2012年01月02日

初夢

 ながきよのとをのねぶりのみなめさめなみのりふねのをとのよきかな 
 (永き世の遠の眠りのみな目覚め波乗り船の音の良きかな)

正月二日が明ける夜(もともとは立春の朝)に見るのが初夢だそうですが、その初夢に、吉夢をみるために七福神の宝船の絵を枕の下に置く風習があり、特にその絵にあるこの上記の歌を三度読んで寝ると吉夢になると信じられています。
この歌は回文(初めから読んでも、後ろから読んでも同じ)歌です。

この初夢では「まさに見し一富士二鷹三茄子夢ちがへして貘にくはすな」という大田南畝(1749-1823)の狂歌にあるように「一富士二鷹三茄子」と見るのがめでたいと言われたりします。
私はやはり、出来れば恋しい人に逢いたいものです。

 思ひつつ寝(ぬ)ればや人の見えつらむ夢と知りせばさめざらましを(小野小町・古今552)
(あなたが夢においでになったのは恋しく思いながら寝入ったからでしょうか、夢だと分かっておりましたら目覚めはしませんでしたのに。)
 うたゝねに恋しき人を見てしよりゆめてふ物はたのみそめてき(小野小町・古今5532)
(うたた寝をした時に恋しい人を見ましてからは、「夢」というものを頼みにするようになりました。)
と、これは以前記したような気がいたします。

これを本歌取りした歌では、
 思ひつつぬればやみえし俤にけささく花の春の夜の夢(松永貞徳)
 思ひつつぬればあやしなそれとだにしらぬ人をも夢にみてげり(賀茂真淵)
などというのもあります。

しかし、万葉の歌ですと
夢の逢ひは苦しかりけりおどろきて掻き探れども手にも触れねば(大伴家持・万葉集)
と、夢よりは現実の肉体の方がいいと直接詠っています。


 逢ふことの夢こそ恃めうつつにも逢ふことあらむ夢は捨てざり 横雲




yokogumo at 17:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 和歌について 

2011年11月25日

霜の花

 白菊に霜の花咲く野辺の朝 杉竹

今日は旧暦の霜月朔日(陰暦十一月一日)です。
それで霜を詠んだ詩歌を逍遥していました。その紹介になります。

まずは和歌から。

橘は実さへ花さへその葉さへ枝に霜降れどいや常葉(とこは)の木 聖武天皇
(橘は実までも、花までも、その葉までも、枝に霜が降ることがあっても、枯れるどころかますます栄える常緑の木である)

経(たて)もなく緯(ぬき)も定めず乙女らが織れる紅葉に霜なふりそね 大津皇子
(まるで、乙女たちが縦糸も横糸もなく気の向くままに織った錦のようだ。こんな見事なもみじの上に、霜よ降らないでおくれ)

かささぎの渡せる橋におく霜の白きを見れば夜ぞ更けにける 大伴家持
(宮中の御階におりている真っ白な霜を見ると、もう夜も更けたのだと感じられる)

心あてに折らばや折らむ初霜のおきまどはせる白菊の花 凡河内躬恒
(あて推量で折りとるなら折ってみようか。初霜がおりて霜で見分けが難くしくなっている白菊の花を)

ももしきやもる白玉の明け方にまだ霜くらき鐘の声かな 藤原定家
(宮中の漏刻が告げる明け方に、庭に降りた霜もまだぼんやりとしか見えない中、暗澹と響く暁鐘の音よ)


ひとりぬる山鳥の尾のしだり尾に霜おきまよふ床の月影 藤原定家
(柿本人麿の歌の本歌取り)


 秋を経て蝶もなめるや菊の霜 芭蕉
 手に取らば消えん涙ぞ熱き秋の霜 芭蕉
 御火焚や霜うつくしき京の町 蕪村
 ぬぎすてた下駄に霜あり冬の月 子規
 南天をこぼさぬ霜の靜かさよ 子規
 寒菊や霜の重みに倒れけん 子規


では、漢詩に移りますが、漢詩では霜の花で、白居易の「長恨歌」の一節が思い浮かびます。

鴛鴦瓦冷霜華重、翡翠衾寒誰與共。
 鴛鴦(ゑんあう)の瓦(かはら)冷ややかにして霜華(さうくわ)重く、
 翡翠(ひすゐ)の衾(ふすま)寒くして誰与 (と)共にかせん。
(おしどりの瓦は冷え冷えとして霜が真っ白に積もる。かわせみの夜具は冷え切っていて共に休む人もない。)


この白居易の詩を少し。

 「燕子楼」  白居易
滿窗明月滿簾霜、被冷燈殘払臥床。  
燕子樓中霜月夜、秋來只爲一人長。

満窓(まんさう)の明月満簾(まんれん)の霜、
被(ひ)は冷やかに燈(とう)は残(うす)れて臥床(ふしど)を払ふ。
燕子楼(えんしろう)の中(うち)の霜月(さうげつ)の夜(よ)、
秋来(きた)つて只(ただ)一人(いちじん)の為に長し。
 窓いっぱいに輝く月、簾いちめんに降りた霜。
 掛布は冷ややかで、燈火は寝床をうすく照らしている。
 燕子楼の中で過ごす、霜のように冴えた月の夜は、
 秋になって以来、ただ私ひとりのために長い。


 「村夜」  白居易
霜草蒼蒼蟲切切、村南村北行人絶。
獨出門前望野田、月出蕎麥花如雪。  
 
霜草の蒼蒼として虫は切切、
村南村北行人絶ゆ。
独り門前に出でて野田を望めば、
月出でて蕎麦(けうばく)の花雪の如し。
 霜の降りた草が青々とし虫がちりちりとさえずり
 村の南も村の北も行き交う人がいなくなった
 独り門前に出て野をながめると
 月明かりにそばの花が雪のようだ



 「菊花」  白居易
一夜新霜著瓦輕、芭蕉新折敗荷傾。
耐寒唯有東籬菊、金粟花開曉更清。

一夜新霜 瓦に著いて輕く、
芭蕉は新たに折れて 敗荷傾く。
寒に耐うるは唯 東籬の菊のみ有りて、
金粟の花開きて 曉更に清し。

 夜が明けると、初霜がうっすらと降りて瓦が白くなっている。
 この寒さに芭蕉は新たに折れて、破れた蓮の葉もさらに傾いてしまった。
 その中でも寒さに耐えているのは唯一、東の垣根の菊だけであり、
 その菊の花は美しく咲き、明け方の風景を一層清らかにしている。



 「燕子楼」三首の一  白居易 
滿窗明月滿簾霜、被冷燈殘払臥床。  
燕子樓中霜月夜、秋來只爲一人長。

満窓(まんさう)の明月満簾(まんれん)の霜、
被(ひ)は冷やかに燈(とう)は残(うす)れて臥床(ふしど)を払ふ。
燕子楼(えんしろう)の中(うち)の霜月(さうげつ)の夜、
秋来(きた)りて只(ただ)一人(いちじん)の為に長し。



 「歲晚旅望」  白居易
朝來暮去星霜換、陰慘陽舒氣序牽。 
萬物秋霜能壞色、四時冬日最凋年。 
煙波半露新沙地、鳥雀群飛欲雪天。 
向晚蒼蒼南北望、窮陰旅思兩無邊。

朝来 暮去 星霜換(かわ)り、
陰惨 陽舒 気序牽(ひ)けり。
万物 秋霜 能(よ)く色を壊(やぶ)り、
四時 冬日 最も年を凋(しぼ)ましむ。
煙波 半ば露(あらわ)る 新沙の地、
鳥雀 群れ飛ぶ 雪ふらんと欲するの天。
晚に向ひ 蒼蒼として南北を望めば、 
窮陰 旅思 両つながら無辺。
 日上り日暮れて時は移りゆき、
 日と月が廻って季節は替わる。
 万物は秋の霜に色褪せて、
 終には冬の日が一年を終わらせる。
 もやの立つ水面に砂地が半ば新たに現れ、
 鳥が雪模様の空に群がり飛んでいる。
 暗く暮れて行く故郷の空の方を見やると、
 冬は窮まり旅も愁いもともに限りがない。



 「答夢得秋庭獨座見贈」  白居易
林梢隱映夕陽殘、庭際蕭疏夜氣寒。  
霜草欲枯蟲思急、風枝未定鳥棲難。  
容衰見鏡同惆悵、身健逢杯且喜歡。  
應是天教相煖熱、一時垂老與閒官。
  
 「夢得(ぼうとく)が秋庭の独座を贈らるるに答ふ」
林梢(りんせう)は夕陽(せきやう)の残れるを隠映(いんえい)し、
庭際(ていさい)は粛疏(しゆくそ)として夜気(やき)寒し。
霜草(さうさう)枯れんとして虫の思(うら)むること急にして、
風枝(ふうし)未だ定まらずして鳥の棲(す)むこと難(かた)し。
容(かたち)衰へては鏡を見て同じく惆悵(ちうちやう)し、
身は健なれば杯に逢ひて且(しばら)く喜歓(きくわん)す。
応(まさ)に是(こ)れ天の相煖熱(だんねつ)せしめ、
一時(いちじ)に垂老と間官となるべし。
 林の梢に夕日の残光がちらちらと映え、
 庭の片隅は木の葉もまばらで夜風が寒い。
 霜の置いた草は枯れかかり、虫の恨む声がせわしなく、
 風に揺れる枝はおさまらず、鳥は止まろうとして難儀する。
 私の容貌は日毎に衰え、鏡を見ては何度も歎くが、
 体は丈夫なので、酒を飲めばひとまず喜ぶ。
 まさに天が我が身を暖めてくれたに違いなく、
 初老と閑職が一時に訪れた。



次はあまりに名高い詩を三つ。

 「山行」 杜牧
遠上寒山石経斜、白雲生処有人家。 
停車座愛楓林晩、霜葉紅於二月花。
遠く寒山に上れば石径斜なり、
白雲生ずる処人家有り。
車を停めて坐(そぞろ)に愛す楓林の晩(くれ)、
霜葉は二月の花より紅(くれなひ)なり。



 「静思夜」 李白
牀前明月光、疑是地上霜。
舉頭望明月、低頭思故鄕。

 牀前看月光、疑是地上霜。
 舉頭望山月、低頭思故鄕。
(これは日本ではこちらが一般的。)



 「楓橋夜泊」  張継
月落烏啼霜満天、江楓漁火対愁眠。  
姑蘇城外寒山寺、夜半鐘声到客船。  
月落ち烏啼いて霜天に満つ
江楓 漁火 愁眠に対す
姑蘇城外の寒山寺
夜半の鐘声 客船に到る



更にいくつか。

 「贈劉景文」   蘇軾
荷盡已無擎雨蓋、菊殘猶有傲霜枝。
一年好景君須記、最是橙黃橘緑時。

荷(はす)尽きて已に雨を擎(ささ)ぐる蓋(かさ)無く、
菊は残(さこな)われて猶(なほ)霜に傲(おご)る枝あり。
一年の好景君須(すべか)らく記すべし、
最も是れ橙(だいだい)は黄に橘(みかん)は緑なる時。
 蓮の花は散り果てて、雨を防ぐあの傘のような葉はもう無いが、
 菊だけは寒さに痛めつけられても尚、霜に負けずに毅然として枝を張っている。
 一年を通じて最も良いこの情景を、君には是非心にとめておいてほしい。
 何よりも今は、ユズが黄色く熟れ、ミカンがまだ青い、素晴らしい季節なのだから。



 「洛陽秋夕」  杜牧         
泠泠寒水帯霜風、更在天橋夜景中。   
清禁漏閑煙樹寂、月輪移在上陽宮。

泠泠(れいれい)たる寒水(かんすい)霜風(そうふう)を帯び、
更に天橋(てんきょう)夜景の中(うち)に在り。
清禁(せいきん)漏閑(ろうかん)に煙樹(えんじゅ)寂(せき)として、
月輪(げつりん)移りて上陽宮(じょうようきゅう)に在り。



最後は、清朝末期の女性革命家・秋瑾の詩です。


 「菊」  秋瑾
鐵骨霜姿有傲衷、不逢彭澤志徒雄。
夭桃枉自多含嫉、爭奈黄花耐晩風。

鉄骨の霜姿は傲衷(がうちゅう)有りて、
彭沢(ほうたく)に逢はざるに志の徒(いたづ)らに雄(たか)ぶる。
夭桃(えうたう)枉自(いたずら)に嫉(ねたみ)を含むこと多きに、
いかでか黄花の晩風に耐ふる。
 ・彭澤‥彭沢県県令であった陶淵明をさす。



霜は清冽ではありますがやはり寂しい感じが拭えません。

 羽の上の霜うちはらふ人もなし鴛鴦(をし)のひとり寝今朝(けさ)ぞかなしき 読み人知らず(古今六帖)
(鴛鴦の夫婦のように、羽の上の霜を掃ってくれる人もいない。つがいのいない鴛鴦の独り寝のような我が身が今朝は殊に悲しい。)

 薄赤き色滲じまする菊の霜涙の如く滴るを耐ふ 横雲





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2011年11月08日

菊に寄せて

立冬を迎えて菊の美しい季節になりました。

源氏物語には「菊」を詠んでいる歌がいくつか出てきますが、「藤裏葉」の巻では、若き日の感慨に耽る源氏が詠っています。

 色まさるまがきの菊もをりをりに袖うちかけし秋を恋ふらし
(濃く色づいた垣根の菊も、そして、出世した太政大臣も、私と同じように、折々は、かつて袖をうちかけて青海波を舞ったあの秋のことを恋しく思い出しているようですね。)


また、「宿木」には、帝が女二の宮や薫と碁を打つ場面(「御碁など打たせたまふ。暮れゆくままに、時雨をかしきほどに、花の色も夕映えしたるを御覧じて‥」)で、

 世のつねの垣根ににほふ花ならばこころのままに折りて見ましを
(世間一般の家の垣根に咲いている花ならば思いのままに手折って賞美すことができましょうものを)

と詠われています。

菊の歌を歌集からいくつか拾ってみます。

 露ながらをりてかざさむ菊の花おいせぬ秋のひさしかるべく (古今集・紀友則)

 秋をおきて時こそありけれ菊の花うつろふからに色のまされば (古今集・平貞文)

 朝な朝な君に心ををく霜の菊のまがきに色はみえなむ (続古今集・曽祢好忠)

 うつろはん人の心もしら菊のかはらぬ色となに頼むらん (続千載集・後近衛関白前右大臣)

 たのましなうつろひぬべき白菊の霜待つ程の契りばかりは (続千載集・二条為世)

 色ふかく匂ふ菊かなあはれなるおりに折ける花にや有らむ (新続古今集・醍醐天皇)



漢詩では、白居易(772-846)に、菊を詠った五言古詩があります。

   「東園玩菊」白居易(白氏文集卷六)
 少年昨已去、芳歲今又闌。
 如何寂寞意、複此荒涼園。
 園中獨立久、日澹風露寒。
 秋蔬盡蕪沒、好樹亦凋殘。
 唯有數叢菊、新開籬落間。
 擕觴聊就酌、爲爾一留連。
 憶我少小日、易爲興所牽。
 見酒無時節、未飲已欣然。
 近從年長來、漸覺取樂難。
 常恐更衰老、強飲亦無歡。
 顧謂爾菊花、後時何獨鮮。
 誠知不爲我、借爾暫開顏。

 「東園(とうゑん)に菊を翫(もてあそ)ぶ」 白居易
少年は昨(すぎゆ)き已に去りて、
芳歳(はうさい)の今又闌(たけなは)なり。
如何ぞ寂寞の意(おもひ)、
復た此の荒涼の園にあり。
園中に独り立つこと久(ひさ)しくして、
日澹(あは)く風露(ふうろ)の寒し。
秋の蔬(くさぐさ)尽(ことごと)く蕪没(かれはて)て、
好ろしき樹も亦た凋(しぼ)み残れり。
唯だ数叢(すうそう)の菊のみ有りて、
新たに籬落(まがき)の間に開けり。
觴(さかづき)を携(たづさ)へて聊(いささ)か酌に就きて、
爾(なんぢ)が為に一(ひと)とき留連(とどま)れり。
憶(おも)ふは我が少小(おさな)かりし日、
興の牽(ひ)く所の為り易すかりし。
酒を見ては時節(ときふし)も無く、
未だ飲まずして已(すで)に欣然(よろこ)びゐたりし。
近ごろ年(とし)長じてより来(このかた)、
漸(やうや)う楽しみを取ることの難(かた)きを覚(おぼ)ゆ。
常に更に衰へ老ふるを恐れ、
強(し)ひて酔(ゑ)ふも亦た歓びの無かりき。
顧みて謂(い)ふ 爾(なんぢ)菊の花の、
時に後(おく)れて何ぞ独り鮮やかなるや。
誠に我が為ならざるを知るも、
爾(なんぢ)を借りて暫(しばら)くは顔(かんばせ)を開かむ。

少年の日は遠く去り、
男盛りの歳も早過ぎようとしている。
どうしたことか、寂寞の思いが、
この荒れ果てた庭園に来ればよみがえる。
園中にひとり長く佇んでいると、
初冬の日は淡く、風や露が冷え冷えと感じられる。
秋の草草はことごとく枯れ果て、
立派な樹々もまた枯れ衰えた。
ただ数叢の菊が、
垣根の間に新しい花をつけている。
盃を手に、その前でひとまず酌むと、
菊よ、お前のために一時(いっとき)立ち去れずにいる。
思えば我が若き日々、
何事にもすぐ興味を惹かれたものだ。
酒を見れば、時節も関係なしに、
飲まないうちからもう良い気分になっていた。
近頃、年を取ってからというもの、
次第に楽しみを得ることが難しくなってきた気がする。
更に老い衰えることを常に怖れ、
強いて酒に酔ったところで、やはり歓びは無い。
振り返って言う、菊の花よ、
時候に後れて、どうしてお前は独り色鮮やかなのか。
もとより私のためでないことは知っているが、
お前を力に、暫しの間私も顔をほころばせていよう。

・芳歳:男盛りの年齢。・蕪沒:荒々しく繁った雑草が枯れはてる。・籬落:まがき・かきね。・留連:遊興にふけって、家に帰るのを忘れること。



 さめやらぬ夢路に迷ひ白菊の慰さむ朝や君を偲びぬ 横雲





yokogumo at 13:47|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 漢詩について