2008年03月

2008年03月22日

小説の中の「パリ」

 横浜で友人と堀江敏幸のパリを舞台にした小説について話したことを書いたので、高橋たか子の『ライサという名の妻』についても触れておこうと思う。カトリックの哲学者ジャック・マリタンとその妻ライサの伝記であるが、彼らが出会った20世紀はじめのパリの街は、この伝記のもう一つの主人公でもあると思った。読後、マリタン夫妻が散歩した植物園やモンパルナス界隈、教会などの場所を地図で確認する作業は、彼らの思念の道筋をたどるようで楽しかった。
 パリの街について高橋たか子はしばしば書いている。むろん、高橋たか子ばかりではなく、多くの日本人がその街に魅了されたろうけれども、私は高橋たか子を通じてパリの街を感じたのである。カトリック世界のはらむ精神の歴史が路地のそこここ、教会の暗がりから滲み出てくる、そんな感じを味わった。
 改めてパリという都市のことを考えていたら、偶然、パリを舞台にした小説『おぱらばん』を手にすることになった。
 堀江敏幸の作品に心ひかれて折にふれて読んできたが、最初に読んだ『郊外にて』はなかなか作品の中に入り込めずに放置し、『雪沼とその周辺』でやっとその魅力に目覚めた。それからさかのぼるように、改めて『郊外にて』を読み、『熊の敷石』『いつか王子駅で』と読み進め、いま、やっと三島由紀夫賞受賞作『おぱらばん』(98年刊)にたどりついたわけだ。タイトルの意味も知らず、ネットで古本を取り寄せて読み始めたら、この連作小説もパリとその郊外が舞台で、〈おぱらばん〉はフランス語だと初めて知った。さまざまな文学作品を縦横に引用しながら進められる手法は、まさしく小島信夫に通じるものがあって、独特の時空に引きずり込まれてしまう。
 小説の中のパリを歩き回るのは楽しいが、実際の街を歩いてみたいとはあまり思わない。たぶん、小説の中にしかない「パリ」を私は歩いているのであろうから。



yokoakari0104 at 00:00|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 読書の愉しみ 

2008年03月20日

横浜散歩

 学生時代の友人と久々に会った。彼女はフランス語科、私はスペイン語科だったが、大学のオケでいっしょだった。二人ともバイオリンを手にするのはそのときが初めてだった。もっとも彼女はクラシックに詳しく、フルトベングラーのベートーベンが好きと言う。バイオリンも初めてなら、クラシックも学校の音楽の授業で聞いた程度の私とは大違いである。高校の時にペーパーバックでサリンジャーを読んでいたという彼女に圧倒されたものだ。いっしょに千駄木の先生のお宅まで都電に乗ってバイオリンのレッスンに通った。私のアパートに彼女がしばらく同居したこともある。
 オケの先輩と結婚した彼女に息子が生まれた時、「はやく一緒に飲めるようになるといいねえ」といったその息子も、もうすぐ30歳である。
 みなとみらい線の「元町・中華街」駅で待ち合わせて、港の見える丘公園まで歩く。「桜にはちょっと早いし、端境期ねえ」と言いながら歩いていったが、ツルニチニチソウが紫の花を開き、しだれ梅が満開で、日当たりのいいところでは白木蓮が花を開いていた。
 神奈川近代文学館で神奈川にゆかりのある文学者たちの常設展を見る。これがコンパクトによくまとまっていて面白かった。漱石、芥川、谷崎、川端、横光、小林、中島敦、有島武郎、堀辰雄、中里恒子……こんなに大勢の文学者たちが神奈川となんらかの関係があることに驚く。しかもみんな小説ばかりでなく、詩や短歌や俳句をものし、絵を描き、装幀や篆刻を手がけ、さらに英語やフランス語などの外国語に堪能で外国文学に造詣が深い。まさにマルチなのだ。ジャンルを越境していく彼等のパワーに圧倒された。
 外人墓地のわきを通り過ぎ、夕暮れの街をゆっくりと海のほうへ降りて行く。道々近況を報告しあい、お互いの現状を確認する。3年の間に彼女は仕事を変わり、息子は一人暮らしを始め、ガールフレンドもいるらしい。しかし、彼女は相変わらす淡々とゴーンイングマイウエイの人である。
 中華街で辛いマーボー豆腐を食べながら、土地柄だろうか、話は母国語以外のコトバで詩や小説を書いているリービ英雄やアーサー・ビナードのことに移っていった。日本語は日本人だけのものではとっくになくなったのだ。彼女はカズオ・イシグロの「私を離さないで」のラストシーンがとてもよかったという。私は古本で最近入手した堀江敏幸の「おぱらばん」の話をした。カズオイシグロは日本生れの英国人、堀江の小説のタイトルはフランス語で舞台はパリである。横浜の夜はエキゾチックに過ぎていった。


yokoakari0104 at 18:26|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 日々の滴り 

2008年03月16日

地下道のモジリアニ

 雨の日や寒い日には会社の帰りに地下道へ降りて新宿駅まで歩く。右側にはバッグ屋、スープ屋、おにぎり屋、アクセサリーショップなどが脈絡なくつづくが、左の壁面はB全の大きなポスターが何枚も並んで張られている。たいていは展覧会の案内ポスターで、新しい美術展が始まるのを、ここで知ることもある。
 春近しという感じの暖かい雨の夜に久々に地下道から駅に向かった。左の壁に目を転じると、首の長い女性がうす青い瞳で私をみつめていた。モジリアニのジャンヌ像の一枚だった。わあ、懐かしい。髪の毛をシニョンにした、私にはちょっと馴染みの薄い一枚だが、紛れもないジャンヌ・エヴュテルヌである。ジャンヌの前に立ち止まった。上京して以来何度モジリアニ展に足を運んだだろうか。今度は国立新美術館で開かれているようだ。独特のフォルムに引き込まれながら、また逢いに行こう、そう思った。
 駅に向かいながらふっと思い出したことがある。中学校の体育館で行われた複製画の販売会である。床一面に所狭しと並べられたさまざまな複製画、あれはいったい一枚いくらだったのだろうか。大きさは、A4サイズくらいだった。迷路のような通路を行きつ戻りつして私が選んだのは、コローの風景画である。迷いに迷って、なんだかよくわからなくなってしまったのだった。繊細な木々と水辺がもやっているような一枚だった。
 わたしが密かに心を寄せていたYくんは、そういえば、並木道の絵を選んでいたっけ。木々のずっと上のほうにだけ葉っぱがついているちょっとシュールな感じの絵である。なんだか、それがとても意外だったのだ。なぜそう思ったのだったろう……。
 同じ頃、雑誌の付録にモジリアニの複製画がついた。「ネクタイの女」である。しかし、私はずっと少年だと思って眺めていた。ネクタイに幻惑されていたのだ。絵葉書より少し大きいくらいの複製ではあったが、キャンバス風の手ざわりの紙に感激し、紙製のスタンドを組み立てて大切に机に飾った。思えば、あれが私のモジリアニとの出会いだった。
 


yokoakari0104 at 17:42|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 日々の滴り