イザヤ書63章はひとことで言えば、重層的なイスラエルの歴史を通して、そこでなされる神の救いの御業の嘆願というような箇所となっています。
詩篇137編における、イスラエルの民の、神に対するバビロニアとその手先となったエドムに対する報復の祈りに対する、神の応答としての裁きが、この箇所の1節から6節までの内容に対応します。
そもそもなぜ、ここで他国ではなくエドムが登場するのかですが、恐らく、民数記20章14節以下、モーセがイスラエルの民を率いてエドムを通過しようとしたとき、エドムの王がこれを許可せず、イスラエル民族はエドムの領地を迂回しなければならなかった記事があります。
イザヤ書63章は後半のところでモーセの出来事を思い起こすように促していますので、おそらく、史実かどうかは別として、民数記の記事、および詩編137編などの整合性で、このように記したのではないかと個人的には推察します。
その意味で、エドムとは、史実としてのエドム王国が極端に悪いというよりも、むしろイスラエルを苦しめた敵としての役割を担っているのではないかと思います。
詩編137編では、エドムが新バビロニア帝国の手先となって、他国に先んじてエルサレム攻略に乗り込んだ、そういう歴史的な背後を感じさせます。
しかし、詩編137編、あるいはイザヤ書63章で登場する「報復」は、あくまで神の正義による判決に基づく制裁行為であって、それは「制裁」というよりも、「自分たちの犯した罪に対する報い」であって、その神の報いが非常に残酷なまでの表現をとっているのは、神が実際にそういう虐殺を行ったことよりも、むしろ、それによってこれまでイスラエルが被った被害や損害、精神的苦痛に対する、神の慰めの意味が強いと思います。
神の報復とは、つまりは神の裁きであり、それは世界における正義を司る神の裁量に基づき、決して、私怨によるものでないのです。
例えるなら、兄弟げんかをして泣いている方に対して、「お父さんがお前に代わって怒ってやったから」と言って、泣いてる方を慰めるようなものです。
そして、この神の報復で大切なことは、あくまで「人間は自分で報復しない」ということです。
最近の殺人事件の裁判なんかで、加害者が死刑を求刑されない場合に、被害者の家族が死刑を求める場面なんかを見かけます。
裁判はもともと、人間を裁くのではなくて、あくまで罪を裁くのです。
「罪を憎んで、人を憎まず」という台詞が、昔の時代劇なんかでありましたが、それといっしょです。
ところが、仮に、被害者の家族が求めによって、加害者を死刑にするようになれば、それはいわゆる仇討ちであって、私刑と同じです。そこには、法律ではなく、被害者の怨恨しかないのです。
しかし、聖書の信仰がすごいのは、通常であれば、そういうふうに流れてしまいそうですが、そこにストップをかけるのが、この詩編137編、あるいはイザヤ書63章に登場する神の報復です。
「神が、加害者に対して必ず、ただしく報復してくれるから、被害者であるあなたは加害者を許しなさい。」というわけです。
なぜ、人が直接、相手に対して報復してはならないのか? それは、相手に危害を加えることが、神の前に罪であるからです。そして、罪の報いが死であるからには、いくら仇討ちが人間の目に正当化されようとも、神の前には人ひとりの命を奪うという意味においては死にあたる罪を犯すことになるのです。
だからこそ、むしろ被害者は「加害者の罪を許す」という神の前における正義の行為によって、かえって加害者の上に、犯した罪の重さを増し加えさせるように促すのです。この考えは箴言だったかコヘレトの言葉に見ることができます。
そして、詩編137編につづられているように、神の報いがいつか仇の上に下るように、切に祈る。
そして、イザヤ書63章では、まさにその報いの時の到来を語るのです。
しかし、ここで重要なことは、神の報復とは、決して、イスラエル以外の外国だけに、敵対宗教の国家にだけ向けられるものではなくて、実は、イスラエルに対しても、この神の報復は行われたという点です。
はじめ、エドムをはじめとした外国が「けしからん」と、神による諸外国の蹂躙が行われますが、イスラエルも同じように、神によって蹂躙される。具体的には北イスラエルの滅亡、南ユダ王国の滅亡とバビロン捕囚の出来事といった事柄がそれに該当するわけですが、その意味では、エドムだけが取り立てて悪いという表現でもないのです。
しかし、そういった中にあって、イスラエルの神がイスラエルを創造し、担い、負われてきたと、イザヤ書46章で出てくる、神によっておんぶされるイスラエルの姿が、まさに、ここでの慰めの言葉となっていることが重要です。
このモチーフは、有名な「Footprints」の詞に共通します。
では、以下、本文をみていきます。
1)「エドムから来るのは誰か。ボツラから赤い衣をまとって来るのは。その装いは威光に輝き/勢い余って身を倒しているのは。」「わたしは勝利を告げ/大いなる救いをもたらすもの。」
詩篇137編における、イスラエルの民の、神に対するバビロニアとその手先となったエドムに対する報復の祈りに対する、神の応答としての裁きが、この箇所の1節から6節までの内容に対応します。
そもそもなぜ、ここで他国ではなくエドムが登場するのかですが、恐らく、民数記20章14節以下、モーセがイスラエルの民を率いてエドムを通過しようとしたとき、エドムの王がこれを許可せず、イスラエル民族はエドムの領地を迂回しなければならなかった記事があります。
イザヤ書63章は後半のところでモーセの出来事を思い起こすように促していますので、おそらく、史実かどうかは別として、民数記の記事、および詩編137編などの整合性で、このように記したのではないかと個人的には推察します。
その意味で、エドムとは、史実としてのエドム王国が極端に悪いというよりも、むしろイスラエルを苦しめた敵としての役割を担っているのではないかと思います。
詩編137編では、エドムが新バビロニア帝国の手先となって、他国に先んじてエルサレム攻略に乗り込んだ、そういう歴史的な背後を感じさせます。
しかし、詩編137編、あるいはイザヤ書63章で登場する「報復」は、あくまで神の正義による判決に基づく制裁行為であって、それは「制裁」というよりも、「自分たちの犯した罪に対する報い」であって、その神の報いが非常に残酷なまでの表現をとっているのは、神が実際にそういう虐殺を行ったことよりも、むしろ、それによってこれまでイスラエルが被った被害や損害、精神的苦痛に対する、神の慰めの意味が強いと思います。
神の報復とは、つまりは神の裁きであり、それは世界における正義を司る神の裁量に基づき、決して、私怨によるものでないのです。
例えるなら、兄弟げんかをして泣いている方に対して、「お父さんがお前に代わって怒ってやったから」と言って、泣いてる方を慰めるようなものです。
そして、この神の報復で大切なことは、あくまで「人間は自分で報復しない」ということです。
最近の殺人事件の裁判なんかで、加害者が死刑を求刑されない場合に、被害者の家族が死刑を求める場面なんかを見かけます。
裁判はもともと、人間を裁くのではなくて、あくまで罪を裁くのです。
「罪を憎んで、人を憎まず」という台詞が、昔の時代劇なんかでありましたが、それといっしょです。
ところが、仮に、被害者の家族が求めによって、加害者を死刑にするようになれば、それはいわゆる仇討ちであって、私刑と同じです。そこには、法律ではなく、被害者の怨恨しかないのです。
しかし、聖書の信仰がすごいのは、通常であれば、そういうふうに流れてしまいそうですが、そこにストップをかけるのが、この詩編137編、あるいはイザヤ書63章に登場する神の報復です。
「神が、加害者に対して必ず、ただしく報復してくれるから、被害者であるあなたは加害者を許しなさい。」というわけです。
なぜ、人が直接、相手に対して報復してはならないのか? それは、相手に危害を加えることが、神の前に罪であるからです。そして、罪の報いが死であるからには、いくら仇討ちが人間の目に正当化されようとも、神の前には人ひとりの命を奪うという意味においては死にあたる罪を犯すことになるのです。
だからこそ、むしろ被害者は「加害者の罪を許す」という神の前における正義の行為によって、かえって加害者の上に、犯した罪の重さを増し加えさせるように促すのです。この考えは箴言だったかコヘレトの言葉に見ることができます。
そして、詩編137編につづられているように、神の報いがいつか仇の上に下るように、切に祈る。
そして、イザヤ書63章では、まさにその報いの時の到来を語るのです。
しかし、ここで重要なことは、神の報復とは、決して、イスラエル以外の外国だけに、敵対宗教の国家にだけ向けられるものではなくて、実は、イスラエルに対しても、この神の報復は行われたという点です。
はじめ、エドムをはじめとした外国が「けしからん」と、神による諸外国の蹂躙が行われますが、イスラエルも同じように、神によって蹂躙される。具体的には北イスラエルの滅亡、南ユダ王国の滅亡とバビロン捕囚の出来事といった事柄がそれに該当するわけですが、その意味では、エドムだけが取り立てて悪いという表現でもないのです。
しかし、そういった中にあって、イスラエルの神がイスラエルを創造し、担い、負われてきたと、イザヤ書46章で出てくる、神によっておんぶされるイスラエルの姿が、まさに、ここでの慰めの言葉となっていることが重要です。
このモチーフは、有名な「Footprints」の詞に共通します。
では、以下、本文をみていきます。
1)「エドムから来るのは誰か。ボツラから赤い衣をまとって来るのは。その装いは威光に輝き/勢い余って身を倒しているのは。」「わたしは勝利を告げ/大いなる救いをもたらすもの。」
2)「なぜ、あなたの装いは赤く染まり/衣は酒ぶねを踏む者のようなのか。」
3)「わたしはただひとりで酒ぶねを踏んだ。諸国の民はだれひとりわたしに伴わなかった。わたしは怒りをもって彼らを踏みつけ/憤りをもって彼らを踏み砕いた。それゆえ、わたしの衣は血を浴び/わたしは着物を汚した。」
---
声)「エドムからやって来るのは一体だれだろうか? エドムの大きな都市であるボツラから。しかも、その衣は鮮血のように赤い。しかもその装いは神の威光に輝き、その勢いのあまり前傾してやってくる」
神) 「わたしは勝利を告げ、大いなる救いをもたらすものである。」
声)「なぜ、あなたの装いは赤く染まっているのか? あたかも酒ぶねで、ぶどうの実を踏み潰す人たちのように、その飛び散る果汁によって染まっているのか?」
神)「わたしはただひとりで酒ぶねを踏んだ。諸国の民はだれひとり、主なる神であるわたしに伴わなかった。それゆえ、わたしは怒りをもって彼らを踏みつけ、憤りをもって彼らを踏み砕いた。だから、わたしの衣は、踏み砕かれた彼らの血を浴び、もともと汚れの無い真っ白い装いを、彼らの罪の報いである彼らの流血によって着物を汚してしまったのだ。」
---
声)「エドムからやって来るのは一体だれだろうか? エドムの大きな都市であるボツラから。しかも、その衣は鮮血のように赤い。しかもその装いは神の威光に輝き、その勢いのあまり前傾してやってくる」
神) 「わたしは勝利を告げ、大いなる救いをもたらすものである。」
声)「なぜ、あなたの装いは赤く染まっているのか? あたかも酒ぶねで、ぶどうの実を踏み潰す人たちのように、その飛び散る果汁によって染まっているのか?」
神)「わたしはただひとりで酒ぶねを踏んだ。諸国の民はだれひとり、主なる神であるわたしに伴わなかった。それゆえ、わたしは怒りをもって彼らを踏みつけ、憤りをもって彼らを踏み砕いた。だから、わたしの衣は、踏み砕かれた彼らの血を浴び、もともと汚れの無い真っ白い装いを、彼らの罪の報いである彼らの流血によって着物を汚してしまったのだ。」
4)わたしが心に定めた報復の日/わたしの贖いの年が来たので
5)わたしは見回したが、助ける者はなく/驚くほど、支える者はいなかった。わたしの救いはわたしの腕により/わたしを支えたのはわたしの憤りだ。
6)わたしは怒りをもって諸国の民を踏みにじり/わたしの憤りをもって彼らを酔わせ/彼らの血を大地に流れさせた。
---
神)「わたしが心に定めた報復の日、裁きの日。わたしによる彼らの罪の贖いの時が来たので、わたしは世界を見回してみたが、誰一人として、彼らを助ける(偶像の)神はなく、また驚くほどに、彼らを支える(偶像の神)はいなかった。それゆえ、わたしの救いは、まさにわたしの腕により、わたしを支えたのはわたしの憤りであった。」
神)「わたしは怒りをもって諸国の民を踏みにじり、わたしの憤りをもって彼らを酔わせ、彼らの血を大地に流れさせた。」
神)「わたしが心に定めた報復の日、裁きの日。わたしによる彼らの罪の贖いの時が来たので、わたしは世界を見回してみたが、誰一人として、彼らを助ける(偶像の)神はなく、また驚くほどに、彼らを支える(偶像の神)はいなかった。それゆえ、わたしの救いは、まさにわたしの腕により、わたしを支えたのはわたしの憤りであった。」
神)「わたしは怒りをもって諸国の民を踏みにじり、わたしの憤りをもって彼らを酔わせ、彼らの血を大地に流れさせた。」
7)わたしは心に留める、主の慈しみと主の栄誉を/主がわたしたちに賜ったすべてのことを/主がイスラエルの家に賜った多くの恵み/憐れみと豊かな慈しみを。
8)主は言われた/彼らはわたしの民、偽りのない子らである、と。そして主は彼らの救い主となられた。
9)彼らの苦難を常に御自分の苦難とし/御前に仕える御使いによって彼らを救い/愛と憐れみをもって彼らを贖い/昔から常に/彼らを負い、彼らを担ってくださった。
---
驚くべき主の報復に、わたしイザヤはそのことを心に留める。
すなわち、主なる神の慈しみと主の栄誉を。そして、主がわたしたちに賜ったすべてのことを。
主がイスラエルの家に賜った多くの恵み、憐れみと豊かな慈しみを。
主は言われた。「彼らはわたしの民である。しかも偽りのない子らである」と。
そして、主なる神は彼らの救い主となられた。
イスラエルの民の苦しみの時にも、主なる神は決してイスラエルの民を見捨てることなく、彼らの受けた苦難を常に御自分の苦難とされ、御前に仕える御使いによってイスラエルの民を救い、その愛と憐れみをもって彼らの罪を贖い、大いなる昔から常に共にあって、彼らを負い、そして、彼らを担ってくださったのだ。
10)しかし、彼らは背き、主の聖なる霊を苦しめた。主はひるがえって敵となり、戦いを挑まれた。
驚くべき主の報復に、わたしイザヤはそのことを心に留める。
すなわち、主なる神の慈しみと主の栄誉を。そして、主がわたしたちに賜ったすべてのことを。
主がイスラエルの家に賜った多くの恵み、憐れみと豊かな慈しみを。
主は言われた。「彼らはわたしの民である。しかも偽りのない子らである」と。
そして、主なる神は彼らの救い主となられた。
イスラエルの民の苦しみの時にも、主なる神は決してイスラエルの民を見捨てることなく、彼らの受けた苦難を常に御自分の苦難とされ、御前に仕える御使いによってイスラエルの民を救い、その愛と憐れみをもって彼らの罪を贖い、大いなる昔から常に共にあって、彼らを負い、そして、彼らを担ってくださったのだ。
10)しかし、彼らは背き、主の聖なる霊を苦しめた。主はひるがえって敵となり、戦いを挑まれた。
11)そのとき、主の民は思い起こした/昔の日々を、モーセを。どこにおられるのか/その群れを飼う者を海から導き出された方は。どこにおられるのか/聖なる霊を彼のうちにおかれた方は。
12)主は輝く御腕をモーセの右に伴わせ/民の前で海を二つに分け/とこしえの名声を得られた。
---
しかし、なんということか! 彼らは主なる神の大いなる憐れみを受けているにも関わらず、主に背き、主の聖なる霊を苦しめた。主はひるがえって彼らの敵となり、戦い挑まれた。
そのとき、主の民は思い起こした。
すなわち、昔の日々を、モーセの時代を。
「どこにおられるのか? その群れを飼う者を海から導き出された方は?
どこにおられるのか? 聖なる霊を彼のうちにおかれた方は?」
主なる神は、まさに輝く御腕をモーセの右に伴わせ、イスラエルの民の前で葦の海を二つに分け、そのことを通してとこしえの名声を得られた。
---
しかし、なんということか! 彼らは主なる神の大いなる憐れみを受けているにも関わらず、主に背き、主の聖なる霊を苦しめた。主はひるがえって彼らの敵となり、戦い挑まれた。
そのとき、主の民は思い起こした。
すなわち、昔の日々を、モーセの時代を。
「どこにおられるのか? その群れを飼う者を海から導き出された方は?
どこにおられるのか? 聖なる霊を彼のうちにおかれた方は?」
主なる神は、まさに輝く御腕をモーセの右に伴わせ、イスラエルの民の前で葦の海を二つに分け、そのことを通してとこしえの名声を得られた。
13)主は彼らを導いて淵の中を通らせられたが/彼らは荒れ野を行く馬のように/つまずくこともなかった。
14)谷間に下りて行く家畜のように/主の霊は彼らを憩わせられた。このようにあなたは御自分の民を導き/輝く名声を得られた。
---
主なる神は彼らを導いて、その二つに分かれた海の淵の中を通らせられたが、彼らは、まさに荒れ野を行く馬のように、決してつまずくこともなかった。
あるいは、水の流れる谷間に下りていく家畜のように、主の霊は彼らを憩わせられた。
このようにして、主なる神よ、あなたは御自分の民を導き、その輝く名声を得られた。
15)どうか、天から見下ろし/輝かしく聖なる宮から御覧ください。どこにあるのですか/あなたの熱情と力強い御業は。あなたのたぎる思いと憐れみは/抑えられていて、わたしに示されません。
主なる神は彼らを導いて、その二つに分かれた海の淵の中を通らせられたが、彼らは、まさに荒れ野を行く馬のように、決してつまずくこともなかった。
あるいは、水の流れる谷間に下りていく家畜のように、主の霊は彼らを憩わせられた。
このようにして、主なる神よ、あなたは御自分の民を導き、その輝く名声を得られた。
15)どうか、天から見下ろし/輝かしく聖なる宮から御覧ください。どこにあるのですか/あなたの熱情と力強い御業は。あなたのたぎる思いと憐れみは/抑えられていて、わたしに示されません。
16)あなたはわたしたちの父です。アブラハムがわたしたちを見知らず/イスラエルがわたしたちを認めなくても/主よ、あなたはわたしたちの父です。「わたしたちの贖い主」これは永遠の昔からあなたの御名です。
17)なにゆえ主よ、あなたはわたしたちを/あなたの道から迷い出させ/わたしたちの心をかたくなにして/あなたを畏れないようにされるのですか。立ち帰ってください、あなたの僕たちのために/あなたの嗣業である部族のために。
---
しかし、どうか、主なる神よ。今こそ、天から見下ろし、輝かしく聖なる宮から地上をご覧ください。
どこにあるのですか? あなたの熱情と力強い御業は。
あなたのたぎる思いと憐れみはいったいどこにあるのですか?
それらはわたしの目には隠されていて、わたしにはまったく分かりません。
神よ、あなたはわたしたちの父です。
例え、信仰の祖であるアブラハムがわたしたちのことを見たことがなくても。
たとえ、あなたがイスラエルと名づけたヤコブがわたしたちをイスラエルの子と認めなくても。
主よ、あなたは確かにわたしたちの父です。
「わたしたちの贖い主」。これは永遠の昔からあなたの御名なのです。
ところが、どうしてあなたはわたしたちを、あなたを信じる信仰の道から迷いださせ、わたしたちの心をかたくなにして、あなたに対する信仰を失わせるのですか?
イザヤ書6章10節に、「この民の心をかたくなにし/耳を鈍く、目を暗くせよ。目で見ることなく、耳で聞くことなく/その心で理解することなく/悔い改めていやされることのないために。」とあるように、あなたは、なぜ、わたしたちを滅ぼそうとするのですか?
どうか主よ、いまこそ思い直してくださり、わたしたちを顧みてください。救ってください。
---
しかし、どうか、主なる神よ。今こそ、天から見下ろし、輝かしく聖なる宮から地上をご覧ください。
どこにあるのですか? あなたの熱情と力強い御業は。
あなたのたぎる思いと憐れみはいったいどこにあるのですか?
それらはわたしの目には隠されていて、わたしにはまったく分かりません。
神よ、あなたはわたしたちの父です。
例え、信仰の祖であるアブラハムがわたしたちのことを見たことがなくても。
たとえ、あなたがイスラエルと名づけたヤコブがわたしたちをイスラエルの子と認めなくても。
主よ、あなたは確かにわたしたちの父です。
「わたしたちの贖い主」。これは永遠の昔からあなたの御名なのです。
ところが、どうしてあなたはわたしたちを、あなたを信じる信仰の道から迷いださせ、わたしたちの心をかたくなにして、あなたに対する信仰を失わせるのですか?
イザヤ書6章10節に、「この民の心をかたくなにし/耳を鈍く、目を暗くせよ。目で見ることなく、耳で聞くことなく/その心で理解することなく/悔い改めていやされることのないために。」とあるように、あなたは、なぜ、わたしたちを滅ぼそうとするのですか?
どうか主よ、いまこそ思い直してくださり、わたしたちを顧みてください。救ってください。
18)あなたの聖なる民が/継ぐべき土地を持ったのはわずかの間です。間もなく敵はあなたの聖所を踏みにじりました。
19)あなたの統治を受けられなくなってから/あなたの御名で呼ばれない者となってから/わたしたちは久しい時を過ごしています。どうか、天を裂いて降ってください。御前に山々が揺れ動くように。
---
あなたの聖なる民が、その継ぐべき土地をもったのはイスラエルの歴史においてたったわずかの間です。
間もなく敵はあなたの聖所を踏みにじりました。
イスラエル(「神の支配」の意)というのは名ばかりで、あなたの統治を受けられなくなってから、あなたの御名で呼ばれない者となってから、わたしたちは久しい時を過ごしています。
主なる神よ。どうか、今こそ、天を裂いて降ってきてください!
あなたの御前に山々が揺れ動くように!
---
あなたの聖なる民が、その継ぐべき土地をもったのはイスラエルの歴史においてたったわずかの間です。
間もなく敵はあなたの聖所を踏みにじりました。
イスラエル(「神の支配」の意)というのは名ばかりで、あなたの統治を受けられなくなってから、あなたの御名で呼ばれない者となってから、わたしたちは久しい時を過ごしています。
主なる神よ。どうか、今こそ、天を裂いて降ってきてください!
あなたの御前に山々が揺れ動くように!