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2018年01月26日

二宮氏の記事を読み、なら、俺も後出ししよう。

なら、俺も後出ししよう。

俺は、齋藤学が去年、10番付けると聞いて、
齋藤学はマリノスの10番は、ちょっと違うと思った。

ただ。自ら付けたいと言った心意気は、否定できない。

しかし、齋藤学自身は、とりあえず一年って気持ちだったようだね。
海外移籍のための単年契約ではなかったと、Number Web 「齋藤学の思いを聞き続けた1年間。マリノスファーストだった男の決断。」に書かれてる。

単年契約だから、0円移籍になった。そのことは、俺は大したことと思ってない。
また、単年契約になった経緯も、それ自体が今回の裏切りの第一とも思わないし、
代理人が佃氏であることも、然り。


この記事のここだよな。
引用=====================================
「プレーとしては判断基準が、どうしてもチームが先になりました。でもそれって、チームに逃げる、チームに甘えるっていうところなのかもしれないなって思うようにもなったんです」
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プロフットボーラーの心の中なんて、他人にはわからない。
だから、この難解な言葉の意味は汲み取れない。
単に「ちょっとなに言ってるかわかんないっす」と、茶化すつもりはない。

点が取れなかったことを、自分の中で、「チームが先。って、言い訳にしちゃった。だが、それは甘えだし、誤魔化しだ」って感じだろうか。
言い訳を作りたくなかった。
自分への甘えを断ちたかった。
それがマリノスを離れる動機だった。ということか。

それなら、天皇杯決勝を待たずに答えは出ていたと、思うのだが。


もし、チームをまとめたり、チームの事を考えることと、自らが輝くことが、両立しなかったと感じるなら、
それを成すことこそ、今年するべき挑戦だったのではないだろうか。

川崎であれ、どこであれ、それを投げ出した事は、逃げでしかないし、
裏切りでしかない。

10番であること。キャプテンであること。怪我した時のチームメイトやスタッフ、そしてサポーターの思い。それを裏切った。それは、事実だ。

俊さんが出ていった。そんなチームですよ。と聞こえるエクスキューズは、不快だ。


去年、俊輔が去った時、俺はこのブログに記事を1つだけしか書かなかった。
今回、齋藤学に対しては、これで5つ目だ。
俺は、今だに俊輔と呼ぶが、齋藤のことを今後「学」と呼ぶことは、無い。

時に、これだけ彼が叩かれるのは、それだけ彼が愛されていたからだと、言われたりもしているが。
俺は、今回の事があっても、無くても、それほど彼を愛してはいなかった。

俊輔や松田直樹には、遠く及ばず。
井原や木村和司と比べるまでもない存在でしか無かった。
もし、この4人ほどに、愛していたなら
俺は、たとえ仮に裏切られたと思っても、5回も記事にしたりせず
黙って泣いていただろう。

再び、引用させてもらう。
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10番とキャプテンを背負って、チームを良き方向に導こうと真っ向から逃げずに闘ってきたからこそ芽生えた感覚。
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石の上にも三年という言葉がある。
1年で、なにを言ってるのか。

「川崎のほうが、代表関係の視察者が圧倒的に多いから」って方が、まだマシだ。





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Posted by りんじ at 00:16│Comments(0)横浜F・マリノス

 
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