イザヤ書62章は、ひとくちでいえば「エルサレム再興の歌」です。

 主に第一イザヤによって語られてきたエルサレムの指導者、及び住民の罪が極まり、その結果として、神さまはエルサレムのすべてを解体し、一から築き直すというエルサレム救済の業に乗り出されます。

 しかし、それは、単純にイスラエル民族という特定国家・特定宗教の救済ではなく、世界救済という大事業の片鱗であったというのが、第一から第二イザヤにかけての主な内容でした。

 そして、この62章では、姦淫の女として表現されるエルサレムの都に対して慰めと祝福の言葉が神さまからエルサレムに対してなされます。

 この象徴的な表現は、つまりはその前提を把握していないとうまく理解できないのです。

 では、その前提は何かと言えば以下のとおりです。

 1) 主なる神は夫として、エルサレムの都は妻として、例えばアブラハム以降、その関係が維持されていた。
 2) ところが、エルサレムに住む住民たちは他の神々に乗り換えを行い、それによってエルサレムの都は正しい夫が居ながら、別の神、つまり別の夫とその関係(異教祭儀を行うことを姦淫と理解)を持つようになった。
 3) 結果、夫である神に対して姦淫の罪を犯した妻エルサレムの都は捨てられ(バビロン捕囚)てしまったが、しかし、大切なことは「離縁したわけではない」(イザヤ50:1)という点にある。

 4) その罪の故に、一度は夫(神)に捨てられた(バビロン捕囚)エルサレムの都であったが、捨てられ、辱められ、そうした神の導きのゆえにその罪は清算され、今や、それまでに受けた罰に対して多くの祝福をもって回復される時が来た(イザヤ61)。 

 イザヤ書62章4節で明らかになるように、ここでもう一度、神と和解し、以前に増して豊かな祝福を受けるようになることが本章では言われています。

 以下、本文をみていきます。



1)シオンのために、わたしは決して口を閉ざさず/エルサレムのために、わたしは決して黙さない。彼女の正しさが光と輝き出で/彼女の救いが松明のように燃え上がるまで。
2)諸国の民はあなたの正しさを見/王はすべて、あなたの栄光を仰ぐ。主の口が定めた新しい名をもって/あなたは呼ばれるであろう。
3)あなたは主の御手の中で輝かしい冠となり/あなたの神の御手の中で王冠となる。
―――
 エルサレムの都の建つシオンの丘のために、主なる神であるわたしは決して口を閉ざすことなく、エルサレムの都のために、わたしは決して黙ってはいない。
 今こそ、エルサレムの都の正しさが光のように輝き出で、エルサレムの救いが、暗闇を照らす松明のように燃え上がるその時に至るまで。
 世界中の国・民はエルサレムの正しさを見、諸国の王たちは全員がエルサレムにあらわされた神の栄光を仰ぐことになる。
 エルサレムの都よ、お前は主なる神が定められた新しい名前によって、主なる神が直々にお前を呼ぶであろう。
 その時、あなたは主の御手の中で輝かしい冠となり、あなたは神御自身がかぶる王冠としての栄光を受けるであろう。



4)あなたは再び「捨てられた女」と呼ばれることなく/あなたの土地は再び「荒廃」と呼ばれることはない。あなたは「望まれるもの」と呼ばれ/あなたの土地は「夫を持つもの」と呼ばれる。主があなたを望まれ/あなたの土地は夫を得るからである。
5)若者がおとめをめとるように/あなたを再建される方があなたをめとり/花婿が花嫁を喜びとするように/あなたの神はあなたを喜びとされる。
―――
 エルサレムの都よ、お前は再び、以前のような「夫である神から捨てられた女」と呼ばれることなく、イスラエル国土が再び、「荒廃」と呼ばれることはない。
 それどころか、お前は「夫である神によって望まれるもの」と呼ばれ、お前の国土は「主なる神である方が夫であるもの」と、世界において主なる神の所有されるものと呼ばれることであろう。なぜなら、それはお前のゆえではなく、ただ主なる神がお前を望まれ、お前の国土は、まさに主なる神を夫として、神によって所有されるようになるからである。
 まさに、若者がおとめを娶るように、エルサレムよ、お前を再建される方、すなわち主なる神ご自身がお前を娶ってくださり、花婿が花嫁を喜びとするように、主なる神は、あなたを所有することをご自身の喜びとされるのだ。



6)エルサレムよ、あなたの城壁の上に/わたしは見張りを置く。昼も夜も決して黙してはならない。主に思い起こしていただく役目の者よ/決して沈黙してはならない。
7)また、主の沈黙を招いてはならない。主が再建に取りかかり/エルサレムを全地の栄誉としてくださるまでは。
8)主は、御自分の右の手にかけて/力ある御腕にかけて、誓われた。わたしは再びあなたの穀物を敵の食物とはさせず/あなたの労苦による新しい酒を/異邦人に飲ませることも決してない。
9)穀物を刈り入れた者はそれを食べて、主を賛美し/ぶどうを取り入れた者は/聖所の庭でそれを飲む。
―――
 エルサレムの都よ、お前の城壁の上に、主なるわたしは見張りを置く。彼らは昼も夜も決して休むことなく、彼らは主なる神の命令によって、常に、エルサレムに対して主なる神を思い起こさせ続ける。
 また、バビロン捕囚において、主の沈黙を受けた時のように、再び主の沈黙を招くようなことをしてはならない。
 今は、まだ荒れ果てているが、主がお前の再建に取り掛かり、エルサレムを世界における栄誉としてくださる時、すなわち、主なる神の人類救済の大事業が完成するその時まで、主なる神に対する関係を疎かにしてはならない。
 主なる神は、御自分の右の手、つまり神ご自身の正義とその力にかけて誓われた。
 「わたしは再びあなたの穀物を敵の食物とはさせず、あなたの労苦による新しい酒を、異邦人に飲ませることも決してない。
 むしろ、穀物を刈り入れた者はそれを食べて主を賛美し、ぶどうを取り入れた者は、聖所の庭でそれを飲むことであろう。」と。



10)城門を通れ、通れ、民の道を開け。盛り上げよ、土を盛り上げて広い道を備え/石を取り除け。諸国の民に向かって旗を掲げよ。
11)見よ、主は地の果てにまで布告される。娘シオンに言え。見よ、あなたの救いが進んで来る。見よ、主のかち得られたものは御もとに従い/主の働きの実りは御前を進む。
12)彼らは聖なる民、主に贖われた者、と呼ばれ/あなたは尋ね求められる女/捨てられることのない都と呼ばれる。
―――
 さあ、一度は失われたエルサレムの住民たちよ、今こそ、エルサレムの城門を通れ。行け、エルサレムの民よ、荒野に道を拓け。低いところは土を盛り上げ、民が通るための広い道を備えよ。民の躓きとなる石をそこから取り除け。今こそ、エルサレムの住民がエルサレムに帰還する。そのことを諸国の民に向って旗を揚げて知らせよ。

 見よ、主なる神は、このことを地の果てにまで、世界の隅々にまで布告される。
 「さあ、娘シオン、エルサレムの都に対して言え。見よ、あなたの救いが大路を通ってやって来る。見よ、主の勝ち得られた者は、主なる神に従い、主の大いなる働きの実り、栄光の数々が主なる神の御前を行進する。 
 彼らは『聖なる民、主にその罪を贖われた者』と呼ばれ、エルサレムよ、お前は『主なる神によって尋ね求められる女。神によって決して捨てられることのない都』と呼ばれるであろう」と。