2013年01月09日

「翻空蝶(空に翻る蝶)」の夢


昨夜ふと李商隠の詩が思い浮かんだ。若いころに口ずさんでいた詩です。

 夜雨寄北  李商隠
君問歸期未有期、巴山夜雨漲秋池。
何當共剪西窗燭、卻話巴山夜雨時。

 夜雨北に寄す
君帰期(きき)を問うも未だ期有らず
巴山(はざん)の夜雨(やう)秋池に漲(みなぎ)る
何(いつ)か当(まさ)に共に西窓の燭を剪(き)りて
却(かえ)って巴山夜雨の時を話(かたる)るべき

いつ帰るのとあなたは問うが
いつになるやら分かりはしない
秋の巴山に雨降り続き
夜深の池に水がみなぎる
いつか窓辺に寄り添いながら
いま降る雨のはなしをしよう

「逢いたい!何時逢えるの?」電話の向こうの寂しそうな声、でも、予定はまだ決まらない。
君から遠く離れたこの地の夜、私の想いのように雨は止まない。
いつか 君に夜通し電気も消さず明るい部屋で、
この雨の夜の私の熱いせつない思いをお話しましょう。

なかなか逢えないつらさが沁みる詩です。この李商隠(八一一‐八五八)は、艶詩を恋愛詩に高めたといわれる晩唐の詩人です。
こんな詩もあります。

 無題(幽人不倦賞) 李商隠
幽人不倦賞、秋暑貴招邀。
竹碧轉悵望、池淸尤寂寥。
露花終嚢濕、風蝶強嬌饒。
此地如攜手、兼君不自聊。

幽人賞するを倦まず、秋暑に招邀(しょうよう)せんと貴(ねが)ふ。
竹は碧(みどり)にして転(うた)た悵望(ちょうぼう)、池は清くして尤(もっと)も寂蓼たり。
露花の終に嚢濕(ゆうしつ)し、風蝶は強いて嬌饒(きょうじょう)たり。
此の地に如(も)し手を携(たずさ)はば、自(ひとり)聊(たの)しまずして君と兼(かさ)ねむ。

隠者のような私はひとり今の風情を飽かず眺め、残暑の秋にしきりに貴女を招きたくなります。
竹林の青々とした静かなたたずまいは眺めるほどに悲しく、池の水清らかさは切ないほどの寂しさがこみ上げてきます。
露に濡れて花はしっとりと湿りを帯びて、風に舞う蝶がなまめかしい仕種で飛びまわっています。
もしも貴女と手に手にとって眺めるなら、(貴女は露を含む花のようにしっとりとぬれ、舞う蝶のような貴女の姿はひとしおなまめかしさにあふれて)貴女と一緒にどんなにか退屈でなく楽しい時になるでしょう。

この「花と蝶」はともに美と悦びの象徴でしょう。

蝶といえば、「無為自然」「一切斉同」を説く荘子の「胡蝶の夢」が連想されます。
これを本歌にした歌は多く詠まれているようです。

 百年(ももとせ)は花にやどりて過ぐしてきこの世は蝶の夢にぞありける 大江匡房
 花や夢ゆめや花ともわかなくにまたも胡蝶の春やおくらん 三条西実隆

これとはまた異質ですが、禅語にもなっている良寛の詩もあります。

  無題   良寛
花無心招蝶、蝶無心尋花。    
花開時蝶来、蝶来時花開。
吾亦不知人、人亦不知吾、不知従帝則。

花は心無くして蝶を招き、蝶は心無くして花を尋ぬ。
花開く時蝶来り、蝶来る時花開く。
吾れも亦人を知らず、人亦吾れを知らず、知らず帝の則に従う。
  ※帝則=自然の道に依る

花は無心で蝶を呼んでいる。蝶も無心で花を尋ねる。
花が咲くとき蝶がやってくる。蝶がやってくるとき花は開く。
あなたは心の奥深くで私を探している。私は心の奥深くであなたを探している。
あなたは私との未来を知らない。私もあなたとの未来を知らない。
いつ出逢うのか、どこで出逢うのか、私たちはその理由をしらなくても、出逢うべきときに出逢うのです。これがめぐり合いでしよう。

花咲き蝶の飛ぶ春を待ってこんな詩を作ってみました。

 「翻空蝶」 横雲
日暖開花憧 日暖かにして花開くを憧れ、
莫恨不相逢 相逢はざるを恨む莫れ。
待望滿隄櫻 堤の桜満つるを待ち望めば、
風緩将潤瞳 風緩やかにして将に瞳を潤さんとす。
 
蝶成春已濃 蝶成りて春已(すで)に濃く、
紛紛花落叢 紛々と花叢(くさむら)に落つ。
小苑滑鶯囀 小苑は鶯の囀り滑らかに、 
有情從各風 情有りて各(おのおの)風に従ふ。

恐被抱吾胸 吾が胸に抱かるるを怖るるも、
相擁溢笑容 相擁(あひいだ)くに容(すがた)に笑ひ溢る。
飛戲翻空蝶 飛び戯れ空に翻る蝶、
當歡春日夢 当に春の日の夢を歓ぶべし。

  ・「翻空蝶」は、「医心方」にある三十種の一でもある。





yokogumo at 17:39|PermalinkComments(0)TrackBack(0)漢詩について 

2012年11月11日

恋ひやわたらむ

8296[1]有島生馬色紙

  風に堪えすがれる紅き葉の如き燃ゆる想ひを君は知らじな 横雲

過ぎゆく秋を惜しんで木々の紅葉も色濃く、且つ散り、何となくもの淋しい季節になります。
それ故か胸の奥の燃える火は一層際立ってもきます。


「かくとだにえやはいぶきのさしも草さしも知らじな燃ゆる思ひを」 (後拾遺・藤原実方)

【これ程あなたをお慕いしていると、そのことだけでも打ち明けたいのですが、どうして言うことなどできましょう。伊吹山の「さしも草」ではないけれど、さしも――それ程だとは知らないでしょう、艾(もぐさ)のようにじりじりと燃える私の思いを。】これは歌は百人一首の一首です。


和泉式部の歌では、

「けふも又かくや伊吹のさしも草さらば我のみ燃えや渡らむ」 (新古今・和泉式部)

【あなたに対して自分だけが燃えて今日もまた一日を過ごすのでしょうか】という女の一途な恋心を歌い上げたもあります。「伊吹のさしも草」は「もぐさ」で、「燃え」の序詞、「いふき」には「言ふ」が掛けられています。

漢詩を見ますと、次の詩がありました。

   「落葉」 青渓小姑
  日暮風吹
  落葉依枝
  寸心丹意
  愁君未知

日の暮れがた 風が吹き起こって 落ち葉が舞っていますが、
その中に 枝にすがって堪えている葉があります。
それはまるで私の小さな胸の奥に赤々と燃えながら堪えている恋心、
悲しいことに この想いは貴方には通じていないのです。

これは、青渓小姑(せいけいしょうこ)という1500年以上昔の劉宋時代(420-479年)の女性の作った四言古詩です。漢詩ではめずらしい恋の歌です。
 日(ひ)暮れ風吹き
 落葉(おちば)枝に依(すが)る
 寸心(すんしん)丹意(たんい)
 君の未だ知らぬを愁う
  *寸心:こころ。
  *丹意:丹は赤い色。転じてまごころ(丹心)。意もこころです。

燃える心をそれに重ねているのですから、この葉は紅く色づいているのです。片想いに堪える苦しさを、今にも吹き落とされそうなところを堪えている必死の紅葉になぞらえたいじらしい一篇です。

       佐藤春夫訳 (車塵集)   
      日はくれ風ふき
      枝に葉は落つ
      もゆる思ひは
      君に知られず        
         

ひとり胸の中に燃える恋を詠っています。


もみぢ葉は散る木のもとにとまりけり過ぎ行く秋やいづちなるらむ(後撰集・詠み人知らず)
「紅葉の散り積もれる木のもとにて」と詞書がありますが、これは単に過ぎゆく秋を惜しんでいるだけでしょうか。

かくのみし恋ひやわたらむ秋津野にたなびく雲の過ぐとはなしに(万葉集・大伴千室)
【いつまでもこの想いは消えることはなくて何時までも恋い続けていくのだろうか、秋津野にたなびく雲はいつしか消えるというのに・・】


陸奥(みちのく)の安積( あさか)の沼の花がつみかつ見る人に恋ひやわたらむ (古今・読人不知)
【陸奥の安積の沼の花かつみではないが、かつ見る――逢っていながらも、心は陸奥の国のように遥かに隔たっている人に恋し続けるのだろうか。あひ見てもなほつのる思ひ、君をひしと抱いてもなほ・・。】 


逢ふことは波ぢはるかに漕ぐ舟のほのみし人に恋ひやわたらむ (新拾遺・徽安門院一条)
【お逢いしたといっても、波の上を遥か遠く行く船の帆を見るかのように、わずかに見ただけでずっと恋し続けるのでしょうか。私はあの方を私はずっと想い続けましょう。】

  花薄ほの見ゆる影かつ消えてわれのみ人に燃えや渡らむ 横雲




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2012年05月15日

桐の花


今日、桐の花の句と歌を詠んだ。


 桐の花落ちて小雨の止みにけり 杉竹
 ふるさとは遠くけぶれる桐の花 杉竹

 花落ちて桐の木陰の風薫り蝶の舞ひゆく果てぞ追ひける 横雲



それで、初夏を迎えた桐も詠み込んでいた詩を思い出した。

 「初夏行平水道中」 陸游(南宋)
老去人間楽事稀、一年容易又春歸。
市橋壓擔蓴糸滑、村店堆盤豆夾肥。
傍水風林鶯語語、満園烟草蝶飛飛。
郊行已覺侵微暑、小立桐陰換夾衣。

  「初夏 平水の道中を行く」
  老去りて 人間 楽事 稀なり、
  一年 容易にして 又 春 帰る。
  市橋 担を圧して 蓴糸(じゅんし)滑らかに、
  村店 盤に堆(うずたか)く 豆夾 肥ゆ。
  水 風林に傍(そ)ひて 鶯語語し、
  園 烟草満ちて 蝶の飛飛たり。
  郊行 已に覚ゆ 微暑を侵せるを、
  小(しばら)く桐陰に立ちて 夾衣を換ふ。

年を取ると、世の中に楽しみは少ない。
一年もやすやすと過ぎて今年もまた春が去ってゆった。
町の橋では、重そうに担がれたジュンサイが滑らかに光り、
村の店では、皿にうずたかく積まれた莢豆が丸々と太る。
水辺の風に揺れる林では 鶯が鳴き交わし、
畑一面の青草の上を 蝶が飛び交っている。
野歩きすると、もういくらか暑さを覚える季節となっていて、
しばらくは桐の木陰に立ち止まって衣を夏のものに着替えよう。



桐の花と言えば、北原白秋の歌集「桐の花」がある。
白秋、28歳の第一歌集である。

 さしむかひ二人暮れゆく夏の日のかはたれの空に桐の匂へる

ここの「哀傷篇」には、人妻との苦恋も詠われている。DVを受けている人妻に心を寄せて、離縁を宣言されたのを機に結ばれたが、法的には離婚が成立していないと姦通罪に問われた事件である。

歌集の第一首は、
 春の鳥な鳴きそ鳴きそあかあかと外の面の草に日の入る夕


秋思五章・春を待つ間から、
 君かへす朝の舗石(しきいし)さくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ
 雪の夜の紅きゐろりにすり寄りつ人妻とわれと何とすべけむ
 狂ほしき夜は明けにけり浅みどりキヤベツ畑に雪はふりつつ

哀傷篇から、
 君と見て一期の別れする時もダリヤは紅しダリヤは紅し
 鳴きほれて逃ぐるすべさへ知らぬ鳥その鳥のごと捕へられにけり
 かなしきは人間のみち牢獄(ひとや)みち馬車の軋(きし)みてゆく礫道(こいしみち)
 大空に圓き日輪血のごとし禍(まが)つ監獄(ひとや)にわれ堕ちてゆく
 しみじみと涙して入る君とわれ監獄(ひとや)の庭の爪紅(つまぐれ)の花
 編笠をすこしかたむけよき君はなほ紅あかき花に見入るなりけり

「わがわかき日も哀楽も遂には皐月の薄紫の桐の花の如くにや消えはつべき。」

その後ふたりは結婚して三崎の城ヶ島に住み、そこで「城ヶ島の雨」が生まれたのだった。




yokogumo at 16:51|PermalinkComments(0)TrackBack(0)