素敵なのって言うくらい、先生の弾く音は深みがあって懐かしい感じがする。「音のふくらませかた、消え方、間の取りかた……そんなことを考えながら工夫してみてください。モーツアルトの音楽は、どこをとってもそうやって深めていけるんです」
先生は必ず希望と高い目標を示してくれる。それがうれしい。わずか1ページの譜面が無限の宇宙のように思えてきた。
昨日はその1回目のレッスンだった。
ハッシー先生の編み出したボーイング練習を毎朝している成果が少しずつあらわれているようだ。しかし、レッスンは厳しかった。クロイツエルの重音を練習する曲では、「音程が全然頭に入っていないから間違いに気がつかないで平気で弾いている」と手厳しい。「音楽として理解していない」と言われて、ひと言もない。
指が自然な方向で2つの弦を同時に押さえられるように、バイオリンの持ちかたをアドバイスしてもらう。バイオリンは体に密着して使う楽器だから、体型や腕の長さによって持ちかたはそれぞれに微妙に異なる。指が短いとか、歳だから指が回らないとかつい愚痴をこぼしたくなるが、言ったからといって解決することではない。すべて自分の体のことだから、受けとめてその体でどうやれるかを探っていくしかないのだ。
モーツアルトを弾いてみる。「自分でどういう音楽にしていこうという気持ちをもってください」と先生は言う。「楽譜どおりに弾いてもそれは音楽ではない。演奏するときは平坦な地面を一度ボコボコに掘り返して荒地にして、そこから自分の音楽を一からつくっていかないと」「ここのところ、透明な水玉が転げ落ちるような感じで弾いてみたらどうでしょうか。美しい水玉が芋の葉をころげていくイメージです。ただ譜面をなぞっていくだけだと感情移入もないから無表情だけど、水玉のころがっているさまを思い浮かべながらやさしい気持ちになれば、弾く時の表情だってかわってくるはずです」
わずか3つの音符の連なりでもどうしてこんなに素敵なのって言うくらい、先生の弾く音は深みがあって懐かしい感じがする。「音のふくらませかた、消え方、間の取りかた……そんなことを考えながら工夫してみてください。モーツアルトの音楽は、どこをとってもそうやって深めていけるんです」
先生は必ず希望と高い目標を示してくれる。それがうれしい。わずか1ページの譜面が無限の宇宙のように思えてきた。
2009年09月25日
発表会
9月6日は第2回目のバイオリン発表会だった。私は1月から始めたヘンデルの「バイオリンソナタ第三番」。荘重なヘ長調の曲である。4楽章までなんとか辿り着き、暗譜もそれなりに頭に入り、たどたどしいながらも少しでも自分らしい音楽を表現しようと臨んだのだったが……
本番とは緊張するものである。家族、知人の総勢10数名が見守る中、トップバッターとして登場したのだが、大変な失態を演じてしまった。第1楽章もいよいよ佳境というところで、全部すっ飛ばしていきなり最終段に突入。あっという間に第1楽章が終わってしまったのである。「あれ?」と心の中で激しくはてなマークが点滅する。途中に似たようなフレーズがあるのだが、私の指が勘違いして勝手に最後を弾いてしまったのだ。
誰も知らない曲だしこのまま第2章に行っちゃおうかという思いが一瞬よぎったが、「すみません。まちがえました」と誤って、最初からやり直した。その衝撃が尾を引き、どうやって第4楽章を弾き終えたのか覚えていない。夫には「何で弾きなおしたの?」って言われるし、知人は「ピアノの先生が譜面をすごくあわただしくめくったから、何かあったのかしらとは思ったんだけどね」と笑っていた。ようするに、曲を把握しきれていなかったということ。
そのあと、小学生2名、大人4名が次々と披露し、最後に生徒7名とハッシー先生でバッハのガボットを合奏して拍手喝采を浴びた。皆それぞれに失敗はあっても個性的な演奏ですばらしかった。私はかなり落ち込んだけれど、翌日落ち着いてもう一度弾いてみた。だめなところがまだまだいっぱいあるけれど、この曲はようやく私の心の中に落ちてきた。失敗は成功の母である……ということにしておこう。
本番とは緊張するものである。家族、知人の総勢10数名が見守る中、トップバッターとして登場したのだが、大変な失態を演じてしまった。第1楽章もいよいよ佳境というところで、全部すっ飛ばしていきなり最終段に突入。あっという間に第1楽章が終わってしまったのである。「あれ?」と心の中で激しくはてなマークが点滅する。途中に似たようなフレーズがあるのだが、私の指が勘違いして勝手に最後を弾いてしまったのだ。
誰も知らない曲だしこのまま第2章に行っちゃおうかという思いが一瞬よぎったが、「すみません。まちがえました」と誤って、最初からやり直した。その衝撃が尾を引き、どうやって第4楽章を弾き終えたのか覚えていない。夫には「何で弾きなおしたの?」って言われるし、知人は「ピアノの先生が譜面をすごくあわただしくめくったから、何かあったのかしらとは思ったんだけどね」と笑っていた。ようするに、曲を把握しきれていなかったということ。
そのあと、小学生2名、大人4名が次々と披露し、最後に生徒7名とハッシー先生でバッハのガボットを合奏して拍手喝采を浴びた。皆それぞれに失敗はあっても個性的な演奏ですばらしかった。私はかなり落ち込んだけれど、翌日落ち着いてもう一度弾いてみた。だめなところがまだまだいっぱいあるけれど、この曲はようやく私の心の中に落ちてきた。失敗は成功の母である……ということにしておこう。
2009年08月24日
光琳の櫛
昨年、関川夏生の『現代短歌 そのこころみ』を読んで、永井陽子という歌人を知った。2000年に48歳の若さで亡くなっている。全歌集を取り寄せて読みすすめた中に、こんな歌があった。
ゆふぐれに櫛をひろへりゆふぐれの櫛はわたしにひろはれしのみ
永井陽子
「櫛」の存在感のゆえだろうか。なんともいえない寂しさの底から、櫛を握りしめる女のふかぶかとした思いが立ちのぼってくる。
最近久々に芝木好子の『光琳の櫛』を読み返して「そうか」と思い当たるものがあった。
この小説をはじめて読んだのはもう30年近くも前になる。その後、折にふれて読み返したくなり、読み返すたびに小説を読む醍醐味を味わわせてくれるという点で、中里恒子の『時雨の記』とともに私の元気のもとともいえる一冊である。
『光琳の櫛』は櫛を収集している女の物語で、櫛自体が主人公であるとも言えるほどに、すばらしい櫛が次々に登場する。今回も、美しく迫力のある櫛の描写にたちまち引きずり込まれ、櫛収集に憂き身をやつすヒロインといっしょに骨董屋と駆け引きしたり、手に入れた櫛の汚れを落とし、慈しみなでさすっているような思いで読みすすめた。櫛は怨念がこもっているから拾ってはいけないと昔から言われてきたらしい。しかし、拾わずにはいられない女がいる。「櫛が私のところに来たがっている」と女は思う。櫛の中の女が呼ぶのであろうか。この小説への私の共感が記憶の奥底にたゆたっていたために、永井陽子の櫛の歌の前に思わず立ち止まってしまったのにちがいない。
改めて「ゆふぐれの櫛」一首を読むと、『光琳の櫛』と妖しくひびきあっているようだ。
美しい秋草の描かれた印籠と櫛の一対を男女がひそかに分かち持つ。その櫛はもう一人の男の狼藉によって割れてしまう。ていねいに修復しても傷は永遠に残るだろう。
美とはなにか。櫛はただそこでひっそりと私に拾われるのを待っている。
ゆふぐれに櫛をひろへりゆふぐれの櫛はわたしにひろはれしのみ
永井陽子
「櫛」の存在感のゆえだろうか。なんともいえない寂しさの底から、櫛を握りしめる女のふかぶかとした思いが立ちのぼってくる。
最近久々に芝木好子の『光琳の櫛』を読み返して「そうか」と思い当たるものがあった。
この小説をはじめて読んだのはもう30年近くも前になる。その後、折にふれて読み返したくなり、読み返すたびに小説を読む醍醐味を味わわせてくれるという点で、中里恒子の『時雨の記』とともに私の元気のもとともいえる一冊である。
『光琳の櫛』は櫛を収集している女の物語で、櫛自体が主人公であるとも言えるほどに、すばらしい櫛が次々に登場する。今回も、美しく迫力のある櫛の描写にたちまち引きずり込まれ、櫛収集に憂き身をやつすヒロインといっしょに骨董屋と駆け引きしたり、手に入れた櫛の汚れを落とし、慈しみなでさすっているような思いで読みすすめた。櫛は怨念がこもっているから拾ってはいけないと昔から言われてきたらしい。しかし、拾わずにはいられない女がいる。「櫛が私のところに来たがっている」と女は思う。櫛の中の女が呼ぶのであろうか。この小説への私の共感が記憶の奥底にたゆたっていたために、永井陽子の櫛の歌の前に思わず立ち止まってしまったのにちがいない。
改めて「ゆふぐれの櫛」一首を読むと、『光琳の櫛』と妖しくひびきあっているようだ。
美しい秋草の描かれた印籠と櫛の一対を男女がひそかに分かち持つ。その櫛はもう一人の男の狼藉によって割れてしまう。ていねいに修復しても傷は永遠に残るだろう。
美とはなにか。櫛はただそこでひっそりと私に拾われるのを待っている。
2009年08月18日
藤棚
東京へ帰る日の朝、父が言った。「誰も通らない藤棚を見ていったら」
びっくりした。「えー、誰も通らない藤棚って、まさか……」
藤棚や誰も通らぬこの場所に 風花
突然だが、この一句は一読、ただちに心の歳時記に刻まれた、妹、風花の近作である。これまでに私が出会ったいろいろな藤棚が浮かんできた。蹌踉園のそばの空き地の藤棚、国分寺と西国分寺の途中にある公園の藤棚、小金井公園の藤棚……でもこの句は、いまだ行ったことのない、どこか見知らぬ場所で私を待っている藤棚のことを詠んでいるような気がした。うっそうとした夏草におおわれた廃屋の庭で緑濃い裏山と一体化してしまったようにして存在している朽ちかけた藤棚。ブーンという羽虫の音、ときどき混じる老鶯のさえずり、裏山の木々の梢を渡る風の音、時間がとまってしまったような夏の昼下がり……
父は私の驚きのほうが意外という面持ちで、庭の奥にある小さな藤棚へ私を連れて行った。もちろん、案内されるまでもなくこの藤棚は知っている。でも、父には悪いが、あまりにささやかな藤棚である。確かに誰もその下は通らないが、しかし、これがあの句の藤棚だとは……。
妹は「どこの藤棚だっていいじゃない」と笑っている。俳句を鑑賞する際に、「この句はどこでつくったんですか」とか「いつ行ったんですか」といった質問ほど無意味なものはないと思っていたが、今度ばかりはやられた。
でも、おかげで、私の心の藤棚はいっそう奥行の深いものになった。父に感謝しなくては。
びっくりした。「えー、誰も通らない藤棚って、まさか……」
藤棚や誰も通らぬこの場所に 風花
突然だが、この一句は一読、ただちに心の歳時記に刻まれた、妹、風花の近作である。これまでに私が出会ったいろいろな藤棚が浮かんできた。蹌踉園のそばの空き地の藤棚、国分寺と西国分寺の途中にある公園の藤棚、小金井公園の藤棚……でもこの句は、いまだ行ったことのない、どこか見知らぬ場所で私を待っている藤棚のことを詠んでいるような気がした。うっそうとした夏草におおわれた廃屋の庭で緑濃い裏山と一体化してしまったようにして存在している朽ちかけた藤棚。ブーンという羽虫の音、ときどき混じる老鶯のさえずり、裏山の木々の梢を渡る風の音、時間がとまってしまったような夏の昼下がり……
父は私の驚きのほうが意外という面持ちで、庭の奥にある小さな藤棚へ私を連れて行った。もちろん、案内されるまでもなくこの藤棚は知っている。でも、父には悪いが、あまりにささやかな藤棚である。確かに誰もその下は通らないが、しかし、これがあの句の藤棚だとは……。
妹は「どこの藤棚だっていいじゃない」と笑っている。俳句を鑑賞する際に、「この句はどこでつくったんですか」とか「いつ行ったんですか」といった質問ほど無意味なものはないと思っていたが、今度ばかりはやられた。
でも、おかげで、私の心の藤棚はいっそう奥行の深いものになった。父に感謝しなくては。
2009年08月17日
大滝山温泉
8月の秋田は例年になく涼しかった。13日の墓まいりは大雨、翌14日もぐずつき気味。15日は晴れたが、カァッと暑い陽射しが射すこともなく、夜はタオルケットに肌掛けを重ねて休んだ。15日、高校野球の第2試合で秋田・明桜高校が敗退。がっかり気分をひきずりつつ、妹の運転する車で秋田市郊外にある大滝山温泉、「神の湯」に連れて行ってもらう。菅江真澄も逗留した記録の残る古い湯である。
今回と同じメンバー、両親、夫、妹の五人で10年ほど前にも1度来たことがあった。大きな水車が目印である。玄関脇の池にかかった橋の上でおじさんが「いま蓮の花がゆっくり閉じていくところだよ」と教えてくれる。じっと見つめたが、動いているようないないような……。湯はきしむ廊下の奥の突き当たりにある。女湯の入り口に男の子が立っていて、窓の外をじっと見ている。トンボでも飛んでいるのかしら。
湯殿は四角い湯船とカランが5つほどの洗い場だけの簡素なつくりである。湯船の窓から小さな滝が見えているところも全然変わっていない。「今日の滝は水の量が多いねえ」と常連さんらしい二人連れが話している。シャンプーや石鹸も備えつけられていない。私たちはただぼーっとつかるだけ。やさしい湯質の硫黄
泉である。ちょっと熱めだが、気持ちがいい。上がろうとしていたおばさんが、手ぶらの私たちをみて「よかったらどうぞ」と旅行用のシャンプー・リンスセットを置いていってくれた。ありがたく使わせてもらう。ゆっくりと湯舟に体をしずめ、上がってから全員でソフトクリームを食べる。
外へ出ると、真正面が緑あふれる大滝山、温泉裏手の木立を透かして石段が見えている。100段ものぼった先に愛染神社が祀られているそうだ。左手を流れる川は大滝山の用水池を水源とする道川である。日はようやく傾き、大滝山への登山道脇の斜面に野かんぞうの群生が息をのむほど美しかった。「神の湯」という名前にふさわしい、神の遊び場のような一角であった。来年も来よう。
今回と同じメンバー、両親、夫、妹の五人で10年ほど前にも1度来たことがあった。大きな水車が目印である。玄関脇の池にかかった橋の上でおじさんが「いま蓮の花がゆっくり閉じていくところだよ」と教えてくれる。じっと見つめたが、動いているようないないような……。湯はきしむ廊下の奥の突き当たりにある。女湯の入り口に男の子が立っていて、窓の外をじっと見ている。トンボでも飛んでいるのかしら。湯殿は四角い湯船とカランが5つほどの洗い場だけの簡素なつくりである。湯船の窓から小さな滝が見えているところも全然変わっていない。「今日の滝は水の量が多いねえ」と常連さんらしい二人連れが話している。シャンプーや石鹸も備えつけられていない。私たちはただぼーっとつかるだけ。やさしい湯質の硫黄
泉である。ちょっと熱めだが、気持ちがいい。上がろうとしていたおばさんが、手ぶらの私たちをみて「よかったらどうぞ」と旅行用のシャンプー・リンスセットを置いていってくれた。ありがたく使わせてもらう。ゆっくりと湯舟に体をしずめ、上がってから全員でソフトクリームを食べる。外へ出ると、真正面が緑あふれる大滝山、温泉裏手の木立を透かして石段が見えている。100段ものぼった先に愛染神社が祀られているそうだ。左手を流れる川は大滝山の用水池を水源とする道川である。日はようやく傾き、大滝山への登山道脇の斜面に野かんぞうの群生が息をのむほど美しかった。「神の湯」という名前にふさわしい、神の遊び場のような一角であった。来年も来よう。
2009年06月19日
サハリン余話2・幻の町
いまでもときどき思い出すテレビドラマの一つに、倉本聡脚本の『幻の町』(1976年)がある。ドラマの細部は忘れてしまったが、笠智衆と田中絹代の二人が歩く小樽の町、樺太行きの連絡船がかつて出ていたという桟橋、小豆色のもやに包まれた小樽の運河などを見ていると、霧のはるか向こうにある樺太が目裏に浮かんでくるようだった。
いま『幻の町』の脚本は倉本聡コレクションで読むことができる。ドラマに登場する老夫婦は戦前に樺太の真岡(現ユジノサハリンスク)に住んでいて、戦後引き上げてくるときに一人娘を残してきた。娘は当時のどさくさで亡くなっているようなのだが、二人は真岡で元気で生きていると信じている。ときに「死んだのではなかったか……」という疑問が脳裏に浮かびはするのだが、二人してそれを心の奥底に押しやってしまう。
夫は記憶を頼りに10年がかりで真岡の地図をつくっている。その地図を携えて小樽にやってきた。小樽から樺太行きの船が出るからなのだ。しかし、地図を小樽の町のどこかに置き忘れてしまう。出会った女の子が奔走して地図は二人の手元に戻るのだが、地図を地元の人たちがよく見ると、真岡だけでなく、釧路や室蘭など、夫婦が戦後転々とした北海道の町がモザイクのように織り交ぜられているのだった。
こうして紹介するだけでも胸がつぶれそうなストーリーだ。私たちの生は記憶の重層構造の中にしかないのかもしれないと思う。しかし、「娘が生きていない」といったい誰が言い切れるのか。たとえ地図がどんなにちぐはぐなものであろうとも、樺太という島はたしかに存在するのだ。だから、二人は船着場に向って歩いていく。まるで、ケンジが妹のトシに会うために樺太に向ったように。
私たちが言葉を紡ぐ営為は、こんな地図づくりに似ている。
カンパネルラとなる極北の海に向き 燈
いま『幻の町』の脚本は倉本聡コレクションで読むことができる。ドラマに登場する老夫婦は戦前に樺太の真岡(現ユジノサハリンスク)に住んでいて、戦後引き上げてくるときに一人娘を残してきた。娘は当時のどさくさで亡くなっているようなのだが、二人は真岡で元気で生きていると信じている。ときに「死んだのではなかったか……」という疑問が脳裏に浮かびはするのだが、二人してそれを心の奥底に押しやってしまう。
夫は記憶を頼りに10年がかりで真岡の地図をつくっている。その地図を携えて小樽にやってきた。小樽から樺太行きの船が出るからなのだ。しかし、地図を小樽の町のどこかに置き忘れてしまう。出会った女の子が奔走して地図は二人の手元に戻るのだが、地図を地元の人たちがよく見ると、真岡だけでなく、釧路や室蘭など、夫婦が戦後転々とした北海道の町がモザイクのように織り交ぜられているのだった。こうして紹介するだけでも胸がつぶれそうなストーリーだ。私たちの生は記憶の重層構造の中にしかないのかもしれないと思う。しかし、「娘が生きていない」といったい誰が言い切れるのか。たとえ地図がどんなにちぐはぐなものであろうとも、樺太という島はたしかに存在するのだ。だから、二人は船着場に向って歩いていく。まるで、ケンジが妹のトシに会うために樺太に向ったように。
私たちが言葉を紡ぐ営為は、こんな地図づくりに似ている。
カンパネルラとなる極北の海に向き 燈
2009年06月11日
サハリン余話
学生時代にほとんどボランティアでバイオリンのレッスンしてくださった千駄木のK先生のお宅でときどきいっしょになる青年がいた。路地を曲がると、すごいテクニックのバッハが聞こえてくるので、いつも、「おおー」と圧倒されたものだ。
あるとき、先生が「彼は杉本良吉の甥なんだよ。あの岡田嘉子といっしょに樺太の北緯50度の国境を越えてソ連に亡命して、ソ連で亡くなった人だよ。知ってるでしょ」と教えてくれた。いま、調べてみると、演出家だった杉本良吉は1902年生まれ。越境後すぐ捕まって、翌39年に銃殺されている。ということは当時37歳。彼は杉本良吉の年下の兄弟の息子さんだったのだろうか。
工藤さんの『新サハリン紀行』には、「岡田嘉子・杉本良吉のソ連国境越境入国は、当時のスターリンによる知識人粛清状況下で、不世出の演出家メイエルホリド粛清理由の格好の口実になったという」と記されている。
二人はソ連での自由を夢見て亡命したのだろうが、わずか3日で引き離されたのだ。岡田嘉子はそのままソ連にとどまり、戦後モスクワ放送局に入局、やがて11歳年下の同僚、滝口新太郎と結婚する。そして、72年に滝口の遺骨とともに一時帰国。86年に再びソ連に戻り、92年に没している。私の記憶もおぼろで、もしかしたら、あの青年は杉本の甥ではなくて、滝口の甥だったかもしれない。私が先生のもとに通っていたのは1970年前後のことだった。いずれにしても戦争が近かった。私が生まれたのは「アメリカ軍の占領下の日本」だったのだもの。
著莪の花路地はバッハを醸しおり 燈
緑の木々の吐く息が濃くたちこめた路地だった。
あるとき、先生が「彼は杉本良吉の甥なんだよ。あの岡田嘉子といっしょに樺太の北緯50度の国境を越えてソ連に亡命して、ソ連で亡くなった人だよ。知ってるでしょ」と教えてくれた。いま、調べてみると、演出家だった杉本良吉は1902年生まれ。越境後すぐ捕まって、翌39年に銃殺されている。ということは当時37歳。彼は杉本良吉の年下の兄弟の息子さんだったのだろうか。
工藤さんの『新サハリン紀行』には、「岡田嘉子・杉本良吉のソ連国境越境入国は、当時のスターリンによる知識人粛清状況下で、不世出の演出家メイエルホリド粛清理由の格好の口実になったという」と記されている。二人はソ連での自由を夢見て亡命したのだろうが、わずか3日で引き離されたのだ。岡田嘉子はそのままソ連にとどまり、戦後モスクワ放送局に入局、やがて11歳年下の同僚、滝口新太郎と結婚する。そして、72年に滝口の遺骨とともに一時帰国。86年に再びソ連に戻り、92年に没している。私の記憶もおぼろで、もしかしたら、あの青年は杉本の甥ではなくて、滝口の甥だったかもしれない。私が先生のもとに通っていたのは1970年前後のことだった。いずれにしても戦争が近かった。私が生まれたのは「アメリカ軍の占領下の日本」だったのだもの。
著莪の花路地はバッハを醸しおり 燈
緑の木々の吐く息が濃くたちこめた路地だった。
2009年06月01日
サハリン紀行
久々に小池光の『街角の事物たち』(92年発行)を読み返していて、チェーホフの『サハリン紀行』という書名が目にとまった。チェーホフとサハリン……この結びつきに惹きつけられて、さっそく読んでみることにした。現在は『サハリン島』という邦題らしい。岩波文庫で上下2冊本という大著である。全集以外は古本でしか手に入らないので、とりあえず図書館で借りて読み始めたが、チェーホフがサハリンに上陸して住民たちの取材を開始したところで期限切れになって返却。やはり自分の本にしなくてはと思いつつ、ふと思い出したのが工藤正広氏の『新サハリン紀行』である。
工藤氏の『新サハリン紀行』は88年9月から翌年7月まで図書新聞に連載された「北へ、新サハリン紀行」を一冊にまとめて1990年に風媒社から上梓された。氏が88年の夏に訪れたサハリンの旅が描かれている。小樽から日本海をナホトカへ。そして列車でハバロフスクまで行き、そこから飛行機でユジノサハリンスクへ。工藤氏が旅に携えたのは、宮沢賢治の詩集と、チェーホフの『サハリン島』だった。
一行は老夫婦2組、老婦人1名、工藤氏とツアーコンダクターの7名。氏と一緒にサハリンの土を踏んだ人々は、戦前にサハリンで暮していた人々であったことが、徐々にわかってくる。 サハリンで、チェーホフに出会い、賢治に出会い、サハリンで暮すロシア人や朝鮮人や日本人に出会う。「ここは一点の悪意もなしに、愛情をもって、出会った人びとの縁因を文字にとどめたつもりであるし、それが楽しかった」(あとがき)
工藤さんのサハリン行きの大きな目的は「宮沢賢治」だった。「妹のとし子が幽明境を異にして、それでケンジはもしや最北のサハリンへ到れば、かの風土の中で死んだ妹を呼び出せると思ったんでしょう、サハリンの風光の中で、法華経でも唱えて祈ったんじゃないかなあ。その風光を僕も自分で感じたいなんて思って――銀河鉄道という銀河だって、鉄道だって、1920年代のサハリン。よく分からないですが、勝手に思っています」とびっくりするような卓見が述べられている。
工藤氏の『新サハリン紀行』は88年9月から翌年7月まで図書新聞に連載された「北へ、新サハリン紀行」を一冊にまとめて1990年に風媒社から上梓された。氏が88年の夏に訪れたサハリンの旅が描かれている。小樽から日本海をナホトカへ。そして列車でハバロフスクまで行き、そこから飛行機でユジノサハリンスクへ。工藤氏が旅に携えたのは、宮沢賢治の詩集と、チェーホフの『サハリン島』だった。
一行は老夫婦2組、老婦人1名、工藤氏とツアーコンダクターの7名。氏と一緒にサハリンの土を踏んだ人々は、戦前にサハリンで暮していた人々であったことが、徐々にわかってくる。 サハリンで、チェーホフに出会い、賢治に出会い、サハリンで暮すロシア人や朝鮮人や日本人に出会う。「ここは一点の悪意もなしに、愛情をもって、出会った人びとの縁因を文字にとどめたつもりであるし、それが楽しかった」(あとがき)工藤さんのサハリン行きの大きな目的は「宮沢賢治」だった。「妹のとし子が幽明境を異にして、それでケンジはもしや最北のサハリンへ到れば、かの風土の中で死んだ妹を呼び出せると思ったんでしょう、サハリンの風光の中で、法華経でも唱えて祈ったんじゃないかなあ。その風光を僕も自分で感じたいなんて思って――銀河鉄道という銀河だって、鉄道だって、1920年代のサハリン。よく分からないですが、勝手に思っています」とびっくりするような卓見が述べられている。
2009年04月09日
レの♯とミの♭
土曜日は日フィル弦楽四重奏団の室内楽コンサート「作曲家の恋」を聞いた。150人ほどの小ホールだが、ライブはやはりいい。
プログラムはエルガーの「愛の挨拶」、モーツァルトの弦楽四重奏曲第14番ト長調「春」、そしてベートーヴェンの弦楽四重奏曲第4番ハ短調作品18-4。
エルガー以外はなじみのない曲だったが、ベートーヴェンがとてもよかった。ヴィオラの新井豊治さんの解説によると、モーツァルトの時代までは、作曲といえば貴族からの注文を受けて書くもので、ベートーヴェンンの時代になって初めて、作曲家が自分で作曲したい曲を書けるようになったのだそうだ。ベートーヴェンが心に染みいってくるのはそのせいかもしれない。アンコールは滝廉太郎の「花」。みなさん、よかったらどうぞ一緒に歌ってくださいと新井さんが呼びかけたところ、会場にすばらしいテナーのおじさんがいてその人に誘われるように会場が歌声でいっぱいになった。
日曜日の夜は名曲探偵アマデウスを2回分見てしまう。探偵が謎に挑むのはヴィバルディの「四季」とリストの「ラ・カンパネラ」。「四季」を演奏したカルミニョーラとヴェニス・バロック・オーケストラ(指揮・マルコン)にびっくりした。チェロ以外は立って演奏するのだ。中でもカルミニョーラの演奏スタイルは情熱的で魅了された。四季の春の小鳥のさえずりのかけあいにほれぼれ。「ラ・カンパネラ」には3つのバージョンがあることを知った。「レ」の♯と「ミ」の♭では同じ鍵盤でも弾き手の思いが異なり、違った音色になるという。うーむ。わかるような気がする。「ラ・カンパネラ」はパガニーニのヴァイオリン協奏曲No2に感動したリストがそのメロディをもとに作曲したものだそうだ。パガニーニもぜひ聞いてみたい。
ラ・カンパネラといえば、「銀河鉄道の夜」である。ジョバンニと一緒に旅するのがカンパネルラ。釣鐘草のことでもあるが、賢治は音楽好きだから、パガニーニやリストを聞いていたのにちがいない。
プログラムはエルガーの「愛の挨拶」、モーツァルトの弦楽四重奏曲第14番ト長調「春」、そしてベートーヴェンの弦楽四重奏曲第4番ハ短調作品18-4。
エルガー以外はなじみのない曲だったが、ベートーヴェンがとてもよかった。ヴィオラの新井豊治さんの解説によると、モーツァルトの時代までは、作曲といえば貴族からの注文を受けて書くもので、ベートーヴェンンの時代になって初めて、作曲家が自分で作曲したい曲を書けるようになったのだそうだ。ベートーヴェンが心に染みいってくるのはそのせいかもしれない。アンコールは滝廉太郎の「花」。みなさん、よかったらどうぞ一緒に歌ってくださいと新井さんが呼びかけたところ、会場にすばらしいテナーのおじさんがいてその人に誘われるように会場が歌声でいっぱいになった。
日曜日の夜は名曲探偵アマデウスを2回分見てしまう。探偵が謎に挑むのはヴィバルディの「四季」とリストの「ラ・カンパネラ」。「四季」を演奏したカルミニョーラとヴェニス・バロック・オーケストラ(指揮・マルコン)にびっくりした。チェロ以外は立って演奏するのだ。中でもカルミニョーラの演奏スタイルは情熱的で魅了された。四季の春の小鳥のさえずりのかけあいにほれぼれ。「ラ・カンパネラ」には3つのバージョンがあることを知った。「レ」の♯と「ミ」の♭では同じ鍵盤でも弾き手の思いが異なり、違った音色になるという。うーむ。わかるような気がする。「ラ・カンパネラ」はパガニーニのヴァイオリン協奏曲No2に感動したリストがそのメロディをもとに作曲したものだそうだ。パガニーニもぜひ聞いてみたい。 ラ・カンパネラといえば、「銀河鉄道の夜」である。ジョバンニと一緒に旅するのがカンパネルラ。釣鐘草のことでもあるが、賢治は音楽好きだから、パガニーニやリストを聞いていたのにちがいない。
