コリントの信徒への手紙1 15章50~58節
50)兄弟たち、わたしはこう言いたいのです。肉と血は神の国を受け継ぐことはできず、朽ちるものが朽ちないものを受け継ぐことはできません。
51)わたしはあなたがたに神秘を告げます。わたしたちは皆、眠りにつくわけではありません。わたしたちは皆、今とは異なる状態に変えられます。
52)最後のラッパが鳴るとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は復活して朽ちない者とされ、わたしたちは変えられます。
53)この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを必ず着ることになります。
54)この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを着るとき、次のように書かれている言葉が実現するのです。「死は勝利にのみ込まれた。
55)死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前のとげはどこにあるのか。」
56)死のとげは罪であり、罪の力は律法です。
57)わたしたちの主イエス・キリストによってわたしたちに勝利を賜る神に、感謝しよう。
58)わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。

「キリストの希望に生きる」

 キリスト教の教義の中で、一般の人が理解に苦しむのが何かと言えば、その代表的なものが「イエス・キリストの復活」でないかと思います。

 しかし、それは科学技術の発達した今日のわたしたちは、そうした昔の人たちに比べて霊感が鈍くなっており、それで認識できないのかというとそれは正しくありません。

 使徒言行録17章16節以下において、パウロがアカイア州のアテネで福音宣教を行った時、アテネの人たちがパウロの話を聞いて次のように言ったことが記されています。

『死者の復活ということを聞くと、ある者はあざ笑い、ある者は、「それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう」と言った。』(使徒17:32)

 すなわち、復活とは当時の人たちにとってもなかなか理解できない事であると同時に、それは愚かな考え方であると思われていたことがうかがえるのです。

 そして、それは十二使徒たちでも状況としては大きく変わらず、例えば福音書において、イエスさまが復活され、それを目撃する人たちが、一様にして最初はそれが理解できなかったということからも明らかなのです。

 そして、それは初期のキリスト教の信仰において、イエスさまとは結局のところ一体何であるのかが信仰上の問題となっていたことを示すのです。

 たとえば、マルコによる福音書を見ると、そこに登場するイエスさまは、まさに人間として地上を歩まれた方であり、その記述から、当時のある人たちはイエスさまは、もともと人間として生まれたイエスという人物が、洗礼者ヨハネから洗礼を受け、そこで天からの聖霊が鳩のようにイエスさまに降り、そこで「これはわたしの愛する子」という天からの啓示を受けたとあります。

 つまり、もともと人間であったイエスは神さまによって、聖霊の注ぎを通じて神の子とされた、つまり神の養子とされたのだというふうに理解する人たちが居たのです。

 また、ヨハネによる福音書がその典型的な例ですが、そもそもイエスさまは本質において神であり、地上においてはイエスという人間の内にやどられたのだと信じる人たちもいたのです。その人たちは、イエスさまは本質に於いて神であるわけですから、当然、水の上を歩くことも造作のないことであり、また、人間を殺す道具で神を殺すことができるかと言えば、それは不可能であり、実はイエスさまは十字架上で死んだように見えただけであり、実は死んでいなかったのだと理解する人たちもいたのです。

 その意味で、今日の聖書個所で「復活を信じない」とは、単純に「復活という出来事を信じない」というだけではなく、恐らく、旧約聖書に精通しているアポロの説明によって、イエスさまを、「復活」という出来事とは無関係に、しかし合理的に説明しようとする解釈が当時のコリントの教会の一部の人たちに受け入れられていたことを言っているのです。

 そうしたアポロのような説明の強みは「すべてが合理的に説明できる」という点にありました。だからこそ、そうした合理的な説明に納得する人たちも多かったことがうかがえるのです。

 それに対して「復活」とは、今も昔も非常識な事柄でありました。

 それは論理的に説明できるもの、理解できるものではなく、むしろ信仰告白としてそのように受け入れるか否かという性格のものであったのです。

 しかし、パウロのそうした説明に、一応は納得した人たちも、それで全てが納得できたというのではなく、なお、パウロに対して次のように質問したのです。

 それは「イエス・キリストの復活については了解した。では、次に、わたしたちが復活するとは具体的にどういう風になるのか?」というものでした。

 パウロはそうした問いに対して、51・52節で次のように記しています。
「わたしはあなたがたに神秘を告げます。わたしたちは皆、眠りにつくわけではありません。わたしたちは皆、今とは異なる状態に変えられます。最後のラッパが鳴るとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は復活して朽ちない者とされ、わたしたちは変えられます。」(1コリ15:51・52)

 それは、パウロの言葉としては「死者は復活して朽ちない者とされ、わたしたちは変えられます」とあります。

 パウロのこの答えは、主イエス・キリストの再臨の時、この世のすべてが終わりを迎えるその時に、わたしたちが神さまから与えられる、復活の体であることを示します。

 しかし、その復活の体がどういったものであるかについては、パウロは語りません。

 なぜなら、それはパウロ自身いまだ経験したわけではなく、誰も、それを知らないからです。

 では、誰も体験していないような非合理的で不確かな事柄を、パウロは無理矢理に信じろと言っているのかというとそうではありません。

 パウロは、復活を信じる信仰において、もっとも大切なことは、それは主イエス・キリストの再臨の時に約束されている、その約束を期待しつつ、その時に至るまでの、地上におけるわたしたちの信仰の生涯が、復活の体として示されている、信仰者の信仰の完成へと続くものであることを示しているのです。


 パウロもそうですが、初期のキリスト教会において、主イエス・キリストの再臨は間近であると盛んに叫ばれ、そのため、自堕落的に生きようとする人たちが教会の中に現われ、それで教会が混乱したということも、こうした事の背景のひとつとしてあります。

 わたしたちの地上における信仰の生涯は、楽しい事嬉しいこともあれば、悲しい事、辛いこと、苦しい事もあるのが本当のところです。

 しかし、パウロはだからと言って地上におけるわたしたちの信仰の生涯は無意味なのかというとそうではなく、それは、まさに来る時における復活の体、霊の体を備えるための期間として重要であると言うのです。

 イエス・キリストが復活されたように、またわたしたちも終わりの時の復活が約束されており、その復活が、まさにこの世におけるわたしたちの経験する様々な悩みや苦しみといった、すべての事柄について、すべてが報われるその時であることを示しているのです。

 だからこそ、わたしたちにとって、復活とは、まさにイエス・キリストを信ずる信仰の基本であると共に、また、この世において悩み苦しみの多いわたしたちにとって、神が約束される大いなる希望があることを約束するものであると同時に、まさにそれが真実のものであることを示しているのです。


 今朝、わたしたちはまさにそのような神さまによる希望へと導かれていることを心より感謝したいと思います。
 お祈りします。

 コリントの信徒への手紙1 12章12~26節
12)体は一つでも、多くの部分から成り、体のすべての部分の数は多くても、体は一つであるように、キリストの場合も同様である。
13)つまり、一つの霊によって、わたしたちは、ユダヤ人であろうとギリシア人であろうと、奴隷であろうと自由な身分の者であろうと、皆一つの体となるために洗礼を受け、皆一つの霊をのませてもらったのです。
14)体は、一つの部分ではなく、多くの部分から成っています。
15)足が、「わたしは手ではないから、体の一部ではない」と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。
16)耳が、「わたしは目ではないから、体の一部ではない」と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。
17)もし体全体が目だったら、どこで聞きますか。もし全体が耳だったら、どこでにおいをかぎますか。
18)そこで神は、御自分の望みのままに、体に一つ一つの部分を置かれたのです。
19)すべてが一つの部分になってしまったら、どこに体というものがあるでしょう。
20)だから、多くの部分があっても、一つの体なのです。
21)目が手に向かって「お前は要らない」とは言えず、また、頭が足に向かって「お前たちは要らない」とも言えません。
22)それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。
23)わたしたちは、体の中でほかよりも恰好が悪いと思われる部分を覆って、もっと恰好よくしようとし、見苦しい部分をもっと見栄えよくしようとします。
24)見栄えのよい部分には、そうする必要はありません。神は、見劣りのする部分をいっそう引き立たせて、体を組み立てられました。
25)それで、体に分裂が起こらず、各部分が互いに配慮し合っています。
26)一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。


「キリストの体なる私たち」

 およそキリスト教に関心のない人にとって、聖書は聖なる書物であるわけですから、当然、ありがたい言葉が書いてあるであろうし、また色々と教唆を受けるような素晴らしい良いことが書かれているというような印象があるのではないかと思います。

 わたし自身、最初に聖書に触れる以前、単純に聖書はキリスト教の聖典であると考えていましたから、そこには神さまについての色々と聖なる教えが書かれているのではないかと思っていました。


 しかし、教会に関わるようになって、また神学校で聖書の学びをし、牧師になった今、改めて感じるのは、聖書には確かに、聖なる事柄も書かれていますが、しかし、それ以上に、この世における人間の真実について多く書かれているな、というのが今のわたしの感想です。


 その意味で、聖書の持つ大きな魅力とは、そこに、いわゆる創作物語とは異なる、あからさまな、しかし神のみ前に立つ人間の真実の姿に、深く共感を覚えると共に、それこそが人々を聖書に惹きつける力でないかと思います。




 さて、今日の聖書個所はコリントの信徒への手紙ですが、この手紙もまた、わたしたち人間の真実の姿を示すと共に、またそこにおける教会の希望について語っています。


 先週の聖書個所になりますが、このコリントの信徒への手紙1 1章のところで、この手紙がどういった理由でコリントの信徒に宛ててパウロが書いたのか、その経緯について触れられていました。


 それは、当時のコリントの教会において、内部分裂の危機に直面している現実があり、それを何とかパウロに解決してもらいたいと思って手紙が書かれ、パウロがその手紙に対する応答として書かれたものであることを見ました。


 その意味で、わたしたちがまずこのところで思うのは、「キリスト教会というのは、パウロが活躍していた時代から、既に内部分裂だとか様々な人間に起因する問題を抱えていたのだなあ」ということでないかと思います。


 しかし、それ以上に、わざわざそうしたことを正典・聖書に含めたという点が、案外にも今のわたしたちにはできない、当時の人たちの信仰の姿勢ではないかと思います。


 なぜ、そういう事が言えるかといえば、たとえば日本ナザレン教団の出した『九十周年誌』『百年史』を見てみれば、それは客観的な事実に基づくものというよりも、特定の色眼鏡を通して評価された日本ナザレン教団の歴史書であるということが見えてくると思います。


 それぞれの教会の記念誌もそうですが、良いことは書いても、あまり正直に書くと色々と誤解を招くなど、悪い事、不祥事ということはまず触れることがありません。


 その意味で、聖書はむしろそうした今日的に不祥事と思われることを掲載するという一点において、それはわたしたちにとって真実の姿として映るわけです。


 その意味で、キリスト教会にとって不祥事は、本来的には不祥事ということではなく、むしろ、不祥事として臭いものにフタをしてしまおうという生き方に、大きな信仰的な間違いが含まれているという事になるのかと思います。




 クロエの家の人たちから、コリントの教会の内部事情についての密告を受けたパウロは、ある意味で、それを秘密裏に、こっそりと処理するということもできたと思います。


 しかし、パウロのすごいところは、恐らく多くの人が不祥事としてとらえたであろうこの出来事を、公開書簡として、誰の目にも明らかになるような形で、むしろ、教会に関わる全ての人の知る所として公開した点にパウロの信仰理解があったということです。


 それはなぜでしょうか?


 理由は至極簡単で、パウロにとって、真実に生きることは、キリストの霊によって使徒ととされたパウロにとっては、それは極めて信仰の本質的な問題であったからです。


 今のわたしたちが同様のことを聞いたとしたらどうでしょうか?


 おそらく、「そうした教会の中の問題は外に対して良い証しにならないから」とか、あるいは「牧会的配慮」という常套句によって、時間とともに問題が問題でなくなることを待つことがほとんどではないでしょうか?

 しかし、パウロにとっては、そのような判断は、まさに信仰においてキリストに敵対する事と同じ意味になります。キリストと共に生きる人間が、キリストに対して不誠実に生きることができるかと言えば、それは不可能です。


 その意味で、パウロはそうした教会の中における内部分裂の問題について、これを臭いもにフタをするのではなく、むしろ、公にあらわして、しかもコリントの教会に関わるすべての人々に対して、同じ言葉で信仰的に非常に重要な問題であることを示したのです。


 そして、パウロがそれをコリントの教会のすべての人に対して公開されるように書き送った、もう一つの大切な点が、この問題は、ただパウロにとって、あるいはコリントの教会の一部の人たちだけの問題ではなく、教会全体の問題としてパウロは理解していたからです。


 そして、パウロは、アポロの牧会に端を発した内部分裂の問題を、教会員全体の問題であると位置づけ、だからこそ、この問題解決のために、全信徒が一致して互いに愛し合うようにと、このコリントの信徒へ手紙を記したのです。


 そうしてみると、わたしたちは、このコリントの信徒への手紙について、わたしたちにとって非常に身近なものとして、より深く理解することができるようになると思います。


 どこの教会でもそうですが、教会の中には熱心な人もいれば、なかなか教会に関わることのできないという人も居ます。健康な人もいれば、病気がちなひとも居て、高齢者も居れば、まだまだ幼い子どもも居ます。


 しかし、そうした中において、いわゆる不祥事が本当の意味で不祥事となってしまうのは、要は、わたしたち人間が「不祥事を不祥事として片づけてしまう」からこそ不祥事になってしまうのです。


 パウロはそのことをまさに、自分自身の在り方として、それを教会全体に関わる問題として、コリントの教会のすべての人に対して問題提起をしました。

 そして、パウロの優れているのは、その事をただ不祥事に決定づけるのではなく、自分たちが信仰者として成長するための、教会が乗り越えなければならない壁として、教会員全体でこの問題について覚え、そして祈り、神の導きによって成長させてもらおうとしている点にあるのです。


 だからこそ、パウロは、26節において「一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。」と、この問題を、教会全体の信仰的課題であるとしてとらえ、全信徒にそのことを訴え、互いに愛をもって、真実をもって生きようと呼びかけるのです。




 信仰者が信仰者であることを装って生きることに、いったい何の価値があるのでしょうか?


 信仰者は信仰者として生きるからこそ信仰者なのであって、信仰者が信仰に寄らず、この世の知恵や、自分の能力や才能に固執して生きる時に、そこには本当の意味における信仰者としての価値はありません。


 しかし、わたしたちはこの世において信仰者として生きようとする時に、多くの困難を抱えることもまた事実です。 では、それはコリントの教会の人たちは違ったのでしょうか?


 決してそんなことはありません。いつの時代においても、こうした事実は変わることがありません。


 だからこそ、パウロは異言や預言といった種々の不思議な業ではなく、まさに神の愛によって、キリストの愛によって生きる決断こそ大切だと13章において声を高らかにあげるのです。



 27節で、パウロは「あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。」(
1コリ12:27)と語りました。


 わたしたちがキリストの体であるとは、まさにわたしたちは良い意味で選択肢を持たないのです。


 わたしたちには「あれかこれか?」ではなく、わたしたちには既にキリストしかないのです。その事は、わたしたちにとって信仰の決断における大いなる手助けとなります。


 今朝、わたしたちは、キリストの体の一部として、一人ひとりが神さまの恵みの内に、神さまにすべてをお委ねして生きていこうではありませんか。


 お祈りします。

 コリントの信徒への手紙1 3章6~9節
6)わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。
7)ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。
8)植える者と水を注ぐ者とは一つですが、それぞれが働きに応じて自分の報酬を受け取ることになります。
9)わたしたちは神のために力を合わせて働く者であり、あなたがたは神の畑、神の建物なのです。


「神の恵みに生きる」

 これまでわたしたちは使徒言行録を少しずつ飛ばしながら見てまいりましたが、これからしばらくコリントの信徒への手紙を見ていきます。

 さて、パウロはその生涯において3回の宣教旅行を行い、その間にいくつかの手紙を記したのですが、そのうちの幾つかが今日私たちの手にしている新約聖書に含まれています。

 パウロは第一回目の宣教旅行においては、バルナバと呼ばれる弟子の助手のような形でキプロス島から現在のトルコの南部をまわりました。

 使徒言行録ではその後、15章における使徒会議を経て、パウロは第二回目になる宣教旅行にシラスとテモテを同行させて出かけます。

 しかし、イエス・キリストの霊によってトルコでは宣教を行わず、そのままエーゲ海を越えて対岸にあるマケドニア州にあるフィリピ、テサロニケといった町で教会を建てることになったのです。

 もちろん、まったく何もないところに教会ができるというのではなく、ユダヤ人の集うシナゴーグと呼ばれる会堂に週ごとに訪れ、そこでイエス・キリストの福音を語ったということです。

 そして、そうした中から、イエス・キリストの信仰に立つ教会があらわれます。そうして建てられた教会の一つが、今日の聖書個所になっているコリントの教会です。

 使徒言行録では18章1節以下に登場しますが、パウロは、このコリントという町で、当時ローマを追放され、先にコリントで生活をしていた二人のキリスト者アキラとプリスキラ夫妻のところに身を寄せます。

 そして、この二人とイエス・キリストの福音について意見が合い、およそ1年半をコリントで過ごし、この間にコリントの教会を建てるのです。

 ただし、コリントの教会と言っても、これまでも言ってきましたように、今日のわたしたちの五井教会のようなひとつの建物ではありませんでした。コリントという町に幾つもの家庭集会が作られ、そうしたひとつひとつの家庭集会の全体をもってコリントの教会と呼んだのです。

 その後、パウロはアキラとプリスキラと共にコリントを離れ、いったんはトルコの南西部、エフェソに滞在した後、パウロにとって母教会となるアンティオキア教会へと帰っていくのでした。

 さて、そうした第二回目の宣教旅行でエフェソにいたパウロに宛ててコリントの教会のある人物から手紙が届きます。

 そこには、ちょうどパウロがコリントを去った後に、エフェソからコリントにやってきて教会を指導したアポロというアレキサンドリア出身の宣教者の事で困っているというような内容であったのです。

 そこでパウロがコリントの教会の人たちに対して記したのが、今日の聖書個所にもなっている、このコリントの信徒への手紙なのです。

 さて、ではコリントの教会ではどのような事が起こっていたのでしょうか? このことについてはコリントの信徒への手紙1 1章10節以下に記されています。

 具体的には、パウロによってコリントの教会は指導を受けて成立したのですが、パウロが去った後、アポロというパウロと比べると年齢も若く、声も大きく、その説明も魅力的であり、多くの人を教会に導き入れる、そうしたきわめて魅力的な人物がコリントの教会を指導するようになったのです。

 しかし、そうしたいわば熱狂的とも言えるようなアポロのやり方に対して、いろいろと意見を異にする人たちもあらわれ、今にもコリントの教会は分裂しそうだ、ということでパウロに何とかしてほしいと、パウロを慕う人たちからパウロに対して手紙が送られてきたのです。

 さて、このコリントの信徒への手紙というのは、そういう意味では何のために書かれた手紙であるかは非常に明らかです。

 それは、教会の内部分裂という危機的な状況において、いかにキリスト教会はこの問題を乗り越えていくことができるだろうか、それについての回答を与えようとしているのです。

 もちろん、中には、細々とした問題も扱ってはいますが、全体としてパウロが伝えようとしていることは、そうしたキリスト教会における問題にかかわる事柄です。

 そして、パウロは結論的に、キリスト教会がキリスト教会として大切にすべき中心的事柄が、13章で言われるキリストの愛です。

 ところで、コリントの信徒への手紙1 13章は「愛の章」として、よく結婚式の式文で触れられることの多い聖書個所でありますが、パウロはそもそも結婚式を想定してコリントの信徒への手紙を書いたのではありません。

 キリストの愛こそ、わたしたちの信仰の根幹を支える神の力であり、しかも、このキリストの愛によってキリスト教会は成り立つのです。

 そして今日の聖書個所において、大切なのは、パウロが植え、アポロが水を注いだと記していますが、パウロはここで植えた人物の功績と水を注いだ人物の功績を一切比較することをせず、つまり、誰がこの教会をたてたのか、また誰がこの教会を導いたのか、そういった人間の功績に関わるような点には触れず、ただ教会の「成長」とは「神の恵みによるものだ」という事なのです。


 教会の成長・発展は何にかかっているのか?

 それは信徒一人一人の頑張りでしょうか? それとも牧師の牧会者としての能力や才能でしょうか?

 パウロはそうした人間の能力や才能といった事柄に教会の成長・発展があるのではなく、ただ、神さまから教会に注がれる恵みと祝福こそが、教会の成長・発展における中心であると語るのです。

 だからこそ、わたしたちは「キリスト者として生きる」ことが、わたしたちにとって最も大切なことであることが自ずとわかります。

 しかし、時にわたしたちは、「キリスト者風に生きる」という事も可能なのです。

 「キリスト者として生きる」ことと「キリスト者風に生きる」とは言葉としては似ていますが、本質においては全く違います。

 以前、スーパーで「ほぼカニ」という商品を見かけました。「カニの身」のようではあるがそうではない。要は「カニかまぼこ」なのですが、限りなく本物に近いという触れ込みで「ほぼカニ」だというわけです。

 神の恵みに生きるという生き方は、まさに神さまの恵みに依らなければ、そうした人生にはなりません。

 神さまにすべてをお委ねするという時、それはまさにお委ねしなければ、そのような人生にはならないのです。

 み言葉に「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」(マタイ11:28)とあっても、やはりわたしたちは頑張ってしまう事が多いのです。

 その意味で、わたしたちが神の恵みに生きるとき、そこには決断が必要です。それは別に何かしら難しいことを求めているわけではありません。

 ただ、結果はすべて神さまが責任を取ってくださると信じ、すべてを神さまにお委ねする時に、わたしたちは真にキリスト者となることができるのです。

 今朝わたしたちは、まさにパウロがコリントの教会の兄弟姉妹に宛てて示したように、まさに神さまの大いなる恵みと憐みに生きる者として、真にキリストの教会として、皆さんと共に、主の大いなる御業を賛美してまいりましょう。

 お祈りします。

 使徒言行録16章16~34節
16)わたしたちは、祈りの場所に行く途中、占いの霊に取りつかれている女奴隷に出会った。この女は、占いをして主人たちに多くの利益を得させていた。
17)彼女は、パウロやわたしたちの後ろについて来てこう叫ぶのであった。「この人たちは、いと高き神の僕で、皆さんに救いの道を宣べ伝えているのです。」
18)彼女がこんなことを幾日も繰り返すので、パウロはたまりかねて振り向き、その霊に言った。「イエス・キリストの名によって命じる。この女から出て行け。」すると即座に、霊が彼女から出て行った。
19)ところが、この女の主人たちは、金もうけの望みがなくなってしまったことを知り、パウロとシラスを捕らえ、役人に引き渡すために広場へ引き立てて行った。
20)そして、二人を高官たちに引き渡してこう言った。「この者たちはユダヤ人で、わたしたちの町を混乱させております。
21)ローマ帝国の市民であるわたしたちが受け入れることも、実行することも許されない風習を宣伝しております。」
22)群衆も一緒になって二人を責め立てたので、高官たちは二人の衣服をはぎ取り、「鞭で打て」と命じた。
23)そして、何度も鞭で打ってから二人を牢に投げ込み、看守に厳重に見張るように命じた。
24)この命令を受けた看守は、二人をいちばん奥の牢に入れて、足には木の足枷をはめておいた。
25)真夜中ごろ、パウロとシラスが賛美の歌をうたって神に祈っていると、ほかの囚人たちはこれに聞き入っていた。
26)突然、大地震が起こり、牢の土台が揺れ動いた。たちまち牢の戸がみな開き、すべての囚人の鎖も外れてしまった。
27)目を覚ました看守は、牢の戸が開いているのを見て、囚人たちが逃げてしまったと思い込み、剣を抜いて自殺しようとした。
28)パウロは大声で叫んだ。「自害してはいけない。わたしたちは皆ここにいる。」
29)看守は、明かりを持って来させて牢の中に飛び込み、パウロとシラスの前に震えながらひれ伏し、
30)二人を外へ連れ出して言った。「先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか。」
31)二人は言った。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」
32)そして、看守とその家の人たち全部に主の言葉を語った。
33)まだ真夜中であったが、看守は二人を連れて行って打ち傷を洗ってやり、自分も家族の者も皆すぐに洗礼を受けた。
34)この後、二人を自分の家に案内して食事を出し、神を信じる者になったことを家族ともども喜んだ。


「絶望の内にこそある希望」 2018年6月24日

 今日わたしたちがキリスト教信仰における信仰生活を行うことができることをみなさんはどのように理解しているでしょうか。

 人によって信仰に導かれる導かれ方というのは千差万別であって、一つとして同じものはありません。

 この世に様々な宗教がありますが、しかし、そこにあってわたしたちがなぜキリスト教を信仰するのか、その事は多くの人にとてみればなかなか理解できないというところではないかと思います。

 なぜなら、世間一般でいうご利益宗教、あるいはご利益信仰とキリスト教信仰とを比較するのであれば、そこには大きな違いがあるからです。

 みなさんもそうではないかと思いますが、みなさんはキリスト教信仰に何かしらのご利益があると思って信仰しておられるのでしょうか?

 もちろん、キリスト教信仰に何のご利益もないという事ではありません。ただ、よく見かける家内安全であるとか、無病息災、商売繁盛といったような、いわゆる他の宗教においては比較的明確なものがキリスト教においては明確ではありません。

 この宗教を信仰すると、こういう良いことがあります。たとえば神社などですと、必ず境内に縁起を記した石板や立札があって、それを読むと、この神社がどのような由来を持って、どういう事についてご利益があるといったような内容を知ることができます。

 ところが、キリスト教の教会の看板、案内板を見ても、およそこの教会がどのような由来があって、この教会でキリスト教信仰をするとこれこれこういう良いことが起こります、というような事が書いてあることはないわけです。

 およそキリスト教会の看板に書いてあるのは、集会の案内であって、多くの人にとっては、「それが自分と何の関係があるのだろう」と思うのが普通でないかと思います。

 逆に、キリスト教信仰において、わたしたちの側からしても「この教会でキリスト教信仰を持つと、これこれこういう良いことが起こりますよ」とは言えないという事情もあるわけです。

 わたしたちは、キリスト教信仰を持つことによって何を得る事ができるのかと問われるのであれば、「わたしたちはキリスト教信仰を持つことによってキリストの救いに与り、人生において希望を持つことができます。」というのがひとつの回答であると思います。

 しかし、問題はそのキリスト教の救い、希望というのが、いわゆる無病息災であるとか、商売繁盛を約束するものではありません。むしろパウロの手紙を読むときに、わたしたちがそこで目にするのは、良いことよりもむしろ悪いことの方です。

 パウロは自身がキリストの福音を宣教することにおいて経験した様々な悩みや苦しみをコリントの信徒への手紙2 11章16節以下に記しています。

 そこにおけるパウロの福音宣教者としての働きは今日のわたしたちが真似を出来そうにない程に大変なものであったことが記されています。

 今日の聖書個所である使徒言行録16章は、パウロがシラスと共に福音宣教を行った、第二回目の宣教旅行の途中、トルコから船でマケドニア州のフィリピという町へ行き、そこで投獄された時の物語です。マケドニア州というのはエーゲ海の東北方面の沿岸地域で、聖書の時代と全く同じではありませんが現在もマケドニア共和国という国があります。

 フィリピの教会は、マケドニア州でパウロが最初に宣教を行った土地であり、パウロとの関係の深い教会でした。

 パウロはフィリピの信徒への手紙において、「フィリピの人たち、あなたがたも知っているとおり、わたしが福音の宣教の初めにマケドニア州を出たとき、もののやり取りでわたしの働きに参加した教会はあなたがたのほかに一つもありませんでした。」(フィリピ4:15)と書いているほどです。

 また、パウロは同じ手紙において、「つまり、わたしが監禁されているのはキリストのためであると、兵営全体、その他のすべての人々に知れ渡り、主に結ばれた兄弟たちの中で多くの者が、わたしの捕らわれているのを見て確信を得、恐れることなくますます勇敢に、御言葉を語るようになったのです。」(フィリピ1:13~14)と記しています。

 つまり、パウロの宣教とは必ずしも人前で大胆に宣教することが自由にできていたわけではないことを示しているのです。むしろ、パウロの宣教は様々な困難を伴ったのです。

 そうした困難を極めるパウロの宣教旅行において、パウロの宣教を端的に示しているのが、今日の聖書個所でもあるのです。

 今日の聖書個所において大事であるのは、パウロの宣教はそもそもが聖霊の導きであって、そこにおいて、パウロは最初からこの看守とその家族が救われることを願っていたのかというとそうではなく、あくまでも聖霊の導きによって、パウロがその器として用いられ、看守とその家族が救われたという事なのです。

 さて、パウロとシラスは、ある事がきっかけになって牢屋に閉じ込められることになります。

 この時パウロとシラスはそこで特別に脱出する方法を何かしら画策していたのではなく、あくまでも、神さまの導きにすべてを委ね、牢屋に投獄されることを良しとしていたのです。

 そして、二人は真夜中、普段の日と変わらず、さんびの歌を歌い、神さまに祈っている時に、突然、大きな地震が起こったのです。

 この事に二人は驚くのですが、それ以上に驚いたのは、牢屋の番をする看守でした。

 彼は、この地震によって牢屋の扉がすべて開いたのを知り、囚人たちが脱走したと思い、自殺しようとします。そこに間髪入れず、パウロが声を掛け、この看守は自害しなくてもすんだのです。

 しかし、この看守にとって、この仕事はいつこれと同じ状況が起こるか分からない事によって、いつまた何かあった場合には自分は責任をとって死ななければならない、そのような状況に置かれていることを悟ったのです。

 そこで、この看守はパウロに対して、今後、自分が将来に希望を持ちながら生きることのできる可能性を問うたのです。

 パウロはその看守に対して、『二人は言った。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」』(使徒16:31)のみ言葉を語ったのでした。

 パウロは必ずしも最初からこの看守とその家族を救おうとして牢屋に入ったわけではありませんでした。また、この看守も、たまたまその時、パウロとシラスがいない状況であったとすると、ひょっとすると自害していたかもしれません。

 その意味で、この看守とその家族が救われるというこの物語は、福音宣教の大切な面を示しています。それは、必ずしもわたしたちが思った、考えた通りに福音が伝わるのではなく、聖霊の導かれる福音宣教とは、まさにわたしたちにとってみれば、それは全く思いがけないところにおいて、全くおもいがけない人が救われるものであることが分かるのではないかと思います。

 それは、そもそもわたしたち自身の救いがそうでありました。わたしたちも、最初から神さまによって救われることを希望して救われたというのではありません。

 むしろ、この聖書個所が示すのもすべてが人間の思惑と異なる、神さまの不思議な御業によってすべてが導かれているのです。

 その意味で、この世的にわたしたちが希望を見いだせない、そのような状況において、わたしたちはむしろ冷静でいる事が重要なのです。パウロとシラスも、獄中という極限状態において、彼らは平常と同じ信仰者としての在り方、祈りと賛美を行っていただけでした。

 彼らは決して、自分たちの命を何とか守ろうと、脱出の算段を練っていたわけではありません。

 彼らの思いを越えて主の御業が働き、パウロとシラスの命を助けるどころか、看守とその家族の命までをも救いへと導かれたのです。

 わたしたちにとって絶望的な状況とは、まさに神さまの救いの御業が行われるその舞台であるのです。だからこそ、わたしたちは困難の時にこそ心を静め、主を賛美し祈ることが大切です。

 主の救いの日、助けの時とは、まさにわたしたちにとって困難の時であるのです。主のお導きによって、聖霊の助けによって、歩む信仰の生涯こそ、わたしたちにとっての大きな宝です。

 そのような主の大いなる御名をみなさんと共に心から賛美しましょう。

 お祈りします。

 使徒言行録15章6~11節
6)そこで、使徒たちと長老たちは、この問題について協議するために集まった。
7)議論を重ねた後、ペトロが立って彼らに言った。「兄弟たち、ご存じのとおり、ずっと以前に、神はあなたがたの間でわたしをお選びになりました。それは、異邦人が、わたしの口から福音の言葉を聞いて信じるようになるためです。
8)人の心をお見通しになる神は、わたしたちに与えてくださったように異邦人にも聖霊を与えて、彼らをも受け入れられたことを証明なさったのです。
9)また、彼らの心を信仰によって清め、わたしたちと彼らとの間に何の差別をもなさいませんでした。
10)それなのに、なぜ今あなたがたは、先祖もわたしたちも負いきれなかった軛を、あの弟子たちの首に懸けて、神を試みようとするのですか。
11)わたしたちは、主イエスの恵みによって救われると信じているのですが、これは、彼ら異邦人も同じことです。」



「イエス・キリストの救い」

 およそ多くの教会において、特に法人格をもっている教会においては年次総会というものが義務付けられていて、年に一度、必要に応じて数回、その教会に教会籍を有する兄弟姉妹によって行われます。

 この教会でも4月末ごろに教会総会を行いましたが、教会はその始まりの頃からこうした会議をしてまいりました。

 もちろん、今日の教会総会はどちらかといえばこの世的な活動報告の承認と次年度予算の承認といったような実務的な内容が主です。
 しかし、そうした実務的な内容ではなく、その教会において自分たちの信仰の内容に関わる事柄を決定する、そうした教会会議というものが歴史的には行われてきました。

 それは、わたしたち日本ナザレン教団においては、教団年会というのが、それに関わってきますが、しかし、話し合う内容がナザレン教会の全体に関わってくるような場合、つまり、世界のナザレン教会において、自分たちの信仰の事柄について何かしらの取り決めを行う場合は「世界総会」という会議において、各地区からの代表者を集めて話し合う、そのような仕組みになっています。

 では、それがナザレン教会を越えてキリスト教一般になった時にどうなるかというと、ここらへんの事情は複雑です。

 みなさんも耳にされたことのある言葉で「第二バチカン公会議」という、これはいわゆる西方教会、つまりカトリック教会において1962年~1965年にかけて行われた教会会議をご存じでないかと思います。ただし、これは教会会議とは言ってもあくまでもカトリック教会だけの話ですので、プロテスタント諸派は含まれていませんし、東方教会も入っていません。

 では、それ以前ではどうかというと、カトリック教会からプロテスタント教会が派生する以前、まだカトリック教会が東と西に分裂する以前に行われた、そういう意味ではまさに地上におけるすべてのキリスト教会が関わった教会会議が第1回から第7回、あるいは第4回までしか認めないという立場もありますが、だいたい4世紀~8世紀にかけて、全地公会議と呼ばれる教会会議です。

 紀元325年に開催された第一回目の教会会議はニケア公会議、あるいはニカイア公会議と呼ばれるもので、この会議が行われた場所は、今でいうイスタンブールからトルコに渡って少し南に下った、今日では「イズニク」と呼ばれる町で行われました。

 今ではトルコはイスラム教の国として知られていますが、キリスト教の初期の時代においてはトルコはキリスト教が広く栄えた場所であったのです。

 しかし、使徒言行録にはそれに先立って、歴史的に最初に行われた教会会議として、使徒言行録15章にエルサレムで行われた使徒会議について証ししています。ここで何が話し合われ、どういう事が決められたのか、それはわたしたちにとってどういう意味があるのか、その事について今日は皆さんと共に、このみ言葉に耳を傾けたいと思います。

 さて、使徒言行録の2章以下、使徒たちの上に主イエス・キリストの約束された聖霊が降り、要はそこからキリスト教会の働きがはじまります。

 ただし、この時は、使徒たちは全員ユダヤ人でありましたし、またそこに加わっている弟子と呼ばれる人たちも、基本的には全員が割礼を受けた人物であり、またユダヤ教の慣習に従ってエルサレム神殿に詣でる事や食物規定を守る人たちでありました。

 ところが、使徒言行録10章に登場するコルネリウスとその家族の上に聖霊が降ったという出来事が、当時のそうした使徒たち、また弟子たちにとって大きな驚きとなりました。

 なぜなら、主イエス・キリストの約束の聖霊を受けた人たちは、基本的に割礼を受けた人物であり、加えて食物規定やその他の律法を守る人たちでありました。つまり、これらの人たちは普段から信仰的に清い生活をしている人たちであり、だからこそ、そうした人たちに約束の聖霊が降ったとしても、それは旧約聖書の預言の成就として理解されることはあっても、ある意味で、それは順当なものとして認められたのです。

 ところが、異邦人であるコルネリウスは、カイサリアで持たれていたキリスト教会の集会に出席し、信仰的には神さまを信じていましたが、彼はローマ帝国に仕える百人隊長として、当然ローマ帝国のしきたりの中で生活をしていました。

 「信仰心あつく、一家そろって神を畏れ、民に多くの施しをし、絶えず神に祈っていた」(使徒10:2)とあるように、その行いにおいてはユダヤ人のようではありましたが、残念ながら、「神を畏れ」という表現からわかるように、割礼は受けていなかったのです。

 ところが、聖霊の導きによってペトロがコルネリウスの家を訪ね、そこで福音を聞いているうちに、彼らの上に、聖霊が降ったのです(使徒10:44)。コルネリウスとその家族は、その後、洗礼を受けてキリスト者となるのですが、このところで実に興味深いのは、洗礼よりも、聖霊の注ぎの方が先であったという事実にあるのです。

 なぜなら、使徒言行録2章までの話でいえば、聖霊が降るのは、あくまでも割礼を受け、食物規定を守り、加えて毎日エルサレム神殿に詣でる等、極めて熱心なユダヤ教徒と見間違うような信仰者であったからです。

 そうした人たちに聖霊が降ることは、いわば旧約聖書における預言の成就で説明されるように、信仰的には極めて順当なものであったのです。

 そのため、初期のキリスト教の教師たちは、イエス・キリストがメシアである、救い主であることも伝えましたが、しかし、それと同様にモーセの十戒に基づく律法の遵守も必要である。とりわけ、男性であれば割礼を受けることを異邦人の人たちにも勧めたのです。

 ところが、割礼を受けていないコルネリウスの上に、まだ洗礼も受けていないにも関わらず主イエス・キリストの聖霊が降ったとなると、では、それまで自分たちが守ってきていたものは何であったのか、という事になるのです。

 そして、まさにユダヤ教の慣習的なものが、このエルサレムで行われた使徒会議において話し合われました。

 パウロやバルナバは、まさにそうした人は福音によって救われ、律法とは無関係であることを主張し、使徒たちとしては、それをどのように受け取るのかが、問題となったのです。

 この使徒会議における結論は、信仰的にどちらが正しいという結論ではなく、使徒言行録15章19~21節に記されているように、割礼の有無は関係なく、異邦人にはただ可能な範囲で食物規定を守ればそれでよいという事になったのです。

 それは、使徒たちによって、異邦人キリスト者が、そうした初代キリスト教会の内側に迎え入れられた記念すべき出来事となりました。

 そして、そこからはじまって、今でもなお、キリスト教会は主イエス・キリストの福音によって、今日まで続いているのです。

 そこにおいて大切なのは、聖霊の働きによるものを、信徒たちが話し合い、祈りあって結論を出したということです。キリストの教会は、その意味で、まず聖霊の働きがあり、そのことを教会全体で話し合って、教会全体でそのことを決議することを通じて、歴史的に歩んできたということなのです。

 その意味で、聖霊の導きとは、いわゆる人間が集まって会議をして決めたということと形は似ていますが本質においては大きくことなっています。

 それは、魂の救いである聖霊の働きこそが最初にあって、その後に、そのことを教会で信仰的に話し合い、受け入れたということなのです。

 その意味で、聖霊の導きと人間の思惑というのは相容れないものであることがわかります。

 それは教会・教団の方針ではなく、声の大きい人の意見でもなく、能力のある人の働きでなく、あくまでも聖霊の導きであることが大切なのです。

 聖霊の導きは、この世の人間的なあらゆるものから自由です。だからこそ、わたしたちはそこで大いに驚き、不思議に思うのです。

 使徒言行録はまさにそのことを証しし、また今日において、わたしたちをも守り導いてくださるのです。だからこそ、わたしたちは、今日においてもなお、聖霊の働きと聖霊のお導きを切に祈り求めるものでありたいと願います。

 お祈りします。

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